2018年8月5日日曜日

岩の一族 長老の教え 添書 (8)


 翌日、私と義春は駅の北側にある柳川の事務所周辺を調べることにした。これと言って目的は無かったが、柳川と暴力団を如何に押さえ込めるかの算段がつかず、彼等の拠点を身近に見て二人で相談すれば何らかの方策も浮かんで来るのではと考えたのだ。

 誰にも言っていないが、ゲネコンと政治家については真正面からぶち当たれば何とかなると私は見込んでいる。ゼネコンの星川組について調べたが、大阪を地盤とした巨大建設会社ではあるが過去の放漫経営の責を追求され創業者一族は追放され、経営はサラリーマン社長に引き継がれている。オーナーなればともかくサラリーマン社長となれば世間の評判については敏感である。政治家にしてもこの点は同様の筈だから、我々自身の手になる環境アセスメントを機先を制して公にして、それなりの手順で動けば巧くゆく筈だ。

 残る問題は、それが一番難儀な代物だが、天王寺組で、彼らの動きをどう封じるかが最も重要で、常識が通じない相手だけに事は面倒である。どう思案しても確実な方法も無く、出来るだけの手を尽くす以外に方法は無い。

 町の中央を線路を越えてくねりながら南北に走る旧道に沿い、駅を中心として旧い商店街が並び、その北端辺りに柳川不動産事務所がある。そこからは狭い道に面して軒の低い住宅が続いていて、家々に囲まれた狭い敷地に三階建ての事務所が周囲を睥睨してのさばっている。いかにも柳川好みの建物である。

 一階は接客用の応接で二階が社員用事務所となっていて、三階の全てが柳川の使う社長室となっている。天王寺組の幹部が来れば三階で内密の打ち合せをすることも判っている。

「とにかく、事務所、それも社長室を常時監視することが必要や。出来れば盗聴器も取り付けたい」と並んで歩きながら義春に話した。 この辺りの住人の殆どが古くから住んでいて顔見知りだから、私達が柳川事務所の前で立ち止まり相談しているだけで不審に見られる。そこで本道を過ぎると裏道をぐるっと歩き、出来るだけ人目を引かないようにと事務所の裏手や周囲の建物を調べ回った。空梅雨の空に太陽がぎらぎらと輝く道を汗を拭いながらの探索である。「せやけど、この辺りでは柳川の事務所が一番高いから、社長室を監視するポイントいうたら、あの立木の上しかないなあ」と、義春は旧い住宅地の密集する中で僅かな庭を持つ家の松の木を指差した。松は事務所の裏側から社長室の窓のすぐ傍に僅かな枝を延ばしてくねくねと立っている。

「だめやなあ。枝が少ないから木の上にビデオカメラ置いたら見つかる可能性が高い。そんな危険は犯せんなあ。カメラを隠す巧い手立てが有れば別やけど・・」

 再び本道に戻り事務所を過ぎてから、

「後は、どう見ても電柱だけや」と話し掛けた義春が、「待てよ・・・」と呟き、暫らく考えてから、

「電柱のてっぺんにキャップがついているやろ・・・」

 私は通り過ぎる電柱を見上げた。義春の言葉通りに電柱の天辺には長い三角形の帽子のような物がついている。

「ああ・・・キャップの付いているのと、そうで無いのが有る」

「いや、事務所のちょうど向いにはキャップの付いているのが立っていた。大体一本置きにキャップが付いていてなあ、あれは、電柱用の避雷針で、厚さは2ミリもない鉄板で中は空洞やねん」と、さすがは電気設備工事を営む男の着想である。

「それに、俺は近畿電気工事の下請けもしているから、あのキャップも予備として預かっている。改造して取り替えるのは造作もない」と義春は私の顔を見詰めてにやっと笑った。

「そうか。あの太さやとカメラは仕込めるなあ」と義春の顔を見返しながら私は考えた。

「後はどこでモニターするかやなあ・・・そう言えば道路を越してちょうど向かいは・・・・」

「そうや。一族の土井宗一爺さんの家や。確か・・一人息子は東京の方で働いているんやないか?」

「そう。岩の事では連絡を取ったが、どうしても帰れんと答えてきた。せやから、広い家に年寄り夫婦二人だけで二階は全く使ってない筈や」

 頷き合った私と義春は直ぐに踵を返し事務所の前に戻り、そのまま宗一爺さんの家に入って行った。道路に面した大和塀の真ん中の潰れそうな門を入って直ぐに桟付きガラスの引戸がある。引戸の中は暗く涼しく外の暑さが嘘のように感じられた。

 敷地いっぱいに家を建てていて、裏には僅かな庭がある筈だ。この辺りでもめったに見られなくなった旧い造りである。引戸を開けると狭いたたきに、高さだけは充分ある御影の沓脱ぎ石が置いてある。玄関の上がりかまちには幅の狭い欅を使っている。戦前に作られた家そのままで狭い造りの中にいっぱしの造作を整えていて、ちょうど安原の家の玄関そのままに、部屋とその備えのすべての奥行だけを三分の一に縮めた具合である。こんな玄関をエリサが見れば、旧い日本建築それも庶民の家には暖かみがあると喜ぶだろうが、私は明るく使い勝手の良い構造に作り替えたくなってしまう。

