2020年10月25日日曜日

借農園の肥料覚書

 農園の肥料は、現在の所、ジョイフル本田での無料米ぬかのみに頼っているが、土の中に前の借人の肥料が大量に残っていたのか、出来は良かった。しかし、既に数年して、肥料は薄れ、出来が衰えたきた。先ずは米ぬか量を増やすこととして、次いで、化学肥料はコストが高いので牛糞か鶏糞を使おうかとも思う。鶏糞の方が安いのだが、牛糞と鶏糞はいずれが良いのだろう、と調べた。
http://gardecojapan.com/2018/04/19/post-2072/

上記によると、肥料としては安い鶏糞の方が良さそうだ。土壌改良効果は薄いとのことだが、土壌改良については、現在のところ家の雑草や剪定材で十分に行っている。

ってことで、肥料方針を広げるのだが、僕の場合は、出来た苗がもったいないので狭い区画に密集植をしている。出来の悪いのはこれにも原因がありそうだ。密集植しても、出来が小さいなら無意味だ、と漸く気づいた。この点も改良の必要がありそうだ。

ただ問題は、米ぬかと異なり、鶏糞や牛糞には残留放射能についての規制がなことだ。そもそも鶏糞を使わなくなったのは、ジョイフル本田の鶏糞だったか牛糞だったかが残留放射能が高いとの評判があったからだ。それからは、放射能規制があった米からできる米ぬかだけに頼り始めたのだ。放射能のことを、もう忘れて良いのだろうか。


当時の記録では、我が家の庭で「除染前に0.3~0.5μSv/Hだったのが、0.2~0.3程度になったから、まぁ効果は十分となった。除染した土砂は厚手のビニール袋に貯めて庭の片隅に置いたが、袋表面で1μSv/Hなんて怖い数値が出ている。」と出ている。
実測して見ると、米ぬかは0.1未満だから心配はなさそうだ。我が家で落ち葉や剪定枝をあつめている場所では0.15程度はでている。やはり、関東エリヤはあの時の放射能に汚染されているわけだ。鶏糞についてはジョイフルホンダに測定に行ってみる。

http://www.town.hanawa.fukushima.jp/data/doc/1455090993_doc_7_0.pdf

2020年10月18日日曜日

福島原発事故 問題の本質

 福島原発では、吉田所長の行動を英雄的と評価する世論があるが、世界的巨大設備や、そのプロジェクを運営した経験のある僕から見ると、彼の施設運営は、あれほど危険な設備を運営するには最悪のものであったと言える。
最も問題となるのは、事故発生時の訓練を彼自身が経験した痕跡がないことだ。恐らく、彼の業務は、その地方の名士として、原子力発電所の運営の政治的な面を殆どとしていたことであろう。だが彼は、その一方で、危険時の運転の訓練を、自らでなくとも、誰かに担当させても、全電源遮断時を対処させるべきであり、自らも、その方法や危険度を認識すべきであった。事故時再現ドラマでは、なんと、停電状態で施設の配管などを懐中電池で照らして確認していた。かような危険施設にあっては、さようなものは頭の中に記憶すべきことだろう。
彼を英雄視する評価ポイントの殆どは、「彼が冷却水として海水の投入を、上層部の反対に抗して実行し、原子炉の冷却を果たしたとの」ことであるが、現実には、海水投入は何の意味も無かったことが、その後の検証で判った。それは、海水の投入パイプラインが抵抗の少ない別ルートに繋がっていて、そこから当初の投入水や、彼の決断後の投入海水の殆どが流出していて、肝心の原発炉心には、一分間にペットボトル2~3本分しか流入していなかったことが判ったのだ。技術者としては、配管ルートを確認しなかったとの初歩的ミスを彼は犯していたことになる。これらも、危機時対策訓練を実施していれば容易に考慮され対処できたであろうと想定する。実際に原子炉に投入する訓練では無くて、冷却水投入ラインを閉鎖して、投入ラインの水圧が上がることを確認するだけの訓練で良いのだ。技術者なら街の水道修理業者でも留意する基礎的ミスではないか。

彼の事故対応時の最大のミスは、事故時の最後の切り札なるイソコンの作動を無批判で信じて原子炉の炉心溶融を生じさせたことだ。
https://www.ene100.jp/fukushima/466
彼は、イソコンの作動を無根拠で信じていたことで、大事故を起こして日本の富を大きく棄損した。彼一人の責任ではないものの、彼の地位からすれば、その責任のかなりが彼の責任となるだろう。それに、彼の不眠の努力は一体何の意味があったのだろうか。
少なくとも僕の人生は、彼の様な、それに当時の東電の指導者層のような社会的な地位は得られなかったが、その果たした役割は社会でそれなりに認められる成果を遂げ、僕のプロジェクトは今も有効に社会貢献している。それはやはり意義のあるものだと思う。

日本の公的施設の殆ど、更には多くのプラント運営は、実際には、その下請け達に任されていて、元受会社とその運営責任者達は設備の安全性などについてはほぼ無関心に過ごしているのが実情だ。この組織の欠陥は今後も続くのだろう。
この現状は、日本軍の組織的な欠陥に通じ、それは更には、日本組織の欠陥にも通じているような気がする。



2020年10月17日土曜日

ソケイヘルニア(脱腸)手術、闘病記

 ソケイレルニアについて先に書いたが、症状は、ソケイ部下部横の睾丸に繋がる腺と思われる部分が腫れて痛くなり、次いで下腹部のいわゆる下腹(僕の場合は右側盲腸辺り)部が痛くなる症状だ。腺の部分の腹から腸が盛り上がっているような感触がある。手や鼠径バンドで抑えていると痛みが起こりにくいが、徐々に痛みが激しくなる。
CT検査では、うつぶせになり、頭と腰の部分に毛布を入れ込んだ姿勢なので、腰の部分は浮き上がり、その姿勢を続けるとけいれん状態となる。そこで、まともに写っただろうかと心配になったが、担当医は特に気にすることもなく、映像をみて「右側がヘルニアですね」と診断して、14日に手術すると宣告した。手術の方法としては切開方法と腹腔鏡内視方式があり、腹腔鏡方式だと小さな穴で済むとのことだ。となれば、当然、腹腔鏡手術を頼んだ。

ただ話を聞いて行くと、切開手術だと部分麻酔で、腹腔鏡方式だと全身麻酔とのことで、大丈夫だろうか、と心配になった。

なぜか、先ずは一週間後に歯科に行き、徹底的な歯石除去をされてマウスピース用の歯型をとった。全身麻酔中に、咥内の菌が肺に入ることを防止するためと、全身麻酔だと肺も停止するので、酸素吸入用の管(2cm程度)を口から肺に挿入するので、その際に歯を痛めないようにマウスピースを準備するとの事だ。更に、肺活量検査のようなのも行われた。自力呼吸が出来ず挿入管からの呼吸なので肺活量を高めておく必要があるのだろうか。これらの検査は、手術自体を腹腔鏡手術として簡略化するためには、それなりの作法準備が必要だと言うことだ。

