2012年12月30日日曜日

屋根塗装の安全確保シミレーション

屋根塗装方法をシミレーションしてみた。
関西に比して関東の屋根は急勾配である。僕の家でも勾配が6/10となっている。つまり約31度だ。壁塗装の時に、一階の軒上の壁を塗る場所があり、そこに瓦屋根があったが、そこはまともに立てない勾配であった。結局は足場から屋根に沿って鋼管を突き出し、これにすがるなり、体を立てかけて作業をした。屋根全体がそのような状況だとどうすれば良いのかと案じた。先に示したように、2階のベランダに足場を設けたので、屋根をじっくりと眺めた。その範囲では、軒上の瓦部よりは勾配が緩そうだ。しかも、ジョイフル本田で見つけた滑りにくい靴も用意しているから、なんとか歩けそうに見えた。
が、いずれの場合にも対応せねばならない。
先ずは安全確保が必要で、NETを調べると、下記があった。
http://www.eonet.ne.jp/~mksasa/tosou.html
この人は更に勾配が急な屋根の塗り替えを行っていて、屋根塗装に関する基本的な考え方は以下となる。
ロープを掴んでの作業は難しい。そのため彼の場合は、軽量梯子にロープを結び、棟から吊って、これを使って足場は確保している。塗装道具用台も準備して、これも棟から吊っている。
安全はロープに託すが、あくまで体重は掛けず、安全用で、両手を空ける為にパッチマン結びを採用している。カラビラを使わないが、主ロープに結んだ補助スリングの下の方にロープの結び目、またはこれに相当する摩擦装置を付ければ、万一の場合も、補助スリングが滑らないのではと思える。

http://homepage3.nifty.com/timtam/sc0.7.html

上記基本的な考え方を今回の作業でも採用するが、我が家の場合、梯子までは必要はなさそうだ。そもそも、我が家の場合は、梯子用ロープや安全ロープの支持を、棟から吊ることでは出来ない。なぜなら、最近の軽量瓦屋根では、薄鉄板の棟抑えを使っていて、これにロープの力がかかると棟抑えが破損する可能性が高い。そのため、下記が必要となる。
③棟をまたいだ、アンテナ用屋根馬の様なものが必要でここから安全ロープを下げる。馬は、屋根の隅部からロープで固定する。3方で引っかければ充分だが、馬が滑らない、特に力のバランスを考えた工夫も考えねばならない。
以上で、必要な物品を用意することにした。

 屋根馬の固定の仕方は、この人が書いています。
http://denkinikki.blog43.fc2.com/blog-entry-142.html
 また、屋根馬の部品が僕の計画にも使えそうです。屋根馬固定用支線のワイアー本数を増やせば、屋根馬の固定は安全になります。

http://www.iwatadenki.jp/shop/72.html                    
⑤アンテナの場合、屋根馬の固定は、ロープでなく、最大2mm径のステンレスワイアー(これを支線と言う)を使っている。屋根馬への固縛はアンテナマストにはめた円形の金具(支線止め金具)に、支線ジョイナーなる物を取りつけて、これにワイアーの端を取りつける。反対側は、屋根端の木部に打ち込むとか捩じ込んだアンカー、若しくは、支線止め金具おとめさん(これは1個800円程度と高価だ)とかの特殊アンカーがあり、これらに、やはり支線ジョイナーでワイアーを接合する。ワイアーを張る方法としては、アンテナ設置の場合は絞るって方法があるが、僕の場合は、ターンバックル(一個400円と高価なのが難点)が良さそうだ。アンカー側のワイアーに弾性あるカバーを設けて、屋根を損傷させない方法も考慮されている。安くするには、ワイアーの屋根との接触部分に緩衝材をくるむ方法もある。
⑥以上のように考えると、屋根馬の確保は、ロープではなく、ワイアーを多めに使い、しかも、出来るだけ、屋根の上からではなく、ベランダからアンカーを打ちこめる所に多くのワイアーを張り、反対側には屋根馬に確保したローブで安全を確保しながらアンカーを屋根から打つか、若しくは、アンカーを打つためだけに足場を立てても良い。ひょっとすると、反対側にはアンカーも必要無いかもしれない。
⑦ロープは先の「主ロープ+補助スリング」方式が良さそうだ。主ロープ長さは10mもあれば十分だが、馬にくくりつけて余った分を反対側のどこかに確保する方法もある。
シミレーションはシミレーションで、実際に遣ると、大幅な修正が生じることは経験上からも確実で、実は、大阪の屋根塗りでは、安全ロープを多用する計画を考えていたが、実際には、安全ロープも使わず、平気で屋根を歩き回った。しかし、ここでシミレーションして、やはり安全確保は必要だな、と考え直した。
大体のシミレーションを終わったので、予算を建てて、実施時期は、高圧洗浄機を使うから、近所が午後の洗濯物取り入れ後に窓を開けていない3月だろうか。

