2014年12月18日木曜日

素敵な本をみつけた(2)

ISABELLA BIRD  イザベラ バードの日本紀行
彼女の明治11年6月~10月・東北・北海道紀行での経験を出版したものである。通訳としては伊藤鶴吉が同行した。
さらに彼女は、同紀行を終えた後に、京都で新島譲、八重夫妻にも面談している。驚くべき女性だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E9%B6%B4%E5%90%89
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89
本書は彼女の紀行文であり、彼女の通った道筋はここが参考になる。これって誰が作ったのでしょうね?ありがたいことです。
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=zx10Ivpb7etY.kUMKAupEY0tE&msa=0

武士のちょんまげは兜を安定させるためだとか、日光の金谷ホテルは住み心地が良いと、彼女は書いています。
ところで、彼女は日光の金谷邸(金谷ホテルは当主が、外人観光客が多くなるであろうと、以後に宿を建設した)に9日間滞在後、鬼怒川上流に向かい、次いで鬼怒川の上流、男鹿川に沿って登って行った。6日後に、日光と会津の中間点、川島に着いている。これらの地名は全て、上のグーグル地図にも記載されている。だから、紀行文を読みながら、上記地図を参考にするといよいよ興味深く読める。川島から日本海側に移動し、阿賀野川の津川に至り、そこから新潟まで川下りしている。新潟滞在後、荒川に沿って登り、中央山岳部に到達し、北上する。すごい旅だ。
彼女の記述の中には驚くべきことがいろいろと記載されている。例えば、米沢の津久茂からは幅8mもの広い道路がまっすぐに北上していたらしい。あの時代に進取の気性の人が居たってことだろう。そのような驚くような記述の他に、日本の自然がいかに美しかったか、日本人の品性がいかであったかなど、とても驚かされます。
特に気づくのは、彼女の歩いたルートは東北のメインルートではなく、どちらかと言えば、不便な場所であり、たまに主要ルートに入ると、かなり近代化が進んだ様子が彼女の記述からも見て取れます。日本はその時点でもかなりの近代化が進んでいたのだなぁ、とも気づきます。
さらに、なによりも驚かされるのは、あの時代に、女性がひとりで東京から北海道まで旅行したこと自体です。彼女の旅に比べると、僕の海外旅行なんてたいしたことじゃないです。

硫黄島 捕虜から見たアメリカ
弟と間違って徴集され硫黄島に送り込まれた兵士が、生死をさまよった末に捕虜となり、
米国東部まで捕虜収容所を転々と移動する旅の記録。
本書に感動して、NHKと、主人公に適任と思う、佐田啓二の息子(誰だったっけ?)に、ドラマにすべしって投書したが、どうだろう。

アベノミクスの終焉 服部茂幸

ソロモンの偽証
これほど冗長な小説はちょっとない。が、面白いことは面白い。

火星の人 アンディ・ウイアー
日経の推薦本なので久しぶりのSFだ。予約して、受け取った時に「間違いではないか?」と言ってしまった。

なんとなく北ベトナム

EXPEDIAで見ていると、成田⇔ハノイが36,000円なので、つい買ってしまった。前回はホーチミンから入って中部ベトナムまで行ったので、今回は北から入って中部まで行ってみる。しかし、ハノイ、ニンビンとドンホイの間には、殆ど見るべき都市がなさそうだ。VINHって都市があるが、なにもない街として有名らしい。実際に列車で通過したが、その際に街の様子を窺った所では、居住区が漠然と広がった様子の街に思えた。
http://4travel.jp/travelogue/10140420
そのような街も好きなのだが、実はVINHのホテルは宿泊料金がなぜか比較的高く、無理して行くことも無いかなとも思う。そこで、スケジュールとしては列車主体の旅として、ハノイ3泊、ベトナム中部のドンホイ2泊、戻ってはハノイ近くのニンビン2泊、帰国前ハノイ1泊として予定を組んだが、ドンホイの洞窟が12月でも水位が低くて入れるなら1泊を追加する。入れないならニンビンを1泊追加とする。と考えたのだが、この人の旅行記だとドンホイの風景も捨てがたいとのことだ。(結局、ホテルに問い合わせたら、雨季でも洞窟には入れるらしい)
http://4travel.jp/travelogue/10140418
そこで、ドンホイを増やして3泊とした。ニンビンが良ければハノイから近いからまた簡単に行ける。
帰国前は飛行機が早朝なので、ドンホイから直接空港そばの宿に止まることにして、空港わきのホテルを予約した。
宿は、EXPEDIAAGODAHOTELS.COM を使って予約した。
これで日程は決まり、残るのはハノイでの行動だ。これは出発前に計画するとした。
航空運賃 35,690
ハノイCIAO HOTEL 3泊 4,236
ドンホイ ANH LINH HOTEL 3泊 3,864
ニンビンKINH DO HOTEL2泊 2,660
ハノイ空港脇 AviTransitHotel 12,377
Agoda
キャンセル 1,600円($15)これ失敗で一泊分の損です。
Agoda
はキャンセル料が必要ですからね。

