2014年10月10日金曜日

強力18号台風の間を縫って滋賀、京都、京阪八幡男山の旅

JETSTARで、10月1日~8日の成田⇔関空を、往復8,000円って安いのを手に入れたので、大阪拠点の整理をと計画していたが、例年の女房方の兄弟姉妹会を、長老方の体調不良、特に足腰の不良でどうするかと逡巡していたが、その長老自らの要請で関西方面で開くことになったので、僕の滞在する予定内の10月4日から2泊3日に兄弟会を開くことになった。今回もまた厚生施設の充実する三菱電機を定年退職した、もっとも若いメンバー員に殆どを世話になった。

僕は単独で大阪とを往復したが、今回は往復共に順調な飛行で、飛行そのものは全く問題はなかったのだが、兄弟会の最中に強力台風の18号が到来するとのことで、旅はいったいどうなるのだろうか、と心配した。
結論から言うと、台風は関西地方には、実に、半日遅れて到来し、暴風は観光を終えた6日の未明に吹き荒れ、6日午後には東海道新幹線もなんとか復旧したので、関東から新幹線で来た連中も、無事に帰還することができた。山陽新幹線は朝から順調であったから、九州からの連中は何の問題もなく帰還出来た。僕は台風一過の8日に帰還だから問題外の外であった。

兄弟会は、小型バスをチャーターし、宇治の平等院⇒石山寺と余裕のある計画である為、参加者の一人が、黄檗の万福寺に行きたいと主張した。
とにかく行こうと台風の接近を心配しながら5日朝に、志賀の宿を出発した。
琵琶湖西岸に沿って走り、大津から山科への道を進めば、六地蔵を経て簡単に宇治川に着く。
山科は山裾を流れる琵琶湖疏水を2度見に行ったことがあり、この辺りについてはよく知っている筈なのだが、京都から行くことが殆どで、裏側から行くのは初めてだ。
京都の表側に住んでいると、この辺りの感覚がよく判らなかったが今回は実に勉強になった。

ところで、宇治の平等院だが、橋を渡り、直ぐに参道はあるが、駐車場はその前を通過して、平等院の裏手にある。
長老連の一人は、車椅子なので、我々の行動はどうしても制限される。70歳の僕でさえ、このグループでは若年者に入るので、この制限はやむおえない。というか、そのような旅も趣がある。しかし、観光スタイルを、どこかに集まり、昼間も温泉を楽しむなどの静的なタイプに変えるべき時期のようだ。それはともかく、平等院は今年の修復でかなりきれいになったようだ。
そのあと、車は黄檗の万福寺に行ったが、その山門の前で眺めるその奥行き、表示された地図での寺の広大さに、こりゃ広すぎて駄目だ、と車に引き返した。
次いで、京滋バイパスであっと言う間に石山寺に着いた。僕の記憶とは違い、寺は、なんと宇治川の上流である瀬田川のすぐ脇にあった。寺は、この歳になると気付くのだが、見事に自然と人工物を組み合わせた芸術品となっていた。境内の中のそれぞれの建物が、景観の中の最適の場所を選んで配置されていることが判るのだ。
帰路はまた琵琶湖湖畔に沿って北上するが、琵琶湖疏水の取り入れ口をバス内から見ることもできた。
かくして、余裕のある観光を終えて、翌日台風一過で混乱する京都周辺を通過して、東京組、九州組、大阪組と別れて帰路についた。

僕は、志賀⇒京都駅⇒東福寺で京阪乗換⇒枚方公園と、拠点に帰り着いた。
なお、関空と大阪市内は、南海線難波乗換地下鉄降車 で1000円が最も安いようだ。自動販売機で切符は買えます。

写真は、ここです。
https://plus.google.com/photos/107577963727362767237/albums#photos/107577963727362767237/albums/6068083320358929329

後藤幸敏君の思い出

後藤君は、僕が小学校5年の頃に隣家に引っ越してきた同学年の少年である。
とても善良・素朴な少年で、直ぐに僕とは友達となり、いつも一緒に遊び回る親友となった。
それに後藤君のおかあさんは、とても上品で賢明そうな人で、僕がすぐに友達になっったことを、とても喜んでいたとの記憶も有る。
後藤家が引っ越してくる前に住んでいた宮本さんは、とてもざっくばらんな家庭で、僕達が遊びに行くと、小母ちゃんは赤ちゃんに乳を与えながら、乳房から乳をピユーと飛ばせるのを見せて、僕たちを喜ばせるような人だったので、そんな小母ちゃんに比べて余計に上品に見えたのだと思う。

僕達の住んでいた松原市(当時は松原町)高見の里の住宅は、戦争時の疎開者住宅で、ほぼ正方形に巡る狭い道路の、その外周と内側に密集する住宅地で、周囲は全て田んぼで囲まれていた。勿論、今では、その住宅地は商業地、住宅地のまっただなかにある。
住宅群は、34.574699,135.548276  後藤君の家は 34.574619,135.548093
後藤君の家は、その道路内側の南西の角にあり、僕の家は、その北隣にあった。彼の家の西側には確か谷口さんの家があった。僕の家の北側の家、そこはもう比較的広いと言える道路に接する家で、澤田さんの家であった。つまり、一辺に3軒しか並ぶことのできない狭い住宅群であったが、当時の僕達にはほぼそれが僕達の世界であったわけだ。
ところで、その澤田さんの長男が、後年姉の依頼を受けて僕を痛めつけた悪徳弁護士になっている。

