2012年5月8日火曜日

インドぶらぶら独り旅 2011年10月2日~

中華航空のマイルが今年(2010年)年末で時間切れになる。そこでインド往復出来ないかと調べたが、一席も空いていないと出るばかり。多分、マイレージ用の席を持っていないのだろう。そこで、クアラルンプール往復で調べたが、常に、片道は満席と出る。仕方ないので、往路をビジネスクラスとした。が、台北で一泊は必要な便になる。マイレージ航空券は全くの無料ではなくて、ホテル代以外に6900円程度は掛かった。クアラルンプールで一泊として、AIRASIAでコルカタに行き(約9,000円)、ダージリン訪問後⇒バナラシ⇒AGRA⇒JAIPUR⇒JODHPUR⇒NEWDELHIと、前回のルートも再訪する。NEWDELHIからKUALALUMPUR(約15,500円)、次いで羽田までをAIRASIAとする。
日程は、2012年10月2日~10月23日とする。
AIRASIAのKUARALUMPUR⇒羽田(想定15,000円)はまだ発売でないので未購入だが、他の航空便は予約完了です。購入を終り約15,000円)
航空便を全て確保してから、旅の詳細予定とホテルの予約です。ダージリン以外は再訪問ですから余裕で楽しみです。
ただ最近の情報では、ネットでの鉄道予約が外国人には出来なくなっているとのことで、この点が心配です。
さてクアラルンプール⇒羽田ですが、12月17日にAIRASIAを覗くと、既に発売になっていました。で、10月23日のを早速購入しました。食事込みで520MYR=15,000円ですね。
従って、航空運賃は総額で47,900円です。
どうせの事だから工程や宿の手配を含めてシミュレーションをしてみます。

さてシミュレーションを開始しました。
10月2日台北に着き翌日発です。ビジネスクラスだからCHINAAIRのラウンジで夜を過ごせるかと調べたが、朝7時から11時頃まで開いていて、航空便の2時間前からしか使えないらしい。空港内TransitHotelは予約を受け付けない。空港近くの城市商旅は、最安値から2000円も高くないと予約出来ない。モーテルも探したが、公共交通が無い。ならいっそのことと、桃園駅近くのHuaYueHotel(花語ホテル)を朝食付2500円で予約した。行きはバスで60NT=180円、翌日は朝が早いのでTAXI=500NT=1500円となる
翌日はKUALALUNPURに昼ごろ着くので、バスで市内まで20RS=600円行き、アラマンダホテル1408円を予約した。台北もKLも先払いであった。
10月4日はAIRASIA LCCT発14:30発でKolkata15:50着となる。
Kolkata空港から市内へのバスは、DomesticTerminal前からEsperaned行きがあるらしい。若しくは、Jessore通りまで行けば、30BまたはL30Bのバスで20Rs程度でESPRANEDまで行けるようだ。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://www.kolkataweb.com/bus.php?srchtxt=Dum+AIRPORT
これらのバスは、Jessore通りからDamdamRoadを通過するから、地下鉄に乗りたければ、DamdamJunctionで地下鉄に乗換れば良い筈だ。
安くてSEALDER駅に近いホテルをいろいろ探したが、結局地球の歩き方で、AshreenGuestHouseにメールした。HPもあり対応は良いが、24時間前にReconfirmが必要である。500Rs(1000円)程度のA/C無しを予約した。
さて、10月6日からの列車予約だが、アメックスカードも用意してIRCTCでの予約万全の体制としていたのだが、IRCTCへのSigninで、メールアドレス変更をしたら、インド国内の携帯番号入力が必須となっていて、SignInnができなくなってしまった。どうやらIRSTSのsiteは基本、外人を排除する方針らしい。仕方なくClearTripのSiteからの予約となってしまった。このSiteでは、3カ月+2日前の予約しかできない。
が、Kolkata6日早朝、Sealdah発でNewjalpaiguriまで昼間特急で行き、NJの宿は前日でも電話でやるしかない。NJの北2KMほどのSiliguriにはホテルは多数あるようだが、NJ駅近辺北側には、HotelBreezeってホテルしかなさそう。
7日は、荷物をホテルに預けてDarjeelingに行くことにして、NewjalpaiguriからDarjeelingは購入画面になるが、購入しようとするとERRORになる。結局、NJからKursengまでは不通であろうと思われ、Kursengまではバスで行くことにして、Kurseng⇒Darjeelingを予約した。Kursengへのバスは、SiliguriJNのテムジンバスStation(TenzingNorgayBusStation)から出るらしい。このバスStationは、HillCartRoadってdarjeelingに向かう道路に隣接しているようだ。
Darjeelingでは、やはり地球の歩き方のPrestigeHotel(やはり500RS以下)に宿泊の予定だ。前日に電話予約だな。
8日は、TigerHillで早朝ヒマラヤ遠望に参加し、TigerHillへの途中でGuhmからKurseng(Kurseng⇒NJは不通の様子)まで列車予約しようとするが、ERRORを起こすので、DarjeelingからKursungを買った。要するに途中駅からは売りたくないらしい。
9日はNJからVARANASIへの昼間特急だが、VARANASI近くのMugahlSaraiへの列車が望ましいようだ。で、購入しようとするが、受け付けない。結局、その先のFatepurまでの切符を買えば受け付けることが判った途端に、あらゆる発注を受け付けなくなった。FATEPUR近辺で列車事故があって多数の死者が出たのだ。
だが、夕方にはSITEは復旧して切符は無事に買えた。かくして、10日早朝にVARANASIに着くことになった。(MugahlSaraiからVARANASIは列車もバスもある)
ところで、ここまで進んだ時に、VISAのacountを調べたら、NJからFATEPUR(841RSx1.8526=1,558円)が2回請求されていることが判った。クレームのメール入れると、翌日には修正されていた。この会社は動きが早いので感心したが、念のため、VBVパスワードは変更しておいた。なお、今のレート仲値は1インド ルピー (INR) = 1.7761 日本円 (JPY)です。とにかく、これでAGRAまでは到着です。宿は今、調査中。Agra からJaipurはバスの方が便が良いので、列車は予約しない。
JaipurからJodhpurも簡単に予約出来た。
ホテルはBANARSは駅周辺で格安ホテルは予約出来ないので、駅から電話になりそうだ。AGRAはAjayInternationalを500RS/夜、Jaipurは、StephelsGuestHouseを300rs/夜で予約した。Jaipurの住み心地良かったAryaNiwasは高くなっていたのであきらめた。
8月11日には、NewJalpaiguri、Darjeelingの宿、AgraからJaipurのバスを除いては、予約を終えた。
インドって実に予約手続きが容易な国だ。かように開かれた国は発展が期待できるだろう。僕が中国よりインドが好きな理由はここにある。後はVISAを取得すること、通貨をいくら要するか算出することかな。それと、AirAsia航空券を購入してからVISAを変えたことが大丈夫かチェックすることだ。
8月23日に東京VISA事務所に行った。入った入口の左側の片隅に発券機があり、これが受付表示されるようになっている。1時間以内には受け付けるが、申請書、裏にサインした写真、パスポートを渡すと、申請書をさっさと見て、写真も貼ってくれて、2135円出せ、と言い、領収書にサインを要求される。そのサインの様子をじっと見て、本人かどうかも確認している。で、「一度ですね?」と聞くので、何のこと判らず、「前に一度行ってますけど」って答えると、「それは判ってます。一度入るだけね?」と再度聞かれ、はいっと答えた。つまり、2カ月ルールの確認でした。これで終わりで、明日夕方5時から5時半に同じ窓口で引き渡しってことだ。(500円で郵送要請も出来るが)非常に効率的な事務所だが、出来れば、NET VISAにしてほしいものだ。で、翌24日の夕刻16:30に事務所に行くと、既に列が出来ていて、暑い中を列に並び、VISを得た。後は本論になる。
(本編)
予定通り完了した。が所要費用は予想以上に掛かった。
所要費用は、航空運賃 47,900円
インド鉄道費用    6,498円(ClearTrip)
お土産代       7,000円
宿泊バスリキシャ食費 26,700円(国内交通費も)
総計         88,098円
もう暑さで疲れて、値段交渉をあまりせんかった。が、交渉対象は26,700円だから、交渉してもたいして下がらんね。
今回、想定外の事態は下記の通り。
(1) 10月4日はインド東部は大祭りの最中で、どこの宿もいっぱいだった。ダージリンに電話したがどこもかも満杯。で、結局ダージリンには泊れなかった。それどころか、ダージリン鉄道のクルシャン発は15:00発以外は運休になっていた。だから、ダージリン鉄道はグームまで楽しんで、そこで降りて、帰りの乗り合いジープを捉まえて、NJPまで帰った。宿が無いのだからしゃあない。それに、ダージリンに向かっても夜になってるので眺望は期待できなかったろう。
(2)一般バスは、スイリグリからクルシャン、AGRAからスイカンドラー、それにAGRAからJAIPURに関しては全く問題なく把握できたが、VARANASIからサルナート間は探しまわったがみつからなかった。仕方なく、往復300RS(480円)で往復をオートリキシャと交渉して、巨大ないスツーパとアショカ王の石柱(プラフミー文字)を充分に満喫した。
(3)VARANASIとDELHIの水道水の水質は、いよいよ悪化して、風呂に入っても皮膚に油膜が出来て気分が悪くなった。人口はいよいよ増えて、道路状況は最悪になっている。
(4)今回は各列車共に簡単にプラットホームの変更が生じると言うか、始発駅でも直前に決まるってパターンで緊張のしっぱなしだった。

他方、良かった点と言えば、
(1)現地食堂で食べる段取りは楽にできるようになった。
が、マサーラ風味には直ぐに飽きてしまい、食欲が進まなかった。結局体重は3KGも減ってしまった。結局、こんな時は、オムレツが最も体が受け付ける。
(2)KualaLumpurの空港⇔プドラヤ間バスの便利さを充分に活用できた。今後に有効な技術だ。
(3)DELHIの地下鉄に慣れた。特に空港線の便利さ、素晴らしさには驚いた。NewDelhi駅の状況も充分に把握できた。
(4)クトウブ・ミナールには地下鉄と徒歩で簡単に行けることが判った。

10月2日、中華航空のラウンジで食事をしようと朝食抜きで家を出て、フライト2時間前には成田空港に着いた。中華航空ではWEB-CHECK IN をしようとしたのだが、24時間前から可能なものの、台北での乗り継ぎ便も一緒にその制限時間内でのチェクインになる。台北発は翌日ってことは、つまり、その制約では、WEB CHECK INは出来ず、結局、空港でのチェックインになってしまった。荷物はスルーでKLAIまで、と、ラウンジの案内書もくれた。今回のKLIAまでの飛行はマイレージで、往復買えるだけのマイレージはあったが、何故か、往復は買えず、使わないとマイレージの時間切れになるので、片道でビジネスクラスを取った。ビジネスクラスとなると客あしらいが全く違うのだ。台北空港はターミナル2に到着し、極めて順調に空港アライバルHALLに出て、3000円を1,134NT(内手数料30NT)つまり、手数料を除き1NT=2.72NTに交換したが、バス乗り場を探すのに手間取って1台乗り遅れた。桃園駅へは1時間に一本なのだ。切符は車内販売で、53NTだった。
桃園へのバス乗り場は、第2ターミナルではHALLに出て左に行き、先ず、そこで銀行とATMがあるので金を準備してそのまま建物の端まで行き、建物の中を裏手に向かう通路があり、そのまま外に出て、左にちょっと行くと、桃園行きのバス5059と書かれた停留所だ。ここを出たバスは次いで第一ターミナルに向かう、T1ではバス停は、建物の、向かって左端の乗り場7番だった。バスは1時間ほどで、ホテルの有る復興路と直行する民生路をそのまま50mほど進み、そこがバスの終点となっている。駅に行くには復興路側へと戻り、その手前の路を左にずっと進めば、駅前の広いロータリーへと達する。空港へのバスの停留所は良く判らんのだが、駅へと曲がった所をそのまま真っ直ぐ復興路まで行き、左に曲がって暫く行くと四つ角(それは駅前筋にはまだ至る前の)があり、これを越えた所に、今日飯店って停留所があり、ここに時刻表を提示していた。これによると、ネットに書かれているより早い空港行きバス、つまり早朝便でも間に合うバスがあるようだ。
宿は復興路を東に500m程度進み、高速の高架の所まで来ると、花語旅館って看板が見えた。途中に7-11もあるので日本と同様に暮らせそうだ。それと、ここに至るまでに良友HOTELって宿があって、ここは花語旅館より良さそうだ。なお、花語旅館は広さ清潔度共に、その値段の30.56ドル(2,500円)に対してはなかなかのものだ。空港までのバス代金53NT、翌日のTAXI代金500NT程度を含めても空港近辺で宿泊するよりは安かっただろう。おまけに桃園近辺の観光まで出来たのだから最高だった。ただ、旅館のTVで壮絶なるAVビデオが放映されているのにはまいった。翌日の出発は昨日とは違ってターミナル1であった。すべてが順調でKLIA着は3日昼過ぎであった。PUDRAYAU行きBUS乗り場を探すのに苦労した。結論的に言うと、KLIAの2階、ターミナル正面向かって左の方、つまりArrivalHallに出て2階に下りて建物の右の方(正面から向かって左)に、小さなバスターミナルと結ぶ陸橋がある。此処を渡り地上に降りて最奥に切符売り場があった。プドラヤバスステーションと言って、切符を買い、どのホーム?って聞くと、Platform1だと言う。そこのバスに乗ってから切符を見ると、KLセントラル10MYRって書いてあった。バスの窓から3番乗り場を見ると、プドラヤ行きのStarSyuttleのバスが入線してきた。切符売り場のおばさんは、StarShuttleの切符を売りたくないのだろうか?と思ったが、後で気付いた。その切符売り場では、Starshuttleの切符を売っていないようだ。StarShuttleの切符は車内で買えばよいのだ。
とにかくそんな事情でプドラヤには行けず、KLセントラルに行くことになってしまった。KLセントラルでLTRに乗換えて、パサールスニで降りたが凄いスコールになった。暫く待ったが止みそうにもないので、ポンチョとか荷物カバーをして中華街のアラマンダってホテルに向かった。ホテルは直ぐにわかり部屋に入った。ここは狭く特にトイレはシャワーをすればトイレにも水が降りしきるって代物だったが、1500円ではこの程度だろうと、帰りの時の予約も済ませた。それでも、ここまではクーラー付だが、インドは全てクーラー無しだ。どうなることかと思うが、インドの場合は、クーラー有りはクーラー無しの二倍になるので、仕方が無い。
KLチャイナ街での食事はフードコーナーで済ませた。
翌日は前日に調べておいたStarShuttle乗り場に向かい、途中のフードコーナで朝食を済ませて、暫く待って来たStarShuttleに乗り簡単にLCCTに着いた。KLセントラルの騒々しさは全く無く、乗客が少なく便利なこの便の存続を願うばかりだ。
LCCTは初めてだが、その賑わいには驚いた。といって、混乱状態ではなく全てがうまく管理されている。ここで夜を過ごすのもひとつの方法かもしれない。と言うことで、カルカッタ便には簡単に乗れた。なお、見る限りではKOLKATA便のAirAsiaのビジネスクラスは余りメリットの無さそうに思えた。機内ではメニューを見て簡単に食事を頼めるので、Airasia利用は何ら心配の無いことに思えた。
かくして10月4日にコルカタ入りを果たし、22日にデリー空港を出るまで、インドの地べたを這い回ったのだが、今回の旅で、インドで生きて行く術を掴み取った気がする。とともにインドの凄さも感じ取れたと思う。余りにも書くべきことが多すぎて、どう書けば良いのか混乱だ。
KOLKATA国際空港はしょぼくれた空港だ。元々は3時半ごろに着く筈がAIRASIAが勝手に1時間以上遅らせたので、夕方5時に着き、ArrivalHallに出てATMを探したが無い。外に出て聞くと、出口左側にあるとのことで、確かに外にあった。外はもう夕暮れであった。3000RSをキャッシング(交換率1.5644で、4693円 金利1.7%=83円 手数料105円で、合計4%だから、最近になって必要になった「海外でのATM利用料」はかなり痛いのだ
市内ESPRANADE行き市バスは、空港に平行して走る道路に出ても有るが、国内ターミナルの前からもでるとのことなので、そのまま、左の遠くの国内空港をめざした。国内空港の前を通り過ぎた辺りにバスがたむろする所があり、そこで、来るバス来るバスに行き先を聞いたが、結局、30分以上も経って、オレンジ色のバスが来た。それがEsperanade行きのバスだった。外はもう真っ暗。
バスが出発したのだが、KOLKATAの街はイルミネーションだらけで、どこもかも人だらけ。どうやら祭りの最中に来てしまったようだ。道路と歩道は太い丸太で仕切られ、その歩道側を人が押し合いへしあいで祭りのある広場の方へ移動している。その様に驚いたが、それでも何とかEspranedeにたどりつき、バスを降りて道なりに真っ直ぐ行き、道を聞き聞きSadarStreetのAfridInternationalGuestHouseにたどりついた。で、予約はしていたが、受付は、Singleはもういっぱいだと言う。予約していた500RS NON A/Cの部屋は、祭りでいっぱいだ。あんたは3人部屋しかない、値段は840RSだと言う。遅いのでどうしようもなく3人部屋に1人で泊まることにした。後で考えると、他の人とShear出来たのだろうが、他人と一緒の部屋は窮屈だから、Shearする気にはならない。だが、翌日は朝早くから徒歩で、宿からsealdha駅それからMG-roadとぐるっと回ってホテルを探し回った。早朝の歩道には新聞紙やダンボールを敷き横になっている人々、家族が無数に居た。この苦労にも拘わらず、ホテルは、満杯若しくは、外人を泊める許可は無い、とか一泊1300RSだとか、要するに僕に取って適切なホテルは無かった。再び、ホテルに戻ると、受付前のロビーには、日本人女性も含めて何人もが部屋の空くのを待っている風情であった。こりゃいかん、と当日の宿泊をリコンファームした。気温はとても高く、朝の行動で疲れ切ってしまった。そのため、午後は、ゆっくりとSadarStreet周辺を歩くにとどめた。歩いている途上で、変な若者がくらいついてきて、ドラッグはどうか?って言うので、勿論断り続けた。NETCAFEを探してると言うと、連れて行き、終わった頃に来ると去ったので、早めに切り上げてこいつを振り切った。
STDを探し回り、翌日のNewJalpaiguri(NJP)と翌々日のダージリングのホテルに電話したが、ダージリンのホテルは満杯で予約をできなかった。祭りの影響である。
翌日は6:35発なので、5時には宿を出てオートリキシャを捕まえた。Sealda駅まで150RSの言い値どおりで乗った。駅はイルミネーションで彩られていた。以下、大要。
NJP行きの急行乗り場を聞き回るが、はっきりしない。最初は8番で、次いで9Aか9B、最後には9番との情報で、どうやら、到着列車の都合で、どんどんとホームが変わって行くのだ。9番ホームはローマのレオナルドダビンチ号のホームのようにかなり前方にあった。かくして、とにかく思い通りにインドの風景を満喫しながらの旅となった。パンとかバナナとか列車内での食事の用意はしていたが、車内販売が充実しているので、その必要はなかった。車内販売は先ず注文を受けて、どこか途中駅で受注分を積み込み、これを発注者に配布して、食べ終わった頃に金を受け取りに来るとのシステムになっている。車内販売者が大勢居るので、売り子の顔を忘れないようにすることが重要だ。
それと今回の旅で気付いたが、列車の車内販売は極めて利用価値が高いこと、駅のレストランもまた利用価値が高く、それに、ミネラルウオーター(1L13RS)やビスケット(一袋10RS)、等も、ぼらない価格で販売されている。但しミネラルウオーターは、COLDは買わない方が良い。シールがはがれているのが気になる。駅レストランでは、BreadAndEgg特にオムレツは当たり外れが少なく、なければ、インド食でもまぁまぁの味だ(大体80RS)。また、駅のUpperClassWaitingRoomは非常に使い勝手が良い。インド人はここのトイレをシャワー室に使っているぐらいだから、水に濡れてはいるが清潔である。
これらを知っておけば、大体の生活には不自由しないことになる。残念ながら果物は売っていないので、路上で買う必要がある(バナナ5本で15RS)が、連中は、出来るだけ腐る直前のを売り払おうとするので、絶対に気を抜いて買い物をしてはならない。一個一個確認して買わねばならない。腹の調子が悪い時はリンゴは最適なのだが、残念ながらリンゴはとても高い(1個30RS以上)。
道脇のチャイ店での一杯5RS(7円)は実に心穏やかになるものだ。ついでにクッキーで朝食を済ますこともできる。
NJPはだだっぴろい駅で、北側がMaintownで、陸橋が一条は北から南まで、他方は駅プラットホーム上と駅の北側を結んでいる。駅の北側には大きな駐車場があり、多くのダージリン行JEEPがたむろしている。広場の東側にはバススタンドがあり、中にはダージリン行きもあるが朝一便しか無いらしい。ダージリン行きバスは、町の更に北のSiliguriJunction駅西側、HillCartRoadわきの、テムジンBusStand(クルシャンまで50rs)から出発する。NJPからのジープはギュウ詰めの乗り合いで、ダージリンまで登り250RS下り150RSらしい。
立派な線路はSIRIGURIまで続き、SiriguriJunctionの駅も立派なのだが、列車は不通になっている。SiriguriJunctionからDarhjiringまでは、例のToyTrainの線路が、HillCoatRoadに沿って走っているが、今はKursengまでは不通になっている。
駐車場の向う側にマーケットがあり、その西側に線路に平行の道路につながる道がある。道に出て左(西)に向かうと、銅像の立つロータリーがありこれを北に100m行くとホテルが何軒かあり、その一つが僕の泊まるHotelBreeze(一泊500RS)があった。ここからもダージリンに電話したが、ホテルはやはり満杯で有った。ダージリンはあきらめて、クルシャンからグームまでのToyTrainに乗り、再び、ホテルに戻ることとした。
翌日、ホテルの前辺りに何人か居るので、SiriguriJunctionまでのBUSを聞いたら、ここで待てってことで、一緒に乗った。待っているとオートリキシャの後部が何人か乗れる車が来て相乗り小型バスになっている。インドは前回と違って相乗りが主体になっているようだ。これは、Delhiでもその傾向があった。Siriguriまでいくらか?って相乗りの人に聞くと、さぁ~?15か20かなって言うので、降りるときに20RSを運転手に手渡した。SiriguriJunction駅の東側を道路が走り、テムジンBusTerminalは駅と道路の間にある。切符売り場を探してクルシャンまでの切符を買い、バス乗り場を聞くとあっちのほう、と言うので探していると、BUSの車掌が呼びに来て、BUSは道路の方に居た。7:20に出発し、BUSは一路ToyTrainの線路に沿って北上した。が、途中で線路とは別れ、クルシャンで再び線路と出会うようになっている。クルシャンには10:30には着き、列車の時間は13:35の筈と、先ずは駅員に聞くと、本日の列車は15:00発以外はキャンセルされたとのことであった。15:00発に乗るとDarjiringには3時間は掛るので帰れなくなってしまう。で、GHOOMまで行って戻ることにした。15:00に出た列車は、道路に沿ってゆっくりと走り、子供たちが飛び乗りを楽しんだり、途中で車両の調子が悪くなって停車したりと楽しい旅であった。帰りのバスを探してGHOOMでうろうろしたが、結局、Darjiringから帰路のジープで空いているのを捕まえるだけのことであった。ぎゅうずめに更にぎゅうずめで、漸くSiriguriJunctionに着いていくらかと聞いたら230RSだと言う。250払ったら釣りをくれなかった。オートリキシャを捕まえてNJPまでと言うと80RSだと言う。これだけで、100RS(160円)はぼられてしまった。
以後は、前回のインド旅行と同じルートだったので要点だけを記載する。

