2012年12月30日日曜日

屋根塗装の安全確保シミレーション

屋根塗装方法をシミレーションしてみた。
関西に比して関東の屋根は急勾配である。僕の家でも勾配が6/10となっている。つまり約31度だ。壁塗装の時に、一階の軒上の壁を塗る場所があり、そこに瓦屋根があったが、そこはまともに立てない勾配であった。結局は足場から屋根に沿って鋼管を突き出し、これにすがるなり、体を立てかけて作業をした。屋根全体がそのような状況だとどうすれば良いのかと案じた。先に示したように、2階のベランダに足場を設けたので、屋根をじっくりと眺めた。その範囲では、軒上の瓦部よりは勾配が緩そうだ。しかも、ジョイフル本田で見つけた滑りにくい靴も用意しているから、なんとか歩けそうに見えた。
が、いずれの場合にも対応せねばならない。
先ずは安全確保が必要で、NETを調べると、下記があった。
http://www.eonet.ne.jp/~mksasa/tosou.html
この人は更に勾配が急な屋根の塗り替えを行っていて、屋根塗装に関する基本的な考え方は以下となる。
ロープを掴んでの作業は難しい。そのため彼の場合は、軽量梯子にロープを結び、棟から吊って、これを使って足場は確保している。塗装道具用台も準備して、これも棟から吊っている。
安全はロープに託すが、あくまで体重は掛けず、安全用で、両手を空ける為にパッチマン結びを採用している。カラビラを使わないが、主ロープに結んだ補助スリングの下の方にロープの結び目、またはこれに相当する摩擦装置を付ければ、万一の場合も、補助スリングが滑らないのではと思える。

http://homepage3.nifty.com/timtam/sc0.7.html

上記基本的な考え方を今回の作業でも採用するが、我が家の場合、梯子までは必要はなさそうだ。そもそも、我が家の場合は、梯子用ロープや安全ロープの支持を、棟から吊ることでは出来ない。なぜなら、最近の軽量瓦屋根では、薄鉄板の棟抑えを使っていて、これにロープの力がかかると棟抑えが破損する可能性が高い。そのため、下記が必要となる。
③棟をまたいだ、アンテナ用屋根馬の様なものが必要でここから安全ロープを下げる。馬は、屋根の隅部からロープで固定する。3方で引っかければ充分だが、馬が滑らない、特に力のバランスを考えた工夫も考えねばならない。
以上で、必要な物品を用意することにした。

 屋根馬の固定の仕方は、この人が書いています。
http://denkinikki.blog43.fc2.com/blog-entry-142.html
 また、屋根馬の部品が僕の計画にも使えそうです。屋根馬固定用支線のワイアー本数を増やせば、屋根馬の固定は安全になります。

http://www.iwatadenki.jp/shop/72.html                    
⑤アンテナの場合、屋根馬の固定は、ロープでなく、最大2mm径のステンレスワイアー(これを支線と言う)を使っている。屋根馬への固縛はアンテナマストにはめた円形の金具(支線止め金具)に、支線ジョイナーなる物を取りつけて、これにワイアーの端を取りつける。反対側は、屋根端の木部に打ち込むとか捩じ込んだアンカー、若しくは、支線止め金具おとめさん(これは1個800円程度と高価だ)とかの特殊アンカーがあり、これらに、やはり支線ジョイナーでワイアーを接合する。ワイアーを張る方法としては、アンテナ設置の場合は絞るって方法があるが、僕の場合は、ターンバックル(一個400円と高価なのが難点)が良さそうだ。アンカー側のワイアーに弾性あるカバーを設けて、屋根を損傷させない方法も考慮されている。安くするには、ワイアーの屋根との接触部分に緩衝材をくるむ方法もある。
⑥以上のように考えると、屋根馬の確保は、ロープではなく、ワイアーを多めに使い、しかも、出来るだけ、屋根の上からではなく、ベランダからアンカーを打ちこめる所に多くのワイアーを張り、反対側には屋根馬に確保したローブで安全を確保しながらアンカーを屋根から打つか、若しくは、アンカーを打つためだけに足場を立てても良い。ひょっとすると、反対側にはアンカーも必要無いかもしれない。
⑦ロープは先の「主ロープ+補助スリング」方式が良さそうだ。主ロープ長さは10mもあれば十分だが、馬にくくりつけて余った分を反対側のどこかに確保する方法もある。
シミレーションはシミレーションで、実際に遣ると、大幅な修正が生じることは経験上からも確実で、実は、大阪の屋根塗りでは、安全ロープを多用する計画を考えていたが、実際には、安全ロープも使わず、平気で屋根を歩き回った。しかし、ここでシミレーションして、やはり安全確保は必要だな、と考え直した。
大体のシミレーションを終わったので、予算を建てて、実施時期は、高圧洗浄機を使うから、近所が午後の洗濯物取り入れ後に窓を開けていない3月だろうか。

屋根塗料は高くても遮熱塗料を使おう。

2012年12月29日土曜日

年末の準備と、ベランダアンテナの取り付け

正月の準備は、後、メール年賀状の作成と、それに、年末大掃除の仕上げとしての、玄関土間、駐車場土間の清掃だ。しかし、土間の清掃については、今年は高圧洗浄機があるので楽にできる。高圧洗浄機は値段以上に使い勝手が高かった。なお、メール年賀状も添付分は準備出来た。従来は原稿そのまま添付したが、容量が大きくて送信に苦労した。今回はあれこれ試して、ワード文章から簡単にPDF化できることに気づいた。これで送信も簡単に出来そうだ。しかしPDFはここにはアップロードできないので省略だ。元のワード文書はどうコピーできるのだろうか?と試したが、やはりここにはコピーできなかった。

来年への準備として気になっていることは、次の点だ。
①地上ディジタル化でJCOMの共同受信が終了する。
我が家の住宅地区は、アナログ時点で電波障害地区として、JCOMが有線配信を無料で行っていたのだが、突然、JCOMの勧誘員が、自治会を経由することもなく、各家を各個に訪問して、「2012年半ば、新タワーからの電波送信以降は無料契約が切れる。サーバー契約とTV受信契約を一緒にすれば有利ですよ」と廻り始めた。TVの受信とサーバー契約が一体となれば、使用者側の自由度はほぼ無くなってしまう。こんな馬鹿げた勧誘は無い、と自治会にメール連絡したが、「各家にお任せします」とだけの返事であった。となれば、放射能の件と同様に自分の身は自分で守らねばならない。と、NETでいろいろ調べてみた。NET(IP電話共)とTVの同時契約であれば、フレッツ光でもあるようだが、それではJCOMの提案と殆ど変らない。TVとサーバを別個に契約すると言うか、そもそも、何故、TVの契約なんぞをわざわざせねばならないかってことだろう。と、言うことで調べると、結局は屋根アンテナかベランダアンテナとなった。今のところ屋根に登る準備は出来ていないので、ベランダアンテナとした。
アンテナは、DXアンテナUAD1800(UHFのみ) 8798円 amazonにて購入
同軸ケーブル S-5C-FB 10m 1,260円 及び F型接栓 2個入 240円
を購入した。これでうまく行けば、JCOMの世話にはならなくてよい。
自治会Webにも、この結果をメールしたが、全く関心は無いようだ。その後の調査では、自治会員の殆どの家がJCOMと契約したらしい。もうJCOMの言いなりってことだろう。

ベランダアンテナは、手持ちの足場材料を利用して、こんな具合に設置した。配線は、壁に穴あけして既存のソケット口に通した。既存の口とは配置が変わったが、ジョイフル本田で適当な部品を買ってきて、見栄えが悪くないようにとアレンジした。
工事結果の姿はこんな具合です。なお、架台がちょっと大げさだが、これは、屋根のメンテ時の足場に使うことも考えてのことだ。アンテナだけであれば、ポールに3本足を設けることで良い。が、この架台があると、アンテナの設置や調整にはとても便利でもある。
アンテナは、向こうのマンションの壁に向けて、反射波を捕らえている。
新タワーの方向は、ちょうど逆方向なのだが、タワーの方向を向け、受信していても、突然受信できなくなることがあり、恐らく、新タワーは未だ試験発信中と思える。そのため今のところ、アンテナはマンション壁に向けた。
既設の同軸ケーブルは壁間を通して2階の配線受入れ器具に接続しているが、ベランダアンテナからの配線は壁に穴開けして下のように通した。穴には、変性シリコン等の塗装可能な充填剤を入れて密閉する予定だ。
室内は、既設ソケット受けの受け口を、今回の配線に合うように改造した。
先に書いたように細かい部品は、ジョイフル本田で手にいれた。

  今回の設備で苦労したのは、同軸ケーブルへの接栓の取り付けが、ちょっといい加減になり、線の導通がうまくゆかず、アンテナ本体が悪いのか、同軸ケーブルが断線しているのかと思案したことだ。結局、テスターで、室内壁に取り付けたブースター電圧15Vが、配線経路のどこで切れているかをブースター側から順番に調べ、接栓接続が不良らしいと気ずいた。なお、ブースター電圧は、同軸ケーブルの中央導体と、外側網+アルミ被覆、の間で電位差がある。
以上で、準備は整ったので、新タワーの放送開始で確認を行える。

②家のガス管が寿命20年程度になっていること、エコキュートを更に有効に活用すべく、太陽光温水を使いたいこと、できれば、太陽光発電もDIYでやりたいことなど。我が家のインフラを自分でコントロールしたい。
そのためには、配管ルートを調べ、しかも、自分で配管できる能力を持ちたい。その調査や機器準備を進める。

③屋根の保守も自分で行いたい。ただ、我が家の屋根勾配が急なので、安全対策を確実にしなければならない。この準備も進めたい。
④ベランダも屋根も遮熱塗装仕様を前提としたい。

こんな所が、来年の僕の計画かな。

なお、屋根の様子を見る為に設置した現在の足場は、下を人が通れるようにと、アジャストベースをかなり高い位置に調整している。足場先端が軒先に触れない高さで人が通過できるとすれば、アジャストベースのねじ部高さを220mmに設定するのが良い。

その後のベランダアンテナの調子だが、
①アンテナ支持架台が風でひっくり返るような事故が発生。これは支持架台の組立不良が原因。
②F5接栓の取付不良で、徐々に接触が悪くなった。既にアナログ電波が無くなっており、その状態でリモコンをアナログにしてしまい、接栓を修理してもチャンネルと繋がらなくなりあせった。これに気付いてディジタルを選んだら何事もなくTVを見ることができた。
かような経過を経ることで、ベランダアンテナには自信が持てた。

2012年12月14日金曜日

ベランダの防水シート塗料に微かなひび割れとパソコンの購入

ベランダの防水シート塗料に微かなひび割れがあちこちに見つかった。
屋根塗装やその他のことよりも対策を急がねばならない。
塗装仕様は、nittokuのノンリークコートです。
http://nittoku-shoukou.co.jp/product/495/index.html
先ずは、この処理を行うので、屋根塗装の件は先送りです。

ところで、女房が突然、パソコンがいると言いだした。
女房が使うのは、せいぜい、YAHOOのニュースを見るのと、環境活動での会計役としての表計算程度だ。自分用にパソコンが必要な状況では無い。だが、言い出したら聞かない性格で、買わざるを得ない。
画面は15インチ程度のノートパソコンが良いと言う。
そこで、価格.comであれこれ調べた。本年度2012タイプを前提として比較し、それに、僕も代用機として使う可能性があるから、メモリーは2G以上が欲しい。僕のパソコン購入時代よりは遥かに進化しているから、どのパソコンもハードメモリーは問題外のほどに大きい。
OFFICEソフトがプレインストールされていないタイプが、当然だが、とても安く、特に東芝のビジネスタイプが安く、問題はOFFICEをどうするかってことだ。
http://dynabook.com/pc/catalog/satellit/catapdf/original/pc-772.pdf
本機には、数字専用キーもある109キータイプと数字専用の無い、87キーの2タイプあるらしい。が、簡単に手に入るのは109キータイプだ。女房には数字専用キーの方が使い易いだろうから問題は無い。価格は32,800円と、かなりお得である。
1ランク下で、B452が29,800円である。OFFICEインストール版もあるが、その場合は追加価格が必要になる。しかし、B452にはWebカメラが付属していない。
http://toshibadirect.jp/pc1/catalog/2012/b452g/spec.html?link_id=txt_pro_b452g_b452g_spec
Webカメラは女房には不要だが僕には必要だ。そのため、B252を買うことにした。
本機では、64ビットと32ビットの選択が出来て、初期設定時にするらしい。
OFFICEは、Yahooオークションで2003版を安く購入した。古い版なので、32ビットを選んだのだ。
あっと言う間にパソコンが着き、各種設定を始めたが、32ビット設定にかなりの時間が掛かった。難しいと言うことではなくて、単純に時間が掛かるってだけのことだ。次いで無線LANを設定した。今の無線LANは本当に簡単に設定できる。B252にはエキスプローラがインストール済みなので、直ぐにネットに接続できた。一旦、ネット接続を停めて、OFFICEをプロダクトキー入力で簡単にインストール出来た。
再起動後、OFFICEを立ちあげると、認証画面が出たのでON-LINE認定を選択した。簡単に認定も終えた。
昔に較べると、なにもかもが簡単にできる。
それから数日間、女房は、全く本機に触れていない。

2012年12月10日月曜日

屋根の塗替え準備--高圧水洗浄機や靴の購入

屋根の塗替えの準備を順次進めることにした。
そのためには、ベランダに足場を築いて、そこから点検若しくは、文字通り足場とすることにした。出来れば、恒久的に設けて、縦材の一本を、ベランダアンテナの支柱としても使いたいと考えている。
さて、足場の設置だが、先に書いた倉庫用足場に、ジャッキベースは使ってしまった。自在ジャッキベースは残っているが、これは、屋根の勾配部での使用で、それも、充分な支えを考えて使わないと危険で、これを安易に平地で使うと、何かの折に、転倒する恐れがある。そこで、何か良い物は無いかとジョイフル本田を訪れた。と、ジャッキではない固定型のベースが一本258円との安価に売っていたので、4本を購入した。他にも何か、と見て回ると、作業用靴が置いてあり、底のゴム溝の凹凸がいかにも滑りにくそうな靴が売っていたので、これを3500円程度で購入した。実は、以前にも同じ用途で別の靴を、これは近所の長崎屋で2000円で購入して、壁塗りの一階屋根部の奥の壁塗りで使ったのだが、それも一応は有効に使えたが、今回の方が効果的に使えそうで買ったのだ。
以前のは、FireFoxって製品名で、今回のは日進ゴム社製のHyperV#2000との製品名である。性能がどう違うか楽しみである。それにしてもあれこれと金がかかる。

写真で、左端がFirefoxで、中央がHyperV、右端はネパールで買ってきた通常の靴で、ついでに写した。これは、ほぼ2000円で、履き心地も気にいっている。
下に映っているのは、画面に入ってしまった僕の畑用靴です。

なお、屋根用に高圧水洗浄機 AJP1410SPを12900円で購入した。これは、壁塗りの後で買ったのだが、車清掃、駐車場掃除等に使ったが、これは良い買い物だった。壁塗りの前に買ったらもっと有効に使えたのにと後悔した。
さて、ぼちぼちとベランダに足場を設けます。楽しみだなぁ。