今、この住宅地を見ると極めて狭い住宅地だが、当時、その南側外周には木造2階建てのアパートがあり、そのアパートには多くの家族が住み、住宅地が狭い割には数多くの人が住んでいた。
僕はこの住宅地で生まれ、小学校5年の後半に、今度は僕が引っ越してこの住宅地から去った。実を言うと、その年齢での、つまり、その住宅地での僕の行動の記憶はそれほど明確なものではない。勉強における僕の記憶力は優秀であったのだが、生活に関する記憶力は人並み外れて劣っているのが僕の記憶力の特徴で、それゆえ、僕が後藤君と、具体的にどのように遊んだかの記憶は、驚くほどに全くないのだ。ただ次の記憶だけはまだ鮮明なものとして残っている。つまり僕は、楽しい出来事はすぐに忘れ、つらい思い出だけはずっと覚えている性格なのだ。

僕と後藤君は松原小学校に通っていたのだが、クラスは別で、僕は3組、後藤君は1組であった。
その住宅には同学年としては、後藤君と同クラスの森本君、それに、大阪市内の私立小学校に通う木下清(潔?)君が居たが、木下君は私学に通っているようで、学校が異なる為か、僕と遊ぶことは殆ど無かった。森本君は、どこか性格がひん曲がっていて、後藤君も僕も、それに、木下君も、彼とかかりあうのを出来るだけ避けるようにしていた。
が、その日は、何故か、僕と森本君がべったんで遊び、後藤君は、恐らく親から禁じられているか、学校での禁止令に従順なのか、ふたりの遊ぶのを、熱心に見ながら、あからさまに僕の応援をしていた。
多分、二人の勝負が勝ったり負けたりなのに飽きたのか、森本君が手持ちのかなりの数のべったんを前に押し出して、一発勝負、つまり、一番上のべったんの裏の数値の初桁の数値の大小に全てを掛けよう、と言いだした。こんなところが、僕達の森本君を避ける性格の現れだと思うのだが、何故か、僕は彼の提案を受けて勝負とした。
二人の札を同時に裏返すと、僕が勝ってしまい、後藤君はあからさまにも、ばんざい!と大声で叫んだ。と言うことで、その博打的な行為は僕には喜ばしい結果になったわけだ。

ところが翌日、それも授業中なのに、1組の男子先生の今井先生が扉を開けて、それも、とても怖い顔つきで、僕の名を告げて「あいつを連れていっていいか」と、僕のクラスの女先生、前田幸子先生に聞き、僕を自分の教室に連れていった。
で、1組の生徒たちの前で、「お前はべったんをやっているだろう!」と、ほぼ怒鳴るように聞いたので、「はい」 と答えると、「森本はしていない、と言っているが?どうなんだ」と聞いた。で、「はい、やっていません」と答えた。恐らく僕としては、別に彼を道ずれにする必要はないと考えたのだろうし、それが当然の答え方だとも思う。
事態はただそれだけで終わり、じゃぁ帰っていい、と放免された。
何がどうしたのか頭は混乱状態で、直ぐに終業時間となった。僕のクラスの前田先生からも何の質問もなかったと思うのだが、記憶は直ぐに運動場を校門へと歩いている状況になっている。
と、後藤君がはだしで僕を追いかけてきた。そうして、「森本君が、ぼくと君がべったんをやっていると先生に言いつけたんだ。それで自分はやっていないと言ってるんだ。教室に戻って本当のことを言ってほしい」と僕に訴えた。が、僕は「いやや」と答えて、後藤君の訴えに応えることなく帰路についた、とこれが事の経過であって、事態の細かい推移とか周囲状況とかについての記憶は完全に消えている。
とにかく、森本君は彼のべったんを全て僕に取られ、それゆえに、もうべったんはしていない状況になった、との奇妙だが事実でもある考えに至り、「僕と後藤君がべったんをしている」と、今井先生に訴えたのだ、と想定できた。
森本君って本当に嫌なやつだが、僕だけではなく、べったんをしていない後藤君もその森本君の奇妙な理屈から生じた災難に巻き込まれたことになる。それも、ぼく以上に酷い災難である。ひどい話だ。さらに、僕も後藤君に酷い裏切りをしたことになる。
それにしても通常なら、よその組の生徒を引っ張り出して、全く見知らぬクラス全員の前で詰問するなどと、かような取り調べをするなんて通常ではありえない。もっと慎重に丁寧に事情を調べるのが常識だと思える。

これ以後、後藤君と僕がどのように付合ったか、それとも、後藤君に軽蔑されて付合いをやめたのか、そこのところがもう記憶にはないのだ。何の記憶もないことからすると、つまり先に書いたように、その後が嫌な状況になったのであれば覚えている筈だから、心の広い後藤君は何事もないかのように僕と付合いを続けたのだろう。

