2020年2月17日月曜日

エコキュートの予備給湯器設置 2016年より

http://isabon.blogspot.com/2016/12/blog-post_23.html
再設置を行ったが、給水管を給湯管に接続してしまった。逆流していると機器を損傷してしまう。明日、2月18日に、税金の申告して帰ってから、配管替えをして、給電し、給湯を試してみる。
予備ラインを現在のエコキュート系に接続することを再度挑戦する。
なお、給湯器の機種は、NORITZ GQ-2039WS である。取説等はここで得られる。
https://www.n-techdocs.com/search?q%5Bname_or_another_name_like_keywords%5D=GQ-2039WS%E3%80%80&q%5Bspec_type_text_eq%5D=&q%5Bbrand_id_eq%5D=&commit=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
予定通りに配管替えを行い、ガス・電気を供給して、水を流すと給湯を始めた。水温は、リモートを取付けない場合の初期設定温度となる。
リモートを購入してあるので、取付要領を調べて取り付けるとする。最終的にはエコキュートラインとの接合だが、いつになることか。
ところで、上記給湯器に関して、台所リモコンは、RC-7060M 風呂リモコンはRC-7606S となり、台所リモコンは購入済である。

実際の稼働は、予期せぬ状況で、2021年10月初めとなった。
http://isabon.blogspot.com/2021/10/blog-post_8.html

2020年2月13日木曜日

終活の推進  年賀状の終了とか技術資料の放棄とか整理とか

年賀状を止める件は皆さんに葉書で連絡した。しかし、女房の関係はそのままになっている。で、女房に年賀状は自分でやれよ、と言ったのだが、結局は僕が住所印刷をやることになってしまった。困ったことだ。
それはともかく、更に終活を推進すべく、長い会社生活で集めた資料類の破棄を開始した。これを終えれば、各部屋の整理を推進する。
問題は、大阪の拠点の整理だ。いまだ処分する気にならない拠点だが、つねに終活を前提としながら維持すべきだろう。
それにしても、破棄を始めた技術資料は勿体ないことだと思う。日々の設計経過や実験でも集めた資料を含み、日本の技術としても重要な技術の一部が消え去ることになる。が、それは仕方がないことなのだ。恐らく、これは僕だけでは無くて、僕と同年代の技術者が同様に悲しく思うことでもある。
が、事務屋さんや、特に馬鹿な政治家にはかようなことは全く理解できないことだろう。連中は日本の技術力の低下を憂う、とか言っているが、技術力の低下に手を貸しているのが自分たちであることに気づいていないのだ。技術力なるものは日々の努力の積み重ねで作り上げられるものなので、教育で学べることでは無いのだ。そのような技術者が次々と消えてゆくわけだ。が、そのことに気づくことの無い今の政治家や事務屋にはどうしようもないのだ。20年頃前、そのような連中は、自分では何の技術も持たないのに、中国人がいくら頑張っても、日本人の技術には追い付けないと主張していた。中国人に技術のきっかけを与えれば、人口が10倍の中国人の中には多くの優秀な人材が輩出するだろうってことが理解できなかったのだ。そんな頭の悪い連中が日本の指導者の殆どだから、日本の退潮はいかんともし難いことなのだ。

2020年2月20日の日経に、このままだと日本はノーベル賞受賞が無くなると、技術・科学の人材の減少を憂いていた。が、しかし、文系の連中は理系の人間を馬鹿にしているのが日本の社会だ。だから、文系が頑張ればいいんだよ、と鼻で笑ってしまった。文学賞と平和賞で頑張りなよ、と声を掛けたい。

2020年2月10日月曜日

2020年春の畑

今年は暖冬で、今週後半(2月12日から)は、18度程度になる。早速、リーフレタスをジョイフル本田で270円で購入した。明日はまだ寒いが、畑を掘り返し、発酵途上に肥料を施す。透明カバーでのトンネルも準備する。等と考えたが、畑に直接の播種は、やはり無理だろう。暖かい場所でのポット植で育てることにする。過去には、ポット育てでも、今まで2月、3月の播種で成功したことは無い。
種が惜しいので、2月・3月の播種は見送る、とも思った。
ニンジンについては、プロたちは播種をしていて、黒マルチで密閉度の高いトンネルを採用している。ニンジンの植え替えは無理だが、リーフレタスの植え替えは可能だ。今年は、ポット播種はあきらめて、リーフレタスで、小さな密閉トンネルで試してみることにする。
タマネギは黒マルチをしなかったのであまり調子は良くない。風の遮りよりも黒マルチの方が効果的なようだ。(しまったことに、今年は、風の遮りだけを施した)

ところでジャガイモは、10日ほど前、1月後半にロイヤルに行った時にジャガイモ種を売っていたので、買って種出しを行っている。2月後半に雨後に黒マルチをして種植えを行う。2月13日午前中は雨が降ったが、午後には天気になってしまった。

