2012年5月8日火曜日

クロアチア、スロバニアと、モンテネグロ周遊ツアー 2009年7月14日

元々は、9月頃の個人旅行を計画したのだが、最近は格安航空券、しかも超格安のが手に入りにくくなった。で、新聞で7月半ばでかなりお得なツアーを見かけ、すぐに電話してしまった。当初計画では、特に安い南回りローマ便を使い、ローマでEUR T/Cを無料交換してからANCONAに行き、ウルビーノを観光後、夜間フエリーでアドリア海を渡り、SPLIT、それから昼間フェリーでDUBROVNIK、次いで、週に一度の昼間フェリー(夜間フェリーは週3~4夜程度はある)で、イタリヤのBARIに戻り、ローマに帰る。そんな計画で、アドリア海周辺を楽しむ積もりであったが、気楽なツアーになってしまった。で、アドリア海の船便は無くなったが、スロベニヤの見所も訪問できることになった。
結果として、スロバニヤのblejsko湖とpostojnia洞窟も見ることが出来たが、特にpostojnia洞窟は思いもよらない程に巨大で、これを見るだけで、今回のツアーの意味があり、更には、クロアチアのDUBROVNIKも、予想以上の美しい街であった。で、今回のツアー選択には大きな成果があった。だがしかし、往復2400kmのバス旅であり、日本に帰るとさすがに疲れた、と実感した。
結局、旅のルートはオーストリアのGrazに降り立ち→Blejski泊→blejsko湖→postojnia洞窟→opatia宿泊→古都Zadar→sijn宿泊→古都Trogir→古都Split→Dubrobnik近郊泊→古都Dubrovnik→古都Kotor→Dubrobnik近郊泊→Mostarの橋→Plitvice近郊泊→Plitvice湖沼群→Zagreb泊→Grazより帰国へ となっとりました。
さて、旅行費であるが、9日間 本体費199,800円、空港税5,220円、燃料サーチャージ 9000円 で合計214,020 と安い方であった。
成田集合は、9:50で、集まってみると、参加者総数は38人であった。それを知った参加者がみなみな、へ~!と、その多さに驚いた。が、参加者の殆どが海外旅行の猛者で、それに、耳掛式のトランシーバーもあり、旅の全スケジュールはスムースなものであった。
それと。これも奇妙なのだが、旅の間にグループとして多くの日本人には出会ったが、韓国人や中国人には全く出会うことが無かった。彼等も、この地方に来るまでには育っていないらしい。
さて、航空便はルフトハンザで、12:20成田発で、17:40MUNCH着、19:15MUNCH発で、20:10GRAZ着で、そこからバスでオーストリア/スロベニア国境を越えて、24:00頃に、ブレッツ湖に着く。初日からかなりの強行軍であった。成田からは、A-300(席は2+4+2)で窓際の2席であったが、雲が多くて視界はあまり良くなかった。たまに見える景色も、この時期のシベリアのツンドラは余り変わり映えしない風景が延々と続くが、時に、ミサイル発射基地のようなものが見えた。MUNCHからは、プロペラのデハビラントで、三圃農業のオーストリア風景が良く見えた。緯度が高く、夕方9時頃までは十分に明るかったです。GRAZの入国審査員は余り日本人に慣れていないのか、どこに行くのとか、どこに泊まるか、とかと、うるさかったのが記憶に残っている。
●ブレッド湖は、南北1km東西3km程度の小さな湖で、この地方が石灰岩質のために、真っ青な水面の美しい湖です。町は湖の東端に集まり、ホテルもこの一角にあります。湖の西端に国鉄のブレッド駅があるが、列車便数は少ないとのことです。湖の真ん中にある聖マリア教会と町から半時計方向に少し回った所にあるブレッド城が、ここの見所です。それなりの美しい湖と城塞、教会の風景ってスイスに良くある風景です。この白っぽい青さの水は、スロベニヤやクロアチアに共通のもので、すべて石灰岩質のなせる現象ですが、石灰質の為せる水風景、それに鍾乳洞やカルスト地形は、日本のものに較べて極めて巨大で広大なものとなっています。実際のところ、帰ってから地図で見ると、ここからクロアチアのSPLIT辺りまでが、カルスト地方って、カルスト地帯そのままの地方名となっていることに気づきました。