「宗一さん、宗一さん」と声を掛けると、いつもは田圃に出ている爺さんが出てきた。

「おお、これは和田の賢一さんと、義春さんか。おーい婆さん。和田さんやでー」とのんびりと奥に大声を掛け、

「まあ上に上がってえな」と、穏やかで人の良さそうな顔を笑顔でくしゃくしゃにした。家と同じように暖かみを感じさせる家族で、真面目でさえあれば人の良さを失うことなく生きてゆけた古き良き時代の夫婦である。

 世間一般と同様に一族でも老人だけの家族が増えている。概ね子息が転勤で遠くに移ったか、家が狭いとか親子の折合いが悪いとかの事情で別居しているか、子供に恵まれなかった夫婦も有る。

 数年ほど前にそんな老人夫婦から投資話の相談を受けた。金融関係で働いている一族の意見を聞いてみると、先物取引それもかなり危険な投資であった。その件はすぐさま手を打ち事なきを得たが、その時の業者の巧妙な手立てから悪質な業者が老人家庭を狙いつつあるとの恐れを感じた。そこで、銀行の支店長になっている一族に相談すると、悪質な業者だけではなくて金融界全般が老人やら若者といった自己防衛力に劣る人々を対象に戦略を立てていて、危険な金融商品が次々と売り出されているとの話であった。

 大手銀行でさえこの有様かと愕然として、仲間を守れるのは仲間でしかないと、五人組の組織を通じて“投資相談グループ”を設立した。金融商品とか御利益商品販売についての警告を回覧すると同時に、老人だけの家族には特に注意を払うことにした。おかげで、この辺り一帯の一族を含む住人は、危険な投資、それに怪しげな宗教団体の物売りによる被害は全くなく、その後のバブル期も無事に越えることが出来た。安原が丘を買ったのはまだその前で、その頃には柳川のような悪徳業者だけに注意すれば良かったが、近頃では堅実であるべき会社さえでさえもが、弱者や無知な人々に手を出し初めていて、しかも人々の不安を煽り立て、金を取り上げようとしているから油断が出来ない。社会全般が公正さを失いつつある今こそ、一族のゆるやかではあるが信頼の絆と、霞岩への穏やかな信仰が御利益を示す時代になったのかもしれない。

 宗一老夫婦が田圃の一部を売った時に私が相談に乗り、度々この家を訪れているから彼等の信頼は抜群である。いつもであれば世間話からゆっくりと始めて、ぼちぼちと本題に入るのだが、今日はこれからまだ考えることがいろいろと控えている。

「いや、今日はちょっと急ぐことがあってゆっくりは出来まへん。ちょっとお願いがありまして仕事の途中で寄ったんですわ」と上がりかまちに腰を降ろした。

 義春はどう話が進むのだろうかと立ったままで様子を見ている。「ほう、わてに願いとは珍しいことですなあ。いつも世話になってばかりやから、わてらで出来ることやったら何でもしまっせ。義春さんも座っとくなはれ」と、爺さんは真剣な顔つきになった。

 小柄な婆さんが襖の向こうからちらっと顔を出し、僅かに頭を下げてから再び襖の陰に消えた。

「えーっと、実はこの辺りに下宿したいと言うもんが居ましてなあ。宗一さんとこの二階が空いたままやと思いだしたんですわ。それでお宅に置いてやれんかと伺ったような次第で。まあ、食事の用意も何もいりまへん。お宅の手間の掛かるようなことは無いんですが」 宗一爺さんは怪訝な表情になって、

「へー・・確かに息子夫婦が移ってからは、二階には家具も何も置いてませんから、わて等はどうとでもええんですが・・・」

 婆さんが、座布団を二つ運んで来て上がりかまちに置き、義春にも座るようにと薦めたので話が途切れた。婆さんが頭をさげさげ襖の向こうに去ってから、

「なんせ、うちの家は古いから、それに、・・ここも大阪市内に近いから近頃はこの辺りにもきれいなアパートがいっぱい出来てますからなあ。うちみたいな家は下宿する人の方が厭がるんとちゃいまっか?」と当然至極の思案である。

「いやあ、実は下宿する当人が、古い家の方がええ、と言うてるんでなあ。せやからお宅がちょうどええんですわ」

 婆さんがお茶を持ってきて、私と義春の前に置き、そのまま爺さんの斜め後にちょこんと座り背を丸めにこにこと笑いながら、めったに無い話の成行を楽しんでいる。狭い家だからお茶の準備をしながらも玄関での話をずっと聞いていたのであろう。

「下宿するのは、えーっと宗一さんも御存じですかな、楠木杏子さんですわ」

 爺さんよりも義春の方が驚いて私の顔に視線を移した。私はなにくわぬ顔で義春の視線を受けとめた。

「楠木・・杏子・・」と爺さんが考える様子を示すと、

「本家の、あの東住宅の、前の長老さんのお孫さんですがな。きれいな娘さんで、外国に行ってはって、最近帰ってきはったとか聞いてますやろ」と婆さんが爺さんに教えた。

 身の周りのことに詳しいのが女房であることでは、どこの家でも変わりはない。

 婆さんが口を出したので、爺さんはほっとした表情で体を横にずらし、婆さんが僅かに体を前に出してきた。これで婆さんが主役となったので、話は進め易くなった。

「そうです、そうです。その娘さんですが・・しかしなあ、もう四十歳にはなってますからなあ、娘さんとは言えまへんけどなあ」

「へー、もう四十にもならはったんですか。月日の経つのは早いもんですなあ」と世間話になってしまいそうな受け答えになったので私は舵を変えることにして、

「そうやねん。本人が下宿出来る所は無いかと俺に相談してきたんやが、俺が想像するに四十にもなればなんぼなんでも、家の方は兄さん夫婦がしっかりと仕切ってはるから、なんぼ実家ちゅうても居候はし難いと考えたんやないやろか?それに、何でも、日本に居る間にいろいろ勉強したいことがあって一人で暮らしたいとも言うてまして、期間は半年から一年ぐらいの間と言うことです」

