3章 「私の熱い夏」
北住宅の改築現場に行くついでにと霞ビジネスホテルに立寄った。ホテルを含む保全林地域をぐるっと取り巻く環状道路の最もホテルに近い辺りに、作業車兼用のバンを乗り上げて駐車した。そこには“霞ビジネスホテル駐車場 関係者以外の駐車については別途料金を戴きます”と適当な字でマジック書きの札が立ててある。土地はホテルオーナー安原の所有ではあるが、丘と林を含む全ての管理を保全林として市に任せているから、駐車場として利用するには少々問題があるかもしれない。しかし安原それにホテルの利用者の誰一人として車を持っていないし、駐車する車を見掛けることもめったに無いことから、誰からも苦情は生じていない。
名前だけは立派だが、霞ビジネスホテルの実態は民宿そのもので、しかも食事も出ないから宿泊者の殆どは自炊で暮らしている。いまどきそんなホテルに泊まるのは出稼ぎの外国人に限られてしまう。 彼の土地を有効に使い、もっと金になる商売はいくらでもあると一応の助言はしたが、安原は今のままで充分満足していると笑って受け付けない。それが彼の本心であることは長い付合いで判っているし、その周辺を下手な開発で荒らしてしまうことを私も望んでいないから強いて薦める積もりもなく、環状道路の内側一帯は私が子供の頃の、いや恐らくは、それよりもずっと昔のままの、雑多な木々の茂る姿を維持するだろう。
玄関前の階段下からホテルの外観を眺め暫らく佇んでいた。殆ど毎日見ているが見飽きることのない見事な和風建築で、見る度に心がなごみ活力が心に溢れてくる。一日として同じ空や山と木々の姿が無いように、この家と裏の大岩は日々刻々と移り変わる季節と光と陰に、その姿、色合を合わせながら変化している。
人々の心を魅惑する家の存在を、恥ずかしながらも工務店を経営する私こと、和田賢一が知ったのは安原がこの家の手入れを終えたときであった。こんな家に住んでいれば、欲も得もなく人生を楽しむ安原のようになるのも当然だと思う。
家そのものに素質があったのも事実だが、凄まじいぼろ家を買い受け、方々で取り壊し中の屋敷の、めぼしい資材を貰い受けては全てをリヤカーで運び、安原がただ一人で見事に修復して、なおそれ以上の何物かに造り上げてしまったのだ。経過の全てを知る私としては、その過程を思い出す度に背筋がぞくっとするような興奮を覚えてしまう。
手抜きをしない勤勉さがあっての成果とは言へ、極く有りふれた物事を非凡な物に造り上げる凄い才能を全く自覚しない安原は、その事を口で何度言っても全く取合わない。造りあげた事物に魂を打ち込むことはごく当然のことと彼は考えているらしい。
階段を上がり母屋の方に行こうとしたが、念のためにと裏庭に回ると、やはり安原は穴の中に居た。珍しく一人ではなくて仲間も居た。全ての状況は日々変わってゆくものだと私はこの事実を心に留めた。
広い穴の中で安原と、もう一人は鳶服の青年が刷毛で地面を刷いている。横這いになり目が埋まるばかりに地面に顔を近付けている、なんとも滑稽ながらも真剣な二人の動きに私はなんとなく微笑んでしまい、近頃めずらしく心暖まる感情が顔に浮かぶのを感じた。「おーい、安原」と出来るだけ静かにと声を掛けたが、やはり安原は跳び上がって驚いた。彼が物事に熱中することを知っているから心掛けてはいるのだが、結果はいつもこの有様である。彼の死因は間違いなく、ショック死であろうと私は想像する。
「モハムド、アシュラフは帰ってきたか?」と聞くと安原は首を横に振った。始めて出会った頃の華奢で神経質な容貌は、今では頑健な体格と行動力に満ちた顔付へと変っているが、寡黙さについてはいささかも変わり無く、頭の中ではいろいろと人の何倍も考えているのだが、外に出てくる表現は最小限に留めている。
モハムド アシュラフとはかなり以前にこのホテルに宿泊し私の工務店で働いていたバングラデッシ出身の男で、今は京都で働いていて、近々戻ってくると連絡があったのだ。なかなか仕事が出来て真面目だから直ぐにも欲しい人材である。特に私はここ暫らくは仕事に専念できない状況になりそうだから、私の代理として信頼できる男がどうしても必要で、知る限りではアシュラフが最も適任と考えている。
「フーン、どこかに寄り道しているのかなあ。じゃあ、アシュラフが帰ってきたら、すぐに連絡するように伝えてくれ。・・えー、えーっと、他に何か用事は無いか」と聞くと、「霞岩の様子がおかしい。煌めきと一緒に鳴動がして、しかも、まるで話し掛けられているような気持ちがする。それに・・・谷間の水位が上昇している」と珍しく長文の返事が返ってきた。