この出来事の暫く後で、僕は引っ越して、後藤君とは全く会う機会もなく、それに、この出来事自体を、その後の人生で殆ど思いだすこともなく過ごしてきた。
が、現役を退いてから、時に、思いだすようになった。それと共に、僕が今井先生に目を付けられ、何度か、あまりたいしたことでもないのに怒鳴られた記憶があり、それがために、今井先生が苦手であったとの思いもあり、それ故に、後藤君の必死の頼みを拒絶したのだとも気付いた。

かようなことを思いだしてから更にず~っと後、つまり、出来事そのものからはず~っとず~っと後になり、小学校の1~3年の担任であった石橋先生を訪れる機会があり、いろんな話をしたが、その際に何気もなく、
「どうやら僕は今井先生に目をつけられていた、と言うか、苦手だった記憶があるのですが・・」と言ったことがあった。すると石橋先生は、
「ああ、それね。君が臨海教室に行った時に、君の姉さんも一緒に来たことがある。そこで、今井先生と君の姉さんの間でトラブルがあったんよ。それでやね」と、のたもうたのだ。
そもそも、なぜ姉が僕の臨海教室に一緒に行って、更に、よその教室の先生ともめ事を起こすなんて状況になったのか、全く理解できないが、そのような事情があったのだと、その時初めて知った。
ところで、石橋先生はその時に、今井先生は、その後、校長にまで出世したらしいと言っていた。最近、そのことを思いだしNETで調べると、羽曳野市にて教育功労(瑞宝双光章) 今井 喜三郎 様 なんて出ている。更に、関西大学昭和25年卒なんて出ている。
もし同一人物なら実に腹立たしい事態だ。更に最近になり”住所でポン”なるものを知り、これで調べると、それらしき今井の住所も出るので、今度行って調べてみる。おい!生きていろよ。一言お礼を言いたいもんだ。

それにしても、その人物がもし本人なら、とんでもない奴だ。小学生の姉とトラブルがあり、多分、違う学年の先生に知られるほどのトラブルだったのだろう。それだからって、何も知らない弟とその友人に精神的な傷を与えるほどの仕返しをするなんて許せない。しかも授業時間中に他の組の生徒を呼び出して、自分のクラスの全生徒が見ている前で叱責するなどとは、教育者としてあるまじき行為だろう。そんな男が勲章貰えるって世の中なのだ。それも、教育での教育功労賞だって笑わせる。ブラックユーモアになってしまう。文部省さんちゃんと調べてね。
更に腹立たしいのは、姉への仕返しを僕を通じて行った積りなのだろうが、その苛めを僕が姉どころか家族の誰にも話す筈がない。つまり、姉への仕返しにはならずに、単なる僕への苛めで終わってしまったのだ。実に腹立たしい。そもそも二十代半ばの教育者が、小学校5年の少年を本気で苛めるものなのかね?校長なんて、この程度だって好例だろう。
(2015.4.8頃に、横浜中学校の校長がフィリッピンで、15,000人もの女性を買春したってニュースが流された。気違い沙汰だ)
それに、僕が別の教室の全員の前で叱責されるなんて、それではまるで、校内きっての悪ガキみたいじゃないか。大人しく素朴な僕に、なんて仕打ちなんだよ。

石橋先生と話をした後、一度後藤君に会って、この件での謝罪をしたいと思っていたが、高見の里を訪れた時には、その住宅地には後藤君は住んでいなかった。
先の書いたように、最近知った、”住所でポン”で試すと、さっと電話番号と住所が出てきた。その住所からすると、僕達のいた住宅地からそれほど遠くない場所に住んでいるようであった。
今回大阪に行った機会にと電話をすると、落ち着いた声の奥さんらしき人が出て、後藤君の話、特に、僕達の年齢の話をしていると、初めは疑い深けであったが、何となく信じられるとの気配があった後に、後藤君が20年以上前に亡くなっているとの応答であった。
二十年前か、と落胆しながら電話を切ったものの、彼の母親と同様に、彼の妻らしき女性の、その落ち着いた声音からすると、なんとなく、後藤君はそれなりの人生を送ったように思えた。

それに、僕の姉は、先の回顧録にも書いたように、僕の人生の道筋に、ろくでもない地雷を置き続けた女、で、この件もその一つと思えなくもない。それに、森本君もまた、かなり強烈な地雷を、僕と後藤君の人生に置いたようだ。
ところで、森本君の親は松原小学校ではないが、小学校の先生ってことだったから、下手に抵抗しても無駄だったでしょうね。大人になると、こんなことも見えてくるのです。

石橋先生は、僕が小学校1年生から3年生の先生で、前田幸子先生は4年生から5年生の先生であり、ともに、素敵な先生であった。僕は小学校の先生には恵まれたと言えるだろう。
石橋彰子先生は、その後暫くして亡くなられた。
が、前田幸子先生は、現在もご健在であり、本当に嬉しいことだ。
                    後藤 Y君

森本 H君

                         今井喜三郎って奴


                         前田幸子先生

                          石橋彰子先生










2014年10月7日火曜日

志水勇の旅 (小隊長、親戚隊員を連れてパースに行く)

