2021年6月25日金曜日

立花隆さんの作品

 立花さんが亡くなり、図書館の検索を見ると、彼の作品名が僕の好みに合うことを知り、何冊も借りた。

①死はこわくない。 死ねば人間はごみになる。
これは、以前の全身麻酔の経験から、僕の考えと全く同じだと思う。要するに死は暗闇のシャッターが落ちるようなものだと思う。
②がん 生と死の謎に挑む
要するに、がんは細胞の遺伝子に異常が生じ、無限に増殖することで生じる病気で、これを完全にせん滅することは不可能だ、と記述している。ただ、自分や親族ががんにかかった時に、何を知り、どう対処するかの参考として重要な一冊だ。余りにも恐ろしい内容だが、死は怖くないと一緒に読めばよい。
③宇宙究極の謎
暗黒物質・暗黒エレルギー等を含めての宇宙の成立ちから現状での把握状況が示されている。が、宇宙がいかに出来たかとの観点は全くない。
④生、死、臨死体験
あまり興味はない。
 

2021年6月21日月曜日

コロナワクチンの有効期間が一年だって、突然、言いだした。

 従来は半年って話が、突然、1年って本当? 
インフルエンザワクチンが6か月程度なのに、コロナワクチンは有効期間が1年だなんて突然言われても・・・・。
この報道を、どこのマスコミも批判することなく報道している。マスコミも何を考えているのだろう。思うに、インフルエンザワクチンが一年に一回だから、その連想で思ったのだろうが、インフルエンザは夏季には発症しないってことを考えないから、そうなるのだ。だから1年との連想は間違っているのだ。

、新型コロナワクチン後の効果「1年は持つ」河野行革相 
12歳以上は夏休み中の接種求める

2021年6月20日 11時41分
河野太郎行革相

河野太郎行革相

 河野太郎行政改革担当相は20日の日本テレビ番組で、新型コロナウイルスワクチンに関し、夏休みを利用して12歳以上の児童、生徒への接種を進める考えを表明した。「子どもたちや学生には夏休み中に打ってもらいたい」と述べた。ワクチンは米ファイザー製に続き、米モデルナ製も12歳以上に対象を拡大する国内手続きが進んでいる。
 ワクチンの有効期間は「ファイザー製もモデルナ製も1年は持つ」との見解を説明。英政府などが検討している3回目の接種の必要性については、2回目を終えてから1年後のデータを分析して判断すべきだとした。
 12歳以上の接種により「2学期から心配せず学校に行ける状況にできたらいい」と期待。近く文部科学省が方針を示すと明らかにした。
 番組出演者から、女性がコロナワクチンを接種すると不妊につながる恐れがうわさされていると指摘され「全部デマだ。不妊になるワクチンは今まで一つもなく、科学的に説明していく」と全面的に否定した。 (共同)

2021年6月20日日曜日

就職氷河時代と退職氷河時代

 就職氷河時代の人々のことがマスコミの報道に出ることは有るが、退職氷河時代の我々のことは、既に無視されている。この時代は、小泉政権、竹中平蔵下での実質首切り自由で始まった。企業が勝手に中年者を首切りできる時代に入り、そこから退職氷河時代が始まった。僕もその退職氷河時代の一人で、まともな面接も無く退職を告げられて、まともな退職送別会も無く放り出されてしまった。幸いなことに、僕は、持つ技術力で他の事業部の外注として働くことができた。そのため、元の事業部とは同じビルの別の階で働いていて、放り出してきた仕事や、ややこしい仕事のことで、元の事業部の営業から応援を求められたことも有ったが、全て断り、元の事業部に対して冷淡だな、と言われて、何を言ってるのだろうかと不思議に思った。僕の場合はまだしも、当時の最先端の技術者は、中国、韓国、台湾に彼等の技術を持って出て行ったわけだが、それが、今の産業体制となっていて、日本の技術力がもう駄目になったわけだ。日本の企業は、社員の技術力を蓄積することもなく、その技術を持つ人間達を放り出したのだから当然の結果だろう。当時の政治・会社の指導者たちは、己の指導力に有り得ないほどの自信を持っていて、技術力は社内に蓄積されていると誤解していたわけだ。実際は、地道に働き技術を自分自身に蓄積してきた技術者たちの頭に入っていて、その頭脳を持つ技術者たちを海外に流出したことになる。
この辺りの事情を、日本の政治家や評論家は気づいていないし、そもそも、日本の企業はスぺシアリストを冷遇してジェネラリストが幅を利かせているから、企業のトップも気づいておらず、日本の技術力低下の真の原因を理解できていない。彼等は、日本の技術力の低下を嘆いているが、そのそもそもの原因が、技術力つまりスペシャリスト達を冷遇してきた自分達にあるとは気づいていないのだ。
僕の勤めていた会社でも、その事情は明らかで、上に評価され昇って行くのは要領の良い、上に従順なジェネラリストばかりであった。彼等は客先との打ち合わせや技術課題の処理でさえ自分一人ではできない能力の持ち主が多かった。言い換えると要領よく出世して、人に指図する立場にならねば仕事をまともにできないってことだ。そうして彼等は事あるごとに、日本の科学技術と教育を改革せねば、と大声で唱えるが、どうすべきかの発想は全く思いつかない。日本の会社の実力とは概ねそんな所だろう。
例えば、IT担当大臣は、電通出身であるだけで、別にIT技術に長けているわけではない。そんな人物がIT担当大臣になるなら、日本のIT技術はいびつな形になるだけのことだ。オリンピック選手のコロナコントロールソフト(選手の入退出管理)だけで78億の費用が必要との異常さを、そもそも看過できず、機能を大幅に下げても、その費用削減効果を脅しで得る等と、まともな査定ができない担当大臣では何の意味が有るのだろうか。プログラムの内容、プログラム数などで十分に査定出来る筈なのに、結局は38億とかのべらぼうな金額に落ち着くとか、それを指示できない人間がIT担当大臣とか、日本はもう全く駄目だ、と思う。

外貨を全て整理したのだが、先日は外貨高との記事だったが、ドル以外は暴落だ。

 ところが、今日の記事では資源高が大々的に掲載されている。
米国の金利上げを速めるとの報道でドル以外は急落だが、はて、どちらに行くのか。

資源、高まる供給リスク 高値長期化も
チャートは語る

鉱物資源などの国際商品価格が2020年半ばから急上昇している。需要の急回復に加えて鉱山操業や物流の停滞が足元の需給を逼迫させた。短期的な要因が資源高をけん引するが、上昇は一過性にとどまらないとの見方も出ている。投資抑制や脱炭素をにらんだ需要増といった中長期の構造要因がある。

銅は20年6月上旬比で7割高、原油は2倍――。国際商品の総合的な値動きを示すロイター・コアコモディティーCRB指数は急ピッチで上昇し、6月11日には約6年ぶりの高値の212台を付けた。