「えっ、音もしているのか?」と尋ねると安原はただ頷き、
「水位ってのは、谷川の?」と続けると、やはり頷いた。
音と水位のことは私にも初耳で、その事には少々衝撃を感じたのだが、驚きを押し隠して安原の表情を探った。
言葉の調子だけではなく顔付もかなり深刻そうに見えたので、少なくとも、煌めきについては説明した方が良いだろうと考えた。そこで、穴の縁に手をかけて穴に跳込み彼の横に立ったが、穴が以前よりも遥かに深くなっていたので危うく足を挫くところであった。 穴が深くなっただけ縄文土器の採集量が増えたことになる。家の裏手には手造りの倉庫が三棟もあり既に満杯であることは見知っていたから、どこに保管する積もりかと心配になった。しかし、その辺りは抜かりの無い安原のこと、ひょっとすると四棟目を作り上げているだろうと推察した。
「えー、安原、その鳴動とか水位については聞初めだが、岩の煌めきについては俺も気になったので母校の物理の教授に電話で聞いてみた。教授の言うにはやなあ、あまり気にすることではないらしい」とそこまで話して、横に立っている鳶服の若者の顔をどこかで見掛けたことに気付いた。霞ホテルの住人と考えていたのだが、青年の容貌はどう見ても日本人で、しかも若すぎる。
「君は、・・鳥の楽園グループの・・土井砂恵子と一緒に働いている・・」
「はあ・・木津伊一郎です」
「そう、そう、そうや。木津君や・・俺は、和田工務店の和田や。砂恵子は俺の親戚で、君のことは聞いている。確か・・砂恵子と同じ高校やったなあ。・・鳥の楽園造りは止めて安原の手伝いか?」「いえ、たまたま来て・・手伝っています。楽園の方も続けています」と答える言葉と表情で、この高校生も安原と同類項だと考えた。あの偏屈な赤木老人や職人気質の熊さんに好かれ、共に働いている高校生に興味を感じ私はじっと鳶服姿を観察してしまった。
背丈は私と同じくらいで、同年令の若者に較べるとがっしりとした体付きで、真面目そうな風貌と整った感じの顔付である。その気になれば、いくらでも女にもてそうな容貌と雰囲気を持っているが、彼の興味はそこには無く、今は安原の掘り続ける縄文式土器への興味で若々しく紅潮している、とそこまで観察して、彼が公園地区から離れ無愛想な安原と親しくしていることが、どう今後に影響するのだろうかと思い、丘のこちら側にまで広げてきた青年の動きにはもっと留意すべきだと考えた。
それから岩のことを思い出し、視線を安原に戻して説明に専心注力することにした。
「教授の話しではなあ、岩の電気伝導性が高くて、しかも岩が地中のかなり深い所、それも中途半端な深さやなくて何キロも下まで続いていると仮定すれば煌めきの理屈はつくらしい。つまり地殻変動とかで地下の電位が変動すると、岩の結晶方向が電位変動の度に微妙に変わるらしい。そうすると光の反射方向が振動して煌めくように見えるんや。岩の温度が一定しているのは岩が相当深くまで達していることの証で、そのことからも、仮定が妥当と思える・・って言ってたわ」と、一気に話して安原の表情を観察した。
安原は眉毛の一本として動かすことなく考えていて、何を考えているのか全く捉えどころの無い表情になってしまった。
岩や岩の一族のことになると途端に安原は頑固になり、自分なりの考えに耽ることを、迂闊なことに極く最近になって気付いたから、出来るだけ詳しく説明することにした。しかし、長い年月を疑惑と推測で過ごした彼の誤解を短時間で晴らすことは諦めているから、今日はこれぐらいで良かろうと思ったが、
「へー、そう言えば、僕が目撃した時も・・満月の夜と、それに・・きれいな夕焼けの時でしたねえ。どこかに光源があり、しかも限られた方向からの光源ですから、反射面が振動するとすれば確かに煌めいて見えますねえ」と、意外な援護射撃が木津青年の口から飛び出した。
安原の眉毛が硬直状態を脱して、ちらっと揺らめき、
「君も、目撃したのか?」と聞いた。
「ええ、最初に見た時は錯覚かと考えたのですが、夕焼けの煌めきを見たときには、これは本物やと思いました。せやけど、超自然現象なんかは絶対に信じませんから、誰にも話さずに考えていたんです。今の話しで少しは納得できましたわ。素晴らしい岩なんですねえ」と言い、目を輝かせて聳える岩を見上げた。