「そうでっか。うちの方は問題ありまへんけどなあ。杏子はんの実家の方が気を悪くされることの方が心配ですわ」と婆さんは、しっかりと考えている。

「そっちの方はきっちりとしておきますから心配せんといて下さい。じゃあ、一応オーケーと言うことで話を進めさせてもらいます。賃貸し条件としては、保証金、敷金無しで月五万円でと考えてます。それに、部屋のクリーニングや修理は杏子さんの方で持つことでどうですか」と、つい商売口調になってしまった。

「いやあ、条件の方はあんさんにお任せしますから・・楠木本家の人なら安心やし、それに若い人が一緒に居てくれはる方が余程たのしみやなあ」と婆さんは本当に楽しみにしている顔付となっている。「いやあ、そう言ってもらうと話も進め易くなりますなあ。とにかく二、三日中には杏子さんを連れて部屋を見せてもらいます。それから・・パソコンのインターネットを使うので電話回線を増やすことも必要やけど、宗一さんの方には一切迷惑掛けんように、こっちの方で手配させてもらいます」

「へー、パソ・・コンですか」

「そうですがな。電話の代わりに、電文を電話回線使うてやり取りするんですが、そのためには回線を増やさなあきまへんのでなあ」「最近の道具のことは皆目判りませんので、その方は自由にやって下さい」と、これで監視カメラをモニターする場所の確保と配線工事の了解を終えてしまった。

 そのまま帰るわけにもゆかず、老夫婦と外貨預金やら株式の見通しとかを話しているうちに近頃婆さんが大和経済新聞を精読していることや、つい最近には夫婦で東南アジアに観光旅行に行っていて、しかも次にはオーストラリア旅行を計画していると聞かされた。一族の世間話も国際化したものだと改めて感心してしまった。

 思いの外に話が長くなったが、いろいろと参考になる情報を得てから表に出て、

「まあ、あの夫婦なら杏子とは充分に話は合いそうやな」と私が言うと、

「賢一さん、それはええけど、杏子さんには了解は得ているんかいな」と義春は心配そうに歩きながら尋ねた。

「そうやがな。それが問題やけど、女房持ちの俺達があそこに下宿することも出来んし、俺達が部屋を借りるだけでも柳川にはその情報はすぐに流れるやろ。とすれば、事情を知っている中では杏子しかおらんからなあ」と有りのままに答えた。

「しかし、楠木の家が揉めるんやないか」

「そうやろなあ。杏子の兄嫁さんは気の付くいい人だけに、杏子が家を出ると言えば兄さんの立場も無いやろなあ。と言って、この件を正直に説明する訳にはいかんからなあ」

と、誰でもが気の付くトラブルである。

「どうするねん?」と義春はいよいよ心配そうな顔付となった。

「それはなあ、俺にも判らん。杏子も俺達と対等な仲間やから彼女なりに考えて手を打つだけのことと割り切らなしゃあないなあ」とこれも有りのままの答えである。

「・・・」と、義春は言葉もなく立止まり、それから頭を横にふりふり私の後を追いてきた。思いの外に義春は気持ちが優しく、しかもフェミニストでもあるらしい。

 杏子に対して悪いなあと考えたものの、私は長い付合いから杏子が我々よりも気力に満ちる女であることを知っている。この程度のトラブルは私が口出しするよりも彼女に任せておく方が巧く片付くだろうし、それに私にはそれよりも遥かに大事なことを処理せねばならないと、すぐに杏子のことは忘れ次の段取りのことで頭の中はいっぱいになってしまった。外の暑さと焦りとで汗が一気に吹き出し始めた。

 

 土井正司と連絡を取り小型のビデオカメラとモニターそれに長時間録画装置の手配を頼み、柳川事務所の盗聴方法を検討するようにとも指示した。電子工学専門家の腕の見せ所である。義春は電柱のキャップを改造する仕事に取り掛かっている。杏子には事の仔細を話し宗一さんの家に引っ越しするようにと頼んだ。当然、家族には事情を内緒にしなければならないとも話したが、電話の向こうで、「ウーン」と一声唸ったものの杏子はあっさりと了解した。私の横で成行を心配そうに聞いていた義春は拍子抜けした顔付で、「杏子さんって、ほんまに度胸が有るんやなあ」と感嘆の言葉を発した。 その後、義春は電話回線の新設を杏子の名義でNTTに申請に行き、注文を取った見返りとして回線増設の工事を請け負うようにと工作し、これも見事に成功した。電話回線工事と同時にビデオモニターの配線もやってしまうので、工事は私と義春の二人だけで秘密裏にやることが必要で、そのためには、二人の会社が休みとなる月曜日が最適で、その時までには電柱のキャップの改造や、ビデオ機器と偽装用のパソコンを揃える必要があった。