HOTELは、狭い湖周回道路をはさんですぐの山側に建っていて、早朝に散歩すると、とても美しい湖でした。が、散歩途上で帰って来る一人のツアー員に出会いまして、既にブレッド城に登ってきたとのことです。恐ろしいおっさんが参加してたものです。この人は、のちにDUBROVNIKの自由時間に、DUBROVNIKの後ろの山頂に独りで登った(勿論TAXIで)とのことです。かように、この旅には猛者が集まっており、海外旅行21回目の人とか、6カ国語を喋れる若者とか、75歳の単独参加の婆さん(しかも、グーグルマップで宿泊場所を全部チェックしてきたってさ)とか、凄いのが参加してましたわい。
ところで、この地方のこの時期の気候は、最高温度28度程度で乾燥して過ごし易いとのことでしたが、初日から日差しが強く30度を超えてしかも湿度も高く、とっても暑い日々となってしまいました。帰りになりこの地方を通過する時になって漸く例年の、乾燥して過ごし易い気候を経験できました。で、薄手の長そでは、帰路の一日だけに必要でした。ただ、直射日光は強烈で、日焼けを嫌がるなら、日焼けクリームと長そでですよね。それに、ポストイナ洞窟内では雨具兼長そでが必要でした。僕は半そでで、しかも日焼けクリーム無しで過ごしたのでまっくろになりました。
●午後、ブレッド湖を出発し、首都LIBRIJANAをかすめて南下して、3時頃には、大洞窟ポストイナに着きました。スロベニアは南北100km程度の小さな国で、南北に縦断するのに2時間程度しか掛からなかったのです。なお東西も300km程度でほぼ四国の面積と同程度、スイスの半分程度の小さな国です。
洞窟の入口は、バスの駐車場から歩いて10分程度の所で、近代的な土産物やが並ぶ道を突き当たったところに、ちょっと階段があり、そこを登ると、右手に切符売り場と入口で、正面が崖に開いた洞窟で、ここが洞窟見学後の出口です。入口からは冷気が噴き出していて気持ちが良いのですが、更に入って行くと、更に寒くなって行きます。6度~8度ってことです。洞窟の中をどんどんと進み、何がなんだか判らん内にトロッコに乗っていました。トロッコは2席ごとのコンパートメントで車線は複線になってます。トロッコは約2kmを高速で疾走し、とがった鍾乳石が頭の上を猛スピードで通過します。各所で美しい鍾乳石がライトアップされています。終点に着き、ここで、英語グループとか独語グループに分かれて約1.7km程度を徒歩で観光するわけです。凄いものです。で、再びトロッコに乗って戻るのです。出口のプラットホーム下には、地底河があります。
詳しいのは、この人のとか読んでね。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://www.eu-alps.com/p-site/do-2003/612/612postojna-jama.htm
とにかく、ツアーに参加した人々は、これほどとは予想していなかったので多いに満足したのです。なおこの近辺にシュコツイアン鍾乳洞があり、ここも素晴らしいとのことですが、ちょっと辺鄙な所にあるのでツアーでは省略です。
●ところで、話はちょっと変わりますが、僕は出発の二日前から便秘状態になりました。最近は便秘になることがしばしばです。幸い、ルフトハンザ内で便意を催してトイレに入り、かなり時間を掛けて排出できました。トイレの中を十分に後始末をして扉を開けると数人が待っていて睨みつけられたのです。だがしかし、A300のエコノミーにはトイレの数はいっぱいにあるのです。が、トイレ待ちの人々は、反対側の通路や連絡通路のトイレが空いているのに気付かないで、僕の方の通路のトイレのことしか考えていなかったようです。人を睨みつけるよりもっと柔軟に行動して欲しいし、僕のウンチも柔軟になってほしいものです。
旅の3日目の夜に、便秘薬を飲んだのですが、これは翌日の昼に効いてしまって夜まで便を我慢するのに苦労して、次いで、ヨーロッパの水は便秘薬効果があるので、これも試しましたが、これは効きすぎて困りました。が、あれやこれやで、旅の最終頃になって漸く順調になった次第です。便秘薬は前日の昼ごろに飲めばどうなるかも試すとか、欧州の水道水をどう飲めば良いかとか、工夫の余地があります。

