2016年2月29日月曜日

バンコクの旅

バンコック滞在6日間
Airasia成田便でバンコク往復27,490円を手に入れた。本件はバンコクのみに滞在なので、どう滞在するかを殆ど検討すること無く、1月28日に帰国後に検討を始めた。
幸いなことに、マレーシャ便と異なりバンコク便は廃止とはならず、しかも、2週間前からのWebCheckInも往復ともに簡単に出来た。マレーシャ便の時には、復路便がどうしても最後のステップでチェックインが出来ず、羽田のカウンターでもできなかった。その際、カウンター嬢は「ときどきこんなことがあるんですよね。KLでチェックインして下さい」と言われたが、理由は判らないものの、恐らく、システム的にランダムにそのようにしているのだろう。なおバンコクの宿はここを選び、6日間を9828円(1,305円/日)で予約した。どんな宿なのだろうか。
http://www.agoda.com/ja-jp/sea-of-love-mansion/hotel/bangkok-th.html
さて、旅行計画だが、地球の歩き方「バンコク」と「歩くバンコク」って案内書を元に考えた。本を読んでいるとその内容の膨大さに頭がいっぱいになってしまうので、後は出たとこ勝負かと思う。
ただ、到着して、それもAirasiaはドンムアン空港に到着するのだが、SimCardの購入、ATMで3,000バーツ購入を終えて、MagicFoodPointで食事を終えて、AIバスかNo.29もバスで、MRTのチャトウチャック公園駅で乗り換えることになる。なお、同じ辺りにBTSのモーチット駅があるらしい。そこから、カルチャーセンターに行くか、プララーム9まで行き、そこから宿まで歩いてゆく、と計画した。ところが本によると、ATMでのキャッシングは手数料180Bもかかるらしい。銀行窓口でのキャッシングは手数料不要って、銀行窓口でキャッシングが出来るのだろうか?が、地球の歩き方には銀行でキャッシングが出来るとは書いていない。どうも、いつも地球の歩き方はキャッシング等についての説明がゆるい。なぜか800バーツほどの手持ちが有るので、市内の両替屋で円を売ることにする。