屋根塗料は高くても遮熱塗料を使おう。

2012年12月29日土曜日

年末の準備と、ベランダアンテナの取り付け

正月の準備は、後、メール年賀状の作成と、それに、年末大掃除の仕上げとしての、玄関土間、駐車場土間の清掃だ。しかし、土間の清掃については、今年は高圧洗浄機があるので楽にできる。高圧洗浄機は値段以上に使い勝手が高かった。なお、メール年賀状も添付分は準備出来た。従来は原稿そのまま添付したが、容量が大きくて送信に苦労した。今回はあれこれ試して、ワード文章から簡単にPDF化できることに気づいた。これで送信も簡単に出来そうだ。しかしPDFはここにはアップロードできないので省略だ。元のワード文書はどうコピーできるのだろうか?と試したが、やはりここにはコピーできなかった。

来年への準備として気になっていることは、次の点だ。
①地上ディジタル化でJCOMの共同受信が終了する。
我が家の住宅地区は、アナログ時点で電波障害地区として、JCOMが有線配信を無料で行っていたのだが、突然、JCOMの勧誘員が、自治会を経由することもなく、各家を各個に訪問して、「2012年半ば、新タワーからの電波送信以降は無料契約が切れる。サーバー契約とTV受信契約を一緒にすれば有利ですよ」と廻り始めた。TVの受信とサーバー契約が一体となれば、使用者側の自由度はほぼ無くなってしまう。こんな馬鹿げた勧誘は無い、と自治会にメール連絡したが、「各家にお任せします」とだけの返事であった。となれば、放射能の件と同様に自分の身は自分で守らねばならない。と、NETでいろいろ調べてみた。NET(IP電話共)とTVの同時契約であれば、フレッツ光でもあるようだが、それではJCOMの提案と殆ど変らない。TVとサーバを別個に契約すると言うか、そもそも、何故、TVの契約なんぞをわざわざせねばならないかってことだろう。と、言うことで調べると、結局は屋根アンテナかベランダアンテナとなった。今のところ屋根に登る準備は出来ていないので、ベランダアンテナとした。
アンテナは、DXアンテナUAD1800(UHFのみ) 8798円 amazonにて購入
同軸ケーブル S-5C-FB 10m 1,260円 及び F型接栓 2個入 240円
を購入した。これでうまく行けば、JCOMの世話にはならなくてよい。
自治会Webにも、この結果をメールしたが、全く関心は無いようだ。その後の調査では、自治会員の殆どの家がJCOMと契約したらしい。もうJCOMの言いなりってことだろう。

ベランダアンテナは、手持ちの足場材料を利用して、こんな具合に設置した。配線は、壁に穴あけして既存のソケット口に通した。既存の口とは配置が変わったが、ジョイフル本田で適当な部品を買ってきて、見栄えが悪くないようにとアレンジした。
工事結果の姿はこんな具合です。なお、架台がちょっと大げさだが、これは、屋根のメンテ時の足場に使うことも考えてのことだ。アンテナだけであれば、ポールに3本足を設けることで良い。が、この架台があると、アンテナの設置や調整にはとても便利でもある。
アンテナは、向こうのマンションの壁に向けて、反射波を捕らえている。
新タワーの方向は、ちょうど逆方向なのだが、タワーの方向を向け、受信していても、突然受信できなくなることがあり、恐らく、新タワーは未だ試験発信中と思える。そのため今のところ、アンテナはマンション壁に向けた。
既設の同軸ケーブルは壁間を通して2階の配線受入れ器具に接続しているが、ベランダアンテナからの配線は壁に穴開けして下のように通した。穴には、変性シリコン等の塗装可能な充填剤を入れて密閉する予定だ。
室内は、既設ソケット受けの受け口を、今回の配線に合うように改造した。
先に書いたように細かい部品は、ジョイフル本田で手にいれた。

  今回の設備で苦労したのは、同軸ケーブルへの接栓の取り付けが、ちょっといい加減になり、線の導通がうまくゆかず、アンテナ本体が悪いのか、同軸ケーブルが断線しているのかと思案したことだ。結局、テスターで、室内壁に取り付けたブースター電圧15Vが、配線経路のどこで切れているかをブースター側から順番に調べ、接栓接続が不良らしいと気ずいた。なお、ブースター電圧は、同軸ケーブルの中央導体と、外側網+アルミ被覆、の間で電位差がある。
以上で、準備は整ったので、新タワーの放送開始で確認を行える。

②家のガス管が寿命20年程度になっていること、エコキュートを更に有効に活用すべく、太陽光温水を使いたいこと、できれば、太陽光発電もDIYでやりたいことなど。我が家のインフラを自分でコントロールしたい。
そのためには、配管ルートを調べ、しかも、自分で配管できる能力を持ちたい。その調査や機器準備を進める。