10月13日午前中に夫婦で病院を訪れて、入院手続きや入院説明を受けてから、受付以降の入室はコロナの関係で独りで入院して、点滴の装着などの手術準備を終えた。病室は清潔な4人部屋で、入室時に同室者に挨拶すべきかと思っていたが、各ベッドはカーテンで仕切られているので、結局、退院まで同室の誰とも話すことはなかった。
入院後ベッドで測った最初の血圧は150近かったが、その後、手術を終えてからは105程度に落ちた。ずっとベッドで寝ているからと思われる。なお、最近は血圧の変動が大きく、一日何度も酢を入れた水を飲んだり、朝夕にタオルを握りしめることで、血圧は120台になっていた。入院時は何のケアーもしなかったが、入院後、帰宅した時調べても110台であった。

10月14日の手術は12時半予定が1時半に遅れた。点滴器を押しながら手術室に徒歩で移動した。手術室はかなり広い清潔な実験室の様な部屋で、手術担当者たちがにこやかに迎えてくれて、十分に周囲を観察する暇もなく、手術台に寝かされ、心電測定具とかを指、胸に付けられ、手術着の前を開けられ麻酔薬吸引マスクを口に押しあてられた。「眠くなりますよ」と二、三度か言われ、突然、目の前の景観が、ドスンと言う耳鳴りと共に、漆黒になった。(死ぬとはかようなことであるかと、死に対する恐怖は若干衰えた)
時間の感覚は全くなく、「起きて起きて」と言う言葉と一緒に、何人かの、緊張から解かれた時のような陽気な笑い声(多分、手術が無事に済んだので手術者たちも精神的に解放されたのだろう。このハイテンションな笑いは僕がプロジェクトで問題を見事に解決した時の精神状態と同じだ。)に包まれ、そのままどこかに運ばれ、別のベッドに移され、気付いたら、元の病室で横になっていた。夜になったが、なぜか左腕が抜けるように痛く眠れなかった。右脇腹を手術するので、体を傾けて左腕か左肩に荷重が掛ったのかと想像した。左脇腹にも試掘したらしいが、こちらは短時間だったので右腕には痛みがなかったのだろう。その肩の痛みで眠れず、手術日翌日は寝不足でしんどかった)
なお、尿道には手術中に尿管が挿入されていて、翌日に外されたが、その後、2日間は尿の度に尿道がかなり痛かった。このまま痛みが続くかと怖かったが、取り外して一日後には痛みはなくなった。なお、手術翌日の取り外し後最初の尿は看護師さんが出血の有無を確認する。冗談では無く、看護師さんは尿の確認とか、年寄りのチンポに尿管を差込んだり、これを抜いてチンポの周囲を消毒したりと大変だ。

なお食事は前日及び手術日の夕食までは食事なしで、腹が減って苦しかった。ただ手術前の3日間程便秘で、退院日の朝に漸く便が出て、腹は減ったが腸に溜まった便で腹が膨れてるって変な具合であった。手術前に便通の薬をもらえば良かった。

女房とはコロナの関係で、手術前の15分と手術後の15分だけ面会できた。

翌日は眠かったが、少しは歩こうと頑張った。看護婦さんのリハビリケアーとは一回、30メータ余りをふらつくことなく歩けるかどうかのチェックだけであった。
腹を確かめると、へその高さに右に小さな穴、ヘソの横に大きめの穴、左に最も小さな穴があった。先生のいわく、左もチェックしたが大丈夫であった。とのことだから左穴は試掘穴と言えるだろう。睾丸に続く線の所には全く何もしていないから、そこが膨れていたのは、脇腹の脱腸の二次的症状らしい。なお、家に帰って立っていても確かに睾丸に続く腺は膨れることも痛むこともなくなっていた。
どうしても傷口は痛いので、咳が出来ず痰を出すことが出来ないことがつらかった。
歩くことが出来たので、明日16日に退院と言われた。帰宅後18日には痛みが薄れて、行動が楽に出来るようになった。


16日朝の回診時に、抜糸はどうするのですか、と問うと、「抜糸はなし~」と言われた。確かに傷は小さくて勝手に閉じていた。ベッド周囲を片付けてまっていると、看護婦さんが翌日からの薬を持ってきて、点滴装置を外した。次いで、事務員さんが来て、請求書などを持ってきて退院手順を教えてくれた。僕はスーツケースを持って出て行き、支払手続き、生命保険支給のための手続きを終えて自宅に歩いて帰った。昼食は自宅でおかゆとした。

腹が痛くて、寝返れないことでの動作が出来ないのがつらい。が、徐々に回復している。

手術費用は1割負担5万3千円3程度で、診断証明書3千円程度、生命保険の支給金5万円、なので実質出費は6千程度と思う。

https://yamate.jcho.go.jp/wp-content/uploads/2015/02/koe_sokei-hernia_I.pdf
http://blog.livedoor.jp/alexgarden/archives/cat_50028461.html

退院後、鼠径部の精巣に続く腺は、やはり腫れていて、足との接続部(みぞおち部)の痛みが残り、開口部は、特に、大きく開けた右側の痛みは続いた。が、29日頃には、痛みは漸く軽くなった。なんとなく、手術は成功であったかなと思えた。24日に診断に行って、どこにシートを貼ったのかと聞くと、腹の下の方と言うだけで詳しい説明はなかった。口数の少ない先生なのだろう。困った人だ。なお、開口部にヨードチンキを塗ると、口が余計に開いたように感じたので、ヨードチンキは2日程度でやめた。これも聞く必要がある。

2020年10月12日月曜日

学術会議非難のためなら何でもする自民党議員や官僚は嘘も平気で言いだした。

そもそも学者には、国内の交通費と一日2万程度を 払うだけで、大金を天下り官僚を飼うための学術会議なのに、学者を非難するためには嘘も平気で言うようだ。

学術会議が「中国の千人計画に積極的に協力」とした自民・甘利議員、ブログをひっそり修正

配信

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BuzzFeed Japan

任命問題で注目されている日本学術会議をめぐり、中国による科学者の招聘事業「千人計画」に「積極的に協力している」とブログに記していた自民党の甘利明・元経済再生担当相が表現を修正していたことがわかった。甘利氏のブログは複数のメディアやまとめサイトが引用する「ソース」になっていたが、10月12日までに書き換えられたブログでは「間接的に協力しているように映ります」と表現を濁している。この件をめぐっては、学術会議も組織としての「千人計画」への協力を明確に否定していたほか、加藤勝信官房長官も同日午前の会見で同様に否定した。【BuzzFeed Japan/籏智 広太】 【写真】甘利氏のブログ、修正前と修正後の比較

