2012年5月8日火曜日

インド人と野良牛だらけのインドの旅 2009年11月14日~

例のごとく前置きが長いので無視して2.本編に飛びましょう。

1.前置き
デリーだけではなくて、バナーラス、アーグラ、ジャイプル、ジョードプルも行くんですが、そもそも、初めはネパールに行く計画を始めたんです。けど、格安航空券が手に入らず、最低でも10万円レベルでした。ヨーロッパ行くのに10万円で、何でネパールが10万円なんや!とあきらめたんです。最近は安い航空券を見つけてメールすると、それは無い、これはどうか?ってパターンが多くなってきたような気がします。超格安はツアー会社がまとめて買ってしまうのかもしれませんが良く判りません。そんな折り、高校の友人と海外個人旅行を一緒にどうか?インドなんかはどうだろうって話になったんです。彼はヨットを持っていてセーリングが趣味で、その合間の11月頃が良いってことです。で、僕が概ね計画することにしたのです。格安航空券をあれこれ見て、安いのを問い合わせすると例のパターンであまり計画は進展しなかったのです。ところで、友人は大阪に住んでいて、当初は、僕とデリーで待ち合わせしようと考えたのですが、他の人の旅行記読むと、インド旅行は海外個人旅行をしたことがない彼では、特に、インド着後の単独行動は危険と思われたです。で、基本は関空か、成田のいずれかで集まって行くことにして航空券調べていたら、関空発アシアナ航空で、一人当たり本体費69,000円、その他入れて78,000円がHISであったので、これを選んだってことです。かくして僕が大阪まで昼間特急バスで往復することにしたのだ。まあ。大阪往復で一万円程度掛かるけど、東京発航空券でもその程度は余分に掛かるし、大阪の用も済ませます。で、その航空券では、デリー着が23:45ってなってまして、最も危険な時間帯に到着ってことです。そこで、ホテル予約とピックアップを予約しようと格安ホテルの確保を始めたのです。
下記の旅行記を参照ください。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://www.mirai.ne.jp/~achi/india/india.html
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://tabi.mys-web.net/071222ind/071222douki.html
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://www.yuuarecool.com/071222ind/071223.html
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://4travel.jp/traveler/fkubo/album/10005145/

地球の歩き方で調べて、良さそうな格安ホテル2社にメールしたのですが、共に、なれなれしい返信が返ってきました。僕は、馴馴れしく接近する者には非常に警戒感が高まる傾向があり、それに、空港からのピックアップが通常のTAX料金よりかなり高く一人1000円(つまり2人で2000円=1000ルピ)とかで、宿泊費は、一社A/Cありで一泊1,000円、他社hはA/Cなしで一泊1500円でした。特にピックアップ費用が共に高いのが不満で、その他にも当たったのですが、下の旅行記で、高いと思われる格安ホテルは格段に良いってかいてたので、高い方に決めてしまいました。せめてデリーでは贅沢にしようと思ったのです。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/west_india/cottage_yes_please.htm
もう一社は、cotttage ganga innって、上のホテルよりぼろっちいらしいけど、親切な返事も返ってきたのだが、最終confirmが来ないがどうなったって、上のホテルに問い合わせると、きちんと返事が返ってきたので、高い方に決めた。そうそう、旅行記では評価がまあまあのcottage ganga inは地球の歩き方09-10年度版では消えているので、何故か?と地球の歩き方に問い合わせしましたが返事はありません。
こんな事情で11月14日発、27日帰国の予定で行ってきますが、初めからこんな贅沢していいんだろうかって心配です。それと、エジプト程には寒くなく、クロアチア程には暑くないようにって心から願っています。
これから、準備用品をまとめます。が、気温的に夏用長そで、主体かなと思えます。夏物無くなる前に、洗える夏用長そで、バーゲンで用意します。長袖3枚持って、半袖も持ってゆきます。半袖で寒ければ上にひっかけるんを持ってゆきます。
*注 8月末に台風が来て日中温度が25度以下になると、半袖だけでは寒いって判りました。持参長そでを増やし、半袖を減らします。(結局、この判断は正解でした)
残った作業は下記ですね。
①工程前半の列車予約(後半はバスに乗ったりの可能性もある)
②準備品LIST作成→荷物集めてみる→バッグかサムソナイトか。
③持参通貨をどうするかを検討。
 ATMでルピーを出すのが最も有利だが、安全性。
 いずれにしても、クレジットカードで金引き出す時の暗証を忘 れないように。
④航空券Eーチケット出来たら、座席指定TRY
⑤列車現地手配用資料準備
⑥ATM 用パスワード確認(クレディットカード用)
⑦ビザ取得、とついでに、インド観光局に寄って地図をゲットし ましょう。
これで、後は出発に向けて体力の維持、向上、それに地球の歩き方や旅行記をじっくりと読むです。
わっはははは!と、テンションも上げて行きましょう。

ところで、飛行機の席を予約したいので、HISに、「発券、同時に席予約とマイレージのANAへの付け替え」等を頼んだが、発券は8/20以降になるが、過去の例からすると席予約は特別な事情、例えばハネムーンとかでないと駄目だ、って言われた。で、ASIANAのHPを調べると、券番号または会員番号で席予約ページに入れるらしい。そこで、ASHIANAの会員にもなった。で、発券を待ってトライすることとした。
次いで、インドの鉄道の予約だが、これも登録を終えてNET予約体制を整えた、が、NETで見ると、VISA決済が、8月1日から、VISAの新しいVBV(ビザ認証システム)になると書いてあり、VISAのHPで調べると、VPASS会員になると、この会員パスワードが即ち認証パスワードってことが判った。
必要荷物も確認して、夏の終わりのバーゲンで夏の長そで(インドの11月は日本の5~6月らしい)を2着買い、半袖も2~3着持って行き、寒ければ日本から着て行くヤッケと併用すれば良かろうと考えた。首掛けカバンも長崎屋の安売りで1000円で準備し、荷物を揃えてバックパックに入れてみると、29幅x23奥行x46高cmとなり充分に余裕があった。これだと果物ナイフとかは現地で買うとかすれば、機内持込みさえ出来る。
かくして、ほぼ態勢を整え終わったので、計画詰めの開始となった。

