2014年3月8日土曜日

なんとなくベトナム旅行

東方航空で、往復ベトナム50,000円を衝動的に買ってしまった。で、仕方がない、旅行計画だ。
ホーチミンから飛行機でダナンかフエまで行き、帰路、フエからホーチミンまで列車とすると、ホーチミンに着く列車の時間があまり良くない。バスだと28時間掛かる。仕方なくベトナム国内航空を予約、5,300円だった。
ホーチミン⇒ダナンは列車で4500円で、飛行機の方が楽だ。が、地上を走りたい。しかしながら、列車もバスも時間がかかり過ぎるので航空券を買った。手配後気付いたが、フエ⇒ホーチミンをバスで一気に行かず、途中の街に泊まればよかったのだ。その分は、ホーチミンでの宿泊日数を減らせば良いのだ。
宿は、ダナン3泊 3,500円、フエ22,400円、ホーチミン33,900
日本⇔ホーチミン50,000円で、宿とか国内交通費を入れて、先払い分が65000円恐らく食費とかなんとかを含めて合計85,000円か・・・・
ちょっと金が掛かる。後食費を安くてうまいのを探そう。

さて、往路のホーチミン⇒ダナンをどうするかと、考えていて、ふとベトナム航空のマイルのことを思い出した。以前にマレーシャ往復をベトナム航空で行った時のマイルだ。調べると、ホーチミン⇒ダナン間の航空券分はある。ベトナム航空のカードを失っていたので再発行とか、AwardTicketの入手は、英語でドタバタと手続きし、日本のOFFICEFAXでしか連絡できない)に連絡してメールでE-Ticketが発行までこぎつけた。ベトナム航空の日本事務所は公開されておらず、全てはベトナムの事務所と連絡して、それが終わると、日本事務所の電話番号を教えてくれるって奇妙な状況だった。
往路、ホーチミン着が217日の0.55amで、早朝5:45am発でダナンに向かう。が、その後連絡があり、7;30am発となり、ホーチミン空港での待ち時間が2時間も増えてしまった。とにかく、こんな経過で、交通と宿はほぼ予約を終えた。

1月末になり、計画を綿密に見直す。なお、手持ちのドルの他に、1ドル札を40枚郵便局で購入した。1ドル=106円であった。

danangからhoianのバスだが、調べると、現地人は15000ドンで外人には50,000ドンを吹っ掛けるのが常態化しているらしい。
danangからhueは列車の方が景色が良いらしい。列車には空調付SE特急、ぼろTN急行、鈍鈍行のShuttleTrainがあるらしい。TNtrainだと、40,000ドンでバスだと60,000ドンってことらしいが本当だろうか。Hoianへのバスって余程ぼってるってことだ。
ここに、現地人18000ドン外人50000ドンと書いてる。が、日本人の旅行記でも同じことを書いている。

29日が大雪で、214日の夜も大雪だ。215日は雨で、216日は天気のようだ。つまり、ぎりぎりで出発ができそうだ。
これからは、2月の出発では降雪を考慮しなければならない、と言うか、2月半ばで飛行機を使ってはならないってことだ。

226日チェックインは16:552時間半前だが、14:00には中国人が主体で大勢並んでいた。荷物はスルーで搭乗券もHCMまで発行され、MU522は出発も時間通り出発、上海乗継、MU281HCM1:30到着であった。上海乗継はTransitCounter経由なので中国の入出国カードは不要であった。HCMへのMU281機内でベトナムの入出国カードを要請したが、ノーノーと言われるばかりで、イミグレでオフィサーに直接質問して入出国カードが不要であることが漸く判り、驚いた。結局、ベトナムにはビザも終出国カードも不要なのだ。