 宗一さんの二階も、杏子が住み易いようにと、それにモニター作業が外からは見えないようにするためにも手を入れねばならず、その週は大層忙しい週となってしまった。ただ有難いことにバングラデッシ人のアシュラフが帰ってくるとの連絡が安原を通して入り、週末には霞ホテルに入り来週からは働いてくれることとなった。彼に現場仕事の殆どを任せておけるので私は柳川事務所の監視に時間を割ける目処がついたのだ。

 一方、杏子と康夫は土井砂恵子、エリサや木津青年と会合を重ね、丘の動植物の再調査、地質調査と図鑑造りの段取りを始め、同時に、市民の関心を丘に向けるべくイベントを計画し始めた。まずその第一弾としては、七月初旬には谷間での源氏蛍の観察会と、続いて七月末には平家蛍の観察会を開くことにして、実行委員会の編成を終えた。安原によれば源氏蛍も平家蛍も今年は共に凄い乱舞が見られるとのことで、これを口コミの噂話しとして流し、市民の関心を加熱状態に持ち込む計画である。植物観察会やバードウオッチングの会を定期的に開催する手配も進めている。

 安原の発掘品については、考古学的重要性の調査と時代鑑定を康夫が紹介した教授と彼が率いる学生達が開始していて、康夫自身は発掘品と発掘品の展示会を計画し始めた。

 エリサが多いに活躍していて、動植物調査だけではなく、安原の発掘品の展示場を作ろうと発案し展示場のプランについては自ら図面を引いているらしい。それどころか、丘を市民の誰もが楽しめるようにと自然公園化することを提案して、丘の自然を傷つけることの無い散歩道や自然説明用の表示板作りのプランも作り始めた。

 市議の和泉はこれらのイベントの全てを市報に掲載すべく、それとなく編集部に働き掛け、ついでに市の協賛も得ようと動いていて、その辺りもほぼ見通しがついた。

 これらの動きは市役所の一部が柳川グループに犯されていることを前提として、蛍観察会の主催は、北住宅の加藤さんが創った“蛍の会”とするなど、其々のイベントの主催者を出来るだけ一族とは関係がないメンバーとして、しかも余り派手な動きの無いように心掛けているから、外目には各イベントが単独で開かれるように偽装している。

 これらの動きはたかだか一週間での出来事で、今まで徐々に内部燃焼していたものが、まるで杏子と康夫が導火線に火を着けたかのかのように一気に燃始めたとのことで、燃焼が激しくなり過ぎないようにとコントロールする方が難しいと杏子は言っている。

 表世界での動きは斯様に着々と進んでいるが、私と義春の担当する作戦はまだまだ先の見通しは立っていない。このような仕事に慣れていないせいもあるが、監視カメラや盗聴器の設置については二人共に忸怩たる思いがある。そもそも一族の掟には完全に背いているし、このことが表に出れば、丘の連中や一族の者でさえ口には出さないまでも眉をひそめるであろう。それでもなお丘と岩の存続を考えれば取らざるを得ない手段ではあるが、目的が手段を正当化するとは考えていない。事が終わったあとで、我々の行為を明らかにして長老職の進退を一族に問う積もりである。この裏作業の成否に拘らず下手な隠し立ては組織の堕落に繋がる恐れがあるからだ。

 

 予定通り月曜日には全ての準備が整い、私は義春の事務所で作業着に着替えてから電柱のキャップを積んだハーフトラックに乗込んだ。義春は高所作業車を運転して出発した。宗一さんの家の前に車を止め作業中の標識を並べてから作業に取り掛かった。

 義春がもっさりと言うことには、電柱の周りに複雑に絡み合う電線はごくシンプルでクリアな構成らしい。先ずキャップの先端に取付けてある線はアース線で、その下の三本の平行に走っている線が高圧線。この高圧線が変電器を通過すればその下の三本の低圧線となり、そこで各家に配線となる。その下には通常は電話線が通るが最近はケーブルテレビの配線をも配置するとのことである。義春にそのことを教えられた時に、

「百ボルトの低圧線が三本走っているけど、家庭用の百ボルトになぜ3本の線が必要なんや?」と、僅かに知る電気知識を使ったが、「あれは三相の二百二十Vで、そのうち二本の線を使うと百十Vつまり百Vになるんや。せやからアース線をベースにして、二百二十ボルトと百十ボルトのどちらでも給電ができるのや」と言い、電圧ベクトルがああだからこうだ、と話し始めたので、私はそれ以上の質問を見合わせた。安定した精神と強靱な体力に満足して、目には見えない電子の流れは義春や土井に任せ、ここでは力仕事だけに励むことにした。

 先ずはキャップの取り替えを始めた。キャップの取付け位置が作業台よりも高く、本当であればクレーンで吊り下げるところだが、クレーンの運転手を使うわけにもゆかず二人だけの体力に頼ることにした。二人共に作業車の作業台上から電柱に取付き安全ロープを巻付けて体を安定させて作業に掛かった。義春がキャップの先端に登り先端を通っているケーブルを外して垂らし、下の方に仮止めした。一方、私はその間にキャップの下側、つまり電柱の先端に滑車を取付けロープを通した。