ところでベランダに掛かる荷重を計算しておこう。一応、1.8mx2段の場合で考える。
足場支柱が2段で、7kgx8本=56kg
踏板400x1800mm 12.9kg
ブラケット(踏板支持) 2.5kgx2=5kg
手摺 1800mm  4.6kgx2本=9.2kg
手摺 600mm 1.8kgx2本=3.6kg
ベース     0.5kgx4本=2kg
アンダーベース 1.8kgx4本=7.2kg
合計95.9
一本に掛かる荷重は=24kg
60kgの人が乗ったとして、最低2本で受けるから、一本当り30kgが加わり、
54kgとなる。アンダーベースはかなり大きいので、人、1人分の荷重がベランダに掛かるのに等しい。先ず大丈夫だろう。



畑の状態

冬の畑、畑と言っても10坪程度の狭い貸農園の借地だが、その準備は、今年は、まぁまぁと思える。先にも書いたが、放射能降下以来、畑の残さや、家の枝刈り分や雑草は、それ以前のように埋め立てて畑の肥料とすることは無く、全てを焼却に出している。関西以西産の食材を出来るだけ使い、この残さを畑に埋めることで、市販の牛糞や鶏糞さえも使わず、土地の放射能物質密度を出来るだけ少なくするようにしている。
畑の様子は、写真のように、左側大根の生育、中央それに左側奥の黒マルチ横カバーの列は、タマネギ畑で、右側1列は春キャベツ、その右側の背高く設けているのは、グリーンピース畑となっている。僕の借り農園の向こう側は、保育所の建物で、冬期には3時を過ぎると、僕の借り農園は、その建物の日陰となってしまう。
3年前に保育所建物が建つまでは、そこは公園だったので、冬期も暖かで、冬期作物の出来も良かったのだが、建物が建ってから作物の出来が突然悪くなった。が、2年間は、その理由が全く判らなかった。冬期には余り午後に畑を訪れなかったのだが、たまたま午後3時を過ぎてから来ることがあって、畑の全てが建物の陰になり寒さが急激に激しくなることを知り、作物の出来が悪くなった理由にも気づいたのだ。それが一昨年で、そのため、寒さ対策をすること、それに、早めに植えることで、作物の出来が良くなることを知った。その知恵の結果が、マルチと側面カバーである。実は、それに加え冬作物については、周囲の日陰となることのない畑よりは、半月は早く植え付けているのだ。周囲の人々は、「もっと植えるのは遅い方がいいんだよ」と助言するのだが、僕の畑の実情を知らないからの助言である。
しかし、早く植えることで、他の人の場合とは違った問題があるのだ。
まず、タマネギだが、タマネギは温度が高くなると、地上の葉っぱ部分が育ち、日照時間が長くなると、地下のタマネギ部分が大きくなるのだ。つまり、僕の畑の場合は、早く植えているから、当然春になると葉の部分が早く育ち、日照時間が、それでなくとも建物の陰で短いから地下部分の育ちは遅い。そのため、葉の部分の搭立ちが早くなってしまう。塔立ちが起こると、その根の部分が固くなり、たまねぎ部分も固くなってしまうのだ。人為的に日照時間を早めるわけには行かないから、塔立ち前に収穫することで、対処せざるを得ず、これでなんとかなっている。
ついで、グリーンピースだが、早く植えると余りに早く育って、冬期霜が降りると上部部分が霜で焼けてしまうのだ。そのため、霜を防ぎ保温も必要なので上の写真のように大げさな保温状態になっている。しかも植え付けを密度高くして、体を寄せ合って寒さを防ぐようにとも工夫している。これでなんとか出来を確保できるようになった。写真に示すように、少し育ってから自立できるようにと網も取り付けている。農業とは、実は、いろんな工夫が出来る仕事だと、最近になって気づいた。

2012年12月3日月曜日

素晴らしきネパール旅行

ネパールは、今回も女房とその姉妹3人を引き連れての旅で、かなりの幸運にも恵まれて、実に面白くて楽しかった。
航空券の購入は2011年12月中旬で、そのルートは、
関空⇒上海⇒昆明⇒カトマンズ⇒昆明⇒関空、
成田⇒上海⇒北京⇒昆明⇒カトマンヅ⇒昆明⇒上海虹橋⇒上海浦東⇒成田
となっていた。
中国東方航空は安いのだが、昆明で一泊が必要なスケジュールになっている。そこで、帰路昆明で2泊として昆明観光も考慮して、昆明の宿の予約を取り、交通方法も調べていたが、魚釣島の問題で、日本人が集団暴行を受けるような事態になり、しかも、2012年6月には昆明空港が市街部から遠くに移設になったこと、それに、空港周辺には宿泊施設が無いことを知ったので、宿の予約は全て破棄し、帰路の観光も諦めた。下手に市街部に宿泊して、タクシーの乗車拒否に会えば、日本に帰れなくなってしまう。そのため、代理店に連絡すると、気持ちよく対応してくれて、帰国便を一日前とし、しかも、帰国ルートも、帰路 カトマンヅ⇒昆明⇒上海浦東⇒成田、と簡単になった。
宿の予約は、Agoda と TripAdviserを使って簡単に行えたが、ナガルコットの雲海荘はなぜか返信が遅く、当初は、バクタプールからの日帰りも考えた。が、6月ころに連絡が取れて、一泊することとした。が、現地でもオーナーの民子さんと会うことはできず、彼女が病気でないかと心配している。
ここまで計画しても、旅の前には心はブルーになってしまう。旅に慣れるほどこの傾向は強くなったが、ひょっとすると、それは歳のせいかもしれない。
今度の旅で心配したのは、服装だ。日本の9月に急に寒くなったことから、余計に心配になり、寒さ対策を強化した。が、実際には秋の服装にセーターで十分で、昼間は秋の服装でも暑すぎた。持参の寒さ対策は全く無用であった。結局、昆明空港の夜が最も寒かった。おかげで、日本に帰ったときにはその寒さで風をひいてしまった。ネパールの気候がいかに過ごしやすいかってことでもある。
航空便やその他情報としては下記がある。
関空発昆明行は、上海までと、上海~昆明が同じフライトNOで、行も帰りも、関空⇔昆明の乗客は特別扱い(大阪発の人だけ、往路、復路共に上海空港で一まとめで行動)だが、昆明⇔東京の乗客は、復路では荷物はスルーできるが、国内線⇒国際線の扱いになる。つまり、往路昆明では、関空発の人は国際線用荷物受場、東京発の人は、上海⇒北京⇒昆明の場合、国内線用荷物受場で荷物を受け取ることになる。但し、東京の人も、東京⇒上海⇒昆明の場合は、国際線荷物受場になるだろう。つまり、上海経由で最初の国内空港までは国際便扱いとなるってことだろう。当然だが、国内線荷物受場と国際線荷物受場は仕切りで分離されているので、気をつける必要がある。復路の昆明では、関空へ行く人は、国際線でチェックインして、国内線departureから搭乗だが、同じ飛行機に乗る東京行の人は国内線でチェックインですが、荷物はスルーで東京なので、国内線のSpecialCare(多分国内線カウンターの通常のカウンターの向かい側にある)でチェックインとなる。
で、成田発の僕夫婦は、上海では、北京の看板を持つ女性に連れられて入国審査、セキュリティを終えて、上階に上がるともう北京行きフライトのゲートAREAであった。北京空港に着くと、上海で乗込んだ人とは別に東京発の人だけで国際線荷物受場に向かう。北京からは国内線でのチェックインで、汚い国内線DEPARTUREでチェックイン時間を待った。
東方航空は遅延が常態化しているようで、行も帰りも一時間以上遅れた。
昆明では空港内で夜を過ごした。昆明空港3階DEPARTUREでは、なが~いチェックインカウンターの両端には、それぞれかなりの数の椅子が並んでいる。が、固くて肘掛付きの椅子が多い。入口側(空港に向かって)から見て、左側(国内線カウンターの外側)の椅子は硬い肘掛け椅子で、その辺りは、なぜか風で寒い。
4階はレストラン街(departure階からメゾンになってる)で、左側(国内線)と右側(国際線)に分かれていて、大体9~10時には閉店となる。国際線側の奥の方に柔らかい長椅子があり、ここが過ごし易い。但し飲食禁止だ。
空港の係員数名もここで夜を過ごしているが、連中は飲食や喫煙を平気でやる。そういえば、上海⇔昆明機内で、乗務員も乗客も後方乗務員室で喫煙をしてるようで、とてもくさい。空港には朝4時半頃から続々と乗客が詰めかけてくる。中国人は、我先思考のためかなりマナーが悪い。それに、空港従業員でさえ英語は使えない人が多く、中国国内旅行はかなり難行するだろうと想像できる。で、中国への旅行にはちょっと意欲を失ってしまった。
1階(表示ではB1Fらしい)の入口から見て左側の端には、ケンタッキーがあり、ここは24時間営業で、本空港での待合せには最適の場所だ。
朝には朝食メニューがある、が、上の寒いところと同様に寒い風が流れる。
なお、昆明市内へのバスは、夜中の2時ころまで運転していて、1号線と2号線とが稼働中のようだ。が、バスは市内では循環式なので、往路と復路のバス停が異なるので要注意だ。
ATMは3階に24時間対応のがある。
2012年
10月17日、
日本発で関空から2人、成田から2人が出発した。大阪Gは、容易に着いたが、成田Gは、先にも書いたが成田⇒上海⇒北京までは、ひとまとめ扱いだが、北京空港では注意していないと、ひとまとめ扱いから離脱しそうになる。北京の国際線荷物受場で荷物を受け取ってからは、北京⇒昆明は完全なる国内便となる。北京空港ではかなりの時間を持て余した。今回の経験からすると、中国東方航空は、かなり時間が遅れるようで、24時前に昆明に着く予定が夜中の1時近くになり、大阪Gも1時間程度遅れ、結局待ち合わせのケンタッキーで2時近くになり全員が揃った。帰路もかなり遅れたことからすると、東方航空は慢性的に遅れることと考えるべきだろう。
10月18日
チェックインカウンターに2時間前に行ったが、もう、人でいっぱいであった。油断であった。おかげで窓際の席が取れず、ヒマラヤを十分にエンジョイできなかった。が、この経験から帰路のフライトでは充分にヒマラヤの素晴らしい眺めをエンジョイした。
カトマンヅの空港は中国の空港に比べればかなり貧相だが、人々が友好的なので、より過ごし易い空港である。出口を出た所にTAXI受付があり、ここから既に値段交渉が始まる。しかし、こちらは4名とおおきな荷物、しかも、ナガルコットへの途中で、BAKTAPURのホテルに荷物を置いて行くとのハンディがある。で、2600RSで合意した。がRSを所持していないのでATMを教えてもらって、先ずは現金の準備だ。ARRIVALを出て右側にDEPARTUREが有るが、その中間にATMがあった。が、故障中であった。外に出ると、「何か助けようか?」と言うのが居て、DEPARTUREのまだ先のビルの向こう側まで連れていってくれた。1ドルをあげると喜んでいた。彼の態度からすると、ネパール人ってほんとに親切で大人しく、押し付けがましくない連中だ。いっぺんに好きになってしまった。
車は、この国の殆どがインド製のスズキで、その軽を4人乗れるように改造した車であった。2600RSにしては、相当の距離と悪路を経て目的地に着いたが、途中でBAKTAPURのホテルに荷物を置いた。市の観光チェックポイントで観光料を支払い、一週間有効のハンコも押してもらった。
10月19日
早朝から起きてヒマラヤを眺めたが、霧が多くランタンの峯がうっすらと見えるだけだった。同宿の女性達は展望台に行ったが、そこでは雲の上に美しいランタンが見えたとのことで、がっかりした。が、気を取り直し、チャングナラヤンへのミニトレッキングに出発した。素晴らしく楽しいミニトレッキングとなった。
地球の歩き方の関東マップの裏側に地図があるが、ナガルコットからBAKTAPURへのバス道で、道が北側に向かい、360度方向転換している所が2箇所ある。そのナガルコットに近いほうが警察署で、BAKTAPURに近いところが、地図にはnagarkotphediと書かれている。
トレッキングルートは、この突出した場所を東西に結ぶようにあり、ただ、nagarkotphedi(現地ではTelkotテルコット と称している)のちょっとナガルコット側でバス道を歩くところがある。このTelkotにはバス停留所があり、Baktapurからのバスがここと往復している。ここでは食事も出来る。トレッキング道は更に西側に登り道となる。そこを登りきると、このルートで、特に左側の眺望が美しい稜線歩きとなる。道はそのまま西に続き、BAKTAPURとチャングナラヤンを結ぶバス道に達する。バスは頻度高く通り、手を挙げれば止まってくれる。BAKTAPURまで40RSであった。BAKTAPURへのバスは、街の北側のTouristBusPark辺りで下ろされてしまった。そこから街へは道が南に向かって2本に別れているが、街に向かって右側(西側)の道を進んで行くとダルバール広場に至る。
ところで、トレッキング道の殆どは村の家々の間を通る道で、時期はちょうど国家的祭日のダサインであり、多くの人々が仕事を休み着飾っていた。多くの子供たちが凧揚げに興じていた。
10月20日
とにかくこの国は食事はうまいし、ホテルも食事も安い。楽しい旅だ。ホテルでもらった地図で、街の南側を走るAranikoHighwayのSuryavinayakBusStationに向かった。早朝から、と言うか、早朝の宮参りなのか、街中が着飾った人で溢れている。交差点の道路南側にBusTerminalがあるようだが、南側はカトマンズ方面だ。北側、交差点の少し西側にBasu停留所があり、次々とバスが来る。大声でドゥリッケル?と聞き、そうだと答えるバスは人でいっぱいで乗れるものではない。祭りで帰郷する人でいっぱいなのだ。あきらめて、道路を渡って右角のTAXI乗り場でドゥリッケル?と聞くと1000RSだと答えた。OKって言うと、乗合待ちの乗客は降ろされて僕らが乗れた。
ドゥリッケルのBusTerminalで降りたが、道路の状況は地球の歩き方に記載されたのとかなり違っている。グーグルマップ等で調べると、地球の歩き方の地図の、ゲートの辺りにBasuStationがあるようで、カーリー寺院へは、そこから南下する街中道を通り、池と言うか小さな貯水槽の所で左に曲がれば道なりに寺院の山の麓に至る。長い階段を登れば頂上に至る。頂上に展望台があり、ここから、ナガルコットで見られなかったヒマラヤの展望を見ることができた。想定外の展望に大感激となった。階段の途中に黄金の仏陀があったが、どうもきらびやか過ぎるのでこれは見学を省略した。パナウティへのハイキングも有名だが、8時間のハイキングは連れている老嬢達にはちょっと無理だろうと、省略した。次回単独行の時としよう。
階段の途中にあったレストランで食事をしたが、まぁまぁの味で、4人で300RS余りであった。
帰路はバスで楽しい旅となった。途中の街々は祭りを楽しむ人々でごちゃごちゃのありさまで、不思議なことに、車掌は時たま車内から消える。が、それは、天井上の乗客から集金しているのであった。Baktapurに近づいて、何とも読みにくいSuryavinayakBusStation と言うとちゃんと停めてくれた、と言うか、このLINEではかなり繁華なBusStationで止まるのが当然のStopでもあった。35RSであった。
Baktapurの街も人人人って有様で、すごい状況だった。ATMもちゃんとあり金を補充した。
今回は2回20,000RSの交換と、手持ちのEURの交換とドルでの直接支払いで済ませることができた。
老嬢達を宿に置いて、ATMで金の調達後、街の西側を探索する途中で、単車数台の安全祈願で山羊を生贄にする儀式にであった。かなり激烈な儀式だ。どうやら、ダサインとは生贄の行事が主体の祭りらしい。市内の肉屋でも、肉屋らしからぬ家の屋台でも、方々で山羊や水牛の解体が行われ、それらの首や死体がごく普通に見られる。それが、この国の常態ってことだろう。
10月21日
本日は午前中を市内観光で過ごした。BAKTAPURはネパールの京都と書かれているが、確かに古い王宮、寺、街並みが美しい。祭り最中で人、人、人だが、それでも気持ちが落ち着く街だ。
TAXIをホテルに頼んでいたが、来る時と同様にスズキ改造型であった。運転手は間違うことなくタメルの例の有名なホテルフジの手前のHolyHimarayaHotelに着いた。今回は各ホテルともに過ごし易いホテルばかりであった。
ホテルのことをまとめておくと、雲海リゾートは各階で値段が違い、我々は最も安い1階で21ドル/部屋・日。BaktapurのVajraGuestHouseは一泊36ドル/部屋・日で、停電になると部屋と風呂に非常用ソーラー電灯がある。カトマンズのHolyHimarayaHotelは、50ドル/部屋・日で朝食付き、非常用発電機が装備されていた。
カトマンズでの食事は、ずっとTamelにある日本食レストランで過ごした。
Tamelの基準ポイントは、TrideviMargのタクシー乗り場が良いだろう。TaxiにTamerlのTaxi乗り場と言えば行ってくれる。とにかくTamelって本当に過ごし易い所だ。なんでも買おうと思えば揃っている。しかも安い。それと、インドのように道に牛の糞が積もっていることもなく、相対的に清潔なのが良い。
日本食レストランふる里で昼食後、地球の歩き方のカトマンズの旧市街を歩くお薦め散策コースに従って、ダルバール広場に向かった。祭りのせいで、人、人、人の有様であった。
ここも素晴らしい建物が並んでいて感心しながら歩いていると、ハヌマン像の所から
パレード隊が次々と楽隊に合わせて行進を始めた。それほど規律高い行進ではないが、それが却って、親しみやすい建物や人々と調和して感動させるものであった。
JagannnathTempleの階段の高い所から見ていると、ガイド志願の若者が押し付けがましくなく説明してくれて、「隊列は夕刻に戻るだろう。23日には生贄の儀式が盛大に行われる」と説明してくれた。別れ際にお礼を1ドルあげた。
10月22日
ホテルの前のTaxiと交渉して、Patanに行くこととした。Taxiの中で思いついてカカニ往復も契約した。ダルバール広場、それにGoldenTempleなど、Patanの街はなかなか素晴らしかった。その後、カカニへの道路は、ほぼカトマンズから北上して、右手に美しい盆地を眺望しながらの旅となる。どう見てもヒマラヤ眺望を期待できない景色の中を、まぁいいや、遠足気分を楽しもうと精一杯にはしゃぎながらの旅であったが、峠に到達すると、ヒマラヤの遠景が一気に見えた。運転手は更に上を目指し、別荘のような建物の近くの眺望の良い場所に連れていった。どう考えても、その別荘の方からの眺めが良さそうなので、運転手に、あそこに行けないか?と聞くと、聞いてみる、と行き、直ぐに我々に来るようにと手招きした。結局、そこは旅館兼レストランであった。そこの芝生の庭から先は急坂で、広い盆地の底までみえる、その向こうの山の、さらに向こうに壁のようにヒマラヤが遠くそびえていた。後から考えると、運転手の作戦にはまったかとも思えるが、それは素晴らしい場所で、このような場所に再び来れることが無い様な最高の場所であった。食事もうまく、実に素晴らしい経験だったので、運転手には感謝こそすれ怒ることなんて全く考えられない。ホテルの前に無事に帰還し、明日、運転手は家に戻りダサインを祝うとのことなので、チップをはずんであげた。
どうやら今回の旅では、毎日が喜ばしいハプニングがあり、それも、毎日その喜ばしさが増すようなハプニングが起こるようだ。
10月23日
ガイド志願の青年から、今日は、大掛かりな生贄の儀式が有ると聞いていたので、ダルバール広場を再訪した。ダルバール広場の方々に水牛や山羊が配置されて生贄の儀式の準備がなされていた。その一箇所の前のTempleの階段上に待機していると、かなりいかつい顔のガイドらしき人物が近寄り、あれこれと話し始めた。自己紹介によると、Mr.ビルバール tel 0977(国)9841379868 E-mail ilam_namsaling@yahoo.co.jp 
って人で、結局かなり信頼できる人物で、日本語、ひらかな、カタカナも大丈夫な人であった。この国でガイドが欲しいと思う人は是非相談されればよい。で、例の如く、ガイドさせろと言うのではなく、なんとか自然にそうなるようにと持ちかけるのだが、こちらは、それに乗らない。なぜか、時間を気にしていたが、突然、軍隊の儀式に行かないか?と言い出した。結果として判ったが、既にその儀式は始まっていて、早く行かないと終わってしまい、しかも、そこの観覧席は外人とそのガイドしか入れないシステムになっているのだ。で、当方のガイド依頼を諦めて、我々に提言してくれたってことなのだ。そこでは、軍隊の兵が7箇所の円を描いたところに別れて、次々と山羊と水牛を生贄として刀で首をかっきる儀式であった。ガイド氏の説明では、神と悪魔の戦いがあり、負けた悪魔が地底に閉じ込められているが、ダサインの時期に山羊と水牛に乗り移って地上に出ようとするらしい。悪魔が乗り移ると、山羊や羊は体中を震わせるので、実は水や花びらを山羊や水牛に振りかけるので、必ず全身を震わすことになるのだが、悪魔の乗り移りが判り、その瞬間に楽隊は音を高々と擧げて、すごく体格の良い首切りの兵士が刀を振り下ろす。その瞬間にも、空砲が数発放たれるって、凄い儀式であった。1時間ほどもして全ての山羊と水牛の生贄儀式が終わった。ガイド氏に10ドル進呈することで、双方ともに満足できた。
なんともはや、毎日、毎日、思いがけないハプニングが続く。素晴らしい旅だ。
一旦宿に戻り、一休み後に旧王宮に向かったが、休館だったので、DreamGirdenを散策した。
10月24日
午前中はボダナートに行き、午後はKirtipurを訪問した。Nepalの街はそれぞれに、何かしら懐かしいものを持っていて居るだけで心が落ち着くのは何故だろうか。
10月25日
カトマンヅからの帰路航空便は左翼窓際を取り、ここでも、ヒマラヤの素晴らしさを満喫した。後は、遅れまくる東方航空で疲れる帰路であった。しかしながら、その艱難辛苦に耐えることで、ネパールの空港関係者やネパールの人々、それに、その街街の良さをより感じることが出来たし、それに、旅の費用は、全て込で一人10万円以内に抑えることができた。これはやはり、中国東方航空の大きな魅力ではある。

