2023年2月10日金曜日

夢見が悪い

 また夢見が悪くなった。

美しい原色の海岸線に沿って単線の線路があり、その一つの駅に列車はとまっていて、窓から外を見ている。そこでは、大きな、とても大きな白い板か紙がぶらさがっていて、そこに梯子が掛けてあり、女性の助教師が、大きな字で膨大な問題を書いている。僕もノートに写し書いているのだが、とても長い問題で書ききれないのだが、隣に居る助手のような二枚目の男は、ノートに簡単に写すというか、ついでに問題も解いている。僕は問題をノートに写すのに精いっぱいで、う~ん、う~んとうなっている。「おとうさん!おとうさん!」と女房の声を聴いて目が覚めた。5時30分頃であった。また寝ると、今度は、先の線路の終点の駅で、岬の先端に駅の建物が何階にも高く続いている。ここからの船の時間を調べていると、先の助成教師が来て時間を尋ねるので、夕方に1船だけですね、と答えて目が覚めた。

前にも書いたが、よく見る夢は、大学の授業で、次の講座の科目が判らないとか、講義場所も判らないとか、教材が無くてでうろうろするとか、大学院の実験場所が判らないとかで、うろうろするとか、勤める会社の高層建物で自分の課が何階にあるのか分からないとか、勤め先に行く通勤路線が判らないとかだ。とても田舎の路線をうろうろしているのはつらい。
なぜ、かような夢ばかりみるのかと嫌になる。考えるに、人生を真面目に過ごさなかったからだと思う。いつも、適当にやっていると何とかなる人生だった。
誰にも何かを教えられることなく過ごせて来たから、何事にも必死になることはなかった。
特に大学に入ってからは、実に適当な人生だったと思う。そのため、かような夢ばかりを見るのだと思う。つまり、自分の日々を適当に過ごしたから、人生の道も、学びも、確たるものなく過ごしたからだろうと思う。
それでも、嫌な夢を見るのは悲しい。
でも少なくとも人を欺くなどの悪事はしていないから、さような夢を見ることは無いことを喜ぶべきだろう。
それに、僕は怠け者と言うよりは、仕事が嫌いと言うべきだろう。嫌々仕事をしていたに過ぎない。ただ、嫌々ながらも任された仕事に関しては、運がとても良かったせいもあり、客先にも好かれたことから、誰にも負けないほどの成果を上げたに過ぎない。つまりは精神的には怠け者だと言える。

ただ、僕が怠け者であることが、友人たちに悪い影響を与えたのでは無いかと、それだけが心配だ。例えば、親しかった野田剛君とは大学それに大学院時代に良く一緒に野を歩き山に登ったが、その後、就職後は全く同行することは無く、同窓会で会った時に、「志水と良く一緒に歩いたが、歩くだけでなく、鳥や植物を観察するとかの別の楽しみ方があったなぁ」と言われて悪いことをしたのかな、と気になった。だが今になって考えると、山歩きは野田が先に提案したことで、彼の言葉は何も僕を責めてのことではなかっただろうと思う。でも、僕が怠け者でなければ、さようなことに気づいたかも知れず、人生をより充実できた可能性も高いのだ。そのような事が、山歩き以外にもっとあった筈だと後悔するわけだ。しかし、人生の無駄な過ごし方と言えば、それは、今の時点でも同じことだと思うわけだ。

ところで、僕のパソコンー携帯テザリング生活だが、慣れてしまうと簡単だ。無駄にデータを使わないようにと、amazonのstudent primeのビデオを見なくなって健康的だ。2台の楽天で、ともに3G/月でできそうだ。すべては慣れですな。

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