結果からすると、AviTransitHotel以外は、予想以上によかった。最も高いのが最も悪いって、これが世間ってことだろう。

さて、11月初めになって、列車の予約が必要であることが判った。
NET
で調べると、VietnamRaiwaySystemWEBページなんてのがあった。てっきりベトナム鉄道の窓口だと思って、予約を始めた。メールに対して反応は早く、交渉は、あたかもチャットで発注するような形で進んだ。チケットはホテルに郵便、それも、書留のような方法で送るので安全だと言うので、ホテルを教えて手配した。
Hanoi
DongHoi$36DongHoiNinhBinh$28であった。NinhBinhからHanoiへは列車時刻が望ましくないのでバスとしよう。
予約を終えて、領収書のPdfが送信され、そこに、「切符を受取れなかった場合は、これこれにTelするように。駅に行っても駄目だ」と書かれていたので、どうやら、VietnamRaiwaySystemって、VietnamRailwayとは無関係のTourist会社じゃないの?って気付いた。
かなり高い切符を買わされたのかもしれない。が、後の祭りで、現地に行って実際の切符金額は調べる。それに、現地で買おうとして売り切れていたら動きが取れないので、仕方ないか、と納得した。(結局切符の値段は倍額になっていた。これなら、日本人系の旅行社に頼めばよかった。)
次いで、HanoiDongHoiNinhBinhの各都市でのツアーを調べた。HanoiTourは、ハロン湾だが、これは日帰りではかなりハードなツアーになるのでやめて、街歩きに徹することにした。
DongHai
は、フォンニャ洞窟で、天使(パラダイス)の洞窟も含めてのツアーはランチ込で800,000ドン(4,000)と高額だがまぁ良かろうと手配を頼んだ。NinhBinhは、古都ホアルーとタムコックだが、バイクタクシーでとホテルに問い合わせた。
同時に、各ホテル周辺の状況の調査、ベトナムでの食事を調べ、旅行の不足品、例えば蚊取線香などを揃えた。しかし、結局は、蚊取り線香は一度も使わなかった。と、言うか、冬なので予想より寒かったのだ。
今まで使っていたスーツケースの車輪が壊れたので、相応の大きさのを探したが近所では見つからずネットで探して手配した。品物が着いたが壊れたのより数センチ背が高かったが、いままでがぎりぎりであったので、ちょうど良い寸法かなと思う。ネットで買ったので7,000円弱と安かったのも嬉しかった。
最も注記すべきは携帯を準備したことだ。この後、マレーシャに行くのだが、マレーシャではバスの長時間乗車が必要で、到着時間の遅れが大きそうだ。ホテル側との連絡が重要と思われるので、携帯を準備した。SIMFreeNOKIAの携帯とした。現地でSIMを買う予定だ。どうせならと、日本でも使えるようにと、使った分だけ支払うJapanSimってSIMを購入した。
更にいつも持参のパソコンで自由にNETが出来るようにと、SIMフリーモバイルルータ VOX AWR-100Tも購入した。携帯のSIMと兼用できるか聞いてからSIMを購入せねばならない。将来はスマホってことになるのだろうが、スマホだと、携帯とNETが一緒にできるのだろうけど、画面が小さすぎて使いこなせるかの自信は無いし、来年からSIMフリーになって、この辺りのシステムもどう変わるか予測がつかないし、かような中途半端な状況だ。
ベトナム航空に座席指定の有無を確認した。確認コード(アルファベット5文字)を連絡すると、先行指定はできず24時間前のWEBチェックインで出来るとのこと。また、帰路はHanoiDanang⇒成田だが、Danangから搭乗するのは出来ないとのことであった。
今回のテーマは、やはり街歩きだろう。それに加えて列車の旅、携帯電話の有効利用ってとこか。焦って走り回ることはないだろう。食事を楽しめるようになりたい。

