2018年8月24日金曜日

メグナの蝉


 ダッカ市南端の駅、そこから南下する唯一の線路は十キロも下れば港町ナラヤガンジに達してあっさりと途切れてしまう。そこから南には、バングラデッシの国土を東と西からとうとうと横断してきた想像もつかないほどの大河、ガンジス河とジャムナ河が合流と分岐を繰り返し、陸と河の境目も定かでない湿地帯がひろがっている。そこではもう、河の片隅に陸があると表現すべきで、その僅かな陸地も樹木に占有されているものだから線路どころか人影さえ途切れてしまい、広大な森に覆われたその湿地帯は二百キロ程も続き漸くベンガル湾に達する。そんな事情で、バングラデッシのインド洋に面した五百kmもの沿岸、つまり東京から名古屋までの距離なのだが、その全てがガンジス河の河口とよばれているのだ。こんな大河だから巨大な海洋船も遡上が可能で、海から二百キロも内陸にありながら、ダッカ市はバングラデッシの主なる港湾都市でもあるわけだ。

 南を閉ざされた線路は仕方なくダッカからは北に向うのだが、列車は人力車で溢れる道路と平行し、ときに交差しながら市の中央部を貫くが、すぐ飛行場に突当り東に逸れて、ふたたび方向を立直し真直ぐに北へと延びている。その飛行場はかっては国際空港で、その昔に日本赤軍のハイジャック機が着陸したことで有名だが、古い話でもあり、それに、市の北方には新しい国際空港が開港してしまったから、この旧国際空港での出来事はほぼ人々の記憶からは忘れ去られたようである。

  初めて訪れた人々には、ダッカ市街、車窓の風景はあまり創造力を掻き立てるものではなく、それは単調と言うことではなくて、むしろ複雑さに満々ちていて、共存する貧しさと悲しさが余りにすさまじく、全ての創造力を奪い去ってしまうのだ。しかし街を幾度か訪れれば、人の順応力は際限無いもので、その慌ただしさにはすぐに慣れるし、それに、敗戦後三十年代半ばまでの日本の都市の騒々しさを知る人々には、リキシャを掻き分けて走り回る懐かしい車種に出会う時には特に、あたかもあの頃から時間が停止したかのような錯覚を得て、懐かしい喧燥と悲哀と汗と安物の煙草の臭いと、それゆえの人間臭さを充分に満喫出来る都市だと気付くのだ。それらの臭いはダッカ空港のドアーを一歩この国に踏み出した瞬間に五感に迫る体臭ともなり、初めての訪問者を怖じ気付かせてしまうのだ。

  ダッカ駅もまた、その異臭に満ちた所で、さらには空港よりも遥かに喧燥に溢れていて、列車の到着しない夜中にも、明日の列車を待つ人々が打ちっぱなしのコンクリート床を埋め尽くし横たわり、日の出と共に人々は起き出して、駅には再び埃と臭いと騒々しさが満ち溢れる。

  駅を出た列車は、レンガ作りの煤けた建物や、傾き崩壊しそうなバラックの軒先をかすめて走る。古ぼけた重々しいディーゼル機関車は、くすんだ客車の列を引摺りながら甲高い軋み音をあげ、巨体を震わせて進み、街中に連なる警報機はカンカンカンカンと遠くこだまのように警報を打ち続ける。

 この国では早朝でも太陽は全てを焼尽くす炎となっている。陽光を体一杯に受け黒い膚を汗で光らせるリキシャ(人力車)の運転手達とリキシャに腰掛ける慎ましげな客たちが遮断機の前で長い列車の通過を待ち、列車の天井にまで溢れる乗客や、手摺りにぶら下がる乗客の無数の眼と、疲れ切った灰色の視線を交わす。

 三十分も走ればすでにそこは田園地帯である。進むに連れて、耕された田と人の住む丘とが交互に限りなく現れ去って行く。丘の上には、太陽にさらされ黒々と変色した葉を茂らせる常緑樹が並び、ひねくれた幹を見せる木々の合間には、崩れ落ちそうな土壁、藁葺きの人家が見え隠れしている。

