2017年3月31日金曜日

単独または夫婦でのアドリア海周遊計画

Milanoに降りて、ドロミテ渓谷をボルツアーノからコルチナ・ダンベッツオまで横断する。
下の路線バスルートは下記だが、これは地球の歩き方に示す観光ルートではないようだ。。
https://www.rome2rio.com/s/Bolzano/Cortina-d-Ampezzo
http://www.sad.it/intro.php
地球の歩き方で推奨するのは、北ルートだが、もっと小回りらしい。
https://www.tripadvisor.com/ShowTopic-g187857-i1992-k3824755-Bus_Service_in_the_Dolomites-Bolzano_Province_of_South_Tyrol_Trentino_Alto_Adige.html
紹介されているMartinReisen社(Tour会社)がまだ有るか否かを調べねばならない。
地球の歩き方には、SAD社他のバスが、上記ルートを運行しているようだ。
なお、Cortinadampezzoは素晴らしい街らしい。
CortinaDampezzoからはバス・電車でVenezia経由でも、直行でもUdineに行けるようだ。
後はバスでアドリア海の東岸を南下できる。
Ferryとしては、下記を調べれば良い。
http://www.croatiaferries.com/ferry-ports.htm
http://www.jadrolinija.hr/en/about-us/ships/ferries
ただ、ギリシャのCorfへはBariからのルートしかないよだ。
http://ferries-booking.com/ferry-routes/ferries-to-greece/bari-corfu/
さて、Corfuまで行くかどうかだが。
どうせなら、ギリシャのパトラまで行き、そこから列車でアテネまで行ける。
帰路は、BariまでFerryで帰り、BariからMilanoへ列車で帰る。できればイタリヤ東岸を北上したいのだが。しかし、イタリヤ半島の靴の底を回るルートも捨てがたい。帰路の途中で、Cazertaにも寄れる。
http://www.trenitalia.com/tcom-en

先ずはUdineから、列車かバスでクロアチアに入ることになる。列車で行くならポストイナ駅で降りて、ポストイナ鍾乳洞と洞窟城まで行く運賃無料シャトルバスが一日5回運行しているらしい。駅には荷物預かりがある。最寄り駅から5kmのシュコツイアン鍾乳洞にも駅からバスが出ている。

道筋からすると、列車でRijekaまで行き、そこからバスでSenjに行き、プリトヴィッツエ湖群を観光する。Senjまでのバスは有るようだ。ここにはバス停の位置まで書いている。
https://www.autotrans.hr/en-us/choose-your-journey
http://www.buscroatia.com/routes-search/?dSn=Ljubljana+%28SI%29&aSn=Rijeka+%28HR%29&d=06%2F08%2F2017&dS=2222&aS=1124
https://www.autotrans.hr/hr-hr/bus-rijeka-senj
https://getbybus.com/en/stations-form
ところが、SenjからPlitvickaへのバスは無く、RijekaからPlitvickaはある。7:00発で4時間らしい。
http://www.buscroatia.com/routes-search/?dSn=Rijeka+%28HR%29&aSn=Plitvice+Lakes+%28HR%29&d=05%2F11%2F2017&dS=1124&aS=998
ところが帰路が無く、Zadarに行く便が多い。従って、Zadarまで行ってそこから日帰り観光もありうる。Zadarが周辺観光の拠点のようだ。なお、バス所要時間は、2時間弱と、Rijekaからより遥かに近い。ZadarからSplitまでは、3時間、更にDubrovnilまで4時間程度だ。
dubrovnikからは、コトル、モスタルを観光することになる。

ところで、貸農園で作業をしながら、近くの畑の金子さんと話をしていて、「東南アジアなら、一週間から10日なら5万円で行けます。航空運賃は2万円ちょっとですよ」と話すと、金子さんは「航空機は最低ビジネスクラスですね」と答えた。「へ~、すごいな」と思った。
今日、娘の言うには、「大阪人は安く買ったことを自慢するが、東京の人は高い買い物をしたことを自慢する」とのことだ。なるほどなぁ~、と感心した。

2017年3月30日木曜日

親戚引き連れてスイスの滞在旅の計画

実は、2017年2月6日~18日に、親戚一同でスリランカを訪れた。我が夫婦は昨年に続き2度目だが、とても楽しかった。ただ、この旅では、negombo、bentota、kandyのそれぞれで3rooms mansionを使い、とても経済的に旅行したが、そのmansion間はminibus taxiを使った。taxi料金を5人で分担すると、とても安く、恐らく列車旅行と同費用程度で移動できたのだが、それだけに移動時のハプニングは少なかった。しかし、拠点からの移動(negombo⇔colombo、bentoda⇔galle、kandy⇔NuwalaElla、kandy⇔Sigiria)は、路線バスを使い、それも交通費はいずれも片道100円レベルであった。また前回は行かなかった象の孤児院もバスで往復した。などと、総費用、1人当たり10万円程度での、とても愉快な旅ではあったが、内容的には前回のスリランカ旅行と同様なので記述しない。
さて、次回の旅をどうするかであるが、いろんなプランを考えることにして、先ずはスイス旅行はどうかとシミレーションしてみる。当然、いかに安くするかも重要な要素だ。

航空便は、ZurichInより、MilanoInが安いようだ。宿はイタリヤ側が確実に安い。これらを前提にスイス滞在計画をする。なお、鉄道地図はこれで調べる。
https://www.raileurope.com/europe-travel-guide/italy/map.html?country_origin=JP
Milanoからだと、Mont-blancoに行くには、北西部のAostaに列車で行き、車でCoumayeurを経由してChamonixに行くことになる。
http://www.trenitalia.com/tcom-en
https://www.lefrecce.it/B2CWeb/search.do?parameter=searchOutputViewer&cFID=021sPVg5BrOF
これで調べると3.5時間、30EUR程度である。
なお、MontBlancoのエギーユ・デ・ミディからイタリヤ側へのロープウエーは、Entrevesまでつながっている。恐らく、ここへの拠点はCourmayeurだろう。CourmayeurはChamonixへのトンネルバスの拠点でもある。Milanoからの列車の終点はPre' Saint Didier なのだが、Aostaから先は運行していないようである。 したがって、AostaからはバスでCourmayeurに行くことになる。
https://www.tripadvisor.com/ShowTopic-g187865-i3013-k1416057-Bus_from_Aosta_to_Courmayeur-Courmayeur_Valle_d_Aosta.html
ここで見ると、 Courmayeurまで列車が有るとのことだが、夏季だけかもしれない。
https://www.rome2rio.com/s/Aosta/Courmayeur
176番のバスらしい。ところで、Aostaにも素敵な山があり、モンブランとは別のロープウエーが通っている。Aostaを拠点とするのも、Aosta⇒CourtMayeurがバスで1時間だから、考慮すべきだろう。
Aostaの3部屋Apartmentは一晩$65ドルていどでって本当だろうか。3晩だと$316らしい。
https://www.tripadvisor.com/RentalPropertyManager-a_manager.471378
https://www.tripadvisor.com/VRACSearch?flexOutMonth=&pid=32340&searchCurrency=USD&inDay=3&inMonth=07%2F2017&geo=187863&sortOrderingId=269&flexInMonth=&flexOutDay=&flexStayLength=0&flexSelectedDays=&sleeps=2%2C10&isFlexible=false&searchAll=false&condosOffset=-1&flexInDay=&outMonth=07%2F2017&o=&token=2ea3b935223bad73f7e71607857f8fdc&bedrooms=3%2C30&checkIn=++7%2F3%2F2017++&childGeos=0%2C1%2C2&zfc=&checkOut=++7%2F10%2F2017++&outDay=10
3roomsApartmentなら、イタリヤ側に拘らないでよいかどうかも調べる必要がありそうだ。

Milanoからだと、シンプロントンネルを通って、Brig⇒Zermattのルートもある。このルートは鉄道でも行ける。約2時間だ。Brigを拠点にすれば、Mont Blancにも行ける。Apartmentを調べたが、もういっぱいなのか良いのが出てこない。Brigには3部屋物がないのかもです。
イタリア側の駅は、Domodossolaで、Milanoからは1.5時間だ。なお、DomodossolaからYungFrau頂上まで4~5時間かかるので、日帰りはぎりぎり出来るかなと思える。
https://www.tripadvisor.com/VRACSearch?flexOutMonth=&distance=5&pid=32340&searchCurrency=USD&inDay=5&nearbyGeos=0%2C1%2C2%2C3%2C4%2C5%2C6&inMonth=06%2F2018&geo=681250&sortOrderingId=269&flexInMonth=&flexOutDay=&flexStayLength=0&flexSelectedDays=&sleeps=5%2C10&isFlexible=false&searchAll=false&condosOffset=-1&flexInDay=&outMonth=06%2F2018&o=&token=c42aa022a57e70a0a8440f72c9efcf4e&checkIn=6%2F5%2F2018&zfc=&checkOut=6%2F8%2F2018&outDay=8

https://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-s1-g681250-d1170023-Reviews-Hotel_Eurossola-Domodossola_Province_of_Verbano_Cusio_Ossola_Piedmont.html

べルニナ峠には、MilanoからTiranoに行く。2.5時間かかる。
https://www.tripadvisor.com.au/PricefinderPopunder
ドロミテに行くには、MilamoからBolzano Bozenに行く。3時間かかる。良さそうな施設がいっぱいだ。
https://www.tripadvisor.com/VRACSearch?flexOutMonth=&pid=32340&searchCurrency=USD&inDay=5&inMonth=06%2F2018&geo=187857&sortOrderingId=269&flexInMonth=&flexOutDay=&flexStayLength=0&flexSelectedDays=&sleeps=5%2C10&isFlexible=false&searchAll=false&condosOffset=-1&flexInDay=&outMonth=06%2F2018&o=&token=1039b8f72650646ea572aa1fab217f6b&bedrooms=3%2C30&checkIn=++6%2F5%2F2018++&zfc=&checkOut=++6%2F8%2F2018++&outDay=8

イタリア列車の予約方法はここにあり。
http://etravel.ciao.jp/travel/2017/04/05/italy_railway/
スイス鉄道の予約方法は十分な解説は無いが、
https://www.sbb.ch/en/travelcards-and-tickets/buying-options/online.html
http://www.geocities.jp/rail73way/ZanySwiss.htm

スイスの切符を、半額カード無しで安く半額で買える方法があった。
https://ameblo.jp/happyeripi/entry-11342494229.html
http://liliki.net/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AB%E5%89%B2%E5%BC%95%E4%BE%A1%E6%A0%BC%E3%81%A7%E4%B9%97%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95