短期的には中国や米欧を中心とした資源需要の急回復や、新型コロナウイルスの影響で海運などの物流や鉱山操業が停滞して需給が逼迫した。銅の在庫は5年前比で6割減少し、ニッケルも4割減った。在庫が減少した商品ほど価格は上昇している。

急騰を警戒した中国政府は5月に銅や鉄鉱石などの取引規制を強化。投機的なマネーの撤退で相場が調整する場面もある。それでも中長期の価格は需給が左右する。「需給は引き締まっており、相場は高止まりする」(みずほ銀行金融市場部の能見真行調査役)との見方がある。

中長期の需給を見渡すと、投資不足に伴う供給面の制約がある。資源開発大手は過去の過剰投資の反動で設備投資を絞った。新興国の需要拡大で資源高が続いた00年代に増産投資を進めたが、金融危機後の資源バブル崩壊で生産能力の余剰があらわになり、新規投資を削減した。豪英BHPグループ、英豪リオ・ティントなど大手8社の16~20年の設備投資額は1566億ドルと、11~15年の3035億ドルからほぼ半減した。

その結果、金、銀、銅の生産上位5カ国の合計生産量は16年をピークに減少している。住友商事グローバルリサーチの本間隆行氏は「鉱山開発には10年程度の期間を要し、投資縮小は長期の供給制約につながる」と指摘する。

原油も投資が減っている。大手資源商社トラフィグラのジェレミー・ウィアー会長兼最高経営責任者(CEO)は「5年前に年間4000億ドルだった(原油掘削向けの)資本支出が1000億ドルに減少した。供給懸念が長期の価格上昇要因になる」と話す。

温暖化ガス排出量を実質ゼロにするカーボンニュートラルに向けた各国の動きが新たな制約を生んでいる。「ウッドショック」と呼ぶ価格高騰を招いた木材。世界の製材供給地、カナダの森林伐採量が減少した。18年は74万8000ヘクタールで、1995~05年の平均100万ヘクタールを下回る。

カナダの森林では二酸化炭素(CO2)吸収量が低下し、各州政府が伐採量の管理を厳しくした。「林業会社に割り当てる年間許容伐採量は年々減っている」(カナダ林産業審議会のショーン・ローラー日本代表)という。

カーボンニュートラルの潮流は、素材の需要シフトも巻き起こす。銅やニッケルなどの鉱物資源は電気自動車(EV)に使う。国際エネルギー機関(IEA)は標準シナリオで、クリーンエネルギー技術向けの40年の総鉱物需要が20年の2倍になるとみる。

需給の長期的な逼迫をにらんで台頭するのが、鉱物資源を抱える発展途上国を中心とした資源ナショナリズムだ。チリでは5月、銅のロイヤルティーに関する大幅な増税案を可決した。自国の鉱物資源を囲い込み、国内に利益を還元しようとしている。

商品価格は幅広い物価に波及し、供給制約は米国などの物価上昇の持続性に影響する。一方、銅などの供給不足が続けば脱炭素化の思わぬ障害になりかねない。

(コモディティーエディター 浜美佐、堀尾宗正 グラフィックス 天野由衣)

▼国際商品 品質が規格化・標準化されており、国際市場で大量に取引される商品を指す。伝統的には原油などのエネルギー、小麦などの穀物、金属といった有形の商品が対象だったが、近年は電力や温暖化ガスの排出枠なども含めることがある。一般に野菜など自国での消費が中心で貯蔵性が低い生鮮品は含まない。市場では現物だけでなく、将来の価格を取引する先物も売買される。
市場の主要な参加者は商品の生産者や需要家、商社のトレーダーに加え、機関投資家やヘッジファンドなど。個人投資家も上場投資信託(ETF)などを通じて売買する例が増えている。世界の商品取引所の売買高は6年間で2倍超になった。
国際商品の価格は、実体経済を反映する需要と供給のバランスや在庫コスト、為替・金利などの金融環境、投資マネーの流入・流出の影響を受ける。原油や金などの先物取引の価格から算出する国際商品指数の「ロイター・コアコモディティーCRB指数」は、世界の物価や景気動向の指標としても使われている。
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2021年6月15日火曜日

スリランカ旅行記

 僕に取っては2度目のスリランカ旅行を義理の兄弟姉妹たちと行った。以下は義弟が書いた旅行記だ。
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スリランカ 13 日間 (1)
 帰国して 13日になる。今書かないと感動を忘れてしまいそうで重い腰を上げた。 ただ最初に断っておく。この旅は某君隊長率いる合計 5 名で行う個人旅行である。南イタ リアから、ネパールやマレーシアなどに続く6回目で、隊員は3姉妹(茂子、里美、由美) と私だ。いずれも隊長個人の企画兼ガイドによるもので、旅行会社が行うツアー旅行とは大 きく異なる。その特徴は費用を大変抑えたケチケチ旅行にある。その代り思いもよらぬハプ ニングの連続で、呆れたり、怒ったり、喜んだり・・・の珍道中だ。観光地の説明はガイドブッ クに任せるとして、その様々な出来事を中心に書いてみたい。 さらに一つ付け加えておくと、隊長は決してケチでも貧乏でもない。大阪の鉄工所経営の裕 福な家に生まれたボンだし、大学院まで出た優秀な機械のエンジニアだった方である。要 は無駄使いをしない倹約家なのです。

1 日目は関空を飛び立ってスリランカの宿に着くまで、すべてが移動日だ。 往復運賃が4万7千円と安いチケットは、いずれも上海乗り継ぎの中国東方航空である。 その分、上海での乗り継ぎにはいつもながら戸惑う。下手をすれば中国国内に入国しかね ないからだ。場数を踏んだ隊長の後に金魚の糞で続く。ただトランスファーの中国係員の愛 想のなさと言ったらひどいものだ。座ったまま無言であごをしゃくって「あっち」と指示する。 これは帰路の場合も同じで、この国のお国柄だろうか? それよりひどかったのが機内のスチュアデスである。食事の時「ビール!」というと、テー ブルに無言でドンとおいて終わりだ。食事終わって「コーヒー・プリーズ!」と言っても、「ナッ シング」の一言。結局中国東方航空にはコーヒーサービスはないらしい。 さらにスリランカ到着直前に見たスチュアデスの態度にはただ唖然とした。既に着陸態勢 でスチュアデスも椅子に座っている。その彼女が靴を脱ぎ、足を投げ出し前方のドアを蹴る しぐさを繰り返す。手持ち無沙汰とは言え、我々の見ている眼の前である。とても日本の航 空会社では考えられない。どんな教育をしているのかしらん? スリランカの入国はいとも簡単で拍子抜けだ。その一番が国内で苦労して入手したビザを 全く見なかったことだ。ネットでわかりにくい英語と格闘した挙句、一人 35 ドルも払ったのだ。 キチンと見て欲しかったなあ。 結局1 日目は我が家を出発してからスリランカで寝床につくまでの 20 時間以上、私は一 睡もすることがなかった。いきなり真冬から真夏の国に来て、クーラーをかけ蚊帳を張った 部屋で爆睡するのに時間はかからなかった。ただ、お陰で喉を傷め、その後数日は咳を伴 う風邪に悩まされることになる。