① Banarasiでは、早朝にMugahrSarai駅に着いた。列車でBanarasiに行こうと試みたが、どれに乗ったら良いか結局わからなかった。駅員室が北側ホールにあるのではなく、ホーム②の方にあったから、そこに行きべきだったかも。
② で、夜が明けてから150RSでBanarasiまでと、オートリキシャに乗った。宿は駅の南側、道路向うの路地に入った、HotelPlazaInn 600RSであった。悪くはない。
③ サルナートへのバスを探し回ったが、結局見つからず、オートリキシャを往復300RSで雇った。
④ 宿から歩いてAssiGahtまで行き、川に沿ってゴードリヤへ、そこから100RSで宿まで戻った。
⑤ インドはいよいよ人口が増加して、人のみではなく、道路にはリキシャやオートリキシャ、車が間断なく走っている。その隙間を縫って横断することに慣れた。それも、スーツケースを引きずりながらである。たいしたものだ。
⑥ AGRAではAjayinternational に500RSにて宿泊。自転車は宿泊者に貸せなくなっていたので、徒歩で、タージマハール、RedFortを歩き回った。
⑦ イドガーBussCenterに行き、ここから、ファーテーブルスイークリまで、片道27RSで往復した。
⑧ さくらホテル前からJaipurまでバスで行く。バスはCentralBusstandではなくアジメール門近くの空港Busstandにとまった。HotelはStephels guesthouse 300RS
⑨ 宿からチャンドポール門を経て旧市街をまっすぐに突っ切り、ガルタの丘に登り、帰りはミニバスで街の中央まで戻り、そこから歩いて戻った。食事はできるだけAryaホテルのレストランに通った。
⑩ Jodhpurの砦はやはり素晴らしかった。ここを観光中に、NJPからBANARASIまで列車で一緒だった家族を遭遇した。愉快な出来事だ。宿はHillviewGuestHouseで、別棟300RS。
⑪ JodhpurからDelhiの列車で、台湾系米国人と出会い、あれこれと愉快に話し合った。
Delhiは、CottagaeGanngainnで800rs
⑫ Delhiでは地下鉄を多いに利用した。ただ、NewDelhi駅の通過が検査で大変になっていた。が、エスカレータが導入されているのには驚いた。QtobMinarにも地下鉄と徒歩で行った。
⑬帰りは再びKualaLumpurでTransitを楽しんだ。Pudrayaへのバスも手慣れたものになった。
⑭羽田着が遅れ、空港の椅子で一泊を過ごした。

ホタル観察とアンコールワット周遊、よたよた旅行 2011年1月21日~

(まえおき)
突然、ホタルを見に行こうってことになった。
マレーシャの河に沿ってのクリスマスツリーのようなホタルです。
調べると、クアラルンプルの北部近郊のクアラスランゴールだ。
ついでに、カンボジャのアンコールワットも訪問することにした。義理の姉にも、どうか?って聞くと、行くって答えたので、奥さんと合わせて3人の旅行となった。
時期を2011年2月としたが、YAHOOの安売り航空券は、まだ1月分までしか発売しておらず、海外期間12日となると、ベトナム航空の41,000円が最安値だった。で、accord international とflex internationalに見積もりを依頼した。accodは初めての接触だ。accordから直ぐに返信があり、諸経費込みで56,000円/1人だが、2月初旬だと帰国便がキャンセル待ちとのことだった。1月21日発はどうか、って返信すると、往復とも席ありとのことで、直ぐに発注して予約金20,000円/1人を入金した。これらの連絡、作業を終えた頃に、flex internationalから「ご指定の便では席がありません」って連絡が来た。彼らの間には何らかの連絡があるのだろうか?永遠の謎ですね。
なお、発注の前に、マレーシャ航空のKUALALUNPUR⇔カンボジャSIEMREAPを、ネットで801MYR=24,000円/1人で発注した。
アンコールワットの拠点都市は、SIEMREAPで、KUAKALUMPURから、ここへの直行便を選んだのだ。
で、合計80,000円/往復となった。この価格ってどうなんだろ?よく判らん。
発注した翌日にRAJの破産が報道された。RAJは一度使ったことがあり、対応の良い会社だった。とても残念なことだが、今はそれどころではない。
直ぐに、accordに「残金納入すれば、即発券はできるか」って問い合わせたら翌日10時に、「航空会社で発券コード発行の準備ができていれば発券できる」ってことで、発券できるなら直ぐに入金するって答えた。直ぐに「発券可」って来たので、昼までに入金すると、夕方には発券された。
で、後顧の憂いなく、旅の計画に没頭できることになった。
今回判ったのだが、今までの格安航空券購入では、パスポート情報が必ず要求されたが、accordではこの要求が無かった。で、「パスポート情報の連絡は不要か?」って聞くと、旅行上のパスポートやビザ条件は顧客自身で確認くださいってことで、つまり、航空券発券ではパスポート情報は不要ってことなのだ。
結局、accordの言う通り、パスポート情報無しで発券はなされ、しかも、ベトナム航空のE-ticketって、今までの他社E-TICKETよりも、遥かに顧客に便利な様式であった。これって凄いよね。
てなことで、一応、KUALALUMPUR、SIAMREAP、それに、ホタルの拠点都市KUALASELANGORのホテル調査までを終えて、後は、オーストラリアから帰国後とします。まぁとにかく、1月末は避寒旅行できることになった。

さて、豪州旅行を無事に終えて、それも英語のNative国での英語旅行で、会話能力が錆付いたのか、殆ど英語は通じなかったが、それでも着々と旅を終えて自信を持ったのだから、とマレーシャ旅行の計画再開となった。
旅程は、1月21日Kualalumpur到着後翌日22日、23日はKualaslengorに宿泊し、ホタルと自然公園を楽しむ。宿泊場所を調べたが、Kualaslengorには、まともな宿泊設備は、De Palma Inn Kuala SelangorかFireflyresortの2か所(男同士だともっと安いとこがある)しかない。簡単に予約出来るのはFireflyresortであった。シャレー(4人用)宿泊で朝食付、230MR=7,200円/泊
24日は再びKualalumpurで25日はアンコールワットのあるSiemreapに行く。29日チェックアウトまでの4泊は、Tripadviserの3星で、安くて評判を見て、Kazna Hotelを$26.5/部屋を2部屋4日間を予約した。
そうだ肝心のKualalumpurは、CitinHotelPuduを、やはりTripAdviserを元に、117.5MR/部屋・泊(3500円)で予約した。
足と寝所で、予約できるものは全て完了した。
後は、現地ツアーをどうするか、で、ゆっくりと考える。

ここのシンバさんの旅行記でタケオGHの存在を知った。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://4travel.jp/traveler/sinnba/album/10389899/
そこのタケオNO.2はうちの奥さんも泊れそうなレベルのようなので、ホテル変更も前提にコンタクトしたが、ラチャナさんって人から見事な日本語で「NO.2は満室」って返事が来た。後で判ったが、ラチャナさんって、20代の優しいがしっかりした女性なのだ。出張がかなりあるようで返信が遅れることがある。
結果としてはKAZNA HOTELが、予想以上に良かったのでホテル変更しなくて良かった。それと、どうやらホテルNo2は人手が足りなくて稼働していないとの情報もあったし。
が、そこのHPに種々ツアーがあって、特にガイド付ならタケオオプションツアー、安くて良いなら車チャーター(ツクツクは2人乗りまでだろう。それにうちの奥さんや義理の姉も一緒では・・・)がいいと、それに、ガイドブックも調べて、以下で発注した。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://angkor.main.jp/takeo/index.html

●RT-2 +タケオ、タプローム、バンテアイクデイ、スラスラン、プラサットクラバン(日本語ガイド付で出来るだけアンコールワットを知る) 70ドル
●Camry1日チャーター(運転手のみ) コーケー遺跡群 (時間あればベンメリア遺跡) 85ドル
●Camry1日チャーター(運転手のみ)朝日鑑賞 Dコース+Bコース+(プノンクロム)トンレサップ湖 80ドル
  D=クバルスピアン、バンテアイスレイ、バンテアイサムレ(地雷博物館は行かない)
  B=大回りコースのプリアカン、ニャックポアン、タ ソム、プレループ
●空港まで車で 5ドル
●総額、235ドルか・・・豪州に比べると安いもんだ。なお、ドルで使い残したT/Cで支払出来るかって問い合わせると、円、ドルで支払できる。T/Cの場合は、手数料3%だって返信が来た。それなら、円で持って行くのが最も有利ってことですね。それと、多分、VISAでのキャッシングが有利なのは当然のことだけど・・・。
昼食は、どうするか現地で相談して決めることにした。結果としては、おいしいレストランはガイドなり運転者が全て知っていた。
かような経過で、本件、計画は完了です。
が、いつものことだが、完全ってことはなかった。
2011年1月になって、KualalumpurのCitinHotelPuduは、booking.comで予約したのだが、ホテル独自のHPを発見し調べると、booking.comよりかなり安いのだ。それと、タケオにRECONFIRMしてもなかなか返事が返ってこない。しかも、その頃、7月末のカムチャッカの件でも懸案事項があり、ちょっとつらい事情が続いた。
だが、問題は順次解決するしか方法は無い。
先ず、booking.comは、キャンセルは前日まで可能だから、CitinHotelPuduのHPで予約して、booking.comをキャンセルした。ただ、予約が遅い分は部屋が悪くなる可能性もある。単独であれば、それもいいのだが、女2人連れなので、それではまずい。そこで、ほぼ同じ金額となるが、部屋のランクを一つ上げて予約した。この経験からすると、予約サイトでの予約は、予約してからもときどき調べることが必要なのだろう。
タケオのRECONFIRMは、もう返信が無ければ、他をあたろう、と決心した頃に、無事返信があった。我々は小型車一台の貸切で予約したので、少々高めのツアーになっている。が、相乗りツアーに比べて稼働効率が悪いとか、運転手が見つからないとかのトラブルだろうかと多いに心配したのだ。が、先に書いたようにラチャナさんが出張で居なかっただけなのだ。
カムチャッカの方は、手配がかなり高度なテクニックが必要で、心配の種ばっかりだったが、1月半ばにはロシア大使館員からのメールももらって、ほぼ解決となった。本件は、別途、行ってきま~すに投稿する。

カンボジャは、Eチケットを得ておいた。空港で取得すれば$20で取れるのだが、3人分を自分で書かねばならないので疲れる。それなれば先に取っておこうと考えたのだ。
無事旅を終えたが、所要費用は、140,000円/1人程度であった。
航空券の全てを予約してから、AIRASIAの就航が決まった。AIRASIAであれば、promo価格で60,000円程度になり、キャンペーン価格であれば更に安くなっただろう。
それに、この航路はベトナム航空とJALの共同運航で、ツアー客優先があからさまな席選択であった。更に座席は日系航空機並みに狭く、しかも、人間工学的に最低の設計となっている。であるからして、もうベトナム航空は使わないだろう。
それと、ルートそのものが非常に変なルートになってしまった。もっと経済的なルート選択があったに違いない。
いつも、勉強代を払っているのだが、失敗の種は尽きないようだ。

(本論)
今回は航空便選択が大失敗だった。代理店アコードはしっかりした会社であったが、発注後、成田10:30発って良好な条件が、変更で9:30になり、乗換ホーチミン発は遅れて、トランジットは3時間になってしまった。席指定はチェックイン時ってことで、出来るだけ早く空港に行かねばならない。4時に起きて、7時に空港に着くと、既にベトナム人が10人以上は並んでいた。が、席の要求は聞くまでもなく既に席は決まっていた。なら、最初からそう言ってくれりゃいいじゃないの?
席は、中央部で、どうやらツアー客優先の配置であった。ベトナム人も僕より早くから並んだ甲斐はなかった。しかも、この便はJALとの共同運航で、機体はJALの使い古しらしく、席は狭い。何度も書くが、JALのエコノミー座席は、背中が丸まっていて、後頭部で突きでている。何故このような設計をしているのかわけわからんで、長時間飛行は地獄である。この経験から再確認したが、個人旅行者はJAL・ANAに加えて、その共同運航会社は、ツアー優先、座席狭いってことで、あきまへん。しかも、かなり早くから切符を買っているのに、この有様ですわ。
座席指定をさせてくれないことには問題がもう一点ある。席の決定に、チェックインの時の受付者の裁量が入ることだ。時に、座席券を2回出して、前のを破棄している状況に出会うことがあるが、これは、受付員が何か良からぬことをしている可能性がある。
まぁとにかく、これならAIRASIAの方が、金は安い、座席指定は出来るのだから、わざわざ高い便に乗ること、ないじゃん、である。JAL・ANA・その共同運航便は、ツアー旅行者に任せておきましょうね。

ホーチミン、クアラルンプール間は、外国仕様で席は広く、乗客は行きも帰りもがらがらであった。僕がJALの担当者なら、この便を有効に使ってツアー組むけどね。

話を戻して、KualaLumpurには定時21日19:20着である。サブターミナル(GATE C)に着いたので、メインターミナルとはTRAINが接続しているが、今は改修工事で、C5辺りからバスを運航している。C5の方に歩いて行くのだが、ここは、到着客も出発客も区別無くうろうろしているのが気になった。でも考えたらアムステルダムでも同じではあった。ゲートC5の近くにCITY bankと、そのATMがあったので、ATMで1000RM(交換率27.071で、27,071円)をキャッシングした。帰国前にもキャッシングしたが、結局、ここでの交換率が最も良かった。
ここのATMは、WITHDRAWを選択してから、VISAを選ぶって変則なのでちょっと戸惑ってしまう。例え、成功しても、途中であきらめても、初期画面に戻るまで待ってからATMから離れるってことを原則にしましょう。
バスでメインターミナルに行き、イミグレも簡単に終り、荷物を取りに行くと、僕たちの荷物だけが残っていた。出口側に進むと、AIRPORT-TAXIの窓口があり、ここでホテル名を言ってTAXI券を買ったが、我々の荷物を見た係員は、BUGET TYPEは駄目って言って、PRIME TYPEの切符を渡した。105MRであった。乗り場番号を言うので、そこに行くとさっと車が近付き、ホテル名を言うと、運転者はうなずき出発した。素晴らしい近未来風景の中を車はぶっとんで行った。
ホテルは、PlazaRakyat駅の北側で、バスステーションの北側道路の北側にあるが、バスステーションは改修最中で中を通過できず、駅から西にぐるっと遠回りして行かねばならない。ホテルの前から、道路に沿って西に進み、LRTの下を通りチャイナタウンを過ぎれば、PasaarSuni駅の北側の高架下に至る。そこで右側にCentralMarcketがあり、ここで土産とか食事も出来る。CentralMarcketの北側にHSBC銀行が有り、この北側の通りに、NO141(KualaSelangor行き)のバス停留所があり、頻度多くバスは出発している。Selanborまで7.3RMである。ホテルのTourDeskに聞くと、ホテルの前を道路に沿って東に行き、SwissGuestHousuを過ぎた所で、道路を渡り、南に進みIPK(警察)の南側でSelangorに行くバスがあるとのことだが、僕には探し切れなかった。
ホテルは質の劣る日本のビジネスホテル並みで、レストランは安くは無い。
翌日22日は、TourDeskで教えられたバスストップに行ったものの、KualaSelangor行きバスの捜索に失敗して、そこからTAXIでPasaarSuni駅の北側まで行ったが、CetralMaecketの東側道路が封鎖中で、更に東の道路を大迂回して、Selangor行きバスを探しまわった。周辺にはバスストップがいっぱいあった。結局、CenterMarcketの中を通過して行けば良かったのだ。料金は7.3MRで、バスは近代的な街中を、次いで、活気ある街中を、後は、延々たるヤシ畑の中をほぼ2時間ほど走り、終点の、KualaSelangor街外れの新バスステーションに至る。バスを降りるとTAXIがたむろしている所に行き、FireFlyResortまでいくらだ?と聞くと15MRと答えたのでそのまま乗り込んだ。車は、頂上に大きなテレビ塔が立つムラワティ丘を正面に北上し、すぐ近くのKuakaSelangor市内に入り、そこで右折してSelangor河を越え、かなり走ってから、南へと下りFireFlyResortに着いた。No.141バス乗り場を探す苦労を覗いては極めて順調に目的地に着いたのだ。
なお、バスの乗車券は、車掌に支払うのと、ワンマンバスで乗車口で買うのと2方式がある。ワンマンの場合には、運転手の所業チェック要員が、ランダムに乗り込んできて、あたかも車掌のように入口に居るのだが、一切仕事はしないで、運転手と馬鹿話に耽っている。運転者が携帯しながら運転してもおとがめは無い。多分、金銭的なチェックが主なのであろう。
宿泊するFireflyResortは、河を背にした敷地で、道路側には事務所、それに船乗り場や宿泊施設への入口があり、右横にはレストランがあり、前には広場がある、広場の向かいには、現地人用の食堂がある。レストランは平日は夕方から開くので昼食は食堂で食べねばならない。チャーハンを食べたが、味は良かった。レストランも20RMから30RM程度までの3種のセット料理があり、これもなかなかの味だった。
事務所の左の入口を入り、直ぐに左手に入ると、2部屋シャーレが8棟ほどが池の上に建っている宿泊設備がある。住み心地はとても良く、小鳥や猿が周辺に住んでいる。入口からまっすぐに30mも歩くと、浮橋式JETYに達して、ここがホタル観察船への乗り場だ。昼間は浮橋根元から水面は3m以上も下になっているが、夜になると水位はあがり、その辺りじゅうが水で覆われ、宿泊設備の池は河と繋がることになる。水はJYETYから見ると右が河下なのだが、夜には上げ潮で水は上流側にかなりの勢いで流れ、これは、とても奇妙な光景となる。
夜7時半過ぎにJYETYから20人程度の電動モーター船が次々と発進する。ホタルはJYETY近傍から木に群がっている。河に沿って決まった灌木状のマングローブに群がり、日本のホタルより小型で点滅が早く、まるでクリスマスツリーの如くに輝いている。
朝食は、現地食、オムレツ、卵焼き、ジャムブレッドの選択で、オムレツと卵焼きがお薦めで、とてもおいしい。
朝食後に、TAXI呼んで、と昨日の運転手のメモ渡したが、別の運転手がきた。頼んだ相手に{なぜ?」と聞いたら、「メモの人は忙しかった」と当然、嘘の弁解だが、新しい運転手も人の良さそうなおじさんだった。ムラワティ-まで、片道15MRって、多分連中には良い値段だが、僕らには破格に安い値段だった。ムラワティに着き、入口で入場料と乗り物の値段をを聞くと、中途半端で安い値段なので、小銭がなく、歩いて登ればいくらか?って聞いたら、FREEだって答えた。ただの丘だからと歩いて登った。途中毒の入った井戸とか、博物館があったりして、山頂には灯台があり、顔は黒く性格の大人しい猿が多数居た。山頂から少し降りると、日本猿の小型のが居て、これは性格がちよっと悪そうだ。頂上からはマラッカ海峡が遠望できて、山の周囲は、どこまでも続くマングローブ林である。丘を降りて、丘入口の所で丘に沿って右の方に行くと自然公園がある。切符売り場でいろいろと説明してくれるが、入口から500m程度は蚊が多数とのことで、網を頭から被り、体に虫よけ剤を塗布した。なお、この網は、ジョイフルホンダで1m200円で買って、頭から被れるように、先ずホッチキスで止めてからタコ糸で縫い上げたものだ。自然公園主要部には大きな池があって、その周囲を観察路が続いていて、周囲は広大なマングローブ林である。一部にマングローブ林の中を周回出来る桟橋がある。桟橋から覗くと色鮮やかな種種色の鮮やかな蟹や、大きなムツゴロウが這いまわっている。
疲れて入口の戻ると、朝のTAXI運転者が待っていた。KualaSelangorはかなり面白そうな街であったが、歩き疲れていたので、そのままRESORTに戻ることにした。車の中で思い出したのだが、ホタルはRESORTと、もう一か所KampongBukitBelimbingでも見られるのだ。そこで運転手に聞くと、とても遠い、80RM程度だ、と言うので60RMだと言うと、ちょっと考えて、はっと気付いたように60RMで良いと言った。後で判ったが、そこに行くには、本道であれば、いったんKualaSelangorまで行き、そこからKualaLumpurへと戻る途上にある。だが、河に沿ってKualaLumpurの方向に向かい、違う橋で河を渡ればかなりの近道になるのだ。そのことに気づいて彼は突然OKをしたわけだ。
夕方になり、FireResortでホタル観察に訪れる人の流れとは逆に、我々はResortを出た。かなりの距離を走行して、目的地に着いた。7時15分頃でまだ明るく、切符売り場は開いていなかった。客は、それも日本人のツアー客が次々と訪れて、JETY前は長い行列になり、漸く切符売り場が開いて切符を買うことができた。船はヴェニスと同様に船頭が立ってこぐ方式で4人乗りだから、あまり客数がはけず、行列はどんどんと増えていった。河は、逆流が激しく、船頭はかなり重労働である。が、ていねいな漕ぎかたで静かに川岸の、クリスマスツリーのように輝く木々に沿って、逆流の流れとは逆に下流側に下り、反対側の川岸に移り上流側のJYETYへと戻って行く。景観は、FIRERESORTよりは広々として、それに、ホタルの好むマングローブが多く、ホタルも多かった。JETYに戻ると日本人客はほぼ終わり、白人ツアーが長い列を作っていた。ってことで、ホタル観察の主要2か所を制覇して、居心地良いresort宿泊施設でぐっすりと休んだ。
翌日は、頼んでおいたその運ちゃんが9時半に着て、我々をKualaSelangorの新バスターミナルまで運んでくれた。No.141のバスは既に所定の位置に居て、ほどなく乗客の乗車が始まり、直ぐに出発した。ワンマンバスなので乗る時に、CentralMarcketにて降ろしてくれと頼んでおいたが、結局、頼むまでもなく、行きに乗って忘れられそうも無い銀行前のバス停にドカっと停車した。CentralMarchetで昼食を取り、再び、CitinHotelに戻った。HOTELのTOURDISKで翌日の空港へのTAXIを頼むと95MRであった。
翌日はゆっくりと起きて、チェックアウトし、全荷物を持って空港に向かった。TAXIはマイクロバスサイズで快適な旅であった。出発GATEはMAINターミナルで、マレーシャ航空のSiemreap(シャムを追い出すって意味)便はほぼ満席であった。Siemreap空港はなかなか感じの良い空港であったが、機内で渡された入国カードを出すと、その書類は古いタイプだと言われ書き直しを要求された。で、E-VISAも用意して万全の態勢で臨んでもこんな結果になってしまうのだ。しかも、書き直しが我々だけであったことが極めて遺憾であった。多分、ツアーで無いことが影響したものと思える。かなりの無駄時間を費して荷取り場に行くと、もう我々の荷物は回っていた。PrepaidTaxi券を買って外に出るとTAXIに直ぐ乗れた。TAXIは極めて遅い速度で進み、運転手がTOURの売り込みをあれこれと言い続けた。その値段は極めて安かった。が、我々は既にタケオに発注しているのでいかんともし難かった。
渡された価格表を見ると、恐らく$250の2/3程度にはなったかもしれないが、タケオに頼むことで、トムとかサム(samnang)と知り合うことはなかったであろう。トムは日本語ガイドで、空港近辺の村の出身で、プノンペンの日本人の里親に教育されていたのだが、その里親が、教え子の女の子と出来て、家族がばらばらになり、トムは行き所が無くなり、SiEMREAPに戻ってガイドになったとのことだ。このことを彼は悲劇とも思わずに話していたが、僕は彼の境遇に悲しくなってしまった。
サムは、容貌は僕より日本人的な青年で、おばあさんが学校の先生の家族で、おばあさん以外の家族はポルポトに殺されたとのことだ。父親は友人に金をだまし取られ、貧しい少年時代を過ごしたとのことだ。バイクタクシーをしている時に、日本人に英語で説明しても、殆ど理解していないことを知り、日本語を勉強し始めたらしい。おかげで英語が下手になったと愚痴っていた。で、日本に行きたくて、金も無いのに訪日して、泉大津で左官や土建のアルバイトをしながら3カ月を過ごしたらしい。最近は小学校を作るとの日本のNGOの通訳もしていたらしい。そんな仕事をしながら弟妹を大学校に進学させたとのことだ。彼は運転手が本業だが、遠隔地は確実に、それに可能な範囲はガイドもしてくれるし、ガイドの特殊許可が必要な主寺院を除いては案内してくれる。
そんな信頼できるサム君(samnang)は、855-1261-4678(over sea)
0-1261-4678(local) メールはsamnang_prom4444@yahoo.com で連絡できる。日本語会話は達者だが、日本語文字は駄目らしい。メールは英文だろうな。
話は、先になったが、そんな愉快な連中を知るだけでも面白い旅であった。
宿泊ホテルは、KAZNA hotelってホテルで、表構えはなかなか立派であった。NETで、靴は玄関で脱ぐのがSIEMREAPでは通常とのことなので、100円SHOPで買っておいた上履きに履き替えて上に上がった。小柄な女性(カンボジアの女性は小柄だが、シャキシャキしている)が我々をロビーに案内して、WELLCOM DRINKも振舞われ、案内地図を元に説明を始めた。「TOURの説明なら、我々はツアーは予約済み」だと言うと、「それは問題ない。この説明は、この街についてのORIENNTATIONです」と答えた。この女性はフロント担当で、もう一人の若い、やはり小柄な女性はオーナーの娘と思えた。オーナーらしき年配の女性と、その娘らしき女性は、交代で、ロビーの座椅子で縫物をするのだが、これが多分、この地方の習慣なのだろう。
4泊して判ったが、このホテルについて日本人のTRIP ADVISERでの評価は、悪評が多く、欧米人の評価は好評が多いことの理由は、日本人が彼等の習慣や性癖を誤解したせいだと納得できた。彼等は日本人が殆ど英語を理解しないと知っているので、笑顔で応対するのだが、お互いに話が通じないので、日本人はその笑いを嘲笑と感じるのだ。朝食や夕食の手配が遅いのは、前もって料理の内容や、時間を予約しないからなのだ。この点では成功した僕たちは、朝食も夕食も時間通りにおいしく食べることができた。部屋では無線LANでNETに接続できた。更にチェックアウトの時には、オーナーの娘さんが厚手のスカーフまでプレゼントしてくれた。スカーフは日本に帰ってまことに役だっている。
スカーフを渡される時に、女房は売りつけられるのかと目を三角にしたが、プレゼントであると知って、目が丸くなった点については、亭主たる僕はまことに恥ずかしかった。一泊$26.5で朝食付で、かようにきれいな部屋で過ごせるとは未だかってない贅沢であった。
唯一の欠点は、蚊が飛んでるってことで、だがこれは、この国では当然のことなのだろう。蚊取線香を使うと、タバコを吸ったのではないか?と聞かれ説明すると了解した。蚊取線香では無く無臭の電気式を使えばよかったのだが、200V対応かどうかである。差し込みは日本ので使える。大きな殺虫剤の噴霧器を使えば?と提案されたが、それは断り、蚊取線香を使い続けた。それともう一点あった。風呂はごつい石造りの湯船があり豪勢なのだが、湯沸かしが一定湯量を沸かすタイプなので熱い温湯が長く続かないのだ。が、暑いこの国ではぬる湯でも良しとすべきだろう。但し空調機は完備で、滞在中は停電も無かった。
またまた、話が進みすぎたので、元に戻す。
初日は、タケオに行くことにしていた。ホテルは国道から南に入るタブール通りにあるから、国道に出て少し東に行けばタケオがある。行ってみると安宿~って感じの旅籠で、玄関脇の通路に沿って縁側の様なのが続いていて、そこが食堂兼用らしく、日本人がたむろしていた。中に入って現地人のおかみさんらしき人にラチャナさんは?って聞くと、椅子に座れと言い、携帯電話をかけた。この国では客人に立ち話はさせないとの習慣らしい。マレーシャでもそうだが、ここでも一般人の外国人つまり客人への応対は極めて丁寧なのだ。
ラチャナさんが出て携帯電話を渡された。しっかりとした日本語で、彼女(ラチャナさんは女だった)は今、プノンペンに居て帰るところだから、僕たちのホテル(KAZNA HOTEL)に5時頃に行くとの話であった。ホテルに戻りひと眠りすると5時であった。ロビーに行き誰か来なかった?かと尋ねると、丁度来たところです、と指さしたが、オーナーの娘さんと同年齢で、小柄で顔つきも同じ、シャキシャキとした女性であった。カンボジアの若い女性は皆同じように華奢で賢くて働き者らしい。TOURのスケジュールと金額を確認して支払はT/Cでとして、打合せは終わった。何故、漢字までも理解出来るのかって聞くのを忘れてしまった。
TC支払いで総額250ドルで、T/Cは手数料3%が必要だが、残っていたドルT/Cを使いきるのが目的であったので仕方がなかった。なお、釣はドルでくれた。この国ではドルが普通の流通通貨となっている。サムによると、ATMでのキャッシングはドルと現地通貨のいずれかを選択できるらしい。
それから3日間はフルでアンコールワット地区の世界遺産を楽しんだ。
初日はトムの愉快なガイドでアンコール主遺跡を楽しみ、2、3日はサムの運転と案内で、アンコールワットの夜明け(サムは入口までだが先日にアンコールワットは訪問していたので問題なく表紙の写真などを取った)と、外れ部とか遠隔地は案内されて楽しんだ。
3日目は、夕刻にトレンサップ湖のクルーズが予定に入っていたが、姉が土産を買いたいと言うので、山に登るにとどめて、OldMarcketにと急いだ。
それぞれの旅の詳細は、ガイドブックに書かれている通りだが、コーケー遺跡、ペンメリア遺跡等の遠隔地も、危険を一切感じることはなかった。運転手サムが案内してくれたので、更に安心であった。クバールスビアンは山に登るハイキングのようになるが、ここさえ、道ははっきりしているし、見学者は多数であった。ただ、岩肌の道は滑り易く、滑るとけがをする恐れがある。実際、僕たちの登っている最中に後方で悲鳴が聞こえ、何事かと見ると、白人の小父さんが転んで大けがをしていた。薬入れは車の中に残していたので、持っていたチッシュを全てあげたが、かなり出血していた。それと、トレンサップ湖のプノンクロム(それにトレンサップ湖周辺も?)はアンコール遺跡群に入るので、遺跡群入場券が必要となるらしい。実際、監視員がちゃんと滞在している。但し、心ずけで通過できる可能性もあるらしい。
ホテルへの支払いは、朝食付(fruit付、紅茶、coffee選択)TWIN2室(部屋がつながったスイーツ)が4泊で、$212、クリーニング3回分、夕食2回、昼食1回込みで$280であった。安いものだと感心したが、SIEMREAPでは贅沢な宿泊だったかもしれない。
なお、夜食についてだが、1人当たり、ホテルで$10程度、TOUR途中の良好なレストランで$7~8程度、OldMarcket入口のレストランで$4程度、汚いが旨い麺類屋は、$2(高め)程度であった。パクチを入れて欲しくない時は、「コムダ チー」って言えば良い。