前書き(前書きは2013年に書いたものです)
来年の我が小隊の旅行をどうするかと考えていた矢先に、AIRASIAのセールがあった。
ボルネオはどうかとも考えたが、この機会に物価の高い豪州を済ませておけ、と、一度は行ったが素敵なパースに行くことにした。
大阪発の分隊と電話連絡しながらの航空券取得を成功して、20kg荷物2,625円x4航路=10,500円、座席指定1,500円x4航路=6,000円を含めて、往復53,000円/1人であった。関空発だと49,000円だから、かなり安い。
行くと決まった以上は、はやいとこ宿の予約をと、AGODAを調べた。AGODAは先払いだから、今後の円安の影響を回避できる。
帰国時は早朝になるので、空港シャトルに便利なホテルと、調べていたら突然セールがあって、HotelIbisStylesPerthが安く出た。これを2泊、11,829円/泊・部屋で予約、次いで、スカボロー海岸のIndianOceanHotelを1泊、11,463円/部屋、で予約した。
さて、到着してからの3泊については、市内で便利なところとして、じっくりと調べた。実際に泊まるのは来年の9月と、それまでの期間が長いので、宿泊日を変えて調べ、値段変動も確認しながら、あれこれと調べた。
AGODAで、これかなって所があったが、支払い決済が宿泊直前ってなっていて、しかも、支払い画面まで行くと、突然、豪州ドルでの決済になっていた。それだと、為替変動がもろに掛かってくる。これはまずいとやめた。
そこで、booking.comも合わせて調べたところ、3部屋のビラタイプのBurswoodRiseが、1階の2部屋にはBathRoom付で、2階の一部屋にはトイレ付きってあって、しかも清潔そうなのがあった。(実際には、2階に3室あり、バス付きの部屋と、バス共用部屋2室、1階にトイレ、であった。なぜこうなのか帰国して見直していて気付いた)
Perth近くのVictoryPark駅から徒歩でも近い場所で、一部屋9,000円程度で有ったので、これを予約した。ただ契約時500豪州ドルの予約金で、現地で残額支払いとのことであった。為替変動に対しては、今の間に豪州ドルと準備しておけば良かろうとこれを、予約した。ただ、その後の連絡で判ったが、500ドルは宿泊の終了まで預けることになり、その前に総額を支払い、宿泊を終了後、部屋や家具に損傷が無ければ、500ドルを僕の口座に振り込むと言うのだ。それでは、交換手数料が2度にわたって掛かるので馬鹿らしい。宿泊終了時に現金で返してくれと交渉し、了解を得た。
(後で一泊増やした時には、当日居ないとのことで、この要求は駄目になった。結局、宿泊を終えて一週間以内に口座振り込みとのことだ)
かくして、航空券と宿泊は完全に予約を終えた。
風呂を共用にするとかなり安くなるが、年寄りには耐えられないと、以上のような結果になってしまった。
豪州の宿は高い!が、仕方がない。しかし、ユーロが140円近くなった今では、欧州の宿も同様に高くなっている。円はかように、徐々に徐々に安く、外貨はそれに応じて徐々に徐々に高くなってゆくのかもしれない。
帰路は成田で真夜中になってしまう。が、4時間程度を空港で我慢することにした。

ベトナムから帰国し、気温も若干過ごし易くなったので、計画を更に詳しくすることにした。
以下の検討結果としてスケジュールは大略下表となる。

9月15日(月)羽田及び関空発
9月16日(火)14:20 Perth着 VictryParkの宿に
9月17日(水)市内観光・KigsPark観光とT/Cを現金に交換
9月18日(木)ピナクル観光
9月19日(金)manger湖⇒Scaborough・IndianOceanに宿泊
9月20日(土)鯨観察⇒VictoryPark・ボンドの返却受⇒IbisStyle       sPerthに
9月21日(日)ロットネスト島、Fremantle観光
9月22日(月)AM 6:50 Perth発
なお、上記計画で、ロットネスト島観光を17日に出来れば、早朝TOURで安くできるが、これは、VictoryParkの宿主とのボンドの返済受、荷物の預かり、返却などの交渉がうまく行く必要がある。荷物を受け取るのが土曜日であることが問題だ。

現地での訪問場所は、パース市内やキングスパーク、等市街エリア、次いで、フレマントル(ここも電車で簡単に行ける)とそこからロットネスト島。ロットネスト島へは、フェリー運賃は高いが、7:30AMのフェリーに乗ると安く行けるから、そのフェリーで行き帰路をフレマントルの街を散策すれば良さそうだ。
更に、スカボロー海岸の夕日と、近くのヒラリーからの鯨ウオッチングが出来る。スカボローに行く途中にMANGER湖を散策出来る。で、個人で行き難たいのはピナクルで、現地ツアーを頼まねばならない。

先ず、空港から最初の宿泊地VictoryPark(8 Lichfield StreetPerth WA 6100, Australia)への足だが、空港国内線ターミナル37番のバスは、VictoryParkTransfer(-31.968187,115.888891)を通過する。ここで、路線バス170,176,177,179,220,284 南行きでダンカンst.(-31.974308,115.897436)に降りれば良い。が、老人部隊を率いていることからすると、TAXIで行動するのが正解だろう。
EsplanadeBusSt.へは、同じバスの北行き、にマクミランst.から乗れば良い。宿の近くには、スーパーのWoolworths Victoria Park(-31.973841,115.898796)やアルバニー道路沿いには日本マーケットSuperFuji(245 Albany Hwy. Victoria Park )それに、レストラン特に若干は安そうなネパール料理店(419 Albany HwyVictoria Park WA 6100, Australia)、それに、WestPac銀行もある。VictoryParkの選択は思いのほか正解だった。