2019年の記録では、3月20日頃には発芽したニンジン・レタスの密閉カバーを外して、雨除け防虫カバーとしている。また、ジャガイモも植えている。すべて、防寒黒マルチを施している。従って、2月末頃から黒マルチでの植付、ニンジン・レタスは更に防寒透明トンネルとしよう。3月大阪に出発前にはイチゴへの追肥を終えて、4月12日頃から、農業会館でナス・ピーマン・きゅうり等の株を購入して、防寒黒マルチ・透明カバートンネルで植付けを予定する。

2月16日は降雨だったので、2月18日に黒マルチを設けた。レタスを少々播種して、透明カバーで密閉したが、天気の様子を見てもっと大々的に、レタスと人参の播種を行う。また、イチゴへの追肥を計画する。

2月25日にイモを半切りにして乾燥さて、27日午前中に黒マルチに穴をあけた。なお種イモは、早く買い過ぎたのか元気が無いので、更に1kgを追加した。小さいサイズなので、半切りにせず、発芽も待たずに植付ける。
イモの数は50個程度か
 
 
 
北側から1列目 手前はたまねぎで除草土寄せを行った。
 1列目奥、ジャガイモ 黒マルチに穴あけ
穴は、3列目と合わせて43口 
 1列目 最奥 いちご
2列目手前から、グリンピース(土寄せと除草済) 
手前から、ねぎ、春菊、野らぼう菜 
 グリンピース2枠、でその向こうは、ニンジン後をごみ穴にしている。
ニンジンは、つい最近まで育った。間引きして時間をかけると、とても大きくなった。
 3列目、手前からキャベツ、ブロッコリ、じゃがいも黒マルチ
ブロッコリー、黒マルチ、タマネギ
ブロッコリーは暖冬のせいか、冬から2月迄よく取れた。
 ジャガイモ黒マルチ、たまねぎ
 タマネギ・ニンニク
 4列目 手前、レタスの試し播種、黒マルチは、ニンジン・レタスなどを予定
その向こうは、キャベツとブロッコリー
キャベツ、ブロッコリーで、網掛け春キャベツ
今年は、キャベツが夜盗虫に無茶苦茶やられた。 
 網掛け春キャベツ
29日には、黒マルチでニンジン、レタス、ホウレンソウを播種した。ホウレンソウは冷蔵庫で芽出しを終えた物である。
今年はかなり暖かい。
3月20日には、ブロッコリーは全て整理して、ノラボウナの収穫も始めていて、ニンジン・ホウレンソウ・レタスは、黒マルチ+透明トンネルで芽はでている。直ぐに乾燥するので、毎日、水やりをしている。更に、ブロッコリー、芽出しホウレンソウをカバー無し地撒きも始めた。ミニトマト・ナガナス・中玉トマトをポット播種して、生協の大型ポリ袋でカバーした。
3月24日
暖かいのでインゲン類を播種した。(発芽温度20度)が、風が寒いので、古い透明カバーを直接上に敷き、保温をもくろんだ。

2020年2月6日木曜日

住友重機械工業 田村純子さん と 日納義郎さん

コロナウイルス騒動で忘れ去られたが、この人のことは1項目を与えるべきだろう。
いや一人だけでは無くて、日納義郎のことも記すべきだろう。
ところで、田村純子のことだが、彼女自体よりもその周囲の連中の馬鹿さ加減に注目が与えられるべきだ。恐らく、10億を超える金を、ただひとりの女社員、それも、日々をこなすはずの事務職員に横領されるって、どんな会社なのだろうか。周囲の社員は完全に馬鹿にされてるってことだろう。それとも、周囲の社員もおこぼれに預かっていたので黙っていたのだろうか。

