2021年1月27日水曜日

ギリシャ世界の後と言えばアレキザンダー大王だろう

 我々の年代はアレクザンダーと習ったが、近頃はアレクサンドロスと言うらしい。シーザーがカエザルと変更されたと同様のことだろう。ただ、アレクサンドロスはギリシャ語読みで、カエザルはイタリア語読みと言うことだ。古い読み方は英語読みからきている。一体、いつ変更されたのだろう。
それはともかく、興亡の世界史の01巻アレクサンドロスの征服と神話を読みじめた。そこに「アリアノス」の「アレクサンドロス大王東征記」が、大王についての最も確実な記録と書かれている。そこで八千代市図書館で調べたが無かったのであきらめた。ただ、興亡の世界史にも書かれているが、アリアノスの伝記でさえ、大王の500年後に書かれたものであり、その他の多数の大王の歴史書も、いずれが真実かは見極め難いとのことだ。
とするなら、もっと人間的に彼の行動の真実を個人的に類推することは可能だと思う。
彼が小アジアへの進軍を決めた時点で、彼は巨額の借金を背負っていた。しかし、ピュリスを陥落させ、多額の財宝を奪い、男の大人は虐殺し、婦女子は奴隷で売ることで借金は返済できた。後は、先ずはペルシャ帝国全土、次いで、エジプトと、強奪と殺害と奴隷売却費で進軍費用を調達し、その後の租税は旧組織を維持してそこから収奪している。被圧迫民族に取っては変わることの無い搾取が続いたし、ペルシャ側とマケドニア側の市民が殺害しあうとの悲劇も加わったが、アレクサンドロスと彼の仲間の支配層に取っては幸いなことに、ペルシャ帝国は多民族国家で、イラン高原から降りて来たペルシャ族が、見事な統治体制を築いていて租税システムはそのまま機能した。この旧組織をそのまま奪えば、開拓とか建設とかはすることもなく、社会は存続して税金は勝手に入ってくる。肥大化した旧組織の上層部だけは潰して、少数組織で余裕の予算で運営できる。アレクサンドロスは何ら組織を作り上げることもなく領土拡大に専念できたのだ。アレクサンドロスの寛容な政治とは、寛容であれば旧組織をそのまま利用できたとの裏返しであった。アレクサンドロスはいよいよ専制性を発揮しだして、自分の専制性を高めるべく、いろんな儀式に途方もない金を使いだした。
かくして、アレクサンドロスは植民地方式を大規模に実行したことになる。そこでは無数の現地人が富を奪われ、殺害され、奴隷化されたことだろう。
何しろ民主国家発祥の地と称されるアテネですら、アテネが最盛期には、市民の一人一人に戦勝で得た奴隷が最低2人を所有していたから、アテネの民主主義とはいったい何だったのかと考えさせられる。そんな時代だから、アレクサンドロスの統治は当時としては当然のことで、むしろ他の侵略国の残虐さに比べれば比較的に寛容と称されたわけだ。
だが、インド侵入に際しては、彼は住民を殺しまくっている。暑さでいらいらしたのだろうか。
更に、アレクサンダーは彼の統治地域に多くのギリシャ人都市を建設してヘレニズム文化を醸成したとのことだが、事実は、彼から見て信用の出来ないギリシャ兵(マケドニヤ兵以外の兵士が殆どだが反抗的なマケドニア兵も)を僻地に隔離するするべく都市を建設したとのことらしい。彼が早く死んだことで彼の名声は高まったが、長生きしていれば、悲しい老醜をさらしたであろう。

日本人には、西洋歴史への大きな誤解があるようだ。

西洋各国の指導層(一般人は日本人と同様の意識)は、過去の歴史の残忍さは良く理解していて、過去の種々の国家での統治方式について多くを学んだ近代西洋諸国は彼の統治方式をそのまま模倣して植民地経営を行ったことになる。植民地の経営そのものは現地人に行わせたことで、現地人の恨みの多くは彼等の同胞に向かったことであろう。
それに比べて、日本の植民地経営は、余りに現地の旧組織に干渉したり、移民を大々的に行う等、多くの傷を日本国民に負わせたことになる。要するに何をやっても日本の指導層は下手くそなのだ。その傷が今でも韓国の恨みとして残っている。
韓国人もまた、明らかな大国である中国の残虐な統治は当然として受け止めて、自分達より文化的に劣る日本人からの辱めは未来永劫に忘れる気は無いようで、韓国人もまた日本人と同様の無駄な労力を無駄な事柄に消費する民族らしい。しかし考えれば、韓国人と日本人は人種的にも文化的にも精神的にも、同じ種族だからそうなるのだろう。
より合理的な西洋人は彼等の長い歴史から、有能な施政者を選ぶ方法や統治組織を有能に保つ方法、独裁者を防ぐ方法、植民地を容易に運営する方法などを、全てを歴史から学んだことになるが、アレクサンドロスからは植民地経営をいかに有効にするかを学び、アメリカ大陸での占領経営、アフリカ・アジアでの植民地経営などで、有効に応用したことになる。

なお、僕のアレキサンドロスへの批判的な記載となったが、この本を読み進めて行くと、当初には、たんたんとアレクサンドロスの経過を記述していたが、記述後半では、本著者も僕と同様に、英雄アレキサンドロスへの厳しい批判を書いていた。つまり、本文では私的な感情を交えずに記述したものの、最後には、アレクサンドロスの恣意的で残忍な行為に我慢できずに批判を吐露したと理解する。著者の批判は、アレクサンドロスのみではなく、中央アジア周辺で行われた近代の出来事にも拡大されて述べられていた。2000年以上前の出来事と同じ残虐さを人類が犯していることへの怒りが感じられる。




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