2023年12月28日木曜日

またまた血圧のことで・・血圧の怪

 僕の場合、寝起きとか居眠りの後で血圧が高い。5時30分から7時まで、出来るだけのスピードで散歩すると確実に血圧が下がる。最高でも130程度だ。
血圧が高い時に運動したら、血圧が上がって危険だと思うのだが、実際には寝起き時よりもはるかに血圧が下がる。
その理由を考えたのだが、僕の場合、無呼吸症候群であることも計測で確認されている。つまり、睡眠中または睡眠直後の血圧が高いのは、無呼吸のために酸素を十分に体に供給できず、できるだけ血を循環させて酸素を供給させようとしていると考えられる。それであれば、運動すると、呼吸が激しくなって、結果として酸素が十分に体に供給されて血圧が正常になるのでは?と考えた。
なれば、運動せずとも、深呼吸をすれば体に酸素を送れることになり、血圧は正常になると考えられる。要するに、酸素を体に十分に送れるように、若しくは、呼吸を深くすることで血圧上昇を抑えれるのでは、と考えた。
その為には運動することと、若しくは、運動しない時は深呼吸をすること。これを今後、続けてみる。
運動して、血圧が正常になるなんて有難いことだと喜んでいる。それに、これを書きながらも深呼吸している。その結果として、118/70/60 最後は脈拍で、僕のペースメーカーは、脈拍最小値が60と設定してある。つまり、全くの静状時ってことです。
この結果は、運動した後よりももっと下がっている。運動すると深呼吸だけよりも運動に必要な血圧循環分だけたかくなるとも思える。
この方法を志水式血圧対策って称してね。

ところで、僕の場合、山を登る時や速足で歩くときは、強制的に深く早く呼吸する。そうすると不思議に力が湧き、疲れないのだ。これを、強制呼吸と称しているが、山歩きに良く行く知人からは、過呼吸になるぞ、と注意される。どうやら僕は肺機能が低くて、過呼吸しても調子は良くなるらしい。無呼吸症候だけではなしに、長年の喫煙で、肺の機能が低いのかもしれない。息を深くすることで血圧が上がるので、強制呼吸が体に丁度良いのかもしれない。

2023年12月20日水曜日

循環器内科の続き  新しい光を求めて

循環器内科へは、10月30日に初診を受けたが血圧のことは余り聞くこともなく、尿、血液検査、レントゲンをされた。ここんとこ血液検査ばかり受けている。検査をするので、費用も1,200円と高い。(国は10倍の12,000円を払う)

11月6日に血液検査結果を聞きにゆき、僕の方から前日に測定した血圧測定結果を示して、寝起きの血圧が高いと言った。すると、無呼吸睡眠検査機を渡され、夜に装着計測して翌日に持ってくるように指示された。それと、前回の血液検査の結果から、LDL対策のロスバスチン錠18日分を渡された。無呼吸測定の費用が高くて、1500円も支払った。しかも、ペースメーカー管理料が追加されている。ペースメーカー手術は管理を含めて済生会でしているのに、と思った。(国は15,000円を払う)
同日、検査道具を装着して測定し、翌日返却した。
13日に無呼吸測定検査結果を聞きにゆくと、無呼吸症候群だと説明され、今度は脳波測定するので、業者から機器を送るとの連絡があると言われ、また、レントゲン写真を見せて、特に異常はないね、と言われた。僕の場合は、ペースメーカーがはっきりと写っている。LDL薬が残り5錠ですと言うと、「あれ、飲み過ぎたんじゃないの、18錠渡したよね」と言われた。あれそうかな、と思ったが特に反論しなかった。支払いは、今度は、3,600円にもなっている。(国は36,000円を支払っている)脳波測定料金が特に高いのだ。それに、またもペースメーカー管理料300円が追加されている。ところで、LDL薬は、6日に18錠渡され、18日に残が5錠だから、数は合うよな・・と考えた。この先生はちょっとおかしいのかな、と思った。
12月7日に脳波測定器が自宅に送られてきて、その測定結果が10日ほどで出るから、その時に来るように、と言われた。いつになったら、血圧対策がはじまるのかな、と疑問に思った。
脳波測定して12月18日に行くと、脳波測定結果はまだだが薬を出すので診察を受けるようにと言われた。診察室に行くと、診療室に胸の写真が出ているが、ペースメーカーが写っていないので、僕のではないと思えた。先ずは血圧測定をして、140ちょっとだな、ちょっと血圧が高いな」と言うので、寝起きの血圧が150から160です、と言ったが、ほぼ無視して、「尿検査と血液検査をしましょう」と言われた。「あれ、前回にも血液検査しましたよ」と言うと、薬を出しているので前後の様子を見るのだ、との答えだ。最後に、「じゃあ、来年だね」と言われた。あれっ、今日は脳波測定の結果を聞きにきたのに、それも来年?、と思った。どうやら、先生は、先生が指示した脳波測定のことも、僕の寝起きの血圧が高いことも忘れているのか、それとも、無視しているらしい、と思った。
尿と血圧の採取後に受付で支払いを待っていたが、今回も、支払いにペースメーカー管理料が載せられている。事務員にペースメーカーは別の所で見てもらっていますと言うと、血液検査で管理していますと、わけのわからん返事だ。どうやら毎回、ペースメーカー管理料を取られるらしい。
まぁそれは良いとして、高血圧対策は、いつになったら始まるのだろう。
脳波測定と血圧の関係がよく判らないが、またまた血液検査とかレントゲンが行われ、血圧対策が行われないなら、ここは切り上げるべきだろうと思う。
1月22日に脳波測定業者から直接に、脳波測定の結果分析をおわりました、との連絡があったが、先生からは、来年ねと言われているし、それに何となく行かない方が無難な気がする。行けば恐らく、脳波測定の結果説明だけでは終わらず、今度も、尿や血圧測定、それに、ペースメーカー管理料だけでなく、新しい器具や検査の採用と、それに要する先払い費用の追加など、傷を深めて行きそうで怖い。
とにかく、先生には、1月になってから来いと言われているから、急いで行く必要もなく、その間に打開策を見つけ、実施に至るまでは、出来るだけ運動をして、更に、タオル絞り法で血圧の低下と安定を図る積もりだ。

他の、無難そうな循環器内科で、穏当な処理を受けるべきかと、循環器内科を探している。
(結局は中野先生に血圧降下剤を処方してもらえば良かったとも思った。)それと、ペースメーカー手術の竹田先生に相談しての、済生会の循環器内科の受診がベストと思える。ただ、竹田先生は金曜日だけの診察で、ペースメーカー受診は6か月ごとで、次回は3月中旬だから、そこまでの我慢だ。
やはり、最善は、済生会竹田先生との相談だろう。

竹田先生の診察は3月半ばとなっている。それまで、特に、LDL対策ロスバスタチン錠2.5mgが切れてしまう。この薬は一般薬屋では販売していない。そこで、NETで輸入を調べると、空詩堂なる輸入屋があるので、100錠(3月までは持だろう)を2,270円で購入した。医師て配分だと、最大1か月分 400~500円だから、3か月分で1,500円程度となる。値差はあまりない。睡眠誘導剤は翌日の倦怠感を防ぐため、半割を飲んでいるので、長く保つし、それに、無くとも眠れる。これで3月半ばを待つことにする。





2023年12月17日日曜日

我が国の歴史を見直してみる

 大津透著の神話から歴史へ って本を読んでいる。
彼は、邪馬台国は大和であろうと推論している。また卑弥呼が天皇家につながるか否かは判らないと言っている。日本書紀は、魏志倭人伝の倭の女王、を無理やり神功皇后とするために、神功皇后の在位を魏の時代に合わせるための年代操作を行っているようだと記載している。
ところで、僕は、日本の歴史時代がいつなのかを同書で調べた。古事記は平城京時代の少し前、天武天皇の時代712年に作られ、日本書紀も同時期平城京時代の直前720年に完成した。
つまり、日本の歴史時代は、確実には、西暦700年頃からだと言える。なお、平城京時代は42代文武天皇時代だから、初代神武天皇の時代は、天皇の平均在位期間を15年とすれば、紀元85年頃となり、平均在位期間20年とすれば、紀元前110年頃となる。つまり、紀元0年ごろから、天皇家が地方の首領として力をつけだしたと言えるだろう。  神功皇后の時代は14代仲哀天皇の時代だから、紀元140年から紀元280年頃となる。
魏志の倭の女王の遣使が、250年頃だから、大体話が合う。つまり、倭の女王は神功皇后ってことになる。
なかなか面白い、と思った。

2023年12月15日金曜日

体が、簡単にひっくり返る

 ここのところ、図書館とかイトーヨーカードーとかにかなり早い徒歩で行くようにしていて、歩行にはかなりの自信を持った。ところが昨日、散歩に出かけようと、路地を出たところでひっくり返った。歩道の路面が僅かというか、かなりと言うか、いつもは気にもしない程度のへこみであった。おそらく、右足を下ろすときに、地面が低めで、想定より足が下がりすぎて、他方、左足は、次の着地点を求めてあげようとしたのだろう。体が前にぐらっと倒れた。地面が顔に近づいてくるのだが、支える方法がなく、しかも、自分の体が非常に重く感じられて恐怖を感じた。結局は、膝と肘、それに手の平で体重の全てを支えて倒れは止まった。幸い手袋をしていたので、手の平が赤くなりひりひりしていて、膝肘は両方共に強く打った感触があり、加えて右足首が捻挫を起こしたようだった。
直ぐに家に帰り、体を点検すると、膝に僅かの出血があり、足首の痛みは直ぐに治まった。
膝の傷にテープを貼り、再び散歩に出て、1時間ほど歩いてから帰宅した。
ところが、家に帰ってから、右足首に力が入らなくなり、しばらく安静にして、力が入るが痛みが酷いなんて状況になってしまった。が、翌日には、僅かに痛む程度で歩行に支障はなくなった。しかし未だに、しばらく休んだ後の再歩行には痛みを感じる。
どうも体重が重くなったこと、足の指の把握力低下が、老人の転倒の原因のようだ。
早速amazonで、膝サポーターとローラスケート用パット組み合わせを購入した。
下記は6点セットで165円なんて極端に安くてどんなのだろう。

6PCSキッズローラープロテクタースケート保護具膝手首肘パッド自転車スケートボード用ブルー耐久性 

下記も770円とかなり安い

膝パッド 通気性 膝プロテクター 両膝セット 男女兼用 ダンス 衝撃吸収 登山 踊りなど通用 野球 膝ブレース 作業用 保護 着圧(M ブラック)

健康状態その6の続きだけど、四街道への道の続き それに、ゆずジャム作り

 我が家から四街道へは、かって、四街道を経由して、9十9里浜とか泉公園に行ったのだが、296号で井野の交差点で京成線を越えて南下するのがルートであった。勝田台から296号に沿って京成線の南側を行くと、井野の交差点の手前で霊園があって道路が中断していたのが、勝田台南口からのバスで行くと、今ではそこが開通して、296号からの京成線を横断する井野交差点の混乱を避けられることになっている。ただ勝田台からのバスは、霊園跡を通過するものの、井野交差点までは行かずに、途中で曲がり四街道への近道を通れるようになっている。この道も、曲がった先からはかって通った道で懐かしかった。その道は勝田台の南側の住宅用周回路から南に出て、四街道へは最短ルートであった。
つまり、かなりややこしい話なんだが、実際には簡単な話なのだ。要するに、近道が二つも出来て、バスが簡単に四街道に行けるようになったということだ。それどころか、歩いて行くにも簡単になったと言うことだ。
問題は、四街道に、素敵な場所があるかどうかで、そのことはこれから調べる。
四街道市HPを見ると、何も無さそうだ。でも、街を知るって楽しいから行ってみる。さすがに徒歩では時間が掛かるので、自転車が良さそうだ。

