2021年1月3日日曜日

ときどき思い出すこと(7) 産業機械工業会のコンベヤ委員会について

また思いだしてしまった。
ある日、課長が僕に、東京で開催される産業機械工業会のコンベヤ委員会に出て、その活動をやれ、と指示した。忙しい最中であったが、指示に逆らえば何を言われるか判らないので指示に従った。活動内容は、その頃EUとの関係で、JIS規格をEUの規格ISO(実はドイツ規格DINそのまま)に変えることと、コンベヤの安全規格新規作成等であった。JIS規格の改変には、工業技術院の委員が我々の規格改変内容を監視のために出席していた。当時は、出来るだけ多くのJIS規格を、国際化のためにEU規格に合わせることが工業技術院自体に要求されていたのだ。(そう言えば、最近の交通事故で工業技術院院長が話題だったな。)
しかし、僕はEU規格、つまり、ドイツ規格については詳しく、その煩雑な規格よりはJISの方がベルトコンベヤ動力とか挙動を把握するためには便利だと知っていて、最初の会合から、それを強く主張した。しかし、工業技術院の指示が強硬なせいか、委員長である三機工業と産業機械工業会の事務局の強い要請で、僕の主張を撤回せざるを得なかった。
どうせ、規格を変えるならと、ベルトコンベヤの各仕様、速度、機長、揚程など広い範囲で変えながら、JISとISOの所要動力比較を、ほぼ僕一人で算出して、両規格での相違を調べ、どちらでも概ね違いがないことを報告した。更には三機工業が製鉄所に納めたコンベヤでその委員と一緒に実証テストを行う等とISO規格のJIS化、解説でも多いに努力した。
一年ほど経ったある日、三機工業の委員長が僕を呼び止めて慰労の言葉を掛けてくれたのだが、「住重さんの登録委員名は、他社と違い実際の参加者ではなくて課長さんになっていて、手当は課長さんに送っているが受け取っているかと問われた。が、受け取っていないと答えると、困ったような顔をした。
なるほど、と思い、委員手当は良しとしても、JISが発行されても、JISに記載される委員名は僕ではないってことかと思っていたが、実際に発刊されると僕の名前が掲載されていた。おそらく、委員長とか産業機械工業会の委員が特別に手続きしたのだろう。
同じ状況は、その後も安全規格とか等が、次々と、僕が大阪を去るまで続いたが、結局、僕は一銭も貰うことはなかった。が発行される規格類の編集者として、住重委員としては全て僕の名前が掲載された。
だがしかし、実際のプロジェクトの出張に比べて、気楽で、同じ目的の同業者と働くことは、遥かに楽しく、出張費はもらえるし、特に文句はなかった。が、今になって委員の報酬ってどの程度だったのか、委員長に聞けば良かったと思いだした。
そう言えば、後輩の武部君が、産機工の自動搬送システム委員会に出ていたから彼に聞けばわかるのだろうか。

この委員会には、当初は、運搬機大手のIHI(石川島重工業)は参加していなかった。が、ISOのJIS化規格がかなり出来た時点で突然参加してきた。参加してきたIHIの委員は、かなり癖の強い人で、彼が途中参加した最初の会合で、突然ISOよりJISが遥かに使い勝手が良いと主張し始めた。その口調には、彼以外の委員がそのような事も気づかないか、との口調が含まれていて、僕としては多いに腹立たしく思えた。委員会は途中で散会になり、委員長・工業院委員、産機工委員が彼を説得することとなった。その甲斐がありIHIの委員も納得したようで、次回の会合では話は元に戻った。
ところが、その次の会合で、コンベヤ計算の主要数値であるコンベヤローラの重量単位の話しとなった。ISOでは、既に古い重量(kg重)単位はCGS単位のダインとなっていた。JISもCGS単位系に変更が必須だが、慣れないダインに変えるのは望ましく無いとの話になった。「それなら、ローラの質量という記述だと、数値は変わりません」と僕が提案したが、IHIの委員は、質量表示だと、重量の1/10になると主張した。何か勘違いしているな、と、「1Kg重の重量の物の質量は、1Kgです。宇宙のどこに行っても同じです」と言うと、「家に帰って中学校の本を読んで下さいよ。1Kg重は質量は0.1kgですよ」と激しく主張した。僕には100%の自信は会ったので、僕が強硬な主張をせずとも、他の委員や、特に日本の科学の中枢である、工業技術院の委員ならば、僕の主張をバックアップしてくれるだろうと黙ったが、誰も何も言わず、あたかも僕が中学生以下の能力であるかのように、IHIの委員の主張通りの単位系が採用された。腹は立ったが、どんな規格になるんじゃ、と一面では面白くも思った。
しかし、次の会合で、IHI委員は、突然立ち上がって、「住重さんの言うのが正しかったです」と主張を撤回したので、残念ながら面白い規格ができることはなかった。それに、あの有名なIIHIもいい加減なものだと思った。

ところで、住友重機械は、かような委員には上司が登録されて、実務は別の人間が行うのが通例のようだ。
其の後、東京に移動後数年して、新居浜の設計部から新部長が転勤してきて、更に何年かして、彼が機械学会の物流部門の部門長に選ばれた。物流部門は、搬送機械、エレベーター、鉄道の3つの産業部門が其々が委員会活動をして、更に部門として合同でいろんな活動や論文発表会をかなり大掛かりに行うのだが、部長は、最初の会合から僕を連れて行き、その会合で勝手に組織図にも記載されていない部門長代理なるものに僕を任命してしまった。その後は、殆ど出席することなく、僕が彼の代行として会議を仕切り、部門へのいろんな外部からの依頼事項への対応とか、表彰状やトロフィー作りや、その他のいろんな活動を仕切り、搬送機械については論文発表会も仕切った。ただ、エレベータと鉄道の各セクションについては、それぞれの責任者と共に仕切らざるをえず、しかも鉄道セクションには、JRの鉄道研究所の優秀な人とか、東大とか各大学の教授とかの実に優秀な人が多いので一緒に働くのは楽しかった。
当然だが、僕には何の手当も無く、活動は都内だから交通費や食費も出ず、ただ働きであったが、恐らく、部門長やその他の主要な人には、機械学会から何らかの手当があっただろうと思える。
かように、いろんな社外活動では、実際の活動者は手弁当で、上司が名誉と手当を受け取るのが住重の体質のようだ。だが、仕事の面白さは実際の活動者が得られるのだから、それはそれで文句はない。




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