ところが事態はそんなに簡単ではなかったです。
NETで列車予約をしようとすると、駅名で先ず引っ掛かります。先ずは日にちを入れ、出発駅としてDELHIと入れると、いろんなDELHIが出るので、選択して出発駅を決め、到着駅としてVARANASIを入れると、またいろんなのが出る。とにかく最初に書かれてるのを選択して、座席等級やe-tiket選択で、スケジュール選択すれば、列車一覧が出るので、地球の歩き方に記載の列車と同じことを確認すれば駅名選択が正しかったことになります。
ブッキングを選択し、列車や座席等級を選び、氏名、年齢、寝台の段とかを選んで判ったが、61歳以上は割引きがあるらしい。
これで、支払ページになるが、VISAも直接支払いではなくて、インドの銀行経由の支払いになるのだ。
で、ここまで行くのにかなりの試行錯誤となり、VISA安全コードとVBVを入力してやっと終わりと思ったら、送信不良とでた。このまま放っておけないと、予約状況とか契約状況を選んで調べたがよく判らない。インド鉄道から自動メールが入っていて「通信不良で契約完了してない。支払が行われていたら返金する」とか書いてあった。暫く中止して、インドからの支払要求の有無を調べることにした。って暫し本件は中断ですわ。で、VPASSの9月分の支払いにticketeriaで23EURが計上されていた。あ、これだと、VISAにメイルや電話したが、これは娘がローマでのTicket予約した分と判った。やれやれ、大変ですわ。
こんな事情で列車予約は中断として、地球の歩き方でBANARASI(列車の駅はVARANASI)を勉強して、評判が良いって宿アルカのHPを見てみると、1600~1700ルピーって出てきた。地球の歩き方に出ているのとかなり違う。他はどうかと、数少ないHP掲載ホテルを調べたが、FRIEND'S GEST HOUSEは部屋数は少ないが、700とか800である。で、えいっ!予約しておけっと、列車は放っておいて、2部屋を頼んだ。早速返信が来て予約成立でした。

列車代金の請求が無いことをVISA V-PASSで確認してから再度チャレンジした。今回は手慣れている。画面表示で、日にち、座席とかも全てチェックし、席は同じバースの上下として、PAYスイッチを押し、今回はCITY-BANKのゲートウエーを選んだ。で、成功です。SENIOR割引きが適用されて、DELHIからVARANASIまで、2段ベッドAC付き(2A)で2人1626RSですから、1626円/1人です。E-TICKETを印刷しました。パソコンの印刷と画面の印刷(英語)、二つをを夫々出力しましたが、二つは様式が違い、画面印刷(英語)がより正解と思えまが、記載データに違いは無いようです。とにかく、やりましたね!
さて、航空券の発券を待って、それ以後の予約もやりますわい。
と考えてHISに督促したら、発券は9月16日になるって言ってきた。理由がよく判らず、HISとして出金を抑えたいのだろうかなどと疑心も浮かんだが、格安の個人航空券購入者が時に疑い深くなる一瞬ですね。で、発券が遅れる理由確認と、インド鉄道予約するけど、発券は大丈夫か?ってメールを発信しました。
直ぐに返信が返ってきて、予約は確実だってさ。ただ、アシアナ航空が欠航にしたらどうしようもないが、ってことでした。
そこまで心配することはなかろうと、VARANASIからAGRAへの戻りを調べると、SENIOR割引を含み2人で1366RSと無茶安い。で、ここまでは予約をして、後はAGRAからJAIPURまでは昼間のバスで、以後、JAIPUR→JODHPUR→DELHIは、航空便発券後に予約することにした。で、準備はほぼ万全ですな。
ところで、インド鉄道の請求が早速VISに来てましたが、円/ルピー・レートは、1.961~1.974でした。これからすると、ATMが最もレートが良いようです。で、念のため、VpassPassWardは変更しときました。
それに、8月末に台風が来て、日中温度が25度以下になりました。半袖では寒いものの過ごし易い気温ですがな。これは、ちょうどデリーに11月の気温です。これを知っていよいよ旅が楽しみになりました。

さて、9月16日になって、HISに発券の状況確認したが、手続き進行中で待ってください、って返事でした。あきまへんなぁ、です。でも仕方がないので「首を長くして待ってます」ってメールして、作業を進めることにしました。
BANARASまでの列車は予約したので、全てA/C2段ベッド席で、BANARASからAGRAまでの列車(1400円)、AGRAからJAIPURはバスとして、JAIPURからJODHPUR(830円)、JODHPURからDELHI(1450円)を予約したが、30分も掛からずE-ticketを手に入れ、念のためにVPASSのPWであるVBVは変更しておいた。次いで宿だが、これは地球の歩き方で良さそうなのを選び、次いで、その宿の名前と都市名をネットで検索すれば、宿の評価サイトやその宿に関する旅行記を見ることができる。これらを考慮して、BANARASの宿は、ちょっと変更してFRIEND'S GUEST HOUSE(400RS)、AGRAの宿はHOTEL AJAY INTERNATIONAL(400RS)、JAIPURの宿はHOTEL PEARL HOUSE(500Rs)にメールを入れてJAIPUR以外は予約が成立した。PEARLHOUSEは、16:00以後に到着しても予約はCANCELされるってHPに書いてあるので、旅程は注意しなければならない。JODHPURは、山の上のHILL VIEW GUESTHOUSEが、評判良さそうだが、一部に悪評価もあるため逡巡している。(この悪評はどうも間違いだったようだ)
それに駅前の方がDELHIへの列車が便利かなとも思えるが、当日はどうせ夜7:30の出発だから、山の上での出来事を楽しむのも一興かなんて考えています。嫌なことも楽しいもんですから。

9月22日にHISから、E-TICKET発行との連絡がありました。ふ~ん、天下のHISを不安に思うなんて傲慢でした。考えてみると個人旅行で航空券がトラブったことは一回も無かったですね。マダカスカルの航空券がたっかいな~って思ったことだけです。ってことは、日本の会社って本当に信用できるもんなんですね。ツアーでトルコに行ったことがありまして、この時は四季の旅社でしたが、トルコツアーは終えてから一週間後に四季の旅社が潰れたってことはありましたけど。
それはそれとして、早速、アシアナ航空で座席指定ができるか試しました。予約番号(航空会社分)とアシアナ会員番号の入力で、座席表のページにはいれました。で、便ごとの一覧表から選んで、窓際2列の窓際席を取り、次いで、もうひとり分を通路側にしようとしたが、そこは既に空席ではなくなっていました。仕方なくもうひとりは窓際の後ろの席としたのです。全便ともそうなってしまったが、仕方ないですよね。とにかくアシアナ会員登録は成功でした。まぁとにかく、準備は万端ですね。
HISさん、アシアナ航空さんありがとうって心から思いました。

さて計画の最後も近づきました。シルバーウイークの終わった9月25日にインドビザ申請書に行きました。地球の歩き方によると当日の5:30にはビザ発給とのことでしたが、実際には翌日でした。(去年か一昨年から変わったらしい)ついでに銀座のインド観光局によって各都市の地図も手に入れました。受付の女性に「旅行記で見ると、インドって大変ですね?」と言うと、「独りではちょっと?」って答えたので、「楽しみです」っとにたっと笑ったが、傲慢な男だと思われたかもです。
でまあ、とにかくビザも無事に発給されましたんで、残すは、JAIPURとJODHPURの宿の予約です。いろいろ調べたんで、何か、もう旅に行ってきたような気分です。

では、後は旅の後で投稿しますんで、お楽しみにです。

その前にちょっと報告です。
その後、調べると、東京発が僕の買った関空発より10,000円も安いのが出てきました。僕の想像ですが、
●アシアナ航空は、東京⇔仁川便の通常料金席を大量に確保していて、当時はインド往復を依頼すると、東京⇔仁川間の格安の予定数が売り切れた。秋になって、東京⇔仁川間の通常料金席が売れ残った。(韓国の秋はシーズン?)で、インド航路にも的を広げて、大幅に格安販売。ってストーリィではないでしょうか。この状況は、東京独自の状況かもしれません。
●で、この状況は、仁川、シンガポール、台北などを拠点とする東京便に共通の可能性があります。

