2022年10月12日水曜日

バングラデシュとアシュガンジ、それに、アシュガンジ肥料公社(AFCC)とその後

 バングラデッシュは、インドの右隣の国で、独立前には、インドの左隣のパキスタン国と共に、イスラム国として国を成していたが、激しい独立戦争を経て、パキスタンから独立して、バングラデッシュ国となった。独立戦争はかなり激しくて多くの民衆が亡くなっている。その際、インドが独立を助けたため、インドとバングラデッシュは仲が良く、反対にインドとパキスタンとは犬猿の仲となっている。僕らの世代は、その経過を目の当たりにしてよく知っていることだ。
バングラデッシュとは、黄金(バングラ)の国(デッシュ)を意味して、この国は気候が稲作に最適で、しかも国の殆どが高度数メータ以下で、毎年国の80%で洪水が起こる。僕らは8月の雨季に飛行機でダッカに入ったが、上空から見ると、この国は一面が池のようであった。なお、毎年の洪水が大地に養分をもたらすので、豊作が期待出来て、しかも、年に2度の収穫が期待できる。実際に、田んぼのこちら側では苗を植えて、他方では収穫中などとの風景も見られる。国土の広さは日本の半分程度だが、日本は平地が15%程度で、他方、バングラデッシュでは80%以上であり、米の生産だけを考えれば、日本より遥かに多くの人間を養えることになる。つまり、日本の耕作可能地は、日本は国土の0.15で、バングラデッシの農地は、日本の面積に対しては、0.5*0.8=0.4となるわけで、日本の3倍近くの農地を有しているわけだ。ただ、英国の植民地時代の収奪といびつな英国支配の国政システム、その後の独立戦争、と悲惨な経過で人口は、僕の滞在した1980年当時には8000万人以下であった。が、貧しいながらも、40年の安定期を経て、今は、なんと、2倍の1億6000万人にもなっている。しかし、先述のように、平地面積から考えれば、日本よりは過疎と言えるかもしれない。ただ、人口は都会に集中する傾向があるから、僕の滞在した1980年時点でも、首都ダッカは、人で混みあっていたから、今では、2倍以上に混みあっているだろうと恐怖も感じる。でも、僕はバングラデッシュや彼らの国民性を好ましく思っているので、出来れば再訪して実情を確かめたいと思っている。
国土は、対岸も霧にかすむほどの巨大なガンジス河、ジャムナ河とかメグナ河等の河口砂州でできていて、海岸近くは密林状態で、タイフーンが襲えばたちまち洪水になるので、首都ダッカは、河口から100km以上も上流の奥地にある。国全体が幅500kmにも及ぶ河口洲上にできていることになる。
恐らくは英国が植民地支配の首都として選んだのには、できるだけ洪水を避けた地を選んだと思われるが、それでも、しばしば水害被害が発生するような土地柄であり、道路の側溝には汚れた水がたまり道路は雨季にはぐちゃぐちゃになる。日本の戦後20年頃までの大阪の街を考えればよい。町中がたばこ臭いことまでそっくりだ。日本の中古自動車が走り回っているので、いよいよ雰囲気は似ている。ただ主要な乗り物は、リキシャと呼ばれる人力自転車風の力車で、乗用車が走るにはとても邪魔な存在だ。さらに汗臭い民衆が道路に満ちていて、なかには、空腹や疲労でぶったおれている人も大いに見かける。空腹で後部に複数の乗客を乗せたリキシャをこぎ続ければぶったおれるのも当然だろうと思う。更に、10月、11月頃を除けば、いつも気候は日本の夏が続くので、いよいよ住みずらい土地柄だが、英国人の中には寒くうっとうしい英国よりは体に良いと、ダッカに住み続ける人もいる。僕自身も年を取ると寒い気候よりは、暖かい国が望ましいと思うが、暑すぎるのもどうかと思う。
さて、バングラデッシでの特産品は、米とか麻とかの農産物で、鉱物資源は殆どなく、そもそも、道端で石ころを見つけることさえ困難だ。建設に必要な砕石はほぼ入手できないから、粘土でレンガを焼いて、これを砕いて砕石替わりにする。だから、どこかでコンクリート工事があれば、その近辺で、老人とか子供が道端に座ってハンマーでレンガを砕いている。その仕事でゴーグルを使うこともないので、破片が子供たちや老人の目を傷つけている。
そんな国で唯一の産出する天然資源は天然ガスで、これは豊富にあり、これを原料に尿素肥料を作っている。国内のあちこちに肥料公社が工場を建設して、僕の働いたのは、ダッカの北方80マイルのアシュガンジに建設された肥料工場だ。今は、Asyugaji Fertilizer Co、Limittedと称される肥料工場兼公社でメグナ河の東岸の河床に建設された。
GoogleMapで簡単に検索出来て、緯度経度は 24.023891, 90.988533
ダッカからの鉄道が、メグナ河を西から東に渡った所にashuganji駅があり、そこから南に1kmほどのところに、500m四方の工場がある。その敷地に接して、南側に500m四方の、社員用社宅があり、ともに外界とは高い柵や壁で隔離されていた。ところが、最近になりその周辺をGoogleMapで最近確認すると、居住区の仕切りは無くなり、周辺に大学や高校、小学校が建設されたようだ。アシュガンジ村は、駅の南方にあったが、今では高速道路も整備されて大きな町になっているようだ。工場のおかげで周辺はかなり開発整備が進んだと思われる。