 義春が私の位置まで降りてきてから二人でキャップのボルトを外し40kgはあるキャップを注意深く降ろし先端にロープを括り付けた。そこで私が地上に降りて、ロープを緩めてキャップを地上に降ろした。その後は逆の手順でカメラを組み込んだキャップを電柱の先端に取付けた。

 失敗の無いようにと注意深くやったので、時間は掛かったものの思いの外に順調に進んだ。残された仕事は結線だけで、これは本職の義春に任せ、私は地上で義春の指示に従って動くことにした。

 メッセンジャーワイヤーに括り付けたビデオ用の同軸ケーブルと電話回線用のケーブルを宗一さんの家の二階と電柱に張り渡した。電柱の傍には電話回線ターミナルがぶら下っていて柳川の事務所の電話線もそのターミナルに接続している。我々が接続する電話線は予備を含めて五回線として、一回線はパソコン用で、柳川の事務所からの三回線とも接続すれば電話の盗聴もできることになる。

 義春が各々の線を電話線のターミナルと電柱キャップ内のビデオに接続し始めてからは私の仕事の殆どは終わってしまった。電柱に腕を掛けて上を向いていると、すぐそばを大きなセダンが通り過ぎ柳川事務所の駐車場に入って行った。車の後姿を見て私の全神経がぴんっと緊張した。

 彼等は例の如く柳川の会社の休みを選んでは来たのだが、いつものように夕方ではなくて午前中に現われたことが誤算であった。

 義春と結んだインターホンを頭に付けて、

「おい義春、聞こえるか」と言うと、「ああ、どうした」と返事があり、

「あの連中が柳川事務所にきたらしい。いずれ柳川もやってくる筈だから急げ」と指示すると「ああ、あと十分もすれば終わる」と答えが返った。

 私は、念のためにと身の周りを見回した。トラックの横と作業車の横には“羽曳野電気設備工業”と書いてあり、作業標識や私の着ている作業服にも同様に書いてある。共に義春の会社の標識で、電話工事をしていても何の不思議も無い。しかも今のところはまだ一族が表立って柳川と闘争しているわけでもないから、我々の素性を知られても問題はない。

 さも仕事の出来具合を見ているような姿勢で見上げながらも、目の片隅ではセダンの様子を窺った。いつものように体の大きな男と小さな男が二人降りてきた。大きな男が津島大介で、彼はいつもジュラルミン製のアタッシュケースを手にしている。このアタッシュケースさえ手に入ればと、得られそうもない希望が頭の中に束の間浮かび上がった。

 二人は車のドアーを閉め暫らく周囲を窺う様子で佇み、ゆっくりと事務所の入口まで歩み寄った。そこで入口に向直ると思ったが、そのまま私の方に向かって佇んだ。私は視線を上に向けてそ知らぬ風を装ったが、足音が近付き、すぐ傍で立止まる気配がした。仕方なく私は横を向いた。

 私よりは頭ひとつも背が高く、でっぷりと太る津島大介がサングラスの奥から真正面に見下ろしていて、そのすぐ後には、どこに焦点を合わせているのか判らぬ窪んだ眼で小柄で痩せた瀬川英一が見上げている。共に四十代後半と思われる二人の歳相応の落ち着きが不気味さを増幅していると見えた。

 すでに真上にはぎらつく太陽があり朝からの仕事で汗が体中から吹き出していたのだが、上下から見詰める二人の周辺に流れる冷え冷えとした雰囲気のせいで私の汗は粘り着く冷たい液体と変わった。体の隅々へと電流のように流れる恐怖を感じ、私は調査会社が仕事の継続を断ってきた理由を心から納得した。

 津島はこの暑さにも拘らず銀色のダブルのスーツをきっちりと身に纏い汗ひとつかいていない。瀬川は黒いパンツと黒いシャツの上に黒に近い紺色のブレザーをはおり、二人共に只者ではないとの危険色を精一杯に発散している。

 私はどちらかと言えば、馬鹿のように口を半開きにして彼等の視線を受け止めた。そのままの姿勢で私と彼等はお互いをじっと見詰め合い、奇妙な静寂が続いた。

「そこで何してんのや」と、津島が低い声で静寂を切り裂いた。

「えー・・・こちらの家の電話回線の増設です」と答える私自身の言葉が他人の声のように聞き取れた。

「電話回線の増設?」と繰り返す津島の冷静な言葉で、私の脳は急激に回転を回復して、このくたびれた家に電話回線の追加の必要な理由を説明すべきだと考えた。私は体の緊張を解き微笑みを浮かべようと努め、

「そうなんですよ。こちらの家で、はやりのインターネットをやらはるんで、電話回線とは別の回線を引くことになったんでね」と声は普段よりもなお冷静な声音になっている。

 二人は何の反応を示さずじっと様子を窺い、私の恐怖感を高めようとしているように感じ取れた。何事であれ他人に強制されることの嫌いな私は「くそっ」と思いながら、唇の微笑みを絶やさず彼等の顔を見詰めてから視線を外し義春を見上げようとすると、

「お前の会社はなんちゅう会社や」と津島が尋ね、瀬川は油断の無い目で私の視線を追っている。私はゆっくりと視線を津島に戻し、「羽曳野電設工業・・」と答えると、瞬きする暇も与えずに、「電話番号は何番や?」と続けた。私はわざと怪訝な表情を浮かべてから、穏やかに「〇七二九ー五四ーXXXX」と答えた。仕事の関係から義春の電話番号は空で覚えている。津島は顔の筋ひとつ動かすことなく、「住所は?」とたたみ込んできた。