木津青年の極めて健全な発言に安原の眉毛はいつもの位置に戻った。私は木津青年を抱き締めたいほどに好きになった。
少年、青年期の苦労と、岩の下に流れ着くまでの詐欺まがいの仕事への罪悪感、それに不動産屋の柳川に騙された経験などが、生まれついての繊細な感受性に微妙に影響して、安原の本質は、私のように社会的に活発な人間をそのままには信用せず常に一歩離れて付き合う傾向がある。それを寂しく感じることはしばしばだが仕方がないことと諦めている。
安原は私を信用できないのではなくて、私が真実を真正面から伝えずに、仕事や立場上から沈黙するか若しくは、事実を斜めにして伝えることを知っているだけのことで、それは商売上の駆け引きや一族をまとめるには必要なテクニックだと判っているのだ。そうでなければ、その疑惑にも拘らず誰にもまして私を信頼してくれる筈がない。
安原に取っては信頼と疑惑は共存してしかるべきもので、疑惑を越えて信頼出来る私こそが真に信頼に値すると考えていて、それはまた、私の仕事上の哲学でもある。ただ、私が個人的な付合いではこの垣根を除くことが出来るのだが、その心の切り替えが安原には難しいのだ。
私とは違い、木津青年にはその警戒を感じさせない何かが有り、いや、それともむしろ不足しているのかもしれないが、それ故に安原は木津青年を、最近知合っただけでも信じることが出来るのだ。「そう言えば、イタリヤかどこかで、地下電位で地震の予測をしているんやなかったかなあ。テレビか新聞で載っていたなあ」と、安原の言葉もかなり普段の口調になっている。
「ああ、それ僕も読みましたわ。と言うことは、あの煌めきは注意をせないかんちゅうことやないですか。岩の鳴動とか、水位の増加も起こっているとすると何か地震が差し迫っているようで不気味ですねえ」と、言う木津青年のなにげない憶測で、私はぎくっとした。「・・・そうやなあ」と答える私の声が上擦ったものだから、驚いた安原と木津青年は私を見詰めた。
「えー、ごほんごほん」と、先ずは咳で誤魔化し、
「特に内緒にしている訳でもないが、一族の岩に対する強い信仰は岩が周期的に煌めくことにあるんやが、俺は、先祖の誰かがずっと昔に地震と煌めきの関係を知ったのかもしれんと考えてるのや」と、かって話したことの無い内容にまで踏込んで説明した。
「ふーん、そうか」と、安原は今度は眉毛を固めずに考え込む表情になり、
「つまり・・現在の一族の間では、その辺りははっきりしてないのか」と尋ねた。
「そうや。何しろ信仰そのものは鎌倉時代よりもまだ前に始まっているようで、今に伝わっているのは、岩を崇めることだけで、要は一族には春秋の彼岸に岩に詣るのと、死んだら灰にして岩の周辺の丘に撒くことだけがしきたりとして残っている」と、かなりの事実までを話してから、徐々に徐々にと、私は心に囁いた。
「・・・」と安原の眉毛が少し強ばった。今までになく私が一族の話しを詳しく話し始めたことの異常さに気付いたのだ。今日はここまでと考えて、
「まあ、岩が煌めくなんて、まともやないと考えてたから、一族のしきたりの事も話し難かったけど・・これだけ目撃者が増えたらむしろ話し易いわ。今日はもう出掛けないかんから、後のことはまたの機会に話すわ」と言い、安原の反応も見ることなく穴の縁に掛けてある梯子の方に取り付き上に登った。
穴の上から手を振ると、安原は戸惑い顕わな表情で片手を上げ、木津青年は軽く頭を下げた。そのまま車の方にと歩き始め、第一段階終了と心で呟いたものの直ぐに、更に付け加えるべき何事も無いのだと考えた。最も難関とするのは、何事も存在しないことを信じさせることである。
一族の子供達は年に一度は楠木杏子の家、つまりは先代の長老の家に挨拶に行くことになっていた。挨拶と言っても大仰なものではなく、家族が長老の家族と話している間は庭で遊び呆けているだけだが、長老は縁側から子供達の遊ぶさまを笑いながら見ていたり、時には子供の群れに混じって一緒に遊んだ。子供達は長老のことを子供好きの爺さんだとしか考えていなかった。
長老は特に私を気に入ったようで、月に一度は杏子をよこして私を呼び寄せいろんな用事を頼んだ。煙草を買いに行くとか長老の好きな菓子を買いに行くとかのつまらない仕事で、なぜわざわざ私に頼むのかと不思議に思っていた。だが、好ましい爺さんの言い付けだからと喜んで用事をこなした。