雨の午後は寒く、外にも行けないので、ゆずジャムを作った。来年の大阪訪問で十分に使える量の大びんを作った。出来たゆずの数からすると、もう一個は作れそうだ。

改めて思うのだが、僕は 地図を見ているだけで楽しい。ただ、誰だっかと違って、自分の位置を東西南北で把握するまでには至らない。それが残念だ。

2023年12月14日木曜日

健康状態 その6  眼の手術

 久しぶりに長眼科に行き、眼圧を下げる点眼薬ラタノプロストをもらいに行った。いつものことだが、視力検査を薦められる。いつもは出来るだけ断ろうとするのだが、最近は、白内障の傾向と視力低下を感じるので、視力検査、眼底撮影、と、眼底レーザー光線手術の跡の状態確認のフルコースとした。支払いは800円+眼圧点眼液5か月分500円を支払った。自己負担は1割だから、国は15,000円を支払ったことになる。
いつもは長先生なのだが。今回は高橋先生と言う代診で、長先生より若いがとても信頼できそうな先生であった。とても明確に診断する人で安心できる人だ。
最近は白内障の傾向が出ているので、「80歳でも白内障手術は大丈夫ですか」と聞くと、確信のある声で、全然問題なくできます、とのことなので、どこを推薦されるか、と聞くと、「近くでは石井せんせ、それに、八千代医療センターでも出来ます。それに、私の勤める四街道眼科クリニックでもできます」との答えだ。費用はどうかと聞くと、「貴方の場合1割負担で、瞼を上げることが必要で、瞼を上げてから一週それに続いて、白内障手術で、瞼を上げるには、片目8,000円、白内障手術は片目12,000円程度かな?」との答えだ。つまり、余裕を見て50,000円程度だな、と考えて、「先生のクリニックで予約できますか?」と聞くと、助手の女性がすぐさま電話して、木曜に予約できます、とのことだ。
実は、僕の医療保険は、今年いっぱいで終了するので、今年中なら遣ろうと考えて、手術をすることで予約した。
2日後に、勝田台からバスで四街道に向かったが、勝田台から30分で四街道に着いた。以前に四街道を何度も通過したが、四街道がそれほど近いとは思わなかったので驚いた。
駅ビルの診察室には大勢の患者さんが居て、予約時間を30分過ぎた時に、診察室に呼ばれ、高橋先生の診察となったが、手術は予約が混んでいて来年ですね、と言われた。それなれば、医療保険の対象外になってしまう、と考え込んだ。その様子を見て、「どうしますか」と確認されたので、「来年には女房の手術予定があって、予定がつかない」と答えると、ではまた、改めて受診してください、とのことになった。
手術したからと言って、劇的に視力が回復することは無いだろうし、医療保険が効けば15万円の支給があり、差し引き9~10万円は残るが、来年だと5万円以上の支出となる。これはゆっくり考えようと決めた。

こんな事情で、今回、国は僕の1割負担分を差し引いて45万円以上の支出を免れたことになる。
ゆっくりと時間を取って、手術の要否を考えることにする。

午後に畑に行ったら瀬木谷さんがいたので、白内障の手術をしたかどうか聞いたら、かなり以前にやったと言う。視力はよくなりましたか?と聞くと、元々視力がひどく悪い人には効果がないみたいだ。僕も元々ど近眼で手術の効果は殆ど無かった、と言う。結局やらなくて良かったのかも。


2023年12月13日水曜日

奇妙な電話

 何年も以前から、不思議な電話が年に数回はある。
ベルが鳴り受話器を取り、もしもし、と言うも相手は黙っている。その後数秒、こちらを窺うような沈黙が続き、もう一度、もしもし、と言うと、2秒程度を置いて電話を切る音がする。あたかも、僕の存在を窺うような電話なのだ。
勿論、おれおれ電話も2,3回あったが、こちらは、最初から息子の振りをして馴れ馴れしく話しかけてくる。「おとうさん、電話が変わったんだよ、番号を言うね」と言うので、「そうかそうか、メモするからな」とメモを取る振りをする。次の電話を待ったが、気付かれたと察したのか、それとも、次のおれおれ電話の時に、女房が電話を取り、彼女は全く事態を楽しむ気持ちが無く、「あんた誰やねん?そんなんんわかっとるで」と、大声で叱咤したので、それからは全く電話がかかってこない。と、これとは全く違うタイプだ。
考えるに、僕の生存を窺っているような気配なのだ。
僕の生存を窺うには、ネットで僕の名を検索すれば直ぐにわかるのだ。以前は、僕の名で検索すれば、特に会社の特許では次々と出て、僕の論文とかも直ぐに引っかかったのだが、最近は個人情報を検索できないようになった。恐らくは、警察とか探偵社の検索エンジンは、有料で引っかかるのだとは推測できる。が、僕のブログ名のようにあからさまなのは誰にでも何とか引っ掛かる。
では、誰が、僕の生存を確認しようとしているのだろうか。恐らくは、パソコンが苦手で、しかも、僕にその存在を知られたくは無い人物なのであろうと推察できる。思い当たるのは独りだけだが、若し彼だとしても、無視すれば良いだけの事だ。
ここしばらくは、留守電モードにしておいたので、その電話を受けることも無かった、が、昨日はたまたま通常モードにしておいたので、その電話を受けてしまった。
早速、電話を留守電モードに戻しておいた。

2023年12月10日日曜日

老体の健康状況 その5  血圧対策 ポリフェノール

 血圧問題、血管の老化防止問題は、同年の連中たちも同様の悩みがあるようだ。
吉原氏は、欠陥老化防止でポリフェノールが有効とのことで、下記を送信してくれた。

それと、寝起きの血圧だが、結局は、昼間に十分に運動するか否かが関係しているような気がする。つmり、よく眠れるかどうかだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ●4月に浜松で初めて検診に行ったら血圧が高かった。今まで血圧の問題はなかったので眼中に無かった。医者が家に血圧計はあるか?と言うので急遽買って、朝晩測定して毎月の診察でデータを見てもらっている。院内で測ると自宅測定より20ぐらい高くなるので医者には自宅のデータも見てもらうほうが診断に役立つと思う。夏は血圧は120ぐらいだったが12月になると140ぐらいになってきた。もっと上がると薬を呉れると思う。血圧以外に不整脈や動悸があるので循環器内科に行けと言われたので行く積り。
 数年前、掌の毛細管が切れて内出血することが散発した。庭で藪蚊を叩くとショックで切れるのです。血管が脆くなったと実感してもし頭の中で起きると恐ろしいので調べるとポリフェノールが血管の柔軟性を改善するようで、それ以来、ヨーグルトに純ココア粉末と蜂蜜を練りこんで食べてます。(非常においしい)。そのせいか、内出血は少なくなった気がする。高血圧の脆い血管ではヤバいね、冬に老人が死ぬのはこのせいだ。
また検診ではコレステロール値も高かったのでその薬の毎晩飲んでます。もうすっかり老人だ。
ココアヨーグルトはレシピというほどのものはありません。

ヨーグルト1人分+純ココア粉末小さじ1杯+はちみつ小さじ1~2杯(お好みで量を加減)。 
ココアは冷たいヨーグルトには溶けにくいので多き目の容器で上記3つをかき混ぜます。容器が小さいとココアがあふれそうになります。
朝食をとりながら、混ぜて朝食の最後ごろに混ぜ終わりです。
ヨーグルトを空腹時にとると胃酸でヨーグルト菌がやられて、腸まで到達しないというのを読んだので、以来ヨーグルトは最後に食べます。
またポリフェノールは短時間で効力を失うと読んだので朝と昼に分けて食べています。
朝に昼の分まで作ると、半日放置した方がココアがよくなじんで美味しーくなります。(昼のデザートです)
なお、私の場合サプリのコラーゲン+ヒアルロン酸も取っていてこの顆粒粉末とココア粉末の混合を作っています。軽いココア粉末だけでなく、何かの顆粒にくっついたほうが混ざりやすいようです。

ポリフェノールについて

 ポリフェノールとは総称のようです。このうち、カカオポリフェノールが血管の改善によさそうなので、これをとることにしてます。
カカオポリフェノールを含むものは
①チョコレート=砂糖が沢山入っていて有害
②ブラックチョコレート=苦くておいしくない。また値段が高い。
③製菓用チョコレート=安価で純粋。
というわけで、今は製菓材料の純ココア粉末を使っています。食べやすいように蜂蜜をヨーグルト混合です。

 ヨーグルトについての雑談
私は牛乳を飲まないのでカルシューム源としてヨーグルトを食べます。以前、明治のプレーンヨーグルトにブルーベリージャム(砂糖無添加)を入れてましたが、大地震のとき明治ヨーグルトの供給が途絶えたので自家製に切り替えました。今はTANICAのヨーグルトメーカーでカスピ海ヨーグルトを自家生産しています。安価で安定供給で10年ぐらい使っています。 
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上記吉原氏からの情報を得て、pureココアの価格を調べた。 amazonのPureココアは、下記で200gものが855円です。 https://www.amazon.co.jp/gp/product/B000FQ5K2C/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o00_s00?ie=UTF8&psc=1 業務用スーパーでは、PureCocoa森永が、100g物で350円 インド産純粋蜂蜜 500g 550円 上記で、蜂蜜入りココアをヨーグルトと一緒にたしなみます。 吉原氏の如く、自家製ヨーグルトも目指します。 16日になって、業務用スーパーに行くと、純粋蜂蜜1kgがインド産500gと同じ金額であった。中国産ってえのに引っかかったが、同じ神戸商事輸入なので購入した。

2023年12月9日土曜日

大阪訪問の成果

 11月30日の八重洲7:04発のJRバスは順調に走行して、10分早く京都深草に着いた。そこで、枚方公園駅から大阪拠点に向かう途中でスーパーに寄り、牛乳、バナナ、豆腐、納豆、卵6個を購入した。これで、ほぼ3日間は食事できる体制を確保した。
日没は、千葉よりも遅くて、布団の準備や暖房体制などの宿泊体制も充分に準備出来た。なお、夕食は佐藤のご飯と、一食分親子どんぶりのルーで満足した。
2日目は、持参した食パン、ジャム、キャベツ、それに、サラダドレッシング、更に、購入した卵で卵焼きで終え、早速、除草作業に入った。
庭の雑草と言えども、夏の除草から季節的に雑草が著しく増えるわけでもなく、木々の枝葉も増えておらず、伸びているのは、庭の殆どを覆った黒マルチの外壁側のつる性の雑草だけである。大体は2時間程度で整理して、その後は、食事の支度に入った。例のごとく、ハヤシライスの6食分のルーを用いて、6食分のハヤシライスを準備した。
午後は、雑草の取り残しの除去とか埋込を行った。
3日目は、棟包取り換えの寸法確認を行った。
4日目は、早朝に起きて、弁当も作り、ハイキングだ。
中書島で降りて、古い町並みやアーケードを楽しみ、山道に入り、桃山城、北堀公園から、大岩山に登り、北側への下りの途中から、伏見稲荷山へと昇り、四辻から北に東福寺に向かい、途中から1号線へと抜けて、一号線から分岐する渋谷通りに沿って京阪7条まで降りた。足ががくがくになったが、とても楽しかった。
5日目は、帰宅準備と、ごろごろと時間を過ごした。部屋の掃除や寝具の日干しも行った。
6日目、12月5日は、時間を間違って6時10分前に家を出て、藤森には7時前に着いてしまった。藤森駅でゆっくりとうんこをして、深草バス停に向かった。