日本に帰り、夢の中で起きているより流暢な英語を寝言で喋っていて、昼は石油ストーブで温まりながらネパール旅行の楽しかったことを思い出している。いやいや、楽しかったですわ。次は11月8日から17日まで大阪で、1月末はマレーシャ単独行です。

2012年11月29日木曜日

放射能のその後

八千代市の公共施設22箇所で高放射能(一応0.23μSv以上)地帯が見つかり、除染作業が行われているが、もう市民は放射能には慣れて関心は薄れているようだ。ところが実際には、各家の周囲には0.23μSvなんてごく当たり前に存在して、それどころか雨水枡周辺には、0.5μSv程度の高放射能部が存在するのだが、市民は、この事実を無視するか、気づかないでいる。
僕は気になっていたのだが、いろんな用途を目的として、高圧洗浄機を買ったのと、年末の掃除のついでにと、雨水枡の除染もついでに行った。方法は簡単で、溜まった土砂を除いて、残った土砂は高圧洗浄機の圧力で下流側、つまり、下水管に流し込んでしまうのだ。雨水桝は上流から配管でつながれているから、上流側から順次清掃して行けば、最後には下水管に流れこむってことになる。こちらに流れたものは、最終的には、下水処理場で問題となるだけのことだ。
さて、僕個人的に問題なのは、除去した土砂だが、これの処理が憂鬱な課題となった。
ところで、除染後だが、除染前に0.3~0.5μSvだったのが、0.2~0.3程度になったから、まぁ効果は十分となった。除染した土砂は厚手のビニール袋に貯めて庭の片隅に置いたが、袋表面で1μSvなんて怖い数値が出ている。
今日は天気が良いので、雨水枡で集めた土砂を自転車に積んで捨てに行った。恐らく8000ベクレル/Kgも無いだろうから、法的には問題ないはずだが、やはり悲しい。

僕の借りてる貸農園では、収穫物残渣は全て焼却処分して、庭の刈枝や雑草も、全て焼却に出している。生ゴミも焼却処分している。電発事故以前は全てを貸農園に埋めることで、我が家は理想的なリサイクル家庭であったのだ。で、今は、関西以西の植物を出来るだけ食べて、この残渣を貸し農園に埋め込み、土地の放射能レベルを下げるように勤めている。これをもう二年間も続けているので、庭も貸し農園の僕の借用分も、放射能レベルは殆ど通常に戻っただろう。
と、かなり良好なニュースと言えるだろう。

2012年8月29日水曜日

足場の活用例

足場の活用例です。
先ずは一時倉庫です。
カバーとかを、もっと工夫して見栄えよくできる筈です。
南面の日よけです。これでかなり効果的です。
これをもっと見栄えよくできると思います。
なお、足部分(ジャッキ)が不足したので、支柱を直接コンクリート床に置きました。

2012年8月6日月曜日

最高高さでのマイ足場は終了です。

足場に愛着が生まれました。これから、長い付き合いになりそうですが、
今回の壁塗りでは、最高高さ3段1.8mx3=5.4mは終了です。
分解前の状況です。
分解後です。
今日はちょっと曇りですが、晴れているとさすがに艶ありは光ります。
でも、別に異常な輝きではありません。わざわざ艶なしにする必要はなさそうです。
後は、前面ですが、高さ的には簡単なので、今回の壁塗りについての報告はlこれで終了します。
なお、足場資材の倉庫として、足場資材をそのまま倉庫資材にするように考えています。
これって、なかなか面白い案だと思います。

南面側では、マイ足場は2段2間口にできます。
南面では、白い下塗りは光の反射が強すぎて目を痛めそうになります。
サングラスを使う必要があります。

2012年7月25日水曜日

壁塗装の進捗状況と、壁、屋根塗装に関する新情報

壁塗りは順調です。
東面(写真手前側)と北側は、ともに一部を除き完了し、今は、北面窓庇や格子枠を塗装中です。
分解、移動、組立、と仕事はパターン化してしまった。ただ、北面を終わると、東面には、エコヒーターがあり、その高くて大きな装置をまたいだ足場にしなければならない。工夫が必要です。

SR419一缶(11700円)+サーフSG2缶(5000円)追加手配
これで塗料合計金額は、SR419 4缶46800円+ サーフSG 6缶15,000円=61,800円
だが、SR419の1缶はオークションで4,200円で買ったから、結局、壁塗料集計は54,300円となった。
窓枠や軒先の木部、鉄部に、ねずみ色油性塗料を1L缶約1,500円を別に買った。

さて、新しい情報としては、
足場を無料で貸出し(もちろん塗料は購入)してくれる塗料屋さんがいます。
貸し出す足場は2間分ですからいいですね。無料貸出期間は2ヶ月です。
足場の歩道幅は250mm(支柱幅は400mmでしょう)のようです。
僕の買った歩道幅450mm(支柱幅600mm)より軽くて良いかもです。安定性からすると、
支柱幅600mmにして、250mm歩道を使うのが良さそうです。と言っても、支柱幅は、手すりとブラケットの選択で決まるだけだと思います。そうであれば、手すりとブラケットを600幅の物にして、歩道だけを250mmにすれば良いと思えます。
歩道は外す時が難しいので、片方を外した時に仮の支えを用意すると良さそうです。いろいろ工夫して安全に作業ができるようにするのが大切です。

とにかく、足場を貸し出すサイトは、下記で、
http://www.paintself.com/
この中の、みなさんのDIY記録が素晴らしいです。

ついで屋根塗装の場合のロープ扱いですが、この人のが参考になります。
http://www.eonet.ne.jp/~mksasa/tosou.html
バッチマン結びが有効に使えそうです。
ジョイフルホンダで、スリングを探します。

2017年に大阪拠点での壁塗りを調べたのですが、僕が足場を買った足場屋さんで足場の貸し出しをしています。ここで借りる方が安いようです。それに、使用後には引取ってくれます。ただ、個人への貸し出しではなく法人への貸出ししかしませんが、形式的なものですから、近所の法人に頼んで名義貸しにすればよいでしょう。僕の場合は、幸いにも有限会社の名義を持っています。大阪拠点の壁塗りは、この方法でやる予定です。

2012年7月19日木曜日

足場の移動と、将来の屋根塗装についての考察

足場を1階屋根の無い、向こう側に移動した。

これを、向こう側から見ると、


揺れは有りますが、不安な揺れではありません。
ただ、屋根を塗るときに、更に上に歩道を置きますが、その時に感じる揺れはどうでしょうか。

我が家の屋根の勾配は、6/10だ。
前日に塗装を苦労した1階庇も同勾配だから、対策なく屋根を歩くのは恐ろしい。
何らかの対策を考えよう。

屋根塗りの方法として、6分勾配でも普遍的に安全な方法を考えるのではなくて、
我が家に特化した方法で考えよう。(普遍的な方法を考える方が世の為にはなるのだが)
その場合、南側の広いベランダに足場2段を組んで、そこから、低い足場を上に向けて、稜線に至って足場を横に広げて行く。その向こう側はロープで安全を確保する。こうすれば、ロープが棟抑えを痛めることもない。これで何とかできそうだ。但し、塗料缶とかの塗装道具を安全に持ち運びできる方法も考えねばならない。

話は全く飛ぶのだが、10万円程度を掛けて、贅沢な遊びをしているのが現状だろう。

2012年7月17日火曜日

最も難しいところの塗装完了


窓のある面は、向こう側に足場を移した時点で塗布するとして、
①その面の水洗いはしておく。窓上の軒を水洗いしておく。
②1階屋根を清掃しておく。
③1階の軒とか窓用軒も清掃し、塗料を塗る。
等を施工してから、足場を向こう側に移動する。

2012年7月16日月曜日

居住地区に放射能危険地帯続々と

7月1日の市広報で、0.5μSvレベルの場所がいっぱい出てきた。
それも、地上1mレベルの場所でだから、高放射能帯が広くできているってことで、地上面ではもっと高い筈だ。知らぬ間に、萱田公園なんぞは立入り禁止になってる。1年以上経ってこのありさま。市の測定は、安心するための小数点測定を、それも僅かな回数だけをやって来た結果がこれだ。おまけに「一日3時間居るとしても安心だ}などと記載されている。かってに基準を変えて説明を加えながらも、他方では立入り禁止にするなどと、わけの判らん市の対応にあきれてしまう。0.5レベルの状態は、多分、去年末以前、ひょっとすると、爆発後間もなく生じていた筈で、市民特に子供を無用な危険に晒しておきながら、「老人と子供に優しい文化都市」との標語はむなしい。
僕も油断であった。測定器を買って、自宅周辺を測定して、大体の目安を把握して安心してしまった。住民には市の広報が行き届いていて、危険だ、と言うことが、はばかられる状態になっているので、人のことまで構っておれんって気分にもなっていた。地区自治会の測定も、「安心するための測定」であって、「危険な場所はどこか」って測定ではないし、自治会の会合で、危険だ、ということもはばかられる環境になっている。貸農園でも、僕が放射能の話を出すと、「宇宙線がいっぱい飛んでるんだから問題ないですよ」って反論された。それ以上言っても意味ないではないか。
ところで、壁塗装は、土日祝日はやらないことにした。で、萱田公園に放射能の測定に行ってこよう。