 瀬川は相変わらず、トラックの横に書いた社名や電話番号を見ないかと私の視線を追っている。答えようとして口を開きかけたものの、続けられている会話が苛立たしいものに思え私は口を閉ざして考えた。私の人生はこれまでずっと安原の仲間を除いては、人の気持ちを窺い言葉を選んでは話してきた。こんな連中を相手にしてまでも彼等の心を窺い機嫌を損ねないようにと気を配っている。人を相手に、家族を相手にしてさえ言葉を荒げたことは記憶にある限りでは一度としてない。私は本当に馬鹿らしくなってしまった。

「美陵市羽曳野南町五丁目六三ー一五やけど、上に居るのが社長やから、戸籍調べがまだしたいんやったら社長を呼ぶか?仕事が忙しくて休みにも働いとる。戸籍調べや言うたら泣いて喜ぶやろなあ」と、吐き捨てた。

 津島は背筋を延ばしてから腕を組み、「ほうー」と僅かに感嘆の気配を示した。だらっと弛んでいた瀬川の全身に緊張が走り強ばった体を僅かに移動させて近寄った。暗く淀んでいた眼窩が大きく見開かられ光が走った。殴られるとは思ったが何の防御姿勢も取らず私はにやっと笑うだけにした。

「瀬川、やめろ、こいつは怯えてもいないし抵抗もしない」と思いの他に冷静な声で津島が止めた。

「ああ、判っとる」と力を抜いた瀬川の顔は奇妙な微笑が浮かんだ。 その笑顔の陰に一瞬ではあったがある表情が、それはむしろ輝きとも表現すべきものだが、普段親しんでいると思えるものが現われ、思い掛けない輝きは、それこそ瞬きの間に消え去ったので、私は暫らく瀬川の顔を見詰めながら、それが何であったのかと考えた。しかし、上の方からの津島の声が私の戸惑いを断ち切った。

「はあー、すんません。何ですか」と問い直すと、

「俺もパソコンを置きたいのやが、回線増設と含めていくら掛かるんや」と、先程からの詰問調ではなく好意さえもが感じられる口調で、しかもその内容は想像もしなかったものである。私は頭の切替えに暫しの時間を費やしてからゆっくりと視線を津島に戻し普段のように答えることにした。

「パソコンの・・容量にもよりますが」と私の言葉は思考回路の混乱を示している。

「ウインドウズNTでインターネットが出来て、そうやなあ、ワードとエクセルがインストールされておればええ。それに、ファックスモデムは二万八千bpsで、A4カラーのインクジェットプリンター付きやなあ」

 私は信じられぬ思いでまじまじと津島を見詰めてしまった。

「何か可笑しいんのか?」と津島は唇を歪めて笑った。

「い・・え」と答え、私は余計なことは考えず津島との会話だけに集中することにした。

 先ずは時間稼ぎである。「その辺りは上にいる社長に確認した方がええから、ちょっと待ってください」と答え、インタホンに向い、「社長、社長・・」と言いながらも、頭の中はフル稼働で考えている。

「どうした。何かあったんですか」と、これは津島達には聞こえない義春の少々慌てている声を待ち、

「今ここに来てはる人が、パソコン器材とインターネット回線の開設の依頼なんですが、仕様は今設置しているのとほぼ同じなんですわ。どうしますか」

「ほんまかいな、賢一さん」と当然ながら義春は驚きの声である。それにはお構いなく、「そうですか、じゃあ交渉は俺の方に任せてもらいます」と、一人芝居で答えておいて津島に向った。幸いなことに、私が買ってきて杏子の下宿部屋に準備したパソコンの仕様がちょうど津島の要望と一致している。

「今設置しているのが、ほぼおっしゃった仕様と同じですわ。デスクトップ型でメーカーは大和電気、画面は十五インチで、これでしたら、値段は安いしそれにすぐに手配できますが」と、私の態度は全く客に対する丁重なものになってしまった。

「それでええ、なんぼや」と、津島の態度も顧客そのままである。こんな状況下で商売をすることになろうとも予想もしていなかった。「駆け引き無しで、ソフトインストール込みのモデム付きパソコンが二十五万円、プリンター四万円、電話回線設置料が七万五千円で、合計三十六万五千円ですな。それに消費税が三%かかりますね」「その金額が、この家での契約金額なんやな?」

「そうです。なんやったら請求書を見せましょか?」と答え、ポケットをまさぐり請求書の束を取り出した。宗一爺さんに手間や迷惑を掛けないようにと、請求書は羽曳野電設名義で土井杏子宛で発行している。パソコン器材の購入伝票も添付している。

 金に関わることだけではなくて何事であれ出来るだけ書類にしておくのが、人生を単純にしてゆく工夫の一つだと私は考えている。それがここでも役立ったようだ。

 津島は請求書をパラパラっとめくり、

「ふーん、これやとお前ところの経費が掛かってないようやが?」と、コンピュータのことだけではなく、商売と金に関してもプロなみの鋭さである。このことは頭に留めねばならないと私は考えた。しかし、何かを見逃しているような気がして仕方がない。