2023年11月26日日曜日

大阪訪問の準備

 枚方の民泊住宅の冬の準備に、11月30日から12月5日まで訪れる。例のごとくバスで行くが、八重洲口で7:10発のバスとした。家を5:20 頃には出るので、車内で朝食も食べる。京都深草には、3時には着くので、買い物もしてから住宅には5時までには着けるだろう。大阪は2の入りが早いので、玄関開錠に懐中電灯も準備している。都内を早朝に走るので、バスの遅れは無いと期待している。
当初今回は、屋根の棟包取り換え工事も予定していたが、寒さが急で、しかも、昼間時間が少ないので諦めることにして、同工事は来春に持ち越すことにした。なお、寒さが厳しそうなので、amazonで電気毛布を購入して、枚方玄関への置き配で発注した。ブラックサタディ価格で2,500円と安く購入できた。
持参資材は、じゃがいも、ニンジン、タマネギ、各3個、卵4個、食パン一袋、サラダ用キャベツ半個、サラダドレッシング、油、えごま油、ジャム、はちみつ、コウナゴ、かんたん酢、で、肉と牛乳は枚方への途上で買う。時間が無ければ、肉、牛乳は着いてからの翌日に買う。持参液体物・少量品は小型容器に入れて行く。肉は冷凍肉を冷凍子袋と一緒に保温袋の入れても良いかなと思っている。そうできれば、途上での寄り道は不要になる。
今回の目的は、除草、家の冬用意、来春の工事用資材・工具の確認、棟包状況と寸法の再確認、隙間部に防水テープを貼る。屋根塗装状態の確認(春には屋根ペンキ塗りも遣りたい)
バス内朝食用に、おにぎり4個+菓子パン、それに、お茶入り水筒も持参する。


2023年11月24日金曜日

老体の健康状況 その4 なかのクリニックでのつらい経験

 今日は、市のがん検診の結果を中野クリニックに聞きに行った。
この中野クリニックは歩いて数分の所にあり、先生も信頼できそうなので僕としては係り付け医として考えているのだ。
以前に血圧が高いと相談した時に、それは、循環器内科に行って下さいと言われて、その結果、駅前のなかお循環器内科に行ったのだが、その経過なりを中野先生にも報告しておこうと、血液検査結果とかSIMON呼吸器測定結果等のコピーを持参した。
中野先生は、がん検診の血液検査とか、肺のレントゲン、大便の血液検査結果などを示してから、問題はありませんとのことであった。
そこで、僕が持参した資料で、ひらお医院での測定結果を示し、ひらお医師の勧めでは、「僕の年齢であれば睡眠時間4時間で十分なので睡眠誘導剤の必要がないとのことだ」が、「睡眠誘導剤のデエビゴをやめると血圧が上がったので、また飲みだした」と説明すると、「デエビゴには降圧効果はありません。飲むのを急にやめたので体が血圧で反応したでしょう。ところで、今後はひらお医院に行って下さい」と中野先生は不機嫌であった。僕が「中野先生を係付けと考えているので、報告したのですが」と言うと、「今後はひらお医院を係付けにしてください」と冷たい言葉である。
もうなんとも言えず、診察室をでかけると、看護婦さんが見かねたように、「血圧の状態が良くなったら、またこちらを係付け医にしたらいいですよ」ととりなすように言った。

この経過は、血圧よりも気になるなと考えて、中野先生がなぜ冷たい対応を取るのかと考えた。血圧のことは循環器内科に行って下さいと言われたのに、ひらお医院に行ったのがまずかったのかと考えた。だが、中野先生が、循環器内科に行けといったのだから行ったのだ。が、その前の経過もあるのかと考えた。中野先生は徳洲会千葉の出身である。徳洲会の循環器内科を紹介したかったのかもしれない。それに、僕がペースメーカーを入れる過程で中野医院に相談しなかったのが気に入らないとも考えられる。しかし、救急車を呼んだ時は休日だったし、近いとは言え、中野医院に歩いて行くほどの体力さえなくて、救急車をよんだのだ。また救急車からは、徳洲会千葉病院にも連絡したが、受け入れ不可で、済生会習志野に空きがあったのだ。
別の観点から考えると、僕がスパイのように他の医院の受診経過を報告したのがまずかったか、それとも、あたかも他の医院ではSIMON睡眠測定器などを使っていると教えていると受け取られたとも考えられる。
などと、僕のどこが悪かったのか、と過去のことまでを考えたが、思い当たる節はなく、思い悩んでいる。結局は中野医院には行かず、ひらお医院のみに行くしか道はなさそうだ。
ただ、中野医院で1月22日に胃がん内視鏡検査を残している。その時にはいかなる顔付で行けばよいのかな、などと考えている。
どうも、こんなにくよくよする方が体に悪いのだろう。
高橋さん、その他誰でも、何かアドバイスはありますか?

畑仕事をしながら考えて、僕の不得手な人脈問題から考えねばならないかと気づいた。
以前にも書いたが、そもそも僕は駅前のゆりのきクリニックに行っていたのだが、そこは繁盛クリニックで、特に古い住人が多く通っている。そのために待ち時間が多く、通常は予約が出来ず、古参の病人でも早朝8時頃から門前に列ができるのだ。寒い冬や暑い夏には老人にはつらいシステムだ。同じ病気での受診が続くと予約できるのだが、予約出来ていても予約時間よりも2時間は掛かり、早朝に並ぶ方が有利な状況だ。
そこで近くに出来た中野クリニックに行くことにしたが、中野クリニックは込み具合がそれほどでもなく、とても快調だった。
しかし、中野クリニックで血圧について相談した時に、血圧のことは循環器内科に行って下さいと言われた。そこでNETで調べ、ひらお医院を選んだが、NET予約で、しかも、当日6時からの予約だから、パソコン得意な僕には便利だ。診察の初日にひらお先生から、以前はどこの医院を受けていたのかと聞かれ、「中野医院ですが、血圧のことは循環器内科を受けてと言われました」と答えた。
この経過から、僕が不得意な人脈的間違いを犯したのかも、と思った。
中野先生は、地元の大(中?)病院出身ではなくて、船橋市の徳洲会千葉の出身で、徳洲会とのつながりが多い。しかし、八千代市の医師会の繋がりもあるに違いないから、いろんな人脈が絡んでいる可能性がある。その影響が今回のことに関係していることも考えねばならない。今後は慎重に、大人しい患者として生きて行こう。

とにかく、やっとれんわです。

しかし、人脈って考えすぎでしょう。
中野クリニックで「血圧のことは循環器内科に行ってください」と言われたのは、春の終わりで、循環器内科を探してる間に、気温が上がり、血圧が平常になったので、結局、循環器内科には行かなかった。秋になり、起き抜けの血圧が上がり始めて、再び循環器内科を探そうとしている時に、たまたま市のがん検診で中野クリニックを訪れたのだが、その時、血圧測定があった。その数値は通常値であったが、「起き抜け血圧が150~160と高いです」と言うと、前回とは違って「降圧剤を手配できますよ」との言葉であった。
循環器内科に行くのをためらっていると思われたな、と思い、「いえ、循環器内科に行きます」と答えて帰り、直ぐに循環器内科を探したのだが、その経過の秋の会話だけを切り出すと、僕が循環器内科医師でない中野医師をつきはなした、かのような構図になっている。その後、前日のがん検診結果説明の後で、僕が、中野医師に循環器内科の診断手順を説明しているわけだ。
つまり、秋の経過だけを見ると、彼が血圧降下剤の提案をしているのに、起き抜け血圧の対処について対応する彼の医術を見下したかのような構図になっているわけだ。

僕が相手の意向を、自分だけの判断で推測するって傾向が原因の様だ。秋に、先生が「降圧剤を手配できますよ」と言った時に、「先生の言われたように、循環器内科を受診します」と答えて、循環器内科へ行くのは中野先生の意向だと明らかにして、更に、「経過は先生に報告します」と付け加えれば良かったのだ。更に、受診経過を説明する前に、「循環器内科での経過報告しましょうか?」と前置きすれば更に良かったわけだ。

だが事態がここまで来たら仕方がない。修復するのも面倒くさい。中野医院で予約していた1月初めの内視鏡検査もキャンセルすることにした。

さて、事件の経過は以上ですが、先ほど僕は、事件解決というか、ことの真実に気づきました。普通の人はもっと早く気付くのでしょうか。
中野先生から、循環器内科に行って下さいと言われたときに、僕が、循環器内科を紹介してください、と言えばよかったのです。それが正解でしょう。恐らく中野先生は、徳洲会千葉病院を紹介したでしょう。それなのに、僕が紹介をお願いせずに自分で探したことが腹立たしいのだと思われます。
一般的なセンスでは、紹介をお願いするのが当然なのでしょうか?それが僕には理解できないのです。
実は、以前に書いたように僕はペースメーカーの手術を受けています。中野先生に相談すれば徳洲会を紹介したのでしょうが、その時僕は近くの女子医大病院にゆくことも出来ぬ程に衰弱していて、しかも、病院に行こうと決心した時には日曜日で、救急車を呼んだのですが、救急車は僕の頼んだ近くの女子医大、中野先生の推薦する徳洲会共に救急外来の空きがなく、救急車隊員が済生会習志野を探してくれたのですが、中野先生はそこの事情を知らず、苦々しく思っていたのかもしれません。更に今回のことですから、爆発したのでしょう。今回のことは、先生に僕の方から推薦病院を聞くべきだったのでしょう。

やはり、世の中の常識ってエリヤに入ってしまいましたね。




2023年11月21日火曜日

老体の健康状況 その3 ひらお循環器内科にて

 循環器内科医の勧めで睡眠誘導剤デエビゴの服用をやめたが、睡眠にはほぼ支障が無かった。
しかし、数日して判ったのだが、起き抜け血圧だけではなくて、常時の血圧も上がるようであった。昼間も150~160になったのだ。つまり、睡眠誘導剤には降圧効果もあると思えた。
睡眠時脳波測定は、12月7日頃になるので、その間は、睡眠誘導剤を飲んで、少なくとも、昼間の血圧を下ろすことにした。
睡眠誘導剤を飲んでも、昼間の活動性にも影響はないようだ。外気が冷えて、頭がすっきりするせいもあって、前に睡眠誘導剤を飲んでいた時の昼間の倦怠感は消えたようだ。
これらの経過の全てを掛かりつけの内科医に話して、内科医の考えも聞いてみる。