 2 日目からいよいよスリランカ観光で、まずは首都コロンボだ。
 乗合バスを降りたところは、いきなり広大な青空市場でその雑踏の中をかき分け、駅に向 かう。目指すはコロンボ・フォート駅である。列車に乗るのではない。何日か後のキャンディ からの茶畑観光列車の切符を買うためだ。ところがすべてが売り切れだ。人気があるのか、 観光会社が買い占めたのかわからないが、隊長早くも大誤算で頭を抱える。 仕方なく海岸へりまで歩く。灼けるような太陽の光で暑いし、排気ガスだろうかもやって匂 う。またそこでは中国の建設会社が大掛かりな湾岸工事を行っていた。今世界中で中国の 進出が著しいが、このスリランカにしてしかりだ。かなりあくどいやり方らしい。 ここからはツクツク(オート三輪車)に乗り、コロンボ国立博物館に向かったが、ここで早く もこの国の持つ貧富の格差を思い知った。15分ばかりのツクツク代は1台200ルピー。日本 円にして 150円程度だ。隊長は乗る前運ちゃんが「300!」といえば「いや髙い。200!」と値 切ったのだ。私的に言えば、炎天下を楽に移動して、一人60円程度、「超安い」という感覚だ ったのに・・・。ところがその後の昼食、博物館併設の喫茶店で軽くサンドイッチを食べたが、 5人で1360ルピー。高い。しかも「サンドイッチ食べるのにコーヒーないと食べられないよ!」 と注文すると一杯300 ルピーという。先ほどのツクツクの料金が信じられない。結局注文し たのは私と茂子ちゃんの 2 人だけで、後の 3 人は持参のポットのお湯を飲んでいた。 高々300ルピーというなかれ。このくらい細々したところで節約したからこそ、トータル1人 10 万近くの費用でおさまったのだ、と言われればグーの音も出ないが、早くも隊長の厳しい 節約令に少し反抗した 2 人でした。 更に初日にして驚いたのが、この国の乗合バスの様子だ。スリランカの宿泊3拠点間の 移動は事前に予約したタクシーを利用したが、宿泊拠点から日帰り観光はすべてこの乗合 バスの利用である。今回の旅でも合計10 数回使った。 決して日本のバスのように綺麗ではない。背もたれは禿げ破れたものが多い。ただ、そ れは気にならない。問題は目一杯超満席状態で、前方仏陀のピカピカなイルミネーションに 合わせるようにボリューム一杯の音楽である。私は i-pad を聴いていたので気にならなかっ たが、女性隊員は耳を塞いでいた。また驚いたのは途中乗客でない人物が乗り込んできた ことだ。いきなり太鼓を叩いて歌いだす。勿論演奏代を貰うためだ。更に最初キリスト教の説 教でもしているかと思ったが、自分は耳が病気なのでその治療代を恵んで欲しいというのだ。 物売りもくる。バスの運転手も車掌も別に咎めない。当人たちは何時しか消えていた。 このバスの運転マナーもひどい。運転が荒いというか、常にクラクションは鳴りっぱなしで 凄いスピードを出す。乗客の片足がバスについた瞬間にはバスは動き出している。私も一 応はガードマンの役目だ。バスの昇降は最後ばかりだったが、下手をすると振り落とされそ うになった。むろん、前後の昇降ドアは常に開けたままだ。 私は高校時代のバスを思い出した。50年以上昔のことだ。我が田舎には長崎県営バスが 走っていたが、一番のおんぼろバスが当てられていた。魚の行商のおばさんたちが利用し ていたからだ。満員に詰め込まれた魚臭いバスで、ガタガタ揺られながらの通学だった。 コロンボでは結局入館料の必要な場所には入らず、古いモスクや美しいオールド・タウ3 ン・ホールを写真撮影、とに角雑踏の中を歩き回って終わった。 

3 日目は宿のあるニゴンボ観光である。 隊長のスケジュール表は「地球の歩き方」に掲載されている〇〇センターとなっていた。 私も後で知ったが、ニゴンボの郊外にある運河をガイド付きのボートで回り本格的なバード ウオッチングを楽しむものらしい。 2 台のツクツクに分乗して出かけたものの、30 分40 分走っても一向に目的地に着かない。 隊長の乗るもう 1台の車は大きく離れてしまった。更には人影もない密林の細い道に入り込 んだ。詳細を聞かず出発したこともあって、心細いというか「もしや・・」と身の危険を覚える。 結局1 時間以上かかり目的地に着いたが、不幸はそれからだった。本日のボート観光は 予約で満杯というのだ。なんてこった。「こんなこともあろうと宿の朝食を早めにして出発した のに・・・クソ!」隊長は怒る。結局はニゴンボまでツクツクで引き返し、その運ちゃんの斡旋 で近くのラグーンボート観光に切り替えることとなる。ツクツクの運ちゃんは大儲けだ。 隊長が後でぼやく。「やっぱりツクツクの運ちゃんは怪しい。ひょっとしたら、センター職員 とグルになっていたのでは・・・。途中何度か電話していたが、予約満杯をわかっていながら、 連れて行ったか、いや本当は予約で埋まっていなかったかもしれない」 私はそんなことより、碌に行先も聞かずに 2 台のツクツクで、無謀に出かけた反省が大き い。そして身勝手につぶやく。「隊長って意外と危険に対する感性低いもんなー」 まあ代わりのボートも似たようなマングローブが生い茂るラグーンの探索でよかったと思 う。多くの漁船、特にタマランと呼ばれる双胴船で釣りをする漁民、ヤシの木に囲まれた現 地人の民家を見て回ったのだ。私は「これは絵になる」と信じ、デジカメでバチバチ撮りまく った。だが何とこれら写真はほとんど駄目であった。ダイヤルのセットがズレてしまっていた のである。肝心のところで私もドジってしまった。 ボート観光が終わって町を散策、私の要求で郵便局を探す。日本への国際郵便のためだ。 封書切手用65 ルピー2枚とハガキ用25 ルピー10 枚を購入する。 また町中で初めてのスリランカ料理を食べる。5 人で 2000 ルピー(日本円で 1500 円)だ。 私は女性たちの倍食べ、ミルクティーも「ワンモア!」美味しかった。少々汚い、臭い、辛い を辛抱すれば、どこの料理も美味しいものだ。雑食種の本領発揮である。 食事の後、オランダ時代に造られた町中の運河(キャナル)を歩く。ただ歩くだけでは金の かかりようもないが、相変わらずの日射しでTシャツ姿の私にはこたえた。 この日は早めに宿に戻り、一生懸命孫たちに手紙を書く。出発前、誕生祝いの手紙を貰っ ていたのでその返信だ。一人だけに出してごねられても困るので、孫一人ひとりに書く。翌 日が私の 70 歳の誕生日ということは、この日60 台最後の1日だったのである。 (2017 年3 月3 日)

