2023年4月30日日曜日

アシュガンジ肥料設備 それから

 工場専用バスがサイトに着いたが、そこは、工場建設事務部門の本部前で、僕ら用にジープが用意されていて、荷物を含めて乗り換えると、ジープは居住区の単身者用宿舎に連れて行き、私物を各部屋に運び終わると、再び事務所に戻り、サイトの首脳陣と打ち合わせとなった。が、数人の首脳陣と話し合うにも全く英語が理解できず、ただ相手の口元を眺めるだけであった。英語が堪能なはずの、電気の勉強も兼ねての機械検査員も、ほぼ理解できないようで、要するに話が通じないまま会議は終わり、現場の10人程度が入る据付指導員(エレクションスーパーバーザー)部屋に案内された。ただ、プロジェクトまとめ会社のFW(フォスターウイラー)の指導員は、それぞれの指導員小屋で、彼らの現地人部下と一緒に入っていて、我々の小屋は、下請けからの指導員ばかりであった。
言葉が全く通じないことでスーパーバイザー(SV)契約書に書いているディスクォリファイの項目通りだと恐れていたが、FWは心の広い会社で、彼らの直属SV,つまり我々がアドバイスすべき直属SVの中で、搬送設備を担当する、据付SVがやってきて現場案内をしてくれた。ただ、案内の仕方は、設備を収納する平屋建てのまだ屋根や外装をしていない鉄骨上に梯子で登り、そこから、梁の上を歩いて行き、地上の状態をあれこれ説明するので、我が方の仕上師や検査員はついてゆけるのだが、単なる設計者の僕は足を踏み外せば確実に死ぬだろうとびくびくしながら、何とか付いて行った。それで試験は終わったのか、ディスクォリファイの話は全く無かった。その据付師はキャノンさんといい、それからは何故か僕達日本人には本当に力強い味方となった。と、言うか、我々に不親切な人間はその現場には全く居なかった と言うのが正解だろう。また、仕上師のアトキンスさんや電気師のヒルさんも我々と仕事の関係が多く彼等もまた我々に親切であった。
これら、据付に従事する連中の上に、各エリヤ毎にスーパーインテンデントと称されるSVが居て、SV全員及び補助技術部門をまとめるのがチーフエンジニアのMr.Jordanで、僕は殆どのことを、このMr.Jordanに相談したが、いつも真剣に応対してくれた。それだけに、当方への依頼は、このMr.Jordanからなされた。このMr.Jordan と国連から派遣され現場の工事状況を検査するために派遣されていた検査会社のMr.Necorousが主に僕の交渉相手であり、Nicorousは奥さんが沖縄出身の日本人であり、特に我々に親切であった。


2023年4月25日火曜日

今年のたまねぎ と、本ブログへのアクセス数

 昨年は、頑張って200本もの中生玉ねぎを植え付けた。ただ少し早めに買ったので、畑にまとめて貯め植にして、それでも育ち過ぎなので11月末頃に15cm程度に切り返して、黒マルチをした畝に植え付けた。育ちは順調で、2月には追い肥もして、気候も良いので、育ち過ぎないようにと黒マルチを取り除いた。その後も育ちは順調に思えた。
しかし、4月の入って雨が降らず、しかも、日差しは初夏かのような日が続き、苗が育ちすぎて、ついには葉の一部が枯れかけるなど、丁度、例年の5月末のような状態になった。
例年であれば、5月末にそのような状態になり、その時期の日照時間を感知して、根の部分が急速に肥大するのだが、4月に葉がそうなっても、日照時間が不足で根の肥大のスイッチが入らないようだ。つまり、葉っぱと根とは別の季節感で成長し、両者の成長が別個に進んでしまった。
まだ結果は出ないが、今年はタマネギに期待できないようだ。
果たして、どうすれば良かったのかと言うと、少なくとも、植え付け時期を後ろにずらす方法だが、温暖化が更に進むとすれば、その効果も限られそうだ。
他の方法としては、根の肥大が始まる時期の日照時間が短い、早生たまねぎを植え付けることだが、その場合には、保存期間が短くなり、大量に植え付けても無意味になる。
とにかく、半年間の労力成果が薄く、悲しいことだ。一応、草木灰・石灰を撒くが、もうタマネギには期待せずに、他の夏野菜にどんどんと転用する。場所も撒いた肥料も有効活用だ。

追記;結局春初めの長雨でベト病になったようだ。水分過多が原因だから、黒マルチを外したのが駄目だったのだろう。しかし、黒マルチを外さないと育ち過ぎになった可能性が大きい。とにかく、がっくりだ。
それでもと、4月29日に、草木灰と石灰を混ぜてタマネギの根元に散布した。今日は午後から雨らしいのでちょうど良いだろう。

ところで、同窓会へ、このブログの事を公開したのだが、アクセス数は殆ど増えていない。
たまたま連絡が取れた山河君にそれとなく問うと、「ねえさんについての記事で気分が悪くなって読むのをやめた」との返信が返ってきた。
氏の気持ちは充分に理解できる。
最近、韓国ドラマを見るのだが、日本ドラマでは、例えば、日本のドラマの水戸黄門や鞍馬天狗で、勧善懲悪はせいぜい1回で片が付き、毎回ストーリーが変わるのだが、韓国ドラマは、長いものでは100回程度も、延々と、これでもか、これでもかと悪人が悪事をやり続けて、最後の数回で漸く懲罰がなされるのだ。若い時に韓国ドラマを見ると、最初の数回でうんざりしたものだが、歳を取ってようやく、そのくどさを楽しめるようになった。
ところが、僕のストーリーは、これでもか、これでもかと話が続くが、最後の勧善懲悪が完全に抜けている。その結果が判っていて、しかも、くどいストーリーだと、気分が悪くなって当然だろうと思う。
しかし、ブログのストーリーを変えるわけにはゆかない。仕方がないとあきらめた。
ところで、若い時には、勧善懲悪ドラマを楽しむ親父を見て軽蔑したものだが、今は、勧善懲悪韓国ドラマを見続ける僕が、家族に笑われている。

ところで、考えてみると、僕の人生で、ハッピーエンドで無かったのは、山河氏が「気分わるくなった」と言う、実姉や実兄との関係だが、それ以外はと言うと、殆どがハッピーエンドで終わったようだ。学生生活もほぼ良好だったし女房との恋愛もしかり、女房の親族とは実にハッピーだったし、彼等にも感謝されるほどに貢献した。会社で挙げた成果・業績もそうだと自信を持っている。 世界のあちこちを個人旅行したし、それに末っ子でありながら、母親が結核療養で一か月以上も入院した時には親父の面倒を見て、親父は最後まで看取ったし、母親とは、わけある別れまでは、楽しく過ごした。口うるさい女房とはお互いに労りあって過ごしている。だから、そのような方向に焦点を合わせて書くべきかと思う。
女房は、楽しかったことしか記憶してないと、実にハッピーな性格だし・・・・。