なお睡眠については、やはり10時には眠くなり、6時過ぎから数十分は寝床の暖かさを楽しんでいる。
できるだけ運動するようにしている。運動すれば、その後は血圧が確実に下がるからだが、誰かが言っていたが、まぐろみたいなものだ。いつも運動せねばならない。

2023年11月16日木曜日

シュメル 人類最古の文明

 図書館で中公新書「シュメル 人類最古の文明」と、講談社学術文庫「古代朝鮮」を借りた。
シュメルについては、若い頃に、文芸春秋社 世界史 全20巻低度を買って、良く読んだので、それほど驚く内容は記載されていない。要するに、世界四大文明の、チグリスユーフラテス河川の周囲に生まれた文明だ。しかし、改めて彼らの文明の高度さと、その文明・生活レベルの高さに驚かされる。しかも、紀元前3000年から、2000年にもわたる文明である。その間、営々と同じような社会生活が続いていたことになる。 しかし、その間ずっと都市国家群の戦争を続けていて、ついには、アッシリヤに統合されてしまい。その後も、ペルシャ帝国、続いて、アレクサンドルに攻め込まれてと、戦いは、紀元ゼロ年へと続き、今に至るまで戦い続けている。今では、ウクライナとイスラエル・パレスチナでの悲惨な戦争が続いている。
ただ有難いことに、僕の人生で意識のある間は、日本には戦争は無かった。

読んでいる間に、僕の僅か100年にも満たない人生を、そうして残された日々を大切にしないとと、思われた。その思いを忘れないようにと記載した。

2023年11月13日月曜日

老体の健康状況 その2 ひらお循環器内科へ

   中野内科の   血圧が高いなら循環器内科を受診しなさいとのアドバイスを得て、ネットで循環器内科の医院探しをした。一番近くが「八千代循環器内科」って医院だが。調べると予約制で、一か月先まで空きがない。なんて医院だと驚いた。駅の近くに、ひらお循環器内科クリニックってある。予約は電話でできて朝6時から予約できるらしい。これも何てシステムだと驚いた。実は以前に通っていた、やはり駅近くのゆりのきクリニックってあり、先生も老練で信頼できるのだが、古い顧客が極端に多く、朝早くから並ばないと待合室はいっぱいになり、更に老人が多いので一人当たりの診察時間が長くかかり待ち時間が長いのだ。早く診察してもらうには、朝早くからクリニック前に並ばねばならず、冬は凍えて夏は暑くてたまらない。老人には耐えがたい試練だ。そこで、掛かりつけを、その後出来た近くの中野内科病院に変えたのだが、その先生から高血圧には循環器内科を受けるようにと言われたわけだ。
ひらお病院のネット評価を読むと、検査が多い病院とのことが引っ掛かったが、まあよかろうと予約することにした。予約はネットで朝6時からって書いてある。
朝6時から予約なんてどんなシステムだろうと心配したが、実に簡単な自動音声システムだが、6時ちょうどに電話すると、先客が居るのか、なかなかつながらない。数分間掛けなおして、予約番号15番で、9時半ごろに行くと、実際には10時頃の診察になった。
自動電話予約について書くと、3度目には慣れて、予約番号6番になった。結局、6時前ちょっとで電話するのが良いようだ。なんとか1番になる工夫をする積もりだ。
さて実際に受診すると、初日は、状況聴取と胸部レントゲン、血液検査と心電図で、市の定例検診と同じ内容だ。血圧については前日の自前測定結果を提出した。明らかに起き抜け高血圧の内容の測定結果だ。
レントゲン・心電図には異常なく、血液検査結果については1週間後に検査結果を元に、診断となった。やはり検査が好きな医者らしい。しかし、起き抜け血圧が高い僕の状態だと、検査も必要だろうとも思えた。

1週間後に、予約手順の要領がまだ良くなくて、予約番号14番で、血液検査結果の説明だが、項目的には市の検診と同じ内容で、「腎臓の数値がぎりぎりで、Lコレステロール値が150と高い。ロスタバスタチン錠の投与が良いだろう」とのことで、「昼間血圧が正常で起き抜け血圧が160程度と高いのは、睡眠状態検査が必要だ」と、SIMON検査機を渡された。
こんなので何が判るのだろうと、当日夜に検査具を装着して眠った。翌日には、装置をクリニックに持参した。
更に1週間後の本日、予約番号6番で受診した。
受診最初の血圧測定の結果は、寒い日にも拘わらず、ほぼ正常で、先生は、やはり起き抜けが問題だなと言い、SIMONでの睡眠状態検査結果を説明した。要するに、無呼吸睡眠が酷いとのことだ。最大1分未満の無呼吸が続き、その結果、血中酸素濃度が最悪73%まで落ちているとのことで、コロナ患者でも90%代だからいかに酷いかは想定できるでしょう、とのことだ。
そこで今度は、睡眠時脳波測定をするとのことで、装置業者への手続きをした。なぜ、脳波測定が必要なのかを聞くのを忘れた。
装置業者から装置を送りつけられるとのことで、後の予定は装置で測定してからとなる。
でもとにかく、起き抜け高血圧の原因が判ってほっとした。後はどう治療するかだ。それと、先生曰く、「79歳だと睡眠時間は3~4時間だから、あなたは睡眠薬を飲む必要はないと思う」とのことだ。
友人の朝比奈は、夜明け前に寝るだけだとメールくれたが、それはこういうことだったのかと納得した。でも、運動量にもよるだろうとも思う。それに、心臓の心房遮断が起こったのが、韓国ドラマを見すぎ、睡眠時間3~4時間で農作業をするって生活後だったのも気になる。
ともかく、検査結果でどうすべきなのか、が今の状態だ。
それに、この経過を中野医院の先生に報告しなくちゃ、と思う。
当日、睡眠時間3~4時間と言われたので、睡眠誘導剤は飲まなかったが、10時になると眠くて仕方なく、やはり寝床に就いた。睡眠誘導剤を飲んでも2時頃には目が覚めるが、同様に2時頃に目覚め、再び眠れて、6時に目覚めた。夢を見たが悪夢ではなく、自分で解決しようと理性的な夢であった。6時からは暖かい寝床を楽しんだ。ってことで、睡眠誘導剤はやめることにした。

なお、無呼吸症候の治療方法としては、こんなのがある。
https://www.retire49.com/2017/05/22/post-3334/



2023年11月6日月曜日

今年もいよいよ最終章 タマネギの植付完了と大掃除、枚方の棟包取り換え、それに血圧

 タマネギは、11月末に植付けるのが良い。早く植えると春に塔立ちしてしまうのだ。ところが苗の販売は、最近になり11月初旬には始まり、11月中頃には終わる。
昨年は、11月中頃に買ったが、苗が立派過ぎて葉部分を10cm程度切断して塔立ちを防ぐ工夫をして、実際に塔立ちは僅かに抑えることができた。しかし、5月に雨が多くベト病になって収穫は激減した。その失敗に懲りて、先ずは苗は細いのを購入した。かなり弱弱しいので、早速植え付けた。それに、春の雨よりも先に収穫できる早生苗を100本として、収穫が6月初に出来る中生苗100本については、昨年は中生苗のみ200本で雨を防ぐ目的でマルチカバーをつけたままとしたが、それでもベト病は防ぐことが出来なかったので、今回は、雨除けのカバーを設ける予定だ。ならば、雨の心配はなくなるので、春先の追肥が容易なように、更には、病気の予防で石灰や草木灰も撒きやすくなるように、マルチは春先に外すことにする。それに、マルチを外すと苗の育ちを抑えて塔立ちを抑える効果もあるのだ。
なお、早生タマネギは長期保管ができないので、収穫当初に食べる必要がある。

枚方の棟抑えの取替(2020年10月記)を延ばし延ばしにしてきたが、いよいよ実施する予定で、同記の動画を見直している。どうやら板金用つかみばしを購入する方が良いのでamazon経由2000円で購入した。口コミ点は余り良くないが、素人仕事でパシッとしてなくても良いと価格で選んだ。到着した品物は予想以上に良かった。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00L417QXS/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o00_s00?ie=UTF8&psc=1

大阪には12月初めに行くので、自宅の大掃除を開始した。気候も良くて仕事が楽だ。高圧洗浄機の高圧配管と本体の継ぎ手がうまくゆかず水漏れが激しいが、時間の余裕があるので、だましだまし作業を進める。

やはり、寝起きの血圧が150~160と高いので、駅前のひらお循環器内科の診察を受けた。先ずは検査で、採血、胸部レントゲン、心電図の検査で1,200円も掛かった。結果は1週間後の本日説明とのことで、本医院の予約システムの朝6時に電話して当日予約を取った。

検査結果では、尿素窒素値が若干高い20.5、クレアチン値が上限ぎりぎり1.13、LDLコレストトール値が160と高い、グルコース値が高い128。
塩分控えよ、との助言とコレストロール薬の施薬、それに、寝起き高血圧の原因調べるために、睡眠状態測定器SIMONを渡された。睡眠時に装着して、睡眠状態を調べる装置だ。早速測定して翌日提出したが、結果は一週間先とのこと。



2023年10月25日水曜日

老体の健康状態について  血圧が高い

 以前にも記載したが、眠りが浅く、しかも明け方に目覚めるとその後は眠れない状態が続いた。済生会千葉病院で、ペースメーカーを入れてくれた竹田医師に相談すると、睡眠導入剤のデエビゴ5mgなる薬剤を推薦し手配してくれた。
それを飲むと、症状としては、夜中に目覚めても2度寝ができるようになった。しかも、見る夢がより具体的になり、例えば、以前なら見知らぬ電車で帰宅の路線が判らなくなり強い不安感に襲われていたのが、むしろ知らない路線や知らない街を楽しもうとする気分的余裕が生まれて、悪夢とはならなく、その他の悪夢にも襲われなくなった。それに、血圧も安定するようで、起き抜けの血圧も150前後となった。ただ、何日か服用して気づいたが、服用の翌日に僅かながら眠気が残るようなので、錠剤を半分に切って服用している。服用量が少なくしたことでの血圧の様子を見たが、起き抜け以外は135前後と安定している。しかし、起き抜けは170前後と高い。もう少し起き抜けの血圧の様子を見て、悪ければ循環器医院に相談することにする。なお、デエビゴを手配してくれた掛かりつけの中野内科医は、降圧剤を出しても良いよ、と言っているので、循環器医院での相談結果で判断する。

さて、夜にデエビゴ錠を1錠のんだところ、翌朝の起き抜け時血圧は、130前後であった。ってことで、血圧問題は一応の解決となった。しかし、夜更かし、体を冷やすことは厳禁とすべきだろう。ところで、デエビゴ剤の作用とは、覚醒を維持するオレキシンがオレキシン受容体に結合することを阻害し、脳の興奮・オレキシンがオレキシン受容体に結合することを阻害し、脳の興奮・覚醒を抑制するらしい。つまり、血圧との直接の関係はないわけだ。僕の場合の血圧上昇の原因が、睡眠時の覚醒によることで、デエビゴ剤の効果が出るのだろう。

しかし、翌日の起き抜けは160程度に揚がった。考えるのに、昨日は運動もあまりせず、塩気の多い菓子を食べ過ぎた。
そこで、イトーヨーカドーへの買い物、畑の畝作りに精を出した、そのため昼間は、130近辺の血圧を維持している。明日の起き抜けはどうだろうか。