ベトナムの空港はどこも、ターミナル建屋は小ぶりだが清潔で好感の持てる空港だ。空港だけでなく列車の駅も同様に交換の持てる場所になっている。
アライバルロビーは1階で、その出口には警備員が終夜常駐する。真夜中2時を過ぎてロビーに出ると、長椅子が並んでいたので、ここで過ごした。金の交換所は出た時点では営業していたが直ぐに閉店した。レート表があったので写真を取ろうとしたら、ノ~ノーと隠されてしまった。が、ロビーにはATMが何台かあり、キャッシュは問題なく入手できる。そこで、100万D(5000円)を交換したが、手数料が6万D(300円)掛かると表示が出て驚いた。更に、50万D札2枚しか出なかったので、もっと細かい札が欲しいと、再び100万Dをキャッシングしたが、結局50万D札4枚が手元に残ってしまった。後悔にくれたがどう仕様もなかった。が、その後の経過からすると、銀行で10万D札に簡単に替えてくれるので問題は無かった。ただし、帰国後、NETで口座を調べたが、手数料は負担されていなかった。(なぜか不明である。なお、1円=200ドンです。)
なお、ATMは屋外に出て右側、国内線ターミナルに行く途中にもあった。が、以降は手数料6万Dが嫌で、20ドル(40万D)をホテルのカウンターで交換しただけである。
結局、旅ではほぼ1万円を使っただけであった。つまり、先払いの65,000+10,000円=75,000円を使った。なお、HCMの工具店街で電工工具を3品3000円は、この金額とは別に買っている。
217
7:30のベトナム航空でダナンに向かった。
空から見ると、道中のかなりの場所が乾燥地帯であった。その後の経験からすると、ダナンとフエの中間が境で、そこから北の方、フエの方向が水の多い地帯のようだ。だからこそ、フエが旧王朝の首都であったのだろうと思う。
ダナン空港もこじんまりとした良い空港であった。案内でホテルの場所を示し、TAXIがいくらかかるかと聞くと、戸惑いながら20万ドンかな、なんて答えたので、怪しいな、と思った。
TAXI待機場で、TAXI案内員に聞くと、メーターです。と答えたが、なにやら運転手が案内員と若干の言い合いがあった。結局、メーターは動かず、あっと言う間にホテルに着き、運転手が6万ドン(300円)です、と言った。つまり、ホテルまで近いので運転手が嫌がり、メーターを動かさなかったのだ。僕は、喜んで6万ドンを支払った。
ホテルはLuckyHotelと言い、一泊12ドル。窓から海の見える住み心地の良い部屋であった。クーラーは効かなかったが、曇りが多く、特に必要無かった。
当日は足慣らしで周辺を歩き回った。概括すると下記の通り。

ホテルは空港からはほぼ北にまっすぐで近い。が、タクシー料金は市街へ程度に数万ドンは要求される。ホテルから駅には徒歩30分だが、駅は線路の南側で、広い道路を行くと遠回りになる。が、線路の北側の道TranCaoVanを東に進み暫く行くと、南に向かう路地の奥に路地マーケットがあり、その道を更に線路を越えて南に行ける。ここを通ると駅までは20分程度で行ける。
HOIANに行くには、駅の前の通りHaiPhonを東に行きOngIchKhien通りを南下、レダンLeDuan通りを少し東に行くと、道の右側に、danang-hoianって書いたバス停があり、ここからHoianに行けるし、帰路もここ辺りを通る。バス代金は、荷物が少なければ3~4万ドン、スーツケースがあると、荷物を、もう一人分として合計5万ドン程度となる。つまり、ベトナムでは大きな荷物は席を1人分占有するとみなされる。
部屋はそれなりに清潔で、窓からはきれいな海の景色も見られ、多くの船が漁をしている。船は竹を編んでおわんのような形にしたもので、これでよく海に浮くことができるな、と感心した。
周辺にはカフエー、レストランがあり、一食数万ドン。路上のは23万ドン。バナナはkgあたり2万ドン(HCM道端では1万ドン)、ドリアンもkgあたり2万ドンだが、1個が重いので89万ドンとなる。ドリアンは匂いはくさいが、丸ごと食べた経験からすると最後頃にはとてもおいしいと思うのだ。
散歩の途中で駅に行き明後日のHoian行き切符を買った。駅には待合室室と切符売り場があり、待合室は切符を見せないとは入れないシステムで、切符売り場もきれいに整備され、列車表示の液晶掲示板もあり買いやすいシステムになっていた。で、切符売り場には知的な女性の駅職員がおり、彼女の勢いに負けて明後日の朝7時のSE(高い方の列車)の切符を買ってしまった。かなり綿密に調べておいたのに、調べた事を全て忘れ、言われる通りに買ってしまった。でも、70,000ドンだったからまぁいいか。なお、駅もきれいで駅員もしっかりしているのだが、当日の列車は一時間も遅れて発車しました。ただ、列車の遅れは随時表示されるので安心しておれるのがインドとは違う。

