2019年6月22日土曜日

ゲストハウス案内の手順


別に和文・英文でのゲストハウス施設説明書は作成しているが、文章で詳しく書くと、簡単なことでも、長く、また難しく見えるので、ここでは、ゲスト到着時に口頭説明すべきことを簡易に説明する。

1) 外側案内 
庭散水栓、給水元栓、ガス元栓(地震時の対応とも)、その他プラ保管倉庫、風呂追炊器ガス栓と、同制御用電池取替方法、給湯器ガス栓と水栓、生ごみ埋設穴

2)玄関内側について
鍵3個、照明スイッチ、玄関外灯りスイッチ

3)玄関たたき での説明について
電気ボックス元栓

4)階段での説明
階段灯り、ベランダ室(干し竿分解)、干し紐、ベランダスリッパ 洗濯物用具

5)宿泊室
外開き窓の開閉方法、クーラーOnOff、クーラー窓と防虫戸の開閉、
宿帳記載、パスポートコピー
バスタオル、ハンドタオル、バスマット
歯ブラシ、歯磨きペースト
京都観光地図・バス経路図
マット・布団の敷き方、たたみ方、収納法
コタツ机、座椅子の納め方
ごみ(プラごみと、生ごみ、その他)の分類
雨戸の開閉方法

6)台所
揚げ物禁止
火災警報器の説明
給湯器のOnoffと温度設定、
ガスコンロ、ガスボンベガスコンロ と換気扇
ケトル湯沸し方法
冷蔵庫 後ろのカバーへの水補給、冷蔵庫内の説明
野菜ダンボール
家主分 棚・床下収納庫
トースターの使い方
マイクロウエーブ加熱器の使い方

7)トイレ
トイレット洗浄機の使い方(温水無し)
立小便禁止

8)洗面所
洗面所と台所を仕切るシャッターカーテンと追加カーテン
バスタオル・ハンドタオルの場所と使用済品の場所
バスマットの場所と使用後の対処
洗濯機の使い方

9)風呂
給水蛇口と、シャワー蛇口
冷水蛇口と温水蛇口
追炊きリモートの使い方 追い焚き時間SW, ONOFFSW, 着火SW, 消火SW

10)家主の部屋の説明 開けにくい窓

11)開栓手続き(水・ガスを家主が申請)とガス開栓立会の必要な場合はお客さん立会い
   閉栓手続き(家主) なお、電気については玄関上の電源盤ボックスのOnOffのみ。

12) 施設を退去の処理
   雨戸及びガラス戸の閉確認・電灯消灯確認・水蛇口閉確認・ガス栓閉鎖・電気ボックスOFF、
   水元栓閉鎖・ガス元栓閉鎖

13) 鍵をかけて、封筒に入れて家主に送付(切手付き封筒を手渡す)か、郵便箱の底紙の下に入れる。

2019年6月18日火曜日

一瞬の風景

昨日、我が家の2階から外をみたら、こんな風景が見えた。実物は、壁が夕日の赤をそのまま写し取ったような色であった。

照度を調整するとかくなったが、僅かの時間に陽光が雲にさえぎられたことでも様相が変わった。

 最初の風景を縦長に撮ろうとすると、もう既に夕日は去って、雲行きが険しくなっていた。
夕日に照らされた風景も、険しい雲行きの風景も、どちらも不安を掻き立てる風景だ。
 
夕刻の風景は一瞬、一瞬で変わってゆくのだ。

 