歳を経るに連れて、長老は私を傍に置いてはいろんな話しをするようになり、話しの内容は一族の歴史や人のあるべき姿とか、人の見分け方とか、かなり難しくなっていった。この薫陶は、その時にはよく判らなかったが、その後の私の人生には大きく影響をしたと思う。長老からまるで友人のように扱われたことから、大人や年寄との付合いではごく対等に話せるようになったし、長老の折々の話しの記憶はいろんな出来事に出会う度の道標となった。しかし、長老の教育が成果を挙げすぎたのか、私は狭い町には飽きてしまい、もっと広々とした世界で腕を揮いたいと思うようになった。
浪華大学の経済学部に入り、学業や英会話は勿論、卒業後の世界を出来るだけ広くしようと友人を増やすことに努め、その努力は日々成果をあげていた。
ところが人生とはやっかいなもので、親父が急病で亡くなり長男の私は兄弟姉妹の面倒を見るべく工務店を継ぐしかなかった。これで、私は長老の希望通りに美陵の町に根を下ろすことになり、長老の喜びは一方ならぬものであった。
爺さんは時期を見澄ましていたかのように、私の結婚後すぐに長老職を私に譲る段取りを進め、親類一同に根回しを終えて断りがたい状況を整えた。
どうせ美陵の町に捕われたままの人生を精一杯に活躍するには、長老職も面白いかもしれないと考え、特に、長老のみに伝えられると噂に聞く“長老の教え”なるものを一読できることを最大の楽しみとして爺さんの依頼を引き受けることにした。
長老職の引継ぎは全く質素なもので、爺さんと私が赤飯と粗末なおかずで一緒に食事をするだけのことであった。その後、爺さんの部屋に行き、置いてある金庫から取出した古めかしい書状を受取ったが、それが“長老の教え”であり、書状は私がそのまま預かっている。
手渡されたその場で、胸をときめかせて書状を開いたが、みみずのくねったような草書体の古文で書いてあったから読むことも内容の理解も出来ず、爺さんに通訳を頼んだ。
爺さんの言うことには、たった二行の有難い教えの初めには、『岩が煌めく時には一族を集めよ』と書いてあり、その下に筆跡の違う字で『岩が煌めく時こそ足利を倒す頃合』と書いてあるらしい。その以前に爺さんが書の専門家に調べてもらったところでは、最初の一行は平安時代前期のもので、後の文章は室町前半に追記されたとのことであった。
「お爺さん、岩が煌めいたら一族を呼び集めて足利の子孫と闘え、と言うことですか」と尋ねると、「まあ、文章通りに解釈すれば、そうなる」と答えた。
「いまどき、そんな話が通用しますかねえ」と呟くと、
「うむ・・この長老職は戦乱やいろんなことがあってまともには受け継がれていない。江戸期以後になって漸く確実に引き継がれてきたが、その間には岩が煌めくことはなかった」「しかし、僕の時代に煌めいたとすると、どうすりゃええんですか?」
「それは、君が決めねばなるまい」と言い残しただけである。
この馬鹿馬鹿しい状況は親父の後を継いだ時から充分に予想できた筈であった。“長老の教え”とは別に、各家の家長だけが読むことの出来る“一族の掟”なるものが伝わっていて、親父の後を継いだ時に母親から油紙で厳重に包んだ桐の小箱を渡された。仰々しい箱を苦労して開けると、一枚の古めかしい紙に、これは私でも読める字で『心正しく、心優しく、一人立ちせよ』と、ただそれだけ書いてあった。“長老の教え”だけはと期待していたのだが、我々の先祖はどこまでも冗談が好きであったようだ。
余りのことに思い余り、楠木杏子に相談したが、“長老の教え”のことを話した途端に、それまで真剣そのものの表情をしていた杏子が、あろうことか、「プーッ」と吹き出し畳の上で七転八倒で笑い転げる始末であった。これでは他の誰にも話すことは出来る筈もなく、“長老の教え”は銀行の貸し金庫の隅に隠して、一族達からの身上相談には自分なりに工夫するなり考えて応じる以外に方法はなかった。
私がこの世界の片隅でこちこちと一族の、それも老人問題や結婚相談なんぞに気苦労しているときに、杏子は世界のあちこちで働き、遂にはオーストラリアに腰を据えて働いていた。杏子からの手紙には、「苦しく悲しい時には“長老の教え”のことを思い出しては大いに笑い元気を取り戻した」と書いてあった。“長老の教え”には、思いもしない効用があることを知ったが、私の心の傷には何の効用もなかった。