今は、公園内の限られた草地に侵入防止のロープと危険説明看板が取り付けられている。僕の測定だと公園の南側が0.2~0.25で高めで、北側のロープAREA周辺は0.1程度、つまり、北側は我が家の庭よりも低い。公園外だが、更に南の方に有る調整池南側は0.2~0.3となっている。どのように簡易除染したか判らないから、全体的な傾向を把握できなくなっている。ややこしい行政の処理と、しかも、事態の詳細説明がない事で、状況把握が余計に難しくなってしまった。
それと気になるのは、立入禁止地帯が、子供の遊び場のすぐ脇の雑草地帯ってことだ。あまりに近すぎる。子供の遊び場は子供達が遊んでいる間に、放射能物質が巻き散らかされて濃度が薄まった可能性がある。既に子供に害を与えたおそれもある。それは別として、子供の遊び場のすぐ脇が立入り禁止区域との配置は異常じゃないだろうか?常識があれば、子供の遊び場も一緒に禁止地区にするのじゃなかろうか?変な市だと思う。



2012年7月13日金曜日

屋根上足場変更

"屋根上のベースと支柱”の支えを2点(2本)にした。更にハンドレールの向こう側で窓からの”支えロープ”を取り付けた。左からのパイプも支柱に接合すれば完璧だが、鋼管を支柱側に移動すると、窓から遠くなるし、逆に、支柱を屋根の上に移動すると、支柱が屋根にぶつかる。本気でやるなら、屋根にぶつからない短い支柱を準備すべきだろう。現組立では1.8m鋼管が2本余っているから、これを横繋ぎに使えるが、48x48自在クランプがいるから、これも準備せねばならない。
次の機会には準備して、この上の屋根の軒の塗装を出来るように歩道も取り付ける。歩道は巾を小さくして軽くしなければならない。


壁の半分に下塗り水性ソフトサーフSGを2回塗りした。
次いで残り半分の水洗いをしたが、手順を間違って手前側から水洗いしたので、水で濡れた所に立って仕事することになった。案の定、足を滑らして転倒し、片手がハンボレールを掴んだので転落を免れた。そんな時(水で滑る時)にはもう何も考える余裕も無いほどの高速でひっくり返る。
いずれ屋根塗りもするのだから、水に濡れても滑らない履物を手にいれよう。でも、そんなものが有るかな。履物は手に入れても、水に濡れない手順で作業するのが正しいだろう。

斜めに見るとむらがあるが正面からだとむらの無い仕上がりで、これで良しとしよう。
後は、残り半分の下塗りと、一階部分の下塗り、次いで仕上げの水性セラミシリコンの2回上塗りだ。




近所の長崎屋HOMEPICに行き、FireFoxって名前の安全靴の靴底が切れ目多いので、これを1980円で買った。早速、屋根上で試したが調子は良さそうだ。明日からが楽しみだ。だが、予想外の経費が掛かって行く。
将来、ここに、2Fの屋根まで届き、2F屋根そばに歩道も設けられるような足場を作りたいが、これは、あきらめるとして、先に書いたように2Fの軒の塗装が出来る足場は作りたい。軽量な歩道や部品を揃えねばならない。

何故か、ものすごく体力を使う。夜はぐっすりと眠れてしまう。それと、余りに壁塗りに必死になっているような気がする。こんなことで良いのか、とも思う。

2012年7月12日木曜日

屋根急勾配部への足場設置

結果から言うと失敗です。

手前の急勾配部にベースを置いて挑戦したが、ベースが滑ってうまく行かない。
あきらめて、

一か所に自在ベースを置いて、この周りに歩いて行けるように手摺を配置した。
先ずは壁の半分を下塗りしたが、よく考えてみると、この自在ベースの支え方は間違っている。
もう一本を、自在ベースの直ぐ上で横から支えるべきだろう。更に気づいたが、屋根の上の支柱は、直交する手摺状の交差点に建てて、支える手摺の高さを変えれば、支柱を二本で支えることになる。どうも、屋根上組方の基本が間違っているようだ。
とにかく、自在ベース上の支柱を水平材2点で支えるようにすれば、この勾配でなら足場を組めそうだ。だが、現状では部品が不足です。とにかく、現在の状態は明らかにまずいですね。

この状態で作業をすすめ、半分は下塗り1回目をできたのですが、手が届かない所は、刷毛やローラに針金で支えを固縛して作業しました。写真の延長棒は、今回の作業用で買ったのですが、ずっと出番が無くて、全く予想外の登場となりました。


針金固縛の正しい方法を知らなかったので、何度も縛りなおして苦労しましたが、もう、固縛方法勉強したので、今後はうまく作業できる筈です。
屋根の向こう側から作業する時は、自在ベースも巧妙に利用して、もっとうまく作業できるでしょう。
下の写真は、足場への上り口です。左側壁の半分程度は、下塗り一回目を漸く終えました。今までで、最も疲れる作業でした。やはり、足場が有る無しで作業性と疲労が全く違います。

2012年7月4日水曜日

もんじゅ について一言と足場3段目

もんじゅは優秀な技術者である僕から見ると、極めて、極めて、危険な代物で、将来性は殆どない、それも、日本の将来を危うくするような、そんな施設と思えます。未だ電力を生むことなく、一日4000万円=年146億円を霧消している。
民主党は、無駄を省く省くと言い続けて何年か、結局、何もしなかったことの、いい証拠であり、更には、似非自民党であるとの証拠でもあります。
なお、財界派、保守派の日経でさえ、もんじゅの存在価値に疑問を感じるようになったらしく、本日7月4日の記事に、もんじゅに採用する技術が、仮に有効な技術としても、既に古い方式であり、もんじゅからの撤退を阻止する勢力の思いは、「長年続けた研究が無駄になったと認めたくない霞が関の思い」だろう、と記述している。
ところで、もんじゅが全電源喪失に陥ったらどうするか知ってますか?ナトリウムは水をかけたら大爆発するし、空気の湿度とさえ反応する程危険な物質なのですが、そんな場合、つまり全電源喪失の場合には、空気の自然循環で冷却するんだそうです。おい!本気かね・・・・お気楽な科学者が、世界の原発技術を先導してるってことですな。
原子力発電設備とは、原子炉設備と、蒸気発電機設備を組み合わすことで、成立っていて、原子炉で加熱された高温熱媒体をボイラーに送り、ボイラーで、水を蒸発させ、その蒸気でタービンを回転させることで発電するのが原子力発電の方法だ。熱媒体としては水を使うのが既存技術であり、熱効率を高めるために、熱媒体を液体ナトリウムとする技術は、数十年前に提案されてはいるが、原子力とは関係の無い設備としても、実用化されていない技術だ。なぜ、そのような不確実なナトリウム設備を、危険な原子炉と組み合わせて開発する気になったのか、とても理解できないことなのだ。つまり、危険なので、それ自体が実現していないナトリウム熱媒体技術と、それよりも危険な原発技術を、なぜ無理やり組み合わせて実現せねばならないのか、日本の存亡と言うか、破滅を賭けるほど重要な技術なのか、恐らく、説明できるまともな科学者は居ないでしょう。
地元の人々は、その事実を知れば、こわくて住んでいられないって、判ってるのでしょうか。若しかの時は、どうするんでしょうか。僕としてはどうしようも無いので、人ごとだと割り切りましょう。

2015年11月14日 追記
気になり調べたところ、もんじゅの目指す高速増殖炉には、冷却材を水にするのでは駄目らしい。ナトリウムで無ければならないと言うことでもないのだが、ナトリウムが危険だけども、危険さを除けば扱いやすいと言うのがナトリウムを採用した理由のようだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%80%9F%E5%A2%97%E6%AE%96%E7%82%89
と言うことなら、もんじゅの計画そのものが危険すぎる代物になってしまう。
どうしようも無いじゃないか。

それはさて置いて、3段目を組立ました。前回より揺れは遥かに少なく、お気楽に仕事を出来る状態となりました。世の中、かようにお気楽でありたいものです。


足場分解後


足場を分解した状態です。
問題は右側の張り出し屋根の上の壁塗装です。
一応は準備しています。置くべきベースを仮置きしています。

張出し屋根部にベースを置き、歩道も付けて。そこから楽々塗装出来るようにとTRYしたが、やはり右側手前の屋根が急勾配で、かつ、狭く足場が立たない。
仕方ないので、手摺を設けて壁際に行けるようにした。


ところで、計画当初は、足場の上段への昇り口をどうするか、いろいろと悩みましたが、足場の突起を使えば簡単に登れることが判りました。それを知るととても気楽です。

2012年7月2日月曜日

足場の移動

今度は、きっちりと組立てようと、ゆっくりと芯出ししながら作業を進めたが、やはり中古品は、僅かな曲がりとか、支柱のパイプ接合部が摩耗での遊びが大きいとか、なかなかうまく行かない。
それに、家の周囲のアジサイとか南天が邪魔で作業がはかどらず、昼食後に作業を始めて、4時に漸く1段分のめどが着いた。
これから上に立ちあげてゆくが、パイプ継手部にはテープを巻くとか、自在ジャッキで壁に支えをするとか、工夫しながら立上げて行こう。楽しんで行こう。

2段目です。窓枠と比較すると、水平が出ているのが判ります。明日は3段目です。
もう色なんてどうでもいいや。いかにがっちり組み立てれるかが勝負でって感じです。






2012年7月1日日曜日

雨の降る前に足場を分解

分解に2時間程度です。が、体力は使います。
健康にはいいかな。それに、梯子での高所作業に較べると、塗装作業が楽しいですから。

塗装部と未塗装部は、こんな感じです。
グリーン系と考えていたが、陽光が当たるとブルー系か。
むむむ・・・
まぁいいや。数年したら塗り替える。

2012年6月30日土曜日

水性上塗りセラミシリコンの塗布開始

下塗り水性ソフトサーフSGに較べると、塗料の延びが良くとても簡単に塗れる。
塗料の消費量は、半分以下であろう。塗装塗替えの場合の下地処理としては、下地との接着性が良いシーラ塗布と、塗料に伸びがあるフィラー塗布とがあり、旧塗装の痛みが激しい場合はシーラーを、まぁまぁの場合はフィラーの採用が通常らしい。痛みが酷い時はシーラー+フィラーと、両方使う時もある。フィラーは最近の傾向で、つまり、シーラーよりも臭いが激しくなく、扱い易く、それなりの下地安定効果が期待できるので、これを採用するのが多いようだ。で、何を言いたいかと言うと、元々、シーラーとかフィラーは扱いにくいので、それに較べて、水性セラミシリコンは扱い易いってこと、を実感したってことです。実感をそのまま放置しないで、その後の方針に応用することも重要なことなんです。
ただし、上塗塗料としては単層弾性塗料がある。これは1回塗りでも層厚を厚く塗れる塗料だが、その場合は、上塗りながらも扱いにくいようです。作業性と回数のいずれを選択するかってことですね。
保証期間過ぎのセラミシリコンですが、なかなかきれいな色も出て、ほっとしました。

それと足場について気づいたのですが、支柱が最も重要な部品ですで、これが損傷すると危険なことになります。が、損傷するとすれば、支柱と支柱のつなぎの細いパイプ部分の筈です。そこが最も集中応力が掛かる部分です。だから、今回の塗装を終えたら、各パイプの直線度と、特に接合部の状態を確認します。そうすれば、安心して作業をできるわけです。

ところで、太陽が出てきて、しかも、塗布した塗料が発色すると、やはり、艶ありは派手系な感じです。でも、光を反射するってことは、遮熱効果もあり、とのことですから、これで行きます。
Yahooオークションで調べると、SR419は標準色なので16kg缶で10.900円+送料800円=11,700円なので、2缶を追加しました。・・・道路側を艶無しにするのも有りだろうか。よし!家の正面部、つまり道路側はちょっと高くなるが、艶無しとしよう。

下塗りで、思いのほかローラの痛みが激しく、ダイソーでローラ4本、それと、仕上塗料用トレー(只の樹指箱で応用)と小さな樹指バケツも購入した。合計600円です。上塗りでは、それほどローラは痛みませんが、ローラは、やはり消耗品ですね。
更に、屋根の上を塗装する場合(屋根そのものではなくて、庇屋根の上にある壁)を考えて、ジョイフル本田で、48.6丸2連自在クランプを2個買った。値段は、直交も自在も同じで178円/1個であった。鋼管径違い自在の半値である。また、工作用刷毛100円/個を4本購入した。

ジョイフルでは、パイプジャッキベースは1000円/1個であったが、僕が買った足場王では840円だった。共に新品だからまぁまぁの値段で買ったと言えるでしょう。。だが、全体的に僕のはどうも高く買い過ぎたかな、と思い始めた。
http://toushiganbaru.blogspot.jp/2011/03/blog-post_06.html
この人のを見ると、支柱や歩道(250mm)は新品で、巾360mm、格段に両側中古手摺などと部品も多いが、9万円程度で購入している。このあたりの値段の感覚が僕は甘いようだ。仕事の場合は競合させたのだが、個人としては買い物が下手かな。少なくとも支柱と歩道は強度部材で、曲がりが無く、くさびも収まりが確実だから新品が良く、値段は同じ程度が目標で交渉すべきであったろう。ここの値段も参考になります。(その後、芯出しをして、斜材で固めることで、中古でも大丈夫だな、ってレベルの組立ができました。その時の写真を見てください)
http://www.komeri.com/topic/CKmSfFeaturePage.jsp?dispNo=006001025&SACRL
とにかく、今の足場の位置に関しては仕上げ塗りも終わった。が、ちょっと水性セラミシリコンをけちったような気がする。今後は多めに塗装しよう。

2012年6月29日金曜日

壁塗装の開始

塗装って、海外個人旅行と気分的には実に似ている。直前になり、うまく行くかどうか、気持ちが重くなる。いわゆる「ブルーになる」って気分だ。いかなる点が似ているのだろう、そうして、何故気分が重くなるのだろうか。始めたら長期間に亘り止めることは出来ず、しかも、巧く行くかどうかも判らないとの点だろう。そんな無駄な事をくだくだと、朝の眠りの中でも考えて目が覚めてしまう。他方で、うまく行くようにと、これは塗装のことだけど、段取りを考えてしまう。そんな経過を経て今日、下塗り水性ソフトサーフSGを塗り始めた。午後3時からは同塗料の、主としてむらを修正することを主体に、2回目を塗った。予想以上に塗料を消費するようだ。
ところで、最近気づいたのだが、同じ色でも、艶あり、艶無し、と、その中間のもあるようだ。値段的には艶あり以外は、特別成分を加えて調整するので値段が高い。性能としては、艶ありは埃が溜まりにくいことと、成分的にも余分なのが無いので、艶ありが有利だが、日本人は、どちらかと言うと、艶無しが好みらしい。はて?既に買ったSR419(中古品で4200円と、とても安く買ったのだが製作日が昨年4月で、保証期間6ッカ月はとっくに過ぎている)は果たして艶ありか、艶無しか。てことで、Yahooオークションの過去ログを調べたら、艶ありであった。どうせ、塗布後時間が経てば、艶が消えるだろうしね。でも、家の前面だけを艶無しにするって方法もあるかな。
そんなことで、塗料の消費が早いので、艶ありを、一缶(16kg)追加することにした。値段は恐らく送料込みで12,300円になるだろう。
各面で色を変えても面白いって女房に言うと、目を三角にして非難された。何で駄目なんだろう?