バングラデッシには、方々で天然ガス田があり、そこにはほぼ窒素肥料生産工場が建設されていて工場毎に公社とされる。つまりアシュガンジ肥料工場はすなわち、アシュガンジ肥料公社によって運営されている。僕のいた当時、後に公社のトップになるモミンさんが建設プロジェクトのトップであり、僕が納入を終えて帰国する前にサヨナラパーティを開いてくれた。その後、チッタゴン肥料設備建設プロジェクトのトップになった時に、入札打ち合わせに訪問した時にも「ぜひ受注しろ」と激励してくれた。ただこの案件は、東洋エンジニヤリングとの営業レベルでの談合で、シップローダーだけを大幅な利益で受注できたが、実施設計からの納入業務は新居浜工場で行うので、僕自身はその案件とは関係なくなった。その後、僕がたまたま現地を訪問したのだが、わが社新居浜の納入したシップローダーの不具合を解決したので、その際も、モミンさんは僕と会ってくれて、大いに激励してくれた。それどころか、他社の納入設備もチェックしてくれと頼まれたが、さすがにこれは断った。

そのシップローダは新居浜工場で設計・製作して、尿素袋を船積するのに、スパイラルシュートの上を尿素袋を滑らせて船積みするタイプなのだが、スパイラルシュートでの袋の滑りを新居浜でテストして納入した。しかし、たまたま僕が新居浜に行った機会に、現場に置いてあるスパイラルシュートを見る機会があった。そのシュートは、スパイラルの滑り台で、その内側のガイドとシュートのすべり面が余りに鋭角で、滑り落ちる袋が挟まれてしまわないかと心配になった。が、新居浜工場の問題だし、それに、テストしたのなら大丈夫だろうと不安を口には出さなかった。
その後、また別件でバングラデッシュのダッカに行く機会があった時に、阪大の後輩でもある新居浜の設計担当者から電話があり、「船積機の現地性能テストで、少々問題があるのでちょっと現地に立ち寄ってほしい」との電話が入った。

新居浜の連中が何かを頼む時には、裏に何かが有るに違いないと思ったので、さて問題とは何だろうと考えたが、こんな単純な装置での問題とはスパイラルシュートでの滑り不良に違いないと想像した。スパイラルでの滑りが問題ならどうしようもないだろう、とも思えたが、仕方がないので、女房にごま油の瓶を買ってもらい、サムソナイトの中に入れておいた。

その出張で用件のあったダッカからは、ちょっと立ち寄るにしては、飛行機でチッタゴンに行き、そこから濁流の大きな川を船で建設現場に行くなどと大掛かりな旅になったことからすると、僕をそこに行かせることは営業も組んでの作戦であったようだ。
なるほど、確かにシップローダーは僕が受注したが、僕としては設備全体を受注したかったのだ。だが、東洋エンジニヤリングと我が社の営業とが裏取引をして、新居浜製造所の管轄であるシップローダーを高値で受注することで話をつけてしまったのだ。それも、全体を見積もりした僕に相談なしに決めてしまったので、僕が怒っていると考え、かような手段で僕を問題解決の担当者にしてしまったわけだ。