まず、経緯を振り返る

「日本学術会議は中国の千人計画に関わっている」という情報は、インターネット上で関連する言説で多く拡散していた。 「千人計画」とは、中国政府が各国の優秀な研究者を招致するために進めている事業だ。国家的プロジェクトとして2008年から始まり、外国人と国外の中国人を対象にした事業がある。 技術流出、盗用、さらには軍事転用への懸念を示す声もあがっており、こうした文脈から「学術会議は千人計画に協力している」として批判をするような言説が広がり、さらに発展して「学術会議は中国の軍事研究に協力している」などとする指摘もあがった。 学術会議が「千人計画」に携わっているという言説は、ニュース系のYouTubeチャンネルや複数のまとめサイトを通じて拡散していたが、一般的なメディアでも取り上げられつつある。 この件をめぐって、学術会議事務局はBuzzFeed Newsの取材に対し、「千人計画」や中国の軍事研究そのものへの関与を明確に否定。 学術会議は中国科学技術協会との間に会議やセミナーなどを通じた「情報交換」や、研究者間の交流、共同ワークショップの開催などの取り組みを進めていくことに関する「協力覚書」を2015年に結んでいるが、そもそも学術会議の予算面の問題から、国際的な研究プロジェクトなどを実施することは、中国以外の国ともできていないとしている。 つまり、軍事研究や千人計画以前に、学術会議として他国との間で「研究(計画)に協力」しているという事実がない、ということだ。 なお、この点については、10月12日午前の加藤勝信官房長官も会見で「多国間、二国間の枠組みを通じた学術交流を行っているところでありますが、中国の千人計画を支援する学術交流事業を行っているとは承知しておりません」と否定している。

2020年10月10日土曜日

学術会議、その後のトラブル

 その後の報道からすると、数名の学術会議会員を拒絶したのは、菅首相ではなく、学術会議を管轄する官僚であったようだ。菅首相としては、なぜ拒絶したのかを知る筈もなく、その件についての答弁は、官僚が書いた通りに答弁しているわけだ。それならば、ややこしい答弁はせずに、「私は関与していないので官僚に答弁させます」と答えればよいのだ。それは過去の首相が、「首相は学術会議院の選定には関与していない」と言い切っているのだからそれで良いのだ。
また、学術会員は、日当2万円と交通費を支給されるだけで、10億円の半分は、学術会議運営事務局の経費、つまり、天下り官僚たちの給料ってことらしい。
となれば、後は、河野行革大臣が、官僚達の無駄使いを追及すれば片付く問題のようだ。
結局は、自民党と官僚達の陰での策動が、たまたま表面に出てきたってことらしい。

予算など「聖域なく」 河野規制改革相、学術会議巡り

政治
社会・くらし
2020/10/9 22:44
1782文字
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菅義偉首相が新会員候補6人を任命しなかった日本学術会議を巡り、政府は9日、会議のあり方を検証する方針を明らかにした。政府・自民党にはかねて会員の選考過程や活動状況の問題を指摘する声があり、運営方法や組織形態の見直しが進む可能性がある。

河野太郎規制改革相は9日の記者会見で、学術会議の予算や事務局の人員の妥当性を検証すると表明し「聖域なく見ていく」と強調した。加藤勝信官房長官も記者会見で「河野氏の下、学術会議のあり方について与党と連携しながら検証が行われる」と説明した。

焦点になりそうなのが、首相が「事実上、現会員が自分の後任を指名することも可能」とする会員の選考方法だ。

会員の定員は210人で、半数が3年に1度改選される。候補者選考ではまず現役の会員らが、研究や受賞歴といった実績から会員にふさわしいと考える日本人をそれぞれ2人まで推薦。退職する会員も推薦できる。

選考委員会は候補者名簿を作成し、正副会長らでつくる幹事会に提出。総会での承認を経て、正式に首相に推薦する。

過去には2度の大きな変更があった。1949年の発足当初、会員は科学者同士の選挙で決まっていた。第2次大戦で科学技術が軍事利用された反省から発足した経緯もあり、軍事と距離を置くべきだと考える人の立候補が多くなった。

政府・自民党が問題視し、組織票が目立ってきたことなどから84年、会員選びは各学会の推薦に基づく首相の任命制に変更された。一方で同制度は学会内で会員を引き継いだり、特定分野に提言が偏ったりする問題が露呈。組織の廃止論も浮上する中で2005年には現行方式に変え、70歳定年制を導入した。

それでも候補者選びに外部の意見が入りにくい点は変わらず、15年には内閣府の有識者会議が選考過程の透明化を求めた。政府によると、今回任命された99人のうち81人は会員の推薦などで選ばれる「連携会員」(約2千人)の出身者。こうした実態が「会員を内輪で選んでいる」との批判につながっている。

活動にも課題がある。学術会議は発足後しばらくは法律に基づく政府への勧告などで影響力があった。東京大学原子核研究所(現・高エネルギー加速器研究機構)や国立極地研究所など、学術会議の勧告で設立された研究機関も少なくない。

1959年の政府の科学技術会議(現・総合科学技術・イノベーション会議)発足や、67年の旧文部省による学術審議会の設置を受け、政策への関与の度合いは薄れていった。

勧告は科学技術基本法の見直しなどについて2010年に出したのが最後で、答申は07年以降に政府の諮問がないため出ていない。省庁からの審議依頼への回答も過去10年で8件にとどまる。

ゲノム編集技術の臨床応用に対する法規制など過去3年でまとめた提言は80を超えるものの、影響力は限られる。

学術会議の20年度予算10億4896万円のうち、最も多くを占めるのは事務局の人件費4億3380万円だ。会員に固定給はなく、総会や委員会に参加した際の手当1万9600円(税込み)が出る。会員経験者への年金制度は存在しない。今後は公費に見合った活動実績があるか、より厳しく問われそうだ。

■欧米、非政府組織が中心
 「アカデミー」と呼ばれ、政府への助言や提言を担う科学学術団体は各国にあるが、日本学術会議とは異なる点が多い。
 学術会議が政府機関なのに対し、米科学アカデミーは独立民間非営利組織、仏科学アカデミーや英国王立協会は非政府組織(NGO)と、欧米は独立性が高い。
 欧米などの団体も政府の資金支援を受けるが、予算に国費が占める割合は3~8割程度で、寄付や基本財産の運用益、財団からの助成金なども含めて運営されている。
 予算規模が年数十億~数百億円に達する団体もある。研究費の助成や奨学金支給、顕彰の機能を持っていたり、ドイツのように研究を直接実施したりするためだ。
 会員が特別職の国家公務員という身分も日本ならではだ。欧米は会員が民間人で報酬はトップのみに出る組織が大半だ。
 欧米も現会員が後任を推薦する選出方法が多く、終身会員が中心となることから審査時は研究成果など学術上の功績に重点を置く。人選を巡る批判は少ないという。
 学術会議の元会員は「政府からの独立性が高い方が重みが増す。日本も財政状況は厳しいが、独立性を高めるため組織のあり方を見直すときかもしれない」と話す。