などと調査を終えて、2月12日に無事出発となった。今回は宿泊6日間を同一の宿に泊まるのでかなり気楽に出発となった。
さて機内で6時間半を過ごすのだが、席は予約が20Cであったのが、20Hに変更させられていた。どちらも通路側なので別に文句はなかったが、頼みもしない昼食が配られた。席を勝手に変更したからかとも思ったが、帰路も同様に昼食が配られた。どうやら、先月に続いてAirAsiaを選んだことへの報奨らしい。
そのようなわけで、空港に着いたが昼食を食べる必要はなく、SIMを299B(1,000円)で買い、A1バスに乗り込んだ。親切な女性車掌でチャトウチャック公園駅で降りるようにと合図した。が、実際にはほぼ全員がそこで降車した。A1バスでは一時間を要したが、これは高速から降りてからの渋滞で遅れたのであり、帰国時には早朝で渋滞はなく30分程度しか掛からなかった。車は日本と同じ左車線で、降りて少し歩けば地下鉄MRTとBTSの駅が一緒にあり、地下鉄は名前通りに地下に降りてゆく。とてもきれいな地下鉄で、特に駅は広々とした空間の立派な駅である。自動切符販売機は英語を選び、目的地駅を押すと価格表示が出てお金を入れれば、黒コインとお釣りがさっと出てくる。何ら困ることもなく宿の有るプララーム9駅に着いた。GoogleEarthにて調べておいた通りに容易に宿に至った。
宿の入口は貧相だが、セキュリティはしっかりしている。チェックイン時に490Bのボンドを要求されたが有り金全部の400Bにまけてもらった。部屋は9階で眺めは良く、広く清潔で満足であった。ここで6日間を過ごせることが楽しみに思え、実際に楽しかった。なお、チェックアウト時に担当者が490Bを返そうとしたが、400Bだと教えてあげた。
13日
早朝プララーム9駅に向かい、途中の小さな店で35Bの鶏めしを食べた。とても満足だった。この店は早朝から開いていて便利で、しかも、炒飯も食べられるがこれも満足であった。駅までの道を途中で路地に入ると、とても僕の好きそうな通りであった。駅に着きそこから近代的な街と通りを観察しながら南下していった。
歩いている間に気づいたが、この街は、近代と古い街が入り混じった素晴らしい街だ。
BTSのASOKを過ぎると、湖がありその北端を西にサイクリングロードが続いている。この道は途中で高架道となるが、その下には昭和初期の街が続いている。鉄道を越えて暫く行くと道は地上に降りて、ルンビニー公園の北端に沿っている。そこで南下して、ルンビニ公園を突っ切るとBTSシーロム線のサラディーン駅に至り、ここで、有名なタニヤスピリットで1万円を3,120Bに替えた。だが後で気づいたが、プララーム駅改札口外に交換所があり、そこでは3,100Bであったから、どこで交換しても大差ないとも思えた。
ルンビニから西に向かい、河に至り、N1 orienntal駅から柿色旗の船に乗った。柿色旗の船賃は13Bであった。船は北上して、N15にて降りた。そこかた徒歩で、東行し、旧国会を通過し、ラーチャウイチィ通りに出て、そこから再び東行し、戦勝記念塔を経て、プララーム9駅に到着した。Bangkok市街外郭を徒歩で巡るって面白い旅であったが、暑さに参ってしまった。後から気づいたが、多くのバスは戦勝記念塔経由だから、バスの走行方向で判断しバスをもっと利用できたはずだと思った。戦勝記念塔通過でなくとも、バスの方向がなんとなく理解できる町筋でもある。バスを利用すれば初日の疲労無く行動できただろう。
14日
地下鉄で終点フアランポーン駅から、中華街を通った。旧正月であったので、凄い人出であった。途中で、果物ナイフを30Bで買った。100円ショップ並で買ったにしては良い品物だった。ワットトランミットを観光後、中華街を北西に進むと広い通りに出て、これを左折し突き当りが、N5の船乗り場であった。そこから、N9で降りて、王宮前広場を見た後、ワットプラッケオに行ったが、ラッシュ並みの観光客に圧倒されて疲れてしまい、ワットプラケオ観光をあきらめて、N5に戻り中華街でまともな店に入って300Bの贅沢な食事後、地下鉄でカルチャーセンタに戻り、スーパーで菓子とかを買い、宿まで徒歩で帰ったが、途中で果物屋を見つけ、バナナ・マンゴーを仕込んだ。この街では果物を思いっきり、それに安く食べられそうなのがうれしかった。更に、フードコートでのカード利用の方法も判った。
毎日が新しい発見で実に面白い。
15日
昨日の混雑を避けるべく、早朝にファランポーン駅に向かった。次いで駅から近いN3に向かった。歩いて行く途中で気づいたが、バスのNO1に乗ればN3にも、それに、ワットポーにももっと簡単に行けたようだ。
N3からN9で降り、ワットプラッケオを観光し、次いで、ワットスラケートを観光、北側に降り、運河船に乗り、12BでASOKで降り、地下鉄で宿に帰った。今回は大きなパイナップルを購入した。
16日
ファランポーン駅からNO1バスでワットポーに向かった。ワットポーとワットアルンを見学し、共に感動した。実は、大したことなかろうと考えていたのだが、その壮大さに驚嘆した。
17日
帰国を考えて、地下鉄でチャトウチャック公園に向かい、空港行バス乗り場を確認した。次いで、29番バスに乗り、街を南から北まで横断し、クルンテープ駅に至り、徒歩でファランポーン駅に出た。そこから、N1のバスでワットポーに行き、ついで寺を順番に観光し、再び運河船でASOKに向かい地下鉄で宿に帰った。途中は今度は、プラローム9のフードコートでぶっかけご飯を食べたが、とても辛かった。夜中に肛門が熱くなり下痢を起こしてしまった。辛い料理は出来るだけ避けねばならない。しかも大きなパイナップルを丸々食べたら口の中が侵されてしまった。これも留意事項だ。
もう、bangkokの交通をほぼ把握できた。素晴らしい街だ。
18日
前日の調査で簡単に空港に着き、航空便も遅れなく、簡単に帰国できた。
簡単に記載したが、バンコクって面白い街だと判った。今後も安い航空券は確実に購入して訪れる積もりだ。