宇宙の成り立ち その後

真空のからくり(山田克哉著)を読むと、宇宙の真空は素粒子、反素粒子に満ちていると書かれていて、しかも、その事が実験的にも確かめられていると記載されている。つまり、宇宙は素粒子が満ち満ちた、虚無の中の風船のようなものと言えるだろう。そのことから、宇宙の中に我々のような物質は僅か数パーセントしかなく、ダークエネルギーが75%も占めていることも理解できる。但し、宇宙を占める素粒子、反素粒子が、ダークエネルギーなのかどうかは未明だとは記載してある。なお、宇宙が拡大している現在は、素粒子・反素粒子がいまなお宇宙に増加していることになる。
驚くべきことだが、なんだか、当然のような気もする。
なお、素粒子と反素粒子が合体すると、大きなエネルギーを発して消滅すると思っていたが、実際には、両者が組を組んだり、消滅する場合にも、再び、同等のエネルギーを有する素粒子と反素粒子に創出されるらしい。なんとも不思議なシステムを宇宙は作りだしているのだと驚いた。
なお、宇宙の真空を占める素粒子・反素粒子のコンビの存在についての提唱は、1948年以前であり、これが実験されたのは1998年であった。

パレスチナ紛争について一言

 我々が子供の頃、イスラエル人達の建国の苦闘がよく報道され、そのせいで、パレスチナ人や周囲のイスラム国家が悪であるかのような印象を得た。しかし、歴史を学ぶ経過で、特に十字軍のエルサレム回復での蛮行・愚行や、ローマ教会の扇動に応じた子供十字軍や農民十字軍の哀れで馬鹿げた結末を知り、更には、第二次大戦後のパレスチナ地区の戦力的空白を縫って無理やりユダヤ人の国家建設を図った欧米の傲慢さを考えると、パレスチナ問題では安易にイスラエルだけではなく欧米のプロパガンダに従ってはならないと思うようになった。
更には、ナチスによってあれほど悲惨な境遇になったユダヤ人が、それと同じ、若しくはそれ以上の悲惨な思いをイスラム教徒のパレスチナ人に与えていることも考慮しなければならない。  イスラエルの外交官が、パレスチナ派閥をナチ呼ばわりしているが、客観的に見るなら、イスラエル自身がナチの暴虐を繰り返しているとあきれてしまう。

欧米人の殆ど、特に中流、下流の人々は、中世の十字軍騎士たちと同様の気持ちでイスラエルを応援していることにも留意すべきで、つまり、パレスチナ問題は、公正さと言うよりは、愚直に宗教を信じる主としてキリスト教徒の引き起こす宗教戦争に近いと考えるべきで、恐らく、欧米のキリスト教徒は少年時代に自分がイスラム教徒と戦う十字軍の騎士だと夢想したに違いなく、日本人としては、そのことを強く意識しながら、パレスチナ問題を論ずべきだと思う。
と同時に、より客観的な立場になれることで、両者の仲介をしたり、より人道的な支援を出来る筈だと思うが、日本の政治家にそれほどの知見と気概が有るとは思えないことが残念だ。

2023年10月11日水曜日

中谷自伝 1

 中谷哲昇君から、9/28に消滅したとの手紙が来た。まさか自殺なんてありえないが、どういうことか問い合わせ中だ。彼が今年の5月に帰国後に送ってきた彼の自伝を転載する。
第1部

人間世界の軌跡

 

原生林に包まれた我が家は、ブラジル、サン・パウロ州近郊にある、日本移民が多く住んでいるモジ・ダス・クルーゼス市の町の中心から二十キロメートルほど離れた農村地帯にある。緯度から言えば、モジ・ダス・クルーゼスと南米一の大都市サン・パウロとの中間に南回帰線がある。北回帰線と言えば、台湾の中部になる。

夜空を見上げると,雨の川が綺麗で、北斗七星は見えないが南十字星が見える。モジ・ダス・クルーゼス市は地域によって多少異なるが、標高八百メートル前後。緯度の割には標高もあるので温帯気候に近い。一年を通じて気候の変化は余り明確ではないが、十二月から二月ごろの夏は気温が摂氏三十度を越えることもある。六月から八月頃の冬は十度以下にさがりが降りることも有ったのだが、近年、ここ二十年くらい霜が降りたことは無かったよう。やはり地球温暖化は微妙に進んでいるのかなとも思える。しかし、長期的に見ればいずれは氷河期が訪れるので、現在のように炭酸ガス排出に神経を尖らせていることは、この問題に素人ながら、疑問に思う。それに、植物にとっては炭酸ガスが多い方が良いのではとの疑問も持つ。

冬でも、朝方最も温度の下がる時、室内で十度以下になることはあっても、二・三日の期間だけで、その後すぐ除に温度が上向きになる。寒さに苦手な者にとっては嫌な冬ではあるが、朝遅くまで布団を被って眠っているのも、気持ちのいいもの。こんな状況で、炬燵などの暖房は、あるに越したことはないが、特に必要と言う訳ではない。

この地の気候には雨季と乾季があるのだが、年によってかなり様相が違っていて、一応雨季は九月終わり頃から四月終わり頃まで。その他の月は乾季となる。統計によると、一年の内、最も降雨量の多いのは夏の一月、最も降雨量の少ないのは冬の八月。雨季といっても日本の梅雨のように毎日しとしとと雨が降る訳ではなく、日中晴れていて、急に雷を伴なう大雨になることも度々。また、霧雨のような雨が何日か続くこともある。

このような気候は、モジ・ダス・クルーゼス近郊の気候で、ブラジルと言っても広く二十七州あり、行政的見地から地理的特徴に基づき、北部Norte)、東北部Nordeste)、南東部 Sudeste)、中西部Centro Oeste)、及び南部Sul)、の五大地方に区分されている。北部と南部では気候も違えば、生活の有り様も違い、庶民の平均的生活レベルもかなり違い、南部の方が豊かで、全体で見れば貧富の差はかなり大きい。サン・パウロは中西部南部に位置する。ブラジルに定住するまでは南米の各国を旅行したものの、定住後は殆ど旅行などなく、自分の仕事焼き物作りに生活のエネルギーを集中した。これに就いては、後述の章で詳しく述べる。

我が家のある近辺は農業を営んでいる家族が点在している。彼らは近郊農業で、葉野菜、にんじん、とまと、大根、サツマイモ、山芋、いもの木、ごぼう、ピーマン、カボチャ、きゅうり、赤大根、赤かぶ、生姜、オクラ、等々、それに柿、ビワ,ブドウ、クリ等の果物の栽培で、大型機械を使った大農は都会周辺にはない。ブラジルの農業分野での発展に日本人移民が果たした役割は大きく、種々の野菜、果物を日本から多く持ち込んでいる。

華僑などは商業を営む者ばかりで、中国人が農業に従事しているのを見かけたことはない。唯、台湾からの移民者でシメジなど茸類を栽培している人達は、サン・パウロ周辺に多い。

一九七八年、この土地に住み始めたころは、電気はあったものの、電話は無く、バスに乗って町への買い物は、アソファルトの街道まで四キロメートルの土道をリュックを担いでの往復であった。

この道のりは、ユーカリの植林地がところどころにあり、原生林を切り開いた農地がところどころにあると言った風景である。

野生の鹿、リス、サグとよばれる小型の猿の群れ、飛ばない鶏のように地面を走る鳥、ヤマアラシ、アルマジロ、大きいのは一メートルくらいのトカゲ、青蛇や色んな種類の毒蛇、毒蜘蛛、コウモリ、吸血コウモリ、ハチドリ、ふくろう、大きな嘴の色は綺麗だが鳴き声はガーガーというトウカーノ、カラスに似た大きさの黒い色のジャク、死体を漁るハゲタカ、その他種々の鳥類などを家の周りで見かけることが出来る。ある時など、野生の鹿が何かに追われてか、家の中に跳びこんで来たこともあった。夏には蛍が飛び交う。日本の蛍は後部に光を出すが、ブラジルの蛍は頭部が光る。

 

我が愛する妻(則子)は、サン・パウロの奥地の日系人の植民地から出来た町の生まれで、家業は農業と養鶏であった。当時は農業の傍ら小規模の養鶏もする農家が沢山あった。

彼女は子供の時から馬を可愛がっていて、裸馬を乗りまわっていたという。蝶々の採集をしたり、金魚や鯉も飼っていたとのこと。こちらは、大阪のまだ田園風景は残っているやや田舎で小さい時を過ごしたとはいえ、まずは都会育ち。

我が家の周りの木を倒し、少し高いところにある倒れたその木の上を少々こわごわ歩いているのを見て、彼女、少し茶化しぎみに笑うのである。聞くところによれば、木登りも良くしたそうで、木から落ちて、腕の骨を折ったこともあるという。そんな彼女なので、動物、植物、特に花は大好き。

ここに居ついてから飼った動物は、彼女の育った実家から連れてきた雑種のコロと言う名の黒い犬、アヒル、ガチョウ、鶏、烏骨鶏、鶉、兎、山羊、プードル、マルチーズなど。その他に巣から落ちて飛べない山鳩、他の鳥の巣に卵を産みつけるこの地でシュピンと呼ばれている小鳥、怪我で飛べないフクロウ、等々。

近くの道端などにある芝生を採り集めて来て、家の前にあるかなり広い二十五メートルx三十五メートルくらいの平地の所々に植えて置いたのが、三年ほどすると自然と全体に広がって、まずまずの芝生の広場となっていた。夏の雨季になると芝生の成長も早く、これを手入れするために電動式の刈払機を購入した。時たまこれで芝生刈をするのだが、アヒルを飼えば芝生も食べてくれると聞いたので芝生刈も助かるのではと思い、近くの農家から番いのアヒルを貰って来た。番いから卵、そして雛と孵っていく。雛は黄色で、親についてのよちよち歩きで、可愛いの一言。この様にして時が経つにつれて五匹くらいに増えただろうか。アヒルの糞はべたべたしていて、芝生を食べてくれるのはいいが、アヒルが増えるにつれて芝生のあちこちに、べたべたの糞がつくのでもくろみ違い。それでアヒルは手放すことにした。まとめて池のある近くの農家に貰い受けてもらう。
アヒルを貰った同じころ、地鶏の番いと、地鶏にする雛も購入した。また、子供達が学校から、養鶏場で鑑別された雄の雛も貰ってきたりして、地鶏も少しずつ増えていった。地鶏は家の物置の隅や、森の木の下など、放し飼いなのであちらこちら、好きなところを探して巣を作る。しかし先にも述べた大きなトカゲが地鶏の卵を狙うので、地面から少し高いところに、鶏が卵を孵化させるための幾つかに区切った場所も作る。
養鶏場を訪問するとどこもハエが群がっているので、鶏が増えるとハエも増えるのかなと思っていたが、放し飼いにすると、ハエはいなくなる。恐らく、犬や鶏などの糞に産み付けるハエの卵や孵った幼虫を、鶏が食べ尽くしてしまうのだろう。また、毒蛇などいるところには家の周りに鶏を放し飼いすると良いとも言われる。
地鶏の卵の黄身の色は濃く、別に売るつもりで飼っているのでないが、わざわざ地鶏の卵を買い求めに来る人もいる。それに、鶏の卵は白色か茶色としか思っていなかったが、青みがかった色の卵を始めて見ることが出来た。
彼女の育った実家から連れてきたコロはもうかなりの老犬であって、間もなく老衰で死亡。それで、黒い子犬を貰って来て、鶏と一緒に育てたので、鶏を追い回すなどということもなく、鶏と共存。
放し飼いにしている犬は夜に森の中でヤマアラシに出会うと噛み付くのだろう、ヤマアラシに生えている棘は簡単に抜けて犬の口に刺さる。ある日の朝、家の外に出てみると口の周りにヤマアラシの棘が刺さったコロがいる。ヤマアラシの棘は放って置くと中に食い込んでいく。一人が噛みつかれないように布かなにかで犬をがっしり取り押さえ、もう一人がペンチで、棘をはさんで抜いていく。抜くごとに痛いので、犬はキャンキャン騒ぐが仕方ない。
さて話は芝生に戻るのだが、アヒルは諦めたものの、ガチョウも芝生を好んで食べると聞いていた。またガチョウは知らない人が来るとガーガー騒ぐので家の守りにもなると言われているので、ガチョウを飼ってみようと,いろんな人に当たって探して見た。ガチョウはアヒルや鶏と違い近くで飼っている人は見当たらない。町で動物の飼料や鳥の雛を売っている店にも置いていない。買うとなると値段も高い。後で知ることになるのだが、番いで卵を産んでも、鶏のように雛に孵る率が少ない。偶然、知り合いのつてで隣の町に飼っている人がいると聞いて、早速連絡をとってもらい、訪問することにした。

