2021年1月18日月曜日

ヘロドトスの歴史を読んでいる。

 ヘロドトスは、紀元前480年から430年ごろの歴史家で、彼の生きる時代は、ギリシャが最盛期に向かう前、ペルシャのキュロス大王がチグリスユーフラテス川周辺から、小アジアのリディアを圧倒して、地中海へと乗り出してくる時代だ。ヘロドトスは、その後、ダリオス大王が小アジアの対岸のマケドニヤ周辺も占領してからギリシャに進出しようとして、ギリシャ連合軍に破れるまでの、紀元前480年~430年を生きたことになる。つまり、ペルシャのバルカン半島進出とその敗北は、彼の生まれるまえだが、彼の生きている時代はアレキザンダー大王の出現前で、ペルシャはギリシャでの敗北にも拘わらず、最大領土を続けている時代だ。
ヘロドトスはイオニア語で歴史を記載したのだが、当時のギリシャアルファベットで書いたのだろう。
また、彼の時代には、既に、フェニキア・イスラエル・サマリア・ユダのセム族国家、つまり、ユダヤ教国家は既にペルシャの属国になっていて、フェニキア人の植民建国したカルタゴがギリシャと海洋国家争いをしている時代だ。ただユダヤ教は占領下でも続いたことになる。また、彼が生まれた時点では、ペルシャはギリシャへの侵入に失敗した頃となる。
ヘアテネの最盛期を経て、彼の死後、スパルタ(ペロポネソス)とのペロポネソス戦争を経て、ギリシャは没落へと進む。その後ローマが登場して、カルタゴとの闘争を始めるわけだ。

なお、ヘロドトスは、小アジアの南部、ドーリア人の移民地、ヘリカルナッソスの出身で、今でもその地名の地区はある。
本書を読むと、ギリシャ人を構成する、イオニア人(アテネ・大陸海岸)ドーリス人(スパルタ・クレタ・大陸)アカイア人等の存在や、小アジアやペルシャの国家群が当然の存在として語られ、筆者がバビロンまでは確実に旅行したであろうと想定できる。凄い経験を経たであろうと驚いてしまう。彼の目を通して古代の国家・都市群やその闘争の有様が、生き生きした様子で眼前に描かれるわけだ。
ヘロドトスは、少なくとも東へはバビロンまでは行ったようだ。が、ペルシャの首都とされるペルセポリスまでは行っていないようだ。ペルセポリスについてギリシャ人が知ったのは、アレクサンダーが破壊してからであったようで、ヘロドトスも知らなかったのだろうか?バビロンを訪れてもぺリセポリスの噂も聞かなかったとは奇妙な話だ。祭儀用の都市であったとも言われている。
ヘロドトスはエジプトではかなり奥地迄行ったようだ。奥地と言うのは、ギリシャから遠く離れたとの意味だが、当時にすれば、中国を除く文明世界の世界旅行に行ったようなものだ。彼の時代にはペルシャはエジプトをも含む最大領土を維持していて、彼は比較的安全にペルシャ内を移動して知識を吸収していたと思われ、各地での風物・地理等を詳しく記載している。他の覇権国家も同様だが、何故かくも巨大な覇権国家が出来るのか、そこまでの領土欲が生まれるのかが理解できないが、恐らく一度略奪国家になると、略奪経済を維持するには、領土の拡大を続けねばならないのだろう。
ヘロドトスの書は、ペルシャ・エジプトの風土記の後に、ペルシャ帝国拡大の歴史を記述し、次いで小アジア沿海部からギリシャへの侵攻と、マラトンでの敗北を記述する。各都市国家群の抗争も含まれるが、耳慣れぬ地名は、現代のGoogleMAPで確認できる。
マラトンの戦いで、率先して主戦論を主張して結果闘いに勝った将軍ミルテャデスが、アテネの艦船を私恨を晴らすべくバロスを攻撃して失敗したとの逸話も面白い。戦いの優れた将軍が戦略でも有能とは言えないとの事だ。
ヘロドトスの歴史は、ペルシャの第3回の出兵迄をきさいしている。


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