などと、自分の心を奮い立たせるのだが、やはり旅の前には理由不明のブルーになる。旅が終われば、達成感は十分にあるし、それに、出来るだけの準備は終えて行くから問題がさほど起こることはほぼ無いのだ。それでも気分はブルーになってしまう。

12
月1日 WebCheckInしておいたので、多数のチェックイン者の列とは別に優先的にBoardingPassをもらえた。なぜか、セキュリテイもVIP待遇での通過であった。
飛行は順調であったが、雲が多く窓際の意味がなかった。しかも、僕の前の、個人ごとのディスプレイが破損していて、機内の放映も一切楽しめなかった。搭乗時点で席替えを頼むべきであった。それに横の40代のおっさんは、飛行中ずっと、タブレットでAKBとかの小娘プレイをずっと鑑賞していて、顔付もそれなりの雰囲気で全く人と話したいとの様子はなかった。
10時定刻発、6時間10分の飛行で到着は現地時間2時15分と実に順調であった。今回の旅は交通機関は全て順調であった。特に列車が往復ともON TIMEであったとは、実に驚くべきことである。                                美しいハノイ 田植えの準備も進んでいる(12月だけど・・・)

 
何事もなく到着ロビーに出ると、ATMがあったので、手数料無料とのBetoconBankATMでキャッシングしたが、駄目だったので、どこのとも知れないATMで出したが、これも手数料は無料だった。ただ、500,000ドン札2枚、合計100万ドン=5千円だ。一気に百万長者になったが、お札が大き過ぎる。次いでMobiphoneOfficeがあったのでSimを買った。NOKIAの携帯を渡して、海外電話はしないと言うと、150,000ドン(750)とのことで、500,000ドンを細かくできた。が、持参したMobilルーターにこのSIMを入れると暫くはNETできたが、すぐ警告新契約画面になった。つまり、データ通信(NET)をするには別契約が必要らしい。チャージ分で契約できないかと試したが、750円では駄目らしい。ただ750円チャージで残額は2,000円となっていたが、これは、国内携帯のみの特典でNETや海外電話は対象外だったのだろう。こんなことで、電話は1回も使わず終わってしまった。

つまり、750円をベトナムに寄付したってことだ。

さて、ハノイ市内へは、悪評高いAirportMiniBusで、スーツケースがあると載せてくれないとかの情報もあり、二人分払えば良いのかなどと、あれこれ心配した乗り物だ。

誰だったかに何処で乗れるかと尋ねると、ロビーを出て一つ向こうのプラットホーム右側らしい。歩いてゆくと、大型バンが並んでいる。おっさんが、ホテルまでと言うので、いや、ベトナム航空officeまでと答えると、じゃぁだめだ、と引き下がる。つまり、それだと安すぎるって意味らしい。VetnamAirOfficeに行くのは?って聞くと、先頭の方のSchoolBusのようなバスの方を指さした。歩いてゆくと、そのバス担当みたいなのが寄ってきて、5万ドンと言うので金を出すと受取り、僕のスーツケースをバスの後部荷台に放り込んだ。そこで気づいたが、看板があって、40,000ドンって書いてある。でも、10,000ドン=50円の差ならいいかと車に乗った。座席から乗客が集まるのを見ていると、他の客には、支払い車内でって言っている。ってことで、僕は10,000ドンをチップにするために先払いだったのだ。
 
なお、その後の情報で、TAXIで市内に行くには20ドル=44万ドンらしい。
30分も待ち、乗客が集まりバスは出発した。後部荷物置きはいっぱいになり、通路前方にも積み上げた状態となった。
途中、何度も止まり、どこがどこだか判らなくなった。後で判ったが、道路のあちこちにある主要バスターミナルで止めていたのだ。じっとしておれば良かったのだが、大勢の乗客が降りたときに心配になり降りると、荷物も降ろされてしまった。で、バイクタクシのおっさんに誘われて50,000ドンでホテルまでと話し合ったが、どうやらおっさんはわざと遠回りしたようだ。後で調べると、最終停留所のエトナムOfficeから大聖堂向こうのホテルまでは歩いて5分だったのに、バイクタクシーで10分も乗っていた。こんな事情で、ホテルまで15万ドン(750円)も掛かってしまった。大失敗である。
                               ベトナム航空事務所前道路 一方通行で、MiniBusがとまっている。
 