訪問したところは、家の奥にかなり広い奥行きのある裏庭がある。そこに囲いがありガチョウを飼う為に作られた二つ池があって、六匹のガチョウが居た。そして、ところどころに卵が転がっていている。泥沼のようになったところにも卵が埋まっている。一見したところ余り手入れの行き届いた飼い方には見えなかった。飼い主に、ガチョウの番いを買う交渉をするも、売らないとの返事。しかし、卵なら持って行ってもいいと言うことで、とにかく転がっているいる卵を拾い集め、それを貰って来た。養鶏場で育った彼女は、その卵を鶏の巣に入れ、鶏にガチョウの卵を抱かせるつもりらしい。この頃には地鶏もかなりの数に増えていた。鶏の羽毛の色はとりどり。黒色、茶色、白色、灰色と茶・白色の混ざったのなど一羽ずつ違って一羽として全く同じ羽毛のはいないが、見慣れない者には区別がつかない同じ様な羽毛の地鶏も沢山いる。彼女には、どの地鶏が卵を産んで孵化に入るか分かるらしい。

貰って来た卵は二十あったが鶏に抱かせて雛に孵ったのは二個の卵だけであった。幸いにも、二匹の雛は雄と雌であり、彼女の細かいところまで気がつく動物に対する感性による飼育のお陰で、二匹の番いに成長していった。白い羽毛の首のやや長い、黄色の嘴のガチョウに育つ。ガチョウは水の中で交配するので、小さな池というか、水溜りのようなところをセメントで作ってはいたが、出来上がるまでの間、かなり大きなプラスチックの桶のようなものを用意した。ここに水を入れると、ガチョウは中に入って、水浴びをするように羽をばたばたする。この番いが卵を産んで、鶏に抱かせて孵化させるのだが、すぐに卵を産んで孵化に入る地鶏がいない時は、何日か待つ間、卵に印を付けて時々卵を裏返す。それから地鶏に抱かせて雛にすることによって、ガチョウが増えていった。

彼女の育った環境と、自分が育った環境とはかなり違うというか、全く違うというか。男と女の違いもあるが、男でも動物に対する鋭い感性の持ち主はいる。彼女には、同じ環境で育った姉と弟たちがいるが、彼らも彼女と同様に、動物に接している訳ではない。ここで考え込んでしまうのは、人の人格を形成する過程を観察したとき、生来持ち合わせている資質と育った環境についてである。

この問題に関しては後で少し深く考えることにして、ガチョウの話に戻る。

彼女の手際の良さで、ガチョウは増える一方。家の前の広さの芝生には、五六匹ぐらいの時が丁度良かったのだけれど、それ以上に増えるにつれ、芝生の成長がガチョウの食べる量に追いつかない。そして、所々芝生の生えている部分に地肌が見えるようになって来た。それでも、彼女はお構いなしに増やし、十三匹くらいまで増えただろうか、その頃になると芝生が無くなりつつあった。そんな訳で彼女には申し訳なかったのだが、増えたガチョウを皆まとめて、卵を貰った元の家に引き取ってもらった。元の主人は増えて帰って来たので、満足の表情であった。

あるとき家の周りを綺麗にすべく草刈機で野草を刈っている時、草むらに巣から飛び立とうしたのだろうが飛べないでいる山鳩を見つけた。後に生物学を専攻する小学生の次女が、抱きかかえて家に持って入る。食べるものはどうも植物性のものらしいが、何をやればいいのか分からない。長女が動物園などに電話で聞くと、鳩は、植物の種子、穀類、豆類などを食べる生き物とのこと。

まだ小さいので、とりあえず始めは米を焚いたの、ファロファというトウモロコシを粉にしたの、家の周りに生えている草の種などで育てた。その頃の我が家は寝室、台所、仕事場と続いているし、また止り木などを作ってやったりしたので、家の中を飛びまわったり、台所の食台を歩き回ったり、よく懐いていた。しかし、ある程度大きくなったとき、開いてあった戸口から外に出るようになり、その内、戻って来なくなった。恐らく野生に戻ったのだろう。

 

托卵(たくらん)といって繁殖に際し自分で巣を作らず,他の鳥の巣に卵を産んで卵を孵らせる鳥がいる。 ホトトギス科,ミツオシエ科,ムクドリモドキ科,ハタオリドリ科,カモ科の鳥に見られ、 日本ではホトトギス,カッコウ,ジュウイチ,ツツドリの四種にみられるそうだ前にも述べたが、ブラジルの私達が住んでいる地域にはシュピンというこの種の黒い小鳥がいる。

次女が学校からの帰り、坂道の上にある我が家への登り道でこのシュピンの雛を拾ってきた。巣主の鳥の卵が孵るより托卵で孵る方が早く、托卵で孵った雛が巣主の卵を巣から落としてしまうなどと言うこともあるらしい。この様なことで、托卵の鳥を嫌う人も多い。人間世界にも良く似た様相がありそう。それはともかく、次女が拾ってきたシュピンも我が家で育てることになった。シュピンは人間と同じ雑食性で人間が食べる物なら何でも食べる。前に飼った山鳩は、どこにでもけっこう糞をするので、それを綺麗にするのに手が掛かったが、シュピンは殆ど糞をしない。それに、托卵性の小鳥の特性でもあるのか、育てた者によく懐いて、家族の者の頭の上や肩にとまりにも来る。同じ育て方であっても山鳩の時は、そういうことは無かった。

唾をのせて舌を口から出してやると、唾を突っつきにくる。時に手の指の皮をむくと、それをたべる。人間の性か、懐くものは可愛くなるもの。成長して雀くらいの大きさになり、家族の一員と思えるほど家の誰にでも懐いていた。扉の外に出しても人の元にもどって来る。半年くらい飼っただろうか、何時ものように扉を開けっ放しで仕事をしていた。シュピンも外に出て仕事をしている家族の傍にいたが、屋根の上に飛び上がりそのまま暫くじっとしていたが、次に目を遣った時はもういなかった。恐らく森の方に飛んで行ったのだろう。

 

サン・パウロの植物園近くにあるかなり大きな催し物会場で、多分毎年だと思うが、家畜の販売を兼ねた展示会が行われているのを、何かの広告で見て、家族で出かけた。ブラジルで飼われているほとんどの家畜を見ることが出来る。

乳牛、肉牛、鶏卵・鶏肉の鶏、アヒル、ガチョウ、豚、ヤギ、羊、荷馬、競争馬、ロバ、ウサギ、犬、猫、鑑賞用の小鳥等々書き尽せない。ブラジルでは料理に子ヤギを食べる習慣を持つ人々もいて、この会場には子ヤギの販売場もあった。ヤギを飼うのはほとんど乳を採るのが目的で、雌は早くに売り切れていて、そこには食用にする雄の子ヤギが二匹残っていただけだった。我が家には既に雌ヤギが二匹いたので、この雄の子ヤギを買うことにした。値段も手ごろである。この雄ヤギ、ザーネン種の白い子ヤギでシロロと名づけて育てると、立派な大きな雄ヤギに育って行った。真意のほどは確かでないが、ブラジルではヤギの乳は人間の乳に似てるといわれ、牛の乳より重宝がられる。ヤギには、耳がだらりと下った種やピンと立った種などがある。ヨーロッパ系の乳用種はほとんど耳がピンとなった種である。ヤギを飼い始めてから、ヤギを飼っているいろんな所を見学させてもらったが、モジ・ダス・クルーゼスではザーネン種とトッケンブルグ種しか見かけなかった。ザーネン種の飼っているところから雌の子ヤギを買ったり、道端で見かけた垂れ耳の黒い雑種なども買って、ヤギは増えて行った。

飼うのは放し飼いである。森に入って、立って届く木の葉や樹皮も食べる。家周りにある草木は何でも食べる。花も食べる。家の周りに何も植えることも出来ない。あるとき家の近くの森で、夜ヤギの鳴き声がしていたので、朝、鳴き声の方を探して見ると、背伸びして木の上の葉っぱを食べようとして足を滑らせたのか、二股になった木に首を吊って雌ヤギが死んでいた。仕方なく、このヤギの皮を採り食用にするしかなかった。しかし、私達ではどのように捌くのか全く経験もない。それで、近くの農家で働いているブラジル北部から南部に移民して来た使用人が、その経験があるというので、彼に頼むことにする。

余談になるが、ブラジルでは中部、南部に比べて北部、東北部地域に貧困層が多く、職を求めてサン・パウロや南部地域に国内移住をする人が多い。元々サン・パウロや南部地域に住んでいた人達は、この移住して来た人達を「田舎者」と言って、やや見下した話し方をする人達も多い。

さてヤギについて、彼によるとヤギで一番おいしいところは脳ミソだそうで、彼が一番おいしいところを取るということで、喜んでこの作業を引き受けてくれた。我が家では始めてヤギの肉を食べたし、彼に教えてもらって、腸詰めのソーセージのようなもの、ここで言うリングイッサも作った。これも、始めて食べるもので、皆喜んで美味しく食べさせてもらった。

小さなヤギ小屋は建てたものの、先ずしなければならないのは、家の周りにアミで作った垣根のような柵を作ることだった。これは家の中にヤギが入って来ないようにするため。飼う前には想像もしていなかったのだが、これはかなりの仕事だった。そのうち、可愛い子ヤギも生まれヤギが殖えていく。例によって、彼女は増やすのに神経が行き届く。この頃には、雌ヤギが六匹になっていた。

その頃は我が家の近くに農家はなく、道の向こう側の山ひとつ越えたところにサン・パウロの飲料水用ダムの建設現場がある。そこに行く道筋の両側にヤギ達が食べ歩く丁度良い林があって、毎日そこへ出かけては夕方戻ってくる。