4月28日に志水勇で検索すると、通常は4~5番目なのだがトップになっていた。なぜ、そうなるのか良く判らない。兄や姉名前をひょうだいとする投稿に追加記入すると、検索に載らない場合もある。ただ、志水勇のブログで検索する場合は、検索項目が少ないので必ず検索に載る。
最近は、普通人の名前で検索しても、殆ど検索には乗らないが、本人の名前をブログ名としている場合には検索名に載る。本人が納得しているとみなすのだろう。
特別な検索機関だと、検索会社と特別契約して、検索に載るようになっているだろうと推察する。



2023年4月23日日曜日

阪大機械工学科昭和37年入学同窓会

 同窓会が焼津で行われたが、人と時間を合わせて行動することが苦痛で、それに酒を飲まないし、飲み会も好まないので欠席した。ある時期から、自分の好む生き方に徹することにしたのだ。同窓会後、幹事さんから、”同窓会仲間の近況” なる冊子が送られてきた。最近は電子データでの送信が通常だが、久しぶりに印刷物データで、それに、同じ年齢の仲間達の各々の生活が垣間見られて感動した。その感動を幹事さんに伝えるべく下記を送信した。
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幹事様 「同窓会近況」を受取りました。 from志水勇

「同窓会仲間の近況」を受取りました。
皆さんの人生後半の過ごし方がとても参考になりました。
特に最近は、全てを電子データとするなかで、印刷媒体で作成されるとは大変だったろうと推察し、また内容が面白くてとても感動しました。実直そうな元古さんの性格が良く表れた作品です。
本当にご苦労さまでした。 

と言いながら、一人行動が好きな僕は参加しなくて申し訳ありません。
記載したように、人との約束時間に縛られるのが極端に駄目です。
新聞の随筆を見ていると、さような人が時々居ます。
と、言うわけで、感謝と感動を申し上げるわけです。
ところで、僕は単独行動が好きで、それも一泊4000円以下にしか宿泊しません。
でも、コロナ騒ぎで行けず、しかも円が安くなって、どう再開できるかめどがつきません。https://4travel.jp/traveler/isabon/album

また、海外でのゲストハウスの安さに感謝して、海外からの旅行者への安い施設を大阪の我が拠点を民泊としたのですが、これも、コロナ騒ぎで再開の目途がつきません。
それから、「志水勇のブログ」で検索すれば、僕の生活・日常を紹介するブログが出ます。ご参考に。

 貴方の幹事期間の物故者を入れると、同輩の物故者総計は、10名余になったようですね。25~30%が行ってしまったようで、いずれ我々の順番が訪れます。
それまで頑張りましょう。
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上記幹事さんへの連絡後、僕のメールを同窓会メンバーに紹介することについての了承のメールがあり、これを了承した。
また、物故者の人数と氏名についての表が添付されていた。それによると、1年生の夏休みにワンゲル活動で亡くなった桑原孝一郎さん以来、16名となっていた。
当初クラスの総数を再確認したら、60人弱だったので、やはり、30%程度は亡くなっていることになる。こうなると、いつ自分の番となるか、これだけは仕方がないことなので順番を待つだけだ。
それに、どうせそんな状態だからと、自分をさらけだすことにも平気な気がしてきた。
その心境もまた、送られてきた同輩たちの記述にも現れていたと思えた。

2023年4月17日月曜日

雑草に占有されるなら花を増やそう

 芝に置かされていた庭を整理すると、かなりの空きが出来た。大阪の拠点も雑草に侵されないようにと計画するので、その参考にもと花を集めている。雑草に打ち勝たねば意味がないので、多年草で強そうな花だ。
昨年、近所の教員住宅が撤去されて、障害児用施設が新設されることになり、その空き地に秋になりポツン、ポツンと咲いている花を我が庭に移植した。それが花を咲かせつぃる。NET辞典で調べると下記である。それぞれ強健そうなので大阪に分株するつもりだ。
●ムラサキツユクサ 三角形の紫の花 アヤメ科 でとても強靭です。
●シラー・ペルビアナ 王冠のような花やはり紫が主体です。 地下茎が毒
●スパニッシ・ブルーポット 紫の小さな釣鐘型
●前にも書いたが、カタバミの仲間で、イモカタバミと思われる花も持参する。
農業会館マーケットに行ったが、多年草の株が、整理売りされていたので、一株買ったが、名前を忘れた。(その後調べたら、ナデシコであった)雑草よりも強ければ株分けして大阪拠点にも持参する。

最近は世界中の花が日本の持ち込まれ、それらが野生化しているようだ。これって良いことなのか悪いことなのか、僕には判らない。

2023年4月16日日曜日

ぎっくり腰再発 と 姉の家族のその後の予想

 長らくぎっくり腰にならなかったが、この度、再発した。
腹筋運動を20回やろうとしていたら、16回目で腰がぎくっとなった。
腰サポーターをして、たまたま有ったハリックスを貼ったが余り効力がない。
でも、しないよりは確実にましだ。
そこでNETで調べると、上向きに寝ころび、膝を立てて、腰を引くと良いという。
その通りにすると確かに効果はある。
その後、腰の下に布団を敷いて寝ころんだが、死ぬほど痛かったが、なぜか、その後は痛みが和らいだ。腹筋運動でこぜった骨が元に戻ったのかもしれない。
後は、これらを続けるだかだろう。
その後回復が著しい。

腰は痛いが、農業会館に行き、ピーマンとキューリの苗を買ってきた。
いつものように、大きなポットに移して暫く様子を見る。

腰痛の話題だけでは寂しいので、姉の遺児達がどう行動するかの予想だが、
http://isabon.blogspot.com/2023/04/blog-post_8.html
上記で書いたように、姉の娘夫婦は成功した医者である。彼らは充分に稼いでいるから、姉の息子とは違って、姉の財産、それはつまり、僕の親父と母親の財産を独り分捕った金などには興味もない。それでなくとも、Y家の遺産も十分だからつまらない争いに引きずり込まれたくないだろう。で、吉祥寺の家も姉の息子に譲ると思える。自分たちは、どこかのタワマンにでも引っ越すだろう。姉の息子もまた維持費の掛かる吉祥寺の家は売り、近郊のタワマン程度には入居するかもしれない。
姉の大学は甲南大学である。当時、甲南大学は今よりも更に坊ちゃん大学であった。姉はそのような学友の家に招待されるなど、坊ちゃんお嬢ちゃん達の家庭に触れたこともあり、高級社会へのあこがれがあったようだ。習い事も茶道は当然のこと琴とか鼓とかを齧っていた。自分の家をハイクラス社会に入れたいと考えていた節がある。
さて、これで姉が目指していた、ハイクラス社会の一員に、自分はなれなかったが、少なくとも娘一家は加わることができるだろう。