この町では、“一族の公正さや団結の強さ”と共に“一族の掟についての沈黙”もまた神話となっているが、それはただ単に、明らかにするのが恥ずかしくて“一族の掟”を誰にも見られない所に隠している。これが“一族の沈黙”の真実であり、そんな弱みを持つからこそ一族の多くが、弱い人々や苦しんでいる人々の気持ちを察することが出来て、そんな人々を救ける行為の原動力になっている。これが“一族の公正さ”の真実である。 どうやら、“一族の掟”や“長老の教え”は、この辺りの心理を充分に読んだ先祖の策略に違いない、と私は考えている。
とんでもない“長老の教え”を私に残した爺さんも今はあの世で、私がどう切り抜けるかを見ているであろう。私は、岩が煌めくことはありえないと高をくくり、長老引継ぎ者に申し送る時を楽しみにしていたのだが、何の因果か、私の時代に岩が煌めき始めることになった。煌めきを目撃した一族からの連絡が相次ぎ、“長老の教え”通りにするか否かを悩んだ末に、遠い親戚近い親戚の如何を問わず“一族の掟”を持つ家族の全てに、岩が煌めきだしたことと、『長老の教えに依れば、岩が煌めく時には一族を集めるようにと指示されている。見物する積もりで帰郷すればどうか?』と書き送った。その後私自身も岩の煌めきを身近に確認することになったものの、手紙を受取った一族が続々と帰郷し始めたことには驚いてしまった。彼等の殆どは近畿圏に散らばっており、美陵市から通勤可能な家族は家を求めて引っ越してきたし、通勤には遠過ぎる家族の亭主は一人で残り、家族は親戚の家に厄介となっている。いろんな苦労をしながらも長老の希望に沿うようにと努めてくれた。一族の殆どが信じられない程に真面目な連中であることを知り、彼等を改めて誇り高く思ったものだ。だがそれは彼等の心の奥底に潜む一族と共に暮らすことへの深い憧憬が、この状況で現われたのかもしれない。私には狭苦しくて堪らない丘を囲む一帯が心底寛げる場所であることに、彼等はこの地から離れて暮らすことで気付いたのだ。
しかし勿論、波乱を求めこの地を去った楠木杏子のような連中は、どちらかと言えば面白がって帰ってきているから、もし何事も起こらねば私の面目は丸潰れとなる。その時には彼等を真っ先に一族全員を集め、飲んで歌って多いに楽しむ懇親会として、共に大笑いする積もりだから面子が潰れても私にはどうと言うことはない。あわよくばこの機を利用して長老職を返上し、軛を離れて広い世界に乗り出したい。様子を見るのは一年と決めているから、来年の五月にはけりがつく。
ただ一族の誇りを失うような結果はなんとしても避けねばならない。一族の面々には“長老の教え”を話しても冗談で済むと思うが、一族以外の誰にも、こんな馬鹿気たことを話すわけにもゆかず、何か巧い口実は無いかと考えつづけていたから、母校の教授と話してすぐに地震のことは思いついた。それをどう、真面目な顔とタイミングで一族以外の連中に伝えるかと逡巡していたが、岩の煌めきの物理的説明への木津青年の反応を見てかなり気が楽になった。ただ特に生真面目で、しかも長い歳月を疑惑で過ごした安原だけは、出来るだけ徐々に一族の実体なるものに慣れさそうと考えている。一族の誇りと安原への友情こそ何にも増して大切にすべきものと、私は心に決めている。
改築工事の指図を終え南住宅にある事務所に戻ると夕方の六時になっていた。事務所南側の自宅とは棟続きになっていて事務所西側の駐車場の端には工具入れとして大きな40フイートコンテナを置き事務所の中から入れるようにと改造してある。
ごく最近になりコンテナ内部の空間を確保するためにもう一個のコンテナを横に並べ屋根部分を補強してから双方の横壁を部分的に切断した。幅が二倍になったコンテナの内装に手を入れるとともに、外装もまた見栄え良く改装した。外から見る限りは事務所そのものよりも快適そうに見える。
夕食を終えた七時には一族の若手メンバー四人が徒歩や車で現われ、楠木杏子が最後に自転車でやって来た。全員が集まってからコンテナの中に案内したが、会合をコンテナ内で持つのはこれが始めてのことである。
もともと入れてあった工具は全て自宅の倉庫に移し、会議机やコピィ、ファックスやら、事務所として必要な什器は全て揃え、空調設備、給排水設備完備としている。奥端には自家用発電機も備えていて、切断していない壁を利用して内部を仕切り、キッチン、トイレや仮眠室も設け住心地は満点の筈である。内装前には充分に清掃したから新築家屋の薫りもしている。工務店経営の特技を私は百五十%発揮した積もりだ。所用費用の全てを工務店の必要経費として申告する積もりで、これも特技の一つである。