2012年6月28日木曜日

足場組立その後

28日29日は雨天のため、パイプ穴あき部等から水が入らないようにとカバーをして待機です。
その間に、上の方の揺れをどうするかと考えた。結論は下記です。

①組立に際して、垂直、水平をもっと確認しながら進めるべきだった。
ジャッキベースも地面の軟弱さによって沈下したり傾いたりする。そうなると、パイプも傾く。
そのため、3段目は、1段目2段目を終えてから日を空けて様子を見てから組む方が良さそうだ。
水平を出す為の水準器は元々準備したがあまり使わなかった。垂直を出す為に、釣り糸と釣り用重りを準備した。垂直、水平を甘く見過ぎた。そのため3段目の揺れが大きく、作業で不安を感じる。
②斜材(ブレス)として、31.8丸x3mを4本(745円x4)と、48.6x31.8の自在クリップ10個(400円x10個)合計6,980円をジョイフル本田で購入した。実際には31.8丸x3mを3本追加組立しただけだが、残りは別の用途がある。これについては実施時にまた報告。

ってことで、かなり高価な買い物になってしまった。
ただ思うのだが、水平、垂直に注意して組み立てても、斜材が無いと揺れを抑えるのはむずかしいのではなかろうか。最初から斜材を考慮すべきであったかもです。

とにかく塗料費を除き、資材費用は合計で91,500円程度になってしまった。10万円の経験代ってことなんでしょうが、プロの手伝いすれば給料もらえて経験積めるんですけどね。
プロと言えば、ここに頼めば、レンタル期間は制限されるが金額的には同じようなことになってしまう。プロはやはりたいしたものだ。
http://www.putiasi.com/kodatemarugoto/asiba.html
でも、本当にこんなに安いの?安すぎるんじゃないの?
って言いたい。やはり20万円は掛かるんじゃないですか・・・・
負け惜しみでしょうか。

2012年6月25日月曜日

足場組立

梅雨が明けそうなので足場を組み立てました。
特に歩道が重く、これを扱うには体力が必要です。家の周囲を順次移動するのですが、時間が掛かりそうです。しかも、塗装工事は水洗い後に、下塗り2回、上塗り2回ですから、相当長い工事になりそうです。
なお、写真時点では、まだ未装着ですが、散布対策用網も買ったです。
揺れは、斜めのステーを縦材に止めているる自在クランプを強く締めると、かなり効果的に抑えられます。この斜め材(3m物)と自在クランプはジョイフル本田で買いました。
ブレス材も標準としてあるので、これを追加するとより効果的かな?
なお、最上段の歩道取り付けクサビが左右で高さ位置がずれているので、全体が斜めになっているのが強調されました。

書いてから後で気づいたのですが、各段の歩道のくさびを入れる位置が90度間違っていたようです。と、言うか、支柱を90度回せば良いのですが、歩道が重いので、このままでやります。最上段は400mm幅の軽いのにすれば良かったかな。

組立注意事項は下記だ。
①今は、一段目 450mmx2、2,3段目450mmx4だが、最上段が高すぎる。1段ずつ下げると最上段が低くなり安心感が生まれる。但し、窓からの出入はできなくなる場合がある。
②支柱の方向はクサビの方向を考えて決める。さもないと今回のように歩道が斜めになる。
③歩道は重いので、手摺を支えとしてロープで吊るすなりして作業安全性を高める。最上段は400mmとして軽量化を図る。
④斜め材は、全体を支えるように強く抑え、自在クリップのボルトはしっかりと締める。
⑤1800mmとか600mmって基本寸法が出るように各部品寸法は決まっている。従って、支柱位置は平面的には、1800x600で決めれば良い。
⑥地盤は徐々に締まってゆき沈下が始まるので、毎朝全体のバランスがどうなっているか確かめて、アンカーレベルを調整したり、斜材クランプの確認、調整をするのが安全そうです。

2012年6月9日土曜日

足場到着

手配した足場がついた。総額79,000円
後述のように、斜材用鋼管やクランプで約3000円と飛散防止網約1000円が別に必要で、
その他に塗装用刷毛等で1500円を要した。洗浄用ホース、塗料入容器は既存のを使うことで済みそうだ。用具類で合計84,500円程度を要したことになる。これだけの金があればインド往復は確実で、時期と航空会社によっては欧州往復も可能だ。が、塗装を外注すれば最低でも50万円は掛かるだろう。しかも塗装仕様は低いものとなるだろう。更に屋根の塗り替えや、更に将来の壁塗装にも使える。そう考えれば決して高価なものではないだろう。が、全ては今回の塗装がうまく行くことに掛かっている。
さてさて、下塗り塗料も着いた。Yahooオークションで安かった。
送料込み1缶1,000円+輸送費1500円で売っていたので、先ずは4缶買った。10,000円
発送は、エスケー大利根工場からだから、メーカー直送だった。製造年月日は今年6月7日らしい。
これを何故安く買えるのか不思議だ。
Yahooオークションで、セラムシリコンのSR419の中古を3000円+輸送費1200円=4,200円で買った。中古とはどうなんだろ。一缶だけだから、常にオークションを見張らねばならない。
ここまで進展したら実行するしかない。退路は断たれてしまった。

塗料も着いた。中古を3000円+輸送費1200円で買ったが、製造日は昨年4月であった。これが中古の理由でした。この塗料は塗装をし易い東側の壁塗りに使い、寿命が短ければ再度塗装します。
安全を期して、支柱を壁と反対側に斜めに支える斜材として、48.6mm鋼管x3mx1300円x2本、同2連自在クランプ178円2個 それと、塗料飛散防止網2m巾x220円x4m をジョイフル本田で買った。
さて、天気が続く日に、足場を立てて安全性を確認し、不足なれば更に補強材を加えます。
お楽しみに。
なお、塗装用としてローラ4個、ローラハンドル2個、工作用刷毛2個、マスキングテープ4個等を刷毛以外はダイソーで購入した。約1500円程度だ。

2012年6月7日木曜日

放射能問題への市の対応

市は、放射能問題は全く無い、との対応です。が、市の中学校で放射能除染が行われたとの情報を得た。市に問い合わせた結果です。
4月22日に下記を市役所に送信しました。
「八千代台中学校で、放射能の除染作業が為されたとのことですが、
本件についての情報はどこを見ればよいのでしょうか?
除染前の状況、除染の方法、除染の効果、汚染物の処理方法、等、教えてください。
できれば、除染作業、除染物の処理の記録写真等も一緒にアップロードして欲しいです。今後の参考にしたいと考えています。」

5月8日に下記が返信ありました。
「八千代市教育委員会 教育総務課のXXと申します。
この度はメールを頂き、誠にありがとうございました。今後も市政につきまして、より一層のご指導、ご協力を賜わりますようお願い申し上げます。
表題の「メール」について、ご質問及び状況報告を致したくメールさせて頂きました。
八千代市内において、「八千代台中学校」は存在しなく「八千代中学校」については、放射能の除染作業の実施はしておりません。
平成24年度において、「勝田台中学校」については、今後、「放射能低減工事」を実施予定でありますが、除染等の措置の進捗状況は、適宜HP等で公表しますので、ご理解頂きますよう、お願い申し上げます。」

僕の質問も間違っていたですね。間違っていたので裏を取るのに時間が掛かったのでしょうか。
それに、除染って工事そのものは、非常に良いことだから、汚染の実情を広く父兄に説明して、対策を充分に練り、ボランティアを募れば、早く安く確実に出来るのだけど、市としては汚染問題は無いとしているので、余り大事にはしたくない。だから、出来ればこっそりと処理したいだろう。そうなると、対策とか汚染物処理についても衆知を集めた方策とはなりにくいだろう。市は最初から方向を間違ってしまったので、その後も放射能問題について中途半端にしか進めない、と思える。失敗の本質の、地方自治体版ですね。

6月になり市から下記広報が出ました。
http://www.city.yachiyo.chiba.jp/osirase/0601katsutadaichu_housyasen/index.html
しかし、どのような実情か全く記載されていません。入札が行われるようですが、どうせ業者は決まっているのでしょう。まぁ、好きにやってください。
それより問題は、どんな実情かが公表されていないことです。
しかしNET検索すると下記があります。
http://www.city.yachiyo.chiba.jp/siyakusyo/kankyo/oshirase/dojyouosen-soti.pdf#search='勝田台中学校 除染'
実情はこの人のブログにの記載されています。
http://okuyamasatoshi.blog.fc2.com/blog-entry-31.html
ここには、0.23μSvの意味も記載されていて、除染地域をできるだけ少なくしようと工夫する日本行政のせこい苦労も良く理解できます。でもこれが、日本の御用達科学者達と、行政官僚の実情なのでしょう。
市の行動を見ていて最も気になるのは、測定そのものが、安全だとの証拠になるようにと行われているように思われることだ。正しくは、危険な場所を探すとの観点で行われなければならないと思う。

放射能測定器

エステーからエアーカウンターsが発売されました。
http://www.st-c.co.jp/topics/2011/000412.html
測定時間は2分に短縮されました。測定高さが1mと書いているので、問い合わせしたところ下記回答が来ました。

エステー株式会社 お客様相談室 小沢と申します。
日頃は弊社製品をご愛用いただき厚く御礼申し上げます。
このたびは、『エアカウンターS』にて、お問い合わせをいただき、
ありがとうございます。
『エアカウンターS』は、地表50cmや10cmの位置でも測定することができますが、文部科学省や各自治体も1mの高さで測定して数値を公表している場合が多いため、1mを基準としております。お住まいの地域で公表している数値が5cmであれば、同じ条件で測定して頂いても構いません。
なお、この製品は、2012年2月3日から出荷を開始し、順次全国のドラッグストア、ホームセンターなどの販売店およびインターネット通販などで販売をいたします。
大変申し訳ございませんが、具体的な販売店は今のところ未定でございますが、発売開始以降の店舗への納入実績に基づきご案内をさせていただきたいと存じます。
なお、弊社では製品の予約につきましては、承っておりませんことご容赦ください。

今後ともよりよい製品づくりを目指して努力を続けて参りますので、
引き続き一層のご愛顧をお願い申し上げます。
ただ、この「エアカウンターS」には、首都大学東京の放射線安全管理学の専門家である福士政広教授が監修した放射線等についての基礎知識を掲載した小冊子「正しく覚えよう!放射線の基礎知識」を付属してるらしいのですが、この福士教授は、原発推進派の御用学者ってことらしいです。それだけが心配です。でも逆に彼等がどんなことを書いてるかも興味があります。
ところで、エステーのエアカウンターSの取説を見ると、検出ガンマ線数に対して、セシウムから放出される線エネルギー量で換算しているとのことですから、降下時点では、セシウム134から放出される光子数は、セシウム137の倍であり、合計エネルギー量は、2.82倍とすれば、エアーカウンターの測定値の(1+2.82)/3=1.27倍に換算すべきかもしれません。ところ、他社の製品は、どう換算しているので判りません。

1年を経過した時点では、セシウム137は、EXCELで =2^(-1/30) =0.977
セシウム134は、=2^(-1/2) =0.707 に減少します。セシウム134は2年立つと1/2になるので、漸く、エステーエアカウンターは実情の値を示すことになります。
https://www.youtube.com/watch?v=qPPMPZxDel4&feature=related
を見ると、他社製品との比較をしています。測定数値があまり変わらないことからすると、他社製品もセシウム137のみとして換算してるのかもしれません。

その後、市の測定器についての質問をしたところ、「日立アロカメディカル㈱製TCS-172Bです。検出器は,NaIシンチレーション式です。」との回答を得た。このシンチレーション方式だと放射線強度に比例する検出器とのことなので、放射線数を測定するエステー方式(通常市販のタイプ)とは異なり、人体への影響としては正しい表示を示すことになるようだ。




放射能問題についての識者講演について

崎山比早子氏の講座報告です。
要約して、最も重要な点は下記です。

①年間1msv(ミリシーベルト)の被ばく とは、人間の全細胞核に平均して1本の放射線が通り抜ける強度である。
②放射線が通り抜けると、比較的弱い化学エネルギーで結合するDNAの鎖が、放射線の強いエネルギーで損傷される。これが、変異として残される。
③他の影響でDNAの損傷が生じても修復されるが、大きなエネルギーで損傷されると、修復が出来ず、変異が残り蓄積してゆく。通常は、自然界エネルギーでも損傷が蓄積される。このため、生物は老化するとがんになり易いが、これが、放射線で加速されることになる。
④年100mSV以上の放射能被曝は、急性障害になるが、それ以下では、放射線量に比例してDNA障害が蓄積されことから、がん発症の可能性は、放射能被曝量に比例して高まると考えるべきだろう。
⑤通常のX線検査や、CT検査でも同様のことが生じるので、出来るだけ自分が浴びた放射線量を記録にとどめるべきだ、とのことです。
八千代市主催?の「放射線被ばくによる人体への影響について」を受講しました。
講師 福士政広氏です。
講演内容の趣旨は
①降下量は関東で原発事故前の1.0~2.0倍だから大した量ではない。
②日本は元々放射線レベルの低い国だから欧米と比較して問題は無い。
③年間許容放射線量1mSv/年は安全すぎる数値である。例えば、宇宙飛行士は1mSv/時を浴びている。現状を心配する人は子供を宇宙飛行士には出来ない。
④人間は、7000ベクレルの放射能を体内に持っている。これが無いと(カリウム)人は生きて行けない。
⑤植物は根から吸収するのは、水溶性の栄養素だから放射性物質はあまり吸収しない。従来の高放射能植物は、葉についた物を吸収したので生じた。茶葉は確かにそのせいで高放射能が検出されたが、新しい葉に変われば問題ない。
⑥今回の食品許容値の新基準では数値を下げたが無意味だ。農家が苦しむだけだ。
⑦降下した放射能物質も徐々に減って行くから問題は無い。
⑧全ての物は毒である。水でさえ大量に飲めば死ぬ。毒になるか薬になるかは適量な量かどうかで決まる。
ほぼ以上です。
実に気楽な人です。八千代市での放射能レベルとかには全く関心が無いようです。
講演の時には、福士氏の講演内容が、とても楽観的に過ぎると感じただけなのだが、後でじっくりと考えると、彼の講演内容の欠点が見えてきた。これを示すと以下のようになる。
彼の説明ストーリー通りに聞いていると、成程なと思える手順だが、もう一度振り返ると、その筋道に共通の欠点があることが判る。例えば、お茶の葉についた放射性物質は、その葉を落とせば、水溶性でない放射能物質は新しい葉には吸収されず、新しい葉には放射能は少ない、との説明だが、下に落ちた古い葉に付いた放射能物質はどうなるか、とか、降下した放射能物質は年々少なくなるから安心だ、と言うが、放射能物質そのものは殆ど減少しないから、少なくなった分はいったいどこに行くのだろうか、と言うような問題が出てくる。つまり、彼はその思考を急に打ち切って、安全だ安全だ、と主張しているが、その現象の先でどんなことが生じるかを全く考えないことが大きな問題なのだ。
最近生じている放射能問題、それに、将来生じるであろう放射能問題は、彼のような中途半端な思考と、これに基づいた中途半端な対策が原因で生じるのだろうと思われる。