めでたし、めでたしである。
でもね、姉とかその息子が、息子の嫁をおさんどんに使ってる可能性もあるよね。
僕の家は、親父やお袋のおさんどんを無料でしたが、姉やその息子は有料で息子の嫁をおさんどんにしてる可能性もあって、今は、T家のおさんどんって可能性はありますね。
それだと、今では2家族が住んでる可能性はありますね。
ただ、今時、老齢者を家庭介護なんて、しかも、病院首脳陣関係者が介護保険を有効活用できる施設介護を使わないなんてあるだろうかとも思うが、悪徳お代官さんと悪徳商人の密談が必要だし、悪事の隠蔽も必要だし、悪徳商人のマインドコントロールもあるから可能性はある。
でもまぁ、それはそれで、めでたい、めでたい。

めでたくって良いのだが、もうちょっと分析してみよう。
兄も姉も、家族ってものをどう考えていたのだろう。だました時はごまかせても、そのだまし方は余りにも稚拙で露骨で、僕のように家族の愛を信じていた人間にしか通用しないし、いずればれるのは明らかな騙し方だ。嘘や悪行が明らかになった途端に、家族としての情や関係は破綻する。だから、それを覚悟しての行動だったのだが、そもそも、志水家はそんなにも薄情だったのだろうか。それとも、人間とはそのようなものなのか。
兄の場合は、その後、水力実験室の集まりで、三宅さんが「志水秀夫って君の兄さんだろ?凄いなぁ。多額の寄付を大学にしたねえ」と教えてくれた。「それで、兄さんはどうしてる?」と聞いたので、「さぁ、何十年も会ってません」と答えると、「それはえらいこっちゃ」と口ごもるので、僕は、「僕のもらうべき遺産から寄付したんでしょうね」と言うと、無言で離れて行った。
三宅さんとしては、悪事で儲けた金を寄付された大学関係者としては、その寄付を賞賛すべきか嫌悪すべきか、若しくは、その寄付を受け入れるべきか拒絶すべきかを問われたわけで、無言で離れる以外に道はなかったわけだ。
姉の場合は、両親の金で喫茶店を経営していた時に、官庁の次官を自称する男にあっさりと騙されたようだ。 兄はベンツを乗り回していた。(購入も維持費も会社名義の会社払いで)兄も姉も、共に、僕のような正直な男は騙せるが、見栄を張れることには大金を出すようだ。でもまぁ、金は天下の回りものだから、それはそれで、めでたい、めでたい。
ところで、誰か僕らより先輩で浜田研の志水秀夫がいくら寄付したのか教えてくれませんか?阪大工学部機械工学科に、返せっとは言いませんから。いや、教えてもらうと余計に腹が立つかな、血圧に悪いか。やめよう。(くすっ。言いたい放題)




2023年4月15日土曜日

炊事・洗濯・掃除

 日経夕刊の第一面、明日への話題に、長塚京三が、炊事・洗濯・掃除の内、炊事の中で皿洗いはするが、調理には手が出せないと言う。
実は、僕もそうであった。大阪の拠点に行くようになり、しかも、女房が行かないことが多くなり、朝食はパンを、昼食はラーメン類で、夜食は、歩いて5分の所にレストランがあり、そこで食事を食べていた。が、そのレストランが閉鎖になり、駅の方まで歩くのは大変だし、加えて、拠点の庭を畑として耕していた人が老齢でできなくなり、自分で庭の整備のための宿泊期間が長くなったことで、食費が多くなった。
整備に出来るだけ時間を費やしたいことと、食費を節約するには自炊せねばならないと気づいた。そこでやむを得ず、自炊するようになった。
最初は、丸型の電熱加熱テーブルを買って、それに豚肉、野菜、を適度に切り上に載せて、耐熱ガラスの蓋を置くと、蒸し焼きになり、こればかりを食べていたが、その頃、業務用スーパーで6食分とか8食分のカレーとか、ビースシチュー、ハヤシライス、クリームシチューの箱入りルーを見つけた。そこで、野菜はほぼ書かれている通りに、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、鶏肉を主体に、6食分とか8食分を作り置きすることにした。先ずは野菜と鶏肉を適度に切り置いて、大鍋に大匙2杯程度の油を敷き、タマネギを入れ茶色になったころに肉、次いでニンジン、最後にジャガイモとの手順で、十分に炒めてから水を入れて煮て、火を止めてルーを入れて、その後適度に加熱して完成するわけだが、それだけで、何となく料理に関する感覚ができたような気がする。要は、タマネギの千切りをしんなりとするまで焼くだけで料理の味が良くなるのだ。
つまり、タマネギの役目は味付けで、食材に火を通し、味付けをすれば、それが料理の基本だと気づくのだ。そうして、味付けが重要で、それが、タマネギであり、ルーであり、コンソメであり、その他の味付け材なのだ。その味付け材で、和風か洋風か中華風かが決まるわけだ。近頃の大阪滞在では作り置きが十分にあり、電熱器を使うことも無くなったが、若し電熱器を使うとすれば、最後に、出汁を入れて味を調えるだろうと思う。
ところで、ブラジルから来た中谷が泊まった時は、彼は脂っこいのが駄目で、野菜をいためた後、水をいれて炊き、コンソメを入れてスープにしていた。調理の基本は僕と同じだ。
それに、女房の指示で、副食として、キャベツの千切り、納豆、モズク、豆腐を常備して、毎食にドレッシングを掛けて食べている。朝食にはジャム付きパンに、卵焼きを先の副食とともに食べる。一応栄養的には大丈夫と思う。ところで、卵焼きについてはスクランブルが最もおいしいことに気づいたが、わずかに塩をいれるのは塩分を避けてやめている。

雑草処理は肉体労働なので、間食としてはラーメンにキャベツの千切りを入れて食べる。

帰路のバス内での昼食には、作り置きやキャベツ千切りにドレッシングを掛けたのをタッパに入れといて、これを出発日の朝に電子レンジで加熱して、煮抜きとかバナナを持参すると、とても節約型になった。拠点での山行きやその他の遠出にもこの弁当を持参するようになった。
これで、大阪では十分なのだが、やはり千葉の自宅に帰ると女房の食事が実に上手く有難いのだ。女房の継続力にはまことに頭がさがるが、現役時代の僕の仕事における工夫と真寧さだって自慢ものだが、実際にはしんどかった。が女房はしんどいなんて言ったことがない。
やはり尊敬に値する。
そう言えば、僕の友人で会った、野田、土井、殿村達は仕事でもしんどいなんぞとは言わず頑張っていた。土井は特に農作業でも嬉々としてやっていたようだ。僕はやっぱり怠け者だと思う。

