2019年8月20日火曜日

僕の天王寺高校後輩の宮崎文雄さんは、それに、同じ会社の田村純子さんは

僕の天王寺高校後輩の宮崎文雄さんは、
煽り運転で大いに世間を騒がせたが、
帽子を脱いで、禿が見えると、途端に、気弱になるようだ。
確かに僕も、余り帽子は脱ぎたくない。
でも、これだけ天高の名を有名にしたら本人も満足だろう。

僕の務めていた会社の田村純子さんは、高価な馬の前でのこぼれるような微笑は、
警察に連行される際には微塵もみえない。

ふくろ狼 by 「生命の歴史はくりかえすのか?」

この本は、生物の進化は収斂的に進化すると述べている。つまり、地球上で別系統の進化で、同じような収斂的な進化を生じていることから、地球と同じような環境が有れば、その惑星では地球と同様の進化が必然的に生じると述べている。
しかし、地球における人間は、他の系統からの進化では生まれておらず、何らかの特別なイベントの結果うまれたとの可能性が高く、他の惑星でもそのような特別なイベントが生じるかどうかは不明だ、とのことだ。
https://www.youtube.com/watch?v=odswge5onwY
残念ながら、犬と同様に人なれする有袋類の袋狼は、絶滅したようだ。
残っていれば、人と良き友人になっただろうと残念だ。
著者ジョナサン・B

この本の中で驚いたのは、人類は黒人から進化したと、当然のように述べていることだ。
黒人→白人→黄色人 (1977年)  by 高野信夫の理論は既知のことになっているらしい。1980年当時はなお、白人優位主義の欧米ではとても受け入れられない理論なのだが、近年の遺伝子解析では認められたようだ。ただ、同時に、白人と黄色人は黒人から別系統で進化したと分析されている。つまり、黒人から幼形進化で変異を生じて、肌色は、白人と黄色人がそれぞれの道で、その
環境に合うように進化したとのことだ。                  

2019年8月8日木曜日

老人の健康に重要な情報

血をさらさらにして、血圧を低く安定させるには、えごま、が僕自身にはとても効果的であった。血圧に関しての心配は全くなくなった。
しかし、問題は、何か頑張らねばならない時には、アドレナリンを分泌して血圧が上がる。その時の為に、普段の運動をすることで、血管の老化を抑えることが必要だ。人生で血圧が上がるような悩みや出来事が生じることは避けることが出来ない。特に僕のような小心者には、悩みごとがあると夜は眠れなくなる時があるが、この時が最も血圧が上がるときなのだ。たとえ、エゴマを飲んでいても、その時には血圧は上がり、非常事態に対応できるようになっているので、どうしようもない。そのような時のために体を鍛えて、血管の老化を防がねばならない。これを完全に実行できるなら、その時には、エゴマは必要なのだろうか?

さらに、歯科医に行った時にもらった口内洗浄殺菌液をたまたま使って効果が判ったが、耳の不調と歯槽のうろに効くことが判った。耳が聞こえにくくなり、たんがよく出るのが収まったようだ。
なお薬名は、ネオステリングリーンうがい液と言い、ベンゼトミウム塩化物0.2%液となっている。マツモトキヨシで調べたが、一般薬局では売っていないようだ。
かような情報なんて、経験しないと判らないものなので、ここに記載した。

僕の人生の経験からすると、継続こそ力 なのだが、その継続力つまり集中力の維持ができなくなったが、これが老いるってことなのだろう。

2019年8月5日月曜日

2019年8月初めからの畑・・・・失意の年

7月25日の梅雨明けから、全く雨は降らず、酷暑が続く。が、畑は待ってくれないので、秋の準備を始めた。なお、今年はナスが不調だ。

道路側 
手前から[タマネギ・ホウレンソウ播種・エンドウの]後に、
手前からナス・ピーマン育苗からのの苗植え、第二陣のミニトマト・キューリの育苗からの苗植え、トウモロコシ