ところで、ダナンの街は単車だらけ、というか、ベトナムの街はどこも単車だらけ。
どこまで行っても単車が津波のように押し寄せてくる。で、空気はとても悪いので、女性の殆どはマスクをしています。旅の間マスクをしなかった僕は、日本に帰って肺の異常を激しく感じてしまった。また街全体は、中国風のhoianを除いては、欧州の下町風と言えるだろう。

2月18日
先述のバスに乗ってHoianに向かった。特等席に座らせてくれたので、街や道路、風景は実に良く観察できた。道路は広く、街が急速に拡張中であることが良く判った。道は海沿いに進み、とても大きな河に掛かるとても立派な橋を越えて続いていた。途中で有名な五行山を見て更に南下して行った。hoianに近づくにつれて道は細くベトナムらしくなっていった。
Hoianはさすがに素敵な街だ。特に路地が美しい街だった。一応、有名なホワイトローズとかサフラン色の焼き飯も食べて、更に街中を歩き回った。ところで、ダナンからのバス料金は往路は3万ドン帰路は4万ドンを要求されて、しかも、席は一番前の良い席に座らされた。どうやら、50,000ドンは、荷物が多い時に二人分として要求される金額であると思えた。そう考えると、ベトナム人の合理的な料金設定であると理解できた。つまり、我々には不合理に思えても、大きな荷物が一人分を占めることは事実であり、ベトナム人の考え方が合理的と理解できる。
2月19日
天気がわるかったので、ハイパー峠には行かずダナンの街を歩き回った。単車が、どう言えばよいか、すさまじい台数の単車が走り回る恐ろしい光景と言えるだろう。が、路地の奥には古いダナンの生活が残っていた。
ダナン博物館に行ったが、知性的な女性が博物館についてのオリエンテーションをしてくれた。ベトナム戦争についての説明があり、「僕は1943年生まれだからベトナム戦争のことや、その悲惨さについては良く知っている」と言うと、第二次大戦中に生まれたのですか、と驚いていた。