2023年4月13日木曜日

庭の整理

 つい最近まで、ジュウニヒトエとハナニラが咲き誇っていたが、ハナニラは葉が枯れると貧相になる。ところが、ハナニラは球根のために駆除が難しい。そこで、駆除をやり始めたが、特にはびこった芝の間に生えていて、これは芝を先ず駆除すべきだと始めた。芝は長年の着床のせいで、背丈が20cmにもなっている。根が四方八方に広がり重なっているのでスコップも通らない。新しいショベルを使ったが、それでも無理であった。そこで、カッターを使い土の表面を切りまわり、表面に張り詰めている根を切断することで、漸く抜け始めた。ハナニラの球根も芝の根の間に収まっているので、同時に除去できるようだ。除去した芝とハナニラは、生協配達物の収納薄手の袋に貯めていった。
必死に作業を続けていて、ふと気づくと、庭が倍以上にも広がった。芝がそれほど繁殖していたのだ。油断であった。
空いた空間には、枚方拠点のために調べた草花の知識を応用して植栽しようと思う。今までは果実が」食べられる樹木を植えていたが、これも整理して、草花中心にすべきかと思う。樹木は整理しても良いかも、と思う。
80近くなってえらく心境が変化したと思う。
先ずは、安くて育てやすい多年草の柴桜はどうだろう。芝ほどにはしぶとくないだろう。
本によると、紫カタバミは除去困難だから注意と書かれているが、家の西側の半日陰には同草が勝手に育っているが、それほどシブトイとは思えない。これを株分・移植もしてみようと思う。鉢植えしているガーベラとか、日陰になってしまったカラーとかを植付・移植するのも良いだろう。
昨年は不作だった柿は花をつけていない。今年は生り年の筈だと思っていたが、根の部分が芝に覆われていて栄養が不足したのかもしれない。
春になると,風情のない僕でも庭に心がゆくようだ。


2023年の畑

 タマネギ・ジャガイモ・グリンピース共に元気である。グリンピースは昨年の種まきが遅れ、しかも、連作障害が出て種付け場所を変えるなどで種まきが遅れ冬風が吹き始めたが、黒マルチと透明カバートンネルをすることで何とか育てることが出来て、今では少しずつ収穫できるようになっている。これからが楽しみだ。ジャガイモは、株の中間に追肥して、その後暖かくなったので黒マルチを外して土寄せも終えた。
今年の苗を調達かと、農業会館・ロイヤルに行ったが、農業会館は苗が小さく、ロイヤルの良い苗は400円/苗もするので、見合わせた。4月15日から本格的に探す。
本日の体感気温は25度を超えたかに感じられたので、例年失敗するのだが、ポット種まきを行った。キューリ、ピーマン、ナス、リーフレタス、である、ポットは発泡スチロール四角容器に入れて、夜は薄手だがポリ袋でカバ^する。さてどうなるだろう。
畑にはニンジンを種植えしよう。透明カバートンネルがまだ必要だろう。
庭にはびこった芝を整理したら、庭の広さが見違えるほど広くなった。柴桜を植えてみる。
4月15日
我慢しきれず、農業会館で苗を買ってしまった。ピーマン98円X3株はまだ良いのだが、キューリ200円x2株は値段を見ずに買ってしまった。でも、仕方がないと家に帰って大きな容器に移し替えた。(結局、ピーマンをもっと買うべきであった)
4月20日

ロイヤルに行き、苗を見たが、以前から置いているのと変わりないような気がしたが、キューリを除いては、まあまあのサイズなので、とうとう買ってしまった。
1株86円で、ナス6株、キューリ2株(時期が来れば自分でシャキットを苗作りできる)
ミニトマト2株、で合計860円
ピーマンを追加が必要だ。
4月21日
4月15日に買った苗にうちキューリ2株の鉢を水漬け4~5時間してから植え付け。
4月23日
タマネギが枯れ過ぎなので、水やりを行った。あさってから雨が降るのでそれに期待する。
しかし、倒れた苗を見ると、ベト病のようだ。
4月27日 
キューリ残り2株を植付
4月28日 
ポット幡種したキューリ以外は芽をだしたようなので、キューリだけを追加した。
ピーマンは3株なので、追加購入をめざす。タマネギは草木灰・石灰を撒くが、基本的にあきらめて、他の夏野菜への転用を行う。ポット苗も追加幡種をめざす。
ナス植付 午前中4株午後2株 合計6株 追加購入するかどうか?タマネギを整理して追加も良いが、タマネギの場所は、ナスと場所的に連作になる。
5月初め
いちごが取れ始めた。昨年よりかなり早い。
キューリ4株、ナス6株、ピーマン2株、ミニトマト2株の全てを植付終了。
5月5日
農業会館で5月4日から大きな苗を売り出した。しかし、ロイヤルよりも特別大きい苗は無い。ただピーマンはロイヤルよりは若干茎が太く、5月5日の朝9:30に3株購入して大きなポットに移し替えた。
ポットでいろんな種が芽吹いたので、不調のたまねぎ畑の3m程度を掘り返し米ぬかを入れたが、残りのたまねぎ畑については、最後まで見届けようと決めた。
5月6日
芽吹いたレタス2ポットを、ブロッコリ横に植えかえた。午後に追加植え付けようと思ったが、余りの風の強さにあきらめた。
5月11日
ピーマン追加3株植付、キューリ芽生えた2ポット植付及び畑に直接幡種(キューリはこの時期まで2ポット以外は、なかな芽生えなかったので)。
5月12日
ナス芽生えたポット苗、及びミニトマト芽生えたポット苗うえつけ。
購入ポット苗は、ミニトマトは寝かせ植え、その他は、黒マルチ、根切植えで、乾燥防止の不織布で覆った。念のため、ナスの根には、草木灰をかけた。


2023年4月8日土曜日

僕の蓄財法

 先に書いたが、重要なので、本項目として再投稿する。
僕の優しい姉と兄
http://isabon.blogspot.com/2014/07/blog-post.html