道路側から2列目
キャベツ・ネギ・多分小松菜・ブロッコリー・レタス・じゃがいもの後に
オクラ密集植、ネギ、ミニトマト、キューリの第一陣、ナス一株、ジャガイモ後の空き

 

 

道路側から3列目
タマネギ・キャベツ・ジャガイモの後に
「つるなしインゲン、オクラ密集植、ニンジン」、キャベツ後に、「ピーマン、ナス、ニンジン」



道路側から4列目
「キャベツ・たまねぎ・ニンジン・レタス」の後に
「つるありインゲン一株、オクラ密集植、とうもろこし、なす一株」、
イチゴの後は空き




8月5日に、キャベツ・ブロッコリー・中葉春菊・レタスをポット植として、外玄関の日影に、発泡箱の上に置いた。
8月9日に、空き地にトンネル支柱して、網掛、日蔭カバーをした。あまりの乾燥で、土の流失を防止して、播種後の乾燥防止と、虫除けを目的としている。
8月12日
ロイヤルで「アンデスレッド」と「デジマ」 各1kg 599えん(税別)x2袋 と 黒マルチ599円(税別)を購入した。 ちょっと体調が悪く、価格比較せずに買ったのが残念。とにかく、目出し開始した。
8月20日
8月いっぱいは全く雨が降らなかった。台風の影響も千葉では逸れて全く雨が降らない。そのため米ぬかを投入したが発酵が進んでいない。先週から黒マルチで日差しを避けたが、今週は雨が降りそうなので、網も黒マルチも外している。まだ米ぬかを撒いていないトウモロコシの跡地に、ポットの全てを移植して、防虫網と、その上に日蔭作り用の黒マルチを準備したら、夕方にはまぁまぁの降水があった。なお、移植を前提として、イチゴ予定地に植えつけた。
早速、ポットに続いて第二次の播種をする。米ぬかが未発酵だが仕方が無い。
ニンジンの一次播種・ハクサイ・小松菜、ときなしダイコン・小松菜などである。ホウレンソウの種が無く仕入れが必要だ。
8月21日にホウレンソウの種を仕入れた。ニンジンとホウレンソウを播種して防虫網をかけた。
8月22日僅かしか雨が降らないが、全く降らないよりはましだ。ニンジンとホウレンソウと同列畝に白菜を播種した。が、移植を前提として条撒きとした。同畝に続いて小松菜と大根を条撒きした。共に防虫網をかける。
南京とインゲンを整理する。
8月24日 結局、雨は23日の夜だけで、しかも、土の表面だけ濡れた感じだ。でも、仕方が無いので、黒マルチをして、保水と米ぬかの発酵をすることとした。なお、来週の水曜日に雨が降るらしい。
しまった。ホウレンソウは冷蔵庫での芽出しが必須であった。それに、この日照りでは地温が下がらず、発芽温度20度以下のホウレンソウでは、芽が出そうもない。失敗はそれだけではなくて、なんと、8月25日の朝3時頃から強雨となった。黒マルチは余計であった。が、朝には強烈な陽が射し始めた。
ところで、残ったホウレンソウの種をしぼり雑巾に包んで冷蔵庫に入れた。
同日、夕日がまだ高かったが、畑に写真を撮りに行くと、ホウレンソウの芽も出ていた。日蔭を作るのが効いたようだ。
 
北側の最も通路側 種から育てたナスとピーマンと、向うはミニトマト第2陣
 

 
その奥のポットから育てた、白菜、リーフレタス、ブロッコリー、レタス
 2列目、手前から大根・小松菜・ハクサイ (なす)ホウレンソウ・ニンジン4


 3列目、つるなしインゲンの跡地とオクラ (2列目のオクラも左にみえる)
 3列目、オクラの奥の空き地と、その向こうのピーマン・ナス
 ピーマンとナス
 4列目、大蔵ダイコン、オクラ
 オクラの向こうの、トウモロコシ後の空き地・イチゴ後の空き地