③屋根の保守も自分で行いたい。ただ、我が家の屋根勾配が急なので、安全対策を確実にしなければならない。この準備も進めたい。
④ベランダも屋根も遮熱塗装仕様を前提としたい。

こんな所が、来年の僕の計画かな。

なお、屋根の様子を見る為に設置した現在の足場は、下を人が通れるようにと、アジャストベースをかなり高い位置に調整している。足場先端が軒先に触れない高さで人が通過できるとすれば、アジャストベースのねじ部高さを220mmに設定するのが良い。

その後のベランダアンテナの調子だが、
①アンテナ支持架台が風でひっくり返るような事故が発生。これは支持架台の組立不良が原因。
②F5接栓の取付不良で、徐々に接触が悪くなった。既にアナログ電波が無くなっており、その状態でリモコンをアナログにしてしまい、接栓を修理してもチャンネルと繋がらなくなりあせった。これに気付いてディジタルを選んだら何事もなくTVを見ることができた。
かような経過を経ることで、ベランダアンテナには自信が持てた。

2012年12月14日金曜日

ベランダの防水シート塗料に微かなひび割れとパソコンの購入

ベランダの防水シート塗料に微かなひび割れがあちこちに見つかった。
屋根塗装やその他のことよりも対策を急がねばならない。
塗装仕様は、nittokuのノンリークコートです。
http://nittoku-shoukou.co.jp/product/495/index.html
先ずは、この処理を行うので、屋根塗装の件は先送りです。

ところで、女房が突然、パソコンがいると言いだした。
女房が使うのは、せいぜい、YAHOOのニュースを見るのと、環境活動での会計役としての表計算程度だ。自分用にパソコンが必要な状況では無い。だが、言い出したら聞かない性格で、買わざるを得ない。
画面は15インチ程度のノートパソコンが良いと言う。
そこで、価格.comであれこれ調べた。本年度2012タイプを前提として比較し、それに、僕も代用機として使う可能性があるから、メモリーは2G以上が欲しい。僕のパソコン購入時代よりは遥かに進化しているから、どのパソコンもハードメモリーは問題外のほどに大きい。
OFFICEソフトがプレインストールされていないタイプが、当然だが、とても安く、特に東芝のビジネスタイプが安く、問題はOFFICEをどうするかってことだ。
http://dynabook.com/pc/catalog/satellit/catapdf/original/pc-772.pdf
本機には、数字専用キーもある109キータイプと数字専用の無い、87キーの2タイプあるらしい。が、簡単に手に入るのは109キータイプだ。女房には数字専用キーの方が使い易いだろうから問題は無い。価格は32,800円と、かなりお得である。
1ランク下で、B452が29,800円である。OFFICEインストール版もあるが、その場合は追加価格が必要になる。しかし、B452にはWebカメラが付属していない。
http://toshibadirect.jp/pc1/catalog/2012/b452g/spec.html?link_id=txt_pro_b452g_b452g_spec
Webカメラは女房には不要だが僕には必要だ。そのため、B252を買うことにした。
本機では、64ビットと32ビットの選択が出来て、初期設定時にするらしい。
OFFICEは、Yahooオークションで2003版を安く購入した。古い版なので、32ビットを選んだのだ。
あっと言う間にパソコンが着き、各種設定を始めたが、32ビット設定にかなりの時間が掛かった。難しいと言うことではなくて、単純に時間が掛かるってだけのことだ。次いで無線LANを設定した。今の無線LANは本当に簡単に設定できる。B252にはエキスプローラがインストール済みなので、直ぐにネットに接続できた。一旦、ネット接続を停めて、OFFICEをプロダクトキー入力で簡単にインストール出来た。
再起動後、OFFICEを立ちあげると、認証画面が出たのでON-LINE認定を選択した。簡単に認定も終えた。
昔に較べると、なにもかもが簡単にできる。
それから数日間、女房は、全く本機に触れていない。

2012年12月10日月曜日

屋根の塗替え準備--高圧水洗浄機や靴の購入

屋根の塗替えの準備を順次進めることにした。
そのためには、ベランダに足場を築いて、そこから点検若しくは、文字通り足場とすることにした。出来れば、恒久的に設けて、縦材の一本を、ベランダアンテナの支柱としても使いたいと考えている。
さて、足場の設置だが、先に書いた倉庫用足場に、ジャッキベースは使ってしまった。自在ジャッキベースは残っているが、これは、屋根の勾配部での使用で、それも、充分な支えを考えて使わないと危険で、これを安易に平地で使うと、何かの折に、転倒する恐れがある。そこで、何か良い物は無いかとジョイフル本田を訪れた。と、ジャッキではない固定型のベースが一本258円との安価に売っていたので、4本を購入した。他にも何か、と見て回ると、作業用靴が置いてあり、底のゴム溝の凹凸がいかにも滑りにくそうな靴が売っていたので、これを3500円程度で購入した。実は、以前にも同じ用途で別の靴を、これは近所の長崎屋で2000円で購入して、壁塗りの一階屋根部の奥の壁塗りで使ったのだが、それも一応は有効に使えたが、今回の方が効果的に使えそうで買ったのだ。
以前のは、FireFoxって製品名で、今回のは日進ゴム社製のHyperV#2000との製品名である。性能がどう違うか楽しみである。それにしてもあれこれと金がかかる。