金銭的には、僕ら夫婦は浪費しない堅実生活で、結婚後、大阪吹田の住宅公社高層住宅を700万程度で購入し、頭金は半金で残りは住宅金融公庫での借金で購入して、その後、枚方の家を3000万円で購入し、その半金は、吹田の住宅の売却金額1700万円から借金残額分を返却して、残りで購入頭金として支払い、半金はやはり住宅金融公庫から借金とした。当時、住宅金融公庫の金利は比較的低かったのだ。同時にその頃、奈良の学園都市辺りで開発予定地を安く購入して、開発終了後に宅地で返却されるとの事業  (換地事業)があり、女房が新聞の片隅で、不動産会社の宣伝を見つけ、投資しようと提案した。そこで、これは将来の住宅用として購入しようと考えた。が、金が無いので、会社から宅地のみ購入として400万円を借金して月々返却とした。この土地には転勤で結局住めなかったが、開発後の還付土地は、好条件の敷地で80坪もありかなりの高額で売れた。素晴らしい土地だったので残念ではあった。ぼろ儲けであったが、金持ちたちはもっと大掛かりに投資して桁違いに儲けるのだろうと思う。
枚方の家屋は、一年も住まずに転勤となったので、これを賃貸しで年金生活終了頃まで収入を得られて貯金も増え、今は、賃貸しせずに大阪での拠点にしている。
千葉の社宅に入っている頃、バブル直前に千葉の家屋を、新線が出来るとの情報で、3000万程度で購入した。新線は、結局退職後になって漸く通ったが、それが終の棲家となりそうだ。バブルでかなり値上がりしたが居住用なので売ることはできなかった。なお、この家の購入費は、奈良の売却金から出し、半金は、会社から家屋購入として借金した。奈良の土地への会社融資は、土地購入との条件だったので、千葉の家屋は、家購入との条件で借りられたのだ。
僕の時代は、買って売り、買って売りで資産が増える時代だったのだ。で、結局、僕は親からの援助はなく、家と、それに僅かだが資産も得ることが出来て質素ながらも日々の生活には十分となっている。ただこれらの土地資産投資は殆どが女房の発案であったのだ。

しかし、最初の吹田の公団高層住宅購入は僕が独身時代に契約して、結婚後に完成して入居した。つまり僕のプランであった。この住宅とその後の女房の提案や蓄財で資産を増やすことができた。そもそも、高層住宅の購入は、同じ課の先輩の永井さんが彼の土地購入で宅地調査に奈良の西大寺に行くのに連れて行ってもらい、僕も投資に目覚めて土地家屋を買おうとしたが、
姉は既に好立地の土地建物を買ってもらっていたにも拘わらず、親の財産が減らされては困ると、横から口出しして、高層住宅に申し込むよう勧めたのだ。僕は給料が入るので公団の借金を払えて、更に、これを売ること、それに会社からの借金を加えて、枚方の好立地を買えることが出来、奈良にも良い土地を持て、更には千葉の家も買えた。
借金については、僕の小遣いは、月額1万円で、酒は飲まず毎日弁当持参で、しかも、出張が多くて出張手当で十分に間に合っので、こつこつと貯蓄は増えた。こつ、こつ、こつ・・・
母親は、僕が他の子供たちとは違い、自力で資産を増やしていることが自慢であったようだ。が、これを他の兄や姉どころか知人たちにまでに嬉しそうに言うことで、それがむしろ、兄や姉の僕への反感を高めたようだ。
それもあってか、姉は、母親を預かっていると公言しながら、実際には僕に預けていたのだが、我が家を時々訪れ、その際、母親の資産の全てを預かっていて、しかも、我が家が母親を預かっていることで我が家に一銭の金を入れるわけでも無いのに、母親から何らかの援助を得ていないかと女房に探りをいれていた。(それでも当時僕は姉を信頼できる姉と信じていた)

大阪の拠点も千葉の家も、購入後相当経っているので資産的にはかなりの減額となったが、住むにも遊ぶ拠点としても申し分ないものとなっている。
大阪拠点遊びの費用は、概ね、所有株の配当金で賄っている。

今になって思うが、女房の親族が信頼できる仲間であったのに対して、僕の親戚は全員がほぼそうではなかった。
http://isabon.blogspot.com/2014/07/blog-post.html
女房の親戚については、女房の姉を、我が女房が9年間にわたり認知症での施設入院の面倒を見たが、彼女の遺産は全て女房の親族に等分に配分したことで、信頼もえている。
http://isabon.blogspot.com/2013/02/blog-post_25.html

どうせ、金をいくら持っても、その金で延ばすことのできる寿命は、出来たとしても僅かなことなのに、僕の兄や姉は、自分で稼ぐよりは親の金を奪い合っていた。というか、僕のもらうべき分を奪い合っていたと言うべきか。
その姿を見て、その子供たち、つまり僕の甥も同様に育ったようだ。

少なくとも、僕の子供たちにはさような姿を見せたことはない。僕の親族たちは、尊敬され親しまれることの方が人生の価値があると思わないのだろうか、と不思議だ。

あっと、突然思い出した。僕はFXにハマった時があったが、この時はぼろ儲けであった。その金で、女房と世界各地を個人旅行したのだ。僕の場合は、世界旅行と言っても民宿泊りの貧乏旅行だが。でも、例えば、スイスやマダカスカルの夫々10日以上の旅では夫婦で100万円近くを使った。下記の旅行記では所要費用も細かく書いている。
https://4travel.jp/traveler/isabon/album
http://isabon.blogspot.com/2012/05/2007-928.html
ところがその後、税務署にFXの儲けがばれて、同時に、僕の蓄財の儲けもばれて、税務署に踏み込まれ、その年の税金は総額1000万円も支払う事態になった。泣く泣く税金を支払ったのだが、儲けからすれば当然の税金ではあった。だが、その後リーマンショックでFXも大きな損失を被ったが税金は返してくれない。しかたなく、こつこつとFXで資産の取返しを続けて、何年か前に漸く、元は取り戻せた。
こう見えても、税務署には痛い目に合わされてるんだよ。

どうやら、長姉も長兄も亡くなったらしい。

 ひょっとした知り合いの情報から判ったが、長兄 志水秀夫は数年前に亡くなったようだ。
長兄は僕より8歳年上で、80代半ばで亡くなったと思える。
この知り合いからの情報で、この兄の不可思議な行動に関する疑念が一つ判ったと、僕は確信する。それに、そのことから、 僕の兄弟姉妹は、どいつも嘘を平気でつけるのだと再確信した。彼らは皆、本当にクズだなと僕は再認識した。結局、僕の兄も姉もくずなんだと確信したわけだ。  全くもって、韓国ドラマの上を行く連中である。これらの、くずの行動で心を萎えさせても意味が無いから、連中の事はここに書くだけに留めて後は忘れることにする。

ところで、更に4歳年上の姉 粟野泰子についてはGoogleMapからの情報で、ほぼ同時期に亡くなったと思える。12歳上だから90歳程度と思える。
共に連絡はないが、僕への仕打ちからすると連絡できる筈はないだろう。