さて、スケジュールをどうするか。と、その後検討を中断していたが、

10月13日に、たまたまExpediaを使い、2018年5月で調べると、中国国際航空のMilano便が安くなっていた。大阪発で52,700円で、成田便は5000円程度高い。僕は5月末に大阪に行くので、ついでに大阪発に乗ることにして、航空便を購入した。なお、直接購入の場合も調べたら、倍程度となっていた。親戚5人で、263,700円とべらぼうに安いのを得たが、問題は、スイスはまだ寒くてハイキングは出来ないだろうってことだ。でも、まぁいいや。これで旅行計画を進める。
ただし、スイスの天候、特に、モンブランは天候が悪く、モンブランを対象外とし、北イタリアを含めることで計画を推進する。
10月14日に、特にスイスの宿を調べたが、特に拠点をどこに置くかと考えた。で、最初はtripadviser、次いでBooking.comを調べ、BrigからVispの線を更に西に行ったところで、ここが安くて良さそうに思えた。
https://www.booking.com/searchresults.ja.html?aid=813846;label=yahooja-bookings-naam-Ca72x9ZsLQIFtz2lk0NqyQ-103818205617;sid=84049f8e262293b9ac2453a2c5acd663;checkin=2018-05-25;checkout=2018-05-29;city=-2553972;highlighted_hotels=2060039;hlrd=with_av;keep_landing=1;redirected=1;source=hotel&room1=A,;room2=A,A,;room3=A,A,;#tab-main
が、評価が英語のが無く、他に無いかと調べると、宣伝の動画が有り、古びているように思えた。
https://www.youtube.com/watch?v=BesqDGLJ5hQ
そこで、更に調べ、VISPのちょっと西のRaronの駅近くにバンガローが有り、先のより高いが、2軒を4泊2室で5人=80,000円程度で借りることにした。
https://www.booking.com/hotel/ch/camping-santa-monica.ja.html?aid=813846;label=yahooja-bookings-naam-Ca72x9ZsLQIFtz2lk0NqyQ-103818205617;sid=4517c67de20ee252bb688c0aa86d01b8;all_sr_blocks=40338006_90401014_0_0_0;checkin=2018-05-25;checkout=2018-05-29;dest_id=-2553721;dest_type=city;dist=0;group_adults=2;hapos=1;highlighted_blocks=40338006_90401014_0_0_0;hpos=1;room1=A%2CA;sb_price_type=total;srepoch=1508116696;srfid=585933c1237606f8922c9fbef08a3f41e81ab22cX1;srpvid=a7f8092b4cf5031b;type=total;ucfs=1&
ここを拠点に、Yungfrauyoch、マッターホルンのZermatt、MontBlanc、を走り回り、イタリヤへの移動日は、氷河特急線、ベルニナ急行線を乗り継いで、Tiranoで一泊する。
3名峰を往復で行くのは、交通費が往復になり倍掛かるが、この時期はハイキングも出来そうにないから、かように走り回るのが妥当と思えた。
バンガローを予約終えると直ぐに、そこの予約を受付なくなった。奇妙な現象だ。

その後、Venezia、Bolognaを回り、Milanoに戻るとして、Veneziaへは、Raronから氷河特急線、ベルニナ急行線を通り、Tiranoで泊まるとした。TitanoはBooking.comとAirbnbを調べて、下記とした。
https://www.booking.com/hotel/it/corona-tirano.ja.html?aid=813846;label=yahooja-bookings-naam-Ca72x9ZsLQIFtz2lk0NqyQ-103818205617;sid=bfa0e9a55914ba8c170705952f268f51;all_sr_blocks=24219501_88055122_0_33_0;checkin=2018-05-25;checkout=2018-05-29;dest_id=-130803;dest_type=city;dist=0;group_adults=2;group_children=0;hapos=1;highlighted_blocks=24219501_88055122_0_33_0;hpos=1;no_rooms=1;room1=A%2CA;sb_price_type=total;srepoch=1508970357;srfid=776d27f30fd30a625cf9d363ee8eba0bc6856fc9X1;srpvid=2e7e9dbade5d004b;type=total;ucfs=1&#hotelTmpl
が、Tiranoのような田舎にしては、ちょっと高すぎる。(3室1泊で20,000円)
その後、夕食を追加したが、近くのベルニナホテルでの夕食を15EURで予約するとのことであった。(夕食後チェックしたら、そのTouristMenueは12Eurであり、コロナホテルがマージンを取っていたのだ)

Veneziaでは、Expediaで陸側のMestreにバンガローを見つけた。
https://www.ecvacanze.it/en/campsite/camping-in-town/jolly-camping-village?utm_source=tripadvisor&utm_medium=top_link_jolly

Bolognaでは、Airbnbで一軒家をみつけた。5人で宿泊だから、bathroomが2室が絶対条件となる。
Booking.comで見つけた一軒は、後からbathroomは一室だと言ってきた。恐らく、後から独自の客がコンタクトしてきたのだろう。ホテル検索サイトは一割以上の手数料を取るから、こんなこともあるのだ。
https://www.airbnb.jp/rooms/21078641?location=casa%20a%20bologna&tier_override=0&s=c7YwbHp9utm_source=tripadvisor&utm_medium=top_link_jolly
3泊で50,000円であった。

さて、列車の予約だが、スイス旅行では、半額カードか、スイストラベルパスのいずれが有利かを比較するのが通例だ。比較してみるとスイストラベルパスが僅かに安かったので、スイスパス4日間を購入した。ただ、Yungfrauへは登山鉄道は25%引きだから、切符を買わねばならない。スイスパスの場合にRaronからYungfrauへの購入の遣り方が判らないので、到着日に購入することにした。イタリア側の切符も先行購入した。
切符だけで5人分でスイス側165,000円、イタリア側85,000円で合計250,000円にもなった。

さて、準備をほぼ終えた5月17日に、枚方市役所保健衛生課の松尾さんから電話が有り、「民泊事業の届出を受け付けた。受付番号表を渡すが、市役所の来てください」とのことであり、5月21日に大阪に行くので伺いますとした。ちょうどスイス・イタリア旅行の途中に立ち寄ることになり、予定通りにことが進んでいる。
やりましたね!
 
その後、地球の歩き方で、中国国際航空で、北京、上海で4時間以上の乗継だと、ファーストクラスのラウンジを予約すれば無料で使えると判った。上海では7時間の乗継で、どうなることかと心配していたので、早速ウエブで予約した。が、実際には予約が成立していなかった。これを皮切りにして、今回の旅はトラブルが続出であった。嫌になっちゃう。
 