それと気づいたが、タイ人って、気質的、容貌的に日本人に最も似た人種だと思う。恐らく、共に混血度が高いのだろう。その点からも、僕はタイ人がとても好きになってしまった。なお今回の旅行費用だが、航空券が28,000円、宿が10,000円、バーツに交換したのが10,000円だから、合計ほぼ50,000円になる。恐らく、いくら節約しても、海外旅行は最低50,000円は掛かるのだろう。これを更に安くするには、例えば、宿のレベルを共同部屋にするとかの、根本的な対策が必要と思える。

人は皆、いずれは孤独に死んでゆく。それまでを、いかに楽しく生きるかだろう。

https://photos.google.com/share/AF1QipO_lM3gm6vbavl417AHQl28-82QdFJTYzshKOdBvDvjqwVwCwCRVzjZnnKTSVpbOw?key=MUFvRENLZmdJbTJnbm5Gcm1oN2hMTHZ2VlhSQ3BR

2016年2月22日月曜日

冠婚葬祭研究所で勉強する

日経新聞に冠婚葬祭研究所のことが掲載されていた。
とりあえず、今後、研究することとしてWebPageを調べた。
http://ceremonylab.net/
また葬儀自体を簡略化するとの業者も居るらしい。
アメイジン
グライフ(東京都武蔵野市)って会社らしい。
要するに、自分若しくは妻が亡くなった時に、2~3百万の金を掛けるより、その金で子供たちが愉しめば良いとの考えだ。
上記Webのここを見ると勉強できそうだ。
http://ceremonylab.net/?mode=f2
知らねばならないのは、葬儀に必要な棺桶とかの必需品と、火葬とかの手続きになる。
葬儀の手順もここに書かれている。
http://ceremonylab.net/?mode=f7

以下にそこに記載されていることを転記する。

直葬とは
直葬火葬式
通夜・葬儀などの儀式を行わないで、火葬のみでお見送りのお葬式のスタイル家族葬とは
家族葬
ご家族や、ごく親しい友人だけで通夜・葬儀を行うスタイル

直葬・家族葬のメリット
  • 特に信仰がない方は儀式などを行わないで済む
  • 参列者を呼ばないので、故人のことだけを考えお見送りできる
  • 高額な葬儀費用がかからない

直葬・家族葬で重要な事はお葬式の事前準備です。

一番重要なことは事前準備を、しっかりしておくことです!!

購入しておくもの

  • 骨壷
  • 骨壷カバー
  • 風呂敷
  • 棺桶
  • お骨上げ用箸

準備・調べておくこと

  • ご遺影用の写真
  • ご安置場所(お亡くなりになって、病院からご遺体をご安置する場所を決めておく)
    ※お亡くなりになってから24時間は火葬できません
  • ご安置場所までの導線(棺やストレッチャーが通るかどうか)
  • ご遺体の搬送手段(自分達で?寝台車・霊柩車で?)
  • 火葬場の場所・料金・予約の仕方(各市町村役場によって棺の対応サイズや予約手続きに違いがあるため)
  • ご寺院・教会・神社の連絡先(儀式を行う場合)

お亡くなりになってからする事!

ご安置場所までの移動

ご安置場所についてからする事!