●あ~っと、暫く青春18キップで大阪に行っていたので、ここは休憩になってしまいました。大阪はとても暑かったです。奈良にも行って若草山に登ろうとしたのですが、とても暑くてあきらめました。今回気づいたのですが、奈良興福寺の南円堂の後ろに三重の塔がありますが、南円堂や五重の塔に較べると、とても軽快な感じがします。これはこれで、また、重厚な南円堂や五重の塔は、それを荘重に見せるために色んな工夫が見えました。素晴らしい作品だと感心しました。これらを建造した人々の想像力には実に関心させられます。
それと、大阪や奈良のせみは鼓膜が破れるほどウルサイことに気付きました。7月2日の日経に出ていますが、特に大阪では、ここ暫くでアブラゼミが減りクマゼミが増えたとのことです。これが原因です)

●ポストイナから南下すると、直ぐにCROATIAとの国境です。警備隊員が乗り込んできて各自のパスポートに入国印を押してゆきます。これが終わると、銀行らしき所に立ち寄って交換です。女房と2人分で、100EURを現地通貨クーナに交換しました。話は先になりますが、このツアー中には、EURの使える土産物屋で、岩塩とかジャム、乾燥イチゴなど50EUR使い合計150EUR、ホテルでドル交換や、枕銭で1ドル札など、74ドル使った。これらの金は以前の旅行で余った金で、やっぱりツアーは安く済みますです。
そうそう、それと首都のZAGREBの本屋で、EURで買おうとしたのですが、ここは現地通貨でないと駄目だと言われて、VISAを使いました。63クーナですから、1200円程度の本です。でも後で見たら英語の本と思って買ったけど、フランス語だったのよね。まあ、いいか、フランス語勉強中だし。
観光地では、EURが普通に使えますが、ドルは受け取ってくれません。が、ホテルでは交換してくれます。ホテルの交換レート表示板には円表示もありましたから、円も交換の可能性はありますが、充分には調べなかったです。申し訳ない。判る範囲では、1EUR=7.26クーナで更に交換手数料1.5%、1ドル=5.04クーナで更にホテル手数料は2%でした。
ところで、ネクタイはCROATIAで始まったってご存知ですか、それも、ディオクレアヌス宮殿のあるSPLITにSalonCroatiaって店があり、ここが老舗ってことです。ここでネクタイを買おうと、「Can I use doller?」
と聞くと、全く理解せず、他のツアーグループ添乗員に「彼は何を言っているのか?」と店員が聞き、添乗員は「彼はドルで払いたいって」と通訳されてしまいました。僕、自信喪失です。恐らく、去年1月のエジプト以来、英語を口にしていないので、強烈な発音を失ったせいと思えます。日本語の発音は静かですからね。
でも、とっても「くそっ!!」です。

●国境を越えて暫く行くと、もうアドリヤ海の海岸に出ます。夕方のせいかアドリア海は紺碧ではなかったです。そこのアドリア海岸に沿う町をRIJEKAと言い、川崎市と姉妹都市らしいです。我々の宿はここからちょっと海に向かって右に行ったOPATIAってリゾート街でした。CROATIAの街も清潔であると判りました。ただ、部屋に入ってクーラーが有るようには見えず、暑い一夜を過ごすのかと恐れたのですが、女房が「窓が開いているからちゃう?」と言うので、「そんなバカな」と言いながら窓を閉めると、クーラーが作動し始めたのです。この国の殆どのホテルのクーラーは窓の開閉とインタロックしてるので気をつけましょうね。クーラーが無い所もありますけどね。我々の仲間にも、そのことに気付かず、このホテルだけではなく、後のホテルでも、暑いので窓を開けたまま寝たって人が大勢いましたからね。