 では、旅にでましょう。
5月21日に成田を出て大阪拠点に4時頃着いた。直ぐに枚方市の保健衛生課に行った。松尾さんから届出番号書を受取り、それと、民泊ネットへの登録IDの提示書類を受け取った。民泊ネットを、実績報告書にそのまま使うとの方針らしい。その際、民泊ネットへのログインを設定して、ネット内で提出書類を作成・出力し、そこでログアウトすると、再度ログインは出来ないと話した。登録IDの提示書は別途提出とした。帰国後、民泊ネットに質問したところ、ログインIDは、メールアドレスの末尾に、.jj を付けたものとなるとのことで、確かに、それでログインが可能となった。
5月22日、23日を大阪拠点での、玉ねぎ収穫とサツマイモ植付け、庭木の剪定や雑草除草に費やした。
5月24日 12時頃に関空に到着し、中国国際空港の手荷物は5kg以内とのことで、通常は手荷物にする物の多くをスーツケースに入れた。Webチェックインができなかったので、チェックインの列に並び、荷物はスルーでミラノへ、搭乗券はミラノまで発券となった。今回はマッチ等が入っていると、点検との書類にサインさせられ、実は、自炊用マッチが一個入っているかと荷物内を調べたが直ぐにはみつからず、そのまま、チェックインを終えた。
上海へは、もう手馴れた旅である。ただ、東方航空とは異なり、国際航空では上海ではtransitのシステムが確立しておらず、その場しのぎの手順であった。なんとか、Transitを終えて、FirstClassのラウンジに行くと、登録がされていないとのことで、受付のパソコンを借りるなどして調べまくったが、どこにも受付の痕跡はなかった。ということで、FirstClassの経験は得られなかった。登録した時に、何の確認書類も出力されず、嫌な予感がしたのだが、やはり、中国相手では、常に確証が必要なのだ。座席指定では2度確認したが、ラウンジ予約では登録後の再確認、それも、少々時間を置いての電話確認が必要だったのだ。
空港のWifiは、携帯登録か、WifiMachineでの登録があるが、中国で有効な携帯は所有しないからWifiMachine登録なのだが、そのMachineが壊れていて、Wifiに接続できなかった。帰路の北京でもWifiMachineは破損していたことからすると、外人には出来るだけWifiを使わせない方針なのだろう。
ミラノマルペンサには30分も早く着き、後の列車予約も万全だと安心したが、そうは問屋が卸さなかった。僕の荷物だけが出てこなかった。生まれて初めて経験する「ロストバッゲージである。
マルペンサでBaggageClaimは、受取場からはかなり遠い。列車の予約があるので、殆ど走りながら行ったが、女房の荷物券との確認をしておらず、その点を確かめられて、再度受取場に戻り、今度は女房の荷物を転がしながらBaggageclaimに戻った。担当者は中年の美人の女性で、直ぐにどこかに電話し、荷物の鍵が必要と言う。いまどき鍵は無いだろうと、数字3桁を答えると、「ああ、***ロックね」と言い、「荷物が見つかれば送るので、宿はどこか」と聞く。旅程ノートを広げ、スイスのCampingSantaMonicaのページを示すと、campと言い、考えるような表情になった。次いで、その後の宿泊場所は・・・と言いかけると、いや、その先は不要だ、と答えた。
結局、荷物は2日後にCampinngSantaMonicaに着いたのだが、これらのことから、僕の荷物はマルペンサ空港で中身を調べるために留め置かれたと推定する。
荷物の中には、大きな包丁があり、これが引っかかったのだろう。宿に着いた荷物を開くと、預けたときに見つからなかったマッチ箱が、どまんなかに置いてあった。包丁は宿泊宿がCampingであり当然としても、文句を言わせないようにと考えたようだ。
結果としては、荷物を無料で送ってもらう形になったが、過去の情報では、ロストバッゲージは地球の反対側に誤輸送されているのが大半だから、恐らく、スイスからイタリアに戻ってからマルペンサ空港に行くべきだろうと、また、日本に帰ってからだと、どうすれば良いのだろうとか、あれこれ算段していた。また、下着は一替えと、防寒コートはあるので、スイス旅の途中で、少なくとも下着とかセーターを買うべきだろうとも考えた。ただ念のためにと、スイスの宿には2日目になってから、早朝出発で受付には人は居ないので、”空港からロストバッゲージについての連絡があるかもしれない” とのメモを扉に挟んでおいた。なお、BaggageClaimからは、状況問合せ先の電話番号とかWebアドレスを書いた書類ももらっていたが、急いでも意味ないだろうと放っておいた。一度だけ宿のWifiで指定アドレスを見たら、「調査中」と書かれていた。
が、なんと、メモを置いた、その日の夕方に宿に帰ってくると、宿のおかみさんが、「空港から電話があって、荷物を送るようにと返事したけど、よかったの?」と聞くから、「ありがとう。いつ着くのかな?」と聞いたら、「もう着いたからバンガロの前に置いといたよ」ってことで、僕は大声で「ばんざ~い」と叫んで本件は終了した。
肝心のスイスの旅だが、到着日のイタリア鉄道は先ず空港線で、これはミラノ中央駅まで13EURである。10:13発11:05着であった。ひとつ手前の駅にも、Milanoって書いていたので間違えて降りそうになり車掌に早く乗れと怒られた。どうやらその扉辺りにスリが居るのか、我々にかまっておれないとの様子であった。MiranoCentraleでは、数あるホームの向かって左端のホーム中頃だから、乗換には時間が掛かる。しかも、列車の到着が10分程度遅れてしまった。乗換列車は、Eurocity52で隣のホームなのだが、いったんホームの付根迄行き、2等車は先端のほうだから11:23発のぎりぎりになった。しかも、勝手ポーターが乗ってきて勝手に荷物を棚に起きだし、チップをやるはめになってしまった。列車は山間に入り、湖の横を抜けて、更に、狭い谷間を走り、ドモドッソラに着いた。ここまでは指定席だが、ここから先はスイス鉄道の自由席だ。ながいながいトンネルを抜けて、Brigに着いた。Vispに着き、乗換は隣のホームだった。目的地Raronは、鈍行で西へ一駅だ。
Vrigからは、北の山麓に山越えをする列車が見える。連結2両の田舎っぽい鉄道だ。Vrigからは、西のmartignyを経由してMontBlancoに行く線と、北の山をぶち抜いてSpiezに行く線に別れる。
RaronはMartibnyに行く方向で次の駅だ。そこからは、Yungfrau、Zermatt、Mont-Blancoのいずれにも行ける好位置となっている。
Raronでは、地下道を道路が横切り、乗客はここに降りて北に行けば住み心地の良さそうな街並みで、南に行くと小さな町と、その向こうが列車に平行な道路で、そこを越えると、スキー客用ケーブル、それに、CampingSantamonicaがある。所内にはレストランがあり、菓子類は置いているが、野菜とかの生鮮食品は駅からの道筋にある。バンガローを含めて自炊生活には十分な設備となっている。
Raron駅に着いた時に、地下道に皆を待たせて、北の街の方にSimを購入しようと行ったが、NET情報とは違い、SIMを売る店は見つからなかった。仕方が無いので、そのまま宿に行き先ずはチェックインとした。受付には若いロッテと称する親切な若いアルバイトと、オーナーと思われる熟年のやせた小母さんが居て、英語対応はロッテちゃんの担当であった。実際には小母ちゃんも充分に英語が喋れて、日曜日にはロッテちゃんはおらず、小母ちゃんが対応する。
4泊分2バンガローと、ベッドシツ等の借用料も含めての800スイスフラン(88,000円=4,400円/1人・泊)のカード支払いを終えて、デポジット100SFが必要と言う。現金が無いので、Cashingしてからとしたが、スイスから離れる時にSFをもらっても無意味だと、90EURとしてもらった。これなら、スイスを離れてイタリアに入れば使えることになる。荷物をバンガローに入れてから、宿のWifiで山の状態を調べると、どこも午後・夕刻は吹雪か雨となっている。午前中はモンブランは曇りで、ZermattとYungfrauは曇り、ときどき晴れとなっている。本当なら遠くのYungfrauを片付けてから、その後、近場に行けば、イタリアへの移動に備えてゆっくりできる。が、僕の荷物の中の食料が使えなくなったので、食料・それに僕の衣料も準備しなくてはならない、と、先ずは近くのZermattに行き、時間的余裕を得て、食料や僕の衣服の購入とした。が、実際には翌日は土曜日で、Zermattの食料店は殆どしまっていて、Raron駅の食料店だけが開いていた。また、なぜかSimはNet情報の1000円程度とは違い、3000円もするので、とても買う気にはならなかった。この状況はイタリアでも同様で、つまり、海外旅行者に有利なSimは空港以外ではなかなか手に入らないってことと思えた。
さて、本来の山の状況だが、出来るだけ早朝に行こうと、列車には 6時過ぎには乗ることにした。その効果があり、Zermattのマッターホルンは天候に恵まれた。帰路昼食は、たまたま通りがかった所に日本語の看板を見かけて、24Eurの定食とした。後で地球の歩き方にも掲載のwalliserkanneって店であった。量・味共に満足であった。Vispの駅で時間があったので、simを買おうとうろついたが土曜日で店は閉まっていた。そこで、翌日のYungfrau鉄道の切符を買うことにした。これが翌日のトラブルの発端だったのだが、どうしようもない経過であった。
 
 
 
 
 
 




2017年3月25日土曜日

2017 春の畑と、フェニキア人、そうして、秋の植付け

今年は春まで、キャベツ・ブロッコリ・ハクサイ・ホウレンソウが続き、ニンジンも僅かに収穫できた。
新農園が陽当り良いことと、それゆえ、冬の保温に努めたからである。保温も、完全密閉ではなくて、どちらかと言えば、ぼろぼろシートを使っている。だから、完全密閉タイプで、上から網で補強すれば、もっと良い収穫を得られたと思う。今年は是非そうしたいと思うのだが、早速、いもの植付けは保温が不足であったようだ。来年はもっと注意深くやる。

そのような事情で、今年は3月初めから、レタス、ピーマン、大根 ついで 小松菜・ナスの発泡スチロール保温でのポット目出しを行い、レタス、ピーマン、大根は、3月中旬から末にかけて畑への植え付けを行った。しかし、レタス・ダイコンは、そらまめの網カバーの内側に植えて、ピーマンだけを密閉としている。片手落ちだが面倒なのでそういうことになった。
今後は、トンネル支柱に、南側は新透明カバーで北側は旧透明(不透明になってる)でカバーして、上に網カバーを掛けることにする。ジャガイモは更に地面に黒マルチを加える。
そら豆とグリンピースも冬を越えたら、内側は支えで大きな網目の網でカバーし、外側南側に透明カバー+北側古いカバーとする。保温して早く育てれば、次の野菜を植えられるからだ。明日から早速実行する。
が、3月26日は雨で中止。3月27日に亘り雨らしい。
なお、庭の杏子が花を咲かせ、スモモもつぼみ状態だ。
今日は鍋にしようとの話が有り、畑に行くと、白菜がぐっと伸びて花を咲かせる寸前となっている。
もう春だ、と思った。が、鍋が大切なので、白菜をいっぱい持って帰った。それにまた寒さが戻ったようだ。が、この寒さが去ると春が訪れるとのことだ。
3月28日
今日は実に春らしい天気になった。畑に穴を掘り、家の生ごみや野菜の切れ端を埋めた。我が家では、生ごみは全て畑に埋めこむこと、それに、生ごみは重いので、焼却ごみに出す分は、重量的には我が家可燃ごみの1/3にもならない。つまり、我が家は究極のエコ生活をひていることになる。が、誰も褒めてくれない。
気候が余りにも良いので、午後は愛妻と散歩がてら図書館に行くことにした。図書館ではグレンEマーコウの「フェニキア人」を予約している。実はかってゲルハルト・ヘルムのフェニキア人旧版をて読んだことがあり、非常に感動した。最近になって図書館を調べたら、それは廃棄されていて、グレンEマーコウのフェニキア人を購入したらしい。amazonで調べると、ゲルハルト・ヘルムのフェニキア人には旧版と新版があり、いずれを購入すべきかと迷っている。旧版がとても安いのだ。とにかく、図書館にあるグレンEマーコウのフェニキア人を調べようと予約したのだ。
3月29日
本日も好天気だ。そら豆の畝の南側に、大根をポットから移植しているが、その続きに、ニンジンを播種した。
その後、グレンEマーコウのフェニキア人を読んだが、ゲルハルト・ヘルムのフェニキア人旧版が、フェニキア人時代の大きな流れを、広い範囲で解説していたのに比較して、グレンEマーコウのフェニキア人より細かい事象を解説している。相互に補完する著述なのだが、どちらかと言えば、初心者にはゲルハルト・ヘルムのフェニキア人旧版の方が、ギリシャ以前の歴史を知るには面白い。しかし、トルコの考古学博物館を見た記憶からすると、考古学博物館を訪れるにはグレンEマーコウのフェニキア人が参考になると思える。特に、フェニキア人がヘレニズム化する経過が興味深かった。その結果として、トルコ考古学博物館の石棺展示物はヘレニズム化した様式がほとんどなのだ。
午後は、来週は大阪に行くので、ミニトマトポット、ナスポット、小松菜ポットなどを、畑の密閉区画にポットごと移植する。
最も北側 手前から:玉ねぎ・じゃがいも・玉ねぎ
 
2列目:手前から、ネギとホウレンソウ・キャベツ・そら豆とダイコンとレタス
 
2列目 中央キャベツを見る 
 
2列目、そら豆を見る 
 
3列目 えんどう・密閉保温エリヤ・ブロッコリー 
 
4列目 いちご+カバー内ホウレンソウ、レタス+キャベツ、玉ねぎ

 

 
3列目:カバー内ブロッコリー、ごみ剪定枝埋め部 

 
3月30日 格好の好天気である。
ところで、僕は大きな旅を計画する。先ず第一はミラノからスロバニヤ経由でギリシャに行き、イタリアのタラントかバーリに亘り、シチリヤ経由でミラノだ。若しくはエジプトから周遊する方法もありかと思う。ミラノからのスイス滞在プランもありうる。マダカスカル周遊も捨てがたい。本気で計画しよう。
ところで、貸農園で作業をしながら、近くの畑の金子さんと話をしていて、「東南アジアなら、一週間から10日なら5万円で行けます。航空運賃は2万円ちょっとですよ」と話すと、金子さんは「航空機は最低ビジネスクラスですね」と答えた。「へ~、すごいな」と思った。
今日、娘の言うには、「大阪人は安く買ったことを自慢するが、東京の人は高い買い物をしたことを自慢する」とのことだ。なるほどなぁ~、と感心した。

さて、この掲示板だが、閲覧数が非常に多くなった。それも、ロシア人の閲覧が多いらしい。なんでなんだよ~?
 
