2019年5月31日金曜日

民泊運営経験からの夫婦関係についての形而上的考察

昨年6月の民泊新法施行に触発されて、僕は、軽率にも民泊申請をしてしまった。家族の激烈な反対や、女房の物理的事情での民泊運営への不参加の為に、民泊運営の全てを自分一人で行わざるを得なくなった。しかも、自宅は千葉に有り、民泊建物は大阪に有るとの、極めて異常な条件下での運営で、しかも、千葉の自宅では借用している貸農園の適切な運営も行うために、千葉と大阪とを往復しながらの民泊運営であった。
運営状況の概略は下記となる。
2018年の運営は、枚方市の認可を得て、暑い夏は休店としたので、除外として、2018年春季の実績を示す。
稼働日数 3月24日~6月29日 98日
宿泊日数 37日
上記から、稼働日数は40%に達する。入金は、約37日x3,000X0.9≒100,000円となる。他方僕の食費や交通費を含む経費は、約120,000円となる。つまり20,000円の赤字だ。
しかし、ここでの分析は、運営採算を検討するものではない。

2019年5月26日日曜日

おおさか環状縦断ルートに挑戦

http://www.pref.osaka.lg.jp/chubunm/chubu_nm/ryokuti3.html
https://kaze-local-nature.blog.so-net.ne.jp/2012-12-28-2
今のところ、大阪府淀川以北の摂津方面へ足を延ばす気はないので、生駒北部の津田からのルートに挑戦した。
枚方公園駅から学園都市線津田駅までは、京阪で枚方市駅まで行き、そこから、京阪私市線で河内森まで行き、学研都市線の津田駅まで乗るルートだが、乗り換える度に金が掛かる。これはまずいと調べると、枚方市駅から津田駅までのバスあると判った。つまり、通常ルートであれば、500円以上掛かるが、枚方公園から枚方市まで、15分を歩けば、250円程度で済む。そこで、バスの時間を調べると、枚方市バス停1番乗場から6時22分が始発である。朝4時30分に起きて、例の如く、作り置きのカレーライスと、別に、キャベツ千切り、豆腐、トマトにレモン汁をかけたのをサラダとしてタッパに入れて、バナナ2本も追加してショルダーに入れて背負い、枚方市駅まで歩いた。30分で行ける距離だ。
早朝のバスでしかもラッシュと逆方向だからと停留所の椅子に座っていたら、長い列ができてきたので、急いで列に並んだ。早朝のバスでしかもラッシュと逆方向なのにラッシュ並みの混み方は驚いた。バスは定刻に発車したが、そのルートは307号、つまり、いつもBookoffとdaisoの大型店へ行く道で、とっつきの急坂を苦労して自転車で走る道であった。おそらく、先日、棚田で有名な穂谷へ行くのと同じルート307号を行くのだろう、と思っていたら、Bookoffの手前、中宮小学校手前で、本道から右にずれる細い道に入って行ったので驚いた。本当に津田行きに乗ったのだろうかと電光表示板を見ると、確かに、行く先として津田駅経由と表示されている。別に本道を行くバスが別にあったのではないかと心配したが、6時45分には津田駅に着いた。後で調べたら、この道は307号と見事に並行している。恐らく旧道なのであろう。なお、二つの道は共に津田駅から奈良側に離れた位置で交差していて、旧道が学研都市線と交差する位置は、津田駅から1km程度北側、つまり、奈良側になっているので、バスは交差点から右側、つまり大阪側に向かうことになる。また、307号を先に進み、一山超えれば、もうそこは京田辺市となっている。更に奈良には山もなく真っすぐに行けることになる。奈良への旅には重要な情報だ。かように知らない道筋を知るのも面白いものだ。
津田駅北口から南の山側に行かねばならないが、駅建物の直ぐ奈良側にガード下を行くルートがあるが、旅の記録の人はそこから行っている。メルカリで送料込み300円で手に入れた「26 大阪府の山 2010版」では、線路に沿って100m程度奈良側に線路踏切があるらしいので、これに従った。記載地図通りに行くと、惜しくも、第二京阪の所で、行き詰まりとなった。登山口はこちら、と適当な看板があり、大阪側に行くと、そこで、第二京阪道路の下を通る道があり、向こうに渡り、そこを再び道路に沿って奈良側に歩いた。細い渓谷を越えて行くと、直ぐに登山口の表示があり、漸く登山道に取り付けた。古い版本も、上記旅の記録も、第二京阪道路が改造される以前の記録であったと推察された。
そこからは、仁丹の巨大な工場(ここには、第二京阪ができる前から、ツダサイエンスヒルズなる工業団地があったようだ)の横を通り、なかなか面白い道が、国見山山頂284m経由、交野山山頂341mと、ともに低山なのだが、共に、とても展望は素晴らしかった。国見山からは空気が澄んでいれば、南方の阿倍野ハルカスまで見えるらしい。交野山はどちらかと言えば、北摂側の展望が素晴らしい。