●翌朝は期待通りの紺碧の海に沿って、RIJEKAの町の崖上を南下しました。石灰岩の荒涼たる岩壁の島(これはどうやら相当巨大で長い島らしい)を対岸に見ながら、海沿いの岸壁道が続きます。海岸には砂浜はありませんが、多くの泳ぐ人々が見受けられました。
時々、海の家のような所に停まり、トイレ使用の金を払い用を足しては南下を続けました。
途中で道を内陸部へと向かい、highwayに入ります。この道は将来DBUROVNIKまで延長するとのことです。道はカルスト地形の中を走り、巨大な石灰石山系の下を6kmのトンネルで抜けて更に南下をつづけます。道は海岸に近寄り、またまた、石灰岩の島と深く入りこんだ紺碧の湾が続きます。ここで、高速道を下りてZADARへと向かいます。ZADARのOLD CITYは島になっていて、街は海まで500m長さ1kmていどの大きさです。その島が城壁で囲まれています。街の風情はベネツイアです。実は、これから行く、南の街は全てベネツイアに似ています。これは、街が海沿いの狭い平地にあることと、ベネツイアの支配下にあったことによると思われます。
OldCityとNewCityを隔てる水路は港になっていて、多くのフェリーが停泊しています。アドリア海を縦横に繋ぐヤドロリヤ社のフェリーが多く、事務所は旧市街と新市街を結ぶ橋のたもとにありました。ここの聖ドナト教会はドイツのEccelaCyapelと共に、円形の教会として有名らしいです。かってイタリヤの支配下にあり、連合軍の攻撃で港側の建物が破壊されたそうです。何でまた、こんな街を攻撃するんでしょうね。戦争って本当に馬鹿げているのですが、やっている本人達は命がけで真面目だから怖ろしいのです。
再び南下を続けると、海の入り江が美しい渓谷を作っているとか、谷間に湖があったり(それも絵のように美しい円形とか、いろんな形のが)、湖があるなれば、肥沃な畑も周囲にあって、とっても美しい景色が飛び出すのだ。どうやら、広大な山脈からの伏流水がこの美しい谷間を潤しているのだ。
あのディオクレチィアヌス皇帝の宮殿で有名なSPLITの山の上の方で、車は更に東の広い緑の高原に向かい、その街の片隅にあるホテルに停まった。このホテルは本当にクーラーが無かった(と、思う)が、緑の大地が涼しさを運んできた。そのSiNJって街は、観光とは全く縁の無さそうな緑の多い住宅街の街で、ホテルはその一隅にあった。(どう?ちょっと文学的表現じゃない?)

●翌朝は、Haiwayへの道を戻り、Haiwayを越えて海側へと下りて行った。前方に紺碧の海と高層住宅群が見えた。これが、SPLITの新市街で、宮殿はその向こうの旧市街にあるとのことだ。バスはここで右にと海岸に沿って進む。左側の海は実は巨大でふか~い湾なのだ。湾は延々と続き、ついには湾の向こうの家々が近くなり、それも延々と続く様が見える状況で、その対岸の家々を見ながら湾は延々と続くのだ。なんとも、はや。
道の左側には大理石の丘が延々と続いている。SPLITの宮殿は、この丘に沿って延々と続く石切り場で採鉱されたとのことだ。
湾は実は、湾の終わりのTROGIRの所でも外海につながっているらしい。その外界との海のつながりは多分運河であろうと思われる。もしその水路が運河で無いなら、湾に沿った対岸は岬ではなく島ってことになる。TROGIRは、その水路に島となってあるのだ。CROATIAの古い街は、かように外からの攻撃から守れるような位置に造られているのだ。
TROGIRの街もヴェネチャの町にそっくりであった。要するに、クロアチアの海岸都市は、あたかもそこが中世のイタリアかと思われるのだが、特に狭いエリヤに建設されていることで、ヴェネツイァにそっくりってことになっている。
この街もとっても暑く、トイレを借りるために、アイスクリームを買った。
次いで、SPLITだ。TROGIRへと来たなが~い道を戻り、海側に折れ、高層の住宅街に入ると、突き当りが既に宮殿の城壁(北側城壁)になる。城壁に沿って左に曲がり、次にやはり城壁に沿って右に曲がれば突き当りが港で、そこがバス待機場となっている。
港に沿って、城壁(南側城壁)が続き、海との間が整備された広い遊歩道になっている。バス待機場の近くに宮殿の地下入り口(それは、地下ではなく、かっての地上面であったのだが)で、地下には土産物やならんでいる。地下を通り宮殿の内側に入ると、大聖堂の遺跡がある。宮殿はおそらく150mX150m程度の狭いエリヤだが、ここに来ることとは、その昔、ローマ4帝王制を始めたディオクレティヌス邸の遺跡を訪れたって、凄い感動を得られるのだ。この感動を胸に、この旅最大の見所、DUBROVNIKへと200kmの道のりをバスは、山側の高速道路へと戻り、再び南下を始めた。
この途上から、山の中に入り込んだ湾が見えるとともに、徐々に豊かな大地が見られるようになる。バッチーナ湖を過ぎると、豊かな盆地も現れる。その景観を見て、添乗員さんは「日本の田舎の風景を思わせる」と表現したが、僕にはかって見た覚えがあるが日本ではないなあ、と思っていた。そうして、日本に帰ってから気づいた。あれは、ペルーの田舎の豊かな水の盆地でみた風景だった。
HighWayが途切れ、普通国道に入り、アドリヤ海に近い道を更に延々と進み、ついにDUBROVNIKの見える所にまで到達した。ホテルは城壁に囲まれた素晴らしく景観の街の、その崖の上を通過し、その先のリゾートホテルへと向かった。ホテルはASTAREAって言うんだけど、グーグルアースにホテルの写真もも載ってます。(SETALISTE MARKA MAROJICE 40 MLINI DUBROVNIK CROATIAって入力すればいいです)このホテルも窓の開閉とクーラーは連動していまして、てっきりクーラーが無いと思い窓を開けたまま眠った人が居たようです。