               この小路の奥が」ホテル 手前が大聖堂
ホテルにチェックインしたが、Receptionは兄ちゃんであった。部屋まで案内したがチップをやらなかったので、あとは愛想が悪いし、聞くことにも適当に答えるだけ。でもまぁいいや。
部屋は窓なしだが、特に問題はなく快適と言えるだろう。で、初日は問題なく終わった。
なお、VietnamRailwaySystemに頼んでおいた鉄道切符は届いていた。切符には購入価格が記載されていて、支払額のほぼ半額の金額であった。
2日&3
朝食は込で、アメリカンブレックファーストはおいしい。食事後、早速偵察だ。明後日は早朝6:30の列車なので先ずは駅までの道を調べることとした。徒歩で約30分、これなら問題ないと確信した。駅でバナナ20,000ドンとクッキー50,000ドンを購入して非常食を確保した。しかし、非常食と言っても、空腹になりベンチが有れば食べるのだから、惣菜を指さして一皿に盛ってもらう雑食なら3品で30,000ドンだから、その方が安上がりだとも思う。
とにかくそんな状況で、2日間をハノイ市内の散策に費やした。その結果、ハノイのベトナム人は、とても良き人々であること、ハノイの街は清潔で住み心地良いことが判った。観光的には、タンロン遺跡、特に、そこのフランス風街並みとホーチミンの地下指令室、さらに、米軍の爆撃目標で有名なロンビン橋で感動した。橋の真ん中を単線の鉄道が通っている。
 
ハノイの街は、ホーチミン市よりはこじんまりしていて、僕好みの街であった。なお、日本人観光客とは、タンロン遺跡の門前でツアーグループと会い、給水塔付近で仕事前の街歩きの女性とあった。彼女と会った時には歩きすぎて足の裏が痛くて一緒できなかった。翌日はロンビン橋の真ん中でバイクタクシーか、一人でバイクで来たのか、やはり女性と出会った。とにかく、あまり日本人とは出会わない。なお、食事は雑食(惣菜を指さして選ぶ)が安くておいしい。
 
4日・5
早朝5:00には起きだして、玄関わきで眠る若いのを起こし、宿を出た。歩いて駅までたいした距離ではない。5:30には駅に着いたが、すでに多くの人々が駅待合室に集まっていた。
6:30定刻に列車は出た。車窓の街並みは想像以上に人家が多いが、窓の外を流れ去る家々は、その姿が田園とよく調和して面白い。やはり、列車の旅は、人々の生活に密着していて楽しい。飛行機では味わえない喜びを感じる。冬に向かう時期なのに、田園は田植え前の水を引く時期の風景で、日本の子供時代の風景であった。家々は縦に細長くいくら見ても飽きない風情である。
列車内には、僕のほかに3組別々のドイツ人カップルが居た。今回の旅行ではドイツ人が圧倒的に多かった。聞いたところでは、ドイツ人は以前はタイがお好みだったのだが、最近はカンボジア・ベトナムに興味が移ってきたとのことだ。
弁当の予約販売が来たので40,000ドンで購入したし、卵のにぬき220,000ドンを購入した。いずれもとても美味しかった。なお、帰路の時は、予約販売ではなくて、ご飯ジャーを台車に載せての車内販売であった。ともにスープ付きで温かくおいしかった。ベトナム列車の車内販売食事は馬鹿にできない。
 