3月31日~4月1日と寒波が戻った。
結局、播種は殆ど失敗であった。
4月14日に農業会館に行くと、水ナス・とうがらしの苗を、一株66円で売っていた。2株を買い、午後に、ジョイフルに行くと、ピーマン・黒陽ナガナスなどを一株55円で売っていた。ナガナス・ピーマンをそれぞれ4株購入した。翌日4月15日に農業会館に行くと、水ナスは売り切れで、ミニトマトを売っていたので、2株購入した。農業会館は若干高いが、株の育ちは極端に良い。
播種は4月半ば以降にするのが良さそうだ。
4月15日
心配したじゃがいもは全て芽が出た。確か3月20日頃の暖かさに吊られて2月末ごろから芽だししていたのを植えたのだが、目出しの効果は全くなかった。3月20日頃から芽だしして4月初めころに植えるのが良かったと思える。3月末になると値下げも期待できる。
4月16日
ジョイフルの苗を大きなポットに植え替えて、割りばしとかで支えを作った。今年買った苗は畑に余地がないのと、空いた場所も米ぬか発酵期なので、植え付け待機中となる。
結局、キュウリ4株、ナス6株、ピーマン6株、ミニトマト2株を購入し、ポットを入れ替えて、夜は家の中に入れて育てている。
4月23日
ナス、ミニトマト、ピーマン、オクラ、キュウリ、をポットに播種した。やり直しだ。
ただ前に播種した中で芽生えているのがあるのだが、ナス(ピーマンかな)だろうと思われる。トマト類は全滅だ。                 ポット播種 
                             購入苗
                   正体不明の(ナス?ピーマン?)のポット
 
 4月25日
早生のたまねぎは玉が大きくなっている。早生で早く植えたので成りが早いのだ。中生のは育ちが遅い。が、それが通常だろう。むしろ塔が立たなくて良いのだろう。
4月27日
昨夜はずっと雨が降った。おそらく玉ねぎが一回り大きくなっただろう。
朝からサツマイモの苗を得るためにジョイフルまで行ったが売り切れだった。皆さん早く買い過ぎるのだよ。と、がっかりしながら、農業会館へと回り道した。店頭には見当たらないので、売り場の人に聞くと、サツマイモは連休明けに売りだすが、予約できるとのこと。聞いてよかった。
そこで、みみちくも30本を予約した。連休明けの入荷なら、大阪に持参して、大阪拠点に植付けできる。それはともかく、長い徒歩の後に、ちゃんと成果が出てうれしかった。
4月28日
穏やかな晴れだ。午前中にミニトマトの苗を、1時間水に漬けた後に、断根、茎寝かせ方で植えた。午後はピーマンの大きな苗を植え付ける。
4月29日
今日も穏やかだ。ただ昨日も一時雨が突然襲ったので油断は禁物。
ナスの芽生えポットを畑に移し、ナス苗を昨日のミニトマトの前に移す。他に場所はあるが、連作障害を心配してかような狭苦しいプランとした。できるだけミニトマトの中間に植える。
ピーマンの小さな苗も畑に移そう。
購入しておいたオクラの苗、一株がしおれたので、これも畑に写した。
4月30日
ピーマンの残った小さなジョイフル苗を植える。キューリ苗が老化する前にグリンピース前に植えるかな。だが、調べるとグリンピースは元気いっぱいでキューリを植える隙間は無い。やはり、早生玉ねぎの収穫後しか無いようだ。
5月1日
早生玉ねぎを一部収穫して、そこに、キューリジョイフル苗を4株植えた。
早生玉ねぎを更に収穫して、ナスのジョイフル苗を植える。
4月23日にポット播種した、キューリの多くと、オクラの2~3株が芽生えた。約一週間だ。
4月23日ポット播種以前のポット播種分はナスばかりが芽生えたと思っていたが、畑に移したものの、その後の様子を見ると、ナスだろうか?と思えるような姿だ。注意深く観察する。
5月2日
どうしても、ピーマンとオクラの芽生えが悪く、ジョイフルで種を買い、ポット植えを行った。ミニトマトの芽生えも悪いが、これは既に植付けた分の挿枝で増やす。
植え付けの場所を確保すべく、早生玉ねぎの収穫を急いでいる。
5月3日
早生たまねぎを収穫し、キュウリ苗植えの前に、残っていたジョイフルナス苗を4株植えた。
これで、購入苗は全て植付けた。植付けを要するのは、芽生えたキュウリ苗だ。ポットに何個もの芽生えがあるので、仮植えして大きくなってから根切植をするのが良さそうだ。仮植えは、既に植えたキュウリ苗の並びとしよう。
5月4日
キューリ芽生え植付け。
5月5日
キューリ、ミニトマトに網付
5月6日
薄い液肥やり。










向こうはミニトマト、手前はナスと、リーフレタス播種苗
向こうが、キューリと播種から育ったキューリ芽生え、手前はナス
 
倒れている早生と実も出来ていない中性
ほら!ナスと思ったのに、ミニトマトの葉になってしまった。
 
 
5月8日
今年は雨が降らない。しかたがないので、水撒きを始めた。
農業会館で、大阪拠点に植えるサツマイモ(べにあずま)を30本(450円)にて購入し、新聞紙で巻いて、小さなバケツに水を僅かに入れて、そこに挿しておいた。
5月10日
昨夜から小雨だ。畑に播種すれば一気に芽生えたとは思うが、空き場所が全くないのが現状で残念だ。
5月13日は一日中降雨だった。
その後、5月16日に大阪に行き、25日に戻るまで、炎天が続いた。
5月26日は雨となり、中生玉ねぎが一気に膨らんだ。他方、そら豆は全て腐ってしまった。
そら豆はアミカバーすることは駄目な様だ。出来るだけ早く育てて、密生を防ぎ、新芽を早く切ることでアブラムシ被害を無くすことが重要なようだ。
播種分の芽生えも、ミニトマトを除いては、結局、5月半ばまでは難しいようだ。
大阪で4月に播種分は殆ど全滅だ。但し、冷蔵庫で一週間寝かせたホウレンソウだけはうまく出来ていたが虫害が激しかった。大阪でのさつまいも植付けはうまく出来た。
5月28日
玉ねぎの茎の倒れは不足だが、後がつかえているので、収穫に入った。明日は、既に芽生えたトウモロコシの植付けと、播種を行う。
キューリやミニトマトの苗の移植、僅かに出来たピーマン、ナスの移植を急ぎ、来週末の降雨前には、ピーマン、ナスの播種も行う。
5月29日
農業会館に行くと、ナスの大きな苗が65円で売っていた。4株を購入した。しかし、ピーマンの苗は農業会館でもジョイフル本田でも売っていなかった。
玉ねぎ収穫と、跡地の整地をかなり進めた。ナスの植え付け場所は確保した。
とうもろこし芽生え苗を植え付けた。暫く、水やりが大変だ。
5月30日
ナス苗、オクラ苗を植え、キュウ―リ育苗を移植、とうもろこし育苗の移植、トウモロコシ、オクラ、ピーマン、ナスの播種をしたが、余りにも陽光が強い。網をかけて遮光を試みた。この天候では播種は難しいようだ。
5月31日
土曜日雨の予定が早まって、明日(木)が雨となった。早めに、移植。播種を終えていてよかった。ただ、その後は10日間ほども雨が期待できないのが残念だ。
6月1日 雨は僅かであった。
6月2日 みずやりの効果が出て、とうもろこし、オクラは見事に芽生えた。特にとうもろこしは、説明書きでは播種時期が遅すぎるようなので、心配したが、立派に芽生えてくれた。
ピーマン、ナスの芽生えはまだだ。更に、本日キューリの播種も行った。
6月3日 もしやと、農業会館に行くと、ピーマン・ナス・キューリがそろっていた。もう種から育てるのにあくせくするのはやめよう。
6月3日 グリンピースは完全に整理した。支柱はそのままに、キューリ棚とミニトマト棚に利用する。株の空いた部分に、ピーマンも植える。
ナス・ピーマンの連作場所が判らなくなってしまった。
6月4日
キューリ苗、ピーマン苗ともに植付けた。ついでに、支柱前の空いた場所に、キューリ種を播種した。ブロッコリー、キャベツを収穫後が大きく空いた。整理して、インゲンを植える予定で、明後日から雨の可能性が有り、それまでにインゲンの播種をする。
6月8日
雨が全く降らない。撒いた種、キューリ、ナス、インゲン、が芽生えた。ニンジンが芽生えない。
やはり、5月半ば以降に播種するのが自然に合った播種のようだ。さもなくば、黒マルチでの保温、換気孔付透明カバーでの半密閉保温が必要なのだろう。にんじんだと2月播種さえ可能らしい。
6月22日 6月13日~6月21日は大阪であり、帰宅翌日漸く雨が降った。
6月23日 じゃがいもの収穫をしたが、小粒で会った。今年は、皆さんが小粒だと言っている
大阪に行っている間に、ポット撒きのカボチャが見事に芽生えていた。結局は季節が来ないと芽生えないと言うことが良く判った。季節が来ると簡単に芽生えるのだ。
6月24日
カボチャの苗を北側境界に植えて、境界柵には、キューリ、ミニトマト等の棚で育つ物を植え付けることにした。明日は雨らしいから、キューリ、ミニトマトの移植は夕方に行う。畑撒きで育ったナス、ピーマンの移植も同時に行う予定だ。
6月25日は、ありがたくも雨が降った。が、思いの外の弱い雨であった。
その後、7月20日頃まで全く雨が降らなかった。
なんとか一晩雨が降り、以後は、曇りがちの天気が続いている。
 