  • 棺にご遺体を納める(お化粧・仏衣・ドライアイスなども)
  • 通夜・葬儀の儀式をするならお寺・教会・神社の手配
  • 火葬場の予約
  • 死亡診断書を持って火葬許可証をもらう ※申請者の認印が必要
    (各市町村役場で違いがございますが、24時間対応で手続きできるところが多い)
  • 出棺
  • 火葬

2016年2月21日日曜日

新農園 春の植付

さて、そろそろ春の播種・植付の準備だが、今年からは日当たりの良い新農園になっている。しかも、マルチとか透明トンネル、網トンネルを多用して収穫を増やそうとしている。従って従来よりは早めに播種・植付をすることになり、そのための対策も確実にしなければならない。加えて、既に畠は秋植えの作物で満杯だから、ポット植え、と後に畠に植えるって手段を主体にしなければならない。ってことで、今後のために今年のスケジュール・方策を詳述する。
先ず、いろんな作物について房総での一般的な播種スケジュールと種の有無を調べた。その中には昨年種を得た、ハグラウリ、キューリ、オクラ、南京も含んでいる。かくして、ポット植えも考えて早めに種の準備が必要だ。
2月22日 先ずは、じゃがいもの植付準備として、マルチ設置と、植付間への糠置きを行った。植付はもう少し後とする。
2月22日 タマネギのマルチを外した。
2月26日 そら豆がトンネルの中で窮屈そうだ。網でのアブラムシ防止は無理そうだが、ご近所のクレーム防止にカバーは必要なので、三角カバーで内部容積を広げることにした。
2月26日 ジョイフルに行ったが、野菜タネの値上がりが激しい。となれば、ポット苗も高くなると思われる。そこで種から育てる方法を採用する。最初はポットで、次いで、鉢で、と、これは昨年採用した方法だから、これを拡大応用で使う。
種の値段は、ジョイフルで、中長ナス 2ml 235円(ピーマン400円) ロイヤルで、つるなしインゲン 135円 トウモロコシ 180円 にんじん180円 、球なりレタス192円、カインズで、早成枝豆198円
シソ 135円 ピーマン180円
出来るだけ種を有効に使うには、ポット当たりの種数を減らし、ポット数を増やすことと、播種時期をずらして試すことだ。播種時期が重要だ。
ナスは、播種から植付まで2ヶ月、だが、鉢育てを0.5ヶ月として、2.5ヶ月とする。3月半ば播種かな。キューリ、ハグラウリ、オクラ、南京、ブロッコリー等も同様のスケジュールとする。それより早くしても畠には余裕がないのだ。ただ、人参は早く播種の必要があり、キャベツの周囲に播種を急ぐことにする。
が、考えると、3月25日~4月2日には不在となる。その間の水やりが無いと株が乾燥死することは確実だ。そこで、狭い場所で直植えできる、人参とレタスを除いては4月2日以降の播種とする。但しナスについては、播種後、収穫までは4ヶ月かかるようだ。他方、発芽地温が高い。従って、3月初めに保温播種して、3月末に保温鉢植として水やり無く10日間を過ごせるようにとの工夫が必要だ。
2月26日 レタスとリーフレタスをポット播種し、苦土石灰粉と培養土を散布、保温のために透明シートで覆った。土がかなり湿気ているのが気になるが、培養土で吸収されること、それに、暫くは好天が続くらしく、この熱で乾燥されることを祈る。
2月27日 ちょっと早いが黒マルチをしているので、ジャガイモを植え付けた。人参を播種(水を撒いた後に筋蒔きして、忘れた石灰を散布、その後、培養土を薄くかぶせた。)来週は気候が好天らしいので、グリンピースの透明カバーを開いた。また、長い畝の方のそら豆のトンネルを広げるための支柱を準備した。
                                   レタスポット播種(手前リーフ・向う側球) 培養土で覆う
上記にカバーしたところ。
 キャベツの状況

 
タマネギの状況(育ちすぎ)
 
そら豆(花が咲いている) 網をトンネルから拡大支柱にした。
トンネルと同様に、支柱を紐でつなぎ左右で引っ張っている。この方法はとても有効。

じゃがいも植付

 
リーフレタスの向うに人参を播種

グリンピースのカバーを外した(夕方寒くなったので液肥を与えた後再度カバーした)

 
グリンピースと向こう側そら豆

 
カバーを拡大前のそら豆(拡大用支柱は設置済)