 
8月27日にカバーを外し、夜間の雨を受けたが、28日には曇りで、29日からは天気回復の予定だ。
播種分は芽が出たが、ダイソーのおでんダイコンの芽出しがもうひとつなので、ジョイフルで買った大蔵ダイコンを追加播種とする。また、9月に入ったら、キャベツ、白菜、ブロッコリー等の移植を開始する。
8月29日からは、晴天の熱地獄が戻った。
朝一番に、乾燥防止の黒マルチの再設置・新設と、大根は防虫網の設置を行った。キューリは全て撤去した。
8月30日
有難いことに雨が降った。
移植ポット苗のキャベツ、ブロッコリーの植付を完了した。共に、200mmピッチと狭い。
白菜と思われるが、姿は小松菜のようなのも移植した。
9月6日
昨夜は一時雨も降ったが、余り濡れていない。秋雨前線の活動が千葉周辺で弱いのがつらいとこだ。
畑の殆どは、オクラ・ナス・ピーマンを除いて、コマツナ・キャベツ・ブロッコリー・ニンジン・ホウレンソウの植付けを終えて、ジャガイモ・イチゴの植付け場所の確保とマルチ設置を終えて、ミニトマトの撤去を残している。なお、ミニトマトの撤去後にタマネギを播種する。
ジョイフルでニンニクのばら売り2個を400円にて購入した。
 
ミニトマトの整理は、着果が悪かったからだが、気温30度以上では着果が悪いとも書いてある。もうひと頑張りさせるべきだったか。他の人のを観察しようとしたが、9月9日の台風と塩水が影響しそうだ。
 
9月7日 追加播種して育っていたダイコンはほぼ枯れてしまった。黒マルチで強遮光カバーをしたが、乾燥の為か、カバーの遮光度が高すぎたのか。いずれにしても、やはり暑すぎた、つまり、早く撒き過ぎたと思われる。
 
9月8日午後から9日朝にかけて台風で雨がふりそうなので、9月8日午後前にイチゴ用とジャガイモ用の黒マルチをはがして雨を受ける。他の畑も水が吸収できるように工夫する。全滅ダイコン畑も雨後に黒マルチとすべく、発酵米ぬかを撒いて、雨を吸収するようにスコップを入れておく。雨の後で黒マルチとする。イチゴもジャガイモも台風が去ってから黒マルチとして植付を行う。大根も再種まきとする。
9月8日夜は酷い台風だった。家のベランダの排水が止まり、15cmほども水がたまった。今後の台風の時の対策は確実にせねばならないようだ。
防虫・防風網は外れ苗を倒したり、風もまた激しく苗を損傷した。今後は網の設置を確実にする必要がある。なお、塩水のためか、ピーマン・ナス・オクラが激しく落葉した。
倒れた苗とか、ナス・ピーマンを支えなおしたが、果たしてどこまで回復できるだろうか。
9月9日は、風雨のなかを支えなおしや黒マルチカバーを始め、午後はイチゴの苗の植付けを完了した。明日はジャガイモだ。
ただ心配なのは、ナス・ピーマン・オクラ等は嵐に含まれた塩分のために葉が大幅に落ちた。その塩分が作物にどう影響するかだ。ただ、イチゴは強いようだ。特に、桃香は強いから大丈夫だろう。
9月10日 ジャガイモ・ニンニクの植付とホウレンソウ・ダイコンの再播種を行った。ニンジンはなんとか持ちこたえた。 
9月11日 はくさい・たまレタス・キャベツ・ブロッコリーをポットで再播種を行った。
9月11日 夜は、凄まじい雷雨で、9月12日からは涼しくなった。来年からは、9月10日をめざしてポット植えとか播種を行うのが望ましい。播種は9月10日、ポット播種は9月1日で植替えは月10日頃、、イチゴの植付は9月9日、秋ジャガイモ・ニンニクは9月11日としよう。
9月13日 小松菜も播種し直した。今年はさんざんだ・・・・・・気力喪失
なお、9月11日から気温は秋となった。が、実際には台風24号の通過後が本格的な秋らしい。
9月15日 今夜は雨らしい。芽が出たはくさい・たまレタス・キャベツ・ブロッコリーのポットを畑に移植した。9月19日から大阪に行くので仕方がないのだ。
9月16日 朝からばらつき雨で、10時過ぎからかなりの降雨となった。キャベツ・ブロッコリの苗を求めて、先ずは農業会館に行ったが、一株苗が180円でしかも、あまり元気がない。そのままジョイフル本田に行き、4株で180円で納得できる苗を、4株づつ購入した。
午後に雨が収まりそうなので、購入苗を植えると共に、種々播種もやる積りだ。
関東では、9月半ばから播種、植付の適期らしい。タマネギの播種もこの時期が良いらしい。
そこで余っていた玉ねぎの種をまいた。
購入苗も植えた。
午後には、ロイヤルに行き、11月13日購入で泉州中性タマネギの苗、100本598円を2束予約した。
 