2020年10月9日金曜日

現政府には、元々、IT革命なんて意に介する気はなかったのだ。今も昔も。

 僕が、自衛隊の自動化設備では、かなりの受注をしているのだが、僕の納入設備は、先端機械設備で、例えば富士通とかNECは、各省庁ごとに全体のソフトを請け合っている。彼等は、その利権で無茶苦茶儲けていて、我々の機械設備のソフトとの連携では、信じられないほど高額の見積もりを提示して、単独入札だから、ほぼそんままの金額で受注する。僕の納入部分もまあまあの金額だが、彼らの利益は目に余るほどで、なぜ官庁はさような発注をするのだろうかと不思議に思っていた。しかも、省庁ごとにソフト会社が異なるから、相互の接続は殆どない。そんな状況を見ていると、国家組織のIT化なんて口だけだろうと考えていたが、その通りであった。金の無駄使いも、これに極まれりであったし、これからも同じであろう。レベルの低い官僚たちには何も期待できないだろう。

デジタル行政、怠慢の20年 明暗分けた国民番号
デジタル行政 怠慢の20年(上)

経済
2020/10/7 2:00 (2020/10/7 5:15更新)
1208文字
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政府は2000年、ソニーCEOだった出井伸之氏(左)を議長とする会議でIT戦略を打ち出した(右は当時の森喜朗首相)

政府は2000年、ソニーCEOだった出井伸之氏(左)を議長とする会議でIT戦略を打ち出した(右は当時の森喜朗首相)
お気楽な森首相は、2020年の昨日には、オリンピックのコストダウンたった300億円で、「よくやった」なんて馬鹿を言っている。

行政のデジタル化を掲げる菅義偉政権が発足した。だが日本政府は20年前にも「5年で世界最先端のIT(情報技術)国家を目指す」との目標を掲げていた。過去の失敗の教訓と改革成功へのヒントを探る。

北欧のデンマーク。国民にとって「役所」とはほぼデジタル空間上の存在を指す。約580万人の全国民の8割がデジタルIDを持ち、給付金や税金など役所からの通知は全てネット上の「電子私書箱」に届く。

住所変更、入学手続き、年金……。生活に関わるほぼ全ての手続きがオンライン上で完結する。離婚もワンクリックでできるため、3カ月間の冷却期間を設けることが一時的に法律で定められたこともある。デジタル行政が当たり前のように生活の随所に行き渡り、国連の電子政府ランキングでは1位に輝く。

デンマークが取り組みを本格化したのは2001年。デジタル署名制度の開始を皮切りに政策を推し進めた。07年に公共機関に統一のIT基盤の使用を義務化。14年には15歳以上に電子私書箱の使用を原則として義務付けるなど、行政のあり方を変えてきた。

一方の日本。新型コロナウイルス禍で露呈したのは行政手続きをいまだに紙に依存した「アナログ国家」の姿だ。00年に「IT基本戦略」を打ち出したのに、世界の背中はむしろ遠ざかった。

両国の20年間を大きく分けた要因の一つに、国民番号制度がある。デンマークでは1968年に始めた番号制度を使い、その基盤の上にデジタル行政の枠組みを整えた。韓国やエストニアなど先進的な取り組みで知られる国はほぼ全て同様の制度が浸透している。

日本のマイナンバーカードの普及率はわずか2割弱。政府が情報を一元的に管理することへの国民の不信感を拭えないことが、普及を阻む最大の壁だ。デンマークでは「国との情報共有は必ず本人の同意が要る」(同大使館の上郡明子上席商務官)など、利便性と安全性のバランスを取る工夫に余念がない。

デジタル化が政権の最優先課題になったことが一度もなかった日本では改革のスピードも遅い。

民間出身で政府CIO上席補佐官を務める平本健二氏が「この20年間で数少ない成功事例だ」と語るのが約6万字に上る漢字の国際規格化だ。端末や機種に関係なく正しい漢字が表示できるようになった。デジタル行政に欠かせない一歩だが、IT戦略策定から実現まで17年もかかった。

米政府はデジタル投資の進捗や評価を国民がネット上で簡単に把握できる。日本では各省庁別の投資額を調べようとしても17年度までしか更新されていない。

官僚にとって業務のデジタル化は政策立案などに比べて優先度の低い仕事だった。情報漏洩など失敗のリスクがある一方、やらなくても平時は問題にならない。「怠慢の20年」の繰り返しを防ぐには、官僚の背中を押す仕掛けが要る。

菅政権誕生で再びデジタル化のスタートラインに立った日本。コロナで国民の関心が高まったこの機を逃せば、世界の背中は全く見えなくなる。



菅首相の限界が暴露されてきたようだ。

 なぜこの重大な局面で日本学術会議の新会員メンバーに承認を与えなかったのだろう。学術会議を改革したいのなら、極めて公正な手段を取り、それが国家の為にいかに重要かを国民の多くに訴えてからの事で、今この時点で、たった6人の任命を許可しないなんて姑息な手段は無駄な行為だろう。結局、菅首相は彼が安倍政権の手足として、それも官房長官として主として記者会見で安倍政権の行動を、責任無く報告するだけの職務を果たした、そのままの姿勢で首相の任務を果たそうとしているのだろう。

ただ、学術会議に年間10億円も消費することには、その根拠を明確化して極力節約するとの行為は官僚のやるべき義務で、それを怠っていたことは官僚のミスであり、たった6人の任命を許可しないことで解決できることではないだろう。それに、何の意味も無かったアベノマスクに200億円も消費する日本の官僚達に何を言う権利もないだろう。要するに日本は官僚政治家が全てのネックなのだ。

任命拒否、行革機運に冷や水

2020/10/9付
926文字
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日本学術会議が推薦した新会員候補6人の任命が菅義偉首相によって拒否され、日本学術会議は、その理由の説明と6人の速やかな任命を求める要望書を提出した。こうした動きに対して首相は「(会議の)総合的、俯瞰(ふかん)的活動を確保する観点から今回の任命について判断した」と述べ、なぜ特定の6人の任命を拒否したのかについて「人事に関すること」と基準すら説明しなかった。世論調査では任命拒否を不適切とするものが過半数を占め、野党は国会審議を求めている。

日本学術会議法第7条2項には「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とある。第17条は「日本学術会議は……優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し……内閣総理大臣に推薦するものとする」と規定している。つまり、法は、日本学術会議が優れた研究又は業績がある科学者を推薦し、それに基づき首相が会員を任命すると定めている。