2月20日
7時のHue行き列車は1時間遅れてダナン駅を出発し美しい海岸に沿って湾を回ってHueに向かった。ダナンは湾とそれに湾を覆うように存在する島とに挟まれて、素晴らしく美しい良港に恵まれた場所であり、そのために古来、各国の侵略の的になっていたことが充分に理解できた。その良港の湾に沿って走る列車からの風景は、曇りであったが天気であればとても素晴らしい景色であろうと想像できた。更に、海の風景だけではなく、幻影的な水田が広がるエリアもあり、好天気で無いことが実に残念だった。
フエ駅もまたこじんまりとした良い駅であった。駅を出ると直ぐに運転手が近寄り、値段交渉となった。5ドルと言うのを3ドルに値切り、ホテルにはあっと言う間に着いた。
路地の奥のホテルではあったが、やはり住み心地の良いホテルであった。ベトナム航空事務所に行きフライトのreconfirmをし、ついでにハノイ通りで食堂があったのでワンタンを頼んだ。ここは珍しく30,000Dって値段表がでていた。スープにコクがあってうまかった。その後、道路端の店などでも食べたが、20,000Dと安いのだが、スープはその店の味が遥かに良かった。
221日、
王宮とそれに新市街も含めて徹底的に歩きまわった。旧都らしく、道が広くてすっきりとした街なのだが、道が広いだけに、単車の群れを避けて道路を横断するのには苦労した。
222日、
空港までは13kmあるとのことでTAXIを頼んだ。20D1000円)とはちょっと高いと思うが、それが相場なので仕方が無い。
HCM空港に着き、ロビーを出たところで、事務員みたいな叔母さんが声を掛けてきたが、市内へのバス乗り場はどこだと聞くと、あっちだと答えたが、どう考えてもおかしい方向なので、ツーリストカウンターで聞くと、国際線の方だと答えた。かくして、有名な152番のバスに無事乗れたが、やはり、スーツケースを持っていると、2人分5,000Dx2枚の切符を渡された。HCMの方がはっきりしていてうれしい。
ベンタレン広場の時計が目印で、簡単に目的地に降りることが出来た。そこから、1kmをスーツケースを引きずりながら歩いてホテルに着いたが、僕も、強情な男だ。なお、帰国時も同様にバス乗り場から空港線152番バスを使った。
ホテルは、道路から2階への階段を上ると受付で、僕の部屋は特別安い部屋だったので、そこから地上に降りた窓の無い部屋であった。が、清潔で過ごしやすい部屋であった。ただ、蚊が居たので、蚊取り線香を使ったので、僕の荷物の全てが、とても線香臭い状態で日本に帰ることになった。
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街を歩きに歩きまわった。道端でバナナを買い、ホテルで温めたミネラルウオーターをポットに入れて、これらを昼食替わりに食べては歩きまわった。中国人街、川周辺、工具店街と歩き回った。かくして、僕はベトナムで生き延びる術は確実に把握できたと思うが、果たして、再訪することはあるのだろうか。
寒さから逃れるために訪問するとしても、空気が悪すぎる。それならカンボジアの方が良いような気がする。どうでしょうか。
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ホテルは12時チェックアウトなので、12時にチェックアウトして空港に向かい、空港で実に12時間以上を過ごし、夜中の2時の便で上海に向かった。結局、東方航空のHCM空路は11往復なので、夜中1時着の便がそのまま上海に向かうってことになっている。中国人って凄いスケジュールを採用するものだ。
ただ、荷物はスルーで東京まで送れて、搭乗券は上海までの発行であった。今回も中国では入出国書類を記載することなくTRANSITできた。
かくして日本の自宅には、夕方には帰ることが出来た。帰った当日は暖かい日であったが、その後再び、寒さが訪れた。そのせいか、それとも、ベトナム訪問のせいか、はたまた、花粉のせいか、その後、肺の調子が悪い日が続いている。

総括的に言うと、ベトナム人はかなり気性が激しいようだ。それに、仲間意識が強いらしい。例えば、街で婆さんと価格交渉に入ると、周囲のベトナム人が入り込んで値段をどんどんと吊あげて行くのだ。婆さんも強気になっていよいよ値上げをし始める。だから、例えばバナナを買うとすれば、道端で単独で売っている兄ちゃんを相手にして、買う方が安く買えのだ。基本的には何もかも外国人相手には高く売るようなシステムになっている。
それに、元々が、単位が何万ドンとかで、それが100円とか200円のことで、価格感覚が狂い、しかも、交渉成立してから、ありゃ、ぼられた、ってことに気付くこともあり、それが100200円のことであっても、段々と値段交渉が嫌になり、ぼられたクッキーとかバナナを抱えて、これだけを食するだけってことも続いた。でも、時には雑食と称される総菜を指さしてごはんと一緒に盛ってもらうのは美味しかったし、腹いっぱい食べた果物の王様はとても素晴らしかった。それに、電気工事用工具として、電工ハサミの小と大、それに、10sq以下の圧着工具も安く手に入ってうれしかった。

なお日本国民としての立場からすると、気性が激しく独立心旺盛で、仲間意識の強い、その為に扱いにくいベトナム人ではあるが、そんな彼らと友人関係を作れば、対中国との力強い友人になってくれることが期待できるが、これは、阿部君に任せよう。ただ、阿部君のねじまがった国粋主義だと、ベトナム人との巧妙な付合いは難しいとは思いますが。