10月14日 13日の超台風24号で、15号の塩害から立ち直ったナスは駄目になった。ピーマンもかなりの葉を落とした。なお、葉野菜や大根、それに、ジャガイモも防虫網と、マルチ抑えを防虫網に施工することで問題なく過ごせた。ただ、キャベツの購入苗は、虫害が激しい。購入苗の土に虫が付いていたのかとも思われる。
 
10月21日(即位の礼の日の前日)に足を痛めて、11月8日まで何もできなかった。11月8日にまだ自転車にも乗れないが、玉ねぎとグリーンピースの準備を始めた。11月9日にグリーンピースを播種して、11月13日にはタマネギの苗が入るので、植付ける。なんとか、今年の畑の植付は、その全てを過ごすことが出来た。なお、キャベツは虫害を乗り越えて大きくなっていて、グリンピースは大きな玉ができている。春植替えのキャベツも育っている。足の損傷を除いてすべては順調と言えるだろう。
 
11月30日になり、朝霜が出始めたので、イモの収穫をしたが、思いの外に少ない収穫だった。黒マルチ施行が何らかの理由かもしれない。
グリンピース2畝が、1畝は全く芽が出なかった。そこで他方の芽が良く出た方から移植した。

2019年8月3日土曜日

数学の流れ30講 by 志賀浩二

何故か、数学の流れ30講 by 志賀浩二 を図書館で借りた。
恐らく、かような内容を省略・抽出して、数学の初学者に、特に、今まさに習おうとする講義は、過去において何故、必要であったかを教えられてから、講義に入れば、講義の効果は著しかったであろうと思う。その内容を要約する。
エジプトに始まる数学の流れ、それに、かなり高度な数学レベルに達していたことが判る。ユークリッドに至り、幾何学的なレベルは、定義→公準(公理)→命題→証明 とのレベルに達し、特に5個の公準の内、5番目の公準が、なぜ、証明されるべき命題ではなく、公準とされたのかが、その後の大きな課題となったようだ。
19世紀になり、5番目の公準(平行線の定理)以外は成立つが、第5公準が成り立たない幾何学もあることが提示された、これが非ユークリッド幾何学と称され、三角形の内閣の和は180度以下になる。恐らく、それが宇宙の姿なのであろう。
ギリシャからヘレニズムへと数学は伝わり、イスラムでインドの0概念と10進法を含むことで、代数学が発達する。特に10進法とすることで、代数式が成立した。ルバイヤットで有名な、オマール・ハイヤムは3次方程式の解析を扱った、が、代数学の体系化までは進展しなかった。なお、インドでは天文学が盛んで、この天文学もイスラム文化に伝わった。そこから、三角関数が発展した。
なおインドの城塞都市には天文台が存在して、そこには巨大な天文観察装置が装備されている。そのことから、インドの天文学はかなり高度なものであったと推察できる。