車内に貼った時刻表と列車の各駅への到着時間を各駅でチェックしたが、到着時間は全くのON-TIMEで、こりゃ、ほんまかいな?と信じられなかった。
4時半定刻きっかりにDongHoiに着き降りようとすると、ドイツ人カップルの一組が「DongHoiか?」と問いかけたので「yes」と答えると、彼らは急いで降りる支度を始めた。どうやら、ぼくは想定以上、いや、想定通りに慎重な性格らしい。
ところで、ベトナム人の車内マナーはとても悪い。それに、空いている席はあたかも自分の席であるかのように平気で座り、いったん座れば完全にリラックスする。そのため、当然いさかいが起こり、激烈な言い合いが始まり、その争いが延々と続く。が口喧嘩はするが、手は出さないようだ。ところで、これは帰路の出来事だが、僕の席は向かい合わせ4席の席で、そこに幼児を連れた夫婦が居て、僕が「そこ、ぼくの席」っていうと、対面に移動した。それから、延々と到着間際まで、夫婦幼児は残り3席分でリラックスしていたのだが、そこに若者が来て、夫婦幼児は2人席に集まった。ところが、青年が若干風邪気味でちょっと咳をすると、幼児に風邪がうつることを恐れたらしく、夫婦幼児はあっという間に消えて、それも、その車内そのものから消えてしまった。つまり彼らは2等か3等の列車から、1等席まで遠征してしかもリラックスし続けたってことなのだ。
        
 
          1等の客ではないのに完全にリラックスしている幼児連れ夫婦
  
それに、その夫婦幼児もそうだが、往路に僕の横に座った女性は、とても寒そうな風体で、しかも、はだしであった。つまり乞食と大差ない風体であったのだ。彼女は変な荷物を大量に持っていて、その一部を彼女の席の下に置いたので僕も窮屈になってしまった。僕よりは若いのだがとても老けて見え、しかも、なんとなく亡くなったお袋が戦後貧しく暮らしていたときの風体を思い出させ、とても可哀想になった。それはともかく、かような連中がなぜ一等車に乗るのだろうか。おそらく車掌が何らかの手配をしているのではないかと怪しんでいる。とにかく、昼間1等の車両には貧乏人も大勢乗るってことです。でも、まぁいいや、ってことだが、つまり列車チケット、少なくとも昼間列車のチケットは、ベトナムに来てから買うことにしよう。駄目な場合はバスにすればよい。
さて、話を旅に戻して、DongHoiの駅はホテル地区からは離れている。が、歩いて行けない距離ではない。しかし、時間がかかるし宿の場所が複雑かもしれないと、Taxiに乗ることにした。宿に聞いたところでは60,000ドン(300)とのことだったので、60,000ドンで全く交渉不要でOKとなった。なお、帰路はメーターであったが、45,000ドンであった。気持ちの良い街だ。実際のところ、街は清潔でとても美しい街だった。特に岸辺側はメンテも見事で、なぜこの街が地球の歩き方から省かれたのかが理解できなかった。
ホテルの場所は地図とおりであった。17.473917, 106.622172
ホテルのレセプションの女性はとても可愛かった。部屋もそれなりに清潔で全てが問題なかった。食事はレセプションで教えられた、ほぼホテルの真裏側の食堂で、チャーハンとスープを頼んだが、どうやらこの国ではスープは、一食分らしく、でっかいボールで出てきて驚いた。
値段はコーラ(10,000ドン)も入れて100,000ドンと高かった。結局判ったのだが、一枚のプレートにご飯やおかずを入れたスープ付定食が30,000ドンで、これが最もうまかった。
5日は、街を隅から隅まで歩き回った。
6()
フォンニャ洞窟ツアーの日だった。800,000(4,000)ドンと高かったが、その価値はあったようだ。
8時半にホテルピックアップし、各ホテルを回って、約10人以上のツアーだった。雨季には洞窟に入れないとのことだったが、さようなことはなく素晴らしいツアーとなった。ピックアップで日本人JICA員の2人もピックアップされた。途中でHueからのTOURも合体し、日本人は合計6人ほどになった。
先ずは、天国の洞窟へ行き、次いで、船着き場に行き、そこで昼食を食べて、フォンニャ洞窟、次いで、階段を上りティエンソン洞窟を訪れた。あまりの荘厳さに、人生のあり方なんぞに思いが至るおもいであった。