4 スリランカ 13 日間 (2)
4 日目は移動日だ。ニゴンボから南へ直線距離にして 85 キロのベントタへ向かう。荷物さ えなければ、乗合バスでもよかったが仕方ない。手配したタクシーで向かう。途中高速道路 もあって、わずか2時間で新しい宿に到着する。ここを拠点にまた3日間、この近辺の日帰り 観光の始まりである。 早く着いたのでまずは宿のロケーション確認から始める。ベントタと書いたが、正確には アルトゥガマという町だ。ベントタはリゾート地で高級ホテルが立ち並ぶが、川を隔てたアル トゥガマは旧市街で商業の中心地である。宿泊代も安いのだろう。 まず郵便局を探す。幸い訪ねたお兄さんが親切でそこまで連れて行ってくれた。前日書 いた手紙を窓口に出す。肥ったおばちゃんがはかりに乗せ、にっこりスタンプを押して受け 取ってくれた。これなら確実に日本につくと確信した。(現実に 5日後に届いたらしい) 次はアルコールの調達である。禁酒国ではないと確認はしていたが、酒を売っているとこ ろが限られているのだ。結局どの3つの町でも調達に難儀をした。勿論お酒を飲むのは、私 と茂子さんの 2 人だけだ。その購入代金は共通費からは出ない。スーパーの片隅に酒屋は あっても、特別の扉があって、そこから出這入りする。特殊な仕組みになっている。それに 高い。日本と同じ 300ml缶ビールが 190 ルピー(150 円)だ。多分殆ど輸入品なのだろう。味 は?と聞かれると、答えようもないが、汗をかいた夜飲むビールは美味しい。 町の散策の帰り、果物屋によった。何んとフルーツの女王とも呼ばれる「マンゴスティン」 があったのだ。タイでよく食べて以来だから 20 年は経つ。「買おうよ!」と声を張り上げた。 合わせて赤いもじゃもじゃの「ランプ―タン」他に「マンゴー」「バナナ」それに「パイナップル」 も買う。このパイナップルは隊長の好物だ。その後も頻繁に買っていた。その夜メインはラ ーメンだが果物尽くしの夕食でした。それに私の 70 歳の誕生祝だったのです。 もう一つ特筆すべきは、新しい宿についてすぐ Wi-Fi 接続をしたことだ。小さな宿でもその パスワードを入力すればネットワークがつながる。妻が聞いてきて我がスマホにも入力して くれる。早速ラインで国内と通信を始めた。面白くなって余分な人物にまで送信してしまった が、世の中はこれが当たり前の時代になったのである。 隊長はといえばスリランカの空港に着いてすぐ、現地用のシムを購入している。確か 800 円程度だったと思う。「日本の馬鹿政治家は企業の言いなりになっている。本当はもっともっ と安く出来る筈だ!」と隊長は怒っている。確かにスリランカでは殆どの若者が当たり前の ようにスマホを手にしていたし、中国では空港の赤ら顔の掃除婦までが使っていた。安いの だろう。日本のスマホ使用料は高いのは事実らしい。 この日、少し微熱(36.9℃)あり、葛根湯を飲んで早めに寝る。

5 日目はスリランカ南部最大の町ゴール観光だ。1640 年にはオランダが砦を拡張しその5 中に町を築いたという世界遺産だ。 最初は鉄道で行こうと言っていたのに、宿の兄ちゃんが鉄道は平気で 1 時間ぐらい遅れ る。その点バスは 15 分おきで、私が乗合バスをピックアップしますという。来たのは大型の 冷房の効いたバスだ。しかし満席だ。私は両サイド現地の女性に挟まれた形で窮屈に座る。 その腕を比べるとさすがに黒い。と言って私もこの 3 日で焼けた。タイで過した頃「すっかり タイ人の顔つきになったね」と妻から言われた事を思い出す。あと 1 週間もすれば、現地人 と遜色ない色になるかも知れない。 バスの中は例の大音響の音楽だ。私はまたi-padを取り出す。演歌だ。鳥羽一郎と島津亜 矢。特に「北斗船」を繰り返し何回も聞いた。何かしらスリランカのバスには演歌がマッチし た。さらにバスは飛ばしに飛ばす。コーナーでは遠心力で体が投げ出されそうだ。結局 1 時 間15分ほどでゴールに到着した。 ゴールは確かに植民地時代の名残があり、眺めもよい。砦の上を一周しても 1 時間足ら ずであった。クロアチアのドブロヴニクに似たようなところと思えばよい。ただ日影がないた め、暑い、首筋がジリジリする。この日でいっきに焼けた気がする。 砦を降りて町中も散策する。観光客で一杯だ。アジア系では中国と韓国が圧倒的に多い。 唯一日本人ツアー客とは1組あっただけである。昼食は隊長が事前にネットで調べた人気レ ストランである。今は旅行者が宿もレストランも評価を書き込むので、その評判を頼りに出来 る。昼食代合計2900 ルピー(2000 円強)はこれまでで一番高い食事代であった。 帰路はせめて一度だけでも鉄道に乗ろうと算段していたが、発車時刻まで時間があり過 ぎ、結局は冷房の効いた小型バスとなった。しかし、それが幸いした。このバスでハプニン グ、思わぬ人との出会があったからだ。 まずは最後列に日本の若い女性2 人がいたのだ。どうも大学の卒業旅行っぽい。「コロン ボに向かっているところで、今夜インドのニューデリーに移動します」と元気に話す。更に隊 長との会話を聞くと「ゴールでは 1 泊 5 ドルの宿に泊まっていました」「ええ!そんなに安い 宿?あんた達凄いなあ」と。我が娘も大学 4 年時、ドイツ辺りを旅行したと聞くが、身軽な若 いうち、我々以上に安い費用で旅行する若い元気な日本女性がいたこと、頼もしく思う。 更に、途中から子供連れの夫婦が乗車して来た。そしてその奥さんが話しかけてくる。 「私、スリランカで日本語を教えています。この娘の名前はサクラと言います」隊長も嫁さ んも驚くとともにいろんな話をし始める。最後は唯一もっていたガムまでプリティな娘にあげ る。日本には来たこともないが、日本語は最初お寺で教わったらしい。世の中にはいろんな 人がいるものだ。 夜はゴールで買った絵はがき 10 枚にペンを走らせる。今回の旅行には 3 本の万年筆を 持ってきたのだ。ただ、今夜の夕食もラーメンパーティーだ。ラーメンといってもすべて日本 から持参した即席麺である。近くのスーパーでの買い物して、卵などは入っていたが、いく ら節約と言っても 4 日連続はないでしょう。「いい加減にしてよ」とぼやく私でした。

