2021年1月12日火曜日

今年考えること(6) 独裁制(ギャング国家)への警戒

 欧米の歴史を読むと、ローマ帝国時代の以前から興隆する色んな国家において、いかに独裁者の出現を防ぐか、いかに有能な政治家を得るかを、各国家の興隆期には試行錯誤していた。その試みは、当初には成功するのだが、が、結局はそれを崩す能力を持つ異常者が現れて、その結果、その異常者が独裁者となるか、もしくは、劣悪な指導者が出ることで、その国家は衰えて没落する。米国もまた、憲法それに色んな法律によって、有能な組織にすること、独裁者を防ぐことを目指していたが、トランプ一人が出てきたことで、殆どそれらが崩壊されるところであった。それは、米国の投票者の更に5%でもトランプを支持していれば、そうなったであろうと思われるほど、脆弱なものであった。と言うか、それほどにトランプは異常な才能を持っていたと言うことだろう。注意すべきは、その異常な才能とは、国家を強固とか平和にする能力を持つと言うことでは無く、その残忍さとか異常さは、人を人として扱わず、自分の為に利用する才能に優れているとの能力を持つとのことで、その異常な才能者を指導者として持つならば、社会は必ず悲惨な結果に導かれると言うことだ。、
以上の事から、今後も簡単に米国社会が覆る可能性があり、それにより、日本がのんびりと過ごせる時期も、簡単に覆る可能性があるとのことだ。これに対して、日本の指導者は耐力を持っているかといえば、全くそうではない。コロナウイルスへの対応をみればその事は明かだろう。つまり、米国社会が覆った場合、日本の政治家は無能で、日本は余りにも簡単に悲惨な状態になる可能性が高い。それを防ぐ方法は、恐らく無いだろう。

僕の子孫には申し訳ないが、僕の生きている間だけでも、そうならないことを祈るばかりだ。

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