KUALALUMPURへの帰りの便は、英国人とフランス人のツアーグループでほぼ満席であった。入国時は古い書式の入国カードを言うまでも無く配布したのだが、KUALALUMPURへの入国カードは配布しない。スチュワードにくれと言ったが、何故か理解できないようで、到着も近くなり2度目に催促して漸く、「あっ」と言う感じで用紙をくれた。空港に着いて判ったが、この便でKUAKALUMPURに降りたのは我々だけで、他の人は皆、欧州へのTRANSITだったのだ。到着はCゲートで、何故か日本から着いた時にはみつかったCitiBankのATMは見つからず、そのままバスでMainTerminalに行き、荷物場に行くと、我々の荷物だけが、ぐるぐると回っていた。AirportTaxiは、何故か前回より安く102RMで、まぁとにかくTicketを買って外に出て、ATMで700RMをキャッシングしてからTAXIでホテルに向かった。

KUALALUMPURは雨続きで、その合間を縫い、ChinaTown、それに、駅からLRTを活用して、sentral駅や、KLCCを訪問した。切符は自動販売機で容易に買える。
KualaLumpurも満喫したが、ホテルのReceptionにはまいった。以前の2回宿泊は、インド系女性一人が応対したのだが、3度目は、体の大きなインド人が、女性の後ろで監視するように居て、たまたま、僕のチェックインを対応した。現金支払いだと言うと、2日2室で520MRだが、ボンド込みで、600MRを要求した。金を支払うと、おどけるかのように、その金を胸のポケットに入れた。部屋のキーCARDを渡したが、朝食券を出さず、要求するとバイチャーをじっくりと読んでから、漸く朝食券を渡した。なんとなく気分の悪いおっさんである。
部屋に行き、ベトナム航空のRECONFIRMをしようとしたら、電話が不通であった。12階の部屋から、G階に降りて、さきほどのインド人に言うと、「このホテルは部屋からのcallはサービス外だ」と言う。僕は怒って声を荒げたが、インド人に言い合いで勝つことはない。そこで、あきらめたが、手帳に「THIS HOTEL do not serve call from room]と書いて、日にちとサインを書かせた。名前も聞いておいたが、後で役に立った。
出発の日のTAXIは今回は90RMであった。ここのTOUR-DESKや、レストランや、荷物預かりの対応は極めて良いし、作業者に直接言うと、対応は良いのだが、インド人の男は最低であった。それと、奇妙なのだが、初回はRECIEPTを封筒に入れてくれたのだが、2回目はRECEIPTを封筒にいれるのだが手渡さず、ただ、ボンドの支払い書はくれた。最後のチェックアウトでは、やはり、RECIEPTを封筒に入れるのは、目の端に写るのだが手渡さず、ボンドの支払い書さえくれなかった。その時は現金で支払ったから問題あるまいと考えたがそうではなかった。
日本に帰った当日にたまたまVISAの明細書をNETで見ると、最後の2泊分が、それも、キャンセルした筈のBOOKING.COMを通した金額がVISAで引き落とされていた。どう考えても不思議だ。VISA-DESKに支払いを停止するように連絡したが、既に引き落とされている。クレームを書類で出すようにと、手ぬるい方策を言い、しかも、RECIEPTが無いと難しい、とのことだった。その対策はするとして、と直ぐにCITIN HOTELのReservationCenterとCitinPuduに、少なくとも調査しているかどうかを回答欲しいとMAILしたが返信無く、翌日夕刻まで2度ほどメールしたが返信は無い。そこで、方針を変えて、経過を明確に書いて、CITINグループ各所にメールした。更に翌日は、CITIN PUDUのRECEPTIONでの、RECIEPTを出さないとの怪しげな振る舞いや、インド人の電話についての返答、それに、金をポケットに入れた状況も含めて、CITINの方々にメールしたら、直ぐに、ReservationCenterから、CitinPuduが対応するとの返信が来た。休日であったとの弁明もちょこっと書いていたが、ホテルに休日もないやろ、と思った。CitinPuduから、調査するとの連絡も入り、2時間ほどで、REFUNDするとの返信が来た。その翌日にちょうど、VISAからのクレームFORMATが来たので、HOTELのRECIEPTは無いものの、HOTELでの昼食や、tourdesk、レストランのRECIEPTと共に、インド人の署名や、これらのメールも一緒にVISAに送った。
なお、勝手にCHARGEできるなんて恐ろしいことなので、手元のVISAは閉鎖して新しく発行してもらった。が、REFUNDは、古い番号に出来るとのことであった。この出来ごとのおかげで、いろんな支払のVISA番号変更が発生してしまった。CITIN puduのTripAdvicerの評価については、{危険!」って書いて、その事情を記載した。
ってことで、今回の旅行での、ハプニングを漸く書くことができたのだが、この出来ごとは、HOTEL puduのRECEPTIONの連中が仕組んだことに違いないと思うがどうだろう?何故、こんなことが起こったのか、との質問には、CITINは一切回答する気は無さそうだし・・・
またまた、話が先に進み過ぎた。
で、その後だが、CITINからの返却金は2回振り込まれた。つまり、ややこしいことに、今度は僕が1回分を返却すべき義務が生じて、VISAに連絡したが、かような事は本気では対応しないようだ。面倒だがCITINに対して、「VISA経由で返却手続きをせよ」との連絡をしなきゃならんハメに陥ってしまった。一応本件は、CITINの謝罪とみなして、NETでの非難は全てひっこめることにしたが、金は絶対に返却するぞ。

かような事態が生じるとは、全く思わせないほどに順調に空港に着いた。で、RECONFIRMが出来なかったので、ベトナム航空の事務所を探して、3階の事務所に行くと、既にRECONFIRMは出来ているとのことで、ホーチミン空港まではがらがらの飛行機で夕食も出た。ホーチミン空港発は23:55で、やはりツアー客優先の席で決まっていた。狭いJAL仕様で、しかも、JALのエコノミー席は背中が丸まって、後頭部が突きだした人間工学的に最悪に設計されている。それに加えて、ツアー客は平気でリクライニングを作動させ、食事の時も、席を離れる時もリクライニングしたままである。液晶画面は鼻の先にくっついてしまう。ツアー客って嫌!ってとこですね。
僕の席は中央4列に3人並んだ最も奥で、隣の通路側の席もツアー客に占められた。僕の前が、リクライニングして窮屈になった時に、やれやれ、JAL系は狭いなぁってひとり言を言うと、隣の男は、貴方もリクライニングしたらいいですよって助言をしたが、精一杯リクライニングを掛け合うと、中央部はトイレに行くのも大変だって全く理解してないのです。やれやれ・・・。
で、結局、旅の始めと終わりは、JALのおかげで嫌な旅になりました。JALとANAとには常に距離を置こうとしてるんですけど、こんな結果もあるんですね。
ただエジプトとは違い、今回の旅は避寒の旅となり、寒さが懐かしく思われる旅でした。帰ってから寒さが余り苦にならないことに気づきました。なぜでしょうね?

旅が終わっていつも思うのだが、今回もいつもと同じように、トラブルは解決できる程度だが、いつもいつも、よたよたと旅をしている。同じ所に旅すれば、より充実した旅になることは間違いないのだが、女房殿が「同じ場所は嫌」だってのたまうので仕方がない。だが、少なくとも、10月の旅はインドに二度目だ。だが、インドは広すぎる。やはり、よたよた旅が続くことになるのだ。

ケアンズ、パースの、いつもの如くだが、けちけち旅行 2010年9月6日~

例の如く前置きが長いので、時間の無い人は本編から読んで下さい。
「前置き」
予定は、9月6日~9月16日で以下のように計画した。
(1)フライトの選定で、約1週間掛かったが、その過程で、ルートも3度ほど変更して、最終的にケアンズも訪問することとした。
(2)ジェットスターが安いとのことだが、東京⇔ケアンズで、往路睡眠具付き、復路食事付きで、75,700円、ケアンズ⇔パースは480豪ドル、合計115,060円/1人となった。豪州国内便が高く、今後再び行く場合はオーストラリア国内はバスで走ることにする。
上記価格はキャンセル不可の金額で、予約のシステムは非常に簡単で、座席まで一気に指定できた。ただ豪州国内便の決算時点でシステムがおかしくなったが、コールセンターに連絡すると、正しく手配されていたと確認された。
(3)他の格安としては、シンガポール航空のパース往復63,000円/1人があったが、問い合わせると例の如く売り切れで、代案で本体費85,000円その他含め合計108,960円/1人を薦められた。
(4)マレーシャ航空で69,000円/1人があったが、途中降機追加4,000円出発地空港税2,540円現地空港税7,480円(クアラルンプール含む)航空保険料480円発券料3,000円燃費追加徴収24,300円で、合計110,800/1人となった。年中ホタルが見られるのに興味もあったが、やはりここはケアンズに慣れておこうと、ジェットスターを選んだ。マレーシャには安い時にさっと行く。
(5)ホテルは、ケアンズのYHが好評なので、ケアンズセントラル2泊180豪ドルとし、パースのYHは南京虫が出るとのことで、これはやめて、YMCAはシェアー風呂だし、等と、ちょっと高いが、AMBASSADOR HOTEL を6泊朝食付840豪ドルとした。但し後から判ったが、パースには新しいYHが出来ていて、そこは安くて評判も良いらしい。とにかく、ホテル決定で1日を掛けて、これで交通と宿泊は完了し、後は現地ツアーの設定を残すのみとなった。費用的には、現地ツアー費用と食事費用を残すことになる。
ところで後から気づいてFREE-BIRDで調べると、カンタス航空でパース直行、帰路はシンガポール乗り継ぎで、二人で247,860がある。しかも、これが東京⇔パースの最安値らしいから、僕の調査力はFREE-BIRDを上回ってるってことですね。ただ、ジェットスター以外はANAにマイレージが加算なので、これも捨てがたかったわけだ。更に気付いたが、クアラルンプールまで行って、そこからAIR-ASIAを使う方法があるのだ。9月で見てみると、マレーシャ航空4~5万円で、AIRASIA 3万円=本体費7~8万円に、燃料費等の追加が生じる。で、やはり10万円程度は掛かりそうです。いつか試してみます。

発注を終えて以下の検討に入ったが、3月中ごろにJETSTARの10周年キャンペーンとかが出た。ケアンズ往復2人で1人分の金額ってキャンペーンです。がっくりだった。つまり7万円は安くなった勘定だ。その後、カンタスからパース直行片道3.6万円(多分往復では同じ程度と思える)などが出た。つまり、航空券については、例えケアンズに行くにしても、ケアンズ→パース→東京、や、若しくは逆回り等と、いろいろ比較検討すべきであったと、これは将来への勉強代ですね。でも、旅の度に勉強代を払っているようだ。

さて、次は現地ツアー若しくは自主観光の計画、それに、食事だ。先ずはケアンズの観光と言えばキュランダ観光の様で、スカイレール、キュランダ鉄道共にHP(日本語)があるので、オンラインで予約もできるが、スカイレールだけの往復とか、鉄道だけの往復だと比較的安いのだが、行きと帰りで乗り物を換えると一気に高くなる。そもそも、いずれも高すぎだ。が、多分これはスイスの登山鉄道を見習ったのだろう。でもまあ、仕方無いので選ぶとすれば、いずれまた、ケアンズはオーストラリアへの窓口として行く可能性は高いので、同じ乗り物で往復として、スカイレールでしかもケアンズへの送迎有りとすれば、78豪ドル/1人(送迎が無いと59ドル)があった。実は個人で行くのも、ジェイさんの日本語ツアーも余り金額差がないって不思議があるのだが、個人でゆっくりと好きなように行けるのが好みなのだ。なお、キュランダ鉄道で往復だと、ケアンズから鉄道で行けるから、56豪ドルが最も安い。え~っと、バスで行くとすれば、これは破格に安いようだ。
その後、HotHolidayを調べると、行きをSkyrail送迎付、帰りは鉄道でCAIRNS駅解散が$91/1人ってあった。SKYRAIL社から直接買ってSKYRAIL駅までのTAXI費用を考えると総額同程度(若しくは安い)ので、この方が便利だ、と、さっそくこれで契約した。なお、地球の歩き方によると、ツアーの鉄道基点はCAIRNS駅ではなく、FRESHWATER駅とのことだが、今回の経験では、FRESHWATER駅は単なる通過駅だった。それに、普通車両に対するゴールドクラスの有利さをごちゃごちゃ書いてるけど、あの鉄道コースで1等車両がそれほど良さそうには思えない。普通席も全席指定のようだから、余計な心配をさせるべきでは無いだろう。
ただ、FRESHWATER駅には歴史的な意味があり、博物館もあるようだが、そのような情報は地球の旅には書いていない。たとえそうでも、わざわざ降りて次の列車を待つのも大変なように思える。多分、この駅を楽しむには、ここで降りて、(若しくは、往路で先ずここに行くって方法もあるが)ホテルにはTAXIとかバスで帰ることが前提と思える。但し、駅のCAIRNSに向かって左側の駅の向こうの方に、一本の樹があり、そこに多数の美しい鳥が、ぶらさがる巣の集落をつくっている。双眼鏡が有れば列車からも充分に見られ、それは一見の価値がある。この樹を観察するとして、この駅からの足を別に考えるのも有りとも思えるので是非この点をご留意されたし。

レストランはここを調べました。良さそうな所を選び地球の旅の地図に追記した。が、食事に行くってかなり面倒なので、Woolworthで食糧調達を主にしました。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://atcity.info/guide/

パースのツアーはとても高いのだ。で、pinnacles見学150A$/1人だけを頼み、後は、市内交通で走りまわることにした。市内交通は、smart riderって、prepaidカードで、いくら乗っても一日の最大チャージは一日券以上にはならないのだ。ただ、一日券は平日9:00am以降、weekendは終日有効って重要です。つまり、smart riderで平日の9時以前に乗車すると、この費用は別金額になるってことですな。この点は詳細には書いてないとこが罠のようだ。で、一日券はA$8ですから、smart riderは、一日最大8ドル+9時以前の乗車料ってことやろね。
どこかで60歳以上は割引って聞いたので、これも調べなくっちゃ。
パースの市内交通transperthを乗りこなそうと、バスの路線図もいろいろと出力した。
パースのレストランは、先ので同様に調べたが、cairnsより情報が豊富だった。
では、後は、荷物をまとめて、まないたの上の鯉、それとも、天命を待つとなった。
それにしても熱いなぁ、一坪農地への水運びで疲れましたよ。
そうだ!ッと、突然気づいて、whale watchingも予定に入れました。A$80/人だった。従って、パースでのツアー発注金額は合計A$460/2人 となったのだ。
そうだ!大事なことを忘れていた。お金のことだけど、A$が安い時にT/Cを買った。現金は手数料3%程度で、他方T/Cは1%だからずっとお得なんだが、最近はT/Cの使い勝手が悪くなっている。買ったのがリーマンショックの後で、アメックスのT/Cを買ったのだが、アメックス自体の危うさも聞こえていた。で、三井住友銀行員にアメックスが潰れたら買ったT/Cはどうなりますか?って聞いたら「誰にも判りません」だってさ。こんな経験からすると、これからはもうATMの時代だな、と思ったが、買ってしまったものは仕方がない。そこで、アメックスのケアンズ、パース事務所にT/C→現金の手数料をいくらか聞くと、共に、金額に拘わらず、1回当たり8A$ってことだった。他の情報では、westpack銀行(challenge銀行)では手数料0って情報もあり、アメックスも立ち直ったことからすると、T/Cを買ったのは損ではなかったようだ。但し、今後、更に円が強くならなければだけど。有利な為替交換って難しいもんだ。ただ、オーストラリアの場合、cashを買うなら現地の方が有利らしい。この点は、欧州とは違うようだ。なお、欧州はT/Cの使い勝手がめちゃ悪くなっているようだから、ATMが最も有利らしい。

さて、旅を終えて既に3日目、本人は気づかぬものの日々に記憶が消えて行く年齢になったらしい。であるから、出来るだけ早急に記録しておく方がよいのだろう。

旅は足掛け10日で、先ずは費用総額だが、
(1)航空運賃151,400円+$937≒115,000円/1人X2人、
(2)その他
●VISAで購入分 CAIRNSshuttle $15 CAIRNShotel $90x2日 CAIRNStour $91X2人 ●T/Cで支払分、PERTH ピナクルズTOUR $150/1人●CAIRNSで現金化して支払分(WhaleWatching$80x2含み)等々で、約100,000円/1人 
(3)合計215,000円/1人程度でした。但し、T/Cは70円で購入したので、$=70円で換算しました。 

CAIRNSでは、問い合わせ通り、WESTPAC銀行で、T/Cを無料で交換してくれました。$2000を交換して充分だったのでPERTHでは交換しなかったです。で、PERTHのWESTPAC銀行での交換条件は判りません。
東京で購入交換率を見ると、89円/ドル程度で、CAIRNSの空港でも同程度で、街の交換業者では85円程度と書かれていました。ただ、街の業者の場合は手数料を含む可能性があり詳細は不明です。なお、VISA支払い分の交換レートは78円程度だったから、銀行間売りレート程度ですか。つまり、T/Cでたまたま安い時に買ったのには劣りますが、先ず当たり外れなくクレジットカードでの取引が有利ってことです。
空港のCAFEでT/Cで支払い、釣りは現金ですから、到着時の小銭はこれで確保できたし、空港からHOTELまでのSHUTTLEバスは女房のVISAで支払い、女房のVISAの海外保険適用が達成できました。僕のは、JETSTAR分をVISA支払ですから、当然適用です。

「本編」
先ず全般的に言うなら、豪州はトラブルの少ない国です。いかがわしいのやらスリには全く会わず、釣銭等のお金の誤魔化しは無く、出会う連中は皆親切で、どこでも話しかける連中が居て、それも親切心丸見えの人ばっかりでした。ホテルで枕銭を置いても、翌日部屋に戻ると枕の上に置いてあり、つまり拒否されたのです。ただ、連中の英語は理解しにくいか、それとも当方の英語が錆付いたのか、相互理解にはかなり苦労しました。確かに錆ついてもいるんだが、彼等はとても早口で、dayをダイと発音するのは有名だが、earthquakeをエアーツカクと発音するように聞こえた。「これ」って言うのをVOILAってフランス語ですがな。僕の会話が通じないことには彼らにもかなりの責任があるんとちゃいまっか。でも、これだけ会話が通じないのに、全くトラブル無く旅出来たってことに、とても自信が出来ましたね。世界中、どこでもこいやぁ~!って気分です。