次にロットネスト島訪問だが、フレマントルから同日往復だと75$
http://www.rottnestexpress.com.au/jp
フレマントルB-shed 7:15発は、49$と25$も安い。但し予約が必要です。次は値引きなしの9:30です。
http://www.rottnestexpress.com.au/Deals/
SuperSaverは特に安い。が、残念、火曜日限定です。
フレマントル7:15だと、6:27パース、6:02 VictoryPark⇒6:12パース ですが、日曜日はバスも鉄道も早朝電車がありません。駄目です。
若しくは、到着翌日の火曜日早朝に出発するかです。木曜日はピナクルツアーが特安の日ですから変更できません。
http://www.transperth.wa.gov.au/TimetablesMaps/www.transperth.wa.gov.au/TimeTables/tabid/235/Default.aspx?UserInputServNum=&Direction=outbound&UserInputServiceProvider=&FromLoc=&SchoolBusVehicleType=false&Date=12%2f03%2f2014&find%2btimetables.x=&find%2btimetables.y=&TrainVehicleType=true&FerryVehicleType=false&BusVehicleType=false

http://www.transperth.wa.gov.au/TimetablesMaps/www.transperth.wa.gov.au/TimeTables/tabid/235/Default.aspx?UserInputServNum=&Direction=outbound&UserInputServiceProvider=&FromLoc=&SchoolBusVehicleType=false&Date=12%2f03%2f2014&find%2btimetables.x=&find%2btimetables.y=&TrainVehicleType=true&FerryVehicleType=false&BusVehicleType=false

さて、perth⇒scaborough宿泊⇒hillaryでは、途中、manger湖も観光する。Perth⇒LeedervilleSt.で、徒歩でManger湖を周り、北端で、15番または85番バスに乗り、Glendalough駅に行き、400番、408番でScaboroughに向かい、Hastings St.で降りれば宿が近い。ScaboroughにはスーパーColes SCARBOROUGH Cnr West Coast Hwy, & Scarborough Beach Rd. もある。
Scaborough⇒Hillaryは、458番のバスが直行する。土曜日は、
http://www.transperth.wa.gov.au/TimeTables/tabid/235/Default.aspx?&TrainVehicleType=false&BusVehicleType=true&find%2btimetables.y=&UserInputServNum=&find%2btimetables.x=&Direction=outbound&FerryVehicleType=false&Date=05%2f04%2f2014&FromLoc=&UserInputServiceProvider=&SchoolBusVehicleType=false
直行が駄目だと面倒なので、現地に着後十分確認が必要だ。
鯨ウオッチングはここで予約できる。但し、火、木、土、日の9時発で、80$です。
http://www.whalewatchingperth.com/whale-watching-perth-rates
Hillaryからは、456で、GreenWood駅へ、423で、Stirling駅、で駅が終点と思える。
458の北行きは、Whiftford駅に行くがゾーンがひとつ増えてしまうので望ましくない。
帰路はいったんVictoryParkを訪れて荷物をピックアップするのだが、土曜日でも大丈夫だろうか。荷物をピックアップして、HotelIbisStylesPerthに移動する。
15 Robinson AvenueNorthbridge WA 6003, Australia
パース駅から北東に1km程度だ。が、パース駅から無料のブルキャットに乗り、アバディーンst.で降りれば1kmとなる。
http://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g255103-d275638-Reviews-Ibis_Styles_Perth-Perth_Greater_Perth_Western_Australia.html
http://www.agoda.com/ja-jp/hotel-ibis-styles-perth/hotel/perth-au.html?asq=tl6vRrs7aItW%2fh6XHQ%2booJ%2fJeK4Mj0jKG2J%2fsUFJs10AOo8Rfeou79IygjtB1T6Z2FSThlDHhnbAsKBDICzUBLKOl5%2fSMIRAYsuYad8Eqmu337j9PibrPQTR8bBVEAy0omrI4sfknFO7k2iZ8ZL729dMkgZnrnnUBvRChtxer%2bEUyi1teEyujGpZK4VFazxCIuXbmCKEFka72OH%2bO5jeGYD5ClG2%2f7Q%2fKS6FjEs6JS%2bZq%2bo5aDchEvr8vh0wFMSL29EFMraMc3Mr8%2fYswEjUg7uwpVXFzsExh09JdKGVhgWz3CmxesCS4B%2fPaOqzBlIy&tyra=2|24
VictoryParkからEsplanadeまで行きそこから、Beauford通りを北東に進むバス16,21,22,60,66,67,68でMongerStreet で降りれば良い。
近くに中華街があり、スーパーもあるらしい。

