2022年1月31日月曜日

かちーんと来るエッセイ

 いつも、格安航空のエコノミーで、食事も取らない僕としては、最後の1節で何だか、かちーんです。

日本酒の魅力 三井不動産社長 菰田正信

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お酒は決して強くはないが、好きな方だ。何が好きかと聞かれるとワインやウイスキーのハイボールということになるが、ここ一番で飲みたくなるのが日本酒だ。

30代の後半、横浜支店の用地担当課長をしていた時に、毎晩の不摂生がたたって急性膵炎(すいえん)になった。医者に診てもらうと、油ものとお酒をやめろと忠告された。仕事柄、お酒はやめられませんと言うと「あなたの命だから、あなたが決めなさい」と突き放された。仕方なく高校の同級生で慶応病院に勤める斎藤先生に相談したら、1日にビールなら中瓶1本、ウイスキーはシングル2杯、日本酒でお銚子1本までならいいだろうということになった。

さて、限られた酒量を何に使うべきか。逆に言うと、飲みたいという欲求を一番抑えにくいのは何かと思って試したら、美味(おい)しい和食が出てきたときの日本酒だった。

何年か前にお酒通で鳴らすNTTデータ前社長の岩本さんを食事に招き、お好きな銘柄の白ワインを出したら、お造りが出てきたところで「ちょっと待ってくれ」とおっしゃる。「お造りには、やはり日本酒の熱燗(あつかん)じゃないとね」とのお話だった。20年前の私の感覚も、こういうことだったのかと合点がいった。

後日、ニューヨークに出張する機上で和食を頼んだら、お造りが出てきた。「熱燗で日本酒飲めますか」とキャビンアテンダントの方にきいてみたら、「もちろんです」とうれしい返事。レンジででも温めたのだろうか、これが結構いけた。それ以来、飛行機に乗ると、このパターンを時々楽しんでいる。日本人に生まれてよかった!

物流事業について

 僕が40代後半にになった頃、僕が所属する東京の搬送技術部は解散になった。社内外交に疎い僕がその情報を得たのは、物流部門への移籍を告げられてからであった。それまでに、社内事情に長けた連中は皆、新居浜とか大阪の良い場所に逃げ散っていて、そのため、東京の搬送技術部の備品、資料などの整理処分も最後までやる羽目になった。
物流部門は、畑中さんと永井さん、共に阪大の先輩だが、彼等が大阪コンベヤに居る頃に立ち上げたのだが、それは、僕が入社後数カ月で、新居浜から転勤してきてすぐの頃だった。
僕が転勤した数日後に、畑中さんが僕を連れて、浜松の住友セメントに、コンベヤ設備の納入打合せに連れて行った。ベルトコンベヤなるものを全く知らないままに同行して、打合せから帰ると、畑中さんは、その案件のファイルを全て僕に渡して、「明日からは僕は自動倉庫(物流機器)に従事する。後は任せる」と申し渡した。
仕方なく、大阪梅田の旭屋に行き、ベルトコンベヤの計画と管理、などのコンベヤに関する本数冊を購入して勉強を始めて、一週間後の打合せには僕一人で行った。打ち合わせに出た住友セメントの課長が、怪訝な顔で、「畑中さんは?」と聞いたので、「僕が引き継ぎました」と答えたのだが、課長の顔を見る勇気はなかった。
その後直ぐに、永井さんが研究所から移動してきて、畑中さんの部下として、2人で物流設備を始めた。
当時、僕は八戸の長距離コンベヤを担当しだしたのだが、八戸鉱山の石灰石が製鉄所の要求品質に合うかどうかの検討が始まり計画推進が一時中止となった。その結果、僕の仕事がしばらく中断した。その中断期を見てと言うか、利してというか、永井さんが声を掛けてきた。永井さんは、急遽米国に出張することになり、自動倉庫の計画図を製作図に落としてほしいとの事だった。製作図の作成には外注さんを一人付けるとのことで、断ることも出来ず仕事を始めた。自動倉庫機器の計画図はA1サイズ一枚だけで、そこからは推定しながら製作図に落とさねばならず、しかも、納期はすぐそこであった。
2カ月ほどかかったが、毎日、12時ごろまで残業して、土日もなく働いて漸く図面の出図を完了した。つまり、物流事業部の最初の自動倉庫は僕が設計したことになる。
それから、20年ほどして、行く場所もなく物流に配流されてしまい、なんと、SEとして客先とあれこれ商談するエンジニヤとなってしまったが、最初の経験から物流施設の建設計画には直ぐに慣れてしまった。転籍の最初は新入社員と一緒に物流教習会に参加することから始まったが、直ぐに客先との交渉や基本計画、受注作業を一人でするようになった。有難かったのは、池内さんや和田さんが、物流のコンピュータ化を見事に推進し、それに、亀田さんや谷口さんが自動倉庫の標準化コスト低減化を十分に実施していたことで、それに、僕が搬送事業部で習熟した重機械の技術を応用することで、特殊な自動倉庫を客先に提言できて、高利益で受注できたことだ。前にも書いたが、住重初の冷凍自動倉庫、世界初の再生物受け入れ用自動倉庫、自衛隊弾薬自動倉庫、造幣局用紙幣用巻紙自動倉庫、等が僕が受注した案件で、変わった設備を容易に実現化できることが僕の強みであった。
ただ、物流事業創設者の畑中さんや永井さんが既に居なかったことには寂しさを感じた。