交野山からくろんど園地への道が開発と昨年の台風でかなりコースが乱れて混乱していた。交野山から、南の三宝荒神側に降りて行くと、鳥居道と荒れた道の分かれ道に来るが、ここは右側の荒れ道が正解で、鳥居道に行くとゴルフ場になる。荒れ道を行くと広い舗装道だが、これに沿ってずっと左に行く。途中に山道表示もあるが、通行止めとも記載されている。だからかなりの距離を舗装道に沿ってゆくと、右側にきれいに整備された農村が現れる。ここで、漸く山道に入り登ってゆくと、くろんど園地入り口に至る。実は、先に記載の山道表示で通行止めとの記載に気づかず、急な勾配を登って行き、恐らく40分程度を損失して、しかも、便意を感じたので野糞も遣り掛けたが、思い直して糞はやめて、後戻りして漸くくろんど園地に到達した。
なお、後になり交野市地図で調べると、僕が誤ったと後戻りした山道は、まさしくくろんど園地に行く道であった。が、その先で更に荒れているのかもしれない。その道が谷に降りて行くので誤ったと思ったのだが、後戻りしてたどった道は、くろんど池の谷の山一つ東側だから、結局は美しい農村からは山越えして、僕が降りようとした谷に降りて行ったわけだ。次回は、後戻りした道を探検したいものだ。
くろんど園地と称されるのだから、くろんど池が、その中央に位置すると思っていたが、おおさか縦走路は、くろんど池の西端をかすめて進んでゆく。以前に登った私市ルートを降りて行き、くろんど園地休憩所に至り、バナナ2本を食べてから、泡洗浄機付きのトイレに入った。日本式のうんこスタイルトイレで足は痺れるが、なかなか清潔で、前回くろんど池経由で、高山町の知人を訪れた時と同様に、気分良くウンチをできた。気分良いうんちの後は行動力が増すのだが、ここから、道は初めての、私市C/C経由の道に入った。はじめはC/Cの柵に沿った道だが、そのうち、C/Cへのアクセス道路をそのまま南下する。途中でカートに乗った老齢男女に聞くと、星のブランコのある所はこの道だよと教えてくれた。同じ年齢か、僕より若いかの男女グループが、カートに乗り、清潔でカラフルなゴルフスタイルで人生を送るのと、汗だらけの山歩きスタイルでの人生の過ごし方にえらい差があるものだと、ちょっと気分が落ち込んだが、僕にはゴルフスタイル人生が面白いとは思えないだろうと納得した。
広いアクセス道路が延々と続き、この道は、公共費で作られたのだろうか、等と考えたりしたが。道は、168号線に突き当たる。なんと、そこは天野川の源流で、道路に沿って川のトンネルも南へと続いている。道路を越えて、難しい漢字の”いかるが橋”(ここにバスの停留所があるから、環状自然歩道を生駒側に続けたいときにはバスで来れるだろうと考えた)を越えるとゲートがあり、実に、胸突く急こう配の道が星田園地へと続いている。ただ少しのぼったところで、おおさか縦走路は、南へと分岐している。が僕はここから園地側に向かい今回の旅を終わることにした。星のブランコに至る前の休憩所で、手作りの昼食を食べたが実に美味であった。人間が本当に美味だと感じるのは、高級な食事であるよりは、食するものが何であれ、おなかが本当に空いているいることが重要なのだと思った。さて、哲学的思索の後に再出発して、星のブランコに至る前に、展望台に上ったが、ここの展望は、展望範囲は限られるものの、素晴らしいものであった。しかも、星のブランコを遥か下に眺める位置にある。そこから星のブランコへと降りて、星のブランコの構造を面白く楽しんだ。構造物の巨大さは、過去に僕が設計・建築したものには遥かに及ばないが、揺れを防ぐ構造とか、特に、これだけの物をこの谷に渡した工事方法に興味を感じた。
来た道を戻ると、学研都市線星田駅及び京阪線河内森に至る表示があり、ちょっと登り、その後はなだらかで気持ちの良い下り道で、妙見山に登るのを忘れて、妙見川に沿って下り、168号を越えて、そのまま、古い街並みを通り、河内森の駅に着いた(14:00)。往復合わせて500円程度の実に充実した探検であった。
ところで、交野市と言えば、昔は、片町線と称された田舎路線の田舎町であったのだが、今では、鉄道名は研究都市線と称され、沿線の町々は枚方に優る住宅地帯となっていて、新しい家々が並んでいる。それゆえに、枚方からの津田駅へのバスは混んでいたのだろう。河内森駅近くの古い町並みは昔の街並みなのであろう。枚方の狭い平野部と古い街に比較して、広々とした田園地帯はある時期から新しい住宅地として開発されたと思われる。田園都市線を馬鹿には出来ないと知った旅でもあった。




