長姉や長兄については、一年に一度か、あの時の怒りの思いを思い出して、グーグルStreetで、彼らの住居の様子をみることがあった。
34.56812,135.591843  僕の育った家
僕の優しい姉と兄
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長兄の住居、つまり僕が育った住居はだんだんと寂れてゆく様子ではあるが変わりなく、と言うか、金は有り余っているのに使わないってけちな志水家の性格そのものを表している。
と言うか、高級住宅地の中の200坪超の家なんて、掃除も維持も大変なのだろう。僕の高校時代の夏には、水まき担当で、井戸の水を何度も何度もバケツで運んで大変だった。
姉の吉祥寺の住居は、変なことに、表札が奇妙な変化を見せた。当初の表札は、(粟野/Y) となっていて、この家は粟野姓の姉が両親に買ってもらった家を売り、その2億円で買い替え節税で買った家で、姉の娘の一家であるY家と共に暮らしているわけだ。姉はその家の他に、調布の団地のマンション、更には、都内のかなり大きな喫茶店の経営権も買ってもらったのだが、それらは売って自分の財産にして、更には母親が親父から相続した1億円もいつの間にか、自分の家族に生前贈与してしまった。他方、長兄は、親父の家と会社と工場の経営権と親父の家、それに、相続時には秘密にしていたが、ずっと後に判ったのだが、会社で買った工場より広い土地を相続したわけだ。二人とも、それらの遺産相続書は全く見せてくれないのだが、そんなわけで、姉も兄も、僕には全く連絡はない。
僕の他での経験からも、大体において、悪いことをした連中は、自分が悪いことをしたとは全く感じないどころか、逆切れするようだ。要するに、まったくプライドが無いってことだろう。若しくは、それが彼らのプライドの表し方なのだ。
僕は最後まで残された工場の土地の1/3を漸く相続できたのだが、その後知ったのだが、先に書いたように長兄は実家の外に、会社が購入した工場よりも広い土地を相続していた。僕が漸く相続した工場の土地については、その売却は姉の息子と僕が対処したが、長姉のプライドの無さは、息子に遺伝したようで、売却金額の姉の分は自分の口座に、堂々と入金した。これらの経過については、詳しくはこちら。
http://isabon.blogspot.com/2014/07/blog-post.html
こんなバカげた状態なのに、僕は親父の死ぬまでの面倒と、母親については、これは余りに不公平だと気づくまでの間、母親が僕の家での滞在を居心地よいと好むので、かなりの期間の面倒を見たのだが、今になって考えると余りの不公平について、当時は、自分の金は自力で稼いだからと余り不公平さを感じなかったわけだ。
話を元に戻すと、その姉の家の表札だが、何年か前にGoogleStreetを見ていると、表札が、
(粟野/Y) から(粟野/Y・粟野) と変わっていた。つまり、表札の変化から判断するに、姉の息子一家が越してきたようなのだ。母親から姉の息子の家の購入にも金を出したと聞いていたし、名古屋で勤めていたから、どうも合点がゆかなった。だが、姉の娘夫婦は共に慶応医学部卒の医者で忙しく、娘夫婦に代わり息子家族が歳を取った姉の面倒に同居したのかなとも思ったが、あの大きさの家に、3家族は多すぎるし、さらに、それをわざわざ表札に示すこともないだろうと奇異に感じた。
ところで、姉の医学部大学院卒の娘と早稲田大学卒の息子の、教育費、それにそもそも家族自体の生活費も両親が負担していた。教育費どころか姉の娘の慶応医学部在籍に相応のブランド品にも金を出していた。他方、僕と言えば、まともに稼いでる僕が子供たちの教育費、養育費を両親に頼むなんて、そんな恥ずかしいことは出来んだろう。
それから何年かしてGoogleStreetを見ると、今度は表札が、(Y/粟野)と変わっていた。つまり、当初は、(粟野/Y)と姉の姓が上位で、次に、(粟野/Y・粟野)と、下位に姉の息子家族が加わり、今回は、(Y/粟野)となり、娘一家の姓が上位になっている。つまり姉が亡くなったってことだろうと推測される。
以上のことから読み取れることは、姉に死期が近づき、介護のために息子一家が移ったとしても、わざわざ表札を変えるとは考えられないから、家の相続税を減らすためとか、姉の息子が相続権を持つため、それに、ついでに、恐らくは姉の悪行の証拠書類を消すとか、全く仕事に携わらないながらも貯めこんだ多額の資産をどう処置しようか等の相談のために、息子が一時的に同居したと思える。外面に拘る姉にすれば、自分の悪行をあの真面目な娘一家にはしられたくはないための処理だろうと想像する。
僕の脳裏に浮かぶのは、悪徳代官と悪徳商人が暗い行燈の下で、「お主もやるのお!いっひひひ」と舌なめずりしながら相談する姿だ。
それはともかく、長兄は85歳程度で、長姉は90歳程度で亡くなったことになる。
でも、僕の彼らの悪行とか平気でウソをつく性格についての記憶は、僕が死ぬまでの、まだ数年以上は残ることになる。できれば後、10年以上と、できるだけ長く残したいものだ。
それには彼等のことは余り考えないことだ。何が嬉しくてあれほど金に拘っていたのだろうかと思う。
それに金があっても、それほど寿命を延ばすことはできないのだ、とも思った。
なにしろ、長姉には、慶応医学部卒ドクターで、大学病院教授の優秀な夫婦がついていても、そうなのだ。

ところで、母親との別れだが、母親は我が家が居心地が良いとほぼ住み付いたのだが、母親の言うには、長姉の家族全員の前で、「一億程度の財産があるが、姉に管理を任せる」と言ったとのことだった。ところが十年ほどもしたある時、姉が母親の財産はほぼ無くなったと口を滑らした。それで、僕は母親の言う、「管理を任せた」とは「全て譲る」と言ったのだと気づいた。母親の心情としてはありうる嘘だ。
東京には姉の家族が広い家に住んでいる。それに、姉は、かような時にも、母親の金を一銭も僕に預けることのない性格なのだ。姉の家族に金を譲り、住むのは狭い僕の家で、その費用も全て我が家持ちとはありえない、と姉に母親を引き取ってもらった。僕が電話で引き取ってくれと言うと、姉は母親の金で買ったと言う3ナンバーのワゴンで来て、何の説明もなく、母親と、僕が買ってやった分も含めての母親の荷物をさっさと後部に積んで自宅に戻った。
ところが、母親と共に、姉の息子が重そうに運び込んだ仏壇には”父親と、死別した僕の姉兄”の位牌と写真が納められていたが、それら仏壇や仏具は放ったらかしで帰ってしまい、今も仏壇は我が家に残っている。  仏壇と同様に、姉の家族が我が家を訪れる際には、彼女の衣服、靴、等には貧乏に見せるための我家訪問TPOなるものがあったのだろう。

母親が連れ去られてからかなりして、その仏壇を整理しようと持ち上げたら、なんとプラスチック製のやたらに軽い安物だった。我が家に安物の仏壇と共に母親を送り込んだってことだろう。こんな安物に祭らせながら本願寺本山に祭るって姉の奇妙さが姉の心情だと理解できた。