 6 日目はこのベントタ周辺の探索で、まずはベントタ河クルーズである。この辺りは高級リ ゾートがある反面、ボートでマングローブの林の中を進んでいくと、入り組んだ密林だ。まさ に熱帯のジャングル探検気分が味わえる。 「ほらほら、大きなコウモリよ」「あっ!カワセミよ」「あっ!取った。取った」茂子ちゃん、里 美さん、そして妻が嬉しそうに声を弾ませる。確かに美しいカワセミが小枝にとまっていた が、一瞬の間に水中に飛び込み、再び枝に戻った時には口に小魚をくわえていた。英語名 River King Fisher だけのことはある。 「ほれ、ほれ、大きなトカゲが泳いでいる。早いねえー」「あれワニじゃないの?」「いやワ ニだったらもっと固いうろこがあるよ」「ミズオオトカゲって本に書いてあったわよ」姉妹 3 人 はキャーキャー騒いでいる。隊長は船頭兼ガイドとしきりに会話し、時々日本語で伝えてく れる。「カワセミって 1 分間に 10回でも餌をとるらしいね」 いくらの費用だったか聞き忘れたが、約2 時間、3 姉妹もここだけは大満足だったらしい。 そういえば妻もスマホでオオトカゲの動画を撮影していた。帰国して孫たちに見せるらしい。 この後郵便局で昨夜書いた絵はがきを投函する。2 日前、手紙を出した郵便局の前にあ る赤いポストだ。この結末についてはまた後で書こう。 午後はウミガメの保護センターに行く。インド洋に面したこの砂浜の海岸には多くのウミガ メが産卵にやってくる。しかし放っておけば他の生物が卵を全滅にしてしまうので、漁師が 毎晩卵を見つけて、この施設で買ってもらう。そして孵化したら海へ戻すという訳だ。だから と言って日本人1人1000 ルピーは高くないか? さてこの宿もこの日までだ。出発の前日は荷物の整理が必要になる。まだ土産はないし、 ラーメン類がなくなった分余裕が出来た。しかし、最後の夜も遂に5日連続のラーメンパーテ ィー。さすが大食漢の私もイヤになった。ビールに果物、ヨーグルトなどで腹を満たす。 そういえばこの宿には色の白い 2 人のロシア女性も泊まっていた。いつも薄着で胸がは だけた感じだ。隊長が最初鉢合わせた時はもっと酷かったらしい。一瞬見てはいけないもの を見たって感じで顔をそむけたが、何の「ノー・プロブレム、ノー・プロブレム」と手を振った、 と嬉しそうに語っていた。ひょっとしたら、本当に見たのかも知れない。 果たしてロシアで何をしている女性か?体にはタトゥーをしていたが、我々より朝早く出 かけて夜遅く帰って来ていた。ある時はニンニクの匂い一杯の料理をこしらえていた。 (2017 年3 月5 日)

7 スリランカ 13 日間 (3)
7日目はアルトゥガマから内陸部キャンディへの移動日である。
日程的には丁度中間に当 たるが、今回の旅行で一番の長距離であった。 タクシーは 9 時に出発した。運転手は陽気でよく喋るお兄さんだ。運転しながら身振り手 振り喋るので怖い。隊長「セイフティー ドライブ!」と釘をさす。最初は4時間ぐらいと言って いたが、結局は6時間かかった。道路工事中の狭い道や途中道路での渋滞、それに昼食休 憩をしたからだ。 昼食は途中運転手が紹介したちょっと高級な感じのレストラン。隊長がそこの男性に値段 を聞いている。「この店はバイキング形式で、1 人1150 ルピー。それにサービス料と税金が つきます」との答えだ。隊長「わー、気絶しそうな値段や・・・」と大げさなセリフ。 日本ではごく普通の料金なのに、今まで5人で2000ルピー前後の食事をして来た我々に は贅沢料理だ。「よし、こうなったら腹一杯、元を取るぐらい食べよう」と意気込む隊長。 「某君さん、欲どおしくして腹を壊さんように」と忠告する私。結局支払は 5 人で 5750 ルピ ー。日本円で 4500 円に満たないが、久し振りご馳走を食べた気分だった。 到着した古都キャンディの宿は小高い山の中腹にある。木々が生い茂ってはいるが、坂 が多く見晴らしはよい。長崎の坂道を連想させる。丁度我々の3室分しかないこじんまりした 一軒家だ。オーナーは近所に住むが、60 過ぎの夫婦が住み込み使用人らしい。 一息入れて、町中の散策をする。特に翌日から乗るバスターミナルのチェックだ。行先に よって乗り場が 3 か所に分れているからだ。しかしその喧騒ときたら半端ではない。人の洪 水の中、バスはクラクションを鳴らして進むし、車掌は大きな声で「***!***!」と行 先を連呼している。隊長はあっちこっち確認に走り回っている。そんな中で 3 姉妹は世間話 に花を咲かせている。ホントお気楽3姉妹だ。私はここではガードマン役。近くに変な奴がい ないか監視を続けるが、結局この国の治安は非常によかった。全く案ずる必要はない。 町の中心部のおよそのロケーションを確認し、後は夕食時のアルコールの調達である。 ここでもスーパーの別室に売っていたが、ビールのロング缶が 6 本で 2400 ルピーと高い。 仕方ない。ここは酒飲みとしては譲れないところだ。茂子さんと 2 人で金を出し合う。 宿までの帰路も歩いて帰ったが、坂道だし 45 分近くかかる。茂子ちゃんは息が上がって 大きく遅れる。「私もう駄目。ツクツクに乗ろうや!」と言っているが、初日だし町の様子を知 るため我慢だ。隊長は聞く耳を持たない。ただこれが毎日だと私だって辛いよ。 夕食はこの日から 5 日間この宿でとる。あの夫婦が作る本格的スリランカ料理なのだ。し かし意外に美味しい。夜は丁度孫・寛輝の誕生日だったこともあって、子供たちにラインでメ ールする。前日の日曜日、誕生祝をやったそうでケーキを前に 7 のサインをした写真が送ら れてくる。「そうかあいつは 7 歳、私はその 10 倍の 70 歳か・・・」 キャンディの宿はクーラーもないが結構涼しい。早めに蚊帳の中に潜りこむ。