では、日々のスケジュール等を記載します。

JETSTARは結局CANTASの一部門で、東京発21:25で、CAIRENSで折り返しの一便をJETSTARとCANTASで共同運航してるのだ。で、機内ではペットボトル1本を配り、毛布や食事、イヤホンを有料で、TVを有料で借りるのがJETSTARとなる。他は全く同じだから・・・
で、東京発ではブランケットを買い、帰りの13:15は昼食(夜簡易食付)を買った。昼食、特に夕食は簡素なものだから、持ちこみの方が良いと思った。
座席は、窓側2席、中央4席で、我々は往復とも窓側を確保できたので、充分に安楽であった。ただ、CAIRNS⇔PERTHは、窓側3席で中央無しで、狭く、特に夜行はつらかった。でもこれは国内便では通常のことだろうから、若干高くでも昼間便の方が良いと思える。
てなことで、CAIRNSには、まぁまぁ眠れ、定刻通り、6時頃(日本の5時)に着いた。入国カードには、一切の食料品は入国時に申告することになっているが、サムソナイトに入れたカップ麺のことは無視して無申告とした。が、入国審査は簡単だが、その後の荷物検査はかなり厳しい。先ず申告者とそれに、無申告者も何人かごとに荷物を検査される。僕らは、何人かごと、からは外れたが、その後、全員が犬の検査を通らねばならない。カップ麺が感知されるかと心配したが、さすがの犬君もそれは検出しなかった。だが、果物等は確実に検知されるので、正直に申告する方が良いだろう。で、没収放棄になるもやむを得まい。
無事、入国したが、時間は早く先ずは空港で時間を過ごすことにした。それと、CAIRNSSは国際空港と国内空港は別なので、帰国時、PERTHから着いた時にどう移動するかと、国内空港へのルートを確認した。空港ロビーを外から見て、左の方に通路が続いているのだ。帰国時にはその通路を逆に来れば良いのだ。その後、2階に登り、CAFEに入った。100ドルのT/Cで支払できることを確認し、サンドイッチ等を頼み、釣銭を現金で確保した。ついでに1階の空港ロビーを外から見て、右の方にATMもあることも確認しておいた。8時頃になり、そろそろかと、TAXI受付に行き、女房殿のVISAで、SHATTLE券を購入した。2人で$15であった。なおPERTHに行く時、CAIRNS駅から国内空港(国際空港と近い)までは、TAXIで$17で、気分の良い兄さんだったので、$20を支払った。
さて、切符売り場の姉さんがSHUTTLEの乗り場を教えてくれて、待っていると10人乗り程度のヴァンが来た。乗りこんで「CAIRNS central YHA」って言うと直ぐに理解してくれた。YHAって言うのが最も通じ易かった。暫くすると次々と乗り込んできて出発となった。市へと南下の途上で次々と客を降ろし、ヴァンは駅に沿う通りを走り大きな駅建物、ここには多くの店が集まった駅中集合点になっているのだが、そこを過ぎた辺りで、最後になった僕たちは降ろされた。狭い間口の入り口前で、YHAってなるほどねこんなのかって思った。
部屋は清潔だが極めて簡素で、服の掛場もなかった。が、住み心地は良かった。共同キッチンには冷蔵庫や道具が揃い、ルールに沿った行動で生活を楽しめることが判った。ルールは簡単なもので宿泊者の行動をちょっと観察するだけで理解できた。ただ、給湯機があることに気づかず、置かれた鍋で沸かしていたけどね。食材は出来あいも含めてCityPlaceのWoolworthか、Cairns駅の駅中スーパーでそろった。駅中では寿司や巻寿司をTakeOutできる。ってことで、けちな僕には楽楽な旅行になったってことですわ。これは、PERTHでも同じでしたね。旅行を通して2~3度かはレストランに行ったですが、概ね食材を買って過ごしたです。但し、PERTHのアンバサダーはバイキングの朝食付なので、これは、これで多いに楽しんだ。
さて、このままの文態で書いて行くと一生掛かりそうなので以下は記述を省略しますんでよろしく。

さて到着日は、先ずはT/Cの交換です。街は清潔で(PERTHはもっと清潔なんです)、判り易く、直ぐにLAKE STREETのWESTPAC銀行を見つけました。入って直ぐの左がAMEX事務所ですが、そのまままっすぐ奥に、バリヤー付のカウンターがあり映画俳優みたいな女性事務員がにこやかに対応してくれます。T/CをCASHにしたいが、手数料はいくらか?って聞くとFREEって答えたのです。で、100ドルのを19枚(朝1枚使ったので半端になった)交換した。署名が必要なので、後のお客さんの邪魔にならんようにとカウンターの横の方でと書こうとすると、目の前で書けって言われて、19枚書きました。で、それを受け取ると女事務員は、「ちょっと調べるので」ってアメックスの事務所の方に行きました。なんでかな?
で、戻って来て50ドル札30枚と100ドル札4枚とをくれました。銀行員はいつもにこにこでしたが、CASHを渡す時には笑顔がひきつってたように感じたです。かくして手数料無しで、T/Cは現金化できました。
銀行の斜め向かいがWOOLWORTHってスーパーでした。ここが実に我々の食糧倉庫となってくれました。
なお、後で判ったが、銀行の前辺りが、BotanyGirden前を通るバスROUT7の始発バス停です。この通りの北側は歩行者通りのCityplaceって呼ばれるエリヤで、BotanyGirdenは街の北方にあります。つまりバスは先ずちょっと南下して、時計周りに街の通りを回り、北に向かうのです。なお、切符は運転手から買い、先ずバスの昇降に際しては必ず挨拶し、買う時に、「to Botanygirden and go and return」って言うと、一日券$7.5をくれます。その時に、Botanygirdenで停めて教えてくれ、って言えばOKです。豪州のバス運転手はとても親切です。
話を元に戻して、その後、街をぐるっと回って帰りました。その時に駅に行き、繁華な駅中商店街、その中にあるスーパーや回転すしや、持ち帰り寿司店をみつけ、夕食、朝食を追加で調達しました。
翌日は、キュランダです。指定時間にホテルの表で待ってると、Hotholidayのヴァウチャーに記載された現地ツアー会社名を横腹に書いた中型ヴァンが定刻に現れ、これに乗りました。ドライバーは帰りの列車のバウチャーを渡し、次いで街をやはり反時計方向にまわり各ホテルでツアー客を乗せ、車はSkyrailの駅に向かいます。
なお、ツアー客はホテルのロビーではなく、外で待つのが望ましいようです。車の確認は、現地ツアー会社名を知っていればできます。
駅に着くまでに、ドライバーはあれこれと説明や注意事項を説明するのですが殆ど判りません。駅に着いて、ドライバーはSkyrailの切符をもらいに行き、戻ってきて皆に手渡し、バイバイでした。後はケーブルカーを乗り継いでKurandaに向かうのです。ケーブル管理員は、各グループかを確認して、グループ毎に載せてくれます。まだ空いている時間帯だったからかもしれません。
ケーブルからの景観、途中駅のジャングルもなかなかよかったです。
KURANDAに着いて、KURANDA駅の上を通り河に降り、川沿いの熱帯雨林散歩道を散策しました。いろんな鳥、植物、それに熱帯雨林を楽しむことができました。Villageに出て昼食を食べ、みやげを買ってKuranda鉄道駅に戻ると、ヴァウチャーの3:30ではなく2:00の列車に間に合いました。駅窓口で聞くと変更できるとのことで2:00の列車に乗れました。列車からの景観も素晴らしいものでした。特に嬉しかったのは、先にも書いたように、Freshwater駅の右の遠くの木にぶら下がる多くの巣と煩いが美しい鳥たちの集団でした。いつも持ち歩く大型双眼鏡が非常に役立ちました。この双眼鏡は、今までの旅よりも、豪州には最も有効なようです。特にこの国には多くの鳥、それもいろんな種類で、色鮮やかな鳥が警戒感無く現れるので、簡単に見ることが出来るのです。そうして見ていると、豪州人が声を掛けてくれて、鳥の名前を教えてくれます。それに僕の双眼鏡を「beautiful!」ってほめてくれるのです。いやいや!連中は親切なだけではなく目が肥えているようですわい。
翌日はPerthへの移動ですが、時間がありBotanygirdenに行きました。YHAはベッドのシーツ等を受付のかごに放り込み、チェックアオウトして荷物を預け、Cityplaceからのバスに乗り簡単にBotanygiredenに着きました。これは実に正解だったです。見たことのないような熱帯性草花、地上を走り回る奇妙な鳥、ハチドリのような小鳥、カワセミ等など、Botanygirdenの道路向かいには、熱帯林の中を通り木道や、更にその先に大きな湖沼があり、多くの鳥をまじかに見ることができました。年寄りには実に得るところの多い場所でした。
YHAに戻り、昼食を食べ、荷物を引き取り、すぐ近くのCAIRNS駅前でタクシーをひらって国内空港に向かいました。TAXI代金は$17で、チップを入れて$20を支払いました。夫婦二人shattleで$15で、TAXIが$17って、何か不公平やなぁって思いだけど・・・
さて、Cairnsでは半そでで、日本よりは過ごし易かったが、PERTHは初春並みの寒さである。で、長袖に替えてコートも用意し、Cairnsへの便内で買った毛布も用意して飛行機に乗り込んだ。PERTHの気温はその対策で正解だったのだが、豪州人は半そで、半ズボン、草履とか、長袖でコートを着ているとか、どうも季節感の判らないばらばらの服装であった。
Perth国内空港から街まではTAXIで$30だったので、$35を支払った。アンバサダーホテルのチェックインは$100をBONDとして6泊で、一泊は朝食込みで$140だったです。部屋は清潔で思いっきり広く、湯沸かしもあり、風呂はシャワーと湯船完備と、とてもよかった。CairnsのYHAとはやはり値段が違うだけのことはあったわけだ。日本語を理解できる従業員は居なかったが、とても感じの良い応対だった。それに、コインランドリーも使えた。コインランドリーには洗濯機2台と乾燥機が1台あり、使っていた豪州人が使い方を教えてくれた。なお、初日に枕銭を置いたのだが無視されたので、以後はやめた。
翌日は先ず、Paerth交通機関を有利に乗れるSmartRiderと称されるPrepaidの購入に向かった。服装は殆ど冬姿で、AdelaideTelaceを西に向かった。ロンドンコートの入口を見つけ、ここを北上し、HayST.に出て、Plazaアーケードを通って、MurryST.に出た。後で判ったが、この通りのちょっと西側に、これに平行して、TrinityアーケードからCalionアーケードと続く路地があり、この路地は、AdelaideTelaceでは2階が入口になっていて、HayST.では道路の上を通っている。この通りには食堂が多く、日本寿司も売っている。MurryST.から、このアーケードに入るにはCalionアーケードから入って行けば良いことになる。またMurryST.の、Londonコートの西側、Trinityアーケードの更にちょっと西には道路よりも低く、Woolworthを見つけておいたので、食料は簡単に手に入るようになった。それに、帰国に際しては、いろんなジャム、オリーブ油とか、MangoChutneyWithGinger(肉のソースに最高)を手に入れた。
ところで、SmartRiderを買うにはTransPerthInfoに行かねばならないのだが、TrnsperthInfoはPlazaアーケードからは移動しているようで、駅前の西豪州ビジターセンターで聞くと、駅内2階と、MurryST.の西に行ったとこにあるってことでした。MurryST.を西にぶらぶらと行くと、次の通りまでも行かず、地下駅の入口があり、その奥に小さなTransPerthInfoがあった。ここで、BOND10ドルで、運賃40ドル、夫婦で合計100ドルで2枚のSmartRiderを買ったが、これだけで、TransPerthを乗り回り、最後には空港までバスに乗っても追加料金は不要だった。
ここでは色んなバスルートの時刻表とルート図を手に入れた。NETでも手に入れてはいたが、やはり実物が見やすかった。後のことだが、鯨観察で、Hillary'sBoatHarbousに行くのに、Timetable68を手に入れたが良く見ると、夏期とかWeekendにしか運行していない。こりゃえらいこっちゃと、ここの兄ちゃんに相談に行くと、さっと62を渡してくれた。みると、違う駅から目的地に頻度高く走っていた。
そこで手に入れたBusのTimetable58で、Monger湖に行こうとBusTerminalのWellingtonST.に行ったが、401番のバスは出たばかりでかなりの時間待たねばならないと判った。で、地下から出るClarkson行き電車に乗ってLEEDERVILLEまで行き、そこから道路に沿って北上するとすぐに湖に着いた。美しい景色といろんな鳥を楽しみながら湖に沿って(大型双眼鏡が威力を発揮)北上し、湖の北辺に沿って西に行き突き当たった広い道を北上した。途上、たまに出会う人に道を聞きながら進むとT字路に達して東に道路上の高架橋が見えた。ここで電車に乗り、PERTHに戻りAdeledeTelaceのGergeTelace辺りでTimetable100の37番のバスでKingsParkに行き、同様に、木々と花々と鳥たちを楽しんだ。昼食は、高級レストランフレイザースの横に、スナックレストランがあり、ここでピザを食べた。なお、この37番のバスは逆に行くとPerthDomesticAirportが終点で、ホテルのそばに停留所があり、ここから簡単に、しかもとっても安く空港に行けた。但し、International空港にはTransperth便はないようだ。なぜかな?多分、市民の足としては必要無いからかな。
翌日は、PinnaclesTourである。指定の8:30前にロビーに行くと、ガイド兼運転のJohn Pettitsさんが待っていた。日本語ペラペラで時に大阪弁が入る。車はJohnさん以外に6人程度のヴァンで、当日はわが夫婦以外は、Perth近郊にStay中の若者達であった。日本では彼らのような若者と話す機会もなく、旅先で彼らと話していると、僕にもあんな時代があったんだと、何となく楽しくなるのである。ところで、旅は非常に楽しくガイド説明も適切で、素晴らしい旅となった。ルートは先ず昨日乗った電車路に沿って、終点のclerksonまで、更に北上してYenchap国立公園のカンガルー、コアラ、それに、いろんな花や植物を楽しみ、更に北上し、Perthから約300kmのPinnaclesに至った。延々と広野の向こうにと続く道、その広大な原野とあちこちに咲く野花、それに、山火事の後と、日本では見ることの出来ない風景を楽しんだ。こんなことになると僕は先ず寝ることはない。時に双眼鏡で遠くを見ながら通りすぎる風景を一刻を惜しんで楽しんでしまう。それに、pettitさんと日本の出来ごととかオーストラリアの話を楽しむことも出来た。
Pinnacles近くでは、海に向かって右側に白い石英の砂の砂漠と、左に、あのPinnaclesの風景で有名な杭の並んだような岩がある赤茶色の砂漠があり、その中間辺りの海岸でランチを楽しんだ。彼が作った手作りのサンドイッチとサラダが主体でなかなかうまかった。結局思うのだが、豪州の食事はその農産物をSimpleに味わうのが最もうまいのではなかろうか。なお、そのソース(MangoChutneyWithGinger)が美味で、土産として持ち帰ったが、これは正解であった。
食事の後、Pinnaclesの奇岩を見て回った。表紙の写真です。その後、白い砂漠に行き、若者たちは砂サーフィンを楽しみ、僕たち夫婦はその景観と砂漠の植物を楽しんだ。旅の終わりにジョンさんは新しく出来たIGAなるスーパーや、レストランを教えてくれ、ホテルのロビーでしっかりと握手して別れた。
で、大阪弁のジョンさんの顔を見たけりゃここにコンタクトしてPerthに行けばよろしい。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://www.perthdriverguide.com/pinnacles.html
直接電話すりゃ、日本人の奥さんか、ジョンさんが日本語で出てきまっせ。奥さんは大阪のダイアモンドCITY近の松原出身って、僕の出身地の河内松原とはちゃうんかな?
翌日は、ロットネスト島の予定だったが、ジョンさんの言で、ペンギン島はまだペンギン見れるってとのことで、地下電車に乗ってRockinghamに向かった。PERTHの地上駅と地下駅はつながっているが、地下駅には地上駅に行くまでもなく、TransperthInfoのある入口から降りるのが近いのだ。地下駅には、Clerkson、Rockingham等へ行く線が通っている。Rockinghamに着き、女性駅員にペンギン島へのバスの乗り場を聞くと、僕も持っているTimetable128にバス乗り場番号を書いていることを示した。で、ペンギン島へのJettyMersyPointJettyを通るのは、551番だが、既に発車したとこで、552または553で終点まで行き、そこから500m程度歩けば良いって判った。そこに若い日本人女性も来て、3人で行くことになった。その女性も昨日のツアーでガイドからペンギン島でペンギン見られると聞いて来たそうだ。
バスの終点から海岸通りに出て、美しい風景と花を見ながら行くと岬の先端を回ったとこにJettyの建物があった。で、ベンチで談笑してる家族の若い父さんに聞くと、「ペンギンが子育て中なので閉鎖してる。15日から再開だな。ここまで来たら、Manduraまで行って、Dorphin見るのがベストじゃないかなぁ?」と丁寧に説明してくれた。豪州人って本当に親切なんだよな・・ってことで、帰るバス停を探したが見当たらないし、3方向のバスが集まる終点(来た時に降りた)に戻り駅に戻った。若い女性はManduraに向かい僕たちはRockinghamに行くことにした。Perthに着き、地下駅から地上駅に移動して(標識通りに歩くだけだけど)、Fremantle行きに乗った。地上駅はなかなか風情のある居心地の良い駅だ。Perthの液ってどの駅も居心地いいんだけどね。
どの路線を美しい風景を見られるが、この路線が最も美しかった。Fremantleに着いて、改札を出て列車進行方向に進み、線路を渡って行くとJettyに自然と着く。切符売り場を見つけて聞くと、Rotnest島行きは最終が出たとこだった。仕方なく、Fremantleの古く美しい街並みを見ながらの散歩に切り替えたが、これはこれで楽しかった。それに気候も良かった。日本の地獄の暑さから、晩秋の好天の気候に来たって感じで、概ね日本人は、特に熟年者は、長袖、コートに帽子って寒さ完全装備って格好で、ただ、現地人は半そで半ズボン、草履・・中には裸足って感じだが。
翌日は再度ROTNEST島をめざした。10時のフェリーで島に着き、直ぐにバスツアーを申し込んだ。フェリー$60、バスツアー$33って通常交通でなくなると、交通費やツアーは一気に高くなるのが豪州の特徴ですな・・・。バスツアーは丘の上に発着所があり、そこから島をほぼ一周する。なんとなく礼文島を思い出させる風景であった。つまり、花も景色も良いってことで、大きなとかげやシャイだが猛毒な蛇も見掛ける。猛禽類やいろんな小鳥にも出会えます。
で、元の丘に戻り、Woolworthで調達の昼食(ホテル朝食のパンもちょっと持参)を食べてから、周辺のQuoka(コッカって有袋類)を探した。と、豪州人が「丘の右手の坂を下り、池の右手に回り込むといっぱい居るよ」って教えてくれた。行ってみるとQuokaだらけであった。それだけでなく、珍しい鳥もいっぱいであった。池の風景も素晴らしく、ここは是非訪れるべき場所であろう。
翌日火曜日は鯨観光である。PERTHの鯨観光は毎日でなく曜日に制限があるのだ。これは鯨の都合で無く豪州人の都合のように思える。彼等は毎日働くのではなく、決まった曜日に一生懸命働いて、残りの日を楽しんでいるに違いない、と、彼らのゆったりとした親切から感じたのだ。まぁ、とにかく、勿論朝食は食べて、ちょっと昼食用にパンも紙に包み、7時にはホテルを出て、地下駅まで歩き、Clerkson行きに乗り、Warwick駅に着いた。ここは駅の2階がバス駅で、Smartriderのタッチの為にはバス駅の外に一旦でる必要があった。(後で考えると、電車もバスも一体で運営されているようだから、Perth駅でタッチしてバスを降りる時にタッチでも良いのかも)
Timetable62の423のバスに乗ると、7時40分頃には、Hillarys bort harbourに着いた。勿論、バスに乗る時には運転手に挨拶して、降りるとこを教えて、と頼んでおいた。で、にこやかに教えてくれたので、今日も朝から気分が良かったのだ。この国では降りる時に気持ちよく挨拶するのが習慣なのだ。
MilsCharterって会社の船に乗るので、その会社の事務所を探しまわった。バスから降りて海側に行くと、小さなHarborを挟んで、道が左右に続いている。繁華そうな左手に行ったが、レストランとかショップが並んでいるだけだ。いわゆるこの近辺でのモールって感じのエリアで、その見立て通り、、鯨見物から戻った時には人がいっぱいだった。だが、その時は早朝で人が居なかった。harbouを右からずっと回り桟橋を渡ってHarborの右の方にも行ったが事務所らしきは全くない。そこで漸く小父さんが教えてくれたのだが、左手のモールを突き抜けた辺りにあるとのことだった。つまりモールの海側の裏手の岬の先端の方に事務所があったのだ。そこまで何の看板も無いのだから豪州人って凄い。驚いたのはバスで一緒で同じバス停で降りた単身の若い豪州人女性は、このモールで働く従業員かと思ったら、僕たちと同じ鯨見物で、僕たちが漸く辿り着いた事務所にとっくの昔に着いていたのだ。しかも服装は、当方は鯨見物用の完全防寒なのに、半そでの普段着なんだな・・・そもそも市の中心から1時間も掛からずに鯨見物のJettyに来れること自体が不思議なんだけどね。
とにかく、夏の普段着姿の連中が30人程度集まって、定刻に船は港を出て、昨日行ったROTNEST島の方にと進んでいった。海はなぎ状態である。で、鯨にいっぱい出会ったのだが、時に、鯨が頭を出して我々を観察するのを、数メートルのところで我々が観察するって状態であった。鯨君の頭には貝がいっぱいくっついてました。簡単に行けたけど凄い経験でした。残念なことに、カメラの電池が切れて、その証拠写真はありません。
PERTHに戻り海岸に出て海岸通りを散歩したけど、ほんとにきれいな街ですね、PERTHは・・・
さて翌日15日はPERTHを離れる日ですが、飛行機は夜の九時頃です。そこでホテルをチェックアウトして荷物を預けて、ペンギン島に向かいました。今度は、RockingHamから501番のバスに乗れました。終点はMercyPointJettyですが、停留所は海岸通りから一筋住宅地の中にあり、それで前回には見つからなかったのだ。
切符を買う時に、女性事務員が「島から帰る便の最終は4時です。それを過ぎるとペンギンと一緒に寝ることになります」って手をほほに当てて、寝る振りをした。豪州人ってとても愉快だ。
島は灌木に覆われていて、観光客用に木道が引かれている。それに海岸も散策できる。
島に上陸すると、ペンギン博物館の前のおばさんが手にハンコをおした。意味が判らん。で、そこのペンギンの子供をちょっと観察して、そこから木道に進んだ。進んで直ぐの灌木の合間にうつむきの倒れたペンギンの足が見えた。多分、獰猛なカモメに殺害されたのだろう。島にはいろんな鳥が居るのだが、皆さん、カモメに虐待されているようで、所々にカモメに殺されたらしき死体が転がっています。島の一番奥にはペリカンの群生地があり、さすがのカモメもここまでは落せないようでした。で、肝心のペンギンですが、島の方々に木で作ったウナギの寝床のような木箱があり、この奥の方で、カモメの意地悪を避け、じっとしているのです。親が海から帰ってくるのを待ってるのですね。ただ、常時人間が居る、博物館の桟橋側手前の巣箱の子ペンギンだけはカモメが近寄らないので、ちょっと顔を出していました。島や海岸の散策を楽しんで、JETTYに戻りました。
で、PERTHに戻り、荷物を戻して、37番のバスで空港に向かいました。この街中を右に左にと、住宅地の殆どを網羅すべく走り回るバスって乗ってると楽しいんだよな。
ってことで、一応、これで終わりますが印象的なことを思い出したら追加して行きます。ただ、今回の旅を総括するなら、旅の内容自体は良かったが、全くトラブルが起こらず、その点では印象の薄い旅になった。今までの旅では、スリ、詐欺師、釣銭をごまかす連中、嫌がらせをする連中、かなり頭の狂った言動をする連中と、何らかのトラブルがあったのだが、今回は全く無かった。単に会わなかっただけとも言えるが、相対的に少ないのは事実だろう。それに、人口密度が極めて少なく人々が穏やかに暮らしていると見受けられました。
いろんな点で豪州って凄い国だなと感心しとる今日この頃です。
では、またね。

青春18切符で千葉から近畿へ 2009年3月30日~

京都、奈良の古都の旅行記は、もっと、ず~っと美しく、かつ丁寧に作られたのが投稿されているに違いないと思いますんで余り多くを記述しません。で、むしろ、青春18切符を使って行けばどうなるか、って、またまたおせっかいな投稿です。