そこには「総合的、俯瞰的活動を確保する観点から判断」という言葉はない。現に法の専門家集団である法学委員会は「日本学術会議法上、首相には会員を選考、罷免する権限はない」との考えで一致したとされる。この論争は今後も続くだろう。場合によっては、任命拒否を「行政行為」とみなし、司法の判断を得るべく、行政訴訟を提起する動きも考えられる。

衆院議員の任期満了まであと1年、選挙による国民審判を受けていない菅内閣がなぜこのような政治体力をそぐ判断をしたのか不可解である。菅内閣は行政改革やデジタル庁創設などの力仕事を選択し、支持率74%と国民の高い期待を受けた。例えば、デジタル庁は屋上屋を架すような組織でなく、総務省・経済産業省・内閣府など関係省庁から新生デジタル庁所管分野を分離統合するのでなければ機能しないだろう。政治体力はそちらに向けるべきである。

首相は就任会見で「安倍政権での国民や国会への説明不足という負の側面を継承するか」と問われ、「ご指摘のような問題が二度と起こらぬよう取り組む」と答えている。「国民のために働く内閣」なのかどうか。ぜひとも首相自ら、6人の任命を拒否したことが国民のために働いた結果であると説得力ある説明をする必要がある。

(万年青)

2020年10月8日木曜日

棟包取替の実施計画

 棟包の取替計画はここで記載している。
http://isabon.blogspot.com/2018/12/blog-post.html
http://isabon.blogspot.com/2018/12/blog-post_35.html
http://isabon.blogspot.com/2019/02/blog-post_3.html
http://isabon.blogspot.com/2019/10/blog-post.html
参考になる情報、特に寄棟部の仕舞で参考になるのはこれです。
棟包の基本
https://ameblo.jp/amebsblog/entry-12401394459.html
棟包の寄棟部
https://www.youtube.com/watch?v=tgbWtQXDiMk
https://www.youtube.com/watch?v=A_RDxKipyDE
https://www.youtube.com/watch?v=cyHwXMSf1-8
https://www.youtube.com/watch?v=JK9PJ3K0vRU
手際よい寄棟部
https://www.youtube.com/watch?v=e3OzFBSf5zw
手際の良い棟包の外し方
https://www.youtube.com/watch?v=Wrg0Rta145E
繋ぎ部シーラントで防水
 https://www.youtube.com/watch?v=M5naFAz0IaQ
貫板の外側全長にシーラント
https://www.youtube.com/watch?v=_wjd1VuJF8M
しかし、上記の動画では、肝心の寄棟部の最後に被せる部分の曲げ方は見えない。仕方が無いので、最後に被せる先端部の飛び出した所でセンターで切って、お互いに重なるように曲げることとしよう。また、切り口とか重なり部には、十分にシールを施して防水することにする。その部分のシールには塗装する必要はないので安いシリコン系のシールで良いだろう。上記動画を良く観察すると、寄棟部の最後の棟包のカバー部は切断してから曲げているように見えるが、出来た後の画面では切り口はない。どうやら、叩いて曲げているようだ。下の二枚の形状に沿って木づちで叩いて曲げてみよう。

さて、コロナの関係で実施が遅れていたが、いよいよ実行となる。

その他の参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=Wrg0Rta145E
https://www.youtube.com/watch?v=vnqtKrrXv9U

さて、工事手順と留意事項を記述しよう。最大5日予定
1)工事資材と工具を屋根に上げる。(0.5日)
  但し、初日、食材及びシーラント、コーススレッド、マジック調達を含めて(合計1日)

  棟板2m物14枚 貫板2m物26本 3.8x41mmコーススレッド2袋 
  シリコンシーラント(非塗装部、棟包部は塗料替わり)
  
  筆記具 記録ノート カメラ
  ドライバー(充電)ドリルドライバー 電源コード2本 2mmドリルビット 
  ビット締付工具
  金切鋏 ヤットコ 釘抜 ペンチ 金槌 木槌 
  貫板切断用ノコギリ 箒 角尺金尺 メジャー シーラント用充填機 マジック(赤
  黒白)シーラント押込みヘラ降雨時カバー カッター(穴埋めに貼ったガムテープ切)

2)既設棟包の撤去・掃除・くぎ穴及び屋根スレートとの間にシーラント埋め (1.0日)
  既設貫板除去前に、貫板の端位置をマーキング、寄棟部の貫板切断寸法を旧品を確認し 
   て確認して新品にけがき写す コーススレッド打込みピッチの確認 寄棟部の仕舞確認
  掃除後、屋根側板の釘穴や損傷部にシーラント埋めを施す。シーラント埋めは十分に
   うことが重要だ。シーラント不足で施工部分を減らすのは後に憂いを残す。
  その後、屋根スレートと屋根板の間に防水用塗装を行う。

3)貫板の配置と加工 (0.5日)
  加工は寄棟部の貫板が斜めに突き当たる部分だ。突き当り部分から2m板を配置する。
  短い貫板が、斜め部下側に来るように配置する。

4)貫板のスレッド止め。(1.0日)
  スレッドを打ち込む前に、屋根板の上の貫板が置かれる部分にシールを滑らないように 
  塗り、その上に貫板を置き、足でしっかりと踏みつけ、その上に棟包を被せて、被せれ
  ることを確認して、貫板の位置をマジックで印をつける。棟包をずらしながら貫板両端
  を順次 スレッドを打ち込む。打込む前に棟包位置のマジックを確認する。
  貫板の全長に、既設のくぎ寸法に合わせて、スレッド打込み。
  貫板打込みスレッドの頭にシール塗布。

5)棟包の設置 (2日)
  棟包を下流側から大略配置して、切断・折り返しの無い棟包の接続部折り返し・接続部
  袴の加工・位置決めを行う。斜め部4線、水平部1線の合計5線ある。斜め1線毎に設置
  し取付けて、斜め4線を終えたら水平部を設置する。
  出来れば寄棟部の加工・接続部の加工では、切りっぱなしにならないよう、10mm程度
  の折込代を取り、切断後は折り込む。

  ①斜め部下側から棟包を取付けて行くが、棟包間には十分にシーラントを塗る。
  ②棟包を足でしっかりと踏みしめて、特に棟包接続部での隙間が生じないように、
   足で踏みつけ抑えながらスレッドを打ち込む。
  ③コーススレッドの数量が不足する可能性もあるので、各棟抑えの両端を止めて、
   中間部のスレッド打込みは全てを配置してからとする。

  ④スレッドは下向きにならないよう、更に幹部にシーラントを塗布してから打込み。
   (防水効果)

以上合計5日を予定する。予備一日で、6日で完成する。
施行日は、11/3~11/13 (10日間但し除草日2日間として、8日間あり)