従って、これからは、これに合わせ、超格安便取得に向けて、柔軟に行動することにしました。つまり、普段から準備しておいて、その地域が良い時期に、安いのが出ればぱっと買うって手法です。

さて本題に戻り、10月末になったので、ホテルのRE-CONFIRMATIONを始めました。で、DELHIから始めたのですが、DELHI以外は、1日か2日で、僕らの予約をRE-CONFIRMするって返信が来たのです。が、肝心要のDELHIのcottage yes pleaseは11月3日になっても返信が来ません。3日に再送信しても返信なく、cottage yes pleaseは予約はShigeta Travelを経由の予約になっているので、cottage yes pleaseにも直接メールを入れたのですが、返信がありません。そこで一旦は断ったcottage ganga inにメール入れると、即OKって返事が来た。で、shigeta travelにキャンセルメール入れると、即、「RE-CONFIRMできるが、他のホテルに予約されたのなら、それでも良い」って返信が来た。勿論、他のホテルに予約した、って返信しました。
ってことで、Shigeta travelって何を考えてるのか、良く判りません。多分、ツアーを頼まない宿泊客に魅力はないって考えてるのでしょう。それ以外に解釈はありますかね。誰か、別の解釈あれば教えてください。
そのような事情で、ホテルはぼろっちい方になりましたが、それもまた、楽しみです。

で、旅を終えてから再見直しすると、航空運賃79,510円、インド国内運賃5320円+AGRA~JAIPURバス代金500円=5820円、両替20,000円、ATM7,000RS=14,000円 総計119,330円でした。
お土産代金や、日本国内移動費は含んでません。
インドはATMだらけで、操作も安全性も良いから、今後はATMですね。空港の両替率が最悪でした。

2.本編
準備が良かったせいか、それとも、運がよかったせいか、殆ど問題なく旅を楽しみました。そう言えば、牛のウンチだらけの旅で、バックパックではなく小型サムソナイトをひきずって歩く僕たちは道路のふんを見極める癖が日本に戻ってもなおっていません。これ、運とウンチをかけてるんですけど・・・あっははは。