  国土は概ね平らで、ほぼ隅から隅まで人に溢れているが、平坦であるが故に雨季になれば国土の三十パーセントは水に覆われてしまい、水没する低地を逃れ、人家は僅かに盛上がった丘の上に寄り添っている。丘々を結ぶ、か細い道は水没を防ぐために土盛りしているが、毎年のように襲う洪水が根を削り、小道は心細くそそり立っている。道の所々には低地への潅水や排水のための溝が崩れた姿を見せていて、上には木切れを組合わせた橋が架かっている。

 進めど進めども代り映えのない眺めの中を、列車は、時には駅もない湿地帯の真中で対向列車の通過をまち、ぎこちなく走り進む。

 ほぼ一時間を走りトゥンギの分岐点で列車は東への道を取り、さらに百キロの道程を三時間ほど走れば、鉄路は小高い丘の峰を伝って進む。時に現れる河は驚くほど深い谷間の下を流れている。河幅は広く水は緩やかで、青い空を写す河面は陽に輝く白い砂州に隈どられ、何艘もの白い帆掛船が静止しているかのように浮んでいる。一方、線路周囲の乾燥しきった丘陵地帯には潅木が茂り、人家の気配も感じられず、かように照り盛る太陽の下では、大地には、乾燥と湿潤が容易に隣り合うことが出来るのだ。

 やがて、右手前方の低く連なる丘の上に、白く巨大な円筒状の建設物が、青空を背景に聳え立つ先端を現わす。周囲の景観を全く拒絶する白い円筒は、流れ去る丘の上に姿を晒し続け、しかも徐々に高さを増してゆく。

 突然丘は途切れ、鉄道線路とは平行していながら一向に姿を見せなかったメグナが目の前に横たわっていて、列車は轟音をあげながら赤錆色の鉄橋へと突進してゆく。洋々と水を湛えるメグナは対岸の鉄橋の真下辺りを頂点にして、大きく緩やかに流れの方向を変えている。河幅は峰が迫る鉄橋付近だけが狭く、下流側と、それに上流側でも一気に広がっていて、まるで二つの大きな湖が鉄橋の下の狭い水路で繋がっているかのように見える。洪水のたびに大きく流れを変えるメグナも、この峡谷だけは打ち破ることが出来ず、そこで、この周辺は港として栄えてきたに違いない。

 対岸の遥か下流の砂州上に、白い地肌のコンクリート円塔が漸く全貌を見せ、周囲には建設途上の鉄骨群が立ち並んでいる。巨大なクレーンが円筒の先端に届くほどに長い腕を伸ばしている。

 列車は古い鉄橋を揺るがながら走り続け、渡り終える直前に減速して、そのままアシュガンジ駅へと走り込む。鉄橋の振動音と列車のブレーキ音が激しく交差しながらメグナに突きささり細かいうねりが河面に広がる。うねりはゆっくりと河の上手と下手へと広がり、徐々に消え去り、灰色の表情に戻ったメグナは照り盛る日の光を静かに受けとめている。

 

 いまいましいGE社製東南アジヤ仕様クーラは温度調整を受付けず、室内は氷点下の世界となっていた。と言って、クーラーを止めれば、獰猛な蚊が我が物顔に跳梁するものだから、氷点下の方が遥かに耐え易く、わたしは薄いシーツにくるまって夜を過ごすことにしている。

  その日朝早くわたしはアパートの一室を出た。扉一枚外は亜熱帯で、冷え切った体に熱気が気持ち良かったが、眼鏡には湿気が白く凝結した。

  わたしは居住区の周囲を巡る道路をゲートの方向にと向かった。道の真正面には既に太陽が、輪郭も定かでない白く巨大な炎となっていた。圧倒的な陽光は雲ひとつない空全体を白っぽく染めていて、十月になっても真夏と変わらぬ太陽と空に、わたしはうんざりして眼をそむけた。冷え切っていた体は既に常温を越え体のあちこちで汗が垂れ始めていた。

 そむけた視線の向こうに横道があり、レンガ造りのアパート群の隙間を通して、建設中の建物、どれもが同じ外観のアパートなのだが、その姿を遠くに見た。居住区の奥辺りはまだまだ建設途上で、ここに来てからの二ヵ月以上も、外観には不思議な程に変わりがない。