ただ思うに、バイクタクシーでの訪問も十分に可能と思われる。その場合、ボートの乗り賃が一隻32万ドンを相乗りできるグループがあるかどうかだろう。旅行記だと他のグループとのshearができるらしい。10人は乗れるから、32,000ドンになれば、トータル費用はかなり安くできるだろう。総額で半値にはなると思えるが、2,000円の節約ってこと。
なお、この旅行記ではTAXI70万ドン+30万ドンとのことで、2人で行けば、1人50万ドンが交通費で掛かっている。これで50万ドン+食費10万ドンで60万ドンは掛かることになる。やはり、バイクタクシーでないとよろしくない。
ところで、車内で、ドイツからの若者、それに、米国からの若い女性と同じ列の席になり話をしたが、ドイツからの若者は、この旅の後はカンボジアで彼女と合流して旅を続けるらしい。米国女性は、ネパールから一か月も旅行して、旅行が終わると貯金が空になるとか言って嘆いていた。女房がクジラやウミガメが好きだ、と話すと、彼女はコスタリカでのウミガメの卵の保護活動をした時の話をしてくれた。あれやこれや、とにかく、素晴らしい経験を得ることができた。が、安く旅行する方法を考察するなどと、荘厳な経験と金勘定が同居する所が僕の特徴なんだけど。
7日、8
DongHoi 9:30発ハノイ方面の列車で、NinhBinhへ向かった。列車は定刻発で定刻にNinhBinhに到着した。なお、NinhBinhに近づくに連れて、山水画の世界と田園風景の一体化した風景となり、これが、NinhBinh観光のめだまとなっていた。
ホテルには容易に歩いて行ける距離であったが、夕刻でもあり迷子になっては困るとTaxiとした。が、50,000ドンも払ったのに、現地人との相乗りとさせられた。おそらく、これが連中の作戦となっているのだろう。で、ホテルは地球の歩き方にも、掲載されている、KinhDoってホテルだ。
20.255645, 105.973387
地図に記載されている通りで迷うこともない場所だ。実に住み心地の良いアンチークなホテルだ。今回の旅ではベスト1であった。また、オーナーは実に愉快な人物であった。その愉快なおっさんにツアーについて相談したら、車でのツアーはグループでないとダメ。バイクタクシーで切符や食事を全て含むなら$55、と言うので、う~ん、と言うと、食事、チケット別だと$18と言う。当然ながら$18のを選んだ。
翌日8:30に下に行くと、バイクタクシの運ちゃんが待っていた。どうやらホテルオーナーの友人らしい。この運転手は慎重な運転でしかも、丁寧、親切な男であった。
先ずは街の南西側の見所に向かった。山水画の田園風景の中を、BichDong山寺に向かった。山寺の入口に可愛い女の子が待ち構えていて、勝手ガイドで案内してくれた。つい、100,000ドンも遣ってしまった。

次いで船着き場(タムコック)である。3人乗りの船だが1人だと27万ドンと高い。なかなかの景観であったが、おばはんが「チップくれ、チップくれ」と煩い。10万ドンをやったのに、さらに煩く「ドルくれドルくれ」と繰り返す。煩いのでそれを無視して、船底にあった櫂で舟遊びを始めた。バイタクの運ちゃんの言っていたタイビーで途中下船してほっとした。

次いで、タムコックの裏側に回り、ドン・ハン・ムアの山に登った。ここは凄い景観であった。が、その急階段には疲れ切ってしまった。上にはフランス人とドイツ人が登っていた。
 

次いで、街の北西部の見所に移動である。途中、トウンチェンに寄ったが船には乗らなかった。昼食で運転手と一緒にチャーハン・それにベトナム茶で二人分で20万ドンと高かった。2種類のチャーハンを頼んでシェアーして食べた。
その後、古都ホアルー、最後にバイディン寺を訪れた。ホアルーは古い寺が2つ平行に並び、その前が広い広場になっているだけだが、広場周辺の景観はとても良かった。バイディン寺はかなり遠くにあり、全くの新興の寺で、まだまだ建設途上であったが、巨大な敷地の巨大な寺であった。寺敷地入口に門前町が出来ているが、そこから電気自動車が片道3万ドンもする。かなりの距離を走り、更に電気自動車の終点から延々と登りの回廊が続いている。その回廊に、「お祈りは幸せ」または「お祈りは命」ってような放送が延々と続いていた。ただこの回廊とは別ルートで電気自動車道があるらしい、が、とにかく頂上に着き、大黒さんの巨大な彫像の下で眼下に広がる水墨画の世界を楽しんだのだ。