同講演会でひとつ勉強したことが、ひとつあります。それは、
フォッサマグナ(中央地溝帯)を境に東西で地質が異なり、西では岩石由来の放射能が高いらしい。大阪の放射線レベルが高いことには従来から疑問を抱いていたが、大陸での核実験で放射能累積が高いのかとも考えていたが、岩盤のせいもあるのだと気づいた。
福士氏は「関東の放射能が高いからと言って、関西に移住した人は結局同じことだった」と発言したが、関西の放射能レベルが0.07程度だとして、八千代台は屋外では0.15~0.25で生活せねばならない。放射能レベルは、ほぼ3倍になっていることを無視した発言で、彼の基本的な考え方の位置が判る発言であった。
ところで、先日のNHKの「ニュース深読み」で行政系の科学者がどんな思考回路をしているか面白い証拠があります。
http://www.nhk.or.jp/fukayomi/backnumber/111217.html
●専門家
唐木英明さん(倉敷芸術科学大学学長・東京大学名誉教授)の最初のコメント
「8000ベクレルというのは安全かどうかということを、どういう風に考えるかなんですよね。
1つの例をあげると、私たちは誰でもみんな7000ベクレルの放射性物質を体の中に持っているんです。」
これは、8000ベクレル/kg焼却ゴミを一般埋め立て許可ってことに関するコメントで、後でNETで調べると、確かに、人は長年の間に蓄積して、60kgの成人で7000ベクレルの放射性物質を持っているようです。
http://www.ies.or.jp/japanese/mini/mini100_pdf/2007-09.pdf#search='体内の放射能'
しかし、焼却灰の放射能物質量は、kg当たり8000ベクレル/kgですから、比較するべきは、7000/体重60kg=118ベクレル/kgが人体の放射能量となります。つまり、焼却灰内の放射能8000ベクレル/kgはけた違いに大きいことになります。
更に考慮すべきは埋立てる焼却灰の総量です。100tonどころか、1000ton単位(比重1.0とすれば、1000m3)程度で簡単に埋め立てますから、1000tonに対する総放射能物質量は、8,000,000,000ベクレルと、凄い量になります。これが、一か所に埋められれば、殆ど点線源として周囲に多量の放射能を放射します。そんなとこには住めませんね。
それにも拘わらず、NHKの公共放送の場で、確かに嘘はついていないが、かように科学者としてはお粗末な詭弁で「安全だ」「安全だ」と論じる神経が判りません。
ところで、八千代市の埋立地もこうなるのでしょうか?
実際に8000ベクレル/kgの焼却灰を埋めるなら、点放射能源として、自分の家に到達する放射能値を計算せねばならない時期が来るかもしれないです。埋立てる焼却灰についての放射能値の実測集計が、将来の対策で必要になるかもしれません。
殆どSFの世界になってしまいますね。

 

 


 

2012年6月6日水曜日

放射能物質降下量の推定

僕の家はホットスポットのエリアに近い。行政は市原のデータのみ、それも怪しげな数値しか公表しない。地元自治体も、「安全だ、安全だ」との報告しかしないし、その効果は大きく、地元の人々の殆どは放射能問題に関心は無い。殆どの人々は「安心だ」との情報しか受け入れず、その情報に対して疑おうとはしないようだ。
そこで自分のことは自分で守らねばならないと考えた。
そのため、エステーの測定を買い自宅周辺の放射能レベルを実測した。結果は下記。
自宅周辺の放射能レベルの報告 単位は全てμSvです。
①自宅屋内は、0.01程度
②屋外周囲は0.15~0.2程度
③集水舛周辺 0.2~0.3程度
④集水舛真上 0.5~0.55程度
⑤家の前の溝周辺地面 0.25~0.3
⑥貸農園周辺(地上100mm) 0.1~0.2
⑦自宅近くの砂利面駐車場 0.2~0.3
 砂利面の方が放射能物質を残し易いようだ。
貸農園では想定外に少ないようだ。若干ほっとした、と、言っていいのだろうか。
周囲に建物や舗装が無いことで、放射能がまんべんなく降下したまま、放射能物質が集中することがなかったせいと思える。
逆の理由、つまり屋根に降った雨も庭に集まることで、家の周辺の方が放射能レベルが高いのだろう。降雨は最終的には集水桝に集まり、集水桝内の砂に付着することで集水桝内の放射能が高いのだ。
集水枡を手洗浄にての除染を試みたが0.05程度下がるだけであった。
そこで、高圧洗浄機を用いて洗浄し、枡内の砂を除去すると、漸く0.2程度に下がった。砂はビニール袋に入れたのだが、袋表面で0.5を超えた。砂は、花見川の橋の上から川に投入した。

核物質降下による放射能強度

地上への放射能降下量と、ベクレルの関係は、下記に書かれています。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/housha/docs/BqToSv.pdf#search='面線源 シーベルト算出式'
これによると(p14)、無限面源A(Bq/m2)の場合、高さ1mでの放射線量は、計算値としては、Ax2.2÷1000000 (μSv/h)となります。
高さ0.1mの場合は、この1.6倍となります。
例えば、市原の実測値で、降下量10,000Bq/m2とすれば、A=10,000として、
高さ1m で、0.022μSv 高さ0.1mで、0.032μSv になります。
これを正しいとすれば八千代市での実測値0.2~0.4μSvの場所では、
市原よりも、降下量が多いことや、また、降下した放射能が屋根や舗装面から、土の所に流れた結果、市原の降下量測定値の10倍程度の放射能が蓄積されていることになります。
なお、取手の友人は市から借りた測定器で実測し、庭地上1m~1cmで
「0・2~0・35マイクロシーベルト」。 特に「雨水枡」では「0・4~0.6」
とのことです。

ただし、引用した文献では、セシウム134とセシウム137による放射線量計算式が異なるとされています。これをどう理解するか調べた結果です。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/housha/details/Cs137vs134.html
この文献によると、セシウム134が崩壊する時には、光子がセシウム137崩壊時の2倍放出されるとのことです。しかも、その各光子の平均エネルギー量は、セシウム134崩壊時にはセシウム137の1.35倍になり、合計すると、セシウム134の崩壊時の放射線量はセシウム137の場合の2.5~2.7倍になるとのことです。
http://protectchildren311.blog.fc2.com/blog-entry-128.html
では、“沈着した放射性核種による1時間あたりの実効線量(nSv/h)=放射性核種の降下量(汚染密度)×換算係数換算係数  セシウム137  1.76×10-3 セシウム134  4.96×10-3 “となっているので、その比は、2.82倍になっています。

最初の参照文献では、セシウム137の場合で、しかも、光子1個のエネルギー量を、0.662MeV としていますが、光子の中には低エネルギーのもあり、平均的には、0.851程度としています。つまり、これらの結果として、最初の文献の
Ax2.2÷1000000=Ax2.2x10-3 (式1)が、
セシウム137の場合はAX1.76×10-3 セシウム134の場合はBX4.96×10-3(式2)
となっています。理由は判りませんが、今回の原発事故ではセシウム137とセシウム134は、同程度降下しています。従って、1m高さでの放射能レベルから降下量を類推すると、式2の場合は、平均値としては、3.36x10-3となります。
なお、セシウム137の半減期は30年で、セシウム134の半減期は2年 だから、
共に、n年後ベクレル数=降下量x (2の-n/半減期年乗)にて計算されます。
http://bbs.kakaku.com/bbs/K0000321394/SortRule=1/
で、ICRPのデータから、セシウム137と134が等量の場合、137換算データの1.23倍だと言ってるので、僕の計算結果での1.27とほぼ同じと考えて良さそうです。
みなさん、いろいろ検討してるんですね。感心しました。
最近見つけたのですが、「子供を放射能から守る会in千葉」はなかなか良く調べていますね。
http://protectchildren311.blog.fc2.com/blog-entry-128.html
船橋での小学校、幼稚園の土壌分析までやっています。
http://protectchildren311.blog.fc2.com/blog-entry-128.html
これによると、土に含まれる放射能物質量は、5070 ~97,565ベクレル/m2にもなるようです。(これは少なめの値と思えます)そこから想定される空間放射能は、0.015~0.313 μSV(マイクロシーベルト)となり船橋、八千代地区の実情と一致しているようです。

 


2012年6月2日土曜日

塗工用足場の計画

2022年に大阪の拠点では、足場より安価な伸縮アルミ梯子を購入した。梯子が有効に使える場所では足場より梯子のほうが良いかもしれない。但し、梯子の先端にロープをつなぎ、両側に横引きして安全は確保すべきだろう。
自宅の場合は、2階が奥に入り、梯子が使えない場合は、足場が有効だ。

足場の計画として先ず足場の構成部品を理解する。
このSITEで構成部品を理解する。
http://www.komeri.com/howto/html/02630.html
僕の場合は、2~3スパンの材料を準備して、壁に沿って分解しては移動し組み立てる方法になるのだろう。従って火打ち材は不要だがこれに替わる補強方法を考えねばならない。
1階庇の張り出しが長く、これが数メーター続く部分がある。この場合、トラスを採用するか、若しくは、下屋用アンダーベースを庇瓦の上に置く方法があるが、この場合、くさび部分が同じ高さになるような工夫が必要だ。
瓦塗装も出来るように、2階庇より60cm程度高くするのが望ましいようだ。
しかし今回は瓦を考慮せずに検討する。
部品の手配はこんなところで中古品を手に入れられる。また、ここの寸法図で計画もできる。
http://www.ashibao.jp/index.html

実際の組方としてこんなのも参考になる。
http://www.putiasi.com/siltute/asiba.html
さて、計画と必要部品の積算だ。

通常部分は、3600+1800=5400mm高さとして、支柱4組で自立出来る構造とした。
庇が長く、その向こうの壁の塗装には、庇上の瓦に600巾x3組を載せる形で検討した。
その結果として。質問も加えて下記を見積もり依頼した。
出来るだけ安全にと、それに、形が崩れずに組み立てれるように手摺を利用するとした。

くさび足場見積依頼
中古品
①支柱 3600x4本 
    1800x6
②踏板 1800x400巾 3
③ブラケット600巾 6
④アンダーベース 4個
⑤ジャッキベース 4個
⑥自在ジャッキベース 6
⑦下屋用アンダーベース 6
⑧手摺 1800長(踏板1800長用)2
 手摺  600 (踏板400巾用) 2
以上見積もりお願いします。
なお、踏板巾400の物は、
ブラケット巾600の載せるとし、
手摺巾600はこの場合に使うとしました。
手摺巾1800は、踏板1800長の場合に使うとしました。
この理解は正しいですか?

上記に対して、3600長さの支柱は特別便になる。そのため、1800mmx2本で対応すればかくなる、と見積書が添付されてきた。成程と見直すと、数量が下がるので、下記を再見積もり依頼した。
品名        単個重量  数量  重量小計  単価  金額小計
支柱1800mm     7      12    84     1860   22320
踏板400x1800    12.9     3    38.7    3360   10080
ブタケット600mm    2.5      6    15     1155   6930
アンダーベース   0.3      4    1.2     245    980
ジャッキベース   2.5      4     10     840    3360
自在ジャッキベース   2.8      6    16.8    1015   6090
下屋用アンダーベース  1.8     6    10.8    1225   7350
手すり1800      4.6     3     13.8    1320   3960
手すり600       1.8     2     3.6     930   1860
出荷梱包              1            5000   5000
運賃(混載便)           1            7200   7200
総計                      193.9          75130
消費税                                  3756.5
合計                                   78886.5

約80,000円
塗料は塗装面積 160m2 で、16kg缶では50m2塗れるとして、2回塗りなら、
6缶程度で、セラミシリコン+ソフトサージSGで13000円/缶x6缶=約70,000円
合計で150,000円で出来る。これが安いか高いのかは人それぞれであろう。

足場資材の手配は終わった。
後、塗料は安く手に入るか時期を見るのと、組んだ足場が横転しないための固縛材と、作業場の網の手配だ。
考えてみると、いずれ屋根瓦の塗装が必要だ。その時には資材を追加すれば作業ができる。
他の場所でも使える。と、すれば、なかなか意味のある作業だ。
楽しみだ。



塗装色の選択

壁面に関する塗装色は各社各色で確実な色の選択は、塗装業者でなければ難しい。
しかもNETで表示される色は太陽光下での色とは相当異なると思える。
そのような前提を元に、エスケー化学の場合をシュミレーションできるSITEがある。
http://www.sk-kaken.co.jp/products/color/sr.html
http://www.skk.com.my/06-colour/06a-images/ma_color04.htm
色によっては、Yahooオークションで安く買える場合があるが、安い価格で手に入る塗料は量が限られる。残りを同じオークションで色を自由に選べる価格で購入する手もある。

さて僕の場合だが、SR-419が希望なのだが、その時点で安くて僕が容認できるのは、アイボリー3分艶SR-178だけだった。価格は16kg缶で6000円である。この1缶を安く買って残りを10,000円で買うって方法もある。アイボリーって色は、シュミレーションSiteではきれいな色だが、日塗工色見本で348番だとちょっと暗すぎるようにも思える。但しSR-178は日塗工番号22-90C旧番号385であれば容認出来る色だ。色の選択は決心だけももんだいだが、その決心の方法が難しい。
ただSR-419は日塗工45-90A(旧番号531)で、現役の時に使っていた日塗工色見本によると、これは僕にとっては確実に良い色だ。4000円を惜しんでリスクを犯すより、確実な方が良いだろう。

2012年6月1日金曜日

家壁の塗装をどうするか。

家の塗装をどうするかを検討したい。
先ず屋根瓦だが、セキスイ-ブリックⅣって仕様で、耐久性は長いので今回は対象外とし、今回は
壁面塗装を対象とした。
既塗装の仕様は、下塗りは不明だが上塗りは、エスケー化学のニュートップレスクリーン(多機能型単層弾性塗料)となっている。塗装色は不明である。単層弾性塗料とは、1回塗りで下塗りも上塗りも兼用できる塗料らしい。従って、塗り回数を減らすことができるのだが、その分、塗膜厚を厚く塗るので粘度高く塗り方が難しいらしい。
http://www.sk-kaken.co.jp/products/data/pdf/series/dansei/dansei_3.pdf
塗料のことを調べると、塗料基材で、アクリル系⇒ウレタン系⇒シリコン系⇒フッ素系の順に寿命が長いらしい。機能的に遮熱塗料というのが流行っているが、壁については余り効果的でないとのことなので遮熱塗料は採用しない。なお、ニュートップレスはアクリル系で最も安物ってことだ。でも既に施工後11年は経っているから頑張ってる方だろう。フッ素系はどうやら塗工の熟練度が必要らしい。従って今回は、ウレタン系かシリコン系かと考える。
http://www.mktosou.com/tglade.html
メーカーで調べると、どうやらエスケー化学の製品は安いのだが品質は良くないとの評価もある。が、その同じ投稿者が、エスケーのセラミシリコンは許せるかな、と書いていた。エスケー化学の製品は圧倒的に安いので、塗り易い水性を選ぶとして、更に、その投稿を信じて水性セラミシリコンを使うことを前提にした。エスケー化学のシリコン系塗料としては、他に、水性コンポシリコン(アクリルシリコン系)と水性セラミクリーンがある。先の投稿者は水性コンポシリコンを馬鹿にしていたし、セラムクリーンについては、ジョイフル本田で本田ブランドクリーンソフトがこれに相当し、とても安い(16kg缶で6000円程度)のだが、店員が「これは単層弾性塗料で粘度が高く塗りにくい、砂骨ローラを使って塗らねばならないし、それに、塗厚が厚くいるので安いようで安くない、と言っていた。但し先の調査からすると、下塗りを省けるから価格的に安ければ確実に総費用は安いことになる。が、塗りにくいのは素人には困る。そのため、水性セラミシリコンの選択が素人向きであろうと結論した。
http://www.sk-kaken.co.jp/products/data/c_si.htm
http://www.sk-kaken.co.jp/products/data/c_clean.htm
その場合、塗装構成は下記となり、塗替えの場合は、下塗りは水性ソフトサーフSGとなるらしい。
http://www.sk-kaken.co.jp/products/data/softsurfsg.htm
下塗り回数、上塗り回数は今後の課題だが、下塗り2回上塗り1回が良いかなと考えている。
http://www.sk-kaken.co.jp/products/data/pdf/ceramisilicone.pdf
価格的には送料別で、水性ソフトサーフSGが16kg缶で2800円程度、水性コンポシリコン16kg缶はYahooオークションで10,000円程度だから、下塗り回数を多くする方が安い。が、シリコン剤の効果を高めるには上塗り回数を増やすのが良いのかもしれない。下地は既施工の塗料で頑張ってもらい、上塗りを多めにし、2回としよう。
業者の施工で注意が必要なのは、単層弾性塗料は16kg缶当たりは安いが、本来層厚を厚く塗らねばならない。それにも拘わらず、水を多く入れて粘性を落として薄くて済ませる可能性があるってことだろう。ジョイフル本田の店員もそのようなことを漏らしていた。我が家においても、塗装工事者はそれほど熟練者でなかったから、そんな安易な施工をした可能性は否めない、が、それでもかなりもったことになる。塗料の選択はここまでにして、次は、塗装色、それに続いて、塗装のための足場を検討する。