2022年1月30日日曜日

バングラデッシ Ashuganji Urea(尿素肥料)工場建設工事での思い出。

 僕が30代初めのある日、僕を苛めまくっていた課長が僕を呼び、「うちで受注したバングラデッシの肥料設備の据付指導の責任者に、新居浜の鉄工課の馬場洋一郎君を予定していたが、彼が、イラクの設備の指導員として行くことになったので、事業部長が君を代わりに行かせろと言っている・・・」と、言葉の最後をかなり残して言った。
事業部長の命令と言っているのだが、その課長の本心が、「事業部長の命令だから仕方が無い」、と言うことなのか、それとも、「事業部長の命令とは言え、お前自身の意思で、断って欲しい」と言っているのかが判らなかった。
そもそもその案件について、僕は全く関与していないので、いかなる立場で行くのかも判らないし、更には、設計者の僕、しかも海外経験が全くない僕が、加えて、設計者たる僕が、なぜ据付の指導員、それも、据付の指導責任者なのか、とも思ったが、事業部長が命令するのだから、それだけの配慮があって命令するのだろうと、「判りました」と返事した。
が、その後の経過からすると、事業部長は単に馬場君をイラクに送りたいが故に、僕をダシにしたに過ぎなかったようだ。ただそれだからと、論理的に(つまり、客先が据付指導員を要求しているのに、設計者を派遣するのはおかしいとの)出張を拒否すれば、ことの正否は関係なく、要領の悪い僕はまずい立場になったと想定できる。
会社組織としてはかなり非論理的で無謀な命令だ、とも思ったが、その出来事の前に、自分で受注した住金鹿島の第3焼結の現場で、これは設計者として、それもプロマネをしていたが、現地で死亡事故が起こり、現場の補助として派遣されたが、実際には部分的に現場も受け持って従事した経験があり、バングラデッシの案件は設備的には大した規模ではないので、なんとかなるだろうと考えた。
しかし、その後判ったのだが、バングラデッシ案件の据付指導員とは、物品はFOBで納入され、その時点で売り上げは完了していて、現地での据付は客先が行い、彼等がわが社に発注するのは、据付指導のエキスパート派遣だけの契約だった。契約書の中には、据付指導員の能力が彼等の期待に沿わねばネグレクトするとまで書いてあった。こりゃ、僕では役不足の可能性が大きいな、と思ったが、後の祭りであった。
そもそも我が事業部は、現地試運転までの契約が多く、FOBで契約を終了して、その後に据付指導員の契約をする、なんて契約についての経験がほぼ無いので、事業部も海外営業部も、その差についての認識がほぼないことが、その案件での経過で判った。
客先も恐らく、据付のエキスパートに1日数万円の金を払うのだが、なぜ設計者をも、それも、設計者を指導の責任者として派遣するのだろうかと戸惑ったに違いない。この頓珍漢な感覚の違いが、その後、僕と海外営業部や事業部側との連携に食い違いが起こり、それは、仕事を終える迄どころか、仕事が終わってからも続いた。
海外営業との連携については、海外営業部長は、事業部が有能な馬場君に代り、据付素人と思える僕を派遣することに、非常に怒っていて、僕が初めて現地に出向するのに、英語も話せないことを知りながら、営業員を付けようとはせず、それどころか、仕事の進展に伴って、僕を援護するどころか僕に対する不満を事業部に言い続け、それは、据付指導が終えてから、試運転後に客先から据付完了証明を発行してもらって帰国したにも拘わらず続き、更に保証期間が終わってからも、僕の据付指導への猜疑心を持ち続け、会うたびに反感を露わに示し、それは、僕が東京に転勤してからも続いた。