その後、母親は何とか僕の家に戻ろうとしたようだが、姉は財産を持ち去られてなるものかと、これを母親が死ぬまで阻止し続けた。我が家の夫婦とは違い、姉には母親への愛よりも金が全てだったせいか、母親の面倒にはかなり苦難している様子が窺えた。結局は、母親専用のお手伝いさんを雇っていたらしい。我が家には母親への手当は出さないが、自分はお手伝いさんへの費用は惜しまないらしい。
長姉としては、吉祥寺マダムとしての活動が忙しく、我が家と女房を、無料介護施設、無料介護士として重宝していたのだが、断られたので仕方なく2人も介護人を雇ったと言うわけだ。僕の母親への愛情さえも捻じ曲げて利用する人間だったわけだ。
長男も同様に、親父の看病の時にも、苦労する母親を助けるのには親父の家も自分の家族を使わず、「俺の息子は受験で親の面倒をみれない。お前見てくれんか」と言って僕の家族に任せたのだが、長男の女房殿は、我が女房が両親に尽くしている間にテニスに熱中していたらしい。姉はそれを実に見事に学習したらしい。財産だけはちゃっかり戴くのも長兄の真似か?いや、そのずっと前からずっとそうだった。 
僕には、なぜ長男も長女も、両親に対してそんなに冷酷でおれるのか理解できない。僕と女房には、親父や母親の面倒をみることは、苦労も多いが、昔話を聞いたり、手を繋いでやり一緒に散歩したりと、それ以上の楽しみが多かった。

母親の介護と母親の意向に悩まされたようだが、母親の死によって、姉は人間性以外の全てを得たことになる。しかし、姉は自分の死後、残された相続書とか資産通帳類などの資料で、特に、娘一家にはその人間性を知られまいと心配したであろうと、想像する。性格の似た息子に後処理を頼むために最後に節税を兼ねて同居したのだろう、と想像する。
ただ、一緒に住んでいるいる以上は、娘一家も姉の僕への仕打ちや、その醜悪さにはほぼ気づいてはいる筈だが、わざと目を背けているわけで、姉としてはその醜悪さをあからさまに見せるのは息子だけに留めたいのだろう。

僕は小手先の悪行には負かされるが、じっくりと考えるので真実を推測していると思う。
韓国ドラマなら、最後には悪役の本性は露見するが、実際の社会ではそうはならないのだ。
そこで僕が暴露するわけだ。
が、ほぼ、意味ないけどね。

それにしても、義兄と義姉のトラブルで、僕は死んでから軽蔑されるなんて嫌だなぁ、と思ったものだが、我が実姉と実兄は、軽蔑されるどころか、彼等への軽蔑をネット公開されているわけだ。ほんとに嫌だなあ。
http://isabon.blogspot.com/2013/02/blog-post_25.html

僕は人間関係に疎いが、とても記憶が良い。過去のあの場面この場面も細かく覚えている。それだけではなくて、突然ある場面を思い出すことがある。そんな場合には、その場面が意味する、今までは気付いていない裏の内容にも気づくのだ。姉と兄については、特に、そのような事が多く、それも、二人があたかも善意であるかのようにふるまうのだが、実際には悪意があるというか、打算的な意味合いがあったと気づくのだ。実に巧妙ではあるが、勘の良い人に取っては、その打算的な意図が露骨であるような行為なのだ。そのような場面を思い出す度に怒りがこみ上げてきて、結局は自分の命を削ってしまうわけだ。兄や姉のような人間とはできるだけ触れないことが幸せに過ごせる方策だろう。

それに、これを書いていて突然判った。
母親からの援助漬けの姉やその息子、それに、父親の事業を継いだ兄は、母親が僕の自立・蓄財を褒めることで余計に僕への反感を強め、僕が母親から僅かでも援助を受けていないか監視し、父親の遺産もできるだけ、それに、預かった母親の金を一銭でも僕に渡すものかと決めたのだろう。言うならば、寄生虫のプライドを刺激してしまったってことだ。その彼らのやり口に怒っても無意味だと自分自身に決めることにした。ただ、可哀そうなのは母親だ。というか、僕は母親が本当に好きだったので、彼女を見限ったことを本当につらくも寂しくも思うのだ。しかし、結果は母親の選択でもあり、僕の事は了解してもらうより仕方がないだろう。姉の見栄で父母共に京都本願寺に葬られたらしく、そんなとこまで行く気はないから父母への挨拶も一生することはないだろう。
ところで、なんで本願寺の本山なんかに祭るのかな?寄生虫のやることは、わけわからん。
要するに見栄と見映えなんだろう。特に娘の結婚先Y家への見栄だろうと思う。
僕たち夫婦が看取った女房の姉は、近くの墓所に祭り、そこは夫婦の散歩道に組み込んで、散歩の旅に挨拶している。彼女は僕たち夫婦の生活の一部になってるってわけだ。

ところで、吉祥寺の表札の変化については僕の推測は単純すぎると思える。別案も考える。

姉の娘の旦那Yさんは、父親が亡くなった時に、東中野の広い住宅を相続していた。姉も大阪藤井寺の買ってもらっていた家が2億円で売れ、吉祥寺に買い替え購入するまでは、そこに同居していた。
東中野の家を訪ねた時に、Y家の母親に会ったことがある。きりっとした美人の母親で、僕はとても好感を感じた。しかし、誇り高く見栄っ張りの姉としては、元々他人に対しては見栄っ張りで、娘夫婦の家に同居する事や、そこに母親を引き取ったことで、余計にY家母親への対抗意識を高めたに違いない。
母親が姉に1億円を譲った後、母親もそこに引き取られた。僕が海神アパートの社宅生活の時に一度会いに行ったが、母親は薄暗いベッドの部屋でテレビを見ていた。その記憶があり、僕が千葉に家を買ってから、その薄暗い部屋には住まわせたくないと、母親を預かることにしたのだが、今考えると、姉はわざとそんな母親の姿を僕に見せたのかもしれない。
通常、母親の様子を見せるなら、もっと住み心地の良い状態を見せるのが普通の神経だろう。わざとそうすることで、僕に引き取らせようとしたのだろう。ぼくは簡単に引っかかるのだ。

それはともかく、姉の娘夫婦は共に医師で、しかも、娘は大学病院の教授で共にかなりの収入がある筈だ。しかも、ちょっと雑多な住宅地の中だが広い土地・家屋を所有している。狭い家に2家族も住む必要もなく、収入も多く快適な家に建て替えればよいだけのことだ。金は充分に有るのだから、姉の動産も吉祥寺の家も弟夫婦に譲れば良いだけのことだ。Y家は、志水・粟野に比べれば気持ちの大きな家系であり、姉の財産に執着するとは思えない。ただ、姉の動産には、僕から奪った分があるのが問題だが、その点は姉は娘夫婦に知られないようにと、その息子と行燈のしたで密談したことだろう。
さらに、娘の旦那の兄は弁護士である。以前に書いた、僕を痛い目に合わせた、姉御用達の悪徳沢田弁護士の手を借りるまでもなく、正しい節税についての情報は簡単に手に入る。
その結果が表札における表記変化の真実に近そうだ。ただ、急遽、姉の息子を同居人として節税するには無理があるが、その程度の作戦は仕方ないかも。
遺産協議書では共同相続として相続税を少なくして、名義書き換え時に姉の息子の所有として、ほとぼりが冷めれば、表札も姉の息子単独になるのだろう。
僕の推測のいずれが正しいかは、表札の変化を見ていれば判ることだ。