小隊長、親戚隊員を連れてローマ、ナポリ、アルベロベッロを行く。2012 5月9日~

まえがき
5
9日から20日までイタリアに行く。既に行ったことのあるルートで、ただ今回は、女房方の兄弟姉妹総勢5人での旅である。僕に取ってイタリアは5回目になる。今までと違う点と言えば、AirChinaを使うので北京乗換になるって点と、親戚を連れて行くので、食事はちゃんとしたものを食べねばならないってことだろう。イタリア語も再勉強したし、もう後はどうなるか、まぁ、なるようになるだろう。
予算は、1人当たり、航空運賃97,000円+1000EUR 程度とした。そのうち列車料金1人当たり100EUR程度は先払いだが、5人分で、4500EURが現地で必要になる。2800EUR程度をEURの安い時に、平均レート108円程度で購入した。残りは現地キャッシングの予定で、カードは2枚(共に限度20万円)を用意した。
AIR-CHINA
は、日本発が9:00AM頃で、北京乗換、7:00PMにローマ着となっている。中国東方交通は更に安いが途中一泊が必要になる。買ってから後、3月頃に再度Air-Chinaの値段をチェックしたら、更に安くなっていた。座席使用率を高める作戦なのだろうが、なんか悲しかった。ただ、Air-Chinaは座席指定が出来るので、購入が遅くなると座席位置が悪くなることも考慮すべきだろう。
かようなことで、成田発と、関空発で、北京で全員が集まることになる。宿は全てVENERE.comで予約した。ROMA着は夕方7時頃になるので、AirPortShuttleTAXI49Eurで予約した。ほぼ気づく点は予約したので宿と移動については確保したと思う。その宿が親戚連中の意にかなうかは別にして、まぁ何とかなるだろう。一番心配なのは食事の確保で、僕1人なら適当に済ませるものも、親戚一同だとあまり自信はない。さてさて、いかなる珍道中となるか、観光には余り執着しないで、その珍道中なるものを楽しむことにしよう。
ところで、今年は庭のツツジが見事に咲いている。庭に目をやるたびに感動してしまう。去年の津波以来、いろんなことが次々と起こる。ついでに僕は、家の修理とか外壁の塗装に挑戦して、いろんな出来事を増やすことにした。人生をいろんな経験で、それも愉快な経験で豊かにして行くことにした。去年の悲惨な出来事からの逃避かもしれないが、もう僕の活動的な人生も、それほど多くは残されていないだろう。なれば、今の間に頑張るしかないだろう、との思いだ。
出発が近づくに連れて悩んだのは服装だ。4月から5月にかけてのこの時期、シャツは中厚、薄厚のいずれかに悩む、日に寄って気温の変動が激しく、それがちょうどローマの気温も同じような変動をするのだ。だが気温の状態とは別に、5月に入ると、底寒さが無くなり、薄手主体が正解と思える状態になった。シャツの上に冒険用チョッキを着て、雨具兼用のmont-bellも持参する。
昨日若狭原発の説明会があったが、官僚は「今回は説得に来たのではなく、説明に来ただけだ」と完全に開き直りの発言をした。かような傲慢さが福島原発の事故と、その対処誤りの原因だったことに全く気付いていなのだ。日本の将来を予測させるような発言で、彼等は福島についての責任を何ら感じていないのだ。そもそも彼らに何が抜けているかと考えたが、結局のところ本気さが全く見えないことだろう。本気で日本のことを考えるのなら、例えば、全電源喪失になった場合に、彼らが自分の手で冷却機能を維持できるのだと示せば良いのだ。が、連中はいかに口先で騙すかを考えるばかりだ。これが日本の官慮や指導者層の真の姿だと思える。
まとめ
さてっと、旅行を終えたが、素晴らしい旅になった。空港送迎や列車、ホテル等の予約は全てがうまく行き、と言うか、危機が訪れると、イタリア人達、それに、たまたま一緒の列車であった若い日本人旅行者とかが助けてくれたのだが、そんな事態もあったものの、旅行内容も予想以上に良い結果になった。外貨のキャッシングは、日本国内では1EUR108円程度であったが、現地キャッシングでは、円高が進んだこともあって、繰上返済後で103円程度で出来た。唯一、せっかく途中下車で寄ったカゼルタが火曜日の休園であったこのだが、駅横のセルフサービス店では親切な女店員が応対してくれて、荷物も預かってくれて公園に沿った市街を散策しすることが出来た。これらの出来事を日にち順に記載してみる。
日々の歩み
5
9
成田空港でチェックイン時に、帰国便のリコンファームの要否、北京TRANSITでの入国カードの要否を確認したが、いずれも不要とのこと。ついでにマイレージをANAに登録した。勿論荷物はThroughROMAとした。成田北京は、機体も清潔で食事もおいしい。それにスチュワーデスは丁寧で教育が行き届いていた。なお、出国便はかなり空いていた、が帰国便の時には混んでいた。他方、北京⇔ROMA便のスチュワーデスは教育が行き届かず、それに、機体は古く、視聴システムは不調であった。でもまぁ、他の航空会社に比べて安価で、しかも、座席指定や予約も簡単なので、ここは我慢すべきだろう。
北京のTRANSITは、歩く距離は長いが簡単であった。TRANSFERの看板に沿って行くと、TRANSITカウンターがあり、そこで聞くと、次の便のゲートを親切に教えてくれるが、別に聞かなくても問題はない。更に進んだ場所で平面的に広い入国イミグレがあり、その両側端にTRANSIT審査カウンターがある。ただ、片方が閉鎖していることがあるので、その場合は反対側のカウンターに行かねばならない。審査員は傲慢な人や親切な人が居るのは世界どこでも一緒だ。審査を終えると階段を下りてセキュリチィーがあり、そこを経て接続便ゲートへと進む。
我々は乗継機ゲート前で、羽田班と関空班が合流できた。関空班は全員が個人旅行初体験であったが、問題なく合流できた。ローマFMC空港には、ほぼ定時に着いた。入国審査は全くもって簡単で、班員が荷物ピックアップしている間に僕、即ち、隊長が表に出ると、AirportShuttleの担当者が僕の名前札を持って待っていた。詐欺に会わぬようにと、どこに行くか知ってるか?と聞くと、FlaminioVillageHotelと答えたので安心した。それに、その担当者は単に僕の名札を持っているだけで、出口の直ぐ前に名前は違うが受付事務所があり、そこの窓口のおばさんがやってきて、「他のお客さんも待っているので、暫く待ってくれ」と説明があった。隊員も荷物を持って集まり、暫くすると運転手がやってきて、他の2人の客も一緒に、大型バンにと案内した。バンは一時間ほどで、ホテルに着いた。5人で49EURで契約していたのだが、我々の大量の荷物を上げ下げしてくれた運転手に55EURを渡すと運転手は多いに喜んでくれた。11EUR/1人だから安いものだ。なお、日本出発前にホテル送りはre-confirmし、帰国前には空港送り分をアルベロベッロから電話でre-confirmした。
ホテルの門はViaFlaminioNuovaに面していて、Receptionは門横の小さな建物にある。Venere.Comで朝食付きで最も安い、1人泊36EUR/TWIN 1部屋と二人泊52EUR/TWIN 2部屋(観光税は別に1人一泊1EUR)を予約したが、まぁまぁのバンガローであった。湯量も豊富で静かな環境であった。ただ、受付からバンガローまでは歩いて10分も掛る。しかし、8時から夕刻までは、6人乗り運搬車が常時往復してくれる。運搬車停車場からバンガローまでの間に、Delaxトイレや洗濯機置き場がある。運搬機停車場から丘側に、レストラン、ミニバー兼用カフェテリア、インフォがある。朝食は8時から、インフォは朝8:15から開いていて、Metro切符やPass類も購入できる。其の日はそのまま眠ってしまった。なお、バスタオル取り換えは5EURが必要である。何はともあれ、北京でのtransit、ローマでの送迎タクシー、FlaminioVilaggeでの受付と、部屋のレベル、レストランとか、何とかと、数々の心配はなんなくクリアーして、この日は暮れた。ところで、ローマの夜はかなり遅く訪れるようだ。かくして隊長は心からほっとしたのだ。
5
10日(木)
8
時にはCAFFEに行き朝食を食べた。ビュッヘ方式で、なかなか豊富で、それに、うまい食事であった。インフォは815分からだがそこではMetro券もPass券も買える。インフォ担当員は20分過ぎに現れたので、メトロ1日券を買い出発した。Hotelの前は、ViaFlaminioNuovoで交通量は激しいが、門を出て右側に横断信号がある。向かい側に渡り、左に行くと地下にスーパー/カリフールがある建物で、道路側にはATMもある。その建物の構内を道路に沿って進むと、ViaFlaminioNuovoから分岐するViaFlaminioに突き当たるが、この道路の交通量は比較的少なく、それに、人が渡ろうとすると、車は速度を緩めてくれる。この道路を渡れば、後は簡単だ。渡った先の歩道をViaFlaminioNuovo側に戻れば直ぐに駅に続く小道になる。門から10分もかからずにDuePontiってRomaNord線の無人駅に出る。周辺には全く店は無い。Nord線はかなり列車頻度の多い線なので地下鉄A線のFlaminio駅には10分程度で着く。Nord線のFlaminio駅に着くと進行方向に出口があって、出口の右側に地下鉄A線の入口がある。であるからして、そこからRomaのどこにでも一足ってことですわ。ただ注意すべきは、どうやら急行がDuePontiで止らないってことと、Nord線の逆方向時に、乗降客が居ない場合は、DuePonti駅は通過の可能性があり、扉横にあるボタンを押す必要があるってことだろう。
初日はゆっくりと、アッピア街道と水道橋公園訪問とした。地下鉄A線のColliAlbani駅で降りて地上のバス停留所に行った。660番のバスに乗るのだが、バスは正規停止場所では無い向う側のホームとか、手前のバスの陰に止まるとかで2台も逃してしまった。が、バスに乗れば終点がCeciliaMetellaである。アッピア街道を更に南へと散歩し、戻って今度は北に進みCeciliaMetellaの墓を訪れた。そこの入場券はカラカラ浴場との共通券であったので、帰路にカラカラ浴場をいれることとした。アッピア街道を多いに楽しみ、来たバスに乗り駅に戻り、駅前のピッゼリアで昼食して、更に地下鉄で水道橋公園、次いで、TerminiB線に乗換てチルコマッシモで降り、カラカラ浴場を観光した。特に水道公園は花の美しい季節で、水道橋周囲は野花が満開の美しさであった。順調に観光を終えてホテルに帰ったが受付で呼び止められた。「明日は地下鉄が朝8:30から終日ストライキになる」と告げられた。イタリア観光で初めて出会うストライキである。
これはいかん、とインフォに急ぎ、翌日の一回券を買った。翌朝早めに市内観光に向かい、帰りはTAXIで帰ることにしたのだ。インフォには大勢の人が集まっていて、明日の旅程の相談をしていた。僕らは幸いなことに、翌日はローマ観光だけなので対処が簡単だったのだ。
その後、イタリア最初の夕食をレストランで食べた。が、メニューの内容が良く判らず、前菜をプロシュートモッツアレーチーズ2皿と各種スパゲティ-4皿を頼んだ。イタリアのパスタなら大丈夫だろうと思ったが、共に塩気が多く、注文に失敗したなと感じたが、翌日は肉を頼んだ結果からすると、注文の誤りでは無くて結局、このレストランは味が濃過ぎるのだと気付いた。つまりイタリアのレストランは、注文の仕方が悪いのでは無くて、レストランの選択が必要ってことらしい。しかも味の濃すぎるレストランが多すぎるのだ。むしろ、CAFETERIAとかBuffeStyleの店の方が味が日本人に合うように思えた。それやこれやで、其の日も無事に眠りに入った。
5
11日(金)
ストを回避して出発する人が多いせいか、8時前には既にカフェテリアが開いていて、うまい朝食を腹いっぱいに食って出動だ。全隊員は元気いっぱいである。受付で鍵を預ける時に、ストは夕方5時に終わることと、本日一日だけだと教えられた。815分にはコロッセオに着き、切符購入はフェロロマーノの方が買いやすいとの情報あったが、早朝なのでコロッセオに並んだ。欧米人は列をきっちりとは作らないので、黄色人、特に日本人の若者は隙をついて前の方に移動するようだ。僕の横にいつのまにか30代の背の高い日本人が居て、そのうち、列のずっと前へと移動していった。その動きは子ずるく、背が高いので、その作為はあからさまで、しかも日本人って明確に判るからとても悲しかった。最近の若者には日本人としてのプライドがどんどん薄れているようだ。でも、今の政治家や東京電力の幹部、それに多くの官僚や電発技術者を見ていて、日本人のプライドなんて感じられる筈もない。かような人々に共通なのは、自分だけは要領よくやっていると思っているのだが、殆どの人から軽蔑されている点なのだが、実は帰国の途上、北京成田便とか成田からの京成車内でも、日本の若者の情けない態度を見せ付けられて、結局、この旅で嫌な情景は全て日本人で、親切で優しい行為や手助けはイタリヤ人ばかりであった。いや、Materaで若い女性1人旅に助言されたことはあるが、相対的に、にっぽんじんって大っきらい!でも、イタリアではスリは状態なので彼等のことは別に考えようね。
とにかくコロッセオに感動して、パラチーノの丘の入口から入り、フェロロマーノを見降ろテラスに立ち、フェロロマーノをゆっくりと観光した。そこで隊員はふたてに別れ、1隊はカピトリーノ美術館のローマ皇帝列像を見に、他隊はエマニエル2世ガレリアから屋上のカフェテリアへと向かった。2隊はその後合流し、日本語メニューのあるとのレストランLaモンテカルロに向かった。が、何故か、モンテカルロの通り側のlBarTaboloCalda Romito Food e Beverageに入り、一皿8EURのビュッヘを頼むことになった。が、ここは味もサービスも素晴らしかった。
特に何とかってイタリア俳優に似たManagerが気持ちの良い男だった。
昼食を終えてから、ナボール広場、パンテオン、トレビの泉、スペイン広場と観光し、隊員の1名が希望する事務用品売り場での買い物を終えて、カフェテリアに入り時間を潰し、ストが5時に終わってからMETROでホテルに帰った。帰り道でカリフールで食料を仕入れ、部屋で食事を取った。今日も実に有意義な1日であった。明日はNapoliへの移動日で、ストを1日差で回避できるとは実に幸運な旅でもある。
ところで天気だが、ずっと半袖天気が続き、この天気はナポリの初日まで続き、その後は冬装備でも良い天気が続いた。
5月12日(土)
10時発のESNapoliに移動だ。朝食は8時からゆっくり食べて、スーツケースを運んでいると、運搬台車がきてこれに乗ることができた。レセプションでチェックアウトすると、353室で405EUR、これに観光税11EUR/人で、15EUR、タオルの交換を1回頼んだが、これで3室分15EURであった。合計435EURで実に安く済んだ。