さて、インチョンで5時間のトランジットは、友人がインチョン空港大好きで、なんなく過ごせたのですが、DELHI向けの便が夜中の0:50発が、掲示板では2:30になっていました。で、通路真ん中のインフォメーションの姉さんに何故か?って聞いたのですが、どうやら日本人のおじさんが大嫌いな韓国人だったらしく、「別に遅れてないよ!」って怒鳴られちゃいました。で、ちゃんと表示板を指さして「遅れとるやろ!」って、通り掛かりの人が驚くほどの剣幕で言うと、黙ってしまいました。同行の友人が、「直接アシアナのカウンターに言う方がよろしい」って、助言したので、遅れる事が判っているのに確認してもなぁ、と面倒だと思いながらも、その助言に従ってアシアナのカウンターを探すと、出発階の上にありました。で、行って、「なぜ遅れるのか?」と聞くと、別のフライトとのコネクションです。リフレッシ券をどうぞって、無料券をくれたのです。これで食事が只なんですって。こんな時って、とにかく確認が必要なんですね。英語は喋れないけど、その有効な助言には友人に感謝です。
で、デリー空港では、荷物の出てくるのが遅く、外に出たのは朝の4時になってしまい、宿のピックアップの兄さんも4時間の遅れには、さすがに疲れていました。だってさ、空港で荷物扱ってたのは朝番の2人程度で、回転テーブルの裏手で倒れそうになりながら荷物を扱っていたんだよね。デリー空港さん、なんとか改善してね。
宿は、ヨーロッパの安宿レベルで、湯は24時間出ますし、ダブルのシングルユーズで一泊1,600円とは実に安いと感心でした。欠点は、毛布にシーツが掛かってないことで、これは安宿共通の傾向です。僕らの旅は自分用のシーツを持つのが基本かなと思いました。それと、JAIPURのARYA・NIWAS(ここは一泊1,600円だけど、別格でシーツ替は完璧で、バスタオル共に毎日取り換えでした)を除いては、タオルの交換は無かったです。
さて翌日15日(日曜)は、早速RED FORTに行こうと宿を出たのですが、メインバザールの通りはウンチと人であふれていまして、誰かれなく声を掛けてきて金をむしろうと企てているわけです。NEW-DELHI駅前の道路は、車とオートリキシャとリキシャであふれかえっていまして、その有様はエジプトカイロの数倍の混乱です。何とか、だまそうとする連中の無数の手を振り切って、駅の2階に行くと、そこは静かな別世界でした。2階には階段を上がった所から一方にはリタイヤリングルームで、他方には外人用切符売り場とRefreshcornerがあります。その辺りで暫く英気を養い、再び1階に下りて、駅を越える構内通路に行くと、これはしたり、通路はいよいよ人で溢れかえっていました。NEW-DELHIの日曜はかくもすさまじいことが判ったのです。
猛烈な人混みをかき分けて駅の裏手に出たが、声を掛けてくる連中の一人に、RED-FORTまでいくらか聞くと、100ドルだとか無茶苦茶の答えだ。やはり、旅行記の通りだ。ふん、なるほどっと思い、50ルピーって言うと、旅行記とは違って無視されました。結論から言うと、値段交渉は運転手と直接しなければいけないのです。さっと途中から入ってくるのは中間マージンをせびろうとする連中ってことで、一日に一人でも捕まえれば御の字って輩ですからね。
で、予想外の成行きに戸惑いながら歩いていると、運転手が声を掛けてきて、交渉の結果、80ルピーで交渉は成立したのですが、やはり高すぎたようで、以降、経験を重ねて、交通費はだんだんと安くなってゆきました。特に友人は、僕のように、10ルピー(20円)なんてどうでもいいやってえのは許せない性格で、車の代金交渉では頑張ってくれました。でも彼って、食い物には貪欲で、インドに慣れるに従って、あれこれと高いものを平気で食うようになり、その際には100ルピー(200円)なんて全く気にしないのです。その精神的格差は、僕には理解できなかったす。だが旅の後半になって判ったが、食い物に対する欲求は、結局は体力の強弱になるってことでした。つまり、人間は食わないと強力な体力、精神力は維持できないってことです。こんなとこ、人間って面白いですね。ところで体力ですが、僕の方は最初は便秘に悩み、途中で寝台車の隙間風で風邪をひき、便秘解消の便秘薬で、今度は下痢になるなど、更には歯痛が始まり夜中には鈍痛で目が覚め、濃い塩水でうがいしては、歯痛を麻痺させるなど、体力は低下の一方だったすが、友人は、その食欲の回復に従っていよいよ元気になったのです。つまり、食に対するどん欲さこそ人間の体力って彼は身をもって証明したってことです。(だっ、脱帽っす)それに、10ルピーのことなんですが、帰国してから地球の歩き方掲示板インドで調べると、インド人同士のチップは1~2RSさんですが、日本人が同様に支払うと不満な顔をして、より多くを要求するってことらしいです。そう言えば、乞食でも2RSやっても不満な顔をした奴がいたですね。くそっ! で、とにかく、10RSは、本来連中には大きな金額だけど、日本人からもらったら不満なジェスチャーをするのが慣習らしいです。で、再びインドに行く機会があったら、10RSどころか、1RSにこだわる男になろうと決心した私です。
ところで、旅の最後になって判ったのですが、NEW-DELHI駅には横断橋が2個あり、駅の裏手(東側)の二つの橋の中間辺りに、判りずらいようにと地下鉄の入口があるのです。そうして地下鉄はなぜかとても空いています。しかも、とってもきれいです。これを有効に利用すべきであったと、旅の終わりに気付いたのです。DELHI駅の地下鉄入口は、駅の南口から出てずっと左側です。いずれも、目立たない入口なんで注意しましょうね。地下鉄の有効利用は絶対にお薦めです。
さて、RED-FORTに着くと、な、なんと入場の列が100mも並んでいるではないですか!あかん!とインド観光最初の出鼻をくじかれ、絶望となりました。が、仕方なく、友人は列に並び、僕は切符を買いに行きました。で、切符売り場も長蛇の列です。こりゃだめだ、もう日本に帰ろう、って冗談で無く思った時に、警備員のおじさんが、お前はこっちで買え、って指さした方は、誰も並んでない窓口です。また詐欺か、と窓口の看板見ると「外国人」って書いてまして、さっきの窓口には6ルピーって書いてるのに、そこは250ルピーって書いてました。で、余りの金額差に驚いたのですが、もうヤケクソ、清水の舞台からって気持ちで切符を2枚買うと、警備員がお前は列の前に行って良いって言うのです。で、友人の所に行って、友人を連れて、長蛇の何倍もの列を横目にさっさと城の入口に向かいました。てなことで、金の力を強烈に認識しましたわ。つまりこの国では、外国人の入場料は国民の何十倍ですが、特権も与えられるってことです。究極の資本主義じゃないですか?さて、RED-FORTがいかに素晴らしいものかは、他の旅行記を見て戴くとして、文明って不思議なもので、城の各部の豪胆さ、それに、繊細さって、その文明が衰えると殆ど消え去ってしまうものなんですね。って、深遠なる文明論に目覚めたのちに、城を出てJAMA-MASJID寺院に向かいました。
日曜のせいか、道は、日本の夜店とか浅草の仲見世の密集状態をを2~3倍に増やし、そこに野良牛、それに忘れてならないのが野良犬で、牛も犬も全く緊張感なくぶらぶら歩いているか、道にぼてっと横になってるのですが、その牛や犬を人混みに放り込み、道は泥道のほうぼうに牛のふんを置いた状態と思えばいいです。古本、玩具、衣類、食料品と何でも売っている、この通りが、彼方の寺院の高い階段、そこはセポイの乱でインド反乱軍が死体の山を築いたって階段にまで続いています。その間、当然ですが、いろんな声が我々をだまくらかそうって掛けられるのですが、僕は、周囲を確認する時だけは、うつろな目を周囲に向けるだけなので、その放心的様子にぎくっとして、さすがのインド人も再び声を掛けるのをためらうのです。だが、まだ慣れない友人は、「NO」「NO」って優しく言うので、敵は図に乗ってコンタクトを続けるのです。でもまあ、いずれ友人も慣れるだろうと僕は思いました。