見栄えの良い会議机周りの、座り心地の良い椅子に深く腰掛けた全員が、エンジ色の絨毯張りOAフロアと明るい肌色の壁紙を見回し、ほーっと安楽そうな溜息をついた。
「凄い内装やなあ」と一人が呟き全員が幾度も頷く有様に、私は多いに満足した。
暖かな雰囲気と機能性、矛盾しがちな二つの要素をいかに共存させるかがポイントで、色調と什器のデザインで暖かな雰囲気を醸し出し、壁材と一体となった造り込みの収納棚を増やし、室内の空間を直線的にすることで機能性を持たせている。
ゆったりとした椅子に座った全員がリラックスしながらも、何事かが起こりつつあると予感し心を引き締めている様子が見て取れた。「丘の現状については、もう皆には連絡してある通りや。煌めきの目撃者は徐々に増えているが、煌めきの強度や回数にはそれほどの変化はない。しかし、今日安原から聞いたところでは、岩の煌めきと同時に鳴動が聞こえるらしく、それに谷川の水位が上昇しているらしい。ただ、これらの現象は今後確認するとして・・それよりも、丘の開発について重大な情報がある。では先ず義春から状況報告してもらう。但しその前にキッチンにコーヒーと紅茶を用意してある。まあ気楽に飲みながら聞くことにしよう。アルコールもあれこれ置いてあるが、それは今日の議題の全部が済んでからや。ええか?」と提案すると、全員が頷いた。
私と義春がオーバーヘッドプロジェクターの準備をする間に、残りのメンバーが飲み物の用意をして全員が席についてから義春が立ち上がり報告を始めた。
和田義春は私より二歳下の従弟で、がっちりとした体付き、平面的だが安定した表情と、和田一族の特徴を私とまるで瓜二つに持ち合わせている。
「僕の担当は柳川不動産事務所の業績と動きの監視やが、これについては、調査会社に依頼した」と言い、照明スイッチをいじり部屋を暗くしてから調査会社の報告書をOHPで写し出した。
「つまり、業績について要約すると、柳川事務所では競買物件の取り扱い、倒産、焦付物件と、とにかくやばい仕事の率がどんどんと増えている。しかも、そこに暴力団の陰が見え初め、最近は彼等の介入がいよいよ頻繁になりつつある」と、全員を真剣な表情で見回してから、
「それで・・調査会社が柳川事務所に出入りする暴力団員を調べたんやが」と言い映像を写した。
「親玉はこの二人や・・銀色、内部の見えないカラーウインドウの高級セダンで柳川の事務所に乗り着けて、事務所で打ち合せとる。・・車の番号から調べると、市内の天王寺組の幹部であることが判った。このでっぷりとした方が組の頭脳と言われている津島大介で、痩せた方が瀬川英一と言うて、かなり冷酷な男らしい」と、言いそこで皆の顔を見回した。私も同様に見回したが、誰一人としてこの事実に驚くような仕草や、表情を示してはいなかった。
私や電気設備工事を営む義春とは違い、市会議員の和泉、大学助教授の土井、杏子や杏子の従兄で高校の先生をやっている楠木康夫には、暴力団なるものが彼等の生活には程遠い世界にあることから、その恐ろしさが判っていないのだと考えた。
この点だけは彼等に充分認識させねばならないとも思った。
「えーっと、天王寺組と、それに・・特に津島大介と瀬川英一が咬んでいることが判った時点で・・調査会社は本件から手を引くと連絡してきた」と義春が言い言葉を切った。
この説明で漸く、事態のただならぬことを知った全員が椅子の中で姿勢をただし相互に顔を見合わせて、
「その・・天王寺組と言うのは、そんなに恐ろしい組と言うことか」と和泉が尋ねた。
和泉良夫は大きな体とのんびりとした風貌に相応しく、頭の回転は若干遅いが誠実さと着実なことでは誰にも優る男で、一度は商社に就職したものの策略に満ちた商売には不向きと直ぐに気付いた。相談を受け、むしろ一族の代表とするには最適の人材と、私が選んで市議会へと送り込んだが、誰彼なく誠実に応対する性格から今では一般市民多数の支持を得ている。それにも拘らず常に謙虚で誠実さを失わない男である。
「そもそも、暴力団とはアウトロウの一団や。つまり、殺人、暴力、脅迫、麻薬と法律とは関係なく、何でも有りの集団やから、はっきり言うて、まともな会社や僕等の手には負えん」と義春は表情を変えることもなく答えたので、その言葉の重さが、状況を既に知っている僕にさえ、耳と心にずしんと応えた。聞くところでは、この辺りの雰囲気も彼と私とはまるで双子のように似ているとのことだが、私とは違い、義春がこの美陵市の周辺だけでの生活に根を充分に下ろし、そのことに満足していることから、より落ち着きのある重々しさが感じられる。