2月29日 そら豆は、上部の花には実がつかないらしく、草丈60cmで先端を切るのが良いらしい。
とすると、もう先端を切るべき株もあるってことになる。
脇芽も取らねばならないらしい。
ここでは、7段目までは実がなると書かれている。脇芽を除くこと、7段目で芯止め、追肥の必要と、芯止めに際しては、先端に振動をあたえないでアブラムシが落ちないように処理することが必要らしい。いろいろありますね。
3月2日
ブロッコリーをポット播種した。ナスとピーマンは発芽・生育温度が25度~30度とのことなのでもう少し待つこととした。
3月3日
そら豆のアブラムシ除去(容器の上でそら豆の房を振る)と土寄せ、グリンピースの支持紐張りと土寄せを行った。アブラムシ除去は上記の方法で頻度高くするのが良さそうだ。
グリンピースのカバーを横方向のみにした。
3月4日
そら豆の剪定とアブラムシ除去を行った。剪定枝とアブラムシは水容器に投入した。
剪定は枝が長すぎる。もっと早くすべきであった。
まだ夜は寒いが、グリンピースは元気そうだ。本日の気温は6℃~15℃。
3月12日
真冬並み(-10℃未満)になるとのことで、グリンピースに不織布カバーを設けた。
3月15日
グリンピース不織布カバー除去と紐張り。
そら豆のトンネル型の残り分、テント型に網カバーに修正完了。なお、カバー内側に紐張り。
レタスポットを移植。場所は現リーフレタス周辺
自宅にて、ナス、ピーマンポットに播種。
3月17日






 3月21日
ブロッコリーの第一陣の苗の半分は、何故か、茶色になってやられた。
のこり3株を畑に植え付けた。
ブロッコリー第2陣の種を播いた。(4ポット)
 
4月16日
ポット播種分はほぼ全滅だ。今後への教訓としたい。
現時点での畑の状況。えんどうが収穫始まった。そら豆はさやができはじめた。が、サラダそら豆は、植付ピッチが大きすぎたことも合わせて成長が不良だ。












 
 また、黒陽ナガナス4株、ミズナス4株、各4切り容器 220円を買い、これを夫々大きなポットに入れて、屋内置きで育てることにした。
4月23日 苗は、農業会館のが良いとの情報で、早速買いに行き、確かに値段は安く(1株60円)株は立派であることを確認して、ピーマン2株、きゅうり1株を購入して大きな鉢に入れた。
アブラムシが近所迷惑との忠告有り、密封カバーをして、カバー出来ない所は切除した。
4月25日 キュウリとハグラウリの発芽状況悪いので、今年の種を買うことにした。ロイヤルで共に180円であった。
4月27日 キャベツには、特にナメクジが付くので、順次食べることにした。キャベツ収穫後の空場所に、漸く植え付け出来る隙間が出来たので、植付の準備を始めた。掘り起こし、発酵米ぬかを散布した。28日が雨なので水が十分に吸収できる体勢とした。
なお、下記を参考として、ナス、キュウリには根切りを行うことにした。
なお、根切りは、ピーマン、トマトにも有効らしい。自家製のカボチャのように株が小さい場合は、絡まった小さな根の固まりの周囲の先端を切る程度でも良いらしい。
ポットごと水につけて1時間、水から出して2時間、ポットから外して、水洗いして根を梳いてから、1/3を根切り。新聞に包んで、水につけて現場に運び、根を円形に広げる深さは、キュウリ5~6cm、キュウリは2~3cmとする。中心部を少し丸く高くした穴にする。土はそこそこ固めて、支柱、水やりを急ぐ。なお、水洗いはポットから抜いて水洗い・根切りって簡略法でも良いらしい。
ナスは黒マルチを両がけする。(水やりや雨の時は外せるように)。
根切りしているので水やりはしっかりとする。
仕上げで、透明シートでトンネルカバーとする。キュウリは黒マルチが駄目なので、コメワラで乾燥よけとする。
株間隔はナス・ピーマンは50cm
なお根の活着を促す方法としては、根切り以外にもいろいろあるようだ。
ミニトマトの寝かせ植えは是非実行すべきだろう。他方、トマトについては、根洗・断根して植え付けて枯れたとの情報もあり、特に、乾燥には留意が必要のようだ。
ナスについて秋の更新・断根についても情報がある。
4月29日 風が強烈だ。グリンピースは紐張り不十分で、背が低くてもジャガイモは倒れそうだ。油断してしまった。
そら豆のカバーの中にてんとう虫の幼虫がうろついている。頼もしい。やはり農薬を使わなくて良かったと確信した。
4月30日 今日は到頭、ナスの根切り植付だ。キャベツの収穫で出来た空き地に準備を終えた。
8時30分に小さなバケツに2個に水を入れ、ポットを漬けた。2株のみだ。
乾燥防止のために、コメ藁、不織布、黒マルチを使ったので、ほぼ完璧と思う。保温のために透明カバーのトンネル掛けとした。心配なのは、少々浅植えだったことだ。さて、断根が効果あるか否かがはっきりとすることとなった。
本日更にキャベツの収穫で場所が空いたので、きゅうりを断根方式で植える。下にさつまいもを植えているが、きゅうりなら上に伸ばすのでじゃまいにはなるまい。
5月1日 きゅうり一株を断根植とした。断根植えしたナスはぐったりしている。共に、朝昼夕に散水する。それに、キュウリもナスも、昼間の生育温度は25℃~30℃なので、余り高温になるのも防がねばならない。その点の注意も必要だ。
 