ところで最近はなぜ海外旅行のピッチが落ちたか、興味のある方は居ますか?返事がないので、その件は省略します。

青春18切符の内容と使い方、各方面への列車時刻表については、「青春18きっぷとは」で検索すれば詳しいのが出てきます。要するに、学生の休暇時期限定で、JRで1日乗り放題切符が、5回分で、11,500円で購入できます。例えば、東京-大阪間を、快速、鈍行で片道を2,225円で移動できるってことです。
つまり、暇人用の、節約力旺盛な人で、しかも好奇心並びに体力ある人のための特典です。
ちなみに僕の場合、東京に出るまでJRが無いので800円程度掛かり、そこから大阪まで2,255円って、アンバランスが生じるのです。
先述の「青春きっぷとは」で調べ、平日東京発9:33熱海行きに乗ろうと行ったのですが、早めに着いたので、快速アクティー9:15分発に乗れました。で、結局は大垣で、9:33発で乗り継ぐのと同じ列車になってしまうのです。かように結局は「青春18きっぷとは」で紹介する列車に収束してしまうのですが、記載の乗継列車に乗るよりは、早めの列車に乗ると、乗降者数が少なくなるとか、例えば途中でトイレに行けるとかの、余裕ある行動が取れるようです。
帰路は、青春切符に記載通りの大阪発7:03って列車で、出発したのですが、富士に着くまでラッシュアワー並みの人々、概ね熟年者達と行動が一緒で、席の奪い合いに終始しました。
●この教訓からすると、記載の列車よりは早目の列車で行動して、ネックとなる列車の場所に早く着くようにすると、乗り換えが容易になるわけです。
●もう一点は、「青春18きっぷとは」に記載の乗換えだと、途中駅からの乗車になる場合があり、出来るなれば始発駅で乗換る方法が良いようです。但し、殆どは始発駅を十分に考慮したスケジュールを掲載しています。
●昼食時間が、往復とも熱海-浜松間の通常鈍行になる場合が多いのですが、この区間は、地元の通学、通勤、買い物列車で弁当を食いにくいって問題があります。でも、しゃあないですから、東京駅のコンビニで買ったおにぎりにくらいつきましょうね。早目の列車で行くと、空いた列車に乗れるとか、駅での待ち時間にくらいつけるとか、も工夫できます。
●富士山は、富士駅前後で美しい姿を見ることができます。
それに蛇足ながらも加えますと、東京駅から行くと、富士駅を過ぎた辺りで、1940年頃に、僕の先輩が、大昭和製紙に収めた「製紙用チップの旋回式山積み機」が、鉄道の右側(富士山側)のすぐ脇のヤードにチップの山を作っています。この先輩は思いもよらない発想の持ち主で、見事な設備を計画する人でして、この設備でもこの能力を発揮してなかなか恰好の良い設備となっています。実は、そのずっと後で、JRの鉄道越えでの別の新ヤードにチップを運ぶ設備が計画され、僕が見積もったのですが逸注しました。が、今でも鉄道越えの装置が無いところを見ると、その計画は実現しなかったか、若しくは、計画が変わったものと思えます。
●ヤマトタケルの尊で有名な、くさなぎ駅とか、家康の岡崎、関ヶ原って歴史的名称の駅だけではなく、秀吉の矢作川、桶狭間のあった大高周辺、斉藤道三の岐阜、なんぞと、歴史の流れに頭をめぐらす地名がどんどんと出てきます。
特に関ヶ原を通過する時には、西軍と東軍がどう布陣したかとか、大垣からどう移動したのだろうか、等と考えてしまいます。
これって非常に楽しいです。ついでに加えると、淀川周辺では、楠正行が布陣した八幡山とか、明智光秀の天王山とか、興味深い歴史地点があちこちにあります。

では、京都、奈良での行動を要約して記述します。
●平等院から宇治上神社、その後、伏見稲荷を散策しました。
平等院は、子供の頃に行っただけですが、平等院って繊細な建築物であるとか、池越えに如来さんの顔を拝めるとか、如来さんの額に水晶が埋めてあるとか、楽しい事実に気づきました。それだけでなく、宇治川は、木曾義仲と源の義経の戦った場所ですが、なぜ京都の南端が戦いの場となったかが地形的に十分に判りました。要するに、琵琶湖側から京都に行く通路は、宇治川に沿って進むのが最も容易なルートってことですね。
伏見稲荷の千本鳥居って、山の上まで延々と続いていて、とても疲れてしまったです。でも、鳥居の年代とか奉納者をみているだけで楽しいものですよね。
●山科の琵琶湖疎水(僕ひとりの単独行です)
最寄駅が高槻ですので、JR新快速で山科に向かいました。3月31日ではちょっと櫻は早過ぎたようです。それとも、今年は桜の色が冴えないか、木が弱っているかのように思えました。どなたか、最盛期に行って報告してもらえないでしょうか。
琵琶湖疎水を、琵琶湖側トンネルから山裾に沿う疎水脇を、南禅寺側のトンネルまで歩き、そこで少しもどって山裾から山科盆地に降りて山科駅に戻りました。
JRで京都駅に戻り奈良線で奈良に向かいましたが、JRは実に有機的に接続してるな、と感心しました。

(注記)疏水は山科盆地の北の端を山の中腹に沿って、くねくねと、多分、3km程度地上を流れ、京都インクラインに続くトンネルに入ります。この様子はYAHOO地図で山科って入力すると見られます。山科盆地自体が、盆地と言うよりも、狭い谷間です。しかも、その谷は京都の南端の宇治よりちょっと京都側の六地蔵ってとこから、北東に入り込んだ谷で、大津側とは山で阻まれています。(上記地図を航空写真様式にすると判ります)
大津側からは、宇治川が山科との間の山に沿って、六地蔵よりもまだ南側の平等院あたりに南下して流れ京都盆地の南端に入り、そこから北上して鴨川と合流して淀川になってます。次いで木津河と合流します。この辺りの地勢って今回初めて気づいたですが、東から京都に攻めのぼる場合は、宇治川を瀬田の唐橋で越えるか、宇治川に沿って、宇治に至るまでの間で渡ることになりますね。宇治川流域の京都側の山はそれほど深くないから、いろんな経路で京都側に入れるので、京都は守るに難いってことは、こんな地勢のせいだと、いろいろと勉強できます。

●奈良には何度か行ったけども、JRで行くのは初めてです。で若干戸惑いましたが、初めての3条通りを東に向いました。通りの先の右側で、先ずは猿沢の池を見渡し、次いで左の興福寺へと入ってゆきました。いいですね、日本の古い建造物って。東金堂、5重の塔、南円堂、3重の塔、と、どれを取っても美しいです。ただ鹿が多数いるんですけど、連中って、無愛想で生意気な顔付をしてます。このどれもが、この歳になって判ったのです。特に、建造物の美しさと大きさはローマ時代の建造物に劣らないって初めて気づいたのです。
その後、南大門を経て東大寺に行きまして、もっと感動しました。なるほど、僕の生来の感性だと、日本の古代建造物や仏像の良さが判るには、歳を経ねばならなかったのだと実感したものです。
ところで、ローマやイスタンブールのドームの最大径は50メートル台ですが、東大寺の主要寸法と同程度です。人間の作るものって同じなんでしょうか?
●いろいろと感心してから、JRの駅に戻り、直ぐに発車する列車が難波行きでしたので、これに乗り、天王寺で降りて環状線で京橋駅に行き、学園都市線(昔の四条畷へ行く片町線)で河内磐舟駅に行き京阪に乗換えて枚方まで戻りました。凄いですね。一日JRは18切符の独断場でした。
ところで天王寺に行く途中で、久宝寺から学園都市線の枚出に接続する新線が出来ていたのですね。近畿も便利になってます。
●翌日は、飛鳥めぐりを楽しんだのですが、丹波橋から飛鳥まで近鉄で片道820円です。う~む青春18ってほんとにいいなあ、とつくづく考えました。
飛鳥って奈良盆地の中央にあるのかと思っていたのですが、奈良盆地の南端の東側山裾の谷合にあるってことを知りました。恐らく当時は奈良盆地は今よりの湿地化していて、人が住むのは山際であったと思えます。橿原神宮駅から飛鳥をめぐり飛鳥駅に行くコースを歩きましたが、全般的には、僕の育った昔の村々って雰囲気でした。日本最古の仏教寺や、聖徳太子生誕と言われる橘寺、酒船石や石舞台、高松塚古墳(工事中だが、壁画館でその素晴らしさを十分に味わえる)とか、かような辺鄙な谷合が日本の文化発祥の地であり、それほどの経済力が生まれるであろうかと不思議に思えたのです。ただ、この時代にはまだ文字が無かったってことが信じられないほどの文化を擁していたことになります。とにかく、一度は訪れるべき場所でした。

ってことで、僕の奈良、京都旅行は無事終えたのですが、桜を見るなら、もう一週間遅らせるべきであると勉強しました。青春18きっぷは、4月10日まで有効ですから来年はこの線でと考えています。

インド人と野良牛だらけのインドの旅 2009年11月14日~

例のごとく前置きが長いので無視して2.本編に飛びましょう。

1.前置き
デリーだけではなくて、バナーラス、アーグラ、ジャイプル、ジョードプルも行くんですが、そもそも、初めはネパールに行く計画を始めたんです。けど、格安航空券が手に入らず、最低でも10万円レベルでした。ヨーロッパ行くのに10万円で、何でネパールが10万円なんや!とあきらめたんです。最近は安い航空券を見つけてメールすると、それは無い、これはどうか?ってパターンが多くなってきたような気がします。超格安はツアー会社がまとめて買ってしまうのかもしれませんが良く判りません。そんな折り、高校の友人と海外個人旅行を一緒にどうか?インドなんかはどうだろうって話になったんです。彼はヨットを持っていてセーリングが趣味で、その合間の11月頃が良いってことです。で、僕が概ね計画することにしたのです。格安航空券をあれこれ見て、安いのを問い合わせすると例のパターンであまり計画は進展しなかったのです。ところで、友人は大阪に住んでいて、当初は、僕とデリーで待ち合わせしようと考えたのですが、他の人の旅行記読むと、インド旅行は海外個人旅行をしたことがない彼では、特に、インド着後の単独行動は危険と思われたです。で、基本は関空か、成田のいずれかで集まって行くことにして航空券調べていたら、関空発アシアナ航空で、一人当たり本体費69,000円、その他入れて78,000円がHISであったので、これを選んだってことです。かくして僕が大阪まで昼間特急バスで往復することにしたのだ。まあ。大阪往復で一万円程度掛かるけど、東京発航空券でもその程度は余分に掛かるし、大阪の用も済ませます。で、その航空券では、デリー着が23:45ってなってまして、最も危険な時間帯に到着ってことです。そこで、ホテル予約とピックアップを予約しようと格安ホテルの確保を始めたのです。
下記の旅行記を参照ください。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://www.mirai.ne.jp/~achi/india/india.html
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://tabi.mys-web.net/071222ind/071222douki.html
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://www.yuuarecool.com/071222ind/071223.html
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://4travel.jp/traveler/fkubo/album/10005145/

地球の歩き方で調べて、良さそうな格安ホテル2社にメールしたのですが、共に、なれなれしい返信が返ってきました。僕は、馴馴れしく接近する者には非常に警戒感が高まる傾向があり、それに、空港からのピックアップが通常のTAX料金よりかなり高く一人1000円(つまり2人で2000円=1000ルピ)とかで、宿泊費は、一社A/Cありで一泊1,000円、他社hはA/Cなしで一泊1500円でした。特にピックアップ費用が共に高いのが不満で、その他にも当たったのですが、下の旅行記で、高いと思われる格安ホテルは格段に良いってかいてたので、高い方に決めてしまいました。せめてデリーでは贅沢にしようと思ったのです。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/west_india/cottage_yes_please.htm
もう一社は、cotttage ganga innって、上のホテルよりぼろっちいらしいけど、親切な返事も返ってきたのだが、最終confirmが来ないがどうなったって、上のホテルに問い合わせると、きちんと返事が返ってきたので、高い方に決めた。そうそう、旅行記では評価がまあまあのcottage ganga inは地球の歩き方09-10年度版では消えているので、何故か?と地球の歩き方に問い合わせしましたが返事はありません。
こんな事情で11月14日発、27日帰国の予定で行ってきますが、初めからこんな贅沢していいんだろうかって心配です。それと、エジプト程には寒くなく、クロアチア程には暑くないようにって心から願っています。
これから、準備用品をまとめます。が、気温的に夏用長そで、主体かなと思えます。夏物無くなる前に、洗える夏用長そで、バーゲンで用意します。長袖3枚持って、半袖も持ってゆきます。半袖で寒ければ上にひっかけるんを持ってゆきます。
*注 8月末に台風が来て日中温度が25度以下になると、半袖だけでは寒いって判りました。持参長そでを増やし、半袖を減らします。(結局、この判断は正解でした)
残った作業は下記ですね。
①工程前半の列車予約(後半はバスに乗ったりの可能性もある)
②準備品LIST作成→荷物集めてみる→バッグかサムソナイトか。
③持参通貨をどうするかを検討。
 ATMでルピーを出すのが最も有利だが、安全性。
 いずれにしても、クレジットカードで金引き出す時の暗証を忘 れないように。
④航空券Eーチケット出来たら、座席指定TRY
⑤列車現地手配用資料準備
⑥ATM 用パスワード確認(クレディットカード用)
⑦ビザ取得、とついでに、インド観光局に寄って地図をゲットし ましょう。
これで、後は出発に向けて体力の維持、向上、それに地球の歩き方や旅行記をじっくりと読むです。
わっはははは!と、テンションも上げて行きましょう。

ところで、飛行機の席を予約したいので、HISに、「発券、同時に席予約とマイレージのANAへの付け替え」等を頼んだが、発券は8/20以降になるが、過去の例からすると席予約は特別な事情、例えばハネムーンとかでないと駄目だ、って言われた。で、ASIANAのHPを調べると、券番号または会員番号で席予約ページに入れるらしい。そこで、ASHIANAの会員にもなった。で、発券を待ってトライすることとした。
次いで、インドの鉄道の予約だが、これも登録を終えてNET予約体制を整えた、が、NETで見ると、VISA決済が、8月1日から、VISAの新しいVBV(ビザ認証システム)になると書いてあり、VISAのHPで調べると、VPASS会員になると、この会員パスワードが即ち認証パスワードってことが判った。
必要荷物も確認して、夏の終わりのバーゲンで夏の長そで(インドの11月は日本の5~6月らしい)を2着買い、半袖も2~3着持って行き、寒ければ日本から着て行くヤッケと併用すれば良かろうと考えた。首掛けカバンも長崎屋の安売りで1000円で準備し、荷物を揃えてバックパックに入れてみると、29幅x23奥行x46高cmとなり充分に余裕があった。これだと果物ナイフとかは現地で買うとかすれば、機内持込みさえ出来る。
かくして、ほぼ態勢を整え終わったので、計画詰めの開始となった。

ところが事態はそんなに簡単ではなかったです。
NETで列車予約をしようとすると、駅名で先ず引っ掛かります。先ずは日にちを入れ、出発駅としてDELHIと入れると、いろんなDELHIが出るので、選択して出発駅を決め、到着駅としてVARANASIを入れると、またいろんなのが出る。とにかく最初に書かれてるのを選択して、座席等級やe-tiket選択で、スケジュール選択すれば、列車一覧が出るので、地球の歩き方に記載の列車と同じことを確認すれば駅名選択が正しかったことになります。
ブッキングを選択し、列車や座席等級を選び、氏名、年齢、寝台の段とかを選んで判ったが、61歳以上は割引きがあるらしい。
これで、支払ページになるが、VISAも直接支払いではなくて、インドの銀行経由の支払いになるのだ。
で、ここまで行くのにかなりの試行錯誤となり、VISA安全コードとVBVを入力してやっと終わりと思ったら、送信不良とでた。このまま放っておけないと、予約状況とか契約状況を選んで調べたがよく判らない。インド鉄道から自動メールが入っていて「通信不良で契約完了してない。支払が行われていたら返金する」とか書いてあった。暫く中止して、インドからの支払要求の有無を調べることにした。って暫し本件は中断ですわ。で、VPASSの9月分の支払いにticketeriaで23EURが計上されていた。あ、これだと、VISAにメイルや電話したが、これは娘がローマでのTicket予約した分と判った。やれやれ、大変ですわ。
こんな事情で列車予約は中断として、地球の歩き方でBANARASI(列車の駅はVARANASI)を勉強して、評判が良いって宿アルカのHPを見てみると、1600~1700ルピーって出てきた。地球の歩き方に出ているのとかなり違う。他はどうかと、数少ないHP掲載ホテルを調べたが、FRIEND'S GEST HOUSEは部屋数は少ないが、700とか800である。で、えいっ!予約しておけっと、列車は放っておいて、2部屋を頼んだ。早速返信が来て予約成立でした。

列車代金の請求が無いことをVISA V-PASSで確認してから再度チャレンジした。今回は手慣れている。画面表示で、日にち、座席とかも全てチェックし、席は同じバースの上下として、PAYスイッチを押し、今回はCITY-BANKのゲートウエーを選んだ。で、成功です。SENIOR割引きが適用されて、DELHIからVARANASIまで、2段ベッドAC付き(2A)で2人1626RSですから、1626円/1人です。E-TICKETを印刷しました。パソコンの印刷と画面の印刷(英語)、二つをを夫々出力しましたが、二つは様式が違い、画面印刷(英語)がより正解と思えまが、記載データに違いは無いようです。とにかく、やりましたね!
さて、航空券の発券を待って、それ以後の予約もやりますわい。
と考えてHISに督促したら、発券は9月16日になるって言ってきた。理由がよく判らず、HISとして出金を抑えたいのだろうかなどと疑心も浮かんだが、格安の個人航空券購入者が時に疑い深くなる一瞬ですね。で、発券が遅れる理由確認と、インド鉄道予約するけど、発券は大丈夫か?ってメールを発信しました。
直ぐに返信が返ってきて、予約は確実だってさ。ただ、アシアナ航空が欠航にしたらどうしようもないが、ってことでした。
そこまで心配することはなかろうと、VARANASIからAGRAへの戻りを調べると、SENIOR割引を含み2人で1366RSと無茶安い。で、ここまでは予約をして、後はAGRAからJAIPURまでは昼間のバスで、以後、JAIPUR→JODHPUR→DELHIは、航空便発券後に予約することにした。で、準備はほぼ万全ですな。
ところで、インド鉄道の請求が早速VISに来てましたが、円/ルピー・レートは、1.961~1.974でした。これからすると、ATMが最もレートが良いようです。で、念のため、VpassPassWardは変更しときました。
それに、8月末に台風が来て、日中温度が25度以下になりました。半袖では寒いものの過ごし易い気温ですがな。これは、ちょうどデリーに11月の気温です。これを知っていよいよ旅が楽しみになりました。

さて、9月16日になって、HISに発券の状況確認したが、手続き進行中で待ってください、って返事でした。あきまへんなぁ、です。でも仕方がないので「首を長くして待ってます」ってメールして、作業を進めることにしました。
BANARASまでの列車は予約したので、全てA/C2段ベッド席で、BANARASからAGRAまでの列車(1400円)、AGRAからJAIPURはバスとして、JAIPURからJODHPUR(830円)、JODHPURからDELHI(1450円)を予約したが、30分も掛からずE-ticketを手に入れ、念のためにVPASSのPWであるVBVは変更しておいた。次いで宿だが、これは地球の歩き方で良さそうなのを選び、次いで、その宿の名前と都市名をネットで検索すれば、宿の評価サイトやその宿に関する旅行記を見ることができる。これらを考慮して、BANARASの宿は、ちょっと変更してFRIEND'S GUEST HOUSE(400RS)、AGRAの宿はHOTEL AJAY INTERNATIONAL(400RS)、JAIPURの宿はHOTEL PEARL HOUSE(500Rs)にメールを入れてJAIPUR以外は予約が成立した。PEARLHOUSEは、16:00以後に到着しても予約はCANCELされるってHPに書いてあるので、旅程は注意しなければならない。JODHPURは、山の上のHILL VIEW GUESTHOUSEが、評判良さそうだが、一部に悪評価もあるため逡巡している。(この悪評はどうも間違いだったようだ)
それに駅前の方がDELHIへの列車が便利かなとも思えるが、当日はどうせ夜7:30の出発だから、山の上での出来事を楽しむのも一興かなんて考えています。嫌なことも楽しいもんですから。

9月22日にHISから、E-TICKET発行との連絡がありました。ふ~ん、天下のHISを不安に思うなんて傲慢でした。考えてみると個人旅行で航空券がトラブったことは一回も無かったですね。マダカスカルの航空券がたっかいな~って思ったことだけです。ってことは、日本の会社って本当に信用できるもんなんですね。ツアーでトルコに行ったことがありまして、この時は四季の旅社でしたが、トルコツアーは終えてから一週間後に四季の旅社が潰れたってことはありましたけど。
それはそれとして、早速、アシアナ航空で座席指定ができるか試しました。予約番号(航空会社分)とアシアナ会員番号の入力で、座席表のページにはいれました。で、便ごとの一覧表から選んで、窓際2列の窓際席を取り、次いで、もうひとり分を通路側にしようとしたが、そこは既に空席ではなくなっていました。仕方なくもうひとりは窓際の後ろの席としたのです。全便ともそうなってしまったが、仕方ないですよね。とにかくアシアナ会員登録は成功でした。まぁとにかく、準備は万端ですね。
HISさん、アシアナ航空さんありがとうって心から思いました。

さて計画の最後も近づきました。シルバーウイークの終わった9月25日にインドビザ申請書に行きました。地球の歩き方によると当日の5:30にはビザ発給とのことでしたが、実際には翌日でした。(去年か一昨年から変わったらしい)ついでに銀座のインド観光局によって各都市の地図も手に入れました。受付の女性に「旅行記で見ると、インドって大変ですね?」と言うと、「独りではちょっと?」って答えたので、「楽しみです」っとにたっと笑ったが、傲慢な男だと思われたかもです。
でまあ、とにかくビザも無事に発給されましたんで、残すは、JAIPURとJODHPURの宿の予約です。いろいろ調べたんで、何か、もう旅に行ってきたような気分です。

では、後は旅の後で投稿しますんで、お楽しみにです。

その前にちょっと報告です。
その後、調べると、東京発が僕の買った関空発より10,000円も安いのが出てきました。僕の想像ですが、
●アシアナ航空は、東京⇔仁川便の通常料金席を大量に確保していて、当時はインド往復を依頼すると、東京⇔仁川間の格安の予定数が売り切れた。秋になって、東京⇔仁川間の通常料金席が売れ残った。(韓国の秋はシーズン?)で、インド航路にも的を広げて、大幅に格安販売。ってストーリィではないでしょうか。この状況は、東京独自の状況かもしれません。
●で、この状況は、仁川、シンガポール、台北などを拠点とする東京便に共通の可能性があります。

従って、これからは、これに合わせ、超格安便取得に向けて、柔軟に行動することにしました。つまり、普段から準備しておいて、その地域が良い時期に、安いのが出ればぱっと買うって手法です。

さて本題に戻り、10月末になったので、ホテルのRE-CONFIRMATIONを始めました。で、DELHIから始めたのですが、DELHI以外は、1日か2日で、僕らの予約をRE-CONFIRMするって返信が来たのです。が、肝心要のDELHIのcottage yes pleaseは11月3日になっても返信が来ません。3日に再送信しても返信なく、cottage yes pleaseは予約はShigeta Travelを経由の予約になっているので、cottage yes pleaseにも直接メールを入れたのですが、返信がありません。そこで一旦は断ったcottage ganga inにメール入れると、即OKって返事が来た。で、shigeta travelにキャンセルメール入れると、即、「RE-CONFIRMできるが、他のホテルに予約されたのなら、それでも良い」って返信が来た。勿論、他のホテルに予約した、って返信しました。
ってことで、Shigeta travelって何を考えてるのか、良く判りません。多分、ツアーを頼まない宿泊客に魅力はないって考えてるのでしょう。それ以外に解釈はありますかね。誰か、別の解釈あれば教えてください。
そのような事情で、ホテルはぼろっちい方になりましたが、それもまた、楽しみです。

で、旅を終えてから再見直しすると、航空運賃79,510円、インド国内運賃5320円+AGRA~JAIPURバス代金500円=5820円、両替20,000円、ATM7,000RS=14,000円 総計119,330円でした。
お土産代金や、日本国内移動費は含んでません。
インドはATMだらけで、操作も安全性も良いから、今後はATMですね。空港の両替率が最悪でした。

2.本編
準備が良かったせいか、それとも、運がよかったせいか、殆ど問題なく旅を楽しみました。そう言えば、牛のウンチだらけの旅で、バックパックではなく小型サムソナイトをひきずって歩く僕たちは道路のふんを見極める癖が日本に戻ってもなおっていません。これ、運とウンチをかけてるんですけど・・・あっははは。