「ああ・・これはですねえ。うちはNTTから電話回線工事を請け負うのが目的やから、パソコンは関係会社から安く買った金額そのままで請求して経費は掛けてません。もしお宅でもっと安いパソコン器材を買えるのやったら配線工事だけを請け合う形となりますが、実際にはNTTの電話回線工事だけになります。パソコンの購入と配線工事はもともとサービスになりますねん」と、顧客に取っての利点を強調するのが商売の秘訣である。

「よし、そのパソコンでええ。頼むわ。柳川事務所の三階の社長室に取付けてくれ」と、事務所を指差した。私の心臓がワクワクと音をたてたが、ごく事務的な顔付で、

「はい。ただ、そのですねえ。さっきも言うたように、今は多忙でいつまでに設置するかなんですよ」

「来週の月曜には使いたい」と、ぴしっと津島は言う。商売のつぼを心得た男である。

「月曜の午前中やと確実に工事出来ますが」

 津島は僅かに考えて「お前ところの休みやな?」と尋ねた。私が頷くと、

「よし、それでええ。俺達は午後には来るからその時には使えるようにしてくれ。支払いはその時や。置く場所と事務所の鍵は事務所の社長に言っておくから日曜日に確認してくれ。他に何かあるか?」「えーっと・・いえ、それで全てオーケーです。有難う御座います」と頭を下げると、

「よっしゃ、頼むわ」と言うや、体を返して事務所へと向った。今まで経験したなかで最も短時間の、緊張に満ち満ちてはいたが気持ちの良い取引であった。それにしても巧すぎる話と事の成行が信じられず茫然としてしまった。

 耳の脇で頻りに喚く声に気付いてインターホンに注意を回した。「おい、どうしたんや。大丈夫か」と義春の声が緊張している。

 この男の緊張する声を聞くのは何年ぶりだろうかと思いながら事情を説明すると、インターホンの向こう側で暫らく沈黙が続き、

「信じられんなあー」と私の心のなかの思いをこだますような声がした。

 

 それからの一週間は誰も彼もが大わらわであった。

 杏子と康雄は引っ越しの準備と源氏蛍観察会の段取り、それにパンフレット作りや動植物図鑑の準備に追われていた。観察会のことを市報に掲載するには原稿期限がとっくに過ぎていたが、普段は大人しい和泉が紙面のど真ん中に入れ込むようにごり押しした。市役所の市報担当者は蛍を待たせることも出来ず市報の発行を二日ほど延期することにした。すでに事は、次のイベントのプランと図鑑の編集にと移っている。エリサや土井砂恵子それに木津青年も杏子の忙しさに付合うようにして走り回っている。

 私と義春それに土井正司もまたパソコンの購入と改造、それに工事手配に走り回った。仕事の方はアシュラフに任せ切りで、彼は期待以上の働きをしている。

 柳川事務所の監視を除いては、全ての仕事が全員に関係していたから、ほぼ毎日、日々違った議題で打ち合せを繰り返した。急な会合で打ち合せの場所も無く、やむを得ず私のコンテナハウスを開放することにした。おかげで竣工間もない私のコンテナハウスは予想を遥かに越えて役立ったが、コンテナハウスの使用は長老会のメンバーだけではなくて、いろんなイベントの実行委員会の会合にも使わざるを得なくなり、そのため女房も平然と入るようになり、訪れる人々に茶菓子を振舞い仲間になって陽気に歓談している。コンテナハウスに入ることを禁じた面当てに、来客にはいつも以上に気を使っていて、たまたま私が居る時の私への気配りは最低となっている。

 いろんなイベントを、私とは関係が無く、しかも、ばらばらに行なわれるように見せ掛けることの腹積もりは完全に崩れたが、それはそれで仕方が無いと諦めることにした。

 土曜日の夕刻に開催された源氏蛍の観察会は、即席、急造のイベントではあったが、蛍の大活躍のお陰で大成功となった。紺色の夜空を背景に無数の蛍が谷間を乱舞する景観は美しさを遥かに越えて荘厳としか言いようもなく、あわよくば蛍狩りをと虫取り網を手にする不心得者も居たが、余り期待する様子もなかった百人程度の人々は、自然の驚異と造形の妙に声も無く立ちすくんでしまった。市民の帰った後には何本かの虫取り網が忘れられていた。

 観察会当日には実行委員会のメンバーだけではなくて鳥の楽園の連中と霞ホテルの住人達も殆どが、参加した市民への説明と谷間の道の案内に狩りだされ、観察会を終えた後の川原でのバーベキュウを、会の盛況を喜び合いながら楽しんだのだが、その夜から翌日の夕方までに蛍の噂が市内にこだましたらしく、観察会が終わったというのに日曜日の夕方には続々と市民が押し掛けたがために彼等は再び狩りだされた。

 実行委員会の非公式発表によると、日曜日に訪れた市民の数は蛍の数を遥かに上回り一万人を優に越えて、公園から谷間を通り安原の家に至る観察ルートを案内するメンバー全員の決死的努力により漸く混乱を押さえることが出来たとのことで、混雑は平日にも続くと予想されている。