2019年5月22日水曜日

京都トレイル 京都3条・インクラインから大文字・銀閣寺へ

京都トレイルの続きで、京阪京都3条で降りて、インクライン・蹴上から登り大文字を目指した。京都3条を7:30に出発となった。疎水の白川に沿って、疎水本流に沿ってインクラインに達し、そこから疎水に沿って南禅寺まで行きたかったのだが、山沿いの道は通行止めになっていた。調査中と書かれていたが何を調査しているのだろう。
仕方なく、疎水の橋を越えて、日向大神宮経由のルートで思案辻に達した。なかなか厳しいルートであったが、そこで出会った大文字方向から来た旅人によると、日向ルートは厳しく、もっと容易なルートがあったらしい。確かに、東山ルート地図には2ルートが示されている。その旅人と別れ際に歳を尋ねられ、75歳だと答えると、「私の夢は75歳でも大文字に登れることです。私は、58歳なんですが・・・」と答えた。う~む、と思った。
75歳で、ゲストハウスの経営初めて、客が来んので、山歩きしてるだけですわ、って付け加えるべきだったのではないだろうか。
そこからは厳しい道と、木漏れ陽の道が交互で、なかなか楽しい道だった。
大文字山3角点は実に良い景観の場所で、何と、伏見城辺りの山々さえも見下ろし、遠く、天王山、八幡山、それに、当然だが、京都市街のすべてを見下ろせた。なお、京都トレイルのコースでは、3角点は経由せずに、大文字火床に行くことになっているが、これは勿体ないなぁと思った。ここで11時であった。そこからは相当降りて、火床になり、ここからの眺めは概ね京都市街と、北山、西山であったが、それでもなかなかのパノラマだった。火床からまっすぐ降りると、銀閣寺ではなくて、銀閣寺からはかなり南側の霊観寺の南側路地に降りるルートで、これは京都トレイルルートであった。そこから、白川通りに出て、泉屋博古館の角で地図を見ていると、短パンツ、Tシャツの高校生程度の青年が周りを見回して、僕に、「比叡山はどこですか?」と聞いてきた。比叡山の方向は示したが、出町柳に行き、そこから電車だろう、と答えると、「枚方から走ってきて、これから比叡山に向かいます」と言いおいて去っていった。なんと!・・・走り去る背中に激走と書かれていた。永観堂・南禅寺山門を通り、ねじるまんぽを通過して、けあげの西側に出たので、そのまま西に向かい、京都3条に戻った。12時であった。
昼食は持参したが、そのまま持ち帰り、ゲストハウスで食べた。実に美味であった。
白川沿いで、疎水本流に向かう




 疎水の向こうに平安神宮


 インクラインを登る
 インクライン上側の船止め

発電所への送水管(多分古いほうだろう)
思案峠に向かう


思案処


大文字への途上


大文字3角点
山科側眺望
伏見側眺望(多分伏見城が見えるはず)手前の盆地は山科
京都市街南部 かなたは八幡山辺りだろう
京都南部市街 京都タワーも見えている
空にはオオタカが2羽舞っていた
下って火床からのちょうぼう吉田山、その向こうに御所



この左側が登り口だ
霊鑑堂


永観堂
南禅寺山門
ねじりまんぽ