ところで、電気自動車帰路も金が必要とは思わず、途中入ったばあさんにトイレ代で1万ドンはぼられて、財布の中は2万5千ドンと3ドルしかなかった。そのため、降りてから、電気自動車に乗ろうとすると、監視員に制止された。電気自動車賃が必要だと言うので財布の中を見せると、可哀想になったのか、ただで、運転台の横に乗っけてくれた。
かように、一日を大いに楽しんだ。
翌日、ハノイへのバスに乗ろうとチェックアウトすると、バイタク運転手が待っていて、本通りにまでついて行ってくれて、ミニバスをとめて70,000ドンだよと、乗せてくれた。ハノイへのバスはバスターミナルに行くまでもなく、ハノイまでのあちこちで乗客を拾ってゆくので、本通りで乗れるわけだ。実に合理的だ。車掌らしいのが、ハノイのどこだ?と聞くので、GiapBatって大きく書いた紙を見せると、うれしそうにOK!OK!と言った。GiapBatバスステーションまで2時間の旅であった。
GiapBatから25番のバスに乗れば、空港近くのバスステーションまで行ける、そこからTAXIに乗れば、10万ドン以下で空港近くのAviTransitホテルまで行ける。バス代金と合わせて11万ドン以下ですませることができる。そこまでは調べていたが、面倒になりTAXIの運ちゃんに、空港から市内まで44万ドンで市内からGiapTopまで10万ドンだからと頭の中で計算して、50万ドンでどうだと聞くと、60万ドンとの答えだ。まぁいいかとOKして、TAXIに乗った。空港は市内から行くと、フアンパンドン通りを北に上り、空港前で右に折れる。その手前で通りに交差するする道を右に曲がれば、その最初の高い建物が目的とするAviTransitホテルである。実は、その十字路の手前にバスストップがあることをGoogleMapで確認したので、ホテルにそのバスストップの名前とか、そこからの行き方を問合せしたのだが、返信は全くなかった。実際に来てみると、そのバスストップから簡単に行けることも判った。更に、散歩して判ったが、ホテルの横の道を北に行くと、簡単に空港前道路にも行けるのだ。ただし、空港道路に出てからも、空港への進入道路はかなり彼方に見えているので、歩いての行動にはかなりの決心が必要だろう。ただ、新しいターミナルができれば、その進入路までは容易に到達できる距離になる。なお、このホテルのリセプション、特に男連中はチップ目的しか頭に無いような連中であった。ホテルは7階建てなのだが、エレベータもなく、僕の部屋は6階であって、部屋のたどり着くだけで、疲れてしまった。スーツケースはレセプションの男が運び上げたものの、僕は上がるだけで疲れ、チップをやる気にもならなかった。ここで、チップを出して交渉すれば下の階に移してくれたのかもだが、そこまで頭が回らなかった。しかも真夜中から洗濯機が回る音がするなど、あれやこれやで、旅の最後のホテルは最悪であった。が、その後の、ハノイ→ダナン→成田は順調そのもので、しかも、ダナンでの出国審査はあったが、荷物はハノイからの国内便以降がスルーであったので、まぁ良しとすべきだろう。なお、ハノイ→ダナン国内便で、ハノイに駐在する娘さんを訪ねての東南旅行をする夫婦と隣席になり、久しぶりの日本語を楽しむことが出来た。
と言うことで、旅の全日程を終えたわけです。
僕はベトナムがとても好きになってしまった。それに、気づいて驚いたのだが、今回の旅では乞食を一人として見かけなかった。どうしてだろう。
 
かほどに楽しかった旅なのに、なぜ出発前には気分がブルーになるのだろうと考えてします。多くはスケジュール通りに行くだろうか、との杞憂の為せることに違いないと思い、その考えを今後の旅に生かしたいと思う。
 
ところで所要費用だけど、現地でキャッシングが390万ドンとドル支払等含めて、総額約84000円程度であった。
航空運賃 35,690
宿    4236+3864+2660+2377+1600(キャンセル料)=14,737 ATM   22,658(繰上げ返済 1円=172ドン) ドル支払 $18$5(チップ)=$23=2760 列車代金 $64.57474円(自分で買えば半額)
総計   83,319円+国内交通費