「それに、天王寺組は広域暴力団やし、しかも、その幹部直々のお出ましとなれば、彼等と関係することは、関係した会社や個人には、まあはっきり言って破滅がほぼ約束されたと考えるべきやろなあ」と恐ろしい事態をとつとつと話してから、
「念のためにと、僕は公園で働く熊さんにそれとなく聞いてみた」と言い、再び全員を見回してから言葉を続けた。
「熊さんは、今でこそ温和なおっさんやが、昔はその筋では恐れられていて・・その熊さんの言うには」と、再び義春は言葉を止めてから、
「熊さんが言うには・・天王寺組は、ただの暴力団やない。警察やお上、それに民間企業に入り込んで、一種の政商みたいなところがあるが、普通の政商とは違って、入り込んだ先を食い潰す。言ってみればガンみたいな組やと言うてた。それに特に瀬川のことを聞くと顔色を変えて、『あいつは気違いや、あいつと何か関係あるのか?』と血相変えたんで、僕も驚いてしもたわ」
「それで熊さんには、どう答えた」と熊さんのことは聞いていなかったので、私は尋ねた。
「いや、ただ大阪でちらっと天王寺組の話しを聞いただけのことやと答えた。そうしたら、熊さんも只者やないから少々疑わしそうな顔付をしてから、『絶対に絶対に、天王寺組には傍にも近寄るな』と忠告しよった」
この熊さんのアドバイスが、話しの深刻さをいよいよ裏付けるものとして全員の心に訴えかけた。
「暴力団の恐さや、僕等の関係する相手の恐ろしさは判ってもらえたとしても、とにかく、調査会社はこれ以上の調査を断ってきたから、仕方が無いので、僕と賢一さんとで、その後の調査を継続した。その結果も話すと・・・」
と、義春はOHPを再び使い始めた。賢一と言うのは私の名前で、一族には大勢の和田姓が居ることから仕方が無いことである。
「幸いと言うのも何やけど、二人が現われるのは柳川事務所の社員や事務員の少ない定休日、つまり月曜日やから、僕と賢一さんの定休日でもある。休みを利用して交替で調べていたが、暫らく前までは月に二回ぐらいやったのが最近は毎週現われている。望遠で取った写真とビデオがあるけど、一緒に居る時の柳川の顔付がだんだんと萎縮した感じになってきている」と幾枚かの写真を次々と見せた。「不動産業の仕事が荒っぽくなってゆくのと、柳川の顔付が萎んでゆくのが比例しているようで不気味に思える。・・・どうやら柳川は骨までしゃぶられるんやないかと想像している・・・それから、このぼやけた写真は、柳川と二人が・・最近になって連中は、柳川の二号が経営している割烹の“河内屋”に度々行くようになったが、その時の一枚や。暗いから良くは写ってないが・・・彼等が集まるときには、それ以外の客が来ているのやないかと思われる」と、そこで別の写真を画面に置いて、
「彼等が集まった時に、恐らくその集まりに加わっているのやないかと思えるが、・・・和泉さん・・この連中に見覚えはないか」と幾枚かの写真を重ねて示した。
和泉は、その真面目そのものの顔をしかめて暫らく考えてから、立上がり、壁に写る写真の傍に行き、指差しながら、
「これは、市会議員の岡田、それに、佐川と桑野やなあ。もともと柳川陣営やからなあ。・・・それと、こちらは、市役所の環境課課長らしい。こっちは建設課の課長や。まずいなあ・・暴力団と付合い始めたのか」
「いや、たまたま同じ日に河内屋を訪れたとも考えられる。うかつな事は証拠が無い限り推測では言えんが」と義春が正した。
「それから付け加えると、柳川の事務所には、普通のサラリーマン風の連中も足しげく訪れるようになっている。こちらの方は調査会社での調べは充分についている」と新しい画面を写した。
「全員が社章を外しているが。調査会社によると、ゼネコンの星川建設の社員で」と、そこで調査会社の書類を捲り、
「えーっと、建設計画部長の関口、課長の池上、担当の佐藤、安田、木口となっている。かなりやり手のセクションらしくて、特に官公需を担当しているらしい。天王寺組との関係は不明やが・・調査会社が断ってくる直前の仕事で判ったことは、彼等が取り扱っている仕事で極く最近になって“Mプロジェクト”ちゅうのが、言葉の端々に出てくるらしい。彼等の動きからすると、Mとは美陵市の頭文字やろうと推測できる。以上や」と言ってからOHPの電源を切り部屋の照明を明るくした。