8 旅行8 日目、
ここキャンディを拠点にした観光の始まりだ。 1日目、ヌワラ・エリアという茶畑の生産地へ向かう。当初はこれを列車で行こうとしていた ものだ。仕方がない、乗合バスの利用だ。あの雑踏のバスターミナルからうまくその方面の バスに乗り込んだのはいいが、運転手そばでもうもうと煙が上がっている。茂子ちゃん「何 ごとかい?こりゃ、いかん」と後方の席に逃げる。どうも線香かお香のようだ。何でもありの この国のバスだ。驚くことはない。 2 時間近くこのバスに乗っただろうか。バスは途中で超満員、ボリューム一杯の音楽をか け、「プッ・プッ・プ・プー」といった会話ともとれるクラクションをまき散らし、飛ばしに飛ばす。 私は耳では i-pad の演歌を聴いていたが、目は乗客の様子や乗車料金を取りに来る車掌の 動きを追う。実に面白いというか、この国の風俗、文化の一端を知る思いだ。一言でいってこ の国の人は優しい。穏やかだ。どんなに混雑しても誰一人文句を言わない。微笑みさえ浮 かべている。歳をとった人には当然のように席を譲る。感心した。車掌も凄い。満席の乗客 の中体をくねらせながら、何か蛇が這いずる感じで進む。そして金をまだ貰ってない人のと ころにたどり着く。更に不思議なことに、集金した金を裸で束ね持ち歩いている。 どんどん高地になり、車窓は延々と茶畑が続 く。列車からもこれ以上のいい風景が展望できる のであろう。しかし、インドのダージリンでも見た 光景だし、まあいいや。そしてヌワラ・エリアの手 前の紅茶の精製工場前で降りる。「地球の歩き 方」にも載っている有名なお茶園である。紅茶に はまったく興味のない私だが、3姉妹は目の色を 変える。試飲をさせてもらい、早速お土産に購入 していた。 そうだ。今回の旅行でとった数少ない集合写真が 1 枚あったので載せておくことにする。 勿論私が撮影したので、残りの 4人だ。このお茶園での撮影である。 お土産を買った後は、再び乗合バスに乗り込みヌワラ・エリアまで行く。バスターミナルに 到着すると目の前の高台にエキゾチックな建物がそびえる。どことなくイギリスで見た田舎 町の小さな家という感じだ。それもそのはず、これは 1828 年英国植民地時代に建てられた 郵便局なのだ。嬉しくなって思わず切手を 10 枚、更に絵はがきも購入してしまった。 郵便局の後は地図を片手にヌワラ・エリアを散策する。近くの広い公園に入ったが、外人 は 300 ルピー払う必要あり。まあこの程度なら仕方ないか。整備された公園の中で軽くパン を食べた。昼食代わりだ。更にゴルフ場や美しいホテルのそばを歩く。さすがにここは 2000 m以上の高地だ、木陰は涼しい。セーターを着こんだ人までいた。 帰路も乗合バスでキャンディに戻るが、約3時間、例の混雑バスで疲れた。宿に着くと、夕 食もそこそこで絵はがき作成に取りかかるが、もう新たに出す人はいない。迷惑と思いつつ、 1 回目と同じ人たちに書く。

9 旅行9日目は今回の旅行のハイライト、シーギリア観光である。何せ岩山がジャングルの 中に突如として姿を現す。周囲の緑とは対照的な赤褐色の岩肌が空に向かって垂直に切り 立っているのだ。張り切って向かう。ただここにきて初めての雨が降る。 キャンディからの直行バスは 1 日1 便で 7:15 発だ。さすがに茂子ちゃんを歩かせるのは 忍び難かったのか隊長「東さん、あなた達ツクツクでバスターミナルまで行けよ。私たち夫 婦は時間もあるし歩いて行くから」とまたケチなことを言う。「たかが 200 ルピー・・・」とぼや きつつ命令に従ったが、果たして時間までに無事来るのか、この雑踏の中で上手く合流でき るのか、最後までハラハラし通しだ。何せ先の詳しい事は何も知らされていないからだ。 乗合バスはもうお手のものだ。約3 時間も揺られたが、値段は 1 人127 ルピー(100 円以 下)と安い。ところがシーギリア・ロックの入場料は何と 1人4500 ルピーである。勿論外国人 料金で、現地人は 50 ルピーという。「90 倍!いくらなんでこの価格差別、酷いではないか!」 と怒りたくなるが仕方ない。我々も少しはスリランカ経済に貢献したわけです。 さてそのシーギリア・ロックの観光だが、行ってもない人にその光景を説明したところで、 多分わかってもらえまい。面白くもなかろうからやめる。もし興味のある方は取りためた我 が写真を後でご覧頂きたい。ただ、195mほぼ垂直の階段を登る辛さは半端ではない。頂上 に着いた時は汗びっしょりだ。もしスリランカ旅行される際は、体力をつけておくこと、着替え を1枚持参したがいいと思う。現に茂子ちゃんは最初からギブアップ、入場しないで2時間入 口の木陰で休んでいたのです。 帰路キャンディ直通のバスがなく、ダンブッラという町で乗り継ぎだった。丁度腹も減りこ の町のレストランに飛び込む。そこでまたしても逞しい大和なでしこを発見する。丁度席が 背中合わせで声をかけてくる。愛知出身、今世界一周5か国目の一人旅である。彼女も大学 の卒業旅行だったのだろうか。印象的だったのは長い日本タオルを持っていたことだ。マフ ラー代わりだ。文字はよく読めなかったが、黒い太字で、自分を奮い立たせる、気合の入っ た文言だった。こんな日本人を見ると嬉しくなる。 キャンディ帰着は 17 時半、バスの込み具合、中の様子は何遍も書いたので省略するが、 後方昇降口(常に開きっぱなし)そばの席に座った私、振り落とされないよう踏ん張り通しで 疲れ果てた。なおバス降りて直ぐ郵便ポストが見つかり、昨晩書いた絵はがきを投函できた のはラッキー。しかしバス停から宿までのことでまたひと悶着だ。隊長は私に茂子ちゃんら を連れツクツクで帰れという。自分らは歩いて帰ると・・・。まあわからないわけではない。本 日の片道3 時間のバス代は 127 ルピー、ツクツクだと 200 か 300 ルピーするのだから。 途中で雨が激しくなった。我々は先に宿に着き心配してたが「無事に帰ってきましたよ!」 と隊長の声にホットする。 合計バス 6 時間と登山2 時間で疲れ果てるも、宿に着き日本からの情報に目を奪われた。 金正男のニュースである。前日殺されたという。私はすぐ弟・金正恩の暗殺だと直感したし、 それに本日観光したシーギリア・ロックとの不思議な関係を思い起こす。 いきなり何を言い出すかと思われるだろうが、実はシーギリア・ロックの歴史を前日、本で10 知ったばかりだったからだ。腹違いの弟と王位継承権を争い、実父を殺し王位を略奪した兄 は、弟の復讐を恐れてこの岩山に宮殿を建造したのだ。ただ、後日弟との戦いに敗れ、この 宮殿が発見されたのは 1400年も後の英国植民地時代である。 兄弟間の暗殺もいとわない跡目争いは昔も今も変わらないのか。北朝鮮の場合も複雑な 腹違い兄弟だが、ここでも兄の母親は平民の血筋、弟の母親は王族の血筋だったという。 