代数学の体系化は、ヨーロッパのルネッサンスから始まる。ところで、ルネッサンスとは、イタリア語で、re-rusinare (再び、生まれる)語源だ。
特に詳しくアラビヤ数学をイタリアに伝えたのは、1200年代全般に、ピサのレオナルドなる、filio di Bonnaci (ボナッキの息子)、つまり、フィボナッチであった。彼の書の中の例題 「毎月1対のうさぎが、1対のウサギを産み、生まれたウサギは、翌月から1対のウサギを産む場合、1年間で合計何対のウサギが生まれるか」 が、フィボナッチ数列として現在も有名になっている。
なお、数学記号 +-×÷ などは、イタリアでラテン語を元に作られた。

代数学はいわば知識階級のなかで、数独のような扱いで発展するのだが、16世紀前半迄には4次方程式までの解が解かれたが、その解の中には虚数解が現れたが、虚数は、虚数としてより、不可解な存在として扱われていた。

16世紀後半ごろ、天文学者の間では、乗除算を加減算に変換する手法として3角函数の
2sinAsinB=cos(A-B)-cos(A+B)が使われていたが、ネピアが16世紀末から17世紀初めにかけて対数関数を確立した。
僕は技術者で、しかも、電卓の現われる前の世代だから、計算尺を使って乗除算を行って多くの施設を設計したが、計算尺が対数関数を使って作られていることには気づくことなく仕事をしていた。つまり、計算尺使用と対数関数の勉強とは全く別の次元で考えていた。それはとにかく、技術者に取って、計算尺が必須品である時代は長く続き、計算尺には言葉で言い尽くせないほどのお世話になったが、その計算尺は、どこか机の引き出しの中にしまわれたままになっている。
なお、代数学の発展よりも先に、対数関数が成立したことに非常な驚きを感じるが、それが天文学と関係するとは、なるほどな、と納得すると同時に感心する。

また、小数点の考え方及び表記方法が一般化するのも同時期である。それまでは、天文学的表記の60進法で、分、秒ひょうきであった。しかも、これを成し遂げたのは対数関数を確立したネピアであったとは驚きだ。なおネピアはスコットランドの人である。17世紀はじめと言えば、関ケ原合戦の頃で、そのころから計算尺は使い始められたってことになる。驚きだ。
ただ、計算尺で使われる常用対数(紺が10の対数)は、ネピアの死後に使われるようになった。また、根をeとする自然対数は、代数学が発展する過程で代数学において数式内で使いやすいので一般化した。

17世紀前半に、われ思う故に我あり、の哲学者デカルトが、幾何学を代数で解く方法を提案することで、代数学の幕開けとなた。更に17世紀後半、特に、ニュートンが1966年に微積分学を確立して代数学もほぼ成立した。彼は更に運動方程式などの古典物理学も確立したのだが、僕が大学院での研究とか、くそ住重で働く間も、彼の運動方程式でほぼ仕事は出来た。と、言うか、F=mdv/dtとこれを微分または積分することで、仕事は殆どできたのが真実だ。

ドイツのライプニッツは、ほぼ同時期に微分積分積分学を確立した。このため、両者は国を挙げての優先者闘争となり、ヨーロッパの数学の流れは、イギリスと大陸とで別の道を進むことになった。が、どちらかと言えば、大陸の方により優秀な人材が続いたらしい。と、言うか、ライプニッツの解析法の方が容易で応用が効いたものと思われる。
僕の会社生活における技術計算は、この時期、つまり、1670年代の数学で十分なOで、本書はここで終了する。なんと、350年前ですな。
なお、微分積分で使われる ∫ とか微小変化 dx はライプニッツの創造物だが、僕の高校時代には一瞬で説明されるこれらの概念は、当時の数学者にはなかなか受け入れられない代物だったらしい。かような事実を高校の授業で説明されていれば、我々の数学の理解も更に深まったことであろうと思われる。また、ニュートンの微分積分法は、結果はライプニッツと同結果だが、その導き手順には疑惑を持つ人が多いらしい。
また、ニュートン・ライプニッツ以降の数学者、例えば、オイラーの公式で有名なオイラーとかラグランジェの式は、機械工学で使うことは先ずなく、フーリエ級数でさえ使うことはなかった。