ゲストハウス春季の終了

まだ、6月末に6日間の宿泊客を残すが、その宿泊客は地域の住民が必要にかられて我が家に宿泊するので、それゆえに、ほぼ気兼ねなくと言うか、家貸にて対応できそうだ。(その後、booking.comのカレンダー設定を誤って、7月13日から20日の7泊の予約が入った。予約者は地元の人なので、同じように対応する)
ゲストハウス運営春季の総まとめとしては、後、電気ガス水道の支払いを加えて、損益は確実に赤字といえるだろう。元々、外壁塗装を含めて、家の補修に最低春秋に来阪するので、その次いでと考えたのだが、来客対応で疲れるのと、来客対応のために僕自身が比較的長期に滞在することになったので、家の補修作業は、いつでも出来ると気が緩んでしまい、結局は全くやっていない。しかも、僕自身の食費も馬鹿にならない額となる。
ゲストハウス閉鎖の準備を忙しくしている最中に、玄関のチャイムが鳴り、遣り掛けの仕事を置いて外に出てみると、数軒向こうに住んでいて話したこともない白髪の上品な顔をした老婆がいた。「はい、なんですか?」と聞くと、「ごみ当番の名簿を森さんの所に持って行くのですが、貴方もやれば、気兼ねなくゴミだせるんとちゃいますか?」と言う。
僕の出すごみは、生ごみについては家の周りに埋めているのでゴミ出しの量はとても少ないし、今年は初めて年初から延べ3か月となったが、滞在期間も短く不定期だ。だから、ごみ出しには殆ど気に留めていないし、別に僕がどう考えようが婆さんには関係のないことだ。が、明らかに婆さんは親切ごかしに自分の不満を言っていることも明らかだ。
でもとにかく、「もう出発するので当番は出来ませんし、生ごみは家の周囲に埋めているから出すごみも少ないですよ」と言うと、あきらめて当番名簿を森さんの家に持って行った。そこで婆さんの意図を善意で考えるなら、体の不調な森さんを慮ってのことか?とも思ったが、それなら、自分が森さんに替わって遣れば良いだけのことだろう。だから森さんの体調を考えてではないと思われる。わけの判らん婆さんだ。
念のため、翌日はびん缶のごみ出し日なので、森さんの家に行き、婆さんの訪問と要請を告げて当日だけでもごみ当番替わりましょうか?と聞くと、「ごみ出し当番程度はどうってことないです。あの人は前からそんな事言ってますけど、後から入ってきたひとだから・・・」と言い、その後は、森さんの通信費についての相談話になってしまった。
結局、婆さんは、森さんをそそのかして、僕をごみ当番にさせたいのだが、森さんが話に乗らないので、自分で乗り出してきたらしい。ごみのことは放っておいて、森さんの相談については、真剣に対応することにした。
奈良への自転車旅行に関わる警官の職務質問とか、その後のサミット対応の警官の訪問とか、続いて話したこともない婆さんのお節介とか、閉鎖前になって突然、気分の落ち込むことが続いた。
秋からは、僕に都合の良い期間だけを開くことにする積りだ。とにかく、6月は今後、閉鎖とする。
が、こんど婆さんが来た時には、どう対応するかシミレーションは必要だろう。
そもそも、僕が枚方を訪れるのは、家が空き家状態になり近所迷惑となることを防止するためで、特にそうなると、周辺地価に影響して近所迷惑が甚だしくなる。これを防ぐために修理に来ているわけだ。その為に交通費は僕の負担で、しかも、僕の出すごみは住民に比べれば、不燃物も生ごみも、除草物や、枝の剪定物も出していないので、住民の1/10よりも遥かに少ないだろう。そこの所を無視して、単純に掃除分担と言われても何とも答えようがないです、ってとこかな。更に、古着や紙のごみ収集は、我が家の前で収集されていて、しかも、我が家は全く出していない。これはどうなるんでしょうか、ってとこかな。今度婆さんが来たら、この辺りを、ゆっくりと説明するとしよう。でもまぁ、納得することはないでしょうな。えっ?ごみ処理のための税金を払ってないってですか?いえいえ、固定資産税はちゃんと払ってますよ。地方税は確かに払っていませんが、ごみの量からすれば、固定資産税の比率の方が遥かに大きいでしょう。健康保険料とか介護保険料は、その住民にだけ還元されるのだから全く問題外です。それどころか、ゲストハウスの顧客とか僕の食費や交通費は立派に枚方市に貢献していますよ。
しかし、考えてみたら、住宅地で僕を助けてくれる森さんとか、上野さんとか、それに、多分田畑さんとかの為には、掃除当番を引き受けるのも良さそうだ。
などと、くよくよと考えていたが、更に考えると、そもそも、この民泊って、何年出来るだろうか?長くて数年ではなかろうか?悲しいことだが、ひょっとすると、1~2年が限界と言うか、嫌になるか、体力の限界になるのではなかろうか。そう考えれば、こんなこと、どうでも良いことではなかろうか。