写真で、左端がFirefoxで、中央がHyperV、右端はネパールで買ってきた通常の靴で、ついでに写した。これは、ほぼ2000円で、履き心地も気にいっている。
下に映っているのは、画面に入ってしまった僕の畑用靴です。

なお、屋根用に高圧水洗浄機 AJP1410SPを12900円で購入した。これは、壁塗りの後で買ったのだが、車清掃、駐車場掃除等に使ったが、これは良い買い物だった。壁塗りの前に買ったらもっと有効に使えたのにと後悔した。
さて、ぼちぼちとベランダに足場を設けます。楽しみだなぁ。

ところでベランダに掛かる荷重を計算しておこう。一応、1.8mx2段の場合で考える。
足場支柱が2段で、7kgx8本=56kg
踏板400x1800mm 12.9kg
ブラケット(踏板支持) 2.5kgx2=5kg
手摺 1800mm  4.6kgx2本=9.2kg
手摺 600mm 1.8kgx2本=3.6kg
ベース     0.5kgx4本=2kg
アンダーベース 1.8kgx4本=7.2kg
合計95.9
一本に掛かる荷重は=24kg
60kgの人が乗ったとして、最低2本で受けるから、一本当り30kgが加わり、
54kgとなる。アンダーベースはかなり大きいので、人、1人分の荷重がベランダに掛かるのに等しい。先ず大丈夫だろう。



畑の状態

冬の畑、畑と言っても10坪程度の狭い貸農園の借地だが、その準備は、今年は、まぁまぁと思える。先にも書いたが、放射能降下以来、畑の残さや、家の枝刈り分や雑草は、それ以前のように埋め立てて畑の肥料とすることは無く、全てを焼却に出している。関西以西産の食材を出来るだけ使い、この残さを畑に埋めることで、市販の牛糞や鶏糞さえも使わず、土地の放射能物質密度を出来るだけ少なくするようにしている。
畑の様子は、写真のように、左側大根の生育、中央それに左側奥の黒マルチ横カバーの列は、タマネギ畑で、右側1列は春キャベツ、その右側の背高く設けているのは、グリーンピース畑となっている。僕の借り農園の向こう側は、保育所の建物で、冬期には3時を過ぎると、僕の借り農園は、その建物の日陰となってしまう。
3年前に保育所建物が建つまでは、そこは公園だったので、冬期も暖かで、冬期作物の出来も良かったのだが、建物が建ってから作物の出来が突然悪くなった。が、2年間は、その理由が全く判らなかった。冬期には余り午後に畑を訪れなかったのだが、たまたま午後3時を過ぎてから来ることがあって、畑の全てが建物の陰になり寒さが急激に激しくなることを知り、作物の出来が悪くなった理由にも気づいたのだ。それが一昨年で、そのため、寒さ対策をすること、それに、早めに植えることで、作物の出来が良くなることを知った。その知恵の結果が、マルチと側面カバーである。実は、それに加え冬作物については、周囲の日陰となることのない畑よりは、半月は早く植え付けているのだ。周囲の人々は、「もっと植えるのは遅い方がいいんだよ」と助言するのだが、僕の畑の実情を知らないからの助言である。
しかし、早く植えることで、他の人の場合とは違った問題があるのだ。
まず、タマネギだが、タマネギは温度が高くなると、地上の葉っぱ部分が育ち、日照時間が長くなると、地下のタマネギ部分が大きくなるのだ。つまり、僕の畑の場合は、早く植えているから、当然春になると葉の部分が早く育ち、日照時間が、それでなくとも建物の陰で短いから地下部分の育ちは遅い。そのため、葉の部分の搭立ちが早くなってしまう。塔立ちが起こると、その根の部分が固くなり、たまねぎ部分も固くなってしまうのだ。人為的に日照時間を早めるわけには行かないから、塔立ち前に収穫することで、対処せざるを得ず、これでなんとかなっている。
ついで、グリーンピースだが、早く植えると余りに早く育って、冬期霜が降りると上部部分が霜で焼けてしまうのだ。そのため、霜を防ぎ保温も必要なので上の写真のように大げさな保温状態になっている。しかも植え付けを密度高くして、体を寄せ合って寒さを防ぐようにとも工夫している。これでなんとか出来を確保できるようになった。写真に示すように、少し育ってから自立できるようにと網も取り付けている。農業とは、実は、いろんな工夫が出来る仕事だと、最近になって気づいた。

