2019年9月28日土曜日

枚方から自転車行動範囲

終活として僕の移籍の経過として、除票(除票とは住民票の場合で、戸籍の場合は除籍と言うのが正しい)を集めだしたが、松原市役所、吹田市役所へと自転車で行くことにした。吹田の除票から、僕が、藤井寺の春日丘だけではなく、恵美坂にも転籍していることが分かった。そのため、再び藤井寺市役所に行かねばならない。その時は170号線旧道を試してみる。

枚方から南下して香里園で外環状線(新道170号)に入り、更に南下を続け、藤井寺の図書館、市役所辺りで堺線23号線を経て松原駅(松原市役所)までで3.5時間
次回は、旧道170号線を使う。

枚方から淀川左岸堤防上サイクリングロードを南下、新淀川橋で対岸に渡り、橋の下に降りて、堤防の上や、次いで堤防の河側下を南下、鳥飼仁和寺橋(モノレイル橋)の下を経て、鳥飼大橋を経て、右岸堤防に登り、神崎川に沿って、神崎川の江口橋を越えて、そのまま大桐交差点まで進み、右折して上新庄交差点で左折、神崎川吹田橋を経て阪急吹田駅横の市役所に至る。約2時間
ところで気づいたが、神崎川って源流は淀川で、淀川からの運河のようだ。不思議な河だ。

枚方から北上、淀川左河岸ロードを北上、八幡市に至り、御幸橋を越えて、宇治川左岸を宇治に向かう。約2時間
帰路で気づいたが、枚方から八幡市まで、枚方から下流へも堤防下のサイクリングロードを利用できるようだ。帰路は堤防下サイクリングローダを穂谷川まで下り、その後は車道に戻り、業務用スーパーに立ち寄って帰った。

かように自転車で行動していると、我が中古自転車6,300円なんて直ぐにペイしてしまうようだ。ただやはり中古は中古だ。家の中に入れようとして車体がひっくり返った。そのさいの、後輪のスポークの一本の外側の車輪との接合部が折れてしまった。他のスポークに引っ掛けて使っているが、どうなんだろう。

9月30日(消費税が8%の最終日)に藤井寺に向かった。安全橋の少し先で170号新道を外れて旧道に入ったが、実に狭い国道だ。だが、やはり新道よりも遥かに走行しやすい道だ。ただ、大和川近辺で170号旧道を外れ、安藤駅に向かい、そこから堤防上に上がってから、新道に行くまでが殆ど道なき道を移動するような状態だ。もっと手前で新道に移動するのが良さそうだ。
新道は、一号線から南へしばらくの間に堤防上がりの道が何度もある。この部分は是非避けたい所だ。
なお、旧道途上に、楠正行(小楠公)のチさな祠があり、ここに参拝できた事は、この旅の大きな成果だ。かような観点からも自動車行路を走るだけでないように見直すべきかもである。