ってことで、婆さんの提案は無視することにした。

2019年6月5日水曜日

枚方公園から奈良へ自転車の旅

先日、枚方穂谷の稲田を見ようと、自転車で307号線を北西に登って行った。また、国見山トレッキングに行くため、307号の旧道を津田駅に行った。そこで気づいたのだが、津田近辺で一山超えれば奈良なのだ。そこで、枚方公園から奈良に行くのに、700円とか800円を使って列車で行くより、自転車で行き、到着地で観光すれば交通費が節約できると考えた。地図を調べ、307号より更に北側で学園都市線の長尾駅に向かう道144号線の方が奈良に近いと考えて、数日前に長尾まで行ってみた。約1時間で到着することを調べた。そうして本日6月4日、朝6時半に家を出た。長尾に着き、学園都市線に沿う道735号線を北上すると、直ぐに山手幹線と称する奇妙な広い道に出会う。山手幹線を東進すると、極めて近代的な都市がその道に沿って広がっていた。いわゆる、学園都市が昔の丘を切り開いて広がっているのだ。この道路は、地図上では22号線とも記載されていて、北西には284号線として八幡に向かう。バスは樟葉にも行っているようだ。東へは、京田辺に向かっている。22号線には旧道と新道があり、旧道はより低地側北側を通っている。新道は道は広く歩道も広く走行には便利だが、岡を上がり下がりしているので、ママチャリにはつらい。だが、旧道は道が狭く歩道は整備されていないので、これもまたつらい。が、新道もJRの祝園駅を過ぎた辺りで、行きどまりで東に向かい旧道に入る。更に東に向かい、754線を南下する。163号線に至り、東に向かう。163号線は、西木津駅に至り南下し、更に東に曲がる。更にJR奈良線に突き当たった所の24号線を100m程南下すると、奈良へと向かう754号線が南東に分岐する。ここに至った所で、時間は9時半になり、出発から3時間を経た。754号線は細く、無理をすると事故を起こしかねない。真っすぐ下れば東大寺だが余りにも疲れ、帰路も考えねばならない。残念ながら本日はここで諦めて帰路に就いた。帰路は出来るだけ上がり下がりの少ない旧道を進み、307号線で新道に移った。それでも非常に疲れ、帰宅を急ぎ、長尾の手前で小さな側道の信号を無視して、パトカーに捕まった。不審尋問と、その後の小言で済んだが、いよいよ疲れてしまった。長尾から枚方への北上途上で一号線に出会ったところで、一号線を経て帰宅した。枚方公園にはこの道の方が帰路については、一方的な下りなのだ。
結論として、自転車での奈良観光は、自転車旅行を楽しむことが目的でなく、行く先での観光が目的なら、疲労が激しく、テントでも持参でないと困難だと思われる。そのため、サイクリング車の購入は慎重に行うこととした。
かくして、もう10㎞のところで、安全を期して引き返してしまったのだが、かってのインパールへの日本軍の無謀な侵攻も、コヒマに達した時に、一支隊は彼方にインパールの街影を見ながらも撤退を余儀なくされたと(実際は前線部隊は撤退と言うよりは、ほぼ全滅で、補給隊を入れれば戦病死率が80%に落ちただけ)の気持ちもかくあるか、と思われた。
でも、あの大馬鹿の牟田口司令官の、「糧食・弾薬は現地調達」などとは言わず、タッパ弁当はちゃんと持参したが、暑さと腹調が悪いのに負けてしまった。第二次大戦の日本軍司令官はジンギスカンの作戦を踏襲したんでしょうが、僕はそこまで馬鹿ではないですけど、結局 自転車+観光は無理でした。奈良は想像以上に起伏が激しい地勢でした。
ところで、30歳の全般に、バングラデッシュに行く空路から日本軍侵攻の地域を眺めたが、どこまでも続くジャングルか泥漿地帯で、ここを人馬で補給もほとんどなく戦えと指揮した日本軍の馬鹿らしさにはあきれてしまった。

翌日、突然、枚方警察の警備課の人が、ゲストハウスを訪れて、「サミットの関係もあり、民泊の運営状況を確認しにきました」との事だ。前日の職務質問を受けたのと、余りにもタイミングが合い過ぎている。警察の検索力ってさすがだと感心した。だが、その警官は表情は柔和だが、初めから終わりまで、僕の目をのぞき込み続けていて少々不気味であった。しかも、彼の持参した警備アンケートとかに僕が記載しているところを写真に収めていた。写真を撮られて別に困ることも無いので苦情は言わないが、ちょっと変だな、と思った。何をする気だろう。恐らく、写真を撮られることを嫌がるかどうかを見ていたのだろう。それとも、近辺で何らかの犯罪があり、その目撃者に見せるためだろうか。とにかく、濡れ衣の可能性も考えねばならない。ひょっとするとアンケート用紙で僕の指紋を取っていたのかもしれないし、それとも、開いたまま横に置いてあった宿帳の写真を撮ったのかもしれない。どうも油断しすぎたようだ。彼らの挙動のそれぞれが、それなりの意味があり、別に世間話で訪れているのではないと注意すべきだ。と、僕も相当疑い深い。