2012年12月3日月曜日

素晴らしきネパール旅行

ネパールは、今回も女房とその姉妹3人を引き連れての旅で、かなりの幸運にも恵まれて、実に面白くて楽しかった。
航空券の購入は2011年12月中旬で、そのルートは、
関空⇒上海⇒昆明⇒カトマンズ⇒昆明⇒関空、
成田⇒上海⇒北京⇒昆明⇒カトマンヅ⇒昆明⇒上海虹橋⇒上海浦東⇒成田
となっていた。
中国東方航空は安いのだが、昆明で一泊が必要なスケジュールになっている。そこで、帰路昆明で2泊として昆明観光も考慮して、昆明の宿の予約を取り、交通方法も調べていたが、魚釣島の問題で、日本人が集団暴行を受けるような事態になり、しかも、2012年6月には昆明空港が市街部から遠くに移設になったこと、それに、空港周辺には宿泊施設が無いことを知ったので、宿の予約は全て破棄し、帰路の観光も諦めた。下手に市街部に宿泊して、タクシーの乗車拒否に会えば、日本に帰れなくなってしまう。そのため、代理店に連絡すると、気持ちよく対応してくれて、帰国便を一日前とし、しかも、帰国ルートも、帰路 カトマンヅ⇒昆明⇒上海浦東⇒成田、と簡単になった。
宿の予約は、Agoda と TripAdviserを使って簡単に行えたが、ナガルコットの雲海荘はなぜか返信が遅く、当初は、バクタプールからの日帰りも考えた。が、6月ころに連絡が取れて、一泊することとした。が、現地でもオーナーの民子さんと会うことはできず、彼女が病気でないかと心配している。
ここまで計画しても、旅の前には心はブルーになってしまう。旅に慣れるほどこの傾向は強くなったが、ひょっとすると、それは歳のせいかもしれない。
今度の旅で心配したのは、服装だ。日本の9月に急に寒くなったことから、余計に心配になり、寒さ対策を強化した。が、実際には秋の服装にセーターで十分で、昼間は秋の服装でも暑すぎた。持参の寒さ対策は全く無用であった。結局、昆明空港の夜が最も寒かった。おかげで、日本に帰ったときにはその寒さで風をひいてしまった。ネパールの気候がいかに過ごしやすいかってことでもある。
航空便やその他情報としては下記がある。
関空発昆明行は、上海までと、上海~昆明が同じフライトNOで、行も帰りも、関空⇔昆明の乗客は特別扱い(大阪発の人だけ、往路、復路共に上海空港で一まとめで行動)だが、昆明⇔東京の乗客は、復路では荷物はスルーできるが、国内線⇒国際線の扱いになる。つまり、往路昆明では、関空発の人は国際線用荷物受場、東京発の人は、上海⇒北京⇒昆明の場合、国内線用荷物受場で荷物を受け取ることになる。但し、東京の人も、東京⇒上海⇒昆明の場合は、国際線荷物受場になるだろう。つまり、上海経由で最初の国内空港までは国際便扱いとなるってことだろう。当然だが、国内線荷物受場と国際線荷物受場は仕切りで分離されているので、気をつける必要がある。復路の昆明では、関空へ行く人は、国際線でチェックインして、国内線departureから搭乗だが、同じ飛行機に乗る東京行の人は国内線でチェックインですが、荷物はスルーで東京なので、国内線のSpecialCare(多分国内線カウンターの通常のカウンターの向かい側にある)でチェックインとなる。
で、成田発の僕夫婦は、上海では、北京の看板を持つ女性に連れられて入国審査、セキュリティを終えて、上階に上がるともう北京行きフライトのゲートAREAであった。北京空港に着くと、上海で乗込んだ人とは別に東京発の人だけで国際線荷物受場に向かう。北京からは国内線でのチェックインで、汚い国内線DEPARTUREでチェックイン時間を待った。
東方航空は遅延が常態化しているようで、行も帰りも一時間以上遅れた。
昆明では空港内で夜を過ごした。昆明空港3階DEPARTUREでは、なが~いチェックインカウンターの両端には、それぞれかなりの数の椅子が並んでいる。が、固くて肘掛付きの椅子が多い。入口側(空港に向かって)から見て、左側(国内線カウンターの外側)の椅子は硬い肘掛け椅子で、その辺りは、なぜか風で寒い。
4階はレストラン街(departure階からメゾンになってる)で、左側(国内線)と右側(国際線)に分かれていて、大体9~10時には閉店となる。国際線側の奥の方に柔らかい長椅子があり、ここが過ごし易い。但し飲食禁止だ。
空港の係員数名もここで夜を過ごしているが、連中は飲食や喫煙を平気でやる。そういえば、上海⇔昆明機内で、乗務員も乗客も後方乗務員室で喫煙をしてるようで、とてもくさい。空港には朝4時半頃から続々と乗客が詰めかけてくる。中国人は、我先思考のためかなりマナーが悪い。それに、空港従業員でさえ英語は使えない人が多く、中国国内旅行はかなり難行するだろうと想像できる。で、中国への旅行にはちょっと意欲を失ってしまった。