実は、僕はその住友重機械で働いていて、おおよそ20年前、田村純子が組合専従となった時期に首を切られた。僕は就職してからずっとプロジェクトを担当して、どのプロジェクトも黒字を達成した。それどころか、多大な利益を上げ続けた。首になった時でさえ、自衛隊の弾薬保管倉庫、印刷局の紙保管倉庫や、日本ハムの冷凍倉庫、それに横須賀市の資源ごみ処理場自動倉庫とか、そのそれぞれが、世界で最初の設備であるとか、自動倉庫部でも初めて納める設備であるとかで、しかも、自動倉庫部に転籍されてからも利益を上げ続けていた。それにも拘わらず55歳になったからと肩を叩かれて、それどころか、自己都合退社として退職金の優遇制度も無いままに首を切られたのだ。
ちょうどそのころから、田村純子さんは同じ会社の、組合専従なんぞと利益を上げることも無い職場に行き、横領を続け始めたわけで、10億なんて莫大な金を使いまくっていて、しかも、そのことを誰一人として咎めることなく、僕が引退してからも働き続けたと言うか、浪費しまくっていたわけだ。
当時、多くの社員が首切りでは僕と同様の扱いを受けたのだが、その結果として浮いた金の多くを田村純子さんが使いまくっていたわけだ。ある意味で痛快でもあるが・・・・。
現在、本件の状況を見ると、ほぼ誰一人として責任を取ることもなく全ては終えて、彼女は、数年を服役するか、それとも、服役をすることもなく、いずれにしても、年金をもらいながら残りの人生を過ごすことになるのだろう。
そんなわけで、田村純子にも腹が立つが、それ以上に、僕が働いた利益を無駄使いした住友重機械には余計に腹が立つのだ。
特に、当時無差別に首切りを始めた、社長の日納義郎って野郎には本当に腹が立つのだ。しかも、こいつが僕と同じ大学の造船科出身で、恐らく、浦和造船所に入社して、住友重機械の一部門の、結局は破たんした製缶鉄工所の製造課を経て、そこでは、ろくに成果もあげることもなかったが、住友重機械の引きで出世して、ついには社長になり、首切りに邁進した野郎であることを追記しておく。腹が立って当然と思うのだがいかがでしょうか。
ところで、僕の肩を叩いたのが、その直前に、運搬機営業から物流システムにぽっと移り、物流システムの事を何も知らない筒井ってセンター長で、これが昼食に行こうとする僕を引き留めて、「やめてもらいたい」と言ったのだ。そもそも僕がいかなる仕事をやっているか、いかなる成果を上げているかも知らず、それを調べもしないで、更にはかような重要な事柄は、普通は会議室できちんと話すとかじゃないのだろうか。
昼飯途上の、しかも何の優遇条件も無しでの退職勧告である。更には、こいつは僕と同じ高校の先輩である。
かような事情で、僕の高校にも大学にも、ろくな同輩・先輩は居ないと思ったものである。
それゆえに、高校・大学の同窓会には出席しないことにしている。勿論、住友重機械のOB会にも出席の気持ちはさらさらない。
ところで、当時僕が入札準備をしていた仕事は、担当の僕が居なくなって、逸注してしまった。ざまぁ見ろである。他方僕は、環境事業部の外注として働き、10億から20億の仕事を次々と受注したのだ。その最中に、僕の首を切った筒井が僕が受注した施設の下請けをしたいと訪れた。外注を務める僕にはそんなことを決める権限もなく、話だけは聞いたが、その後なんとか環境施設事業部から受注したようだ。
それはともかく、かように頑張って受注し続けたのだが、そんな利益の多くも、田村純子さんの餌食になったわけだ。10億って利益を上げるって、それほど重い金額なのだが、何のために頑張って働き続けたのだろうか。利益を上げようが上げまいが、僕の扱いには何の変りもなかったってことだ。

でもまぁ、安倍の桜の会とか、それ以前の森加計問題にしても、安倍におもんねる官僚たちの情けない姿を考えれば、かような問題はたいしたことではないのかもしれない。

それと、日納義郎さんについて更に一言いうと、彼は先述の様に、製缶・鉄工工場に配属されたが、結局は、その工場の再建は果たさず潰してしまったのだが、むしろ当時の社長が,TQCにのめりこみ、日納は、そのTQCに熱中することで認められた。住友重機械は、かなり昔から、TQCのごとき管理手法にのめり込む傾向があり、日納義郎はTQCの失敗にも拘わらず、シックスシグマなる新手法にのめり込んだ。ところが、管理手法では会社を立て直すことはできず、結局は、首切りで生き延びたのだ。管理手法に熱中する経営者とは、自分で経営手腕を発揮できない経営者の逃げ道で、能力の無い社長が生まれるたびに、次々と新しい手法にのめり込むが、結局は何の成果を上げることが出来ないのだ。要するに、無能な経営者がのめり込むのが、管理手法ってことなのだ。住友重機械は何度も何度も新しい管理手法が導入されるのだが、どれも全く成果はなく、その最たる会社と言えるだろう。
恐らく、管理手法と言うものは、その適応範囲は極めて狭いもので、発想力のある人であれば、むしろ、自由に発想を延ばす方が意味があるもので、発想力の無い人は、かような方法に縋りつくようだ。

考え方を変えると、少なくとも住友重機械に関しては、シックスシグマも含めて、歴代に採用されてきた管理手法のことごとくは、ほぼ時間と金の無駄使いであったと断言できるだろう。で、社員としてはこれをどう利用すべきだが、日納義郎の利用の仕方が参考になるだろう。会社全体が時間と金を無駄使いしようがしまいが、社員個人個人にはどうでも良いことで、それを自分の出世にどう利用するかが重要なのだ。一生懸命にやっていると思わせて、人脈を作ることこそが重要なのだ。
管理手法の各部門責任者も、これを一生懸命にやっても認められるとは限らない。むしろ、管理手法を真面目にやっていると思わせながら、直接上司よりも更に上の管理職に、出来る奴と思わせることが重要なのだ。どうせ、管理手法が成功することは無く、またも忘れ去られてテーマは新しいことに移って行く。それを前提に、いかに出世に利用するか、だけのことである。
管理手法を真剣に遣ると本来の仕事ができない、等と考えてはならない。管理手法を自分で遣らずに他の人間を確保すればよいだけのことなのだ。それが成功する可能性は少ないのだから、その成否に拘ってはならない。やっていると見せて、人脈つくりに励む。それが、出来る人間ってことなのだ。