9時にはTerminiに着いた。が、電光掲示板にはプラットホーム表示は出ていなかった。聞き回ったが、誰もが、表示されるのを待て、と言う。つまり、プラットホームは15分程度前でないと確定しないらしい。インドのシステムと一緒だ。15分前になって9番と表示され、2等の所定列車に乗ろうと移動していると、制服のようなのを着たおっさんが、列車番号は何だ、と聞く。鉄道スタッフの様な服装なので、9号車だと言って座席番号も見せた。と、男はスーツケースを取ろうとした。が、疑い深い僕は、「no!」と言って拒んだ。男は同じ車両に先に乗り込んで行った。僕らは、荷物をなんとか車両後端の荷物置き場に放り込み自分たちの、席に向かった。と男は僕らの席の上の荷物置き場に誰かの荷物を放り込んでいた。恐らく、僕らへの嫌がらせだろう。で、その荷物の所有者は、僕らの4席と通路を挟んだ席の客ので、その上の荷物置き場は空いたままである。とても判りやすい嫌がらせである。で、男は扱った荷物の持ち主達に金を要求し始めた。僕らへの嫌がらせと金儲けを同時に遣ったってことだろう。なかなか頭脳的な行動だが完全に成功とはならなかった。一個1EURと要求して老夫婦は要求に応じたが、40代の後で判ったが、ロシア人は全く無視であった。当初は彼らが家族であると誤解していたが、隊員4人の4人席から外れて老夫婦とロシア人の席に座ってから、老夫婦と話し合って状況が判った。老夫婦はきれいな英語を使うので、てっきり英国人か米人と思ったが、ドイツ人であった。この旅ではその後多くのドイツ人と出会ったが、その彼等の全てがきれいな英語を使っていた。常々、ドイツ人が喋るドイツ語は英語に似ていると思っていたが、今回での経験でも英語とドイツ語の相似性がより確信できた。英国人であろうと思う人々は全てドイツ人であった。容姿言語共に、これほど似た国民が2度にわたる世界大戦の敵対主要国であったことがどうにも理解出来ない。他方、旅の途中でネーデルランド人とも話したが、どちらかと言えば、彼等の英語は理解しにくかった。なぜだろう?それはともかく、ナポリへの列車内で老夫婦と話したが、ドイツ人は英人と話す機会があっても英語がしゃべれても、絶対に最初には英語を使わないとのことである。
ナポリにはあっという間に着いてしまった。その間、女性隊員たちはせっかくの風景はそっちのけで世間話にふけっているし、男性隊員は絵ハガキを一生懸命に書いていた。あきれた隊員たちだ。ぶつぶつぶつ・・・・
ナポリ駅は改修されて全て1階と地下になっていた。ちょっと調子が狂ったが、駅前広場に出て、これからいよいよ悪評のナポりであると緊張した。宿も評判悪いチェントラルエリアである。で、広場の北端を横断し始めたが、それほど悪い雰囲気ではなく、簡単に広場を渡り切ることができた。宿は広場の北西角から斜めに進むViaA.Poerioを1ブロック半進んだ建物内で簡単に判った。インタホンを見ていると通りがかった男が、さっとインタホンを押して、何故か扉の鍵も開けて、ここの6階だよ、エレベータは5セントで動くと行って室内階段を上がって行った。何とも簡単に事は進んでしまった。自宅兼ロビー兼受付に居たガブリエルって若者が丁寧にオリエンテーションをしてくれた。結局、部屋はきれいで広く、食事もうまく、スーパーやレストランも近くで、安全についても何ら問題はなかった。素晴らしいホテルと言えよう。
ここもvenere.com経由で手配した。
http://www.sweetsleepbeb.it/
http://www.amoitalia.com/napoli/restaurant.html
昼食を上記のレストランで楽しんでから、いざ出陣となった。
MoloBeverello
に行くにはTram1に乗れば良い。乗り場は広場西端の広場駅だが、ここで乗ると暴力スリに狙われる可能性が高い。そこで、ひとつ北側のPrincepale広場で待つことにし、切符は一日券をタバッキで買ったが、後で気付いたのだが、土曜日は週末の安い切符で良い筈だが高いWeekDay一日切符を買わされた。なお、のちの経験だと、Princepale駅のキオスクだと言うまでも無く週末券を売ってくれた。Tramも直ぐに来たが今は港から先は工事中で終点が目的のBeverello埠頭だ。港では、5月は休日だけ運転のMetroDellaMareの明日分の切符を買おうと右往左往した、が結局買えるどころか、明日の便がどうなるかも判らなかった。あきらめてUmbert一世のガレリアを突っ切って、FunicolareCentraleで丘に登り、サンテルモ城からのパロナマを充分に楽しんだ。Funikolare終点から右側に出て坂を登ると、ST.Elmeと左方向への標識がある。カルフールの前を先に進み、エスカレータのある階段を2度ほど上がり、最後の階段を上に上がって行くと緑の建物がある。この右側が目的のST.Elmeだ。
翌日は早いので、朝食のパンやジュースをガブリエルが用意してくれて、これを冷蔵庫に入れて置き、翌朝はこれで朝食を済ませて出発とした。
5月13日(日)
休日のAmarfi行きMetroDellaMare8:50の筈だが、窓口は閉まったままだった。あきらめて、Amarfiは翌日ボスビオ巡回鉄道で行くことにして当日はCapliに行くことにした。
早速Capli行き高速船の切符を買って乗り込んだ。MarinaGrandeに着き港左側の切符売り場で一日券を買いケーブルで上に上がった。バスでAnacapliに行き乗り換えてGrottaAzuraまで行き、青の洞窟を観光した。洞内は見事なブルーであった。Capliまで帰り昼食を食べ男性隊員二人でVillaJovisを観光した。素晴らしい一日であった。夕食は例のお気に入りで食べた。最後にレモーネチェリッオなる甘くて高アルコールの飲み物が振る舞われた。この飲み物はアルベロベッロでは別名であった。
5
14日(月)
夜中に雨が降り、曇天の一気に寒い気候になってしまった。結局この気候は帰国まで続いた。人々の服装は真冬の装備と合いの服装、人によっては夏服と、複雑な様相になってしまった。今日はゆっくりと朝食を食べた。同席したドイツ人カップルとネーデルランド人カップルと楽しく話し合った。
食後出発しパエステュ-ムまでの切符U-7Central切符売り場で買ったが、パエステュームへの列車が1250分発と聞き、方針変更でボスビオ巡回鉄道とした。ソレントまで着いたがトイレでごたごたしている間にバスが出てしかも、アマルフィ行きには長蛇の列であったので、ボジターノ行きに乗った。がU7の切符を見せると駄目だ、と言われ、UNICO-COSTERIAを買わされた。どうやらシステムが変わったらしい。ポジターノで昼食を取り、続いてアマルフィに行き、次いでサレルノへの向かった。全てSITAバスであった。アマルフイとサレルノがとても近いことに驚いた。サレルノでU4切符を買いNapoliに戻った。結局青空は見ることなく終わった。それでも、充分に面白い一日であった。
5
15日(火)
朝食後、U4の切符でカゼルタに出発。しかしながら操作の不備かエレベーターが故障になり、隊員の若い方が、大きなスーツケース2個をぶらさげて6階から降りるはめになった。が、なんとか無事にカゼルタへと向かった。カゼルタに着くと宮殿への道は以前とは違い駅から簡単に行けるようになっていた。スーツケースは宮殿で預かってくれる筈だと喜びながら宮殿に向かった。が、入口をはいって行くと、警備員から本日は休館と告げられた。庭園はどうかと聞いたが、庭園も閉鎖だとのこと。そこで駅に戻り女性隊員達は世間話に注力として、男性隊員2名は街の偵察と、スーツケースを預かってくれる所を捜索にでた。しかしその内一名は事務用品の店ばかりを捜索するばかりであった。街をダンテ広場近辺まで捜索し、結局、駅を右に少し行ったビュフェ(イタリアではtratriaとも言うらしい)の愉快な女性Managerが預かってくれることになった。但し3時~6時は休みらしい。このような事情で、宮殿観光は街の観光となってしまった。でもまぁ、こんな街歩きは隊長にはとても楽しいのだ。CAZERTAからBARIへの車窓はイタリアでも極めて美しい風景であろう。これを楽しみ、我々は無事BARIに着いた。アルベロベッロへの列車は先頭車だけで、他の車両は手前の駅で別れて別の方に向かう。アルベロベッロやMateraへは2度目との油断で失敗が続いたが、多くのイタリア人それに偶々一緒の列車だった日本人女性が我々を助けてくれた。ここでも車掌やイタリア人の助けで無事アルベロベッロに着き、駅近くのAironeホテルに入ることができた。ここはやはり清潔で居心地の良いホテルだった。何よりも駅に近く行動が極めて容易であることが利点であった。ここまでくればこの旅の問題点は全てクリアーされたことになる。後は、アルベロベッロとその近郊、それに、マテーラの観光を終えるだけのことである。
5月16日(水)
朝食は8時からなので1時間ほど街の観光をした。やはり美しい街だ。今日の空は晴れているが気候は完全に冬だ。朝食はビュフェ方式で、品種はすくなくローマ、ナポリに比べると寂しいがが量は充分にある。朝食後、Locotoronndoに向かった。駅を降りて列車進行方向に進み、突き当たった大きな道を左方向に真っ直ぐに行くとそのまま旧市街のPiazza A.Moloに至る。これを右に坂を上がって行くと大戦戦死者慰霊等のある公園に至り、ここからの眺めが素晴らしい。ここで我々男性隊員は、そこから見えるトゥルッリの偵察に向かった。公園の左側の道を下った。下の広い道を右手に行きトゥルッリの方に行けそうな道を行ったが野花の美しい季節で実に楽しかった。向かいの丘からのLocotrondの円形都市の姿を楽しみ、その後公園に帰還してから街の旧市街をうろうろと探索し回った。美しい街であった。その後アルベロベッロに戻り、アルベロベッロの街を隅から隅まで見回った。スーパーマーケット(木曜日は定休)も探索し、其の日もまた多いに楽しんだ。美しい街をきままに歩きまわる。これが個人旅行の最も有意義な時間なのだ。
5月17日(木)
雨の中をMateraに向かった。Bariでは豪雨状態になったが、その中を男隊員の希望で切手を買いに走り回った。列車がMateraなんとかって駅に着いて、僕の過去の記憶では地下駅の筈が地上駅だったので下車を躊躇したが、男隊員は目が良いので「Materaだ!」とどんどんと降りてしまった。が、同じ車両に乗っていた若い日本人が、ここはMateraCentraleではありませんよ~っと声を掛けてくれて危機一髪を脱した。ただ後で調べると、その駅とCentrale駅はそれほど離れていないらしい。
昼食はVia Don Minzoni通りを少し行ったところのSpagetteria GASTROに入ったが、ここのスパゲティはとても旨くローマに来て初めて巧いスパゲティに出会うことができた。
雨は収まり曇天下を観光することができた。
5月18日()精算時に電話を借りてAirportShuttleに空港送迎のRe-Confirmationを行った。
列車にてローマに帰還。帰路にCASERTA宮殿を口惜しく車内から眺めた。
5月19日(土)
チェックアウト後、荷物はレセプションの荷物室に預け、先ずはSt..Pietroのてっぺんに登った。最老年隊員もしばしば休みながらもこれを無事達成したことには驚いた。途中のテラス部でのお土産場では日本人尼僧をさっと捉まえてあれこれと援助してもらったりと、熟年隊員達は実に巧妙に立ちまわる。その後Teberu川の河畔を散策後、お気に入りのエマヌエール通りのTrattoriaで昼食を食べた。女店員もManagerも歓迎してくれた。隊員達は僕の知らない間に、メロン+プロシュートを取っていた。食べたかったなぁ~。
次いでA隊員が初日の事務用品店とは別の、やはり、スペイン広場の事務用品店に行きたいとのことで、ほぼ初日と同じルートでスペイン広場に向かった。購入後Caffeにて休みたいと隊員達が言うので、あっちこっちある路上Caffeに連れて行こうとすると、屋外のCaffeは嫌だって我儘を言う。仕方が無いので、ちょっと歩いて、多分ここならあるかなと思える路地に入って行くとバッチリとあった。あ~なるほど、こんな所には斯様なCaffeがあるんだ、と、何か新しい発見をしたような気持ちになった。おかげで、もうローマは我が家の庭みたいな気持になれた。
帰路はホテル近くのカルフールで隊員全員がオリーブオイルとかを大量に購入し、預けたスーツケースを出して、レセプション前で広げまくり、肌着とかで梱包して入れておいた。
時間よりちょっと遅れてTAXIが来て無事空港に到着した。
関空と成田に別れてチェックインして、出国手続きも終えた。ただ、どうも出国口の判りにくい空港で、誤って、ブラジルの団体客の並ぶチェックインカウンターに並んでしまいそのグループの添乗員から、「ここはブラジルの団体客のPrivateなチェックインカウンターですよ」って注意されてしまった。
まいったな・・・・
空港の管理エリアに入ってから、高価な万年筆を買った隊員の、その税金還付手続きを応援したが良き教訓となった。でも、僕が高価な物を買う機会ってあるのだろうか。
帰路は順調そのもので5月20日夜に日本に着いた。親戚隊員を引き連れての旅であったことで、僕の海外個人旅行レベルは大きくアップした。この点も多いなる成果のひとつであった。なにはともあれ、よかったよかった、であります。
さて今回の旅行費用は、航空運賃96,000円や若干のみやげも含め、総額19万円/1人でした。お疲れさまでした。
話は変わるが、相変わらず野田は、原発の安全性について具体的な説明はなく抽象的な発言だけで国民を納得させようとしている。細野は「大飯原発に副大臣を常駐させる」と言っている。副大臣を原発現場に置くことで原発が安全になるのなら、福島の時に副大臣を現場に置けば良かったのだ。日本の指導者連中ってどうしてこう馬鹿ばかりなのかと思う。どうせなら、大飯原発近辺で国会開催すると決めればいいのだ。でもそうしても原発事故を防ぐのには何の意味もないのだが。これらの弁解はもちろん官僚の言う通りの説明なのだろうが、物事の本質が全く把握できていない。なぜ安全なのか科学的な説明が欲しいのだが、それが理解できていない。福島原発事故であの危機的状況を脱することができなかったことが何の経験にもなっていない。が、福井県知事はこれで納得し再稼働を了承しようとしている。仮に原発が危機的な状況になったとして物理的、科学的な副大臣の存在効果はいったい何なんだろうか?もう、言うべき言葉もない。
そう言えば、海外旅行で外国人との話をで、日本の指導者の話をしたとして、「日本の指導者や官僚はFoolishである」と説明し、その理由をいろいろと言うことはできるだろうが、逆に、彼らが優秀であることの理由を挙げることはほぼ不可能と言えるだろう。それが日本の指導層の実情なのだ。
連中のことはもう忘れて、奥の細道でも読み直してみよう。