「これ以上の調査は余程考えんと危険やし、と言って、危険を侵さんと調査は先には進めない・・というのが現状や」と言い終えると、写真や書類を一纏にして義春は席に戻った。
義春の最後の警告が皆の頭に納まる時間を置いてから私は立ち上がった。歳を経て経験を積むに連れ、人の表情を読み感情をコントロールする術を身に着け、それを駆使することが楽しくなるようだ。義春の説明の仕方もまた私と同じような彼の成長を示している。いずれ近い将来には一族の代表として和泉と共に市会議員に立つだろう。
「さて、事態が深刻な状況にあることは、ほぼ判ってもらえたと思う。証拠は不十分だが、広域暴力団の有力幹部と大手ゼネコンが噛み始めたことから、事は柳川どころでは無くなったこと。それどころか、いずれは柳川は自滅する道を歩んでいることになる。俺達の一族若手会議も今までの世間話しでは済まないようになってしまった。はっきり言って証拠固めは我々自身の手でやる以外に無い。とすれば、この仕事は命懸けと考えることが必要や。我々だけではなくて家族の安全も考えて方針を決める必要がある」と、そこで言葉を止めて、全員の顔を見回した。
「君等は、俺がこのコンテナハウスをわざわざ造ったことを不思議に思うているやろう。それは、気持ちの一新や。今までの、一族の五人会の一つとしての我々の集まりを、今度の件を扱う長老会議としたい。その長老会議の一員としての自覚を君等にも持ってもらうことと、長老会議を権威あるものとすることを目的で改装した。俺が長老職を誰かに譲った時には、場所を簡単に移せるようにと、わざわざコンテナを事務所としたんや」と一気に言い、コーヒーを一息で飲み言葉を続けた。
「諸君!」とこれは少々大仰な言葉を選んだが、「本日の最初の議題は・・岩の一族の長老として、岩と丘を未来永劫に残すためのプロジェクト員として全力を注ぐことを君達に決心してもらうことや。そのプロジェクトは一族の“五人会”とは全く別個で独立した存在とする。先ずはその点を確認してから先に進めたい」と言い、私は全員を見回し彼等の反応を観察した。
全員の顔が引き締まったが、杏子の表情の一部には事態の成り行きを楽しむ風と、僅かに、怪訝そうな表情が含まれている。彼女には耳慣れない“五人会”との言葉が飛び出したからだと推察したが、その説明はまたの事として、私の提案が非常に重要なことであることを認識させようと考えた。
「杏子・・いや全員に言っておくが、状況は予断を許さない。冗談では済まされない状況であることは義春の説明で充分に判った筈だ」とだけ言い、その言葉が全員に浸透する時間を置いた。
和泉良夫が手を挙げた。
「賢一さんが長老であり、それに、そのう、このプロジェクトなるもののプロジェクト員を指名する権利があることは認めますが、誰かがプロジェクト、つまり岩の存続に乗気でなければどうなりますか」
「この場で長老会議から降りてもらう。勿論、今日の話しは誰にも喋らないとの条件付きで」と、出来るだけ厳粛にと私は話した。
「では、そのプロジェクト各論の推進方法についての、えー、決定権限は誰にありますか」
「それは、私、つまり長老の独裁か、それとも、多数決かとの質問か?」
私の返した問いを和泉はじっくりと吟味してから、
「そうです。・・その通りです」
「実は、その点についても後で論議する積もりでいたが、まあええやろ。先ずは私の考えとして聞いてもらう・・・プロジェクト員は今ここに居る全員で、合計六人だ。各議案はその六人での多数決で決定する。但し、長老は二票を持つとする。従って四票以上が過半数となる。他に質問は?・・無ければ、秘密プロジュクトの成立とプロジェクトへの参加、それから、その目的に賛成の者は挙手してもらいたい」
全員が手を挙げたが、私にはその結果には自信があった。
彼等は全員が四十代であり、和泉が市議会議員、私と義春が自営業、杏子は無職で従兄の楠木康雄は教師、土井正司は大学の助教師である。彼等の全員が世間に存在するいろんな矛盾には気付いていながら何も出来ないことを知っている。水の流れは余りにも緩やかで力を持て余している。己れの行く末もほぼ見えていて、それをどうする事も出来ない。加えて、岩の一族の存在そのものへの疑惑に充ちながらも、存在意義の確証を心から願っている。これでは賛成せぬ筈が無い。
「決定方法も承認されたとしてええか?」と尋ねると、全員が頷いた。
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