●その後の予想
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2023年4月3日月曜日

大阪拠点庭整備の基本案

 庭に植える草のことを種々調べたが、いろいろと種類があり、幡種時期の関係もあり、その決定はなかなか難しい。単に種をばらまけば良く、しかも背丈が比較的低いのは、れんげそうとクリムソンクローバ程度だ。共に10月の散布が適切でクリムソンクローバは4月頃の散布もか可能だが、次回訪問の6月には合わない。雑草を防ぐ草として調べると、株で買うものが多く、値段も高い。種まきとしても、れんげそう等と違い、散布ではなく種うえだ。株植とか種植後の手入れも必要だ。それは訪問回数が限られる僕には難しい。
なお、秋にはクリムソンクローバを散布するが、通常のクローバとは異なり、クリムソンクローバは暑さに弱く1年草とみなされ、クローバほどの繁殖力は無くて扱いやすいらしい。連作障害も無さそうなので、れんげの代用は充分と言うか、レンゲよりも主役になりそうだ。
さて、6月に訪問時は、基本として、庭全面を黒マルチで覆い、6月の植え付けが良しとされるものを、黒マルチに穴を開けて、種植え及び株植することができる。そうすれば、高価な種や株を大量に購入しなくて良いし。撒いた種や植え付けた株がより安全な形で育つことができる。また、その結果を見て、これから先の庭植えの方針を決めることができる。
また、例えば、千葉のイチゴを枚方で育てる等の計画もできる。以下に詳しく方針を作成する。
◎基本方針
●既に種を購入済みのオオニワゼキショウは、背丈が20~30cmで、4月、10月種まきなので、南庭の一番奥側に黒マルチ1列を秋まで準備する。
その南側には、千葉のイチゴの古苗を植えてランナーで秋までに増やすので、マルチはしない。その南側には通路も含めてマルチして、株植や種まきを試す。品種は、日差しに強い品種として後で決める。
南庭の最も南側壁傍は特にドクダミが繁茂するので、紫カタバミの球根を出来るだけ多く植えるが、黒マルチを施しがたい場所だが、できるだけカバーした上で、カタバミを植え付ける。南庭の東側と南庭の西側は、柿とぐみの植栽及びびわの植栽で、黒マルチが困難なのでカタバミの植え付けとする。秋にはクリムソンクローバーを散布する。
●東庭及び西庭のそれぞれの東西の家壁及び境界側は、紫カタバミを配置し、出来るだけ全体を黒マルチとして、比較的日差しが限られるとして、種植え、株植品種を決める。
●北庭は、やはり可能な限り黒マルチとして、日陰品種・株を選定する。株も種も、購入は高価なので、最初は多数品種を少数購入して試すこととする。

◎参考とするのはこれだろう。先の計画なら、一度に多くを購入する必要はなく、一個ずつで試すことができる。失敗品とか気候的に合わなくても、損失は最小で、黒マルチをしているから雑草が多くはびこることもない。
●グランドカバーで花のじゅうたんを11選
https://provenwinners.jp/magazine/groundcover_plants/
●雑草対策にお薦めのタピアン
https://www.suntory.co.jp/flower/asuhana/52.html#:~:text=%E3%80%8C%E3%82%BF%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82-,%E9%9B%91%E8%8D%89%E5%AF%BE%E7%AD%96%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%99%E3%81%99%E3%82%81%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%80%8C%E3%82%BF%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%80%8D,%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86%E5%BF%83%E9%85%8D%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93%E3%80%82
●ガーデンガーベラも対象種とする。我が家の鉢に一株あり、冬越えして年中咲いている。これを株分けして持参しよう。
●庭に、勝手にスパニッシュブルーベルが生えている。花は小さいが葉が茂り葉の形も悪くない。これも株分けして持参しよう。耐寒性ありで、ひなた、半日陰に関わらず生育するらしい。
●タピアンは、耐寒性あり、とても有望だ。

上記11選からすると、どれも試す価値はありそうだ。耐寒性、耐日陰性を考慮すべきで、非耐寒性多年草の場合は、越冬をできるかどうかを試す必要がある。アシュガは、耐寒性があり、耐日陰性もあるらしい。

●アシュガ(十二単衣)は、花はきれいだが侵入する雑草にはそれほど強くないのが心配。
でも持参するか。

突然花に興味を持って奇妙な気がする。人生の終わり近くなって、路端や他所の庭に咲く花を観賞している。できるだけ名前を覚えようと努めている。



2023年4月1日土曜日

れんげは連作障害が激しく、今年は散布できないと判った。

 何気なく、レンゲソウのことを書いたネット文を見ていたら、「れんげは連作障害が激しく、連作はできない」と書かれたいた。つまり、今年の秋にはレンゲソウ以外の植物を考えねばならないのだ。それに、そもそも、レンゲソウは恐らく夏を越えて雑草除けには使えないだろう。次回大阪訪問は、6月頃を予定しているから、6月に夏秋の雑草除けの植物を出来れば株植ではばくて、種を散布したい。白ツメクサ(クローバー)(クリムソンクローバーの方が良さそう)も考えられるが、クローバーは越年して根がはびこる恐れがある。桃薫イチゴは繁殖力はすごいし、実もおいしい。サクラソウも候補だ。サクラソウは播種時期が6月だ。秋にも撒けば翌年春に咲くので、有望だ。amazonで売っている秋撒き、または春撒き(6月は?)のネモフィラの種もよさそうだ。その他の植物も調べねばならない。できればきれいな花が咲くのが望ましい。背丈は高くとも30cm以下が条件でもある。
考えると、我が家の庭にも、むらさきカタバミ、ニワゼキショウ、ジュウニヒトエ、ハナニラ等もある。野菜をうえることはあきらめたから、背が高くても、きれいな花も考えられる。
何年も大阪訪問で、雑草処理に苦労しているが、この方向での雑草処理に頭が回らなかったことが悔やまれる。家のメンテナンスや山歩きにのみ頭が向いて、雑草処理に頭が向かっていなかったためと思える。雑草処理に概ね3日は掛かっていたが、今回の訪問では、天気が悪く雑草処理に時間を使えなかったこともあるが、実際にすべきことがなく、せいぜい1日だけを使った。レンゲソウの効果は抜群だったのだ。
どうせなら、きれいな花も咲かせたい。じっくりと調べよう。
それに、レンゲソウのような一年草だと、翌年の草処理がまた大変だから、多年草を使うことでその手間を省くのもじゅうようだと思える。これを考慮して、植栽を考えよう。