普段は気にも止めない建設風景に突然の興味を覚えてわたしは様子を見に行く積りになった。だが、体を回してすぐに『逃避的行動だ』と呟いて足を停めた。

 折角の日曜日なのに、ここから出掛けねばならないことでわたしの心は逃避的行動を選んだに違いない。衝動的逃避はしばしばのことで、それに失敗を招くことが多いから、常々心の動きを見なおすことにしている。その問い掛けに、『この暑い中を』と、わたしの心は強調し、次いで『塀の外に較べれば天国のような居住区から出掛けることに気が進まないのも事実だが、この国では日曜は平日と聞いてはいるものの、早朝に訪問するのはまずくはないか? だから、道草で時間潰しをするには十分の意味がある筈だ』と、心は弁解に努めた。

 弁明には納得したものの、念には念をいれ、寄り道することのデメリットも考えることにした。だが、どう考えても暑さで疲れる以外に特に支障はないと思え、わたしは再び足を建設途中の建物へと運び始めた。

 レンガ塀とレンガ造りのアパートに挟まれた道を出来るだけゆっくりと歩いたが、突刺すような陽光と、軟化したアスファルト道の茹でるような熱射と湿気が体にまといつき這い上がり、すぐに汗が吹き出した。この国では汗を吹き出さずには何も出来ない。どうせ村まで行き着くまでには汗まみれになるのだ、と思い直して普段の歩調に戻した。

 予想通りに建設現場への僅かな道程で下着も上着も汗でぐちゃぐちゃになってしまった。 コンクリート造りの柱と梁はアパートの二階部分まで出来上がっていた。多数の太い竹を、ささくれたジュートの縄でくくりつけた傾斜路が、地上から二階まで続いている。その傾斜路を、痩せた労働者達が容器に入れた生コンクリートを頭に載せて運ぶのだから、これでは工事が捗る筈もないと、そのことを、わたしは十分に納得出来たのだ。

 今日は休みらしく人の気配はない。塀の外とは違い居住区では日曜が休日のようだ。塀一枚の内外では習慣や貧富それに通用する言葉などと、人が造り上げるものは事毎に違っているのだと、暗い建物の内部を見上げながらわたしは感心した。

 一階部分の外壁は粗末な薄柿色のレンガを積んでほぼ出来上がっている。鉄骨は全く見当らず、外壁はレンガを積上げてモルタルで接着しているだけだ。日本なみの地震があれば脆くも崩壊となる構造だ。多分わたしの住むアパートも同様であろうと、思った途端に、柿色のレンガに挟まれた白いモルタルにひびが入り、続いてレンガの一枚づつが崩れる様までもが心に浮かび、胸の奥から頭の方に気怠い焦りが走ったが、この国では地震は希の筈だと呟いて、漸く心を押し止めた。

 建物の向う側でなにやら石を砕くような音が続いていて、わたしは建物の向こうに回り込んだ。そこで、虚ろな建物の横に座る老人と少年を見かけた。横にはレンガが山のように積んであった。脇のいじけた木の幹に、大きな蝙蝠傘を括りつけ、彼等はその下で一心にハンマーを振るい、レンガをコツコツと割っていた。

 朝の光は傘の下を斜めにくぐり抜け、二人の顔だけが陰のなかにあった。傘と彼等の長い影がものうげに草地の上に延びていた。地面に置いたレンガの角に別のレンガを片手で支え、ハンマーを叩き付けては割っている。レンガの破片が四方に飛び散り、二人の裸の上半身は黒い肌と薄赤いレンガの屑でまだらになっていた。汗はレンガ屑を押し流し、何本もの黒い肌色の筋を描いて滴り落ちていた。

 危険な仕事だなあと、よせばいいのに垢にまみれた老人の手をじっと見てしまった。懸念通りレンガ屑にまみれた指の爪の何枚かは矧がれ、爪の跡が周囲の黒い膚のなかで白く浮立っていた。時たま、それもかなり頻繁にハンマが目標を外れて指を傷付けるのだと、わたしは心から怯えてしまった。

 彼等の砕いたレンガをセメントに混入して掻き混ぜれば、生コンクリートが出来上がる。世界最大の堆積層デルタ上に、スッポリと乗っかったこの国の大地は微細な砂で積上げられているから砂利は手に入らず、先ずは泥でレンガを造り、それを砕いて砂利の替わりとしているのだが、果たして、レンガ片と彼等の爪が混じったコンクリートが、砂利で造ったコンクリートと同等の強度を持つのだろうかと、またまた心の中に泥色に渦巻く思いが生まれた。とても無理である。要求される剪断強度と圧縮強度を満たせる筈がない。ここの建設物は労働者の安全だけではなく、そこに住む人々の命に関わる耐震強度をも無視したものに違いない、と無益な焦りが細かい波となって体の中を走り反響を繰り返した。