階段を上がって、門を入ろうとすると、靴を脱げといわれ、靴を脱ぐと、カメラ持ち込み料を200ルピー出せと言われた。何で、金がいるねん、と考えて、「もういい、入らない」と言うと、勝手にしろと無視された。で、門の辺りで地球の歩き方を読んでみると、確かに、入場無料で、カメラ持ち込み料は200ルピーと理不尽なことが書いてありました。あきらめて、金を払い中に入り、どうせならっと、寺内を見物すると同時にミナレットに登ったのですが、ミナレットの階段も、頂上の空間もせまく、その狭い所に、見物客次々と入れるものだから、内部は圧密状態で、ほうほうの態でと退避した。
寺院の中を歩いていると、必ずや、「無料で案内したげる」ってとてもうっとうしい連中が現れる。で、適度に見学して、この寺院から退散し、ホテルに戻った。翌日16日(月)は、コーンノートンまで歩き、更に、JANTA-MANTARに行き、ここからオートリキシャでPURANAQIRAへと行った。この辺りでオートリキシャをひらうと、こちらが何も言うまでもなく、60RSとか70RSとか、多分、現地人の2倍程度であろうか、こちらも納得できる金額が提示されて気持ち良かった。11時半に宿に戻り、シャワーを浴びて12時にチェックアウトです。後で判りましたが、この宿は基本12時チェックアウトですが、12時以前にチェックインした時は、24時間後にチェックアウトですから注意しましょう。
昼食後、周遊を終えてDELHIに戻る25日の宿泊を確認して、NEW-DELHI駅に向かいました。BANARASへ16:20発です。
詐欺の手先達が声を掛ける間を縫って、駅に入りましたが、日曜の混雑に較べては比較的混雑は少なく、時間は十分にあるので、2階に登りました。昨日と同様に、ここは全くの別世界です。RefreshRoomで休憩して、さてホームに行こうかと階段の方に進んで行くと、若い二人のカップル、それも絵から抜け出たように見事なバックパックスタイルでかつ容姿端麗な2人がお互いに向き合って話し合っていた。こちらは、古い小型サムソナイトと背中にはぼろなナップザックの中古スタイルであるからして、それでなくとも、世界を旅してると若い人は熟年、老年者を無視する傾向があるとの経験から、「こんにちは」って声を掛けて横を通り過ぎ、暫く行くと、当方の連れが2人と話をしてる様子であった。で、戻って様子を窺うと、「旅行会社がホテルをアレンジして、ニューデリー駅で聞けば誰でも知ってるホテルだって来たのだが、誰も知らないのです。日本にもホテルにも連絡したが連絡が取れないので、今日はあきらめて、別のホテルに泊まろうと思ってるのです」とのことであった。手には英文の地球の歩き方を持っている。ってことは、英語はかなりいける筈、と見た。それにしても、このNewDelhi駅周辺で誰でも知ってるホテルなんて説明で済ますとは、ええ加減な旅行社であるわい。で、我々の泊まったホテルと、RECONFIRMに応じなかったCottageYesPleaseの場所を丁寧に教えてあげた。が、そこまで行くまでに、いろんな邪魔が入ることまでは話すことを忘れてしまった。で、その後、ずっと気になったのだが、25日にDelhiに戻った時に確認すると我々のホテルには来ていなかった。さて、彼等はどうしたのだろう。ひょっとすると我々の教えたホテルが余りにレベル低いので高級ホテルに変えたのかもしれない。それであっても、とにかく無事であったなら良いのだが。
さて、階段を下りて行き掲示板で調べると、Banaras(公称Varanasi)行きは12番線で、その前の列車が、まだ表示板に表示されていた。ホームへの渡り通路を12番線に行くと、ホームには我々の列車の前の出発の列車と思われるのが待機しており、ホームの変わる可能性もあり、渡り通路上で待つことにした。(表紙写真、左側ホームのお尻の見えている列車)だが、先発列車の出発時間になってもホームの列車が発車する気配はない。心配になってホームに降りて行くと、な、なんと、その列車が我々の乗る列車であることが、列車側面の表示で判った。で、走ってコーチ番号A1(A/C2段寝台で2Aクラスの車両だが、座席表示上の列車番号はA1であるとEチケットには書いてある)を見つけ、扉横の名簿で我々の名前を確認して乗り込んだ。
2Aクラスの列車は全て寝台車で、昼間も寝台状態で運航する。寝台は片側は上下2段が4寝台分が1コンパートメントで通路とカーテンで仕切られ、片側は、通路に平行に2段の寝台が個別のカーテンで仕切られて並んでいる。僕らの席は、4人分コンパートメントの2段上下である。反対側には、下段にインド人のおっさん(歳は我々より下かもしれないが我々より老けて見えた。インド人は苦労が多く老け易いのだろう)が、普段服って言うか、白いワイシャツのブレザーで横に寝ておった。列車は直ぐに発車し、我々は買っておいたバナナとか非常食を食べたり、車内を偵察して時間を過ごし、その内、車掌が寝具を配りに来たので、直ぐに毛布にもぐり込んだ。僕は直ぐに眠り込んだが、友人は車内販売をあれこれ買ったりしながら、インド人のおっさんの様子を観察してたらしい。友人によるとおっさんの席は通路側の寝台で、何故か、こちらに出張っていて、車掌がそこは駄目だと一生懸命説得し、ついには警官まで説得に来たが、頑として席を移らなかったそうだ。夜中に、タージマハールがあることで有名なAGRA、つまり僕らも帰路に寄るAGRAに着いた。騒音で目覚めた僕が、向かいの上段に来たおっさんに聞くと、ノルウエーとか言っておったが、下段には金髪の美しい女房らしき女が居た。インド人のおっさんは追い出されてしまったようだ。夜中にトイレから帰ってくると、色の白い見知らぬおっさんが、我々のコンパートメントから荷物を持ち出そうとしていた。「何しとんねん」と腕を掴むと、「すまん、すまん、女房の荷物や」と言って、金髪の女を指さした。金髪の女が笑って見ているので、僕の誤解であったと判った。その上の寝台のおっさんは、金髪夫婦の友人だったのだ。で、再び眠り、列車が止まったので、降りて車掌に聞くと、BANARASより1時間半前の停車駅で、時間は既に、到着予定時間を1時間も過ぎている。で、友人に、後1時間半やなあ、と言うと、友人は再び眠りだした。何となく眠れないので、僕は着替えして荷物も整理していると、30分もしないで列車が停車した。で、降り掛ける人に聞くと、BANARASだと言う、驚き友人を叩き起し、ドタバタと列車を下りてBANARASに降り立った。それにしても、なぜ斯様に不思議なことが起こるのだろう。実は、この現象はDELHIに帰る時にも起ったのだ。それはともかく、我々は、あのガンジスの聖地、沐浴のBANARASまで、かくも簡単に来てしまったのだ。
17日(火)
駅を出ると、雨がばらついており(何でインドの乾期に雨が降るのじゃ!)駅前はどろどろである。その中をサムソナイトを引きずりながら価格交渉となった。で、どたばたの末に50ルピーで、ゴードリヤまで、となった。が、こいつはゴドリヤーのかなり手前で降ろしやがった。後で気づいたが、ゴードリヤcrossingと明確に言うべきだったのだ。僕のあやふやな言い方をよいことに、敵は僕らをゴードリヤの端で下したのだろう。で、牛のくそと汚物でこねまくった泥の中をうろついて目的のFrined's Guest Houseに着いた。階段を上がって上がって、とても上の部屋だったが、部屋が上ほど高い家賃なのだ。屋上の500RSの部屋とその下の400RSの部屋を予約したが、400RSの同一階の部屋が取れたのだ。ここではインド料理を食べられると楽しみにしていたが、食事は給さないとのことであった。建物内を上下にうろうろしてる間に日本人らしき人に会ったが、このKさんはインドを放浪中で当日と翌日に行動を共にして色々教えてもらった。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://blog.goo.ne.jp/bonvoyager
