2021年2月27日土曜日

日本の指導者層には未だに竹槍精神が満ちている。

 PCR検査の替わりに、目視検査だって、それも、コロナ最先端の大臣の着想で、それを真面目に実施する宇都宮市職員って、日本の最先端の政治家や感染症対策科学者の、これ本気なのですよ。信じられますか?PCR検査数を増やせば良いだけなのに、なぜ、労力と資源を無駄使いするのだろうか。台湾の若いコロナ対策大臣1人にも及ばない知的能力だ。

第二次大戦前の竹槍訓練やバケツリレー訓練を大真面目で推進していた政府や軍部を思い出す。我が家の亡くなった親父は、強度の近眼で兵隊には行けなかったが、大阪・和歌山の県境の加太の海岸の塹壕堀に掻い出されたが、岩盤地であるその周辺に塹壕を、しかも人力で掘るなんて、多大な人力だけではなく、そのための居住設備、医療、糞尿処理、食料・水の供給と、多大な資材と労力を消費しただろう。人を集めるのはハガキ一枚でも、それに付随する必要資源は莫大なものとなる。それらの労力・国家資源に加えて残された家族の苦労や餓えも戦況の改善どころか、空襲戦闘機の攻撃目標とさえ見なされず、つまり、屁の役にも立たなかった。その国家精神が今も生き残っているようだ。そのための労力や資本をもっとまともに使えば良いのだが、それが出来ないことが日本の衰退につながっているのだろう。

そう言えば、国民自体もその風潮に安易に乗ってしまう傾向があり、千羽鶴とか千人針とか、無駄な労力に熱心になってしまう。どうやら日本人全体が客観的思考が抜けているようだ。

コロナ検査、岩盤を壊せ

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関東地方が季節外れの暖かさに包まれた2月22日、宇都宮市の中心部に見慣れない特設ブースが現れた。「新型コロナウイルス モニタリング検査」ののぼりの脇にそろいの法被姿の職員が並び、訪れる人たちに資料を見せながら丁寧に説明していた。

この「モニタリング検査」は西村康稔経済財政・再生相が打ち出した新しい種類のPCR検査だ。特定のエリアで出歩く人々をランダムに調べ、症状や自覚がないまま暮らしている感染者がどれだけいるかを把握する。緊急事態宣言がいち早く解除された栃木県が最初の場所に選ばれた。

ポイントはこの活動があくまでも、感染が再び広がる兆しをつかむ調査と位置づけられたところにある。検査を受けたら感染の有無がわかるが、そうした機会をつくることが政策の目的ではない。だから特設ブースがどこか詳細は公表せず、偶然通りかかった人に呼びかける体裁をとる。

法律に基づくいわゆる行政検査を個人負担なく受けられるのは今のところ、症状が出た人やその濃厚接触者らに限られる。一方、感染の兆しをつかむという目的なら健康な人にも検査を提供できる。モニタリング検査について調べるにつけ、ちょっとややこしい行政の理屈を垣間見た。

ただ、そんな理屈は世界では通用しないだろう。日本はジャマイカ、赤道ギニアやボリビア、ザンビアに挟まれた世界146位――。AI(人工知能)を使った医療システムづくりを率いる中村祐輔がんプレシジョン医療研究センター所長がため息交じりに見つめる数字がある。

公式統計などの情報に基づいてウエブサイト「Worldometer(ワールドメーター)」がまとめた人口当たりのコロナ向け検査数のランキングだ。国ごとに検査の定義や精度に違いがある荒っぽい比較だとしても、日本は驚くほどの低位に沈んでいる。

中村氏は「世界保健機関(WHO)が2020年3月に『テスト、テスト、テスト』とPCR検査の重要性を強調したのに、日本は従ってこなかった」と悔やむ。ワクチン接種が日本でも始まったとはいえ、流行の収束は見通せない。やはり感染症対策の基本は「検査と隔離」だと訴える。

では、日本でも検査を広げていくには何が求められるのだろう。いま振り返りたいのは、20年秋にPCR検査への参入を果たしたソフトバンクグループの試行錯誤だ。民間が提供する自費の検査は行政の検査とは異なるが、教訓は浮かび上がる。

構想は炎上から始まった。同社の孫正義会長兼社長が20年3月にSNS(交流サイト)で検査を提供する構想を明かすと、「やめてくれ」という反発の投稿が相次いだ。当時は行政や専門家のみならず、ネット世論も検査拡大に慎重だったということだ。

ただでさえ医療関連分野は岩盤のような規制が立ちはだかる。それをいかに乗り越えたか。「素人だったことが参入障壁を乗り越えるパワーになった」。検査事業を担うSB新型コロナウイルス検査センターの池田昌人社長は、通信業界出身の自らの経歴に触れながら強調する。

できない理由を真に受けず、どうやったらできるかだけ考えられるのが「素人」の強みになる。厚生労働省との調整でスクリーニング検査なる概念を編み出したのは一例だ。検査で感染や隔離を判断せず、依頼者に判断材料を提供する域を出ない。そんな発案で規制の壁をクリアした。

新型コロナという未知なる敵に接し、内輪の常識や前例にとらわれない柔軟さが肝要なのは官も民も同じだろう。そしてもう一つ、検査を広げていく仕掛けづくりの妙を指摘したい。どこで検査が欲されているか見極め、上手に提供してこそ社会に資する。

ソフトバンクグループが着目したのは事業を続けたいという企業の意欲だった。人の接触が避けられない職場、地域を越す移動が必要な業務はあまたある。企業が従業員の検査を申し込み、結果を受け取る。1回2千円の低価格も相まって需要をつかんだ。

1年ほど前のネット上の反発がウソのように検査ビジネスは伸び、孫氏が目安にした累計100万という検査数が視界に入ってきた。ほかの民間業者も増え、繁華街の検査所に行列ができる光景も珍しくなくなった。

転換はすでに起きている。症状のない人を検査して、感染していなかったケースを考えよう。感染者を見つけ出すという観点では、この検査はムダかもしれない。しかし、経済の視点で捉えると、感染していないとわかるのが重要だ。検査はムダなどころか利益を生むとはっきり認識された。

東京財団政策研究所の小林慶一郎研究主幹は「一定の条件を満たせば検査がもたらす利益がそのコストを上回り、経済政策としての公共性をもつ」と話す。整いつつある民間業者の知恵とインフラも生かし、いかに柔軟で手際よく公的な政策の後押しを加えるかが問われることになる。

2度目の緊急事態宣言の解除が近づいている。小休止していた社会活動を安全に解き放つ作戦を示したい。誰でもいつでも何度でも。コロナ検査をそんなふうに位置づければ、経済の担い手がアクセルを踏みやすくなる。阻む岩盤があるなら壊せばいい。

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