金子さんが「ジャガイモの追肥と土寄せをする」と言ったので、早速、発酵米ぬかを液肥として与えた。土寄せは一昨日風が強かったので遣ってしまっていた。ついでに、タマネギにも液肥をかけたが果たして良かったのか悪かったのか・・・・、と、心配だ。
ただ調べると、生育期の乾燥はタマネギには良くないとのことで、薄い液肥が有効だとも思える。それにしては、少々濃すぎたかなとも心配する。
 
ポット植えの殆どが失敗している。なんと、ナスだけが芽出しできていて、きゅうりとハグラウリは、種自体が悪い可能性がある。そこで、購入した種をポットに播種する。培養土で2~3cmと書いているが、僕の所有する培養土は、肥料用なので1cm程度とした。
 
サラダそら豆が数本収穫できた。どうやら、サラダそら豆の方が生育が良く、あぶらむしにも強いらしい。本年冬には、サラダそら豆を適度に育てることにする。
5月2日 ジョイフルホンダで、4株120円の、キュウリとピーマンを購入し、ポットを替えた。午後、農業会館に行くと、ミニトマト60円が前回よりも小かぶだが売っていたので、2種を一株ごと購入し、大きなポットに移し替えた。総合計360円。
来年は種は一切買わず、ポット買いとしよう。
 
5月4日 明日は天気が荒れるとのことなのでジャガイモのカバー、えんどうの支柱補強を行った。
最終のポット植(3回目)5月1日播種のキュウリが早速芽生えた。やはり新しい種でないと駄目だ。
えんどう、いちごは収穫が始まり、タマネギも大きくなっている。旧農園より一ヶ月も早い。それも、植付が失敗して遅くなっているのにその状態だ。新農園の条件が良いからだろう。
 
5月8日 僅かに塔は立ったが、タマネギの半分は倒れだした。イチゴの出来も収穫量も最高。
そら豆は出来が悪く、半数を処分し埋めた。その後に、ナス4本・ミニトマトを、根切りと寝かせで植え付けた。保水のために一応マルチをしたが、きゅうりは時期をみてマルチを除く。が、よく考えると、ナスは、施肥を根が広がるように散布するには、黒マルチが無いほうが良さそうだ。
ミニトマトの横に、ハグラウリの種植えをして、不織布を上に置いて保水とした。
そら豆は、マルチをせず、防虫ネットだけの方が、特に水不足とならないようにするのが良いらしい。つまり、いちごを除き、冬のマルチは、春前に除き、雨が降り込むようにするのが良いらしい。
 
5月9日 タマネギの収穫を始めたが、思いの外、出来は良くなかった。やはり、昨年の植付が早すぎたのだろう。できの悪いそら豆の整理後には、トウモロコシの種を播いた。その畝が最も北側なので、他の作物への影響は少なくできるだろう。なお、トウモロコシはポット植えも行い、今後、えんどうの収穫が終われば、そこに植え付ける。
そら豆とニンニクの出来が悪かった、がこれは追肥不足と思われる。
出来不出来は、追肥によって決まるようだ。
 
追肥が重要で、追肥が容易に出来るように、マルチは最小限にする。ところが、今日の調べでは、よく出来ているそら豆は黒マルチをしていた。判らん!
 