1階(表示ではB1Fらしい)の入口から見て左側の端には、ケンタッキーがあり、ここは24時間営業で、本空港での待合せには最適の場所だ。
朝には朝食メニューがある、が、上の寒いところと同様に寒い風が流れる。
なお、昆明市内へのバスは、夜中の2時ころまで運転していて、1号線と2号線とが稼働中のようだ。が、バスは市内では循環式なので、往路と復路のバス停が異なるので要注意だ。
ATMは3階に24時間対応のがある。
2012年
10月17日、
日本発で関空から2人、成田から2人が出発した。大阪Gは、容易に着いたが、成田Gは、先にも書いたが成田⇒上海⇒北京までは、ひとまとめ扱いだが、北京空港では注意していないと、ひとまとめ扱いから離脱しそうになる。北京の国際線荷物受場で荷物を受け取ってからは、北京⇒昆明は完全なる国内便となる。北京空港ではかなりの時間を持て余した。今回の経験からすると、中国東方航空は、かなり時間が遅れるようで、24時前に昆明に着く予定が夜中の1時近くになり、大阪Gも1時間程度遅れ、結局待ち合わせのケンタッキーで2時近くになり全員が揃った。帰路もかなり遅れたことからすると、東方航空は慢性的に遅れることと考えるべきだろう。
10月18日
チェックインカウンターに2時間前に行ったが、もう、人でいっぱいであった。油断であった。おかげで窓際の席が取れず、ヒマラヤを十分にエンジョイできなかった。が、この経験から帰路のフライトでは充分にヒマラヤの素晴らしい眺めをエンジョイした。
カトマンヅの空港は中国の空港に比べればかなり貧相だが、人々が友好的なので、より過ごし易い空港である。出口を出た所にTAXI受付があり、ここから既に値段交渉が始まる。しかし、こちらは4名とおおきな荷物、しかも、ナガルコットへの途中で、BAKTAPURのホテルに荷物を置いて行くとのハンディがある。で、2600RSで合意した。がRSを所持していないのでATMを教えてもらって、先ずは現金の準備だ。ARRIVALを出て右側にDEPARTUREが有るが、その中間にATMがあった。が、故障中であった。外に出ると、「何か助けようか?」と言うのが居て、DEPARTUREのまだ先のビルの向こう側まで連れていってくれた。1ドルをあげると喜んでいた。彼の態度からすると、ネパール人ってほんとに親切で大人しく、押し付けがましくない連中だ。いっぺんに好きになってしまった。
車は、この国の殆どがインド製のスズキで、その軽を4人乗れるように改造した車であった。2600RSにしては、相当の距離と悪路を経て目的地に着いたが、途中でBAKTAPURのホテルに荷物を置いた。市の観光チェックポイントで観光料を支払い、一週間有効のハンコも押してもらった。
10月19日
早朝から起きてヒマラヤを眺めたが、霧が多くランタンの峯がうっすらと見えるだけだった。同宿の女性達は展望台に行ったが、そこでは雲の上に美しいランタンが見えたとのことで、がっかりした。が、気を取り直し、チャングナラヤンへのミニトレッキングに出発した。素晴らしく楽しいミニトレッキングとなった。
地球の歩き方の関東マップの裏側に地図があるが、ナガルコットからBAKTAPURへのバス道で、道が北側に向かい、360度方向転換している所が2箇所ある。そのナガルコットに近いほうが警察署で、BAKTAPURに近いところが、地図にはnagarkotphediと書かれている。
トレッキングルートは、この突出した場所を東西に結ぶようにあり、ただ、nagarkotphedi(現地ではTelkotテルコット と称している)のちょっとナガルコット側でバス道を歩くところがある。このTelkotにはバス停留所があり、Baktapurからのバスがここと往復している。ここでは食事も出来る。トレッキング道は更に西側に登り道となる。そこを登りきると、このルートで、特に左側の眺望が美しい稜線歩きとなる。道はそのまま西に続き、BAKTAPURとチャングナラヤンを結ぶバス道に達する。バスは頻度高く通り、手を挙げれば止まってくれる。BAKTAPURまで40RSであった。BAKTAPURへのバスは、街の北側のTouristBusPark辺りで下ろされてしまった。そこから街へは道が南に向かって2本に別れているが、街に向かって右側(西側)の道を進んで行くとダルバール広場に至る。
ところで、トレッキング道の殆どは村の家々の間を通る道で、時期はちょうど国家的祭日のダサインであり、多くの人々が仕事を休み着飾っていた。多くの子供たちが凧揚げに興じていた。
10月20日