営業と新居浜設計部のこんな姑息な遣り方が僕には気に入らないのだ。が、これが僕の所属した事業部の基本的な姿勢だから仕方がない。
現場の建設を総監督する東洋エンジニヤリングTECが準備した宿舎に荷物を置き、作業服に着替えて現場に行き、船積機の最先端にぶらさがるスパイラルシュートの先端に行くと、ちょうど、試運転の開始で、そこまでも、新居浜設計者、それに、現場責任者と営業との話がついていたらしい。そこには我が社の現場指導員は居らず、客先の課長が心配そうに現れた。この件は客先も知る致命的な大事になっていたわけだ。結局は、僕が全く関与しない設備の責任が僕に転嫁されたわけだ。こんな所がいよいよ新居浜らしい。
運転開始後直ぐに尿素袋がスパイラルシュートの先端に来て、次々と滑り込んできたが、直ぐに詰まりが発生してスパイラルシュートの上端迄袋があふれだした。そこで、そばにあった非常ボタンを押して運転を止めた。他に誰もおらず、仕方がないので、シュートの枠組みを必死になって伝い、10mほど下に降りてゆくと、心配した通り、袋が内枠に嚙みこんで止まっていた。先端の袋を足で押して、枠から外すと滑り落ちたが、そこから上の袋は全て内枠に挟み込まれていた。大汗をかきながら上に登りながら、次々と袋を外して行ったのだが、要するに、滑り落ちる袋の1個が挟まれると、その後続の袋全てが、内枠に挟まれるとの問題で、根本的には、シュートの底面と内枠を鋭角ではなくて広角で滑らかに接続するように作り直す以外に対策は無いだろうと冷汗が出た。
そのトラブルを技術的に解説すると、シュート面は袋が遠心力で外側に行くのを考慮して、外周ほど高くしているから、袋が順調に滑り降りていれば、遠心力でシュートの内枠から離れた場所を滑り落ちるので問題はない。が、たとえ一袋でも何らかの理由で速度が落ちると、内側に寄り、内枠の滑り面の鋭角部分に挟み込むことになる。新居浜のテストでは、単個ごとに行ったので、常に順調に流れたのだろうが、大量の袋が押し合いへし合いしながら流れ込む状態を考えていなかったのだろう。それでも、シュートの形状を見るだけで気付く事態だと言える。少なくとも僕は一目で気付いた事態なのだ。
内枠の取り付けは全て溶接だから、この現場での改修は大事(おおごと)になると思えた。

こんなに詰まるのに駄目かと思ったが、それでもまぁ用意はしたのだからと、客先課長に頼み直ぐに車で宿舎に送ってもらい、持参しておいたごま油の瓶を持って戻り、スパイラルの最上端の滑り面に油を塗布し、再運転を指示した。すると、最初の袋が滑る際に、ごま油をすべり面に広げてくれるので、後続の袋も何の問題もなくスルスルスルと滑り落ちて行った。
客先課長、わが社営業員、それに、後から現れた新居浜から出向している現場指導員と共に事務所に戻ったが、客先課長はほっとした様子で大笑いしながら「住友のハイテクは素晴らしい」と興奮していた。このトラブルは船の滞船料に影響するから、大事(おおごと)としてみなされていたらしい。滑り剤には油性潤滑油ではなく植物油を使ってくれと要請すると、再び、住友のハイテクは素晴らしいとの答えで了解された。
現場課長が僕を連れて現場所長のモミンさんに説明に行くと、モミンさんも心配していたらしく、「とにかく、方法はどうでも積み込み出来たらよいのだ」と了解してくれて、「ついでに他社納入の搬送設備もチェックしてくれ」と言ったが、それは丁寧に断った。
なお、その後、帰国後二、三か月してから、「再び袋が滑りにくくなった」と連絡が来たので、「油が古くなったので、お湯ですべり面を清掃して塗りなおしてください」と回答してたが、かような姑息な対策をモミンさんが認めてくれたことで、本件は完全に解決した。
本件の解決に東洋エンジニヤリングが関わっていたら、かような解決策では満足せずスパイラルシュートの改造を要求したであろうと思うと、モミンさんの好意を今更ながら感じる。実は、国内でも海外でも、僕は同様な好意を何度も得ている。必死で仕事をすると得られるものだろうと思うが、社内では殆ど得られない好意なのだ。
ところで、本件で、スパイラルシュートの解決の最後の土壇場で現れた当社の指導員は、実は、別の項目で記載した信頼できない仕上師なのだ。僕に付いてAsyuganji肥料設備で仕事した経験を買われて、チッタゴンにも派遣されたのだが、相変わらず大切な瞬間には現われないってジンクスは守っていたようだ。が、成果は自分の物としたであろうと思われる。
この時にも、僕がごま油を塗り始めた時に現れて、尿素袋が順調に流れ、僕が「よく滑るなぁ」と言うと、平然と、「油を塗ったら当然や」と言い切った。それなら、僕が来る前にそうしろよ、と言いたかったが、どうでもいいや、と思い、口には出さなかった。