海外営業部の営業員が現地を訪れたのは、据付工事が後半になった頃で、僕には何の力にもならなかった。訪れた営業員は、僕が客先への提出文書にサインと共に、冗談半分でハンコをおしているのを見て、海外ではハンコはつかいませんよ、とアドバイスをして帰っていった。海外営業部長は据付指導を無事に終えた頃に現地を突然訪問してきたのだが、その現地で据付工事を請け負っている工事会社が順番にパーティを開催するのに遭遇して、僕に「我が社もパーティをやったらどうか?」と提案した。しかし、僕の管轄する費用は、あくまで指導員派遣のみの製番、つまり、僕を含めた据付指導員の日銭だけであり、現地に滞在する据付業者のように巨額の据付費を管轄するわけでもなく、僕ではパーテイの費用を工面する権限も予算もない。返事のしようがなく黙っていたら、それ以上の要請はなかった。
更に、日本に帰ってから、設備を設計した設計者が、「現地出張の準備も全部していたんですよ」と、現地に呼んでほしかったとの雰囲気で僕に言った。
だが、設計者の僕が現地に居て、日本の設計者に応援を頼むなんて奇妙で、面子上も出来ないし、それに、設計者の現地出向費を、僕の管轄する指導員派遣製番内の費用でまかなうなんて出来ない。つまり、彼が現地に出張するには、元のFOB費用内で処理せざるを得ず、それは僕の管轄範囲外であり、その決定は日本国内側、つまり課長やFOB案件のプロマネ、つまりは彼の上司にあったのだ。
初めから終わりまで、現地と日本国内の認識がずれたままの案件であった。

据付指導員だけの製番ではあったが、現地での客先との交渉は僕がせざるをえず、納入品の不良等の改良費も僕の管轄費用内で処理した。が、それでも、僕の管轄範囲内で2000万円もの利益が上がったのだが、通常の工事を含めた製番と比較すると、利益の額としては小さく誰も褒めてくれる人は居なかった。が、ただ、僕への課長の苛めはこの仕事を無事に終えるとともに終わってしまった。
加えて、現地ではホスターウイーラーの作業時間との関係で、僕や僕の部下には、かなりの残業費が発生したのだが、当時は、イラクの案件、それに、シベリアの案件が大赤字だったので、事業部側の管理部長の判断で、僕らの残業費は半分を召し上げられ、それらの赤字に回されてしまった。それどころか、僕の上げた利益さえも、それらの赤字案件への補填に使われて、経理上では事業部外には利益が計上されることもなかっただろう。

ところで、僕は、僕の携わる製番については、定期的に経理から、製番別支出一覧出力を常に手に入れて、製番の損益状況は常に把握することにしていた。その結果、僕の部下として一緒に出張した現場員の出張費が僕の出張費より多い、なんて馬鹿げた状況を見出だした。出張費を担当する総務に問い合わせると、新居浜の総務からデータを入手するとのことであったが、新居浜の総務はそれを拒否したとのことでうやむやになってしまった。要するに新居浜から出張した社員の出張手当は、新居浜以外の部署からの、しかも、職階の上級者の手当より多いってことですな。各製番の損益をカバーし合うのはまだ良いとしても、各個人への出張手当の不公平までも誤魔化すって、新居浜内の仲間意識が不愉快であったが、それが新居浜だろうとあきらめた。


世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方、と、新ビジネスチャンス発見力

 日経の土曜朝刊で書籍の紹介があり、そこで、世界一やさしい「やりたいこと」八木仁平著の見つけ方 を見かけて図書館で借りた。なかなか人気のある本で、忘れた頃に図書館から連絡がきた。

読み始めたが、僕にはもうほぼ用の無い本で、もっと若い時に読むべきであった。要約すると、やりたいこと(情熱)x得意な事(才能)x大切な事(価値観)、を十分条件とする事柄を探せとの事で、もっと若い時によむべきであった。なお得意なこと(たとえば記憶力があるとかの生まれつきのこと)とは、知識やスキル(例えば英語を話せるなど習得するもの)とは異なる。価値観とは、自由に生きたいとか熱中して生きたい、とかの、どう生きたいかを意味する、とのことだ。
新ビジネスチャンス発見力 小杉友彦著で、著者は大阪大学機械科の同窓生である。
https://isabon.blogspot.com/2021/10/blog-post.html
氏の訃報を聞き、NETで彼の著書があることを知り、メルカリで購入した。
読んでみると、簡単な説明で、効果的な内容であった。
なお、世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方、については、完全に同意できるとは言い難いが、その考え方そのものについては同意できると思う。