ところで一日経つと、一昨日の苦しさは忘れて、京田辺辺りの地図をのぞき込んでは雪辱の方法を考えている。が、もう11日には千葉に帰るので、雪辱は秋のこととなる。
長尾駅への道 山田公園手前

 一山超えて奈良盆地の丘陵:長尾地区 生駒山系が裏側から見えている。

長尾駅の前を西に
 山手幹線に至る道 歩道は途中で途切れる 帰路この信号を無視して走り、おまわりに捕まり、ついでに職務質問を受けた。怪しい風体で、しかも疲れて顔つきもトロンとしていたのだろう。
 山手幹線(22号線新道)

 新道の丘陵と、向こうの山とで、古い町、田辺は狭い町であったが、こちらの丘陵を学園都市とすることで、京田辺と名前を改めた。京都人には許されない改称ではないでしょうか。
 丘陵地は古い農家と近代的なビルの混在する町となっている。

山手幹道は続く。特に同志社近辺は近代的で凄い建物が続く。
 祝園は、学園都市線JR駅と近鉄駅が並んでいて凄い駅になっている。が、なんとJRは単線なのだ。なお学園都市線は、更に南側の木津駅で奈良線と接続する。つまり、学園都市線が単線ってことだ。


 奈良は田園風景がきれいだ。放棄田は余り見られない。



 24号線への分岐、100mほど24号線を行くと、754号線で奈良に行ける。












2019年6月3日月曜日

京都トレイル 銀閣寺から比叡山

前回は、大文字から銀閣寺に降りる積りが、霊鑑寺に降りてしまった。でも、まぁ、余りs差は無いので、今回はその続きを行くことにした。
枚方公園を朝5時26分の電車に乗り、出町柳で降りて歩き始め、6時半には、銀閣寺口浄土寺橋から京都トレイルに入った。そのままトレイル標識に従って歩き、途中瓜生山周辺で道を誤り一回りして30分程を浪費して、10時半には比叡山山頂下の展望台に着いた。やはり、東山では最も登りがきつい道だが、余り苦しむことなく、登り詰めることができた。なお比叡山は高度900mにちょっと足らず、山近くではかなりの急坂が続く。比叡山山頂と言っても、有料公園みたいなのがあるだけで、明確な山頂がなくて戸惑った。山頂公園の前に大きな駐車場があり、中国人観光客が大勢いた。展望台に戻り、坂本ケーブル乗場に行こうとしたが、比叡山東塔の料金所があり引き返した。比叡山の見どころが判らないまま展望台に戻ったが、ベンチは登山者に占められていたので、ケーブル比叡の前まで戻りベンチでタッパ弁当を戴き、幸せを満喫した。11時半であった。
なお、比叡山の観光中心は延暦寺で、東塔で入場料を支払って入って行かねばならないようだ。入場料は最低700円となっている。
比叡山からの展望は、当日は曇りで余りよくなかった。再度、好天日に挑戦する。
帰路は、ケーブル比叡の展望台から銀閣寺に戻る積りで、南に向かった積りが、道は西にぐるっと回りこみ、急坂が延々と続き、途中で、瓜生山への標識も見たが、そのまま降りて行くと修学院に出てしまった。後で地図を確認すると、僕の下った道は、瓜生山の標識までは登りと同じ道を下っていたのだ。だから瓜生山への標識でその方向に向かえば、同じ道を帰れたわけだ。また、ケーブル比叡の展望台から階段で向かう道も、僕の下った道が西に回り込んだ時点で同じ道になっていたようだ。いずれにしても、ケーブル比叡のルートに沿う下り道は無いようだ。それはともかく、行動中に、持参した地図を磁石を使いながらもっと確認する習性を持たねばならないようだ。その点ではいつも失敗する。また、急坂の下りだと杖が必須だと悟った。次回は杖も持参しよう。
修学院に出てしまったので、出町柳迄210円の余分な出費を要した。本日は結局1,100円程度を要した。