オクラをポット植としたが、ナメクジ防止のために育苗用培土を使った。豆類が特にナメクジの害を受けるようだ。今後はこの方式を採用する。
 
5月10日 ピーマンの根切り植えを行った。不織布と黒マルチで保水した。根切り植には慣れてきた。
5月13日 とうもろろこし発芽・地植えハグラウリ芽生え
 
5月14日 植付場所をなんとか確保して、ナス7株、ピーマン4株、キュウリ3株、ミニトマト3株を漸く、根切り方式で植え付けた。はぐらうり一箇所、とうもろこし10箇所の播種を終えた。
ハグラウリは、キュウリの種と同じ大きさ・形状だが、芽吹きがとても小さくて、遥かに浅く植えないと根出しができないと判った。ポット植え分は、2~3日前に浅く刺したのが発芽した。
 
5月15日 ポット播種のつるなしいんげん、枝豆はほぼ全滅した。温度が十分に上がらないと発芽しにくいようだ。ナスはかなりが発芽した。ピーマンも発芽するのだが、なめくじにやられる。豆類もナメクジの大好物らしい。
枝豆・つるなしインゲンを再度ポット播種。
畑で、キュウリを黒マルチしている人のが育ちが良い。根がやられるのは、もっと暑くなってからだろうか。注視すべきだろう。
5月20日 つるなしいんげん、枝豆が漸く芽吹いた。オクラが駄目だ。畑に播いたトウモロコシが芽吹いているが、その一部がネキリムシにやられた。タマネギの葉が倒れないのも、徐々に収穫している。グリンピースが枯れ始めたが収穫は続いている。
明日は、とうもろこし、オクラのポット植えの再挑戦と、育ち始めた苗を大きなポットに移す。タマネギ・グリンピースの収穫後に畑に移す準備だ。
2016年5月25日の畑
            北から一列目、西側から(以前はそら豆)・現在 はぐらうり・ミニトマト
同続き(以前はそら豆で、向うはグリンピース)手前はミニトマト、向うはトウモロコシ


2列目 手前はタマネギ収穫前・向うは以前はそら豆で今はピーマン・ナス収穫前グリンピース
その向うは収穫中グリンピース



3列目と4列目
3列目はネギで、間にカボチャ(芯止め中)・向うはイチゴ、ナス(タマネギ収穫後)、
その向うはイチゴ・ピーマン(タメネギ・ニンニク収穫後)
4列目は、ニンジン・レタス(キャベツ収穫後)キュウリ(キャベツ収穫後)キュウリ(タマネギ収穫後)
その向うは、ジャガイモ・レタス・ニンジン



ミニトマトの剪定枝はポットに挿して、次々と数を増やし、
発酵済ぬか袋と、発酵前ヌカ袋を常時準備して自転車に積んでいる。
追肥は一週間ごととした。
ポット播種・畑地播種はいろいろと試している。が、結局は芽生えには適切な時期が必要らしい。
 
 
 
 
 
 
 

2016年2月11日木曜日

本や資料を捨ててゆく

amazonで書店を開いたことについては先に書いた通りだ。が、書店でも売れない本や資料は紙ごみの日に捨ててゆくより仕方がない。本は懐かしいものであり、資料はかっての仕事には必須の品々だが仕方がない。しかし、ただ捨てるのは忍びないので、本も資料も読み返しては捨ててゆくことにした。読み返した時に気づいた事々をここで記載する。