 土曜の夜には私もサクラとして参加したが、安原の予想通り、それまではさほどでもなかった蛍の登場が、土曜日の夜になり一気に数を増したことには驚いてしまった。

 夕闇の訪れと共に谷間の草陰や暗い陰となった木々の枝のあちこちに青く澄み渡る輝きがあらわれ、闇の深まりに連れていよいよ数を増し、次々と紺色の空へと舞い上がり空の星々と輝きを競うさまを見上げた時には、彼等と共に生きていることへの喜びをしみじみと感じ日々の悩みは霧散して心が大空へと浮上がるかのように思えた。同時に、この頃私がやっていることが、いかに姑息な行動であるかとの思いが心の片隅に沸上がってきたが、空を緩やかに舞う彼等を見上げながら、彼等を残すがためには如何に姑息な手段であろうとも出来るだけのことをするのが私の義務であり使命だと思い直した。

 土井正司はその週に彼の講座の半分程を休講にして、盗聴装置をパソコンに取付けることと、柳川事務所に置くパソコンの画面がそのまま宗一爺さんの二階に置く杏子用のパソコンの画面に表示するようにと改造した。

 正司に与えた条件は、最も確実でしかもコンピュータのプロが見ても判らない方法としたため、彼はあれこれと考え外観や操作では判らない方法として、パソコンの出力をそのまま杏子のパソコンに送る方式を選んだ。通信端子の周囲に出力用の端子を組み込み、普通の通信ソケットを差し込めば通信だけが出来るが、周囲に端子を持つ改造ソケットを使うとパソコン出力を取り出せるようにと改造したのだ。内部には盗聴マイクと充電バッテリィも取付けてその端子もまた改造ソケットに接続した。

 私の事務所のコンテナハウスの中で、柳川事務所用のパソコンと杏子用のパソコンを並べ、仮配線をしてテストを完了したのは日曜の夜遅くであった。

 日曜の昼には義春が柳川事務所を訪れて、柳川自身から鍵を預かりパソコンの設置位置を指示された。これで全ての準備が整ったのである。

 月曜の朝七時に、私と義春とでは柳川事務所に入りパソコンを置き、そこからの配線を電柱の回線用タ-ミナルに接続して、パソコン出力線と盗聴線を杏子の部屋への予備線に接続した。二時間程で全ての仕事を終えてしまった。

 午後になり津島と瀬川が柳川事務所を訪れた時には、レースのカーテンで外からは見えないものの、三方を窓に囲まれた明るく清潔な杏子の部屋で、私と義春、それに土井の三人がパソコンとテレビの前に座り込んで姑息で暗い仕事の最後の調整をやっていた。

 柳川事務所三階の扉が開く音で盗聴装置が作動して音声が入り、テレビ画面では扉が開いて扉一杯の津島の姿が現われた。続いて痩せた瀬川の姿が映像に入ってきた。望遠カメラの位置は最高で二人の微妙な表情までもが間近に見えた。音声と画像には少しの遅れも無く事務所の窓のすぐ外から部屋を覗いているような気持ちになった。

「おう、おう、パソコンが置いてあるわ」と呟く声がして、柳川の席の横に置いた机に津島は近付き、後向きに座ると直ぐにパソコンのスイッチを入れた。と同時に、それまでは真っ暗であったこちらのパソコンにもメニュウ画面が浮かび上がった。そのまま津島はパソコンの操作を始めた。瀬川の方は、柳川の机からファイルを取り出し、それを持ったまま長椅子の所に行くと座り込み、ファイルを開いてページを繰り、目当てのページを開くとじっと読み始めた。 津島のパソコン操作は実に巧みで、そのままエクセルに入り、彼のアッタッシュケースから取り出したディスケットを挿入して、そのファイルをロードするまでが遅滞の無い一連の操作であった。盗聴装置からはただカーソルを操る音だけが響いている。

 画面に現われた帳票に、文字と数値が次々と打込まれてゆき、それは淀みのない手慣れた操作である。

「おい、これは帳簿らしいなあ・・それにこの入力の見事なこと。こいつらはほんまに暴力団なんか?」と土井は声を顰めながら、私の頭に浮かんだことと同じことを、尋ねるともなく呟いた。

「ファイル名は、“ynwkeihi”か、うーん、yanagawa keihi・・・・つまり、柳川事務所関連での経費の出納簿やなあ。今の入力は、あれあれ、天王寺レンタカー一万五千円か」と義春が入力内容をそのままに読み上げて驚いている。そこで、入力が止まったので、どうしたのかとテレビ画面に目を移すと、後姿の津島は懐から財布を取出す様子で、そこから選びだした物を机の上に置いたが、それは小さな紙片であった。下に置いてあったアタッシュケースを机の上に置いて、そこからキングファイルを取り上げて机の上に置き、その中に紙片を綴込んだ。

「あれは、レンタカーの領収書らしい」と義春は再び呟いた。我々はお互いに顔を見合わせてしまった。

「俺達と、やることは殆ど同じやなあ」と私は苦笑いしてしまった。「賢一さーん。お茶が入ったけど飲みませんか?」と階段の下から婆さんの声がして、我々は仕事を終えることにした。

 全ての機械をレコーディングモードとしてから画面の電源を切り、我々はお茶をよばれに下に降りることにした。障子を閉める前に部屋の中を振返ると、赤い作動ランプがかちかちと瞬きを繰返していた。杏子の引っ越しは明日となっていて、彼女はこの瞬きの中で何ヵ月かを過ごすことになるのだと思った。

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