旅行10 日目はキャンディ市内観光である。そのお目当ては仏歯寺だ。 仏歯寺はスリランカを代表する仏教寺院。紀元前543年、インドで仏陀を火葬した際、その 中から仏歯を手に入れたのらしい。キャンディに来てここを見ないわけにはいかないが、こ こも外国人は 1000 ルピーとる。後で本を見ると、これにはカメラ、ビデオ撮影料込と書かれ てあった。靴を預けて素足で入場する。太鼓を使った不思議な音楽、もうもうと煙る線香、そ して蜜蜂の飛び交う献花の様子は多少日本のお祈りとは違う。その程度の感想だ。 仏歯寺を見た後はキャンディ最大のショッピングモールに行く。何か土産になるものはな いか、探す。しかしあるわけはない。結局、3姉妹による紅茶の購入に終始だった。 昼食はちょっと小奇麗なレストラン。ご飯+4 品のカリーで 475 ルピーという。 隊長が事前 に調べていたらしく、本人満足の表情でパクついていた。さらに隊長が珍しくアイスクリーム を注文したので、「私も!」と便乗させてもらった。 昼食の後はキャンディ湖畔の一周だ。ところが途中里美さんが腹の具合が悪くなってしま う。旅行も 10 日目、今まで誰一人体調を崩さなかったのが不思議なくらいで、遂に洗礼を受 けたわけだ。仕方ない。途中のレストランでトイレを借用し、ついでにコーヒーを飲んだ後、 宿に戻ることにする。私と茂子ちゃんは最後のアルコールの調達、隊長は果物の購入をし て帰る。 宿に戻ったのは15時だ。あまりにも早いご帰還である。シャワーを浴びたあとスマホを使 って国内へのメール(ライン)に興じる。私は既に何通かの絵はがきを送ったが、上手く着く かどうかもわからない。着いたとしても約1 週間はかかる。その点メールはアッという間だ。 話をしているのと変わらない。果たしてどちらがいいのか?嫁さんととりとめもない論議をし た。まあ、それぞれメリットがあるので、うまく使い分けることだろう。 なおこの日も金正男殺害と、東芝の件がネットを賑わせていた。その点では世の中大きく 変わったと痛感する。ひと昔前なら殆ど情報が入らず、帰国して「へえー!」と驚くことが多 かったからだ。 

旅行11 日目は実質観光の最終日だ。ピンナワラのゾウの孤児園に行く。 里美さんは大事をとって宿で休憩、4 人で出発する。勿論、バスターミナルからの乗合バ スだ。コロンボ方面行きのバスで 1 時間半、キャーガッラという町で降り、そこでツクツクに 乗り、目的地に向かう。ツクツクとは隊長が目的地、値段の交渉を行う。ところが、下ろされ た場所は象に乗って遊ぶ所だった。目的の孤児園はまだ 3 ㎞先という。隊長「クソー!奴ら11 に騙された!」と怒り狂う。 でも 10 時ゾウの水浴びへの移動時間ぎりぎりに間に合う。ゾウってノロノロかと思いきや、 コンパスが長いのですぐ目の前で見ると早い。約 30 頭が集団で走ってくる光景は迫力があ る。妻はその様子をスマホの動画で撮影し、後で孫たちに送ったらしい。そしてゾウが通っ た後には見事な糞が点々としている。なんと直径15 ㎝以上はある。 ここの入園料は 2500 ルピー。水浴びは近くの川だが、多く の観光客が群がる。私もカメラのシャッターを切り続けたが、 観客の中に美しいサリーをまとった貴婦人を見つけた。子ど も 2人を連れて、多少肥っているが、髪は黒々として美人だ。 オオこれ、これ。私の油絵の題材に最適だ。最後はゾウさん そっちのけで、彼女の姿を追った。 そこまで言ったからには写真の 1 枚くらい見せたいもので、 右の通りだ。こういうことは“百聞は一見にしかず”どうです。 納得して頂いたでしょうか?でもうまく絵が描けるかどうかは、 全く別の問題ですからね。 帰路も乗合バスでキャンディに戻り、ツクツクで宿に戻る。交渉して 250 ルピーだ。しかし 隊長は意固地だ。一人歩いて帰る。 さあ、この宿も本日まで、明日は空港への移動日だ。夜は荷物の整理に追われる。 最後にこの宿の事を書いておく。5 人で 1 泊65 ドルというから、1 人13 ドル(日本円1500 円弱)。先の1泊5 ドル娘にはかなわないが、まあ日本でいえば、西成のドヤ(簡易宿所)並 みだ。しかしちゃんとお湯の出るシャワーも使え、全く問題はない。 またここでは老夫婦の作る食事を朝晩とったが、朝食は3.5ドル/人、夕食は2.5ドル/人だ。 朝食と夕食の値段の差には合点がいかないが、味は全く問題なし。特に隊長と私は女性た ちの倍は食べていた。そうだ。先ほど老夫婦と書いたが、爺さんは確か 62 歳とか言ってい た。私よりはるかに若いのだ。奥さんの方は色が黒いので全く推定もできない。ただ、いつ もニコニコで気持ちのいい人であった。 (2017 年3 月7 日)

12 スリランカ 13 日間 (4)
12 日目はキャンディからコロンボ空港への移動日だ。フライトは夜の便だし、乗合バスと いう手もあったが、問題は荷物だ。収納庫がないとかなり難しいということで、結局タクシー を頼んで 11 時出発とした。朝食の後、宿の庭に出て談笑をしながらタクシーを待つ。外の木 にはインコなどの小鳥が来てはさえずっていく。またジャックフルーツの木には何匹ものリ スが走り回るのどかな風景であった。 コロンボ空港までは約 3 時間、かなりショートカットの道を選んだため、小さな田舎町を通 る。小学生と思しき下校時間にぶつかったが、すべてが白の制服姿だ。みんな屈託ない明 るい顔をしている。途中ガソリンスタンドに立ち寄ったが、95 ルピー/リットルと日本より安か った。更に気づいたことはこの国の女性は自分の黒髪を大切にするかのように、後ろで束 ねた人がほとんどだ。日本のように髪を染めた人は皆無だった。 さて空港でのチェックインだが、隊長の話では荷物は上海で一旦受取り、改めて関空行き にチェックインするということだった。それで上海で荷を空け、ダウンのジャケットに着替える 算段をしていた。日本はまだ真冬だからだ。ところが、預けた後で聞いたら荷物は関空まで スルーという。ボーディングパスは上海までしか発行されていないのに・・・。大誤算だ。 スリランカの出国手続きを終え、出発の 8 番ゲートで待つ時間があった。どうせ土産物に 満足なものはない。現地通貨の残り金もない。第一私はルピー紙幣は切手やビール購入の 際手にしただけだ。非常に汚いので殆ど財布に入れてなかったのだ。 隊長もここにきて腹の調子が万全ではないらしく正露丸を飲んでいる。無口になった。集 まった乗客は殆どが中国人だ。日本人らしい人もいる。名古屋からのツアー客だ。仕方ない。 妻と「日本人と中国人」の違い、見分け方の話をする。 最初は「この人、日本人っぽいけどね」「いや中国人のようだ」と言い合っていたが、話し ているうち言葉にすれば、大体以下の通りになると思う。 まず中国人は騒々しい。待合室でも大声で喋る。むしゃむしゃ立ち食いする。いつもスマ トフォンを持ち歩き見ている。若い人が多い。サングラスをかけている。大きな手荷物の土 産を持っている(何をそんなに買ったんだ?)。男の髪は刈り上げが多い。 一方日本人だがのんびりしてせかせかのところがない。大半が歳がいった爺さん婆さん だ。スマホはいじくってない、などだ。それでなくても、なんとなく髪の形、服の色、持ち物、し ぐさでわかる。と言って何十年前の日本人も、今の中国人以上に大声でわめき散らしていた ものだ。農協の旗を先頭に「こっちこっち」とやっていた。 待合所でファーストクラスの日本人男性(75 歳)とあった。彼の往復運賃は 15 万らしい。商 用だろうがインフラ会社の会長という。いきなり中国東方航空の悪口を言い始めたが、果て は韓国の慰安婦問題にまで発展する。面白いオッサンで、茂子ちゃんとは不思議と意気投 合し話が弾んでいた。日本人もいろいろ。