2019年9月13日金曜日

車検費用

フィットハイブリッドを購入して3年で、最初の車検だ。
ホンダの販売店で、無料点検+車検見積り のハガキが来たので、女房に行かせた。
女房は例の如く、見積もり内訳などには関心なく、ただ貰った書類をもらってきただけだった。が、総額は14万円とのことだけは記憶していて、それが妥当な金額だと信じているようだった。
費用を分析すると、あれこれと部品を取り換えて、総額14万円台にもなったのだ。車を使うのは、子供の駅への送り迎えと、女房の買い物だけで、3年間で13,500kmしか走っていない。それなのに、あれこれ部品を変えられても困る。どうせ、遠くには行かないので、どこかが不具合になれば修理を頼むだけのことだ、と考えて、検索すると楽天車検なるものが出て、住所登録すると近場の車検工場がずらっと出た。安い順だと、コスモ長作が、重量税・保険・印紙代で50,000円程度で出たので、眺めていると、女房がのぞき込み、14万円のが5万円って有り得ないと思ったのか、「どんなとこに頼むの!責任は持てるの?」って偉そうにと言うか、軽蔑を含んだ怒鳴り声で言うので、腹が立って外に出て、怒りの力任せで、家回りに茂った雑草を全てクワで取り払った。雑草はかなり茂って気になっていたのだ。その作業に2~3日は掛かると考え、歳のせいかおっくうで手をつけなかったのだ。が、怒りのエネルギーって凄いものだ。1時間も掛からずに終えてしまった。
それでもなお、何も調べないで、僕が安物買いばかりするとの先入観での文句を思い出すと、怒りが収まらない。そこで、故障して放ったらかしの扇風機をバラバラに分解して、ごみとして出せるまでに細かくして、漸く、気分が落ち着いた。なお扇風機の段ボール箱は空になったので、足で思いっきり、何度も何度も踏みつけて鬱憤を晴らした。粗大ごみの処理も出来てしまった。
 そこで、女房を相手にせず見積り依頼を続けることにして、後は、イエローハットにも見積もりを頼んだ。が、そこで気づいたのだが、支払いを八千代市プレミアム商品券なら75%で買える。が、コスモ長作は千葉市だから商品券は使えないと、ジョイ2モーター勝田台を選んだ。先ずはジョイ2モーターに依頼して様子を見ることにした。直ぐに電話があり、見積もり日を予約したが、実務は本社に行って欲しいとのことで、習志野市の本社に行くことになってしまった。つまり、ジョイ2も商品券は使えないのだ。
同日14:00に事務所に行くと簡単に見積もってくれて、エンジンオイル・ブレーキオイルの取替を含んで7万円程度となった。女房も一緒に行ったが、と言うか、僕は免許証は持っていないので、女房を運転手として連れて行くしかないのだが、担当者がとても信頼できる雰囲気だったので、14万円が半分になったことに何の心配もなさそうに事態を受け入れた。直ぐに発注を決めて、イエローハットとホンダ販売店への発注はやめた。なお、イエローハットからは基本料金は8万円弱だが、部品交換については、工場と連絡してから工場に行くようにとの連絡は受けていた。
やれやれ疲れることですわ。でも、ついでに家回りの整理と、故障扇風機の始末もできて良かった。
歳を取るにつれて、女房も僕も、それぞれの欠点がより強くなって行く。どうやらこれは老化現象と思われ、女房の免許返納も視野に入れねばならない。車なくて生活できる態勢にしなければならないようだ。

相対性理論についての疑問

地球上で、高速ジェット機に長く乗っていると地上の居る人に比べて老化が遅いとされている。これは、例えば、地球に高速で近ずく物体は、地球から見ると光と一緒に移動するように見えるから、つまり、移動物体の中では時間が0の状態で移動してくることになるからだ。が、しかし、移動物体から見ると地球が光速に近づいて来ることになり、地球上での時間が0になるのではないか、との疑問が生じる。
だが、このように考えれば良いのではないだろうか。
高速で近づく物体は、光の速度ではないものの、なんらかの方法で速度を光速ではなくとも、加速して高速になったのだ。ひょっとすると、光速の1/2とか1/3とかかもしれない。が、とにかく絶対速度である光の速度と対比される速度になったわけで、他方、地球は、高速物体に高速で近づくが、これは物体が相対的には高速と見えるが、実態は本来の速度である。と考えれば、相対速度は±vではあっても、光速との比較では±ではない。
かくして、減速して地球と同じ速度になったとしても、その物体に乗っている人の時間経過は地球上よりは遅いことになる。
更に考えて、その物体の相対性理論に関わる速度は、その物体が有する運動エネルギーの値で考えれば良いわけだ。質量mの物が有する運動エネルギーから、相対性理論に関わる速度を計算すれば良いことになる。しかし、ある質量の物体の運動エネルギー量って把握できるのだろうか。いや無理だろう。
となれば、相接近する2物体に置いて、時間の経つのが早いのは、総質量の大きい側と考えればよいのだろう。例えば、太陽系に接近する高速宇宙船があるとすれば、質量の重い太陽系側が経過時間が早いとなる。
では、太陽系と、同等な太陽系が高速で接近する場合はどうなるのだろうか。考えてみよう。