毎日、ヤギ達は食べ物を求めて出かけて行く。こちらも本業の仕事があるので、どこに行くのか後

を追って見分ける訳ではない。ヤギは食を求めてかなり遠くまで行くようになっていた。

ある日、かなり離れているところにある農家の主人が、我が家に苦情を言いに来た。ヤギが彼の畑まで行って農作物を食べるというのだ。これには参った。

ヤギ小屋を立ててそこで飼うしかない。ヤギを飼い始めてから、飼い方の本や雑誌、それに飼っているところも見学しているので、どのようなヤギ小屋を作ればいいか解ってはいるが、建てる場所、建材の用意など、やや大仕事。

あまり豊かな暮らしでもないので、建材の大部分はユーカリ材を使うことにするため、近くにあるユーカリ林の持ち主と交渉、こちらが切り出すのならタダでくれると言う。それでチェンソーを買い、家族総出でユーカリ林から必要分の、できるだけ真っ直ぐのユーカリを切り出す。それを車で引っ張って家まで持ってくる。床はヤギの糞が下に落ちるよう、五センチ角の角材を隙間を空けて床に敷きつめて行く。この角材とそれを支える太い、水にも強い角材、そして板や屋根に使う波型のスレートなども購入しなければなれなかった。とにかく急がねばならない。ヤギ小屋を建てる間は、出来るだけ家で餌をやったりして、ヤギが遠くに行かないように管理しなければならなかった。

凡そ一ヶ月ほどで十一メートルx六メートル半の大きさのヤギ小屋ができる。ヤギが飛び越えれない高さで仕切った、二・三匹は入れることができる部屋が五つあるかなりの建物に仕上がった。中には乳を搾るところ、葦や藁のような草を切り刻む機械などを置く場所も採ってある。唯、雄ヤギは力も強く、ツノで辺り構わずごつんごつんとぶつけるので、雄用のがっしりとした別の小屋を、少し離れたところに作った。餌を食べるところ、水を飲むところなど、前記の本や雑誌を見ながら、工夫を加えて設備した。

乳搾りは息子の仕事。ヤギの乳は乳牛に比べると、脂肪分の少ないあっさりした感じ。ヤギの乳でアイスクリームを作ったりもした。お客さんに食べてもらうと、初めて食べたと言う人が殆どで喜んでもらえた。

始めは、買った餌を与えていたのだが、経費が掛かり過ぎるので、草を切り刻む機械を購入、我が家の入り口にあるかなり広い平地に生えている雑草を刈り取ってきて、機械で切り刻み餌に混ぜるようにしていった。こちらは本業の仕事があるので、これは則子と子供達の仕事。放し飼いにしていた時は、気楽に飼えたが、ヤギ小屋で飼い始めてからは、ヤギの数も増え、草を刈り取ってくるなど仕事が増えるで、少々仕事が重荷になって来ていた。そんな時我が家で飼っているヤギをまとめて全部売らないかという、ヤギを飼いたいという人が現れたので、きっぱり全部まとめて売ることにした。五年ほど飼っただろうか。ヤギの子は可愛かった。息子たちが小学生の終わり頃から、中学生のころで、彼らは今でもヤギのことが良い記憶として残っているようだ。

苦労して建てたヤギ小屋は物置として役にたっているので、まあ良しとするか。

 

サン・パウロに住んでいる友人が、知人から雌の烏骨鶏と雄のポーランド系の、日本語では英訳のポーリッシュと言う鶏を貰ったが、自分の家では飼えないので、我が家に欲しいかと行って来た。それでこの二羽の鶏を貰うことにする。こちらは、地鶏と一緒に放し飼いするだけである。烏骨鶏は、羽毛は白いが皮膚・肉・骨が黒色で、頭の上に羽冠があり、脚も羽毛でおおわれている。一般の鶏と比べて産卵数は少ないが卵は栄養学的に優れていて、卵は高価でもある。ポーリッシュは頭全体をほぼ覆う大きな紋章で飾られている鑑賞用の鶏の様烏骨鶏も番いではないので生まれてくるのは、みんな雑種。しばらく飼っていたが、烏骨鶏を何羽も飼っている人が譲ってくれないかと頼まれた。烏骨鶏を増やす積もりもなく、雌の烏骨鶏が一羽いてもどうということはないので、その人に譲ることにした。

 

一九九十年代初め、ブラジルでプードル種の犬を飼うのが流行した。プードルは全ての犬種のなかでコリーに次ぐ知能の高さを持っている犬種。当時、愛玩犬種としては最も人気が高かった。

例の友人の奥さんはサン・パウロの奥地に農場をもつ家族の一員、彼女の姉さんが犬好きで、プードルも飼っている。子が生まれると売るために、サン・パウロの友人の家に持ってくるのだ。友人の自宅には狭い庭もあり、プードルを飼うのにも問題はなく、子犬を売るということもしていた。しかし、プードルを求める人の多くは雌を欲しがる。それで、どうしても、雄が残る。そんな訳で、我が家に雄の子犬を貰い受けないかと、子犬を持って来た。その子犬を見た、子供達と妻の則子は、即OKとなった。この子犬は誰が見てもかわいい。

これが後々、我が家の大きな問題となるとは、想像も出来なかった。

子犬が大きくなると、子供達や妻は、雄だけではかわいそうだ、相手に雌犬をあてがって遣らないと、などと言い出す。そこで例の友人から雌のプードルを買うことになった。これで番いになる。

番いからは子犬が産まれれる。則子は子犬が産まれると自分で臍の緒を縛り切り離し、尾も短く切る。現在では、尾を短く切ることは動物虐待行為として法律で禁じられているが、あの当時は愛玩犬として普通に行われていた。親は子犬の糞を食べ、子犬をなめて綺麗にする。彼女はある程度育つまで付っきりで子犬の面倒を見る。子犬が多く産まれた時は、強くて大きいのや、弱々しのもいて、強いのは弱いのを押しのけて乳を吸う。放っておくと強いのは益々育ちがよくなるので、弱い子犬を乳が吸えるようにしてやるよう気をつけている。

産まれて三・四週間すると犬特有の病気に対する何種類か混合の予防接種をする。そして、一月おきに二度、計三度の予防接種となる。

彼女は子犬のなかで気に入った雌や雄は売らずに残していく。プードルを飼い始めてからは、町のペットショプや近くでプードルを飼っている人の情報も入ってくる。育った雌が交尾期になると、雄の持ち主と交渉し交尾するためその家に雌を預ける。

昔、映画で見た、男の黒人奴隷が檻の中にいれられていて、そこに女の黒人奴隷を放り込む場面が脳裏に残っている。本当にそいうことがあったのかどうか分からないが、有りうることだろう。動物の本能だけではなく、大脳細胞の働きによって行動する人間だから、同種(ホモ・サピエンス)に対してこのようなことが出来るのかなあとも思う。

交尾して子が産まれれれば、産まれた子の一匹雄の持ち主に譲ることになる。このようにしてプードルの数は少しずつ増えていった。

ここまで、アヒル、ガチョウ、ヤギ、などを飼った経緯を綴ってきたのを見て気づかれた方も居られると思うが、我が家の動物(家畜)の飼い方には、ある種のパターンがあるようだ。

地鶏が卵を温め孵化させるところをつくったり、ヤギ小屋をつくったり、どこそこでプードルを飼っている人がいると聞けば、彼女をそこまで案内したり、彼女の要望には出来るだけ応えてきた。しかし、食べるためにも、そして職人として良いものを作るようできるだけ本業に従事しなければならない。それで、家で飼う動物には、時に興味を持つことはあっても、かなり無頓着であったと言って良い。つまり家で飼ってきた動物に関しては、彼女が面倒を見、彼女の遣り方にこちらが付き合うという、成り行きに任せての状態だった。彼女は動物の細かいところまで気がつく。プードルなどは特に可愛がり、抱きかかえてノミを捕ってやったりもする。子を産ませ、増やすのもうまいのでプードルも増える一方である。買いに来る人もいるし、ペットショップに売り込むこともあるが、それでも増える方が多い。四・五匹くらいならまだいいのだが、時が経つにつれて増えるばかり。

これには家族も困惑状態になった。放し飼いなので、焼き物の窯場には糞をする。次女などは、夜中犬が吼えて眠れないという。

プードルにはその大きさに従ってトイ、ミニチュワ、ミクロなどと呼ばれている。アパート等で飼う人も多く、中でもミクロが最も小さく買い手が多い。彼女の飼い方を見ていると産まれた子の小さいのを残し、できるだけ近親交配を避けながら、飼っている犬を小さいものにして行くのに、関心が注がれている。

ある時彼女に頼まれ、猫やプ-ドル、マルチーズなどを飼育している婦人の家を訪問した。この婦人の飼育場は我が家と異なり、種別に網の柵を設け、かなり手入れしている風であった。則子はマルチーズを見て気に入ったらしく、プードルと交換しないかと交渉。婦人も我が家のプードルに興味を持ったらしく、プードルを見てから交換をする意向で、マルチーズを連れて我が家を訪問する手筈となった。そして何日か後、婦人が我が家を訪問、気に入ったプードルとマルチーズの雄との交換となった。

則子は最近流行っている、プードルとマルチーズの交配種マルチプーに興味があるらしい。この後、マルチプーも産ませ、犬はどんどん増え三十匹ほどになっただろうか。さすがに家族からの苦情にはどうすることも出来ず、彼女の持つ資金で犬を飼う場所を作ることになった。我が家の土地の入り口より坂道を登りつめたところに、かなりの広場があるので、そこに建てることにした。登り坂を登りつめた丁度我が家の入り口辺りで、人が来ると吼えるので都合が良いだろうとの考えもあった。十メートルx十メートルほどの大きさで、真ん中を区切って二場所にした。アミの柵の中の奥には広さ二メートルx五メートルの床がセメントの、ブロックの壁に屋根の付いた寝所も作る。左柵内には九匹の雌、右柵内には八匹の雌。その他、以前小さな畑にヤギが家に入らないように作ったアミの柵を利用して、犬を入れるようにした。ここには四匹の雄。更に仕事場の裏庭、ブロックで囲ったところに、九匹の雄。元ヤギ小屋であったところに二匹の雌と、計三十二匹分けて飼うことになる。一緒に入れると虐められる弱い犬もいるので,相性を見ながら分けて入れているようだった。

自然界に於ける人間と家畜の関係、昔の方が共に生活する傾向が強かったのではと思ったりする。

ここまでは、我が家のブラジルでの生活状況の在り様を紹介してきた。

 

次章より筆者がここに至る道のりなどを紹介していきたい。

2023年9月24日日曜日

宇宙について、再び考えてみよう。

 電場、電磁場は、真空の中を、光速で広がって行く。これは恐らく、光と同様に、波であり粒子でもあるものなのだろう。質量もまた、重力場をその周囲に形成するが、電場、電磁場と同様に、光速で伝わって行くのだろう。電場、電磁場、重力場は何か、と考えても無意味なような気がする。宇宙の最初に、電場、電磁場、重力場を作る素粒子や物質が残ることで我々の宇宙が成り立ったと考えるより仕方がないのかとも思う。が、でももう少し調べてみよう。