さて、今回の旅で、自分達では行けないピナクルだが、ツアーに参加するとすれば、200$/1人はかかる。そこで、検索をすると比較的安いのが見つかった。
これが最も安い。但し、木、土曜日限定である。なんと99$。
https://www.perthtourist.com/tours_details.asp?TourID=TwT_1D_Pinnacles
このツアーの待ち合わせ場所は、WellingtonSt.ツーリスト・コーチスタンド 朝8:30集合(-31.950915,115.857514)(歩道橋の下辺り)(緑色で小さな屋根付きのバス停)。バス停の裏側は市バスのターミナルとなっている。
なおこの会社は、WhaleWatchingもやっているが、主催者は同じで金額も同じだ。ただ、このツアーでは毎日開催でWeekEndは午後になっている。

比較的安いのがこれです。
http://www.getyourguide.com/kandu-holidays-s3262/
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g255103-d2285836-Reviews-Kandu_Holidays_Day_Tours-Perth_Greater_Perth_Western_Australia.html

ほぼ計画を終わり、空港⇔ホテル間のTransportationの決定と、ツアーの予約、飛行機内での食事の予約、それに、出来ればホテル毎の周辺レストランや行動途中のレストランの調査を続行する。
なお、パース案内カタログはこれです。
http://www.theperthexpress.com.au/contents/perthexpress/download/web_Map_vol.30.pdf#search='%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%89+%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9'

3月末になり、レストランをあれこれ調べたが、スカボロー海岸のレストランは値段がとても高い。これなら、鯨ウオッチングもVictoryParkのヴィラから往復する方が良さそうだと、IndianOceanをキャンセルし、VictoryParkのBurswoodRiseを一日延期した。これで、US$338.97(当時で34,389円)が返金になり、休日料金 AUS$280が追加になり、合計AU$1,120を到着時支払いになった。でもこれで、5~6千円は節約できたことになる。更に、スカボローの夕陽は拝めないが、ホテル移動の面倒さも少なくできる。
それにしても、キャンセル無料のを予約しておいて良かった。
ただ、これを元に日程の組み直しだ。

5月末にスケジュールが決定した。
9月15日(月)羽田及び関空発
9月16日(火)14:20 Perth着 VictryParkの宿に
9月17日(水)市内観光・KigsPark観光とT/Cを現金に交換
9月18日(木)鯨観察(鯨に出会わない場合は、日曜に再訪)
       帰路、manger湖を散策する。
9月19日(金)ペンギン島
9月20日(土)荷物を駅ロッカーに預け、pinnacles tour
       帰って IbisStyjesPerthに移動
9月21日(日)市内観光 おみやげ購入
9月22日(月)AM 6:50 Perth発

主要な変更理由は下記である。
鯨観光は、HillaryBoatHabourのが、小型船で迫力があり、しかもグループ4人以上だと平日は55$/人 と大幅に安いことが判った。
更に、WeekWEndは交通に便が悪いので、木曜とした。
PinnaclesTourは、PerthTouristLoungeに100$/人で発注した。
PerthTouristLoungeについては、悪評がWebに出ていたので、かなり調べたが、最終的には "まるごとPerth"に紹介されているので信じられると判断した。
http://marugotoperth.com/
http://marugotoperth.com/index.php/new-issue
Pinnaclesへのバス待ち合わせは、Queen's ST.の向かいの、TouristCoachStandであることも確認した。
Pinnaclesに行く前に、荷物を移動が必要だが、HotelIbisStylesに電話以外のあらゆる連絡手段を駆使して問い合わせようとしたが、いかなる手段も通じなかった。仕方なく、荷物は駅の最上階CityRestCenterに預けることとして、ここを管理する市に問い合わせたら、市は簡単に対応してくれた。
次いで、Lottnest島だが、早朝安売りは無くなったようで、余りに高いので、代わりにペンギン島に行くことにした。この島では営巣の時期は入園できない。9月半ばから入園できるのだが、その時期は海に餌を取りに行ってるから島には居ない。つまり、殆どペンギンを見ることは出来ない。そこで、イルカ、アザラシの居る島へのクルーズツアーに参加することとした。が、問い合わせると当日申込とのことであった。