彼によると、ここ暫くインドこのあたりは天候不順だったらしい。彼と話をしながら、河岸のガートをうろつき、下流側へと焼き場を越えて行ける所まで行き、迷子の末、昼食を日本食のMEGカフエを見つけ、うまい日本食まがいの昼食を食べ、午後はサルーナートまでご一緒した。サルーナートでは巨大な仏塔、それに、まさかお目に掛かるとは思わなかったアショカ王の石柱まで見ることができた。歴史の本で読んだ事物を自分の目で見ることができるのが大いなる旅の楽しみなのだ。ところでアショカ王は、マウリヤ王国の王で、カリンガ王国制覇の悲惨な戦争を目のあたりにして戦争から平和へと方針転換し石柱に戦争の悲惨さを刻み各所に建てたのだ。街に戻り、夕食をまたMEGカフエーで食べた。
18日(水)
翌日はKさんも共にガンジー河の夜明けを船で楽しんだ。
船でぶらついているとガートの所々に巨大な円柱建物があり、何かと聞くと、それは巨大な汚水溜めで夜中に放水するとのことであった。それを聞いて、うかつにガンジスには浸かれないなあ、と思った。当然だが船でも焼場とか対岸も見物した。朝食は、Kさんが既に探しておいた現地人レストランで、ソモサとか言う揚げ物で終えた。Kさんは既にしてインド人並みで、やはり現地食に慣れることがインドを制する道なのであろうと思えた。Kさんとはここで別れ、我々は、ガンジスに沿って、上流側の寺院まで歩くことにした。帰りは、Bread of life Bakaryまで歩き、昼飯はスパゲッテ+オムレツで済まし、リキシャに乗ってゴードリヤーへと戻った。宿の支払いを終えて、リキシャで駅へと向かったが、リキシャのおっさんは土産物やへ連れ込もうとし、どなりつけて駅へと向かわせた。駅近傍は激しいラッシュ状態で、もうすぐ駅って時にバスに接触されて車輪が曲がってしまった。ここの交通法規は強いもの勝ちであるからして、リキシャのおっさんにはつらい損失であった。
結局、この旅でここだけだったのだが、駅の列車表示板は壊れていて、それも、ずっと壊れてますって雰囲気であった。どうしようかと言い合っていると、傲慢そうなおっさんが近寄ってきて、「困ったことあるかい?」と聞くので、ノーと答えた。もう今や、現地人のオファー、アドバイスには即座に拒否するって習慣が出来上がっている。で、駅内のインフォメーションに行くと先ほどのおっさんが(今後G氏とする)居て、「さっき、助けようと言ったろ?」と皮肉をあびせられた。すまん、すまんと、とにかく謝り、列車状況を聞くと、インフォメーション周囲の床からちょっと高くなった所に座っていた現地人を追い払い、僕等にそこに座れ、と言い、「俺に任せろ」って言ってあとはうろつきはじめた。地球の歩き方を読むと、インフォメーションカウンターにはウマシャカさんって親切な人が居るって書いてあるので、インフォメーションの別の人に尋ねると、ウマシャカさんはカウンターの中にに座ってる人だと言う。そこでG氏が向こうに行ってるのを確かめ、ウマシャカさんに列車はどうなっているの?って尋ねると、私は何も言えないってことだった。どうやら上司たるG氏が全てのインフォメーション作業を抑えているらしい。
友人が偵察した所、掲示板の代わりに手書きの紙が張ってあり、AGRA行きの我々の列車は5番ホームらしい。今度は僕が代わりに偵察して、駅長室とかTouristCounter等に行き、状況とホームを聞いたがやはり5番ホームってことだった。時間がどんどんと過ぎて、出発時間前になっても、G氏は何も指示しない。とても心配になり彼に聞くと、俺に任せろ!ってばかり言う。友人は厳しい顔で、ホームに行くぞ!って言いだし、僕がG氏にそれを伝えると、勝手にしろ!俺は知らん!と、のたまわった。
で、渡り通路を経てホームに降りたが車両位置は全く判らない。で、僕が偵察にと駅員室に向かったが、その途上、インド人ガイドに連れられた日本人2,3人に出会った。ここの車両クラスは何かって聞くと2Aだと言う。これは良かったと、友人を連れてきて一緒に並んだ。彼等は、カルカッタでマザーテレサのボランチィアをして、ついでにインドを旅しているとのことだった。が、その話は一人の若い女性ばかりがしてくれて、若い男性二人は僕等のことは全く眼中に無く、別のグループの欧米人の若者達とばかり話していた。
列車を待っていると、一行が突然移動を始めた。ホームが変わったとのことだが、我々はこの一行と出会うことでこの場を凌ぐことができた。この危機以後、AGRA、JAIIPUR、JODHPURで列車に乗ったが、各駅とも掲示板が完備で、しかも、車両配列も表示されているので、全く混乱なく車両に乗れたのだ。Banaras駅には気をつけよう。
僕らの席は車両端の上下段ベッドであった。4席に2人だけで、先ほどのグループの、我々の助けとなったインド人ガイドがやってきて世間話を始めた。どうやら彼がガイドする日本人は若く、それに旅が一緒になった欧米人とばかり話をするので、年寄りの我々と話をしたくて来たらしい。ところが、話を始めて直ぐに彼の話はエロ話になり、それが延々と続くのだ。しかも日本女性はイエローキャブだとかまで言い出し、話がいよいよ具体的になっていった。どうやらインド人ってかなり性的に抑圧されていると思えた。彼がちょっと用事で向こうに行ってる間に僕等は上段に登り眠る態勢に入った。で、彼はエロ話を続けることが出来ずに自分の席に戻って行った。
ゆっくり眠れるかと思ったが、車両端には換気扇があり、ここから冷風が吹き込み、トイレに行く乗客の扉の開閉で眠りを妨げられ、その内に喉が異常に痛くなってきた。この風邪ひきは、熱は無いものの、喉の痛みと肺系統への痰のたまりを起こし、それからはずっとマスクをして行動し、結局日本に戻ってから2週間経って漸く治ったのだ。この話は、車両端の席を予約しない方が良いって教訓です。
19日(木)
AGRAにはやはり1時間ほど遅れて着いた。つまり、インド列車は遅延がごく普通だとして旅の計画は立てねばならない。さて、駅のインフォメーションに行き、TOURが有れば申し込もうとしたが、今日と明日はTOURは無いとのことだった。明日は金曜でタージマハールは休みだからTOURは無いのは判るのだが、なぜ木曜の今日かの説明はなかった。宿に着いてから教えられたのだが、当日はAGRAの観光地は入場料無料だったが、このことと関係あるのかもしれない。いずれにしても、見どころは、近場のタージマハールやAGRA城だけではないのだが、TOURに頼らず自分たちだけで回らねばならない。
とにかく宿まで行こうと駅の外に出て、交渉するが50RSでOKする奴がいない。横から調子の良い兄ちゃんが、50RSでいいよって言い、我々を先導していった。が、なんとオートリキシャでは無くて、珍しくも普通車で、それも、ままあの車だった。本当に50でいいのかと確認してもOKと言う。で乗ったのだが、結局は恩を売る手段であった。連中って、僕等が考える以上に賢いのだ。我々には常識外の、いろんな方法で頑張るってことです。
僕等のホテルはAGRA城の裏手のOLDCITYであった。そこまで相当の距離があり、その間に、今日明日の予定を聞かれ、結局明日のTOURを1300RSでOKしてしまった。TourはAGRAの街の北西に9kmにあるスイカンドラ(アクバルの墓所)と南西に37kmもの所のファーチィブルスイークリーで、Tourが無いならオートリキシャで回るには大変だと思っていた所だ。で、話は飛ぶが、Tour当日は、周遊の途中の昼食に、高いレストランに連れ込まれ、昼食に400RS/1人で運ちゃんの分も持つことになったのだが、でもまあ、1人当たり昼飯込みで2600円で、かなりのTourが出来たことになる。他国での経験だと、、車代だけで100ドルは最低掛かるところだろう。