なかなか難しいと恐怖も感じる。ただ、作業内容からすると、技術的に難しいのは、3方から集まる棟寄せでの仕舞である。3方から角度の違う棟包が集まってくるところを、うまくカバー出来るかである。参考資料でも、その部分の工事は、実際にカバーするところは、わざと外している。そこの所を放映すると、技術を盗まれるから、わざと放映しないようである。
だが、客観的に考えると、例え失敗しても、その部分だけをやり直せば良いだけのことで、たいしたことではない。それにその部分は作業でも最終部分だから遣り直しは容易である。従って、第一回目は、とにかくカバーできるように楽しんで遣れば良いのだ。見栄えはどうでも、雨水の流れが外向きになり、出来るだけ密閉をする。特に、棟包の内部でだけでなく、貫板と屋根板の間や、くぎ穴、外部との接続部、棟包同士の接続部など、シーラントを出来るだけ使って防水することだ。

太陽光発電では、電気工事士の資格を取るだけで気力が続かなかったが、足場を自分で買い、壁や屋根をDIYで塗り替えたり、給湯器の設置やガス・水配管をDIYした僕である。今回はそれに比べれば簡単なことではないか。

むしろ既設棟包の材料の処理をどうするかが問題だ。
これについては、使えるものは、倉庫の天井がかなり損傷しているので、その上にカバーとして再利用するのと、損傷がひどすぎるのは、切断して放置して更に腐食を進めるか、十分に細かくなったものは不燃ごみとして出すことにしよう。

楽しめそう。楽しもう。




  




2020年10月6日火曜日

個人営業って、えらく儲かるものなんだなぁ。

 2年間で5億円の脱税だってさ。

水産業者が5億円脱税疑い 福岡地検、2人逮捕

配信

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共同通信

 福岡地検は6日、架空の仕入れを計上するなどし税金約5億円を免れたとして、法人税法違反や消費税法違反などの疑いで、福岡県柳川市の水産物加工販売会社「善明」の代表取締役吉川昌秀容疑者(32)と、従業員高口直美容疑者(57)を逮捕した。  逮捕容疑は、架空の商品仕入れを計上するなどし、2016年7月期~18年7月期の所得計約4億9400万円を隠し、法人税と地方法人税計約1億1900万円を免れた。また、同じ期間に消費税と地方消費税計約3億8600万円を免れた疑い。  地検によると、高口容疑者は経理を担当していた。

僕が自分の勤めた住友重機械が大っきらいな理由

 以前にも書いたと思うが、55歳の時に、まだ自動倉庫関連の受注を順調にこなしているにも拘わらず肩を叩かれた。それも、面談なんぞは全くなく、昼食を食べる場所に弁当を持って、事務所の通路を歩いていると、当時、僕の部署の所属長になった、自動倉庫のことも全く無知な、こねだけで所属長になった、しかも、同じ高校の先輩なる男が、通りすがりに、「そろそろ辞めてもらわねばならない。管理職は断れんのや」との声掛けで、僕の退職は決まった。その部署に配置転換になってからは冷凍自動倉庫や、自衛隊の自動弾薬倉庫とか、造幣局の紙ロール自動倉庫とか、会社としてもは初めての設備を受注し、更にその頃は、世界でも初めての再資源化ごみの巨大自動倉庫の受注にも成功したすぐ後で、肩を叩かれるとは思いもしなかった。ただ、首になっても外注として働けるとの事で、その後の面談では年下の総務部長には、「事業部長には辞めさせろと言われているが、そこまでではなくて外注として働いてもらう」と恩着せがましく言われた。事業部長は、僕とは会社の同期で会えば話すって間柄だったから、そんなことを言う筈は無いと思ったが、黙って聞いていた。再資源化ごみ施設をメインで受注した環境事業部の担当者に事情を説明したら、「外注として当方で働く気があるのなら、自動倉庫部よりもは好条件でも良いですよ」と誘われた。再資源化施設については昔から興味があったので、その誘いに乗って移動したが、この判断は正解であり、その後の10年近くを実に意義ある仕事を出来た。
話は変わるが、自動倉庫部の前の所属長は、たまたま、エレベータに乗ろうとした時に、その箱から降りてきて、「大阪に行かんか?」と聞いてきたので、「何をしに行くのですか?」と聞いたら、それだけで何も言わずに去って行き、そのまま、何の話も無かった。僕からのどんな回答を期待したのだろうか?。どうやら、僕が30代半ばまで大阪の部署に所属していたので声を掛けただけのことらしい。大阪の部署は従来はベルコンベヤ設備が主で、その頃、自動倉庫部門もその部署に分室を作っていた、が、共に余り業績は上がっていなかった。僕は、大阪でベルトコンベヤ設備に従事していたし、ベルトコンベヤについての自動見積り・設計システムを完成していたし、また自動倉庫設備にも習熟していたので、恐らく、僕が行っていたら立て直せたと思うが、移動を提案されたものとしては当然の「何をするのか?」との質問にも答えないで、部下に何を期待するのだろうか?
その上司は、自信過剰ではあるが何事にも臆病な住友重機械特有の管理職で、自分が指図さえすれば、誰でも何でも出来ると考えていたのだろう。で、部下には追従だけを期待するので、僕には全く期待することはなく、僕の反応をみただけのことらしい。「何をしに行くのか」と聞くよりは、言われた通りに行動することが期待されたらしい。かくして、結局は、大阪の部署は成果が挙がらず、閉鎖された。

住友重機械のような会社には、どうやら、まともな面談などは期待できない。弁当持参の部下とか、エレベータ待ちの部下に移動の声掛けとは、本当に変わった会社だった。しかも、自己都合退職とされ、退職金の優遇措置は全くなされないって、長年の勤務と好成果は全く顧慮されないって酷い待遇であった。

そんな会社に下記のような日経の記事は全く無駄だと思う。

ところで、古巣の運搬機事業部時代から、自動倉庫への移動後も、その後の、環境設備への移動後でも、僕は、プロジェクト受注の先兵ととして働いた。客先との打ち合わせから、見積り・設計・計算・資料の作成などの全てを誰の手助けも無く行って多くの設備を受注できた。古巣の運搬機事業部では設備の設計からプロジェクト完了までも、しかも海外案件でさえ、加えて、国内・海外プロジェクトの据付スーパーバイザーでさえ自分で遣ったのだから、我ながら良くやったものだと思う。それだけに、特に歳を取ってからの移動後は必死であったと思うが、今になって思うと、もっと楽しんでも良かったかなとも思う。

人事面談 意思を明確に
異動前に理由の確認を

2020/10/6付
1388文字
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面談では遠慮せず思いを伝えたい(イメージ図)

面談では遠慮せず思いを伝えたい(イメージ図)

組織で働く人に異動はつきものだ。ドラマ「半沢直樹」では主人公が異動しながらも仲間と奮闘する姿が人気を呼んだ。働き方の大きな転機になる人事異動にどう向き合えばいいのか。心構えを探った。