さて、インチョンで5時間のトランジットは、友人がインチョン空港大好きで、なんなく過ごせたのですが、DELHI向けの便が夜中の0:50発が、掲示板では2:30になっていました。で、通路真ん中のインフォメーションの姉さんに何故か?って聞いたのですが、どうやら日本人のおじさんが大嫌いな韓国人だったらしく、「別に遅れてないよ!」って怒鳴られちゃいました。で、ちゃんと表示板を指さして「遅れとるやろ!」って、通り掛かりの人が驚くほどの剣幕で言うと、黙ってしまいました。同行の友人が、「直接アシアナのカウンターに言う方がよろしい」って、助言したので、遅れる事が判っているのに確認してもなぁ、と面倒だと思いながらも、その助言に従ってアシアナのカウンターを探すと、出発階の上にありました。で、行って、「なぜ遅れるのか?」と聞くと、別のフライトとのコネクションです。リフレッシ券をどうぞって、無料券をくれたのです。これで食事が只なんですって。こんな時って、とにかく確認が必要なんですね。英語は喋れないけど、その有効な助言には友人に感謝です。
で、デリー空港では、荷物の出てくるのが遅く、外に出たのは朝の4時になってしまい、宿のピックアップの兄さんも4時間の遅れには、さすがに疲れていました。だってさ、空港で荷物扱ってたのは朝番の2人程度で、回転テーブルの裏手で倒れそうになりながら荷物を扱っていたんだよね。デリー空港さん、なんとか改善してね。
宿は、ヨーロッパの安宿レベルで、湯は24時間出ますし、ダブルのシングルユーズで一泊1,600円とは実に安いと感心でした。欠点は、毛布にシーツが掛かってないことで、これは安宿共通の傾向です。僕らの旅は自分用のシーツを持つのが基本かなと思いました。それと、JAIPURのARYA・NIWAS(ここは一泊1,600円だけど、別格でシーツ替は完璧で、バスタオル共に毎日取り換えでした)を除いては、タオルの交換は無かったです。
さて翌日15日(日曜)は、早速RED FORTに行こうと宿を出たのですが、メインバザールの通りはウンチと人であふれていまして、誰かれなく声を掛けてきて金をむしろうと企てているわけです。NEW-DELHI駅前の道路は、車とオートリキシャとリキシャであふれかえっていまして、その有様はエジプトカイロの数倍の混乱です。何とか、だまそうとする連中の無数の手を振り切って、駅の2階に行くと、そこは静かな別世界でした。2階には階段を上がった所から一方にはリタイヤリングルームで、他方には外人用切符売り場とRefreshcornerがあります。その辺りで暫く英気を養い、再び1階に下りて、駅を越える構内通路に行くと、これはしたり、通路はいよいよ人で溢れかえっていました。NEW-DELHIの日曜はかくもすさまじいことが判ったのです。
猛烈な人混みをかき分けて駅の裏手に出たが、声を掛けてくる連中の一人に、RED-FORTまでいくらか聞くと、100ドルだとか無茶苦茶の答えだ。やはり、旅行記の通りだ。ふん、なるほどっと思い、50ルピーって言うと、旅行記とは違って無視されました。結論から言うと、値段交渉は運転手と直接しなければいけないのです。さっと途中から入ってくるのは中間マージンをせびろうとする連中ってことで、一日に一人でも捕まえれば御の字って輩ですからね。
で、予想外の成行きに戸惑いながら歩いていると、運転手が声を掛けてきて、交渉の結果、80ルピーで交渉は成立したのですが、やはり高すぎたようで、以降、経験を重ねて、交通費はだんだんと安くなってゆきました。特に友人は、僕のように、10ルピー(20円)なんてどうでもいいやってえのは許せない性格で、車の代金交渉では頑張ってくれました。でも彼って、食い物には貪欲で、インドに慣れるに従って、あれこれと高いものを平気で食うようになり、その際には100ルピー(200円)なんて全く気にしないのです。その精神的格差は、僕には理解できなかったす。だが旅の後半になって判ったが、食い物に対する欲求は、結局は体力の強弱になるってことでした。つまり、人間は食わないと強力な体力、精神力は維持できないってことです。こんなとこ、人間って面白いですね。ところで体力ですが、僕の方は最初は便秘に悩み、途中で寝台車の隙間風で風邪をひき、便秘解消の便秘薬で、今度は下痢になるなど、更には歯痛が始まり夜中には鈍痛で目が覚め、濃い塩水でうがいしては、歯痛を麻痺させるなど、体力は低下の一方だったすが、友人は、その食欲の回復に従っていよいよ元気になったのです。つまり、食に対するどん欲さこそ人間の体力って彼は身をもって証明したってことです。(だっ、脱帽っす)それに、10ルピーのことなんですが、帰国してから地球の歩き方掲示板インドで調べると、インド人同士のチップは1~2RSさんですが、日本人が同様に支払うと不満な顔をして、より多くを要求するってことらしいです。そう言えば、乞食でも2RSやっても不満な顔をした奴がいたですね。くそっ! で、とにかく、10RSは、本来連中には大きな金額だけど、日本人からもらったら不満なジェスチャーをするのが慣習らしいです。で、再びインドに行く機会があったら、10RSどころか、1RSにこだわる男になろうと決心した私です。
ところで、旅の最後になって判ったのですが、NEW-DELHI駅には横断橋が2個あり、駅の裏手(東側)の二つの橋の中間辺りに、判りずらいようにと地下鉄の入口があるのです。そうして地下鉄はなぜかとても空いています。しかも、とってもきれいです。これを有効に利用すべきであったと、旅の終わりに気付いたのです。DELHI駅の地下鉄入口は、駅の南口から出てずっと左側です。いずれも、目立たない入口なんで注意しましょうね。地下鉄の有効利用は絶対にお薦めです。
さて、RED-FORTに着くと、な、なんと入場の列が100mも並んでいるではないですか!あかん!とインド観光最初の出鼻をくじかれ、絶望となりました。が、仕方なく、友人は列に並び、僕は切符を買いに行きました。で、切符売り場も長蛇の列です。こりゃだめだ、もう日本に帰ろう、って冗談で無く思った時に、警備員のおじさんが、お前はこっちで買え、って指さした方は、誰も並んでない窓口です。また詐欺か、と窓口の看板見ると「外国人」って書いてまして、さっきの窓口には6ルピーって書いてるのに、そこは250ルピーって書いてました。で、余りの金額差に驚いたのですが、もうヤケクソ、清水の舞台からって気持ちで切符を2枚買うと、警備員がお前は列の前に行って良いって言うのです。で、友人の所に行って、友人を連れて、長蛇の何倍もの列を横目にさっさと城の入口に向かいました。てなことで、金の力を強烈に認識しましたわ。つまりこの国では、外国人の入場料は国民の何十倍ですが、特権も与えられるってことです。究極の資本主義じゃないですか?さて、RED-FORTがいかに素晴らしいものかは、他の旅行記を見て戴くとして、文明って不思議なもので、城の各部の豪胆さ、それに、繊細さって、その文明が衰えると殆ど消え去ってしまうものなんですね。って、深遠なる文明論に目覚めたのちに、城を出てJAMA-MASJID寺院に向かいました。
日曜のせいか、道は、日本の夜店とか浅草の仲見世の密集状態をを2~3倍に増やし、そこに野良牛、それに忘れてならないのが野良犬で、牛も犬も全く緊張感なくぶらぶら歩いているか、道にぼてっと横になってるのですが、その牛や犬を人混みに放り込み、道は泥道のほうぼうに牛のふんを置いた状態と思えばいいです。古本、玩具、衣類、食料品と何でも売っている、この通りが、彼方の寺院の高い階段、そこはセポイの乱でインド反乱軍が死体の山を築いたって階段にまで続いています。その間、当然ですが、いろんな声が我々をだまくらかそうって掛けられるのですが、僕は、周囲を確認する時だけは、うつろな目を周囲に向けるだけなので、その放心的様子にぎくっとして、さすがのインド人も再び声を掛けるのをためらうのです。だが、まだ慣れない友人は、「NO」「NO」って優しく言うので、敵は図に乗ってコンタクトを続けるのです。でもまあ、いずれ友人も慣れるだろうと僕は思いました。
階段を上がって、門を入ろうとすると、靴を脱げといわれ、靴を脱ぐと、カメラ持ち込み料を200ルピー出せと言われた。何で、金がいるねん、と考えて、「もういい、入らない」と言うと、勝手にしろと無視された。で、門の辺りで地球の歩き方を読んでみると、確かに、入場無料で、カメラ持ち込み料は200ルピーと理不尽なことが書いてありました。あきらめて、金を払い中に入り、どうせならっと、寺内を見物すると同時にミナレットに登ったのですが、ミナレットの階段も、頂上の空間もせまく、その狭い所に、見物客次々と入れるものだから、内部は圧密状態で、ほうほうの態でと退避した。
寺院の中を歩いていると、必ずや、「無料で案内したげる」ってとてもうっとうしい連中が現れる。で、適度に見学して、この寺院から退散し、ホテルに戻った。翌日16日(月)は、コーンノートンまで歩き、更に、JANTA-MANTARに行き、ここからオートリキシャでPURANAQIRAへと行った。この辺りでオートリキシャをひらうと、こちらが何も言うまでもなく、60RSとか70RSとか、多分、現地人の2倍程度であろうか、こちらも納得できる金額が提示されて気持ち良かった。11時半に宿に戻り、シャワーを浴びて12時にチェックアウトです。後で判りましたが、この宿は基本12時チェックアウトですが、12時以前にチェックインした時は、24時間後にチェックアウトですから注意しましょう。
昼食後、周遊を終えてDELHIに戻る25日の宿泊を確認して、NEW-DELHI駅に向かいました。BANARASへ16:20発です。
詐欺の手先達が声を掛ける間を縫って、駅に入りましたが、日曜の混雑に較べては比較的混雑は少なく、時間は十分にあるので、2階に登りました。昨日と同様に、ここは全くの別世界です。RefreshRoomで休憩して、さてホームに行こうかと階段の方に進んで行くと、若い二人のカップル、それも絵から抜け出たように見事なバックパックスタイルでかつ容姿端麗な2人がお互いに向き合って話し合っていた。こちらは、古い小型サムソナイトと背中にはぼろなナップザックの中古スタイルであるからして、それでなくとも、世界を旅してると若い人は熟年、老年者を無視する傾向があるとの経験から、「こんにちは」って声を掛けて横を通り過ぎ、暫く行くと、当方の連れが2人と話をしてる様子であった。で、戻って様子を窺うと、「旅行会社がホテルをアレンジして、ニューデリー駅で聞けば誰でも知ってるホテルだって来たのだが、誰も知らないのです。日本にもホテルにも連絡したが連絡が取れないので、今日はあきらめて、別のホテルに泊まろうと思ってるのです」とのことであった。手には英文の地球の歩き方を持っている。ってことは、英語はかなりいける筈、と見た。それにしても、このNewDelhi駅周辺で誰でも知ってるホテルなんて説明で済ますとは、ええ加減な旅行社であるわい。で、我々の泊まったホテルと、RECONFIRMに応じなかったCottageYesPleaseの場所を丁寧に教えてあげた。が、そこまで行くまでに、いろんな邪魔が入ることまでは話すことを忘れてしまった。で、その後、ずっと気になったのだが、25日にDelhiに戻った時に確認すると我々のホテルには来ていなかった。さて、彼等はどうしたのだろう。ひょっとすると我々の教えたホテルが余りにレベル低いので高級ホテルに変えたのかもしれない。それであっても、とにかく無事であったなら良いのだが。
さて、階段を下りて行き掲示板で調べると、Banaras(公称Varanasi)行きは12番線で、その前の列車が、まだ表示板に表示されていた。ホームへの渡り通路を12番線に行くと、ホームには我々の列車の前の出発の列車と思われるのが待機しており、ホームの変わる可能性もあり、渡り通路上で待つことにした。(表紙写真、左側ホームのお尻の見えている列車)だが、先発列車の出発時間になってもホームの列車が発車する気配はない。心配になってホームに降りて行くと、な、なんと、その列車が我々の乗る列車であることが、列車側面の表示で判った。で、走ってコーチ番号A1(A/C2段寝台で2Aクラスの車両だが、座席表示上の列車番号はA1であるとEチケットには書いてある)を見つけ、扉横の名簿で我々の名前を確認して乗り込んだ。
2Aクラスの列車は全て寝台車で、昼間も寝台状態で運航する。寝台は片側は上下2段が4寝台分が1コンパートメントで通路とカーテンで仕切られ、片側は、通路に平行に2段の寝台が個別のカーテンで仕切られて並んでいる。僕らの席は、4人分コンパートメントの2段上下である。反対側には、下段にインド人のおっさん(歳は我々より下かもしれないが我々より老けて見えた。インド人は苦労が多く老け易いのだろう)が、普段服って言うか、白いワイシャツのブレザーで横に寝ておった。列車は直ぐに発車し、我々は買っておいたバナナとか非常食を食べたり、車内を偵察して時間を過ごし、その内、車掌が寝具を配りに来たので、直ぐに毛布にもぐり込んだ。僕は直ぐに眠り込んだが、友人は車内販売をあれこれ買ったりしながら、インド人のおっさんの様子を観察してたらしい。友人によるとおっさんの席は通路側の寝台で、何故か、こちらに出張っていて、車掌がそこは駄目だと一生懸命説得し、ついには警官まで説得に来たが、頑として席を移らなかったそうだ。夜中に、タージマハールがあることで有名なAGRA、つまり僕らも帰路に寄るAGRAに着いた。騒音で目覚めた僕が、向かいの上段に来たおっさんに聞くと、ノルウエーとか言っておったが、下段には金髪の美しい女房らしき女が居た。インド人のおっさんは追い出されてしまったようだ。夜中にトイレから帰ってくると、色の白い見知らぬおっさんが、我々のコンパートメントから荷物を持ち出そうとしていた。「何しとんねん」と腕を掴むと、「すまん、すまん、女房の荷物や」と言って、金髪の女を指さした。金髪の女が笑って見ているので、僕の誤解であったと判った。その上の寝台のおっさんは、金髪夫婦の友人だったのだ。で、再び眠り、列車が止まったので、降りて車掌に聞くと、BANARASより1時間半前の停車駅で、時間は既に、到着予定時間を1時間も過ぎている。で、友人に、後1時間半やなあ、と言うと、友人は再び眠りだした。何となく眠れないので、僕は着替えして荷物も整理していると、30分もしないで列車が停車した。で、降り掛ける人に聞くと、BANARASだと言う、驚き友人を叩き起し、ドタバタと列車を下りてBANARASに降り立った。それにしても、なぜ斯様に不思議なことが起こるのだろう。実は、この現象はDELHIに帰る時にも起ったのだ。それはともかく、我々は、あのガンジスの聖地、沐浴のBANARASまで、かくも簡単に来てしまったのだ。
17日(火)
駅を出ると、雨がばらついており(何でインドの乾期に雨が降るのじゃ!)駅前はどろどろである。その中をサムソナイトを引きずりながら価格交渉となった。で、どたばたの末に50ルピーで、ゴードリヤまで、となった。が、こいつはゴドリヤーのかなり手前で降ろしやがった。後で気づいたが、ゴードリヤcrossingと明確に言うべきだったのだ。僕のあやふやな言い方をよいことに、敵は僕らをゴードリヤの端で下したのだろう。で、牛のくそと汚物でこねまくった泥の中をうろついて目的のFrined's Guest Houseに着いた。階段を上がって上がって、とても上の部屋だったが、部屋が上ほど高い家賃なのだ。屋上の500RSの部屋とその下の400RSの部屋を予約したが、400RSの同一階の部屋が取れたのだ。ここではインド料理を食べられると楽しみにしていたが、食事は給さないとのことであった。建物内を上下にうろうろしてる間に日本人らしき人に会ったが、このKさんはインドを放浪中で当日と翌日に行動を共にして色々教えてもらった。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://blog.goo.ne.jp/bonvoyager
彼によると、ここ暫くインドこのあたりは天候不順だったらしい。彼と話をしながら、河岸のガートをうろつき、下流側へと焼き場を越えて行ける所まで行き、迷子の末、昼食を日本食のMEGカフエを見つけ、うまい日本食まがいの昼食を食べ、午後はサルーナートまでご一緒した。サルーナートでは巨大な仏塔、それに、まさかお目に掛かるとは思わなかったアショカ王の石柱まで見ることができた。歴史の本で読んだ事物を自分の目で見ることができるのが大いなる旅の楽しみなのだ。ところでアショカ王は、マウリヤ王国の王で、カリンガ王国制覇の悲惨な戦争を目のあたりにして戦争から平和へと方針転換し石柱に戦争の悲惨さを刻み各所に建てたのだ。街に戻り、夕食をまたMEGカフエーで食べた。
18日(水)
翌日はKさんも共にガンジー河の夜明けを船で楽しんだ。
船でぶらついているとガートの所々に巨大な円柱建物があり、何かと聞くと、それは巨大な汚水溜めで夜中に放水するとのことであった。それを聞いて、うかつにガンジスには浸かれないなあ、と思った。当然だが船でも焼場とか対岸も見物した。朝食は、Kさんが既に探しておいた現地人レストランで、ソモサとか言う揚げ物で終えた。Kさんは既にしてインド人並みで、やはり現地食に慣れることがインドを制する道なのであろうと思えた。Kさんとはここで別れ、我々は、ガンジスに沿って、上流側の寺院まで歩くことにした。帰りは、Bread of life Bakaryまで歩き、昼飯はスパゲッテ+オムレツで済まし、リキシャに乗ってゴードリヤーへと戻った。宿の支払いを終えて、リキシャで駅へと向かったが、リキシャのおっさんは土産物やへ連れ込もうとし、どなりつけて駅へと向かわせた。駅近傍は激しいラッシュ状態で、もうすぐ駅って時にバスに接触されて車輪が曲がってしまった。ここの交通法規は強いもの勝ちであるからして、リキシャのおっさんにはつらい損失であった。
結局、この旅でここだけだったのだが、駅の列車表示板は壊れていて、それも、ずっと壊れてますって雰囲気であった。どうしようかと言い合っていると、傲慢そうなおっさんが近寄ってきて、「困ったことあるかい?」と聞くので、ノーと答えた。もう今や、現地人のオファー、アドバイスには即座に拒否するって習慣が出来上がっている。で、駅内のインフォメーションに行くと先ほどのおっさんが(今後G氏とする)居て、「さっき、助けようと言ったろ?」と皮肉をあびせられた。すまん、すまんと、とにかく謝り、列車状況を聞くと、インフォメーション周囲の床からちょっと高くなった所に座っていた現地人を追い払い、僕等にそこに座れ、と言い、「俺に任せろ」って言ってあとはうろつきはじめた。地球の歩き方を読むと、インフォメーションカウンターにはウマシャカさんって親切な人が居るって書いてあるので、インフォメーションの別の人に尋ねると、ウマシャカさんはカウンターの中にに座ってる人だと言う。そこでG氏が向こうに行ってるのを確かめ、ウマシャカさんに列車はどうなっているの?って尋ねると、私は何も言えないってことだった。どうやら上司たるG氏が全てのインフォメーション作業を抑えているらしい。
友人が偵察した所、掲示板の代わりに手書きの紙が張ってあり、AGRA行きの我々の列車は5番ホームらしい。今度は僕が代わりに偵察して、駅長室とかTouristCounter等に行き、状況とホームを聞いたがやはり5番ホームってことだった。時間がどんどんと過ぎて、出発時間前になっても、G氏は何も指示しない。とても心配になり彼に聞くと、俺に任せろ!ってばかり言う。友人は厳しい顔で、ホームに行くぞ!って言いだし、僕がG氏にそれを伝えると、勝手にしろ!俺は知らん!と、のたまわった。
で、渡り通路を経てホームに降りたが車両位置は全く判らない。で、僕が偵察にと駅員室に向かったが、その途上、インド人ガイドに連れられた日本人2,3人に出会った。ここの車両クラスは何かって聞くと2Aだと言う。これは良かったと、友人を連れてきて一緒に並んだ。彼等は、カルカッタでマザーテレサのボランチィアをして、ついでにインドを旅しているとのことだった。が、その話は一人の若い女性ばかりがしてくれて、若い男性二人は僕等のことは全く眼中に無く、別のグループの欧米人の若者達とばかり話していた。
列車を待っていると、一行が突然移動を始めた。ホームが変わったとのことだが、我々はこの一行と出会うことでこの場を凌ぐことができた。この危機以後、AGRA、JAIIPUR、JODHPURで列車に乗ったが、各駅とも掲示板が完備で、しかも、車両配列も表示されているので、全く混乱なく車両に乗れたのだ。Banaras駅には気をつけよう。
僕らの席は車両端の上下段ベッドであった。4席に2人だけで、先ほどのグループの、我々の助けとなったインド人ガイドがやってきて世間話を始めた。どうやら彼がガイドする日本人は若く、それに旅が一緒になった欧米人とばかり話をするので、年寄りの我々と話をしたくて来たらしい。ところが、話を始めて直ぐに彼の話はエロ話になり、それが延々と続くのだ。しかも日本女性はイエローキャブだとかまで言い出し、話がいよいよ具体的になっていった。どうやらインド人ってかなり性的に抑圧されていると思えた。彼がちょっと用事で向こうに行ってる間に僕等は上段に登り眠る態勢に入った。で、彼はエロ話を続けることが出来ずに自分の席に戻って行った。
ゆっくり眠れるかと思ったが、車両端には換気扇があり、ここから冷風が吹き込み、トイレに行く乗客の扉の開閉で眠りを妨げられ、その内に喉が異常に痛くなってきた。この風邪ひきは、熱は無いものの、喉の痛みと肺系統への痰のたまりを起こし、それからはずっとマスクをして行動し、結局日本に戻ってから2週間経って漸く治ったのだ。この話は、車両端の席を予約しない方が良いって教訓です。
19日(木)
AGRAにはやはり1時間ほど遅れて着いた。つまり、インド列車は遅延がごく普通だとして旅の計画は立てねばならない。さて、駅のインフォメーションに行き、TOURが有れば申し込もうとしたが、今日と明日はTOURは無いとのことだった。明日は金曜でタージマハールは休みだからTOURは無いのは判るのだが、なぜ木曜の今日かの説明はなかった。宿に着いてから教えられたのだが、当日はAGRAの観光地は入場料無料だったが、このことと関係あるのかもしれない。いずれにしても、見どころは、近場のタージマハールやAGRA城だけではないのだが、TOURに頼らず自分たちだけで回らねばならない。
とにかく宿まで行こうと駅の外に出て、交渉するが50RSでOKする奴がいない。横から調子の良い兄ちゃんが、50RSでいいよって言い、我々を先導していった。が、なんとオートリキシャでは無くて、珍しくも普通車で、それも、ままあの車だった。本当に50でいいのかと確認してもOKと言う。で乗ったのだが、結局は恩を売る手段であった。連中って、僕等が考える以上に賢いのだ。我々には常識外の、いろんな方法で頑張るってことです。
僕等のホテルはAGRA城の裏手のOLDCITYであった。そこまで相当の距離があり、その間に、今日明日の予定を聞かれ、結局明日のTOURを1300RSでOKしてしまった。TourはAGRAの街の北西に9kmにあるスイカンドラ(アクバルの墓所)と南西に37kmもの所のファーチィブルスイークリーで、Tourが無いならオートリキシャで回るには大変だと思っていた所だ。で、話は飛ぶが、Tour当日は、周遊の途中の昼食に、高いレストランに連れ込まれ、昼食に400RS/1人で運ちゃんの分も持つことになったのだが、でもまあ、1人当たり昼飯込みで2600円で、かなりのTourが出来たことになる。他国での経験だと、、車代だけで100ドルは最低掛かるところだろう。
話を当日に戻して、宿は一泊400RSであったが、十分な広さとまあまあの清潔さであった。食事もまあまあで、しかもAGRA城へはスープの冷めない距離である。ここはお薦めのホテルであったろう。
で、ホテルに頼んで自転車を借りた。出発の時にフロントが「あなた方は運が良い。今日はAGRAの見所は無料って、新聞に書いてある」とサンスクリットで書いてあり僕には読めないインドの新聞を見せてくれた。
自転車はサドルが高くて、しかも、高さが調整出来ない。自転車には自信のある僕だが、停まる時に横に倒れながら足が着くまで待つって方法は怖かった。が、自転車の旅は順調で、河に沿って真っ直ぐに行くとタージマハールらしき所に着いた。で、タージマハールはどこか?って聞くと「この先だが、自転車は入れない」ってきた。でもまあ、インド人のウソには慣れているので、警官に止められるまで行こうと、その後も続く、うっとうしい助言は無視してどんどん進むと入場門の所まで行けた。やはり、その間誰も自転車を止めることは無かった。
土産物屋の駐車場の横手に、自転車を鎖でつないで入場門へと行った。フロントの言ったように、入場料は無料であった。が、僕の荷物に。電卓とノート、それに果物用ナイフ、自分用のナイフとフォークまで入っていて警備員に制止された。地球の歩き方に、このあたりの注意がちゃんと書いてあったのに、頭が完全に呆けているのだ。警備員が外の預け所に持ってけ、と言ったが、預け所はかなり遠そうであった。そこで、自転車を置いた土産物やで、50RS(自転車預かりは別に10RS)で預けて、なんとか入場できた。
でまあとにかく、自由旅行の長所を多いに発揮して、タージマハール、それに午後はAGRA城をじっくりと楽しんだ。
20日(金)
先述のように、タクシで午前中はファーテーブルスイークリ、午後はスイカンドラーをじっくりと楽しんだ。高い昼食をおごってやったのに、運転手は土産物やに連れ込もうとした。だがこれを断るとあっさりと宿に連れ帰ってくれた。別れ際に、チップは無いのか?と言うので無いって答えると、これもあっさりとあきらめた。高価な昼食の威力であろうか、と考えた。
宿のオーナーは、後で双子と判ったが、しかも、別々にフロントに立つので、初日は全く彼等が双子とは気付かず、双子の片割れに話したことが、他方に通じておらず混乱極まりない状態になった。が、とにかく、溜まりに溜まったランドリーとかも片付け、JAIPURの宿のRE-CONFIRM(JAIPURの宿は条件が厳しく、前日でのRE-CONFIRMが要求されていた。何度も書くが、その宿ARYA-NIWASは800RSにしては素晴らしい宿だった)も、無料のNETでCONFIREMのE-MAIL送ったが返事が無く、フロントで電話を借りて(これも無料だった)再度確認すると、既にRE-CONFIRM出来てますだってさ。
夜から朝までのフロントには、双子のオーナーではなく、雇われのMANEGERが立つが、このおっさんもかなりしっかりしていて、21日のJAIPUR行きのバスの切符購入を頼んでおいたら、ちゃんと購入してくれた。だが、200RSx2人の切符代金に対して、切符手配の足代50RSの往復、つまり100RSを手数料として取られたが、まあ、これは妥当なとこかと思える。彼等はまだしも自分で行く時の費用もその程度掛かるし、それと時間ロスもあるから、そのあたりとの兼ね合いですよね。
で、足代だけでは悪いかな、と、余計なことかもしれないが、1ドルお礼にあげて「is it usefull for you?」って聞いたら「usefull」って喜んでいた。
21日(土)
そのおっちゃんに頼んで、50RSで、バスの出発するバススタンドのさくらホテルまでのオートリキシャを捕まえてもらった。おっちゃんはさっさっと捕まえて値段交渉もしてくれた。1ドルの効果って抜群です。で、難無く、さくらホテルまで行けた。さくらホテルで昼食用サンドイッチを買ったら、小さなサンドイッチが50RSもした。が、JAIPURまでのバス旅行の途中で20分程度の昼食タイムがあるので不要であったかもです。昼食は、今回の旅行で初めてのマサーラドーサを頼んだが、これは注文してから時間が掛かるので、別の安いのにすべきだった。(この国では高い食べ物は注文してから出来るまで時間が掛かるのだ。でも、55RSのマサーラドーサって高いの?)しかも、マサーラドーサって、少なくとも衣が僕の頭ほどの大きさで、かなり大きくて、バスの時間が迫る中で必死になって食べたのだ。
さて、話は戻って、バスの発車は9:30だが、さくらホテルに着くと、まだ早くて8:30のバスの出発前であった。で、ホテルさくらの部屋をみせてもらったり、周辺を歩いたりと、時間潰しをしていた。が、バスが出た後で考えると、時間を変更して8:30のバスにすれば良かったのだ。8:30のも9:30のも、バスはガラ空きであったのだ。だが、ホテルさくらも、僕等の泊まったのと同レベルであるが、ホテルの場所が町中で、しかも、見所からは離れているし、自転車観光の基地としてもどうだろうか、なんてことが、時間潰しの結果判ったのだ。
バスはこの国の混乱する道路の中へと、時間通り9:30に発車した。が、車は昨日のファーティプルスイークリーへの道をそのまま進んでいった。で、当然のことながら、同所を横に見て更にと進んでいった。国道の道って余り変化はなく、それに、咽風邪がひどくなって余り周囲状況を把握できないままの旅となった。でもまあ、やはり、途中でパンクするなんてハプニングはどうしても起るんです。この国ではね。
で、JAIPURに3時には着く筈が、4時は過ぎてましたなぁ。
JAIPURの中央バススタンドもまた混乱の巷で、客引きの集中攻撃の中で、しかも訳わからん地球の旅の地図を元に、牛のくそだらけのガタガタ道を宿を探して放浪した。こんな時にはサムソナイトは不適切ですね。でも背中に背負うのも疲れるでしょうしね。
で、なんとか宿を探してチェックインしたけど、AryaNiwasって宿はフロントの質からして良かったですね。でも、2 singleって頼んでいたのに、ダブルで広い部屋になります。なんて言うのです。そりゃ困るって言うと、ダブルは広くていいですよっとか何とか言うけど、やはり駄目だって断ると、暫く考えて、では 2singleにできますが、明日は部屋を代わる必要がありますって言う。それは困る、じゃあダブルで良いが、宿泊費はどうなる?って聞くと、singleで同じでいいです、ってさ。なんだ、と思いほっとしたが、友人はこの話し合いの経過を聞き取れてないので、僕は話の経過を黙ったまま、ダブルと思われる部屋のキーを先にもらったのです。ずるいなぁ。でも、結局は、二人ともダブルの部屋だったんですけどね。
さて急いで明日のTourを手配しなきゃ、とホテルのフロントで尋ねると、Tour料金は200RSで、ホテルチャージが更に900RSだってことです。それは呆らしい、と宿を出た。JAIPURの見所は散らばっていて、しかも明日1日しかないので、どうしてもTourに加わらねばならないのだ。で、MirzaIsmail通りのTouristHotelに行ったが、なぜか、TouristHotelは無くなっていた。さらにMirzaIsmailに沿って北上してGangaurHotelでRTDC(政府観光局)を見つけた。僕らのリクエストは、簡単に受付けられ、入場料、昼食は別で200RS/1人って安さで、ホテルで言っていた通りの金額であった。
ホテルに帰る途中、友人の希望で、ホテル手前の宝石屋に入った。友人はバスで知り合ったインド人ガイドから、JAIPURの特産品だと教えられ、スターサファイアを買いたいと言い出したのだ。だが、その宝石店は極めて良心的で、安ものしか置いてないって、それを自己申告したので友人は購入をあきらめた。が僕は、店主が見せた500RS(1000円)って言う石の、妖しい十字の輝きが余りにも気に入って、言い値で一個買ってしまった。その十字の輝きって、石の表面の、その更に上に、ぼうっと出来るのだが、友人には見えないらしい。(翌日、太陽の光で出来る鋭い十字は友人には見えたけどね)で、帰ってから調べたが、石は宝石ではなく、半貴石のブラックスターって石らしい。てなわけで、僕は、エジプト旅行で手に入れたエジプトの星って鉱石と、ここで手に入れたブラックスターって素晴らしいのを持ってるわけだ。
さてホテルに帰ったが、AryaNiwasってホテルは、部屋は清潔で、トイレとシャワーの間に床の仕切りとビニールカーテンまであり、シーツとタオルは毎日交換で、レストランは清潔で食い物がうまいって、それじゃ悪いとこが全く無いじゃないですか!ってとこです。ただ、ここでTOURを頼むと、TOUR料金200RSにホテルチャージが900RSかかるってことだけが欠点かな。
22日(日)
GangaurHotelで待ってると、中型のバス(昨日のデラックスバスよりはましなの)が来て、席は全て指定席であった。その一番前の席に日本人のK嬢が居て声を掛けたが、その後はK嬢と行動を共にすることになった。バスはJAIPURの見所を順次回り、愉快なインド人ガイドに導かれてなかなか愉快な旅であった。が、やはりインドのこと、土産物店2軒で充分な時間を取った。で、友人はスカーフをいっぱい買い、僕は、像の彫り物を一個250RSで2個買った。これも、なかなか気に入っている。話は先になるが、土産物は、後、Jodhpurの砦の土産物店でカップのコースター250RSx4個(これは手塗りだけど、高すぎじゃないか?)デリーのCentralCottageIndustriesEmporiumで、GaramMasaraの小パック数個、紅茶パック3個、だけど、コースター以外は今でも満足ですわい。
どこに行ったか、何が良かったかは、他の旅行記参照です。ただ、地球の歩き方に加えて説明すると、JAIPURの城壁で囲まれた街の上に位置するのがナルガール要塞です、が、ここへの道は、バスで行くのは、町の東端から半時計方向に、水の宮殿を経て、更に、ずっと遠回りして登って行きます。その途中でアンベール城への道が向こうへ(更に北側へ)と分岐してあり、更に登って行くと、アンベール城の上にあるジャイガル要塞への道も同じく向こうへと分岐してます。その周辺には万里の長城のような城壁が峰をつないで続いています。ですから、ナルガール要塞もジャイガル要塞も観光バスで行けます。ただアンベール城への道は、城の直下辺りで細い道になるので、歩いて上がるか、ジープで上がるかでして、ガイドがジープを呼び集めて1人25RSを徴収しました。
23日(月)
JODHPURへの列車は11:50発で17:30JODHPUR着です。JAIPUR駅は今までで最も設備が整っていて、待ち合いのきれいな椅子もいっぱいにありました。掲示板は完備してるし何の心配もない駅でした。ときどき足の無い乞食とか、子供連れのばあさん乞食が来ますが、ここでは、他の街では不満そうな顔をされる金額の1RSとか2RSの小銭を上げると、とても喜んでくれました。列車は殆ど遅れなく到着し、2Aクラスの列車で、2段寝台のままの状態で行くのですが、インド人は殆ど寝台で寝転んで行くようですが、我々も欧州人もどうしても1段目に座る傾向があります。僕の前には30歳程度のインド人が、僕たちの目の前で横になり、携帯電話をしまくってました。友人はあきれて上段に登って眠ろうとしましたが、列車の音響に負けじと大声での携帯には眠れる筈もありません。結局おっさんは、目的地に着くまで5時間以上を数台の携帯で全く間断なく電話してました。腹の立った僕は、上段の友人と大声で話し始めたのですが、その音響に負けまいとインド人は更に大声で汗を流しながら電話してました。喋りで体が熱くなったのか扇風機のスイッチを入れたのですが、すかさず、僕がそのスイッチを切ったので、扇風機だけはあきらめたようです。目的地近くで車掌が毛布、シーツを回収にきたのですが、おっさんは毛布を回収されまいとしっかりと掴んだまま電話を続けてました。が列車が駅に滑り込む時点で、車掌が無理やり毛布を引きはがしてしまいました。
思えば、最初の列車では、自分の席ではない寝台に執着する爺さん、次は、エロ話をし続けるガイド、ここでは数台の電話を間断なく続けるおっさんと、インド人ってかなり変なのと違いますか?それとも、それがインドでは世界標準なんやろか。
さて列車では初めての昼間旅行であったが、インドではトイレは昭和50年代までの日本と同様に、小便、ウンチ共に線路への垂れ流しで、うんちスタイルもまた、懐かしい足の痺れを伴う、かがみスタイルで、きばることなく力の入るスタイルは、便秘気味の僕には快適でした。列車の扉はと言えば30年代までと同様に開閉自由です。全てが懐かしいですね。それに、扉を開けてデッキに座り、眼前を流れ去る、営々と耕され続けた、悠久の大地、その姿も日本とは異なり、畑の中には、まばらではあるものの、かなりの数の木が植えられ、その木々は肥料としてか、焚き木としてか、枝葉を丸刈りにされた瘤だらけの枝ぶりで、それらが水平線まで、延々と続く風景が目の前を奔って行きます。ところどころで、岩塩を細かく砕く施設などもあって異国情緒満点でした。
JODHPUR駅に着いて、もうインドの駅には慣れてますので、駅そばのホテルへと急行したのですが、ホテルからの迎のことを全く忘れていました。ホテル近くで、なんと、K嬢と出会いまして、彼女も同じホテルに泊まることになりました。
ここの屋上は「hill view restrant」って名ですが、丘の要塞は半分しかみえません。ここで友人は、蒸気の吹き出る大きなBigStakeを注文して、おいしそうに食べていました。インドでステーキ食べるとばちが当たるんじゃないか?でもまあ、野良牛撲滅の一翼を担ったとも言えるでしょう。
24日(火)
K嬢はホテル近くのインフォメーションで列車の切符を買うとかで、別行動となり、我々は早速街後方の砦にと向かいました。
この砦はなかなかの物で、午前中いっぱいを見学しました。ここはお薦めの見所でした。(説明省略ですけど)
ホテルに帰り、食事を終えて、荷物をまとめてフロントに預けてから、街の見学です。
で、細い小道を通り時計台へと進んでゆきました。途中で荷馬車が通りがかり、後ろに乗っていたずるそうな青年が、写真を撮れ写真を撮れ、と言うのですが、これを無視しました。で、暫く行くと、同じ青年が近寄ってきてすれ違ったのですが、腰のあたりが急に軽くなり、あれっと思ったらカメラが無くなっていました。
僕のカメラはもう十年以上前のディジタルで、消費電力が多く、液晶は消してファインダーで写すようにしていますが、ファインダー内部に異常があり、恥ずかしくて他の人には写させないようにしています。エジプト人にも馬鹿にされるほどの古さとなっていました。でも、けちな僕は、情も移ったこともあり、まだ写るカメラを捨てるには忍びなく使っていたのですが、近回、そのカメラは幸いにもインド人の手に渡り、しかも、修繕が巧みなインド人ですから、今後も一生懸命に働く機会を得ることができたのです。よかったです。
それにメモリー容量は175枚程度で、砦の下で取り換えたばかりで余り損害も無かったですし。
さて、時計台の近くで道を間違って、我々はHillViewGesthouseの下に行ってしまいました。と、有名なZafran嬢が我々を見つけベランダに上がってこいって言い、そこで1時間ほども馬鹿話をして、さらに友人は地球の歩き方に、同ホテルの推薦状を書かされてしまいました。今度行く時はここに泊まりますね。
で、時計台と、時計台からのすご~い通りを経てホテルに帰ったのです。どう凄いかは想像するか、行って見てください。(でも、それでは余りに薄情やから、友人の写したの掲載するかな、とも思ったのですが、あのすさまじい混雑を移す画面はなかったのです)
JODHPUR発の列車は定刻で発車し、全てが好調な一日でした。ただ、僕等の席は、隙間風の心配な車両端の2段で、僕は喉が痛いので下段とし、友人は上段でしたが、神聖なるインドの牛をむしゃくしゃ食った友人は体力充満で風邪なんてどこ吹く風だったです。
ところで、僕はあのカメラが、今もインドで活躍してくれるのを心から願い、あのカメラを使うインド人にもエールを送りたいと思います。
25日(水)
DEC cantに遅れて6:30に着いて、あと30分あると友人に言ったが、10分程度でDelhi駅に着いてしまった。僕はもう準備してたので問題は無かったが、友人は寝間着状態で降りることになりました。インドの時刻表ってどうしてこうなってるのだろう。
Delhi駅の南口はどこに出るのか判らないような変な駅で、出口が小さくて判らないのだ。で、何とか出口を聞きだして、外に出て、今度は地下鉄を探したが、これも判りずらい。結局駅を出てず~っと左の方に行くと、ぽっこりとトーチカのような地下鉄入口の建物があるのだ。だが、地下鉄そのものは、NewDelhiまで9RSと、とても安くしかも清潔で空いていて素晴らしい乗り物ってことが判った。で、NewDelhiまで着けば、混乱もなんのその、自分の家に帰ったようなものだ。
ホテルに戻り、朝食を近くのSam'sCaffeの豪華なAmericanBreakfast(実際にとてもおいしくボリュームもある)を取り、NewDelhi駅向こうの、カムラマーケットバス駅に向かった。再び混乱の巷である。505番のバスで、クトウブミナルを往復した。
ここもとても素晴らしいものだった。何か学会の先生らしき日本人が何人か来ていたが何者だったのか?
いずれにしても、これで、インドの交通機関は全て制覇したことも注記すべきだろう。最後のバスが最も、混んでいて面白かったです。
26日(木)
12時チェックアウトと思っていたら、12時より以前にチェックインした時は24時間でチェックアウトらしい。そこで、荷物をフロントに預けて土産を買うべく、コーンノートンの向こうにあるCentralCottageIndustriesEmporiumに行った。なかなか品数も多く、感じの良い店で、望ましい土産を買うことができた。帰る途中で、Amberって高級インド料理店に入ったが、2人で585RSで、勘定書渡すときに、サービス料は入ってないですって講釈垂れられた。で、チップをどの程度にするかと迷ったが、620RS払ったら喜んでもらえました。
宿に帰り、出発しようとすると、待ったが掛かり、部屋の小さなテーブルの、上面のガラスが割れてるってクレームが入った。白を切り通したが、突っ込み式加熱機で湯沸かしする時に、濡れタオルを鍋の下に敷いていたのだが、ガラスは100度でも割れるのかも、と気づいた。が、そのことは内緒で押し通した。
NewDelhi駅とは反対側の、CottageYesPleaseの近くで400RSで空港までのTaxiを拾った。が、空港道路途上で、しかも高速側でエンストとなり、運ちゃんがTaxを拾って、Taxiに150払ってくれってことで乗り換えです。先の運ちゃんには400Rsとの差の250です。高速で走る車の中での乗り換えで大変でした。で、空港に着いて、TAXIに150RSのところを200RSやったけど、先の運ちゃんに250RS払ったの見てるから不満顔でした。チップも入れて不満顔って嫌なもんですわ。
空港のチェックインカウンターに行こうとしたら、あんたらは出発時間まで6時間あるから入れない、待ち合いが道路向こうにあると制止されてしまった。あれこれ聞き回って調べたところ、チェックインは3時間前にならないと駄目で、待合室は6時間前から利用できて、それ以上はレストランで待機ってことでした。で、待合室に行こうとしたら50RS必要だって言われたので、けちな僕らはこれを拒否し、移動して、別の待合入口前の無料椅子で待つことにした。で、そこで、空港の中をあれこれと偵察したが疲れてしまった。しゃあない待合に入ろうか、と、その入口で金を払おうとしたが、航空券見せろって言われ、見せると、6時間前にはなっているので無料です、と言われた。先の入口の兄ちゃんは何をしたかったのだろう。
そこの椅子に座る若者二人を見かけて話をしたが、建築関係の学会があってインド旅行もついでにしたって言ってました。で、クトウブミナルで見かけた先生達のことも理解できましたね。旅行費の話が出て、僕等は航空券が8万円で14日で合計12万円掛かったって言うと、多いに驚いていたが、いったい彼等はどれだけ掛かったのだろうか?聞くのを忘れた。で、直ぐに彼等は出発3時間前になりチェックインへと向かった。ついで我々はレストランに食事に行ったが、ここで世界一周旅行券で旅する二人の若い女性と出会い、インドでの馬鹿な経験を話し合った。
てなことで、Delhi空港に至り漸く日本人に次々と出会うことになりましたわい。