話を当日に戻して、宿は一泊400RSであったが、十分な広さとまあまあの清潔さであった。食事もまあまあで、しかもAGRA城へはスープの冷めない距離である。ここはお薦めのホテルであったろう。
で、ホテルに頼んで自転車を借りた。出発の時にフロントが「あなた方は運が良い。今日はAGRAの見所は無料って、新聞に書いてある」とサンスクリットで書いてあり僕には読めないインドの新聞を見せてくれた。
自転車はサドルが高くて、しかも、高さが調整出来ない。自転車には自信のある僕だが、停まる時に横に倒れながら足が着くまで待つって方法は怖かった。が、自転車の旅は順調で、河に沿って真っ直ぐに行くとタージマハールらしき所に着いた。で、タージマハールはどこか?って聞くと「この先だが、自転車は入れない」ってきた。でもまあ、インド人のウソには慣れているので、警官に止められるまで行こうと、その後も続く、うっとうしい助言は無視してどんどん進むと入場門の所まで行けた。やはり、その間誰も自転車を止めることは無かった。
土産物屋の駐車場の横手に、自転車を鎖でつないで入場門へと行った。フロントの言ったように、入場料は無料であった。が、僕の荷物に。電卓とノート、それに果物用ナイフ、自分用のナイフとフォークまで入っていて警備員に制止された。地球の歩き方に、このあたりの注意がちゃんと書いてあったのに、頭が完全に呆けているのだ。警備員が外の預け所に持ってけ、と言ったが、預け所はかなり遠そうであった。そこで、自転車を置いた土産物やで、50RS(自転車預かりは別に10RS)で預けて、なんとか入場できた。
でまあとにかく、自由旅行の長所を多いに発揮して、タージマハール、それに午後はAGRA城をじっくりと楽しんだ。
20日(金)
先述のように、タクシで午前中はファーテーブルスイークリ、午後はスイカンドラーをじっくりと楽しんだ。高い昼食をおごってやったのに、運転手は土産物やに連れ込もうとした。だがこれを断るとあっさりと宿に連れ帰ってくれた。別れ際に、チップは無いのか?と言うので無いって答えると、これもあっさりとあきらめた。高価な昼食の威力であろうか、と考えた。
宿のオーナーは、後で双子と判ったが、しかも、別々にフロントに立つので、初日は全く彼等が双子とは気付かず、双子の片割れに話したことが、他方に通じておらず混乱極まりない状態になった。が、とにかく、溜まりに溜まったランドリーとかも片付け、JAIPURの宿のRE-CONFIRM(JAIPURの宿は条件が厳しく、前日でのRE-CONFIRMが要求されていた。何度も書くが、その宿ARYA-NIWASは800RSにしては素晴らしい宿だった)も、無料のNETでCONFIREMのE-MAIL送ったが返事が無く、フロントで電話を借りて(これも無料だった)再度確認すると、既にRE-CONFIRM出来てますだってさ。
夜から朝までのフロントには、双子のオーナーではなく、雇われのMANEGERが立つが、このおっさんもかなりしっかりしていて、21日のJAIPUR行きのバスの切符購入を頼んでおいたら、ちゃんと購入してくれた。だが、200RSx2人の切符代金に対して、切符手配の足代50RSの往復、つまり100RSを手数料として取られたが、まあ、これは妥当なとこかと思える。彼等はまだしも自分で行く時の費用もその程度掛かるし、それと時間ロスもあるから、そのあたりとの兼ね合いですよね。
で、足代だけでは悪いかな、と、余計なことかもしれないが、1ドルお礼にあげて「is it usefull for you?」って聞いたら「usefull」って喜んでいた。
21日(土)
そのおっちゃんに頼んで、50RSで、バスの出発するバススタンドのさくらホテルまでのオートリキシャを捕まえてもらった。おっちゃんはさっさっと捕まえて値段交渉もしてくれた。1ドルの効果って抜群です。で、難無く、さくらホテルまで行けた。さくらホテルで昼食用サンドイッチを買ったら、小さなサンドイッチが50RSもした。が、JAIPURまでのバス旅行の途中で20分程度の昼食タイムがあるので不要であったかもです。昼食は、今回の旅行で初めてのマサーラドーサを頼んだが、これは注文してから時間が掛かるので、別の安いのにすべきだった。(この国では高い食べ物は注文してから出来るまで時間が掛かるのだ。でも、55RSのマサーラドーサって高いの?)しかも、マサーラドーサって、少なくとも衣が僕の頭ほどの大きさで、かなり大きくて、バスの時間が迫る中で必死になって食べたのだ。
さて、話は戻って、バスの発車は9:30だが、さくらホテルに着くと、まだ早くて8:30のバスの出発前であった。で、ホテルさくらの部屋をみせてもらったり、周辺を歩いたりと、時間潰しをしていた。が、バスが出た後で考えると、時間を変更して8:30のバスにすれば良かったのだ。8:30のも9:30のも、バスはガラ空きであったのだ。だが、ホテルさくらも、僕等の泊まったのと同レベルであるが、ホテルの場所が町中で、しかも、見所からは離れているし、自転車観光の基地としてもどうだろうか、なんてことが、時間潰しの結果判ったのだ。
バスはこの国の混乱する道路の中へと、時間通り9:30に発車した。が、車は昨日のファーティプルスイークリーへの道をそのまま進んでいった。で、当然のことながら、同所を横に見て更にと進んでいった。国道の道って余り変化はなく、それに、咽風邪がひどくなって余り周囲状況を把握できないままの旅となった。でもまあ、やはり、途中でパンクするなんてハプニングはどうしても起るんです。この国ではね。
で、JAIPURに3時には着く筈が、4時は過ぎてましたなぁ。
JAIPURの中央バススタンドもまた混乱の巷で、客引きの集中攻撃の中で、しかも訳わからん地球の旅の地図を元に、牛のくそだらけのガタガタ道を宿を探して放浪した。こんな時にはサムソナイトは不適切ですね。でも背中に背負うのも疲れるでしょうしね。
で、なんとか宿を探してチェックインしたけど、AryaNiwasって宿はフロントの質からして良かったですね。でも、2 singleって頼んでいたのに、ダブルで広い部屋になります。なんて言うのです。そりゃ困るって言うと、ダブルは広くていいですよっとか何とか言うけど、やはり駄目だって断ると、暫く考えて、では 2singleにできますが、明日は部屋を代わる必要がありますって言う。それは困る、じゃあダブルで良いが、宿泊費はどうなる?って聞くと、singleで同じでいいです、ってさ。なんだ、と思いほっとしたが、友人はこの話し合いの経過を聞き取れてないので、僕は話の経過を黙ったまま、ダブルと思われる部屋のキーを先にもらったのです。ずるいなぁ。でも、結局は、二人ともダブルの部屋だったんですけどね。
さて急いで明日のTourを手配しなきゃ、とホテルのフロントで尋ねると、Tour料金は200RSで、ホテルチャージが更に900RSだってことです。それは呆らしい、と宿を出た。JAIPURの見所は散らばっていて、しかも明日1日しかないので、どうしてもTourに加わらねばならないのだ。で、MirzaIsmail通りのTouristHotelに行ったが、なぜか、TouristHotelは無くなっていた。さらにMirzaIsmailに沿って北上してGangaurHotelでRTDC(政府観光局)を見つけた。僕らのリクエストは、簡単に受付けられ、入場料、昼食は別で200RS/1人って安さで、ホテルで言っていた通りの金額であった。