2023年10月の宇宙 に続く。
宇宙の真空には、素粒子と反素粒子が満ちているらしい。しかも、それが実験的に確かめられいるのだ。

この天候の急変は何事だ

 9月22日までは、気温は30度近辺でも湿度が高く、下着姿でごろごろしていて、昨日23日は一日中梅雨のような日であったが、やはり少し動くと汗が垂れるような日であった。特に、大阪に居た14日~18日は酷かった。
ところが今日24日は、コロナワクチン接種に保健センターに行き、ついでに図書館にも行き、帰りには生協で昼食総菜やらおやつ菓子パンを買って家に帰ったが、ほぼ発汗はない好散歩の陽気であった。要するに、北方高気圧で関東も覆われたわけだ。夕方にシャワーを浴びるも、38度温水でも漸く寒さをしのげるって始末であった。何たる、気候の急変だろうかと驚く。
ただ、昨年まではかような急変ではないが、9月初めころにかような気候の変化が起こったような記憶がある。
かような気候の変化に、生活のサイクルを合わせねばならない。特に、僕の農業は、この変化が著しく影響するので、これに合わせねばならない。せっかく作ったポット苗も今年は畑に植え付けてから全滅してしまった。特に、黒マルチの秋野菜への適用は注意せねばならない。今年はせっかくのポット苗は全滅して、結局は苗を買うことになってしまった。

2023年9月19日火曜日

大阪拠点のメンテナンス 9/14~9/18

 6月に、大阪拠点の家の周囲には、2/3は黒マルチで覆い、通路部分だけを残していたから、実質3日も有れば十分に除草できるだろうと予定を組んだ。
9月14日は平日で、かほども暑いから旅行者は少なかろうと、渋滞の心配せずとも良かろうと考えたが、何と、バスは満席で道路は酷い渋滞だった。大阪拠点に着くと、1時間半遅れの6時だった。家に近づくと、何と、庭は背の高い雑草だらけで埋もれているのが見えて愕然とした。
これは、3日では処理できないだろうと、バスの帰路予定を一日ずらした。
翌朝は、4時には目覚めて、朝食準備して、5時半には除草作業を始めた。
南側庭の、黒マルチを剥がして、穴を掘り、通路の雑草を抜いては穴に放り込んでいった。
穴の大きさは、3mx1.25mx深さ50cm程度で、結局、5穴程度を掘っては、除草を放り込んで埋め戻した。
雑草の殆どは、ネコジャラシが大きく育ったもので、ありがたいことに、根は浅く背丈は50cm程度で、容易に扱える雑草であった。
初日の暑い盛りはさすがに屋内で休み、肉を買いに出る気力もないので、家から持参したジャガイモ、ニンジン、たまねぎで、肉無しのカレーライス6食分程度を作り置きした。が、肉無しだと、肉の脂身が当然ながら無いので、浅い味のカレーライスになってしまった。
2日を終えたところで、やはり6月に施工した黒マルチの効果は確認できて、除草量はそれだけ少なくなっていることが判った。つまり、黒マルチの無い所に生えたネコジャラシが、枝を広げて黒マルチ部を覆っているので、見映えだけはすさまじい繁殖に見えたのだ。そのため、根を引き抜くと一気に繁殖部分が消えてしまうわけだ。除草はそれ故に順調に進んだ。これは当初の予定通りでゆけそうだと目途がたち、そこで、帰路バスの予定を元に戻そうとしたが、早朝発は満席で、10時頃の特別便が取れた。除草は、暑くない時間帯だけでも2日間で終えて、3日目は、庭木の剪定を朝の内に終えることも出来た。それだけではなくて、除草作業の間に、自転車で枚方市駅にある業務用スーパーに牛乳とか納豆、豆腐を買いにゆき、近くのアカカベでは、菓子パンとアイスキャンデーと蚊取り線香を買ったり、後はのんびりと時間をつぶした。暑い最中の仕事で、良くできたものだと我ながら感心した。   
そうそう、余った時間に、黒マルチ部分を出来るだけ増やし、少ない隙間に、クロムソンクローバーの種を撒いておいた。
帰路のバスはコロナ以前以上に混んだ道路の関係で2時間近く遅れた。

今回の拠点整理で感じたのは、カレーライスなりシチューで、生肉でなく乾燥肉若しくは缶詰で、脂身があるものを使えれば非常に便利で味も良くなるのではと思う。食事の味もヤル気には大きく影響しそうだ。それと、100均でいろんな調味料を売っているので、これも試してみる積もりだ。

2023年9月4日月曜日

パソコンのリカバリー lifebook編

 友人へのアドバイスで送信したのですが、自分への覚書ともします。また、FMVについても調べて追加します。

とても遅くなりました。暑くて頭が回らなくって申し訳ありません。今週はちょっとましなので、その間に送信します。
回復の方法としては、リカバリーデスクを自分で準備しておく方法と、パソコンのハードヂィスク内に収納されているのを利用する方法があります。リカバリーデスクを自分で用意する方法はまだ勉強していません。でも、取説に書いているはずなので、それも遣っておけば、損傷が重体で、ハードヂィスク内のデータが損傷しても回復するわけです。(ウイルスが食い込んで行くと、その重体になります。
更に重体になると、リカバリデスクでも出来なくなります)CDまたはUSB(機種で異なります)に保管できます。

自分で作ったデータや、住所録、メールアドレス帳や、後から入れたアプリは普段からUSBに保管しておきましょう。
確実にウイルスで損傷することがありますから。

https://www.fmworld.net/cs/azbyclub/qanavi/jsp/qacontents.jsp?PID=8910-4066
回復方法は、機内に保管された回復データを使い、初期化する方法(windows回復環境の実行)です。
①パソコンの電源を完全に切る。(通常のシャットダウンとは違います)
 スタートボタン→設定→更新とセキュリテイ→回復→オプションの選択→PCの電源を凝る
②windowsの「回復環境」の実行
 電源切った状態で、F12を押しながら、電源入れる
 音gなったら、指離す。(起動メニューが表示される。指を離さなくても起動メニューが表示されたら指を離す)
 パソコン前面にサポートボタンがあれば、F12を押さなくても、サポートボタンを押せば起動メニューが表示)
③Tabキーで、アプリケーションメニューまたはApplicationMenuに切り替え
 (↓)キーで、windows回復環境又はWindowsRecoveryMenuを選択して、Enterを押す
④オプション選択
⑤トアブルシューティング を選び、このPCを初期状態に戻す を選ぶ。
以上です。 リカバリーデスクについても調べると、2015年以降のパソコンは、リカバリーデスクとは言わずに、回復環境の実行ファイルと称するようです。
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志水勇のライフワーク
http://isabon.blogspot.com/2013/02/blog-post_27.html

2023年9月3日日曜日

日本式TQCと習思想

 会社では、品質管理手法なるものが、定期的に新しく形を変えて蔓延した。仕事はそっちのけで品質管理手法を習い、これを実践することが、仕事よりも優先された。社長が変わるとまたまた新しい手法とテーマが導入される。だから、別に前の社長の時にぶち上げたテーマを成功させる必要はなく、新しい社長の要求に従って新しいテーマをぶち上げれば良いわけだ。この品質管理テーマやワークが、仕事での成果より社長に迎合するには効果的で、社長の覚えをめでたくすれば、上に引き上げられるわけだ。今、中国では、同様の事が行われているらしい。中国の実力が衰えるなり逡巡する事態は、日本にとっては絶好のチャンスとも言えるだろう。
中国の実情は、日経の風見鶏の記事に記載されていて、習思想学習に関する冗談は、会社時代のTQCへの冗談と全く同一なので噴き出してしまった。

ただ、今になって思うのだが、会社の指導者たちは、TQC活動の成果よりは、自分への忠誠心を調べるのが重要だったのだろう。
習主席も同じ思いなのかとも思う。
指導者って面倒な連中だ。

「中国式鎖国」への備え 親中・反中の二元論から脱却を

風見鶏

 [会員限定記事]

中国で最近、こんな冗談交じりの話を聞くようになった。「忙しくて仕事をするヒマがない」。何がそんなに忙しいのか。「習近平(シー・ジンピン)の新時代における中国の特色ある社会主義思想」の学習だ。

中国共産党は現在「習思想を徹底学習するテーマ教育」を展開中だ。政府、企業、大学などあらゆる組織で上から下まで勉強会を繰り返す。幹部らは習思想の理解を競う論文執筆に大わらわ。少人数の読書班では習氏の論述集を何冊も読み込み、意見を述べ合う。

中国は今、不動産危機や失業問題、人口減少など様々な難問に直面している。そのさなか中国のエリートらが必死なのは「習思想の学習にどれだけの時間を費やすか」とのアピールだ。

そして政策立案で優先されるのは「中国式現代化」や「共同富裕」など「いかに習氏の教えや党の指導に忠実か」が基準となる。

習政権3期目以降、中国と世界の乖離(かいり)はますます広がった。米国は経済の米中デカップリング(切り離し)を修正したが、中国は対話のための最低限のコモンセンス(共通認識)というべき分野でデカップリングを断行している。

その必要性から最後まで国際化されていた金融分野でも「例外は捨て去る」と宣言した。金融政策を主導するのは党の中央金融委員会という新組織。発言権を持つのは何立峰副首相や鄭柵潔国家発展改革委員会主任、劉昆財政相など習派の厦門大学閥で占められた。

中国人民銀行トップはかろうじて欧米での研究経験を持つ潘功勝氏だがヒラ党員で存在感は薄い。世界の金融界と対話しようとの意思は感じられない体制だ。

中国人民と国際社会を隔てる「ガラスの長城」も厚さを増している。改正反スパイ法施行で中国人と外国人の交流リスクは高まった。同じ土地に暮らしていても別々の空間にいるような浅い関係となってきた。

習政権は今も改革開放や外資の投資拡大を呼びかけているが、中国の人々は他国とは全く違う世界観の中に封じ込められつつある。外に開いたまま実は閉じた「中国式鎖国」の状態だ。

世界と乖離する中国を前に日本は新たな戦略構築を迫られる。まずは「二元論」からの脱却が必要だ。親中か反中か、中国依存か中国離脱か。そんな議論は意味を失いつつあるためだ。

東京電力福島第1原子力発電所の処理水問題を巡る対応からもわかるように、中国は中国の「常識」と「理屈」から出てこない。過去のような「日中友好」を望める時代は過ぎた。

一方で、10億人を超す市場でしたたかに稼がずして経済成長は維持できない。中国との対峙も経済力があってこそ。「リスクをとって日本の成長に寄与する企業」のバックアップ体制を日本政府は米国と連携しながら早急に確立すべきだ。

注意しなければならないのは今後「文革2.0」ともいうべき閉鎖社会を嫌い中国から逃れてくる「新華僑」が増えるであろうことだ。活力あるアントレプレナーを呼び込む環境を整えるとともに、平等すぎる外国人受け入れ制度の改正など事前準備も必要となる。

移民の選別、スパイ対策、不動産購入の制限、各種外国人料金の設定などが検討課題となる。さもなければ早晩、中国からの人口や資金の流入が日本社会に混乱をもたらす時が来る。

我々は世界の経済構造が変動する瞬間を目にしようとしている。閉じられた大国「中国」と世界に広がる新たな「大中華経済圏」――。習氏が力説する「100年に1度の変革の時」にこのシミュレーションは含まれているのだろうか。

(中国総局長 桃井裕理)