「異動はまず面談から始まる」。企業人事に詳しい神戸松蔭女子学院大学の楠木新教授はこう話す。多くの企業では仕事の目標を設定する面談の際に、キャリアの希望や可能な勤務地を尋ねる。そこで「遠慮して明確な希望を伝えない人が多いが、どこでどんな仕事をしたいのか、きちんと話すべきだ」と強調する。

たとえば4月に大きな異動がある企業の場合、前年の12月ごろに新しい組織の体制を決め、人を配置していくケースが多い。各人の情報を整理する段階で希望を明確に出していれば、配置を考えるときに意識してもらいやすい。

上司に意見を言いにくい人は「形だけでも前向きな姿勢を示しておくことが大切だ」(楠木教授)。「この仕事は嫌だ」という否定的な言い方ではなく、今の部署や違う部署でこんな仕事をやりたい、などと積極的な意思を伝えてほしい。

実際に異動の打診を受けたときはどのように受け止めればいいか。人材紹介を手掛けるクライス・アンド・カンパニー(東京・港)の丸山貴宏社長は「異動は社内転職として前向きに捉えるべきだ」と話す。特に若手は「身分を保障されて新しい仕事や能力を身につけられる。こんなにありがたい機会はない」と指摘する。

打診された異動が希望通りではない場合も少なくないだろう。怒りや不安が募るだろうが、楠木教授は「退社などすぐに極端なことを考えるべきではない」と話す。自分の適性を他人の方が分かっていることも多いためだ。

まず、上司に異動の理由や自分に期待していることなど、聞きたいことは全て確認しよう。それでも納得できない場合は「異動先の仕事は嫌だ」など否定的な言葉は使わずに「今の職場でこう活躍したい」などと伝える。もちろん家庭の事情など、どうしても受け入れられなければはっきり話そう。

「一度内示が出た異動は家庭の事情などが無い限り変えるのは難しい」(楠木教授)。人事部や上層部に直談判するのも一つの手だが、周囲の印象が悪くなるリスクはある。

異動が決まればあとは新しい職場で活躍するだけだ。まず異動先では仕事仲間の信頼を得よう。特に望まぬ異動で自分の思いを一方的に主張したり、異動先の文化を批判するなどして仕事場になじめないケースは多い。特に若手は挨拶や返事など基本を大切にしよう。

どうしても意に沿わない異動ならば、転職も選択肢の一つだ。クライス・アンド・カンパニーの丸山社長は転職の前提として「現在とは違うやりたい仕事があること。もしくは、異動前の職務を今後も続けたいという強い思いがあること」を挙げる。企業が中途人材を評価するのは能力と仕事への思いだ。

まずは世の中で自分の能力や思いがどう評価されるか。他社の知り合いや人材会社に話を聞くなど、情報を集めるのが先決だ。

意に沿わない異動でも考え方次第で新たな能力や人脈を築ける。とはいえ、新卒から定年退職まで、1つの会社に勤め上げるのはもはや当たり前ではなくなった。「今の会社が自分の世界の全てと思うことは危険だ。他社の人の話を聞くなど、今の会社以外の世界を知ることは非常に大切だ」(丸山社長)。趣味や社外の人脈も大切にしながら会社生活をうまく過ごしたい。

(藤井太郎)


2020年10月3日土曜日

本を楽しむには、読まなくても手元に置いておくって方法も有るようだ。

 確かに僕にも何冊か、それとも、何十冊のさような本があり、amazonやメルカリで売れる度に寂しく感じる本がある。「ベルトコンベヤの計画の管理」とか、「漏洩防止法」とか、「赤毛のアン」もそうだろう。無理やり売るのはやめておこう。たとえ、僕の死後にごみくずとなろうともである。


<書物の身の上 出久根達郎>愛すべき漫画の思い出
落丁騒ぎや作者との交流

2020/10/3付
1959文字
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女優・吉永小百合は、声でデビューした。昭和三十二(一九五七)年当時の子どもたちは、定刻六時になるとラジオに耳を傾けた。「ちょこざいな小僧め、名をなのれ」「赤胴鈴之助だ」。そして剣をとっては日本一に、という主題曲が流れてくる。鈴之助の師、千葉周作の娘さゆりが、吉永小百合の役だった。張りのある、歯切れのよい東京弁である。田舎の少年(筆者である)は声から絶世の美女を想像し(実際そうだが)、「さゆり」に恋をした。

「赤胴鈴之助」はもともと漫画の主人公だっ

イラスト・南伸坊

イラスト・南伸坊

た。月刊誌「少年画報」に連載されていて、熱狂的に読まれた。「漫画の神様」手塚治虫と人気を分け合っていた福井英一の作品だった。ところが第一回を発表した直後、過労で三十三歳の若さで急死した。急きょ武内つなよしが引き継いだ。武内つなよし版『赤胴鈴之助』が爆発的ヒットをしたのである。従って武内が実質的な原作者となる。福井英一は忘れられた。

昭和四十六年夏、私は友人たちと伊豆の大瀬崎でキャンプを張っていた。昼の食事を作っていたら、空の高みで遠くドーンと腹にこたえる音がした。あとでわかったが全日空機と自衛隊機が岩手の雫石(しずくいし)上空で衝突した音であった。大瀬崎入口のバス停前に、氷屋があった。私たちが氷イチゴを注文すると、奥のテレビが衝突事故を報じていた。店の壁には本棚が据えてあって、古い漫画がびっしりと詰まっていた。氷屋は夏場の商いで、本来は貸本屋なのだろう。福井英一の『豆らいでん』があった。昭和二十九年十一月発行、定価百三十円、発行所は太平洋文庫である。他の漫画に比べると、汚れが少ない。私は譲ってほしい、と交渉した。店主は難色を示したが、金額を告げると了承した。私は古本屋の番頭だったから、相手が満足する値段を提示したのである。友人たちは、しかし私がうまい商売をしたと早合点し、奢(おご)れよ、今回の酒代は皆お前が持て、とたかった。

私は福井英一がほしかったのである。転売するつもりはなかった。福井は手塚治虫や杉浦茂やうしおそうじと共に、大好きな漫画家であった。『豆らいでん』は宝ものにした。

通信販売を始めた頃、売り物の目玉に窮して、虎の子を手離すことになった。古い漫画本は、その頃、一部の愛好者が収集していて、一般人は見向きもしなかった。ブームが起こるのはこの数年後である。手塚治虫の『新宝島』に百万円の値がつき、それを小学生がお年玉を貯(た)めて買いに来た。