疲れたし、それに、年末で掃除とか、年賀状作るので忙しいから、旅行記はこれで一応の終了とします。
旅の間に気づいたことを、思いだすたびに注記します。
①ランドリー費用はとても安く、下着上下3替、靴下3替、ハンカチ3替、長そでシャツ1着、パンツ1着で、80RS程度でした。
②通貨交換率は、空港が10,000円=4,600RS、DELHIホテル傍で、最初は4,900RS、その後、5,000RSでした。ATMでの現金購入額は7,000RSで、2ヶ月後の支払請求13,738円(約50日分金利共)で、10,000円で5,095RSでしたから、結局、ATMが最も有利だったです。

クロアチア、スロバニアと、モンテネグロ周遊ツアー 2009年7月14日

元々は、9月頃の個人旅行を計画したのだが、最近は格安航空券、しかも超格安のが手に入りにくくなった。で、新聞で7月半ばでかなりお得なツアーを見かけ、すぐに電話してしまった。当初計画では、特に安い南回りローマ便を使い、ローマでEUR T/Cを無料交換してからANCONAに行き、ウルビーノを観光後、夜間フエリーでアドリア海を渡り、SPLIT、それから昼間フェリーでDUBROVNIK、次いで、週に一度の昼間フェリー(夜間フェリーは週3~4夜程度はある)で、イタリヤのBARIに戻り、ローマに帰る。そんな計画で、アドリア海周辺を楽しむ積もりであったが、気楽なツアーになってしまった。で、アドリア海の船便は無くなったが、スロベニヤの見所も訪問できることになった。
結果として、スロバニヤのblejsko湖とpostojnia洞窟も見ることが出来たが、特にpostojnia洞窟は思いもよらない程に巨大で、これを見るだけで、今回のツアーの意味があり、更には、クロアチアのDUBROVNIKも、予想以上の美しい街であった。で、今回のツアー選択には大きな成果があった。だがしかし、往復2400kmのバス旅であり、日本に帰るとさすがに疲れた、と実感した。
結局、旅のルートはオーストリアのGrazに降り立ち→Blejski泊→blejsko湖→postojnia洞窟→opatia宿泊→古都Zadar→sijn宿泊→古都Trogir→古都Split→Dubrobnik近郊泊→古都Dubrovnik→古都Kotor→Dubrobnik近郊泊→Mostarの橋→Plitvice近郊泊→Plitvice湖沼群→Zagreb泊→Grazより帰国へ となっとりました。
さて、旅行費であるが、9日間 本体費199,800円、空港税5,220円、燃料サーチャージ 9000円 で合計214,020 と安い方であった。
成田集合は、9:50で、集まってみると、参加者総数は38人であった。それを知った参加者がみなみな、へ~!と、その多さに驚いた。が、参加者の殆どが海外旅行の猛者で、それに、耳掛式のトランシーバーもあり、旅の全スケジュールはスムースなものであった。
それと。これも奇妙なのだが、旅の間にグループとして多くの日本人には出会ったが、韓国人や中国人には全く出会うことが無かった。彼等も、この地方に来るまでには育っていないらしい。
さて、航空便はルフトハンザで、12:20成田発で、17:40MUNCH着、19:15MUNCH発で、20:10GRAZ着で、そこからバスでオーストリア/スロベニア国境を越えて、24:00頃に、ブレッツ湖に着く。初日からかなりの強行軍であった。成田からは、A-300(席は2+4+2)で窓際の2席であったが、雲が多くて視界はあまり良くなかった。たまに見える景色も、この時期のシベリアのツンドラは余り変わり映えしない風景が延々と続くが、時に、ミサイル発射基地のようなものが見えた。MUNCHからは、プロペラのデハビラントで、三圃農業のオーストリア風景が良く見えた。緯度が高く、夕方9時頃までは十分に明るかったです。GRAZの入国審査員は余り日本人に慣れていないのか、どこに行くのとか、どこに泊まるか、とかと、うるさかったのが記憶に残っている。
●ブレッド湖は、南北1km東西3km程度の小さな湖で、この地方が石灰岩質のために、真っ青な水面の美しい湖です。町は湖の東端に集まり、ホテルもこの一角にあります。湖の西端に国鉄のブレッド駅があるが、列車便数は少ないとのことです。湖の真ん中にある聖マリア教会と町から半時計方向に少し回った所にあるブレッド城が、ここの見所です。それなりの美しい湖と城塞、教会の風景ってスイスに良くある風景です。この白っぽい青さの水は、スロベニヤやクロアチアに共通のもので、すべて石灰岩質のなせる現象ですが、石灰質の為せる水風景、それに鍾乳洞やカルスト地形は、日本のものに較べて極めて巨大で広大なものとなっています。実際のところ、帰ってから地図で見ると、ここからクロアチアのSPLIT辺りまでが、カルスト地方って、カルスト地帯そのままの地方名となっていることに気づきました。
HOTELは、狭い湖周回道路をはさんですぐの山側に建っていて、早朝に散歩すると、とても美しい湖でした。が、散歩途上で帰って来る一人のツアー員に出会いまして、既にブレッド城に登ってきたとのことです。恐ろしいおっさんが参加してたものです。この人は、のちにDUBROVNIKの自由時間に、DUBROVNIKの後ろの山頂に独りで登った(勿論TAXIで)とのことです。かように、この旅には猛者が集まっており、海外旅行21回目の人とか、6カ国語を喋れる若者とか、75歳の単独参加の婆さん(しかも、グーグルマップで宿泊場所を全部チェックしてきたってさ)とか、凄いのが参加してましたわい。
ところで、この地方のこの時期の気候は、最高温度28度程度で乾燥して過ごし易いとのことでしたが、初日から日差しが強く30度を超えてしかも湿度も高く、とっても暑い日々となってしまいました。帰りになりこの地方を通過する時になって漸く例年の、乾燥して過ごし易い気候を経験できました。で、薄手の長そでは、帰路の一日だけに必要でした。ただ、直射日光は強烈で、日焼けを嫌がるなら、日焼けクリームと長そでですよね。それに、ポストイナ洞窟内では雨具兼長そでが必要でした。僕は半そでで、しかも日焼けクリーム無しで過ごしたのでまっくろになりました。
●午後、ブレッド湖を出発し、首都LIBRIJANAをかすめて南下して、3時頃には、大洞窟ポストイナに着きました。スロベニアは南北100km程度の小さな国で、南北に縦断するのに2時間程度しか掛からなかったのです。なお東西も300km程度でほぼ四国の面積と同程度、スイスの半分程度の小さな国です。
洞窟の入口は、バスの駐車場から歩いて10分程度の所で、近代的な土産物やが並ぶ道を突き当たったところに、ちょっと階段があり、そこを登ると、右手に切符売り場と入口で、正面が崖に開いた洞窟で、ここが洞窟見学後の出口です。入口からは冷気が噴き出していて気持ちが良いのですが、更に入って行くと、更に寒くなって行きます。6度~8度ってことです。洞窟の中をどんどんと進み、何がなんだか判らん内にトロッコに乗っていました。トロッコは2席ごとのコンパートメントで車線は複線になってます。トロッコは約2kmを高速で疾走し、とがった鍾乳石が頭の上を猛スピードで通過します。各所で美しい鍾乳石がライトアップされています。終点に着き、ここで、英語グループとか独語グループに分かれて約1.7km程度を徒歩で観光するわけです。凄いものです。で、再びトロッコに乗って戻るのです。出口のプラットホーム下には、地底河があります。
詳しいのは、この人のとか読んでね。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://www.eu-alps.com/p-site/do-2003/612/612postojna-jama.htm
とにかく、ツアーに参加した人々は、これほどとは予想していなかったので多いに満足したのです。なおこの近辺にシュコツイアン鍾乳洞があり、ここも素晴らしいとのことですが、ちょっと辺鄙な所にあるのでツアーでは省略です。
●ところで、話はちょっと変わりますが、僕は出発の二日前から便秘状態になりました。最近は便秘になることがしばしばです。幸い、ルフトハンザ内で便意を催してトイレに入り、かなり時間を掛けて排出できました。トイレの中を十分に後始末をして扉を開けると数人が待っていて睨みつけられたのです。だがしかし、A300のエコノミーにはトイレの数はいっぱいにあるのです。が、トイレ待ちの人々は、反対側の通路や連絡通路のトイレが空いているのに気付かないで、僕の方の通路のトイレのことしか考えていなかったようです。人を睨みつけるよりもっと柔軟に行動して欲しいし、僕のウンチも柔軟になってほしいものです。
旅の3日目の夜に、便秘薬を飲んだのですが、これは翌日の昼に効いてしまって夜まで便を我慢するのに苦労して、次いで、ヨーロッパの水は便秘薬効果があるので、これも試しましたが、これは効きすぎて困りました。が、あれやこれやで、旅の最終頃になって漸く順調になった次第です。便秘薬は前日の昼ごろに飲めばどうなるかも試すとか、欧州の水道水をどう飲めば良いかとか、工夫の余地があります。