ところで、本プロジェクトをまとめる東洋エンジニヤリングは、僕の専門とするコンベヤ設備類については、インドのメーカーに発注したと聞いていたので、来たついでにと、そのメーカー名と製品の出来具合を調べるべくわが社納入品以外の設備も見学させてもらった。
その後、この国での次の肥料設備はMSECが応札受注したが、MSECからの搬送設備の見積り依頼を受けた。その際には、そのインドメーカーと連絡を取り、営業員を東京事務所に呼び見積もりを依頼した。これをMSECへの見積もりに採用しようとしたが、当時住重は新居浜の米国向けコンテナクレーンを韓国制作で納入し大赤字となったものだから、人事出身の事業部長は海外製作におびえてしまい、インド製作を許さなかった。コンテナクレーンに比べれば、肥料設備用の設備は構造的に遥かに簡単な設備なのだが、それも理解されず、日本製作での価格で応札せざるを得なかった。結局は価格で負けて逸注した。但し、尿素肥料倉庫内のポータルスクレーパーと称する単体装置だけは、受注できたが、これ以来、住重の搬送システム部門は、このコンテナクレーンでの失敗で海外進出にくじけてしまったのだ。

そもそも、この失敗がなくとも、少なくとも、住重の運搬機事業部(新居浜)って、海外事業には不向きであったようだ。上層部に全く海外案件での経験者がおらず、海外案件をコントロールする力が欠如していて、しかも、いわゆるプロジェクト力が全く欠けていて、海外工事現場には、英語も喋れない人間の集団が、いろんな部署からぞろぞろと集まって行くから、人件費が掛かり、しかも、決断や工夫が出来ないようだった。
僕が、チッタゴン案件で、ダッカの肥料公社プロジェクト本部に行くと、モミンさんが本部長として指揮されており、挨拶に行くと、東洋エンジニヤリングに負けるな、と激励してくれた。TECが日本のODAとつるんで値段を下げないことを怒っていたのだ。その時、Ashuganjiで住重について苦情がでている、と言われた。
早速Ashuganjiの現地に行くと、工場事務所のホワイトボードに「SHI(住重)に無視された」と大きく書かれていた。事務所に居た僕の滞在時の知り合いに問うと、明日から全設備の点検に入るので、機器・装置の納入者にスーパーバイザーを派遣するようにと連絡したが、住重(本件では新居浜)はべらぼうな人数の多額の見積書を出してきたので、最少人数で見直してくれと連絡したが無視された、との答えであった。今回の総点検で来ないのは住重だけだ、とも言われた。こりゃ、注文を取るにはまずい状況だと思い、「給電系や制御系で問題は生じていないか」と問うと、「電気系は専門家がいるので問題はない」との答えなので、では機械系を僕が見ましょうと、2日間を掛けて点検してまわり、問題はありませんと報告すると、それで納得してもらえた。つまり、僕一人で済ませられたものを、多人数を派遣しないと心配なのだと思える。なお、僕は日本でも住金鹿島の焼結設備の全搬送機を点検して回った経験があるので、心配なく協力できたのだ。
実はこんな経験も、僕には後ろ盾がなく、なんでも自分でやらざるを得なかったから出来たのだが、それが、僕の経験の幅を広げたとも言える。
要するに、運搬機事業部は、何をやるにも怖がりで多人数をかけるとの体質で、それゆえに決断力がなく、安全側の道を進むことで、無駄な経費での赤字が累積する傾向があった。

ところで、アシュガンジ肥料設備では、数多くの納入業者の中で、僕の担当分が真っ先に試運転テストを完了したことや、このアシュガンジでの設備点検をもうまく終えたことで、モミンさんは僕を信頼し、チッタゴンでの袋積スパイラルシュートの姑息な対策も問題なく受け入れてくれたのだ。僕は接待は下手糞で付き合いも悪いのだが、いつも客先の信頼を得ることができた。