鉄仮面 デューマ・ベール
読み返そうとして、なんと、初めて気づいたが、鉄仮面とかはダルタニアンで有名な3銃士(実際には4銃士)の後編の一部で、これらを含み3部作となっているらしい。3銃士とは子供向けの本ではなくて大人向けの流行本であったのだ。彼の時代は、ナポレオン時代の後のナポレオン3世時代から王制に至る時代で、ナポレオン時代の前のルイ14世(太陽王)の時代を懐古的に楽しんだ小説らしい。小説の中で3銃士はばらばらになって行き、ダルタニアンはオランダ野辺の戦線で戦死する。戦争の形容はそれなりに迫真力をもって描かれているが、内容的には流行小説の枠を外れたものではない。
角川書店の石川登志夫訳で、前後編に別れた初版に対して、上下を一つにした昭和5年改版の5版が僕の持ち本だ。デューマの作としては、モンテクルスト伯(岩窟王)も懐かしい。ところで、鉄仮面とは確か顔を知られることなく幽閉される人物のことだが、これがどうダルタニアンや4銃士と関係するのだろうか。そのことは内緒のままとする。
ところで、子供の頃に慣れ親しんだモンテクリスト伯爵に匹敵するのが「LesMiserable(ああ、無情)」だろう。これは誰の作かと調べたら、ビクトル・ユーゴーで、やはりフランスの作家で活躍時期は1862年頃で、デューマより少し遅いか、同時代となっている。確かに、舞台には同じ雰囲気があるが、ビクトルの方が地味と言えそうだ。
ところで、鉄仮面との表題だが、我々が子供の頃に読んだ鉄仮面とは異なるものらしい。
子供の頃に読んだのは何だったのかを調べねばならないが、それは別として、この本の表題がなぜ鉄仮面なのかを知らねばならない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E4%BB%AE%E9%9D%A2
http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/works/works_7_x.html

反逆児 ラクルテル著
ちょっと読み始めたが、鬱陶しい内容なので中断した。もう、かような繊細な内容の本は読めなくなっている。

南ヴエトナム戦争従軍記 岡村昭彦
本書は本戦争の極めて一部の経験の記述に過ぎない。

氷点 三浦綾子
うじうじと面倒くさい話である。と、文学者に怒られそうだ。でも、自分で書いた文章でさえ、そう思えるこの頃ですから。ただ、渡る世間は鬼ばかりとか、ださいのが好きになった年齢ですから、健気に頑張る陽子さんがテレビドラマに出れば、みるでしょうけどね。
司馬遼太郎の関が原、ギボンのローマ帝国衰亡史も面白く無い。
これだけどの本も面白く無いのは、僕の精神の衰えかと思ったら、チェーホフの我が生活は面白い。僕は何が面白くて何が面白く無いのかを考えねばならない。

GWFハルガルテン 独裁者
この本は、有史以来の独裁者の行為を分析するもので、極めて興味深い本である。ローマ史から学んだ法律家が、独裁者の現れるのを防ごうとした米国憲法でさえ、トランプの様な、独裁的性向者の発生を防げないことに驚き、この本をいよいよ見なおすべきと思う。

ところで、amazonで売れた本は3万円程度になるのだが、amazonの手数料と送料過多で、実質利益は半分程度となるだろう。ところで、市の図書館で愛読書としていた本が、最近になり再び在庫を調べると処分されていることが判りショックを受けた。図書館の本とは、短い期間に無くなってしまうことが判った。特に愛読していた、「どくとるアイアイと謎の島マダガスカル(上下)」と、田中俊資の「楠正行(1)~(5)」も消えてしまっていた。amazonやyahooオークションで再入手することを計画中だが、いかに良い本を安く手に入れるかである。「どくとるアイアイと謎の島マダガスカル(上下)」は1000円程度で手にいれて、楠正行は5巻を2110円、あれこれしている間に田中俊資の「南朝盛衰記5巻」のうち、3巻までを800円程度で買ってしまった。
本を整理するところが、増やしてしまったようだ。

ジャンジュネ 泥棒日記 新潮文庫
年寄りには重すぎる。

モンゴメリーのエミリー3部作、赤毛のアンシリーズ9冊、果樹園のセレナーデ や、バーネットの小公女、秘密の花園も捨てる。ただ、捨てる前に目を通しているが、赤毛のアンはやはり秀逸な一品であると思う。