●あ~っと、暫く青春18キップで大阪に行っていたので、ここは休憩になってしまいました。大阪はとても暑かったです。奈良にも行って若草山に登ろうとしたのですが、とても暑くてあきらめました。今回気づいたのですが、奈良興福寺の南円堂の後ろに三重の塔がありますが、南円堂や五重の塔に較べると、とても軽快な感じがします。これはこれで、また、重厚な南円堂や五重の塔は、それを荘重に見せるために色んな工夫が見えました。素晴らしい作品だと感心しました。これらを建造した人々の想像力には実に関心させられます。
それと、大阪や奈良のせみは鼓膜が破れるほどウルサイことに気付きました。7月2日の日経に出ていますが、特に大阪では、ここ暫くでアブラゼミが減りクマゼミが増えたとのことです。これが原因です)

●ポストイナから南下すると、直ぐにCROATIAとの国境です。警備隊員が乗り込んできて各自のパスポートに入国印を押してゆきます。これが終わると、銀行らしき所に立ち寄って交換です。女房と2人分で、100EURを現地通貨クーナに交換しました。話は先になりますが、このツアー中には、EURの使える土産物屋で、岩塩とかジャム、乾燥イチゴなど50EUR使い合計150EUR、ホテルでドル交換や、枕銭で1ドル札など、74ドル使った。これらの金は以前の旅行で余った金で、やっぱりツアーは安く済みますです。
そうそう、それと首都のZAGREBの本屋で、EURで買おうとしたのですが、ここは現地通貨でないと駄目だと言われて、VISAを使いました。63クーナですから、1200円程度の本です。でも後で見たら英語の本と思って買ったけど、フランス語だったのよね。まあ、いいか、フランス語勉強中だし。
観光地では、EURが普通に使えますが、ドルは受け取ってくれません。が、ホテルでは交換してくれます。ホテルの交換レート表示板には円表示もありましたから、円も交換の可能性はありますが、充分には調べなかったです。申し訳ない。判る範囲では、1EUR=7.26クーナで更に交換手数料1.5%、1ドル=5.04クーナで更にホテル手数料は2%でした。
ところで、ネクタイはCROATIAで始まったってご存知ですか、それも、ディオクレアヌス宮殿のあるSPLITにSalonCroatiaって店があり、ここが老舗ってことです。ここでネクタイを買おうと、「Can I use doller?」
と聞くと、全く理解せず、他のツアーグループ添乗員に「彼は何を言っているのか?」と店員が聞き、添乗員は「彼はドルで払いたいって」と通訳されてしまいました。僕、自信喪失です。恐らく、去年1月のエジプト以来、英語を口にしていないので、強烈な発音を失ったせいと思えます。日本語の発音は静かですからね。
でも、とっても「くそっ!!」です。

●国境を越えて暫く行くと、もうアドリヤ海の海岸に出ます。夕方のせいかアドリア海は紺碧ではなかったです。そこのアドリア海岸に沿う町をRIJEKAと言い、川崎市と姉妹都市らしいです。我々の宿はここからちょっと海に向かって右に行ったOPATIAってリゾート街でした。CROATIAの街も清潔であると判りました。ただ、部屋に入ってクーラーが有るようには見えず、暑い一夜を過ごすのかと恐れたのですが、女房が「窓が開いているからちゃう?」と言うので、「そんなバカな」と言いながら窓を閉めると、クーラーが作動し始めたのです。この国の殆どのホテルのクーラーは窓の開閉とインタロックしてるので気をつけましょうね。クーラーが無い所もありますけどね。我々の仲間にも、そのことに気付かず、このホテルだけではなく、後のホテルでも、暑いので窓を開けたまま寝たって人が大勢いましたからね。

●翌朝は期待通りの紺碧の海に沿って、RIJEKAの町の崖上を南下しました。石灰岩の荒涼たる岩壁の島(これはどうやら相当巨大で長い島らしい)を対岸に見ながら、海沿いの岸壁道が続きます。海岸には砂浜はありませんが、多くの泳ぐ人々が見受けられました。
時々、海の家のような所に停まり、トイレ使用の金を払い用を足しては南下を続けました。
途中で道を内陸部へと向かい、highwayに入ります。この道は将来DBUROVNIKまで延長するとのことです。道はカルスト地形の中を走り、巨大な石灰石山系の下を6kmのトンネルで抜けて更に南下をつづけます。道は海岸に近寄り、またまた、石灰岩の島と深く入りこんだ紺碧の湾が続きます。ここで、高速道を下りてZADARへと向かいます。ZADARのOLD CITYは島になっていて、街は海まで500m長さ1kmていどの大きさです。その島が城壁で囲まれています。街の風情はベネツイアです。実は、これから行く、南の街は全てベネツイアに似ています。これは、街が海沿いの狭い平地にあることと、ベネツイアの支配下にあったことによると思われます。
OldCityとNewCityを隔てる水路は港になっていて、多くのフェリーが停泊しています。アドリア海を縦横に繋ぐヤドロリヤ社のフェリーが多く、事務所は旧市街と新市街を結ぶ橋のたもとにありました。ここの聖ドナト教会はドイツのEccelaCyapelと共に、円形の教会として有名らしいです。かってイタリヤの支配下にあり、連合軍の攻撃で港側の建物が破壊されたそうです。何でまた、こんな街を攻撃するんでしょうね。戦争って本当に馬鹿げているのですが、やっている本人達は命がけで真面目だから怖ろしいのです。
再び南下を続けると、海の入り江が美しい渓谷を作っているとか、谷間に湖があったり(それも絵のように美しい円形とか、いろんな形のが)、湖があるなれば、肥沃な畑も周囲にあって、とっても美しい景色が飛び出すのだ。どうやら、広大な山脈からの伏流水がこの美しい谷間を潤しているのだ。
あのディオクレチィアヌス皇帝の宮殿で有名なSPLITの山の上の方で、車は更に東の広い緑の高原に向かい、その街の片隅にあるホテルに停まった。このホテルは本当にクーラーが無かった(と、思う)が、緑の大地が涼しさを運んできた。そのSiNJって街は、観光とは全く縁の無さそうな緑の多い住宅街の街で、ホテルはその一隅にあった。(どう?ちょっと文学的表現じゃない?)

●翌朝は、Haiwayへの道を戻り、Haiwayを越えて海側へと下りて行った。前方に紺碧の海と高層住宅群が見えた。これが、SPLITの新市街で、宮殿はその向こうの旧市街にあるとのことだ。バスはここで右にと海岸に沿って進む。左側の海は実は巨大でふか~い湾なのだ。湾は延々と続き、ついには湾の向こうの家々が近くなり、それも延々と続く様が見える状況で、その対岸の家々を見ながら湾は延々と続くのだ。なんとも、はや。
道の左側には大理石の丘が延々と続いている。SPLITの宮殿は、この丘に沿って延々と続く石切り場で採鉱されたとのことだ。
湾は実は、湾の終わりのTROGIRの所でも外海につながっているらしい。その外界との海のつながりは多分運河であろうと思われる。もしその水路が運河で無いなら、湾に沿った対岸は岬ではなく島ってことになる。TROGIRは、その水路に島となってあるのだ。CROATIAの古い街は、かように外からの攻撃から守れるような位置に造られているのだ。
TROGIRの街もヴェネチャの町にそっくりであった。要するに、クロアチアの海岸都市は、あたかもそこが中世のイタリアかと思われるのだが、特に狭いエリヤに建設されていることで、ヴェネツイァにそっくりってことになっている。
この街もとっても暑く、トイレを借りるために、アイスクリームを買った。
次いで、SPLITだ。TROGIRへと来たなが~い道を戻り、海側に折れ、高層の住宅街に入ると、突き当りが既に宮殿の城壁(北側城壁)になる。城壁に沿って左に曲がり、次にやはり城壁に沿って右に曲がれば突き当りが港で、そこがバス待機場となっている。
港に沿って、城壁(南側城壁)が続き、海との間が整備された広い遊歩道になっている。バス待機場の近くに宮殿の地下入り口(それは、地下ではなく、かっての地上面であったのだが)で、地下には土産物やならんでいる。地下を通り宮殿の内側に入ると、大聖堂の遺跡がある。宮殿はおそらく150mX150m程度の狭いエリヤだが、ここに来ることとは、その昔、ローマ4帝王制を始めたディオクレティヌス邸の遺跡を訪れたって、凄い感動を得られるのだ。この感動を胸に、この旅最大の見所、DUBROVNIKへと200kmの道のりをバスは、山側の高速道路へと戻り、再び南下を始めた。
この途上から、山の中に入り込んだ湾が見えるとともに、徐々に豊かな大地が見られるようになる。バッチーナ湖を過ぎると、豊かな盆地も現れる。その景観を見て、添乗員さんは「日本の田舎の風景を思わせる」と表現したが、僕にはかって見た覚えがあるが日本ではないなあ、と思っていた。そうして、日本に帰ってから気づいた。あれは、ペルーの田舎の豊かな水の盆地でみた風景だった。
HighWayが途切れ、普通国道に入り、アドリヤ海に近い道を更に延々と進み、ついにDUBROVNIKの見える所にまで到達した。ホテルは城壁に囲まれた素晴らしく景観の街の、その崖の上を通過し、その先のリゾートホテルへと向かった。ホテルはASTAREAって言うんだけど、グーグルアースにホテルの写真もも載ってます。(SETALISTE MARKA MAROJICE 40 MLINI DUBROVNIK CROATIAって入力すればいいです)このホテルも窓の開閉とクーラーは連動していまして、てっきりクーラーが無いと思い窓を開けたまま眠った人が居たようです。


●さて、翌日は来た道を北に戻ってDUBROVNIK観光だ。バスは街が一望できる道に停まり、皆さんは、ちょっと山に登って眺望ベストの所から観光です。DUBROVNIKの旧市街は、やはり城壁に囲まれた小さな街だが、その赤い屋根の配置が絶妙なのだ。切り紙をバランスを見ながら、それも、山下清のような天才的な感覚で配置したとしかおもえない貼り付け方と配置で、周囲の紺碧に海の中でその色が映えているのだ。なお、更に眺望を楽しみたいなら山の頂上に行くべきだが、街での自由時間にTAXIにて行かねばならない。実際に我々のグループの一人は山の頂上に行って、写真を撮ったとのことだ。さて、バスは街への道を山から下り街の向こう側(西側)のバス駐車場に停まった。そこにはピレ門があり、ここから入門する。ピレ門からメイン道路(プラッツア通)が街の東西を貫通している。ピレ門と、プラッツア通りの東端を少し北に上がった所から、城壁に有料で登ることができる。城壁は反時計方向に見学できる。城壁からの眺めは、これもまた感動ものでした。
昼食後、バスはDUBROVNIKから更に南下して古都コトルへと向かった。(ちょっとダジャレじみていますけど)
グーグルアースで「kotor モンテネグロ」と入力すれば、どんな所かわかりますが、山の周囲と街の周囲を万里の長城のような城壁に囲まれた静かな古都です。この凄い城壁もグーグルアースでは見ることができます)
DUBROVNIKから行くと、蝶々が羽を広げた形の入り江があり、道はその胸の辺りに到着するのです。しかしそこには狭い海峡があり、ここをフェリーが横断しているのですが、フェリー待ちに時間が掛かるので、バスは、蝶の胴体を上に上がり、羽の形の湾の周囲を延々と先ずは左の羽、次いで右の羽の周囲を走行して、反対側の胴体近くの街に着きます。街はこの遠路をはるばる行くに値する景観です。
帰りはフェリーに空きがあり、30分程度で海峡を渡ることができた。で、本日もリゾートホテルでの宿泊となった。
そうそう、コトルはモンテネグロですから、国境でパスポートチェックがありますので、ご注意ね。

●翌朝は、来た道を戻ります。でも、NERETVA河に沿って、上流に向かうと、あの橋で有名なモスタールです。グーグルマップでは「mostar ボスニアヘルツゴビナで索引すれば近くの空港に行ってくれますわい。mostarは、イタリヤ風というよりは、トルコの街で、あまり時間もなく、橋を見てそそくさと帰りました。
さて、旅もほぼ終わりです。来た道を延々と、種々の壮大な風景を見ながら戻ります。が、ZADARあたりで陸側に入って行くと、豊かな農地が広がっています。この周辺には多くの湖群があり、そこがプリトヴィッツエ湖沼群です。ここはまた、この旅の見所でした。後、来た道を戻り、首都ZAGREBを訪れました。
で、このツアーの記述は疲れたので終わりです。
今回は少々、文章が乱れてますが勘弁してください。追々直してゆきますから。

●結論的に言うなら、この旅は、絵のように美しい景観と、広大なカルスト地形、荒涼たる石灰岩質の高山と巨大な島与、その間を埋める紺碧の海、広大な山塊からの伏流水に育まれた盆地の信じられないほど美しい景観、海辺の山間に築かれた赤い屋根屋根のローマ時代、ヴェネツイア時代からの城塞都市、これらが、次々と織りなす素晴らしい旅と言えます。

座間味でくじらを探そう 2009年3月5日~

皆さんには、それほど面白くは無い旅行だろうけど、特に、クジラの見つけ方を教えてあげたいと、おせっかいな意図で書いたものです。
ですから、写真は掲載しません(期間限定で末尾にありますけどクジラは1枚だけです。加えて、くじらの様をもっと見たい人の為に末尾に民宿・船のオーナーのブログを載せておきます。)って言うか、沖縄のくじらシーズンである1月から3月は梅雨でして、海はかなり荒れることがあり、僕ら夫婦が行った時も、午後からかなりの風雨だったもんで、クルーザーは前後左右斜めとあらゆる方向に30度は揺れて、風雨が激しく吹き込み帽子も吹っ飛ぶありさまでしたから、写真を撮るなんてことは出来なかったのです。でも、とにかく、クジラ、それも大きなザトウクジラが飛び上がり、ドボーンと海面に突っ込む様を何度か、しっかりと目に焼き付けておきました。それに、あの揺れは実に楽しかったです。僕はあの無重力状態と強重力状態が交互に来るのがうれしくてたまらないのです、が、女房は珍しくも黙って、ぐったりとしながらも椅子にしっかりとしがみついていました。
そもそも、クジラウオッチングは、女房殿の要求(ご希望)なんですが、初めはアイスランドで計画してたのです。1月に航空代金調べると往復5万円!と安いので計画始めましたが、アイスランドのクジラシーズンは夏で、夏の航空代金が判った時に3倍の15万円になってました。こりゃいかんと国内で調べると沖縄にクジラが来ることが判ったのです。しかも、アイスランドのクジラはミンクとか小さくって、沖縄のはザトウクジラって大きなのが来るのです。
そんな事情で、座間味に来た女房殿は必死ながらも目が良いので、クジラの雄姿をしっかりと眼に焼き付けたって言ってます。よかった、よかった。
ところで、アイスランドには冬の安い時にオーロラを見に行きます。
なお、僕たちが行った時を挟んでは天気はそれほど荒れず、座間味からのクジラウオッチングはその長時間観察の長所を十二分に発揮できたようです。これちょっと残念でした。今後行く皆さんはもっと幸運の筈です。


さて、旅行の計画ですが、クジラ観察を目的とすると、那覇から大きめの船での出港って方法と、座間味に渡り、そこから周辺の海に出かける方法があります。ともに3時間程度で、4~5000円程度であり、観察エリアへの往復時間を除けば、多分クジラ観察自体は1時間とか2時間で、座間味からの方が観察時間は長いと想定します。僕の場合は、座間味の島の動植物なんぞも見てみたいと、座間味に行くことを選び、座間味の民宿を探していると、ある民宿ではクルーザーでの6時間観察ってあったので、これを選びましたが、費用的には、その時の同乗者人数に依るのですが、一人当たり1万円から1.5万円と思えます。
ところで沖縄への飛行機代金ですが、ANAの旅割としたのですが、現地フリーツアーで、例えば、2泊5日とかを選択する方が安いと思えます。座間味への船ですが、クイーン座間味だと往復6千円弱ですが、これも、沖縄の泊港からの民宿込フリーツアーがあるのでは?と想定します。
僕の場合は、そこまで細かく計画しなかったのでちょっと高めになってしまいました。駄目ですねえ。なお、内地からのくじらウオッチング主体のツアーもあり、これはかなり経済的ですが、ウオッチングは限定的かとも?。
で、今回の2人分費用としては、航空費、那覇ホテル(朝夕食共)2泊、船クイーン座間味、座間味民宿2泊(朝夕食共)、クジラウオッチング、昼食費5日分、都内、那覇市内交通費などなどで、総計170,000円程度でした。なお、ホテルと民宿の食事は沖縄風とか、大阪風(民宿のオヤジさんは大阪出身でした)で、特に民宿のはなかなかのものでした。

天候的には梅雨そのもので恵まれたとは言えませんが、那覇市内観光は首里城周辺をゆっくりと楽しく散策し、座間味は、先述のようにクジラウオッチングも出来て、しかも、島内散策も楽しめました。これらをうじうじと書くよりはポイントだけを書いておきます。

●那覇首里城
①モノレールの首里駅からさほど遠くもなく、街並みを見ながらの楽しい散歩が楽しめる。それに、首里城の外郭の優美な様子が楽しめます。
②首里、沖縄を支配していた尚氏の墓、玉陵もなかなか優美な姿です。それに、玉陵内には珍しい植物が育っています。入口近くにはとげとげの木とか、バオバブの木に似た、とっくり棉木なんて木が一番奥に生えています。県木のデイゴ、それに、ガジュマルとかは当然生えてます。そうそう、近年減少中の沖縄松も見られます。植物の玄人さんは必見です。とにかく、素人にも本土と植生が全く違うのが面白いです。
③龍たん池にも一見の価値のある木が名札付きで育っています。最近日本でも繁殖が確認されているバリケン(別名フランス鴨 表紙の写真)って鳥が居ついています。それに、沖縄のひよどりは本土とは違い、羽色は美しく鳴き声もきれいです。不思議ですね。それに、バリケンもヒヨドリも人懐っこいです。沖縄らしいと思いました。それと、那覇ではドバトは見かけず、キジバトしか見掛けなかったです。本土のキジバトよりちょっと小振りで目の所がちょっと赤見がかってきれいです。
④龍たん池から北上すると、モノレールの儀保駅に行けますが、その途上には花が咲き誇る民家とか、ちんすこう本家新垣菓子店がちんまりと店を開いています。こんなのがいいんだなあ。

●座間味
①早速ですが、クジラの見つけ方です。
で、船からのクジラの見つけ方は簡単です。水平線をずっと裸眼で追うのです。すると、冬に息をふっとした時の息吹が白くなります。あのような感じの霞がかすかに小さく、あたかも目の錯覚のように視覚のどこかに現れます。そこで「あっ!居た!」と言えば、船長はその方向に船を向けてくれます。簡単でしょ?
実は座間味への往復の船上でも、天気さえ良ければ、この方法でクジラを楽しめるらしいです。試してください。
クジラ展望台からクジラを探すのも楽しいものです。ここでは双眼鏡が必需品です。(人によっては双眼鏡もいらないらしいです。うちの女房殿は、肉眼で僕が双眼鏡で見てるのと同じようにみえるらしいです。こ・・・こわいです。でも第二次大戦のエース坂井三郎は、昼間でも星が見えたらしいから、それには負けるだろう!えっ?坂井三郎って誰かって?エースって何かって?もういいです。)
通常はクジラ展望台には監視人が居るので、クジラの居る場所辺りを教えてくれます。そこで、双眼鏡をゆっくりと移動させながら、冬の息吹を探すのです。クジラを見つけ、そこをじっと見ていると、クジラが飛び出すのです。なぜか楽しくて時間が過ぎるのを忘れてしまうのです。
②3月初旬だと、山の桜は終わりに近いのですが、それでも桜を楽しめます。また、山いちご、やまももも楽しめます。山道にはイモリが歩いていますが、動きの遅いイモリ君はあちこちで車に轢かれています。可哀そうですね。
座間味では、一見松に似たモクマオウって木(針葉樹ですらない木で、帰ってから枝葉を専門家に見せて教えてもらいました。専門家って凄いです)や沖縄松も極く普通に見られます。ツツジはケラマツツジって帰ってから知りました。いろんな蝶々が美しく飛び回っています。本土とはかなり異なる種のようです。
この時期にツバメが飛びまわっています。
山の中で「西洋あさがお」を見つけました。西洋あさがおは、繁殖力が凄いですから心配です。
ところで、座間味の道路の切り通しを見ると地層が見事に現れています。薄い泥岩の層の重なりが続いているところから、座間味は元々、海底であったと想定できます。って、こんなことも驚きです。
③古座間味ビーチは座間味の村から峠を越えた向こうですが、これほど美しい湾にはめったに会えません。それを知らない僕はカメラを持ってゆかなかったのです。後悔しきりです。
ただねえ、ビーチの直ぐそばに、ごみ焼却炉が突っ立てます。なんちゅうことするんや!と怒りしきりですが、宝物をわやにする仕業です。ただ不幸中の幸いなことに、溶融炉なんて高度な焼却炉にしたもんで、建設後直ぐに爆発して、以後放置してるらしいです。でも、税金を何十億って無駄にしてますね。とほほほ。
④クルーザーでクジラ探しに行く時は、上も下も防水着を準備しましょう。僕達夫婦が座間味に着いた時、既にクルーザーが待機してましたが、同乗するクジラ熟練者達は完全装備の上、な、なんと!ゴム長まで履いてました。僕は急いでザックから、たまたま持っていってた装備を出したのですが、民宿のオヤジさんが必要だとは言ってなかったもので、危ないとこでした。でも、靴はもう無茶苦茶にぬれました。
ってことで、旅行にはいつも持ってゆく、上下雨具と大型双眼鏡が、これ以上は期待できないってほど役に立った旅でした。めでたしめでたし。

ってなことで、クジラウオッチングの報告とします。
ところで、帰ってから千葉の新川(田沼意次が印旛沼干拓に掘った川です)を散歩していると、道の駅そばでバリケンが一羽泳いでいました。おいおい!沖縄から来たのか?って聞いたのですが無視されました。
それと女房殿が古座間味湾の砂を持って帰ったのですが、オカヤドカリが一匹まぎれ込んでいまして、今は我が家の虫かごで暮らしています。彼の始末をどうするかが課題です。
朗報です。娘が沖縄に行くことになって、オカヤドカリ君を連れて行きました。我が家に居る間にポップコーンやリンゴの切れ端、海藻なんぞでかなり体が大きくなって殻の中に入り切れなくなりましたが、沖縄の海岸で新しい貝殻を見つけるでしょう。天然記念物らしいので、僕もほっとしてます。よかった、よかった。
娘からの報告では、水族館の近くの人口砂浜に彼を置いたら、後ろずさりながら逃げてったってことです。元気に戻れたようで、いよいよ良かったです。