6月末の畑



 
 7月末の畑




イチゴの殆どは株分けと撤収を行い、雨の後でカバーをして水を逃がさないようにした。


8月7日
変な台風が来ることになって、夜から雨らしい。 そこで、秋植えの準備で、種々の種を買いに100均に行ったが、ついでにジョイフル本田に行った。じゃがいもを見つけたので早いかなと思ったが、1kg528円を購入した。品種はウエダとかなんとかで、アンデス産は方々の洪水の影響で入荷が無いとのことだ。
家に帰り、昨年の記録を見ると、イモの買付は8月1日頃で、8月15日頃には種々播種や植え付けをしている。ちょっと油断したようだ。早めに適時に播種、植付をすれば、早めに育つことは経験している。今年は、9月に大阪に行くので、そのこともあって、早め早めに段取りする。ただ昨年は早く植付けて乾燥で困った記憶がある。今年は8月20日頃の播種、ポット播種(植付けは9月5日頃)を目標とする。なお、春のジャガイモの芽だしだけで、25℃以下の陽光下で2~3週間掛かるらしい。今は気温が高いのでそれより短いが、8月20日まで2週間もない。あすから芽出しだ。今頃の直射日光は強すぎるだろう。明るい日影としよう。
夜になり、降雨が著しい。明日は、黒マルチで保水を行う。
8月12日 方針変更
ずっと曇りか雨が続いている。まるで梅雨だ。
8月20日頃から播種と考えたが、8月13日の雨が降らない曇天に、出来るだけ整地して播種することにした。地温が若干高くても良い育ちを期待できるのではないだろうか。
つまり、環境は年ごとに異なるので、それに合わせて野菜を育てねばならないのだろう、と考えた。
そこで先ずは少雨の中で、虫よけ網の洗濯を始めた。雨も汚れを落としてくれるだろう。
8月14日
曇天、パラパラ雨が続き、気温も30度に達しない日(27~28℃)が続きそうなので、播種を開始した。白菜はポット播種で、ニンジン、キャベツ、ブロッコリーを畑に撒いた。播種後に豪雨で種が流れないように防虫網でカバーした。
なお、毎日毎日、トレンチを掘り、庭の剪定雑草や剪定枝を投入し、上層に米ぬかを配り、降雨を待って、黒マルチをしているが、上記播種は、インゲン後なので、簡単に畝として石灰散布後に播種とした。
ジャガイモに黒マルチをすると、土寄せは出来ないが、地上に首を出したいもも陽光を浴びることが出来ず蒼くならないので、土寄せは不要となる。
しかし、秋ジャガの場合は、黒マルチで、残暑の暑さに加えてマルチのせいで、マルチ下は高温になり、イモが腐る可能性がある。他方、マルチをすれば、土寄せ不要の他に、雑草が生えないことに加えて、残暑後は保温効果で成長が促進されることになる。さてどうするか、である。
結論としては、曇天が8月19日まで続くので、その間に、マルチなしで植付けて、その後の気温上昇を考えて、黒マルチシートをトンネルとして日射を防ぐこととした。しかし、黒マルチで全面を覆うと雨水が降り込めない。だから、陽光側だけを避けるように覆うとする。(暑すぎるので待機とした)
8月16日
なんと、ポット撒きの白菜の芽がでた。今の時期や雨模様が好結果となった。が、畑撒きの分は、降り続く雨が弱雨とは言え、種が流された可能性がある。畑撒きは発芽率が極めて悪い。
8月25日
畑植えの種の発芽率は極めて悪く、ポット植えの白菜、キャベツを畑に移植した。8月の高温時は畑植えはしない方が良さそうだ。白菜、キャベツ、ブロッコリーは再度ポット植え撒きにした。
キューリ全株と、ミニトマト半分程度を撤去した。
明日から気温がやわらぐらしいので、ニンジンの追い撒き、ジャガイモの植付けを行う。また、春菊のポット撒きも行う。ホウレンソウ2陣を冷凍中なので、これも畑に播種する。
キューリは8月初にポット撒きすべきであった。そうすれば、3陣を植付できたのだ。
8月26日
ジャガイモを植え付けた。暑さが和らぐとのことなので、日除けはしていない。
8月31日
台風接近と秋雨前線の活動で、8月31日、9月1日は雨になった。ポット撒きの、キャベツ、白菜、を植付ておけば良かった。レタスの畑撒きもやっておけばよかった、と、久しぶりの雨に後悔しきりです。(雨の間を縫って実行。残るはポット春菊とポットレタスの植付け)
9月2日
昨年の記録では、大根は8月に畑に播種している。急いで、育ちの悪いナスとピーマンを引き抜いて場所を確保して大根を播種した。大根の生育温度は30℃以下らしいから、後は日照りを心配するだけだ。なお、嫌光性なので出直して培養土の細かいのを上に撒く。
9月8日
ダイコンの芽が僅かしかでない。確かめるとおととしの種だった。本日ダイソーにて購入して再播種とした。まいったまいった。
キャベツ、白菜、レタスをポットに追加播種した。
今日から大阪の予定が、春秋航空が欠航になり、明日に便を変更した。
9月20日~9月22日
帰東後、ミニトマトの整理を行い残渣は全て埋め、そこに、タマネギ播種、大蔵ダイコン2列、ニンジン1列を植えて、トンネル支柱で防虫網を掛けた。以前に植えて置いた、大根、ホウレンソウ、ニンジンをケアーして、発芽していない部分には再播種を行った。前のキャベツ、白菜の畝の、損傷した部分には、ポット播種しておいた分を穴埋めした。春菊は追加播種を行った。
残作業としては、キャベツ畝の整理とケアーをしなければならない。なお、畑でキャベツが一か所に複数生えている分と、キャベツのポット苗が残っているのの移植も考えねばならない。
来春用のキャベツの播種・そら豆のポット播種は10月に入ってからだ。
だが9月25日夜からの雨で、種が流されたのではないかと心配だ。








 
 10月20日
雨天が続くが、雨の途切れにソラマメ4株を畑に植えつけた。
昨年は、グリンピースは11月後半に植えつけたが、発芽状態が悪かった。今年は、11月半ばに植えつける。タマネギは、ロイヤルで予約分が、早生が11月11日、中生が11月18日だから、グリンピースも同時期になりそうだ。
降雨と寒さで、ナスは枯れ始めた。ピーマンも追って枯れるだろう。ジャガイモは病気のせいか茎、葉が腐りだした。晴れ間が見えれば、整理を始める。
10月24日
長雨と台風でジャガイモは散々に痛めつけられて、全ての葉を落としてしまった。漸く、太陽が戻ったので、試し掘りをしたが、小さなジャガイモしか取れなかった。仕方がないので明日から本格的に収穫する。ジャガイモも、若しかを考えて黒マルチをすべしって教訓だな。
10月27日
ジャガイモとナス、それに、オクラの跡地を整理して、玉ねぎとグリンピースの畝を作った。
米ぬかと石灰を撒いて、明日からの雨を十分に吸収させてから、黒マルチを被せる。
10月28日
雨の来る前に、せっかい散布した米ぬかと石灰が流されないように、スコップで溝を作った。
ついでに、ポットで育った白菜は植える場所が無く、放置している間に老化しそうになったので、
隙間を見つけて植付けた。どうなるだろうか。明日に掛けて台風が来る。
10月30日
漸く天気が回復したので、玉ねぎ用の畝にシートを掛けた。が、風が強くてはがれていた。
午後に手直し。
11月2日
ニンニクは玉ねぎと同時期と思っていたが、間違っていた。急いで10株を植えたのだが、そこは、生米ぬかを撒いた場所だった。が、ニンニクは玉が大きいので、米ぬかの発酵までは大丈夫だとして、そのままにした。
11月3日
グリンピース用支柱を建てた。そろそろピーマンも整理する時期かもしれない。
11月5日
待ちきれなくなって、グリンピースの播種をした。
11月9日
ピーマンを全て撤去し、残滓を埋設して、米ぬかを散布・攪拌した。
白菜苗の移植も含めて、グリンピースは増やし、11日に入手予定の早生タマネギ100本を植えて、残り苗の植付け場所を確保する。
11月10日
明日は玉ねぎ早生100本が入荷なので、既に黒マルチしたところに穴あけを行った。
11月11日に早生100本、11月18日に中生100本を植え付けた。風除けも設けた。
種から育てた苗はまだ小さい。
グリンピースの支柱や支持用網も設けた。
4本だけ植えたそら豆の芯も切った。春菊の冬用風除けも設けた。
これで今年やるべきは終えたようだ。いや、そら豆と、冬ダイコンの風除け作業を残している。
 
 
 

 
 
 

2017年3月22日水曜日

寒さを逃れて バンコク・アユタヤへ

バンコクもこれで2度目で、主として寒さ逃れにバンコクを選んだ。航空便は家から近い成田から容易に行けるところで、便代金は21,150円と、とても安かった。宿は当初は、バンコクDMKから直接アユタヤに列車で行こうと、いろいろ調べ、AyutayaのAdamPlaceなる宿を3泊選んだ。其の後はバンコクに戻り定宿とするSeaOfLoveMansionに宿泊とした。なお、AdamPlaceはBookingComで予約したので、支払は現地となる。
が、年末になりBookingComから連絡があり、「AdamPlaceには宿泊できなくなったので、下記のホテルに変更はいかがですか?高いホテルですが、差額は支払不要です」とのことである。TripAdviserを見ると、8月頃に泥棒騒ぎがあったようだ。それも、ホテルの関与を疑われている。これを見て、アユタヤに行くのが面倒になり、バンコク宿泊期間を長くすることにして、アユタヤには日帰りとした。ところで、3月末に至るも、BookingComはAdamPlaceを扱っていない。
DMKからのバンコク周遊はもう手馴れたもので、殆んど緊張感はない。
宿からプララーム9まで行き、南へは73番のバスでフアラボーンに行けるし、北へは136番のバスで、モーチット経由でモーチット・マイ(北バスターミナル)へと行ける。バスは渋滞に引っかかるが、とにかく安い。更にはマッカサンまで歩けば運河を使って市を横断できる。前回見逃した見所を殆ど回り歩いた。
今回特筆すべきは、クルンテープ駅の横に沿うクルン運河がチャオプラオ河とつながるところで、渡し船渡し船のシープラヤで対岸に渡り、ウオヌエインヤイ駅まで歩いたこと。発車する列車を目の前で見送ったが今回は乗車しなかった。次回は行こう。
また、クルン運河に新しく南北の運河船ができていることも確認した。船賃は20B(60円)と地下鉄並みであった。高いなあと思い、これには乗らず、中華街ヤオワラート通りを走る路線バス1番でワットポーまで行けることを確認した。なお、ワットポーの船乗り場N8が休止中で、対岸のワットアルンに移設されていた。
プラアーチットで船を降りて、砦を観光して、安宿街カオサンを通過してラーマ三世記念公園経由、東西運河船でマッカサン近くのasokまで行った。つまり、クルン運河の端から端までを、遠回りで移動したことになる。運賃としては、どのルートも同じだが、遠回りの方がずっと面白い。しかし、クルン運河を船で移動するのも面白そうだ。これも次回だ。