『豆らいでん』には二千円の売価を付した。早速、地方のお客から引きあいがあった。送金を確認し、思い出の品を郵送した。ところが数日後、落丁があったと連絡がきた。本文一頁(ページ)が抜けている、という。そんなはずはない、大瀬崎から帰ってすぐに私は読んだのである。しかし現に欠落していると断言されると、つっぱねる自信はない。漫画は拾い読みのような形で読むことが多い。物語によっては一頁飛ばしても気がつかぬ場合も、なきにしもあらずだ。証明できない。

客は大幅に値引きしてくれるならもらう、と言う。落丁本は商品にならぬ。買ってくれるだけありがたい。だが私は断った。自分で持っていたい。客は未練げに再考をうながしたが、私は返金の手続きをとった。

後年この話を同業にすると、食わせ者の手口だと教えられた。傷物は売りものにできぬので返品に及ばぬ、進呈すると詫(わ)びるや、得たりと破いた頁を復原するのだそうである。されば貴重な本は、「落丁乱丁他調査済み」の伝票を挟んで届けるよし。

『豆らいでん』の落丁本は、その後、落丁でも構わないから是非ほしい、とせがむ客に売った。傷本だろうと何だろうと、「本物」なら手元に置いて眺めていたい。それが漫画本の良さです、とその客は笑った。

二十年前になる。新聞の出版広告で著者「うしおそうじ」の名を見つけ目をみはった。『昭和漫画雑記帖』という本だった。健在だったのだ。なつかしく、取りよせて夢中で読んだ。

小学生の頃、この人の『どんぐり天狗(てんぐ)』や『朱房の小天狗』の時代劇漫画が大好きだった。丸みのあるなごやかなタッチの絵と、ストーリーの面白さ、垢(あか)ぬけたセンスが何ともこころよかった。そのはずだ、氏は東京・芝生まれのきっすいの江戸っ子、と先の本で知った。戦前、東宝の特技課で、ゴジラの生みの親の円谷(つぶらや)英二の愛弟子(まなでし)だった。『昭和漫画雑記帖』の紹介文を書いたら、それを目にした氏から丁重な手紙をいただいた。作品の雰囲気そのままの、ほのぼのとした筆跡である。何度か手紙のやりとりをした。手塚治虫伝を執筆中とあり、こんな文章があった。「彼が私を尋ねて来て意気投合した昭和二十七年春以降親交を深め福井英一の死によって私が『東京児童漫画会』に引張こまれ」うんぬん。(作家)

中国に比べれば、日本の方がましのようだ。

中国の習書記長は隠していた爪を露わにし始めた。でも考えると、もともと共産主義なるものは、自由な考え方を拒絶するものだから仕方が無いか。
共産主義は宗教を否定するが、実は、宗教と同じようなもので、神の代りに、習書記長を崇めるものなのだ。かような時代には、習思想なるものを標榜して、サイコパス的な人間達が強大な力を持ち始める。彼等は、その行動によっていずれは起こる自分自身の破滅に拘束されないから、一般的な中国人どころか、その他の人類の破滅にも拘束されない行動を取ることが恐ろしいわけだ。そもそも、そのような集団の指導者自身がサイコパスであることが多く、かような指導者が強大な中国の指導者となったことが人類の不幸の始まりと言えるだろう。でも、米国大統領も典型的なサイコパスだから、世界の破滅はそう遠くないかもです。

 

「習思想」名門大で必修化 中国、知識層狙い統制強化

習政権
 
中国・台湾
2020/10/2 23:00 (2020/10/3 5:23更新)
1299文字
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習指導部が掲げるスローガン。内容は「党の指揮に従え。戦って勝てる能力を身に付けよ。仕事ぶりをさらに良くせよ」(上海市内)=ロイター

習指導部が掲げるスローガン。内容は「党の指揮に従え。戦って勝てる能力を身に付けよ。仕事ぶりをさらに良くせよ」(上海市内)=ロイター

【北京=羽田野主】中国の習近平(シー・ジンピン)指導部が国内の有力大学で思想教育を加速している。習指導部の強権的ともされる手法に反発する声が知識層らの間で上がっているためだ。優秀な若者や名門大学の関係者への統制を強める狙いがある。

9月1日に発行した中国共産党の理論誌「求是」によると、2020年秋学期に全国37の大学に付属するマルクス主義学院で「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想概論」と題した授業が始まる。

習国家主席の母校である清華大学や北京大学、天津市の南開大学といった名門校が対象になる。これらの大学に在籍する学生は原則、マルクス主義学院で「習近平思想」を学ぶのが必修になるとみられる。

マルクス主義学院は共産党理論を学ぶ場として全国の大学に付属する。共産党が運営に関与する。これまでは建国の父、毛沢東氏の思想やマルクス主義など4科目が必修だったが、これに「習近平思想」が加わる。共産党が21年7月に党創立100周年を迎えるのに向けた布石との見方もある。

「習近平思想」は17年の共産党大会で習氏が提唱した政治思想だ。

35年までに経済力や科学技術力を大幅に向上させ、建国100年となる49年に「社会主義現代化強国」を作り上げるとしている。「21世紀半ばまでに世界一流の軍隊を建設する」として、人民解放軍の実力を米軍と並ぶ水準まで引き上げる目標を掲げている。

思想教育の狙いは、習指導部の強権的ともされる手法に反発する知識人らと深い関係がありそうだ。改革派学者として知られる清華大の許章潤教授(当時)は新型コロナウイルスの感染が拡大した責任は「習指導部の対応にある」と批判した。

党幹部を養成する中央党校の教授だった蔡霞氏は「(中国が)危機的な状況から脱する最善の方法は指導者を代えることだ」と習氏の退任を主張した。著名な企業家である任志強氏も、習指導部の行き過ぎた言論封殺が新型コロナの感染拡大につながったと非難した。

蔡氏、任氏ともに党籍を剥奪された。蔡氏は海外に移住し、任氏は横領罪などに問われて懲役18年の実刑判決が下った。名門大学への思想教育で国内の統制を強める狙いがうかがえる。

少数民族への思想教育も進める。9月25~26日に開いた新疆ウイグル自治区に関する重要会議で、習氏は「中華民族共同体の意識を心の奥底に根づかせよ」と指示した。内モンゴル自治区の小中学校では9月から中国語教育を強化した。

習氏は毛氏を意識し、自らの権威づけを進める。党最高指導者の名前を冠した科目が必修になるのは異例だ。これまでも党内で別格の指導者を意味する「核心」の称号を手にしたり、国家主席の任期を撤廃したりと毛氏の長期政権を意識した動きを進めてきた。

統制は国内のみならず、外交にも及んでいる。習指導部は7月20日に中国外務省内に「習近平外交思想研究センター」を設立し、外交当局への指導を強める。国営新華社通信は「中国の特色ある大国外交理論づくりや体制・仕組みづくりに貢献する」と伝えた。王毅(ワン・イー)外相は演説で「中国外交は習近平外交思想を導きとし、困難を乗り越え、新たな局面を開いた」と主張した。