とにかくこの国は食事はうまいし、ホテルも食事も安い。楽しい旅だ。ホテルでもらった地図で、街の南側を走るAranikoHighwayのSuryavinayakBusStationに向かった。早朝から、と言うか、早朝の宮参りなのか、街中が着飾った人で溢れている。交差点の道路南側にBusTerminalがあるようだが、南側はカトマンズ方面だ。北側、交差点の少し西側にBasu停留所があり、次々とバスが来る。大声でドゥリッケル?と聞き、そうだと答えるバスは人でいっぱいで乗れるものではない。祭りで帰郷する人でいっぱいなのだ。あきらめて、道路を渡って右角のTAXI乗り場でドゥリッケル?と聞くと1000RSだと答えた。OKって言うと、乗合待ちの乗客は降ろされて僕らが乗れた。
ドゥリッケルのBusTerminalで降りたが、道路の状況は地球の歩き方に記載されたのとかなり違っている。グーグルマップ等で調べると、地球の歩き方の地図の、ゲートの辺りにBasuStationがあるようで、カーリー寺院へは、そこから南下する街中道を通り、池と言うか小さな貯水槽の所で左に曲がれば道なりに寺院の山の麓に至る。長い階段を登れば頂上に至る。頂上に展望台があり、ここから、ナガルコットで見られなかったヒマラヤの展望を見ることができた。想定外の展望に大感激となった。階段の途中に黄金の仏陀があったが、どうもきらびやか過ぎるのでこれは見学を省略した。パナウティへのハイキングも有名だが、8時間のハイキングは連れている老嬢達にはちょっと無理だろうと、省略した。次回単独行の時としよう。
階段の途中にあったレストランで食事をしたが、まぁまぁの味で、4人で300RS余りであった。
帰路はバスで楽しい旅となった。途中の街々は祭りを楽しむ人々でごちゃごちゃのありさまで、不思議なことに、車掌は時たま車内から消える。が、それは、天井上の乗客から集金しているのであった。Baktapurに近づいて、何とも読みにくいSuryavinayakBusStation と言うとちゃんと停めてくれた、と言うか、このLINEではかなり繁華なBusStationで止まるのが当然のStopでもあった。35RSであった。
Baktapurの街も人人人って有様で、すごい状況だった。ATMもちゃんとあり金を補充した。
今回は2回20,000RSの交換と、手持ちのEURの交換とドルでの直接支払いで済ませることができた。
老嬢達を宿に置いて、ATMで金の調達後、街の西側を探索する途中で、単車数台の安全祈願で山羊を生贄にする儀式にであった。かなり激烈な儀式だ。どうやら、ダサインとは生贄の行事が主体の祭りらしい。市内の肉屋でも、肉屋らしからぬ家の屋台でも、方々で山羊や水牛の解体が行われ、それらの首や死体がごく普通に見られる。それが、この国の常態ってことだろう。
10月21日
本日は午前中を市内観光で過ごした。BAKTAPURはネパールの京都と書かれているが、確かに古い王宮、寺、街並みが美しい。祭り最中で人、人、人だが、それでも気持ちが落ち着く街だ。
TAXIをホテルに頼んでいたが、来る時と同様にスズキ改造型であった。運転手は間違うことなくタメルの例の有名なホテルフジの手前のHolyHimarayaHotelに着いた。今回は各ホテルともに過ごし易いホテルばかりであった。
ホテルのことをまとめておくと、雲海リゾートは各階で値段が違い、我々は最も安い1階で21ドル/部屋・日。BaktapurのVajraGuestHouseは一泊36ドル/部屋・日で、停電になると部屋と風呂に非常用ソーラー電灯がある。カトマンズのHolyHimarayaHotelは、50ドル/部屋・日で朝食付き、非常用発電機が装備されていた。
カトマンズでの食事は、ずっとTamelにある日本食レストランで過ごした。
Tamelの基準ポイントは、TrideviMargのタクシー乗り場が良いだろう。TaxiにTamerlのTaxi乗り場と言えば行ってくれる。とにかくTamelって本当に過ごし易い所だ。なんでも買おうと思えば揃っている。しかも安い。それと、インドのように道に牛の糞が積もっていることもなく、相対的に清潔なのが良い。
日本食レストランふる里で昼食後、地球の歩き方のカトマンズの旧市街を歩くお薦め散策コースに従って、ダルバール広場に向かった。祭りのせいで、人、人、人の有様であった。
ここも素晴らしい建物が並んでいて感心しながら歩いていると、ハヌマン像の所から
パレード隊が次々と楽隊に合わせて行進を始めた。それほど規律高い行進ではないが、それが却って、親しみやすい建物や人々と調和して感動させるものであった。
JagannnathTempleの階段の高い所から見ていると、ガイド志願の若者が押し付けがましくなく説明してくれて、「隊列は夕刻に戻るだろう。23日には生贄の儀式が盛大に行われる」と説明してくれた。別れ際にお礼を1ドルあげた。