さてAyutaya観光だが、これも簡単だった。136番のバスでモーチットマイまで行き、バスターミナルに入ると入り口で小型バスの運転手に声掛けをされた。60B(180円)を支払い、30分程で十人程度の乗客が乗るとバスはいっぱいになり出発した。僕の後ろに中国人の若夫婦が座ったので、話をすると、旦那は中国北東部出身で、女房は香港出身だとのことで、今はドイツで働いている、とのことだ。
「失礼ですが、かなりのお年かと推察しますが」と言うので、年齢を言うと驚いていた。そもそも、なぜ、そんな歳に見えるのかと驚き、また、言った歳にも驚くのか、と不思議に思った。
途中、空港横で乗客ひとりを追加して2時間ほどでアユタヤのチャオプラム市場に着いた。ここからは徒歩で遺跡を歩きまわり、元に戻ってバスでモーチット・マイに着いた。モーチット・マイから、地下鉄のモーチットまでは2km程度だから容易に歩いて行ける。ってことで、なんなくAYUTAYA観光も終えた。なお、1月はAYUTAYA遺跡見学は無料でした。やっほ~!
少々、暑すぎではあるが、かように暑い中を歩きまわるって、日本の寒さを考えると天国であった。
やれやれ。
写真はここです。最初はAYUTAYAの光景であり、後半はバンコク周遊です。総額5万円程度でしたが、残っていた豪州ドルを使ったので、実質、航空運賃だけの旅行でした。https://photos.google.com/share/AF1QipOjQWLuWHNuWHEJdvy1K9dl2Oaeo-xJg370aTzGSi58QVVv1SkSVDnVzgYP8yqAXA?key=NnBRS3dLd2wySnQzdTNMQWdEN3J4VkZPNHZLYUx3

ところで、20バーツの地下鉄を節約して10バーツのバスや運河船に乗ることで、60円を30円節約しているのだが、これってどういう意味を持つのだろうか。金額的と言うよりは、何というか、街を冒険するってことなんだろうと思う。とにかく、楽しいのだ。


2017年3月18日土曜日

中谷玄洋様 追悼 (その2 自慢話及び愉快な思い出と共に)

僕が昭和43年に住友重機械に就職した時の、コンベヤ部部長であり入社早々の僕を信頼し、八戸長距離コンベヤ設備の設計を任せてくれた尊敬すべき上司である。でもなぜ信頼されたのかは良く判らないが、とにかく、文句を言われたことはない。
奥様も気力を失われたようで、氏が昨年亡くなられたにも拘わらず、本日訃報のハガキが届いた。96歳とのことだから天寿を十分に全うされたのだが、やはり誠に残念である。
氏は、福井県の出身で、就職後招集されて満州に配属された。航空機の整備将校として従事され、日本の敗北でソ連に抑留された。が、通常の抑留兵とは異なり、技術者として優遇されたらしい。抑留地は黒海沿岸で比較的温暖な地域で、建築物の設計に従事したとのことだ。今になって思うのだがもっとその時期のことを聞いておくべきだった。同様な後悔が亡くなった人ごとに生まれてしまうが、文字通り後悔先に立たずってことだ。

氏は、住友重機械の搬送事業部に所属していたが、その1部門であるベルトコンベヤ部を率いており、搬送事業部が新居浜に本拠をおくにも拘わらず、ベルトコンベヤ部だけは大阪に進出していた。僕が入社した頃、新入社員は全員が先ずは新居浜にて研修を受け、その後、所属を決められて各所に配属されるのだが、僕は研修中に肝炎を発病して故郷である大阪の住友病院に入院した。大阪に住友病院があることも知らなかったのに、なぜ大阪に帰ることを希望したのかも記憶はないが、2か月後退院した時には、配属先は僕自身の希望とは関係なく新居浜の搬送設備事業部となっていた。

退院後、新居浜の事務所で設計していると、当時搬送部の設計部長であった中谷さんが僕の机に来て、「大阪に行く気はないかね」と聞いたのだが、新居浜なる風土に合わないなと思っていた僕は、すぐさまこの招待に飛びついた。僕が大阪に移動してから後に、中谷さんは、コンベヤ部部長として大阪に転勤となったから、その後は中谷さんの部下として働くことになった。
なぜ、僕を大阪に選んだのかは不明で、これも聞くべきであった、と後悔している。

新居浜の搬送事業部は、営業・見積り・設計・管理・据付などなどの各セクションがそれぞれのセクションの仕事だけをするのだが、大阪コンベヤ部は、見積りから納入・費用管理までをプロジェクト的に処理する部で、つまり、何でも自分で遣るって部門で、実に効率的なセクションであった。が、この組織に慣れると、新居浜のようなセクショナリズムの部門では働けなくなってしまう。
が、僕は仕事に関しては面白い人生を送れたと喜んでいる。
僕の仕事の面白さは、ここにて自慢しているので理解されることと思う。
http://isabon.blogspot.jp/2013/02/blog-post_27.html

氏を心から尊敬するとともに、上記の点でも、中谷さんには心から感謝している。氏が居なければ、かように面白い人生は送れなかったであろうと考える。僕の人生で、心から尊敬する人であり、氏の逝去に関してこころからの哀悼の意を示したい。

ところで、氏は後継者としてXXって男を課長にした、と言うか、中谷部長の上からの圧力でそうせざるを得ない状況になったようで、XXは、中谷部長を飛ばしてその上にコンタクトするようで、ある時、この温厚な中谷部長が切れて、「XX君!君のことは全く信用できん!」と怒鳴り付ける場面があった。
中谷部長は退職後、関係会社の顧問として出ていかれたが、それから、このXX]は、僕を完全に苛めの対象とみなして、何事であろうと、難癖をつけるようになった。

が、課長であるから僕は仕事の報告をしなければならない。毎日報告すべきことはあるが、其の度にくだくだと難癖を付けられた。それも、わけのわからん難癖である。そこで、僕は特に機嫌が悪い月曜の朝一番を選び、この男が難癖をつけるような事項を全て次々と報告し、報告したあとは、沸騰状態で怒鳴りまくるXXの頭越しに、土佐堀川の風景を眺めて、XX氏のことは放っておくことにした。かくしてその後の1週間を好きなように過ごすことが出来た。ただ、製造セクションや外注に提出する製作図面には必ず課長印が必要なのだが、承認を得るべき図面にも意味不明の難癖をつけて課長印を押そうとしない。そのため、製作や据え付けなど、全ての工程が遅れそうになり、これを目的に課長印を押さないのだろうと推定できた。彼には僕への怒りの方が、製作遅れによる損害よりも大きな目的だったわけだ。そこで僕は、休日に出勤しては、何百枚、何千枚もの図面に、彼の課長印を押した。どうせ、何事かがあっても、彼が少しでも援助することは全く無く、全てを僕自身で解決しなければならないから、と割り切ったのだ。不思議にも彼は僕の戦略に全く気付かなかったので、結局、僕はいろんな仕事を、彼の援助は全くなし、どころか、彼の邪魔を排除しながら、自分だけで成功させ続けたわけだ。
かような事情もあって、休日出勤が続いたので、ついでに彼の引き出しを調べ、人事に提出される僕の人事考課表を見つけた。が、あれほどの仕事を成し遂げたのに、予想通り、僕の評価はとても低かった。が、こればかりはどう仕様もないことだ。ただ、彼が注力した敦賀セメント工場設備が大トラブル続きで、僕が担当した八戸長距離コンベヤプロジェクトの利益を大枚注込んだにも拘わらず、そんな評価であったことが腹立たしい。なお、この事実は、八戸と敦賀の双方の据付と原価管理を担当した宮崎さんから、「すまんねえ八戸の利益を敦賀のトラブル解消に使ってしまって」と、謝りながら教えられたことなので間違いはない。
なお、さような利益の敦賀案件への流用にも拘わらず、八戸案件は当時の事業部長から、なぜこんなに儲かったのだ、と叱責されるほどで、僕の直接の上司であった佐薙さんが、僕の頭を丸坊主にさせます、と謝ったとのことであった。この設備がもうかったのは、僅かな図面で大重量を出図できる設備であったことと、設計外注の設計者が、XX課長が担当する設備に総動員されたので、八戸案件には僅かな外注者だけしか与えられず、僕自身が必死に対応せざるを得ず、結果として節約できたのだ。
(なお、八戸長距離コンベヤを皮切りに、あれほど儲け続けたのに、僕を定年数年前に簡単に首を切り、しかも何の優遇もない首切りをした住重そのものが、もっと腹立たしい)

ある時、例の如く日曜出勤をして、XX課長の机の中に、当時僕が担当していた住金鹿島第3焼結設備の搬送装置群の、彼の想定する採算予算書を見つけた。その仕事の予算は隅から隅まで僕が管理しているのに、なぜ彼がその仕事の採算が判るのかと不思議に思った。数日後、その件の採算予算を出せと命令してきたので、3億程度の利益が出るとの予算書を提出した。それを見た途端に、彼は頭から、文字通り、蒸気を吹き出しながら、こんな利益が出る筈がないだろうと、怒鳴りまくり、再度見直せ、と怒鳴った。
衆人環視の中で怒鳴りまくるのと、何かと言えば、”マスタベーションは駄目だ” と言うのが彼の性癖であった。怒鳴りまくられてもどうってことは無いのだが、マスタベーションって発言にはどうしても慣れなかった。この言葉に慣れることができる人は先ず居ないと思うが。
翌日、彼の机の中にあった予算書程度の、低い利益に修正して提出すると、途端に、機嫌が良くなり、「そうだろ!こんなものだろう」と言いながら納得していた。何か月か後に、事業部管理部から、本件について僕の算定通りの高利益が連絡されて、今度は、「お前はどんな管理をしていたのだ」と怒鳴りまくった。なんとも、全く自分勝手な男だと思った。
以後、重要な仕事の間に、彼の思い付きの開発仕事が押し付けられたが、その仕事も含めて、彼は自分自身では、その仕事をどう推進すべきかが全く判らないようで、人が出した結果だけを批判するって仕事ぶりで、つまり、全く能力の無い、臆病な男であると結論した。住重にはかような男が多くいて、何故か、そのような男が出世する組織であったようだ。
その無意味な開発仕事を急かせ続けるので、無駄な仕事を延々と続けたが、基本として自分や部下の今後に役立つような資料つくりを優先して誤魔化した。その後、その努力は実際に報われたし、新しい仕事での基本的な技術ともなった。
福井市でふるさと再生にがんばっている加藤幹夫さん、あの時、一緒にXXに怒鳴りまくられてくれて有難う。君の資料つくりの方法や、出来上がった資料は本当に役立ったです。
http://www.kimamori.jp/index.html#id67