2019年9月1日日曜日

雑兵物語 by someone

本書は、17世紀の末の作品であるから、徳川政権になってから80年は経っていたことになる。しかし、内容的には戦国時代そのままに、敵の首を切ることや、殺すこと、自分が、目に矢を当てられた時の対策とか、まむしに噛まれた時の処理などが、実に平然と語られていて、この本が戦争時の手本として幕末まで使われていたことに、その野蛮性に驚く。しかし、その野蛮さは、第二次大戦前後まで引き継がれ、これが韓国人や中国人への対応が野蛮であったことの理由であろう。
しかし、その野蛮さは、赤線禁止法の時代から、教育によりじょじょに帰られて、我々の世代ではk後進国の人々にも友人として付き合うのが本筋となって来た。だが、海外からの労働者への処遇では、その野蛮さが未だに存在することが明らかである。
だが、僕がバングラデッシに据付指導に従事した時点では、我々は現地労働者を友人として扱い、それ故に、彼等はまた、我々を友人として遇した。ところが、同じ現地での韓国人の会社では、現地人をむしけらのように扱うことで、現地人は酷く彼等を嫌っていた。その当時、韓国人は未だ野蛮なままであったようだ。恐らく、戦前、戦中に日本人が野蛮であったように、韓国人も野蛮であって、日本人の慰安婦略奪とか徴用工の虐待を、当然と認めたり、若しくは、そのような日本人の野蛮さを手伝ったりしたと思われる。
これらの事情で、バングラデシュで、僕が韓国人の据付に関して、据付指導のアドバイサーとしてj従事することがあり、彼等の物品管理のずさんさを激しく攻撃したことで、彼等の物品倉庫から追い出されたが、現地人労働者は普段からの韓国人への反感もあって、一斉に蜂起して僕の味方をして韓国人を攻撃しようとするので、それを制止するのに苦労したことさえあった。
今の若い韓国人達はそのような事情を知らず、韓国人の戦前の悲劇を今の倫理観で判断することで、国と国の関係を大きくあやまっているように思える。
そもそも、僕の親戚では韓国とかかわったことは全くなく、しかも、戦争では人生の前半を、貧しさとひもじさの中で過ごした人が殆どであり、韓国人への虐待に関与したひとなんて見たことも聞いたこともない。それどころか、韓国人が第三国人として日本人を虐待していた時代さえ経験している。更には、韓国に支払う賠償金を、罪も犯していない僕等の給料から支払われていた。そんな僕等が、日本人人口の殆どを占める現状で、なぜ我々が責められねばならないのか?更に、なぜ謝らねばならないかを僕等は全く理解できないのだ。逆に言えば、僕等よりも戦後の恩恵を受けている韓国の連中から、文句を言われる筋合いは全くなくて、むしろ感謝されて当然だと考える。

ところで、バングラデッシでの韓国企業との争いだが、韓国企業は、我が社の納入品の内、尿素袋を船を積み込む袋積機の据付を担当したのだが、据付現場で行きどころの無いかのように部品が放り出されているのを目撃し、ボルト類の管理のぞんざいさも考えると、その後に問題が起こるのが明らかと思えた。
元々、日本からの輸出梱包がぞんざいで、これは我が社の梱包担当者がいい加減な男で、その男が梱包検査を担当していることを知って、僕はまずいなと考えたのだが、僕はそのプロジェクトの最後の最後の段階で、そのバングラデッシの現場に据付監督のチーフとされたので、どうしようもなかった。ただ、梱包への詰め込みが、機番ごとでなく、部品番号順に、それも、無統一に放り込まれているのを知り、梱包リストから、機番ごとに分類できるリストを出力しろと命じておいたのだが、その担当者は、僕の指示を全く無視したので。そのため、ある機番を据えつける時に、その部品が、どの梱包に入っているかを調べるには、都度、千ページ以上の梱包リストを調べねばならなかった。そこで僕は、梱包リストを部品ごとに、はさみでばらばらに切り、これを機番ごとに再構成する作業を実行した。これでその問題は解決したのだが、更なる問題は、梱包リストの殆どに誤りがあることで、結局は、梱包をばらすと、その部品を並べて、必要に応じて部品を探すなんて馬鹿げた状態が続いた。
ここまでは、我が社のミスなのだが、韓国企業の部品管理のいい加減な点が加わり、しかも、彼等は行方不明の部品を自分たちで制作してそれをバックチャージとして、そのプロジェクトの管理会社に請求し始めた。それは、そのまま納入企業である我が社に請求されるだろうとは想像できた。