13 13 日目は中国東方航空でコロンボ→上海→関空、そして自宅に戻るまでを書く。
まず上海までのフライト、約6時間半、夜の飛行のため食後は大半は眠りについたが私は 一睡もしない。持ちあわせた「藤沢修平のこころ」という雑誌を読了、あとはi-padで短編朗読 集を聴く。樫山文枝「虹の空」、奈良岡朋子「赤い夕日」だ。彼の小説はいつもこころ安らぐ。 ただ、冷房が効きすぎ、震えながらであった。ダウンがなかった悲劇とは言い過ぎか。 上海空港では入国することなく、上手く関空行きのボーディングパスを入手後は、約9時間 のトランジットだ。買うものもないし 27 番ゲート付近のソファーで待機だ。第一中国の人民元 を持ちあわせていない。何をすることもなくうろついたり、例の調子で日本人と中国人の違 いを観察したりだ。3 姉妹は何を話しているのか、よく喋っている。後で聞いたが何でも茂子 ちゃんに妹 2 人して、公正証書遺言を勧めていたという話だ。彼女は独り身、昔から強気な 性格だが、最近物忘れも出てきたし気弱になったと言い出したからだ。75 歳、先の兄さんの 死去も影響しているかも知れない。ただ、これは個人単独で作成しても効力を発揮しないの で、司法書士が必要だ。近くの姪に是非相談しなさいよ、という話だ。かなり真剣だった。 朝食はトランジットのレストランで北海道ラーメン(68 人民元)を食べる。人民元も日本の 円と同じで¥を使って紛らわしいが、日本円で 1200 円ほどだ。全く美味しくなかった。 で、最後飛行時間約 1 時間 50 分で関空に到着する。ここで某君夫妻とはお別れだ。里美 さんはその夜の夜行バスで千葉に帰るという。隊長は枚方の家(空き家)へ行くという。何で も給湯器の修理をするらしい。どこまで本気か知らないが、今空き家を活用して民泊にしよ うとしているのだ。結局隊長は 4日後、千葉に戻った。 我々3人は大阪・梅田までバス、そして阪急・能勢電車を乗り継いで夜9時自宅に到着、

13 日間の旅は終わった。茂子ちゃんは更に翌日のフライトで福岡に帰っていった。 旅の様子は既に撮ったデジカメ写真をもとに、A4 で 12 頁のアルバムにまとめた。これは 旅行のたびに毎回行っているもので、記憶を途切れさせないようにするためのものだ。ただ、 今回だけはそれでは物足りなさを感じる。それだけ面白かったとも言えるが、こんな長った らしいエッセイというか、紀行文を書いてしまうことになるとは思わなかった。 宮本輝がシルクロード紀行文「ひとたびポプラに臥す」という本の中で言っていた。ある著 名な映画監督の言葉として「写真とかテレビ映像というものは事実は映しだすが、真実を伝 えない」結局、「映像が伝えないもの、それは音であり、気温であり、匂いであり、微細な砂 や埃や毒虫なのですが、そのレンズではとらえきれないものが風土には蔓延していて・・・・」 という記述だ。 勿論、この有名な作家のように、読む人の心に残る文章にはならなかったが、書き終えて 今までにない充実感を覚える。多分、それは今回ぐらい現地人に密着した時が過ごせた旅 が今までなかったためだろう。 少し後日談を書こう。その第一は日本に送った絵はがきだ。1 回目アルトゥガマの郵便ポ ストから投函したものが届かない。もうここまで来ないとなれば絶望的だ。昨年、ロンドンか14 ら届かなかった絵はがきに継いでの災難である。今、後悔している。なぜあと20m先に足 を進め、郵便局の窓口に出さなかったのか・・・と。それにしても郵便局前のポスト、あれは 飾りだったのか?なお、キャンディの赤ポストから出した2回目の絵はがきは無事国内に到 着していた。

 最期にこの旅の収支決算だ。土産を除いて、ほぼ 1 人 10 万円を達成した。隊長の厳しい 予算管理があったとは言え、終わってみれば安いのにこしたことはない。隊長から清算の 通知が届き、我が家の不足分を振り込んだ。ところがその後になって「入金確認しましたが (汗)」のメールがはいる。3308 円取り過ぎたという内容だ。 私は返信する。「各種手配や現地ガイドを無償でやって頂いた。また金のやり取りをすれ ば手数料もかかります。隊長へのささやかなお礼としたい」 すると「茂子ちゃんにも取り過ぎた分支払いしたし、ここで受け取ってもらわねば困ります。 それにビールをちょこちょこご馳走になっています」と。全く律儀な人だ。 これまで隊長の言動、行動を面白可笑しく書いたし、十分なお礼も言わずに終わっている が、あの隊長の行動力あって初めてこの旅が実現したと言って過言ではない。改めて感謝 の言葉を述べて終わりとしたい。 (2017 年3月8日

2021年6月4日金曜日

歳を取るとはどう言うことか、最近ようやく判ってきた。(その2)

 本を読んでも、ビデオをみても、TVドラマを見ても、興味が長続きしない。話の進展が遅いのが我慢ならない。それだけでなく、ドラマの無理な筋作りには敏感になって、ドラマ全体を馬鹿にしてしまう。つまり、これも気力の衰えの現れなのだろう。何に対してもじっくり待つってことが出来なくなったのだ。
それでも、ある種の映画やドラマ、それに小説には感動させられて一気に鑑賞することがある。それらの作品には独特の魅力があり、それが僕の心情に合うのだろう。例えば映画ではグリーンブックとかである。