10月22日
ホテルの前のTaxiと交渉して、Patanに行くこととした。Taxiの中で思いついてカカニ往復も契約した。ダルバール広場、それにGoldenTempleなど、Patanの街はなかなか素晴らしかった。その後、カカニへの道路は、ほぼカトマンズから北上して、右手に美しい盆地を眺望しながらの旅となる。どう見てもヒマラヤ眺望を期待できない景色の中を、まぁいいや、遠足気分を楽しもうと精一杯にはしゃぎながらの旅であったが、峠に到達すると、ヒマラヤの遠景が一気に見えた。運転手は更に上を目指し、別荘のような建物の近くの眺望の良い場所に連れていった。どう考えても、その別荘の方からの眺めが良さそうなので、運転手に、あそこに行けないか?と聞くと、聞いてみる、と行き、直ぐに我々に来るようにと手招きした。結局、そこは旅館兼レストランであった。そこの芝生の庭から先は急坂で、広い盆地の底までみえる、その向こうの山の、さらに向こうに壁のようにヒマラヤが遠くそびえていた。後から考えると、運転手の作戦にはまったかとも思えるが、それは素晴らしい場所で、このような場所に再び来れることが無い様な最高の場所であった。食事もうまく、実に素晴らしい経験だったので、運転手には感謝こそすれ怒ることなんて全く考えられない。ホテルの前に無事に帰還し、明日、運転手は家に戻りダサインを祝うとのことなので、チップをはずんであげた。
どうやら今回の旅では、毎日が喜ばしいハプニングがあり、それも、毎日その喜ばしさが増すようなハプニングが起こるようだ。
10月23日
ガイド志願の青年から、今日は、大掛かりな生贄の儀式が有ると聞いていたので、ダルバール広場を再訪した。ダルバール広場の方々に水牛や山羊が配置されて生贄の儀式の準備がなされていた。その一箇所の前のTempleの階段上に待機していると、かなりいかつい顔のガイドらしき人物が近寄り、あれこれと話し始めた。自己紹介によると、Mr.ビルバール tel 0977(国)9841379868 E-mail ilam_namsaling@yahoo.co.jp 
って人で、結局かなり信頼できる人物で、日本語、ひらかな、カタカナも大丈夫な人であった。この国でガイドが欲しいと思う人は是非相談されればよい。で、例の如く、ガイドさせろと言うのではなく、なんとか自然にそうなるようにと持ちかけるのだが、こちらは、それに乗らない。なぜか、時間を気にしていたが、突然、軍隊の儀式に行かないか?と言い出した。結果として判ったが、既にその儀式は始まっていて、早く行かないと終わってしまい、しかも、そこの観覧席は外人とそのガイドしか入れないシステムになっているのだ。で、当方のガイド依頼を諦めて、我々に提言してくれたってことなのだ。そこでは、軍隊の兵が7箇所の円を描いたところに別れて、次々と山羊と水牛を生贄として刀で首をかっきる儀式であった。ガイド氏の説明では、神と悪魔の戦いがあり、負けた悪魔が地底に閉じ込められているが、ダサインの時期に山羊と水牛に乗り移って地上に出ようとするらしい。悪魔が乗り移ると、山羊や羊は体中を震わせるので、実は水や花びらを山羊や水牛に振りかけるので、必ず全身を震わすことになるのだが、悪魔の乗り移りが判り、その瞬間に楽隊は音を高々と擧げて、すごく体格の良い首切りの兵士が刀を振り下ろす。その瞬間にも、空砲が数発放たれるって、凄い儀式であった。1時間ほどもして全ての山羊と水牛の生贄儀式が終わった。ガイド氏に10ドル進呈することで、双方ともに満足できた。
なんともはや、毎日、毎日、思いがけないハプニングが続く。素晴らしい旅だ。
一旦宿に戻り、一休み後に旧王宮に向かったが、休館だったので、DreamGirdenを散策した。
10月24日
午前中はボダナートに行き、午後はKirtipurを訪問した。Nepalの街はそれぞれに、何かしら懐かしいものを持っていて居るだけで心が落ち着くのは何故だろうか。
10月25日
カトマンヅからの帰路航空便は左翼窓際を取り、ここでも、ヒマラヤの素晴らしさを満喫した。後は、遅れまくる東方航空で疲れる帰路であった。しかしながら、その艱難辛苦に耐えることで、ネパールの空港関係者やネパールの人々、それに、その街街の良さをより感じることが出来たし、それに、旅の費用は、全て込で一人10万円以内に抑えることができた。これはやはり、中国東方航空の大きな魅力ではある。

日本に帰り、夢の中で起きているより流暢な英語を寝言で喋っていて、昼は石油ストーブで温まりながらネパール旅行の楽しかったことを思い出している。いやいや、楽しかったですわ。次は11月8日から17日まで大阪で、1月末はマレーシャ単独行です。