●さて、翌日は来た道を北に戻ってDUBROVNIK観光だ。バスは街が一望できる道に停まり、皆さんは、ちょっと山に登って眺望ベストの所から観光です。DUBROVNIKの旧市街は、やはり城壁に囲まれた小さな街だが、その赤い屋根の配置が絶妙なのだ。切り紙をバランスを見ながら、それも、山下清のような天才的な感覚で配置したとしかおもえない貼り付け方と配置で、周囲の紺碧に海の中でその色が映えているのだ。なお、更に眺望を楽しみたいなら山の頂上に行くべきだが、街での自由時間にTAXIにて行かねばならない。実際に我々のグループの一人は山の頂上に行って、写真を撮ったとのことだ。さて、バスは街への道を山から下り街の向こう側(西側)のバス駐車場に停まった。そこにはピレ門があり、ここから入門する。ピレ門からメイン道路(プラッツア通)が街の東西を貫通している。ピレ門と、プラッツア通りの東端を少し北に上がった所から、城壁に有料で登ることができる。城壁は反時計方向に見学できる。城壁からの眺めは、これもまた感動ものでした。
昼食後、バスはDUBROVNIKから更に南下して古都コトルへと向かった。(ちょっとダジャレじみていますけど)
グーグルアースで「kotor モンテネグロ」と入力すれば、どんな所かわかりますが、山の周囲と街の周囲を万里の長城のような城壁に囲まれた静かな古都です。この凄い城壁もグーグルアースでは見ることができます)
DUBROVNIKから行くと、蝶々が羽を広げた形の入り江があり、道はその胸の辺りに到着するのです。しかしそこには狭い海峡があり、ここをフェリーが横断しているのですが、フェリー待ちに時間が掛かるので、バスは、蝶の胴体を上に上がり、羽の形の湾の周囲を延々と先ずは左の羽、次いで右の羽の周囲を走行して、反対側の胴体近くの街に着きます。街はこの遠路をはるばる行くに値する景観です。
帰りはフェリーに空きがあり、30分程度で海峡を渡ることができた。で、本日もリゾートホテルでの宿泊となった。
そうそう、コトルはモンテネグロですから、国境でパスポートチェックがありますので、ご注意ね。

●翌朝は、来た道を戻ります。でも、NERETVA河に沿って、上流に向かうと、あの橋で有名なモスタールです。グーグルマップでは「mostar ボスニアヘルツゴビナで索引すれば近くの空港に行ってくれますわい。mostarは、イタリヤ風というよりは、トルコの街で、あまり時間もなく、橋を見てそそくさと帰りました。
さて、旅もほぼ終わりです。来た道を延々と、種々の壮大な風景を見ながら戻ります。が、ZADARあたりで陸側に入って行くと、豊かな農地が広がっています。この周辺には多くの湖群があり、そこがプリトヴィッツエ湖沼群です。ここはまた、この旅の見所でした。後、来た道を戻り、首都ZAGREBを訪れました。
で、このツアーの記述は疲れたので終わりです。
今回は少々、文章が乱れてますが勘弁してください。追々直してゆきますから。

●結論的に言うなら、この旅は、絵のように美しい景観と、広大なカルスト地形、荒涼たる石灰岩質の高山と巨大な島与、その間を埋める紺碧の海、広大な山塊からの伏流水に育まれた盆地の信じられないほど美しい景観、海辺の山間に築かれた赤い屋根屋根のローマ時代、ヴェネツイア時代からの城塞都市、これらが、次々と織りなす素晴らしい旅と言えます。

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