 わたしの気配を感じた老人はゆっくりと頭を上げ、続いて少年も顔を仰いだ。彼等の動きは影と同様に物憂く、朝からの重労働で力を使い果たしたことを示していた。老人の瞳は白く濁り、ああっ、見えないのだとわたしは悟った。それでも僅かに人影が判別出来るのか、老人は仕事の動きを留め片手を差し出し「ボクシーシ(御奉謝を)」と言った。少年は彫りの深い顔に、その歳には不似合いな暗い悲しみを浮かべている。老人の皺だらけの顔には何の表情もなく灰色の心が浮かんでいて、それに較べれば周囲の明るさとはかけ離れてはいるが少年の悲しみは、それでも、まだ彼の若さを示しているように思えた。

  仰いだ少年の眼は幼年期の澄んだ青みを湛えているが、レンガ片に傷付き所々が赤く充血していた。幾年もせず、この少年もまた視力を失うのだろうか。東南アジアで、そうしてこの国の塀の外でもわたしの心は幾度も幾度も締付けられ、既に心の壁は十分に厚くなった筈なのだが、今またわたしの心のどこかが微かな音をたてて傷を開いてしまった。

 老人の動きにつられて少年も手を差出し「ボクシーシ」とか細い声で言った。栄養不足で痩せ細った体からは大きな元気の良い声は出せないのだろう。

 わたしは再び心を閉じ、眼の奥に圧力を加えて、当然のことながら二人の願いを無視することにした。全てこの世は『ギブ アンド テイク』だ。これが塀の中のヨーロッパ式現場での生活方式である。この二人は悲しみ以外に与える何ものをも持たない。だから何かを与える必要は無い。いや与えてはならない、と心で呟いた。これは長年の低開発国での経験から得た、心を正常に保つためのわたしの儀式でもある。

 二人は手を差出した状態を十秒ほど続け、それから、何も得られないことを悟り、のろのろと手を降ろし仕事に戻った。そこで再び、ごつんごつんとレンガを叩く音が周囲のレンガ壁の間にこだまし始めた。一方わたしは、燃え盛る太陽に顔を向けて何箇所かで綻びかけた心臓を縫い直した。太陽は塀の内外別け隔てなく焼尽くすような光の槍を四方に突出していた。

 予想とは違い、この衝動的行動で得たのは肉体的疲労だけではなかった。それどころか、心の中には重いしこりが出来てしまった。鋭い頭脳を維持すべき時に、これはまずかったと後悔しながら元の道へと戻ることにした。

 ゲートは太陽の方向に有り、その存在は塀の外に危険があるからではなく、外の悲惨と貧困が入り込むのを阻止するためにある。だから内側に住むわたしが外に出るのは全く自由だけれども、やむを得ない事情のない限りこの自由を行使する気にはなれない。今日は、ゲートから出てゆくだけの十分な事情があるのだ。

 制服に身を固めた二人の兵士が敬礼して見送った。日本ではただの技術者でも、このゲートではMVP並みに扱われているのだ。

 外には数台のリキシャとオートリキシャ(原動機付ミニ三輪車)が客を待っていた。汚れたランニングシャツと濃い緑色の腰巻きを身に纏う痩せた運転手達が期待に眼をぎらつかせて見詰めている。町まで約二キロ、さてどうするかと考えた。やはり急いで行っても仕方がない。それに汚れ切った、虫が巣食っているような車よりは、徒歩が朝の散歩にはふさわしいと、わたしは近付こうとする運転手を手で遮って村への道を歩きだした。

 道は堤防の上にある。居住区から陸地伝いに外部にでるにはこの道が唯一の道で、東向きのゲートの前からすぐ横に折れて現場の塀に沿い北に向かい、プラント工場の門の所で再び太陽の方に折れて、そこからは村まで見通しを妨げるは何も無い一本道である。アシュガンジ村の手前にある鉄道の駅までただひたすらに真直ぐに延びているから、暑さをものともせずただと歩き続ければ村に着く。

 

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