一応、これで予約すべきは予約を終えた。後は日程に沿って、レストランなどを調べる。

出発2週間2日前になって、突然最初とまるBURSWOODの担当員から連絡があった。CarlyHindsとの名前であるが、中年女性であった。僕たちが間違いなく来るかを心配しての連絡で会った。当初3日間Aus$840が、4日間Aus$1,120だから心配になったのかも。でも、何を目的かが良く聞きとれず判らんので、E-MAILが来た。入室の遣り方とか連絡しているその最中に、Airasiaから、16日のKL-PerthがCancellで、17日の早朝着く便に変更になった。Burswoodにその対策のE-MAILをクダクダと書いたら、貴殿のメールが多すぎて混乱している、と返信があり、状況と対策の要約を送った。
Buerswoodがその対策の一部として、BOOKING.comに連絡した様で
Booking.Comからも英語で電話があった。Booking.comには1日延長の件は言っていないので、16-19を17-20に変更と言うと、さっと納得した。Burswoodからも納得の連絡が来た。到着日まで3週間をたった1日切っていないので、かように簡単な対応で済み、16日をKL観光出来て、16日の夜を飛行機内で過ごすことで、Aud$280節約になったが、体力が持つかどうかである。
なお、Airasiaには、KLのラウンジで休憩できないか?と依頼した。
後で気付いたが、$280は休日料金含んでの増額で、今回の減額は16日の週日料金の筈だ。が、どさくさ紛れで、日を追加した時の交渉を忘れて、$280の減額になってよかった。
これらの対応にはかなり疲れた。
さて、9月初から、行程の見直しだ。例えば、初日に、荷物をPerthRestCenterに預けて、銀行に行く等の、行程の変更も生じている。早朝空港着だから急いで宿に行っても仕方なく、空港でゆっくりとキャシングして、市内のPerthRestCenterに行くのだが、何時から開いているか?バスでゆっくり行けば良いとかの変更もある。等と考えていたら、AIRASIAから、またUEGENTが来た。復路便がキャンセルになり、二日遅れになるとのこと。言葉も無いが、必死でホテルを探した。ここでAus$650でキャンセル可で予約した。
http://www.booking.com/hotel/au/broadwater-resort-apartments.ja.html?aid=376383;label=bookings-naam-bM7iEpfEgtuE5_3%2AAeeO6QS35038045378%3Apl%3Ata%3Ap1%3Ap2%3Aac%3Aap1t1%3Aneg;sid=da7eab7773bc7ca2345c5561f9d59679;dcid=1;ucfs=1;srfid=ea75c9c8107fc37a01d2b3d50e8e3911667c74bbX1;highlight_room=
予約してから、AIRASIAのHPで調べると、2日後で無く、当日の午後便が、それも、5人が全員予約できる。フライトの変更をメールで頼んだが、念のため、日本の窓口に電話した。(日本窓口に到達には要領がある)漸く担当をつかまえて交渉し、当日の午後便でKLに行き、翌日便で日本へとした。KLのTuneHotel費用で合計$200掛かったので、結局Burswoodで儲けたAus$280の儲けを吐き出すことで済ませた。
結果として、パース発早朝便が午後便になり楽になったのと、往路便が2日間機内泊で疲れるが、往復ともKL観光が出来るとなった。(関空部隊は23日8時発なので復路のKL観光はできない)
とにかく、つ・か・れ・た~!!!!
が、AIRASIA便は、この程度のトラブルが有るとせねばなるまい。Flight変更をいかに有利に変更するかが、Airasia便を使う時の工夫だろう。