ただ僕としては、XXや、その後、東京で苛められた田中裕次郎(略称YY)のような上司に会うことで、何があっても自分の目的を貫くって手法を獲得した。つまり、かような上司は臆病で、いろんな問題の解決法をくだくだと考えて結論を出せないので、事態の改善が遅れて問題が大きくなり爆発してしまう。それを防ぐために、僕はかような上司の指示に従った行動、これをやらないと怒鳴りだすので、時間が無駄になるのだが、やる振りをして、それとは別に、自分なりの対策を同時に進めることで、問題を解決する手法を取った。結局は、事態を良く知っている僕自身の対策で、事態は爆発前に改善されるわけだ。
住友重機械では常にかように行動しないと、えらい損害が生じる事態に発展するのだ。が、上司の言う通り行動し大損害が生じても、それなりの金が掛かる対策も了承されるし、上司は言うことを聞く奴だと評価するので、事態が最悪であっても出世には関係ないのだ。実際にそのような事態を何度か見ている。
ところで、逆に言うなら、僕がいくら問題発生を抑え、利益を出しても評価されないってことになるわけだ。あほらしい。
問題発生を抑えたことは判らないでも、利益を出せば気づくのではないかと思うが、それも気付かれないのが社会組織なのだろう。いよいよあほらしい。

ところで、XXっておっさんだが、英語も喋れない僕を、僕が設計者であるにも拘わらずバングラデッシの、英国ホスターウイラー社肥料プロジェクトの搬送設備の据付指導責任者として派遣した。しかも、僕自身のプロジェクトでもない、更には、現地に行って判ったのだが、ろくでもない欠陥鉄工品だらけのプロジェクトに派遣されることになった。
実はこのプロジェクトの現地指導チーフとしては、僕と同期の鉄工部門の馬場さんが派遣されることになっていて、現地調査も終えていたのだが、彼は、新居浜が新しく受注したイラクの案件に派遣となり、その代替に僕が選ばれたのだ。新居浜の都合で指導員が替えられたこと、更に、その代役に現場経験の無い僕が選ばれたことに、輸出営業部長、この人は営業部の天皇と称されていて、住友重機械には、方々に天皇と呼ばれる我儘物があちこちにいたのだが、この天皇がえらく立腹して、僕への助力を全くしないと決めたらしく、僕が現地に初めて行くにも拘わらず、営業からは誰もついてこなかった。初めての海外旅行を、種々トラブりながら漸く現地に着いたのだが、仕事初めのプロジェクトミーティングでは、参加者、それも巨大プロジェクトの称号サー付きのTOPも交じってのミーチィングで、彼等が喋っている英語が全く理解できないところから始まった。が、何とか、一年で、いろんな問題を解決しながら無事据付を終え、そのプロジェクト内では最初の検収を得た会社として、しかもバックチャージ無しどころか、据付指導だけで2千万円もの利益を上げて帰国した。それ以来、XX氏は僕に対してとても紳士的になった。どうやら、僕がやろうと思えば何でもやり遂げるってことに気づいたようであった。
と、またまた自分の自慢話になってしまった。

ところで、本件、現地では残業残業で仕事をして、残業費は会社から会社に支払われたのだが、当時、世界のあちこちでの建設工事で大赤字となっていた搬送事業部は、僕の残業費の半分をその赤字補てんに入れてしまった。が、赤字を補てんした僕本人は評価されなかったってことだ。
でもまぁ、以降、バングラデッシは僕の得意な地域となり、更には米国や台湾の案件にも従事出来て、いろんな経験を得ることが出来たし、バングラデッシの経験から更に僕の視野は世界にと広まった。仕事を終えてからもその経験が僕の人生での重要な力となっている。それに、会社に入るまで挫折を知らず、しかも、しんどい事を避ける性癖のあった僕の心を強靭にしたのは、彼の苛めであることには間違いはない。であるからして、住重への恨みは残すが、XXへの恨みは完全に忘れ、愉快な思い出とすることにした。

話はかなり脱線したので「もと~い」⇒新居浜で、報告を言い直す時に、実際にこう叫ぶ上司が居た。確か村上さんって人の良い人であった。軍隊経験があるほどには年寄りではなかったから、多分、彼の学生時代の経験から来るものだろう。

中谷さんには仲人となってもらったし、その後、東京に転勤後、また、退職後も中谷さんのお宅を訪れては、お互いの状況報告をしていたが、数年以上前に、体調を悪くされたのか、訪問を断られ、年賀状もやめるとの書状が届いた。恐らくは奥様も体調が悪いのかなと推察し、気にはなりながら、年賀状は返信不要ですと出し続け、今回上記の訃報を得た。

かくして、僕は僕の人生の重要な指導者を失ってしまったのだ。
中谷さんのことをあれこれと思いだしながら、氏の冥福を祈ることにする。

追記:以上を記載して、僕はある男を思い出した。コンベヤ課に配属された時の同僚で、中筋さんって男がいた。仕事は優秀で真面目で人柄の良い愉快な男であった。彼は新居浜出身で、コンベヤ部への勤務後、新居浜の搬送に戻ったのだが、伝え聞く所では、上司(噂では、先述のYYとか)に苛められて自殺したとのことであった。もしそれが事実であるとすれば、あのような男を苛め殺すとはいかなる職場なのだろうか、と思う。
僕の人生のなかで、触れあい忘れ去られた彼についての記憶の断片をここに書き遺します。

なおYYについては、その当時の事業部長から直接聞いたのですが、事業部長に土下座して昇格を頼んだそうです。これから思うに、彼のような性格の人にとっては、XXもそうだったのでしょうが、会社の上下とは土下座する人間関係で成り立っているのでしょう。そうでない人間は排除されるべき存在だったのです。そのため、苛めを平気で出来るのです。彼等にとって人生とはそれほど厳しいものに違いありません。でも、中谷さんや僕にとってはそうではありません。二人にとって人生とはお互いに笑いあって生きて行くものだったのです。
ただ、実際のところ、例えば戦場とかで、生きるか死ぬかとなると、僕でも土下座も厭わないでしょう。そこまで考えを進めて行くと、人生とはどうあるべきか、それによって得られる成果、その成果が自分を満足させるのか否か、等々、そこまで考えざるを得ません。

とにかく、住友重機械で出世するって、なかなか大変なことなんです。そこでは、人間としてのプライドは放り捨てねばならないってことです。他方、シベリヤに抑留されるほどに命がけな経験をした、中谷さんは、人間としてのプライドを捨てず、それゆえに出世できなかったのですが、そのような中谷さんを僕は心から尊敬しているのです。



2017年3月16日木曜日

SIMフリー携帯の買い替え

2014年末に海外用SIMフリー携帯として、NokiaC2-01を9,000円で購入した。海外旅行では必須の物として活躍してくれた。
http://isabon.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html
また、ネット用、特に、自分の位置把握用にNECタブレットLaVieTab9inを26,000円で購入した。
http://isabon.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html
日本国内用として、通信用HanacellのJapanSim(受信無料、発信100円/回)と、ネット用 0Sim(500M/月まで無料で、以降100M毎に100円程度)で、ほぼ0円で運用している。

ところが、2017年2月にスリランカから帰ると、Nokia携帯の画面が割れていて、また、Hanacellが一方的に運用中止となった。新JapanSimで再契約させようとの意図である。所要費用は最初の契約料$39となった。それでも、国内でも殆ど電話しない僕には十分で、しかも、格安である。
そのような事情で、仕方なく、携帯と新JapanSimの購入とした。
携帯の調査だが、当初はやはりNokiaのガラケイを調べた。が、発売中止か若しくはとても高いって異常な状況であった。仕方なくスマホを調べた。なお、Hanacellの新JAPANSimは、使えるスマホの幅が広くなっている。
Nokiaの代替として、Xperia go st27i をYahooオークションで、5,000円+送料1,000円を購入して、新JapanSimも購入した。Nokiaのガラケイに比べても、とても安いです。
https://www.amazon.co.jp/SONY-Xperia-ST27i-%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF-SIM%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC/dp/B008HYWNLA/ref=sr_1_1?s=electronics&ie=UTF8&qid=1489642998&sr=1-1&keywords=SONY+Xperia+go+ST27i+%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF+SIM%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC
が、後から考えると、評価は悪いが、画面の大きな簡易スマホを買うべきだったかなと考えている。
それに、Xperia go st27iは古いので、タイル表示ではなくアイコン表示となっている。が、僕としてはアイコンの方に慣れているって、古いんだよな。
更に、Xperia go st27iは4G対応ではなく日本では古式となる。が、僕は大容量、高速は不要だ。また、XperiaのこのタイプはStandardSizeのSimを使えるので、東南アジアでは使い勝手が良い。
https://www.amazon.co.jp/FREETEL-%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB-SIM%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC-KATANA-01/dp/B018I3GG2G/ref=pd_lpo_107_bs_lp_t_2?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=C5J95NW0F6ZKMS0S65GK
そこで、FREETELLは、何かの折にご褒美として買うことにしよう。安い褒美だ。
Xperiaは、テザリングが出来るから、モバイルルーターとしても使えるのも有難い。但し、FREETELLの機種もテザリングは出来る。
とにかく、Xperia go st27i の使い方を勉強だ。
ネットで「Xperia go st27i 取扱説明書」と検索すれば簡単に手に入る。

Xperia端末の裏カバーを外すのに苦労したが、これは慣れるより仕方がない。裏カバーを外し、0simを差込んで設定しようとしたがうまくできない。スマホへの設定方法は0simのwebページに掲載されていた。
http://0sim.net/APN/apn-setting.html
ここでも暫く困ったが、いろいろ触っている間に、何故かNETにつながった。
JapanSimも到着し、携帯にセットした。こちらはデータ通信すると高額チャージされるので、APN設定はせず、セット後、即そのまま電話アイコンを押すと音声通信となった。但し、設置説明書にはAPN設定の方法は記載されている。この説明は、Sonyの説明より判りやすかった。初めからここを読めばよかった。

電話の設定では、設定で、Wifi=NO でその他設定⇒モバイルネットワーク⇒モバイルデータ通信=NO、ネットワークモードGSM/WCDMA(自動)ON  つまり、通信モードの設定が重要なようだ。