ともに、若い時に知っておれば人生は多いに変わったであろうと想像する。
なお、両著者共に、講演会などでの勉強は、殆んどが論者の自慢話に過ぎないと記している。日経の「私の履歴書」などは、その最たるものだろう。なお、僕の自慢話は、明確に自慢話と記しているので、それは許してもらえるだろう。



2022年1月29日土曜日

リンの重要さについて

 今日のNHK第二の番組”zero”で、8億年前に大量の隕石が地球に降り、結果として、大量のリンをもたらし、地球のリンの総量が8倍にもなり、それが生物の急激な進化をもたらしたと報道していた。
リンりん) 人体に必要なミネラルの一種で骨や歯を形成する。その85%は骨や歯にリン酸カルシウム・リン酸マグネシウムとして存在しています。 残りの15%は、たんぱく質や脂質と結合し、細胞膜や核酸の構成要素として体内の細胞に存在するほか、エネルギーを発生させる化合物(ATP)の構成成分ともなっています。)

このことを発見した学者も素晴らしいが、その報道で僕はあることを思い出した。

中学校の家庭科で試験があり、その出題の一つが、肥料の三大栄養素を記せとの問題で、僕は、窒素、リン、カリと書いたが、×とされていた。家庭科のおばさん先生にクレームすると、おばさんは、窒素、リン酸、カリが正解で、窒素、リン、カリは間違いだと言った。おかしいと思ったが黙っていた。しかし、今でも婆さんが間違っていたと信じている。

話を元に戻すと、地味なリンが生命の進化にそれほど影響することに驚いた。そのことで、もうひとつ思いだした。
バングラデッシの建設に従事した時に、僕は、英国のフォスターウイラーって会社のまとめる工事の据付指導員として働いていて、同様に、他社の指導員として働くインド人技術者と一緒に働いていた。僕はどちらかと言えば、全体の工事がうまく進むようにと、ホスターウイラーと協力するとの考え方で働いたが、彼は、彼が雇われている、装置の納入会社が有利になるようにとの考え方で働き、フォスターウイラーとは議論を辞さないとの仕事ぶりで、しかも弁が立つので、フォスターウイラーからは嫌われていた。が、なるほどそのような考え方で働くのも良いのかと僕は感心したものだが、そのように働くには弁が立つだけでは無くてよほど巧妙で強靭な精神力が必要だとも思った。それはそれとして、彼は、それほど論理的にも拘わらず、ある時、「インド人は、人や動物は死んでも精神は残る。その証拠に、地球上の生命の総数は一定だ」と言ったので、軽蔑のまなざしを送ると、さすがの弁舌家も照れたような顔つきをした。
ところが、そのNHKでの放送で、生命の存在にリンが必要で、そのリンは隕石からもたらされたとすると、生命の総数がリンの量で決まるののではないか、と、思った。インド人の迷信にもかなりの真実が含まれているようだ。
ところで、肥料の三大栄養素のカリの重要性や、その供給源はどうなんだろうか。

2022年1月26日水曜日

コロナワクチン第3回目の予約

市からの連絡では、3回目のブースター接種は、第2回目の接種から7か月以降か2月1日からとのことで、僕の場合は6月18日に第2回目を終えているので、1月19日以降か、2月1日以降が十分条件となる。問題は第1回目と第2回目のWEB予約では、朝の8時半から予約受付で、8時半にwebセッションを開始して午後3時頃まで掛かるとの酷い状態だった。1月26日8:30からのweb予約開始なので、それに先立って、仮パスワードのパスワード変更を終えて、夫婦二人分のログイン画面をそれぞれ数枚作って本予約に挑んだ。どうにも疲れる状況だ。
しかし、ログインすると、前回とは異なり、直ぐにログイン出来て、出来るだけ画面変更が無いように、最初の画面に書かれた対応医療施設を選ぶと、日にちを、2月2日に選んで、さっと予約できた。最初は女房の分を予約して、ついで、自分の分もログインして、なんと、同一医療施設の同日、同時間の予約ができた。
前回とは異なり、前回に早い時期に予約できた人の人数が限られていて、予約条件を満たす人が少なかったので、セッション数自体が少ない状態なので、簡単に予約できたのだろう。
前回の接種が早くできた人に有利なシステムとは、かなり不平等だが、と思う。
やれやれである。