フライトが変わり荷物はスルーでは送れなくなった。これがLCCの弱点だ。
飛行は極めて順調だったが、ずっと曇りで視界は良くなかった。

本文
9月15日
羽田夜出発で、30分ほど早く6時過ぎにKLIA2に着いた。噂のKLIA2は凄かった。空港で朝食を食べてStarShuttleでPUDRAYA⇒中華街で、パサールスニからバスの無料PurpleLineでパビリオンを訪れ昼食⇒中華街⇒PUDRAYA⇒空港とした。パビリオンには日本食レストラン街まで出来ていたが、地下階のフードコートで食べた。選び方が悪く味が濃過ぎた。僕には中華街の方が性に合っているようだ。
ところで、今回始めて使ったが、無料市内バス紫ラインは極めて便利なラインだ。ただ空港で荷物を預けたが、スーツケース1個当たり大きさにより30~50MRもかかる。これが最も問題であった。
クアラルンプールもこれで何度めだろうか、何となく懐かしい街になってしまった。
真夜中の便でパースへと向かった。
9月17日
パースT1には5時頃着き、ATMで900ドルをキャッシング、T1の左側出口から直前のバス乗り場から、ターミナルTRANSFER無料バス(T2⇒T1⇒T4とT3の中央⇒t2でターミナルT4⇒T3)でT4にある市内バス乗り場に向かった。国際線T1T2と国内線T3T4とはバスで20分以上かかる。バスはT4とT3との中央で止まり、TRANSPERTHの市内バス37、40は中央から、来た側(T4側)に戻ったところに停留所がある。バスに乗る時は必ず、明るく笑いながら挨拶すると、明るい返事が返ってくる。
運転手に挨拶してからバラックst. と言うと、OKと答えて、その通りにバラックst.では大声で声掛けしてくれた。
37番のバスをバラックスST.で降りて北に向かえば直ぐにパース駅で、左に(西)少し行くと2階に上がる階段がある。エレベータは故障中だ。2階の改札口の向かい通路を入って行くと部屋11にPerthCitiPlaceがあって、ロッカーが置いてある。一日10ドルでスーツケース3個は入る大きなロッカーが10個ほどある。トイレ、シャワーもあり、それになによりも係員は本当に親切だ。このロッカーは今回の旅行で3度も世話になった。
荷物を預け朝食を食べようとうろうろしたが、通路を間違えてロンドンcourtに出てしまった。ここで朝食を食べたが5人で100AUS$も使ってしまった。でも、ロンドンcourtで朝食食べたって、自慢になるんじゃないか。
朝食を終えて、William st.まで行き、角のTransperthInfo.で、市交通のカードSmartRiderを買った。ここも職員はとても親切だ。それに、各人のカードに$50をチャージしたので、もう自由に市内を走り回れる。次いでWilliam st.を南下して、GergeTeraceの角のWestpac銀行に行った。待っている人に聞くと、9時半に開くらしい。少し待って、中に入り案内の女性にT/Cを現金化したいと言うと、正面のカウンターのAmericanExpresのカウンターを示した。が、AMEXだと一回$8の手数料を取る筈なので、ちょっと手前左に並ぶ銀行カウンターに行き、T/Cを現金化できるか?と聞くと、出来ると答えたので、AU$1500を替えた。銀行の窓口だと手数料は無しであった。
これで、全ての準備は整ったので、チェックインできる2時までをKing'sParkで過ごした。PERTH駅に戻り、駅の北側のNorthBridgeを散策し、昼食は駅傍に戻り、TAKAに行ったが満席でCalionアーケードのFoodCourtで食べた。その後TAKAにはフリーマントル店に入ったが、TAKAはとんかつの揚げ方が強すぎるが全体的にはお薦めだろう。
時間となったので、電車でVictriaParkに行き、10分ほどを歩いてVILLAに着いた。
-31.975286,115.89919 
no1の家の前の安全箱をピンコート入力で開けて中に入ると素晴らしい家だった。荷物を置いて直ぐに近所のスーパ(徒歩2分)に買い出しに行った。で、素晴らしい生活が始まった。
9月18日
VictriaPark7時発でParth駅に向かい、地下Platform1で、Warbickに向かいバスに乗り換えて8時10分にはHillaryPortHoubarに着いた。
-31.826246,115.737673
きれいなモールの中をつっきってMillsCharterの事務所に行き乗船登録した。海はきれいだがかなり荒れていた。が、鯨には何度も遭遇し、鯨ウオッチングを満喫した。昼食はモールでしたが、とても高かった。これなら昼食持参の方が良かったかもだが、それはそれなりの経験も出来た。
9月19日
今日も早朝起きで、TRANSPERTHを乗継ぎ、ロッキングハム経由でMersypointに行き、ペンギン島見学と、イルカ・アザラシツアーを楽しんだ。
9月20日
今日も早朝起きで、PERTH駅に行き、CitiRestCenterにスーツケースを預けて、ピナクルツアーだ。今日はホテルを変わるので、荷物を預けたのだ。集合場所は、PerthTourCoachStandとのことで、場所が判るか心配したが、STANDには看板が書かれていて容易に判る場所だった。時間になると小型バスが現れ、参加者は12人程度であった。我々老人は最前列に陣取った。ガイドはスーザンさんと言う女性だが、その英語は殆ど理解できなかった。ツアーは7時30分に出発地点のPerthTourCoachStandで解散となり、我々は荷物を取りだして、PerthIbisStylesに向かった。駅前で950番のバスに乗り、AfterNewCassleSt。と運転手に頼むとちゃんと止めてくれた。
-31.946609,115.864348
が、道路名が書いていないので、開いていたレストランで聞くと、ウエイトレスが親切に教えてくれた。で、ホテルは簡単にそこから徒歩で5分であった。駅から歩いても10分って距離だった。
チェックインする時に、朝食は・・と言うので、それはバウチャーでも含まずとなっているので、外で食べようと考えて、NO、と言うと、YESと言う。つまり、朝食が含まれていると言うのだ。奇妙な話だが、食べさせてくれるなら、それは有難いと、説明を聞いた。朝食はコンチネンタルで、朝7時から10時までとのことだ。
-31.944224,115.863318
夕食は近くの中華で済ませた。
それにしても、この街はどこを歩いても美しい。
9月21日
コンチネンタル朝食(バウチャーでは朝食含まずだが食べさせてくれた)を食べて、パース駅まで歩きFremantle線でfremantleに向かった。到着してから雨となり、マーケット、牢獄をみてから、RedCatとBlueCATで街を一周して、TAKAで昼食として宿に戻った。夕食は激しい雨の中を外に出たが、すぐ近くのベトナム料理店に行った、清潔で良い店だったが、パースではTAKAに続いて安くおいしい店だった。
9月22日
天気が回復したので、950番のバス乗り場は判っていたが、駅からそう遠くもなかったので、荷物を引きずって駅まで行き、CitiRestCenterに預けてMongar湖に行った。多くの鳥と出会い、特に黒鳥と出会う幸運で会った。周辺の家々はとても美しく感動した。
-31.933262,115.830102
昼は、FoodCoutで済ませ、37番のバスでT3・T4空港に向かった。
T4でTransferBusに乗換えてT2で降りた。
飛行機は夕刻にKlia2に着きTUNEに宿泊だ。
9月23日 羽田では、八千代台に当日着の京急11:09に30秒乗り遅れ、空港の到着ラウンジで夜を過ごした。羽田空港の到着エリヤには多くの椅子があり、夜を過ごすのには何の支障もなかった。

写真はここです。
https://plus.google.com/photos/107577963727362767237/albums#photos/107577963727362767237/albums/6064411174046943793

旅費は13万円/1人と信じられないほど安かった。
期間が足掛け9日間(内2日はクアラルンプール)と短く、自炊をして、TAXIを一度も使うことはなく、市内交通ばかりを使ったからだろう。ツアーもいろいろと調べて安いのを予約できた。それに、ロットネスト島観光は余りに高いので省略した。だが内容的にはとても高価な旅であった。それに、パースは、とても美しい街で、鯨やペンギンをごく街の近くで見ることもできて、本当に素敵な街だった。