その後、データ通信SIM (0sim) を入れる場合は、APNのセットをしなくともNETにつながることが判った。その場合は、設定⇒その他の設定⇒モバイルネットワーク⇒モバイルデータ通信
でネットにつながる。が、hanasel simの場合は、モバイルデータ通信を無効にしないといけない。
ところで、この方法では通信がかなり遅いのだ。APNをセットするのが必要なのだろうか。
が、その後、判ったが、0sim は、速度容量が少ないので仕方がないのだ。

experiaに0simを直接入れて、設定で、データ使用を選ぶと、マップを使えるようにMAP設定するとMAPも使えるようになる。0simだと、当然、とても遅い。
設定で、その他の設定から、テザリングで、WI-FIテザリングを選べるし、WI-FIテザリング設定で、テザリングのピンコードも確認できる。つまり、experiaを受信・テザリングにして、タブレットのWIFI受信が可能になる。
これで、experiaだけでのwi-fi とかテザリングは出来たのだが、これに、ミニルーターAVOXを介在させるとWifiができないのだ。Avoxとの相性が悪いのだろうか。なお、家のADSLからのWifiは出来る。

2017年3月5日日曜日

ガス給湯器の設置 配管のDIY

大阪拠点のガス給湯器が凍結で損傷したこと、それに、八千代の自宅のIHの不調に際して、給湯予備機の設置が必要と感じたことから、先ずは、大阪拠点でガス給湯器の取替を行った。
なお、予備知識として配管用ネジについての資料を列記する。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~nejimats/kudayou.htm
http://www.geocities.jp/noguchichi/Rc.html
http://www.meguro-seiwa.com/shop/free_9_59.html
https://www.paloma.co.jp/support/faq/category.php?cat01_id=2&cat02_id=6&cat03_id=13
file:///C:/Users/isamu/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/WGZLIGTH/toshigas-catalog-2.pdf


給湯機はYahooオークションで、単純給湯器20号を1万円で入手した。なお、入手の季節により給湯器オークション価格が大きく変わるので安い時期に入手する必要がある。(夏前頃)
計画に際しては、既設の給水・給湯・ガス配管を注意深く確認することが必要です。更に取替給湯器の給水・給湯・ガス配管口のサイズを確認することも重要です。
例えば、我が大阪拠点の設置後状況を見ると、下記となった。既設配管サイズは全て15Aとなっている。給湯配管は銅管で16Aであり、給湯器継手15A(R1/2)にメス継手で接続し、銅管が溶着されている。つまり、給湯配管は取り外し不能となっている。給水系は、当初は全体が塩ビであったので、取り外しができなかった。これらの状況から、厳冬期にも水抜きできず、このために配管の破裂が生じたのだ。
最初の給湯器
2016年4月には、この写真の、向かって右側からの給水系が破裂していた。また、給湯系は給湯器内部からの漏水が生じていた。ガスは写真の最も左側から供給されていて、強化ガスホースを経由して供給している。
下の写真は、給水系の拡大図である。右に伸びる2本のゴムホースは、屋根上のソーラー給湯器への配管系で、現在は機能していない。
2016年4月に損傷が判り、急いでクラシアンに来てもらい修理した後の写真である。給水系ストップバルブの先の塩ビパイプを除去し、金属フレキに取り換えている。が、継手部からわずかに水漏れしている。(これは、金属フレキの配管ネジがGであるのに密封シールを巻いたが、Gネジには必ず必要なパッキンを入れてなかったとの、クラシアンのミスである)


2017年2月末に、この写真の向かって左側に中古給湯器を取り付けた。

中古給湯器として20号を購入したが、設置後に確認すると16号であった。

以前の給湯配管は、銅管(溶着)で、給水は塩ビ配管であった。が、先述のように、冬季の寒さで、給水系塩ビ配管は損傷し、給湯系の排水不良で、本体の配管に損傷が生じた。そのため、今回は塩ビ配管、銅管を除去して、ポリ架橋配管を取り付けた。

また、クラシアンの改修と同様に、給湯系も、根元をフレキ配管(300mmで300~400円)にして、冬季の排水が容易に行えるようにした。
なお、フレキは基本的に、配管ネジはG(平行ネジ)またはPj(小さめテーパネジ)だから、パッキンを使わないと、シールでは水漏れを止めにくい。Gネジの部品をRネジ継手と繋ぐときは、フレキ用継手(R+Pj または R+G)を介在させるのが望ましい。なお、Rネジ同士の場合は、シールを丁寧にかませれば水漏れを生じることはない。逆に、シールを丁寧にかませても水漏れが生じる時には、ネジ仕様を確認しなければならない。
給湯・給水のメイン管には、取り換え容易なように、ポリ樹脂管(300円/m)を使い両端には、オンダのダブルロック継手(Rネジ)を使った。本継手は、配管側がフリーに回転できるので機器への取付・取り外しは簡単にできる。また、配管に付属のインサートを入れて、配管を継手に根元までグイっと差込めばそれで水漏れは生じない。本継手は800円と高価だが、それだけの価値はある代物だ。
なお、本継手には、ネジ側については、オス、メス、Rネジ、Gねじ、Pjネジなど種々あるので購入に注意しましょう。
また銅管・塩ビ管の切断には、100円ショップで金切ノコを購入した。銅管の継手には、銅管用火無し継手を使った。いわゆる、ソロバン継手と称されるもので、切断した銅管を、電気工事ニップルとやすりで切り口を調整し、継手内部のソロバンに差し込むことで簡単に締結できた。
配管部品購入で特に注意を要するのは、配管サイズが13A、15A、1/2、が同一サイズであること。配管ネジの、R、G、Pj を確認すること。銅管は16Aであること、などが重要だ。
またフレキ配管の袋ねじの構造とパッキンの必要性を把握することが必要だ。今回は、フレキ配管の袋ネジの構造を理解せずに外そうとして、解放時に間違ったナット部を把握し、フレキ部分を強制的に回すことになってしまい、フレキ部分を痛めてしまった。

さて問題はガス配管だ。
ガス配管では、13A以上の場合には、機器と元管の間は強化ガスホースを使うのが一般的だ。
強化ガスホースは一般的には、片側は、回転フリーな袋ネジで、他方(反対側)はオスネジとなっているのが通常で、元管側とは、ガスホース付属の回転フリーな袋ナットで繋ぎ、機器側には、ガス機器継手を別に準備して、これを介して機器に接続する。
この継手の袋ナット側も回転フリーとなっているので、結局、配管後は、強化ホースの両端ともに回転フリーとして安全性を高めていることになる。なお、機器との繋ぎ継手に両端とも回転フリーな継手を使うこともある。その場合、ガスホースラインには、回転フリーな部分が3か所もあることになる。我が家のガスホースラインも、機器側に、ストップバルブ付き両側フリーの継手を用いているので、そうなっている。
強化ガスホースの繋ぎ替えには、袋ナットの構造を理解して行えば容易に繋ぎ替えは出来る。
なお、継手ネジ部にはガス用シール液を使い、ネジを十分に締めた後、ガス漏れをシャンプー液で確認することが必要だ。
この配管系統でも、ネジの仕様を確認しつつ機器の購入をしなければならない。
またガス用シールには、都市ガス用G1 と 都市ガス・LPガス用G2がある。LPガスは圧力が高いので、シールを硬化させる必要があるのだ。が、これを都市ガス用に使うと、後での取り外しが困難になるようだ。G1の方が安いので買い間違いは少ないと思うが一応。

僕の場合は、ホースが長すぎた嫌いがあるので、適切な長さのホースを手に入れて取り換える予定だ。
取付を終えて、給湯器の銘板を見ると、20号(RUX-A2011W-E2010年製)を購入したのに実品は16号(PH-163EWL2012製)となっている。要するに騙されたのだが、文句を言うには遅すぎる。そこで、予備に20号を5,700円(GQ-2039W2015年製)+2,700円(リモートRC-7606M)を購入した。いずれ既取付品と取り換えて、16号は予備とする。また、八千代市の自宅にはエコキュートの予備として20号の給湯器を手配する。

ところで、大阪から帰り、緊急用給湯器の計画中に、ヤフーオークションで機器接続ガス栓を見て、ガス栓を数個落札した。家に着いたガス栓を触っていると、本当に心が落ち着く。特に回転自由な部分には感動してしまう。回転部分は、高精度のはめあい軸受になっていて、回転させると固いのは固いのだが、実にスムーズに回転する。そのはめ合いはガスも通さないはめあいになっているのだ。オンダのダブルロック継手にも感動する。
やはり僕は、かような機械部品が一番すきなようだ。

ところで、ガス強化ガスホースの継手は2重ナットになっていて、他方、給湯・給水フレキの継手は1枚ナットになっている。この理由が良く判らなかったのだが、ふと気づいたが、ガスホース用継手は、配管締結後に、2重ナットを相互に締める、つまり、両ナット面を締め付けるように締めれば、ナットの自然緩みを防げるようになっているのだ。また、そのような構造だから、漏れ止め(シール)は水配管とは異なり、ホース側ナットとホースの間にひとつ、ナットとナットの間に一か所の、2か所に必要となり、それゆえに、シール方式が種々あるのだ。従って、この締結を緩めるには、ホース側のナットを緩め側に回し、ナット同士の締りを緩めてから、ホースと反対側のナットを緩める。つまり、先ずはナット同士間を緩めて、ナットが回り易い状態にして、この緩め方を少しずつ繰り返せば良いことになる。つまり、ナット同士のシールが金属フレアの場合には、ナット間の隙間を大きくしてしまうと、金属フレアが変形してシール能力が落ちる恐れがあり、これを防ぐ緩め方が必要ってことだ。
なお、本件については、自宅でのエコキュート故障時対策としての給湯器設置(別記)に際して、既設強化ガスホースを外す際に気付いたのだが、先述の様に、ガス配管用強化ガスホース(ガス用フレキ)では、水配管用フレキとは違い2重ナットが多い。その際、ホース側のナットはホースとの機密を保つようになっていて、外側のナットは、ホース側ナットと外側ナット間の機密を保てるようになっている。その為に金属フレア方式が採用されているとも言える。且つ、両ナットを締めることでナットのゆるみを防止できるわけだ。このダブルナットは、ガスが漏れると問題が大きいとして採用されているものだろう。なぜなら、漏れる性向は水の方が強いからだ。水、湯が僅かに漏れても問題は少ないと考えられるからだろう。
 
オンダのジョイントについては、下記を連絡受けている。つまり、水・給湯配管の接合は容易に出来るってことだ。
「弊社ダブルロックジョイントは、樹脂管(架橋ポリエチレン管、ポリブテン管)との接続後も樹脂管との接続部は回転可能です。」