ホテルに帰る途中、友人の希望で、ホテル手前の宝石屋に入った。友人はバスで知り合ったインド人ガイドから、JAIPURの特産品だと教えられ、スターサファイアを買いたいと言い出したのだ。だが、その宝石店は極めて良心的で、安ものしか置いてないって、それを自己申告したので友人は購入をあきらめた。が僕は、店主が見せた500RS(1000円)って言う石の、妖しい十字の輝きが余りにも気に入って、言い値で一個買ってしまった。その十字の輝きって、石の表面の、その更に上に、ぼうっと出来るのだが、友人には見えないらしい。(翌日、太陽の光で出来る鋭い十字は友人には見えたけどね)で、帰ってから調べたが、石は宝石ではなく、半貴石のブラックスターって石らしい。てなわけで、僕は、エジプト旅行で手に入れたエジプトの星って鉱石と、ここで手に入れたブラックスターって素晴らしいのを持ってるわけだ。
さてホテルに帰ったが、AryaNiwasってホテルは、部屋は清潔で、トイレとシャワーの間に床の仕切りとビニールカーテンまであり、シーツとタオルは毎日交換で、レストランは清潔で食い物がうまいって、それじゃ悪いとこが全く無いじゃないですか!ってとこです。ただ、ここでTOURを頼むと、TOUR料金200RSにホテルチャージが900RSかかるってことだけが欠点かな。
22日(日)
GangaurHotelで待ってると、中型のバス(昨日のデラックスバスよりはましなの)が来て、席は全て指定席であった。その一番前の席に日本人のK嬢が居て声を掛けたが、その後はK嬢と行動を共にすることになった。バスはJAIPURの見所を順次回り、愉快なインド人ガイドに導かれてなかなか愉快な旅であった。が、やはりインドのこと、土産物店2軒で充分な時間を取った。で、友人はスカーフをいっぱい買い、僕は、像の彫り物を一個250RSで2個買った。これも、なかなか気に入っている。話は先になるが、土産物は、後、Jodhpurの砦の土産物店でカップのコースター250RSx4個(これは手塗りだけど、高すぎじゃないか?)デリーのCentralCottageIndustriesEmporiumで、GaramMasaraの小パック数個、紅茶パック3個、だけど、コースター以外は今でも満足ですわい。
どこに行ったか、何が良かったかは、他の旅行記参照です。ただ、地球の歩き方に加えて説明すると、JAIPURの城壁で囲まれた街の上に位置するのがナルガール要塞です、が、ここへの道は、バスで行くのは、町の東端から半時計方向に、水の宮殿を経て、更に、ずっと遠回りして登って行きます。その途中でアンベール城への道が向こうへ(更に北側へ)と分岐してあり、更に登って行くと、アンベール城の上にあるジャイガル要塞への道も同じく向こうへと分岐してます。その周辺には万里の長城のような城壁が峰をつないで続いています。ですから、ナルガール要塞もジャイガル要塞も観光バスで行けます。ただアンベール城への道は、城の直下辺りで細い道になるので、歩いて上がるか、ジープで上がるかでして、ガイドがジープを呼び集めて1人25RSを徴収しました。
23日(月)
JODHPURへの列車は11:50発で17:30JODHPUR着です。JAIPUR駅は今までで最も設備が整っていて、待ち合いのきれいな椅子もいっぱいにありました。掲示板は完備してるし何の心配もない駅でした。ときどき足の無い乞食とか、子供連れのばあさん乞食が来ますが、ここでは、他の街では不満そうな顔をされる金額の1RSとか2RSの小銭を上げると、とても喜んでくれました。列車は殆ど遅れなく到着し、2Aクラスの列車で、2段寝台のままの状態で行くのですが、インド人は殆ど寝台で寝転んで行くようですが、我々も欧州人もどうしても1段目に座る傾向があります。僕の前には30歳程度のインド人が、僕たちの目の前で横になり、携帯電話をしまくってました。友人はあきれて上段に登って眠ろうとしましたが、列車の音響に負けじと大声での携帯には眠れる筈もありません。結局おっさんは、目的地に着くまで5時間以上を数台の携帯で全く間断なく電話してました。腹の立った僕は、上段の友人と大声で話し始めたのですが、その音響に負けまいとインド人は更に大声で汗を流しながら電話してました。喋りで体が熱くなったのか扇風機のスイッチを入れたのですが、すかさず、僕がそのスイッチを切ったので、扇風機だけはあきらめたようです。目的地近くで車掌が毛布、シーツを回収にきたのですが、おっさんは毛布を回収されまいとしっかりと掴んだまま電話を続けてました。が列車が駅に滑り込む時点で、車掌が無理やり毛布を引きはがしてしまいました。
思えば、最初の列車では、自分の席ではない寝台に執着する爺さん、次は、エロ話をし続けるガイド、ここでは数台の電話を間断なく続けるおっさんと、インド人ってかなり変なのと違いますか?それとも、それがインドでは世界標準なんやろか。
さて列車では初めての昼間旅行であったが、インドではトイレは昭和50年代までの日本と同様に、小便、ウンチ共に線路への垂れ流しで、うんちスタイルもまた、懐かしい足の痺れを伴う、かがみスタイルで、きばることなく力の入るスタイルは、便秘気味の僕には快適でした。列車の扉はと言えば30年代までと同様に開閉自由です。全てが懐かしいですね。それに、扉を開けてデッキに座り、眼前を流れ去る、営々と耕され続けた、悠久の大地、その姿も日本とは異なり、畑の中には、まばらではあるものの、かなりの数の木が植えられ、その木々は肥料としてか、焚き木としてか、枝葉を丸刈りにされた瘤だらけの枝ぶりで、それらが水平線まで、延々と続く風景が目の前を奔って行きます。ところどころで、岩塩を細かく砕く施設などもあって異国情緒満点でした。
JODHPUR駅に着いて、もうインドの駅には慣れてますので、駅そばのホテルへと急行したのですが、ホテルからの迎のことを全く忘れていました。ホテル近くで、なんと、K嬢と出会いまして、彼女も同じホテルに泊まることになりました。
ここの屋上は「hill view restrant」って名ですが、丘の要塞は半分しかみえません。ここで友人は、蒸気の吹き出る大きなBigStakeを注文して、おいしそうに食べていました。インドでステーキ食べるとばちが当たるんじゃないか?でもまあ、野良牛撲滅の一翼を担ったとも言えるでしょう。
24日(火)
K嬢はホテル近くのインフォメーションで列車の切符を買うとかで、別行動となり、我々は早速街後方の砦にと向かいました。
この砦はなかなかの物で、午前中いっぱいを見学しました。ここはお薦めの見所でした。(説明省略ですけど)
ホテルに帰り、食事を終えて、荷物をまとめてフロントに預けてから、街の見学です。
で、細い小道を通り時計台へと進んでゆきました。途中で荷馬車が通りがかり、後ろに乗っていたずるそうな青年が、写真を撮れ写真を撮れ、と言うのですが、これを無視しました。で、暫く行くと、同じ青年が近寄ってきてすれ違ったのですが、腰のあたりが急に軽くなり、あれっと思ったらカメラが無くなっていました。
僕のカメラはもう十年以上前のディジタルで、消費電力が多く、液晶は消してファインダーで写すようにしていますが、ファインダー内部に異常があり、恥ずかしくて他の人には写させないようにしています。エジプト人にも馬鹿にされるほどの古さとなっていました。でも、けちな僕は、情も移ったこともあり、まだ写るカメラを捨てるには忍びなく使っていたのですが、近回、そのカメラは幸いにもインド人の手に渡り、しかも、修繕が巧みなインド人ですから、今後も一生懸命に働く機会を得ることができたのです。よかったです。
それにメモリー容量は175枚程度で、砦の下で取り換えたばかりで余り損害も無かったですし。
さて、時計台の近くで道を間違って、我々はHillViewGesthouseの下に行ってしまいました。と、有名なZafran嬢が我々を見つけベランダに上がってこいって言い、そこで1時間ほども馬鹿話をして、さらに友人は地球の歩き方に、同ホテルの推薦状を書かされてしまいました。今度行く時はここに泊まりますね。
で、時計台と、時計台からのすご~い通りを経てホテルに帰ったのです。どう凄いかは想像するか、行って見てください。(でも、それでは余りに薄情やから、友人の写したの掲載するかな、とも思ったのですが、あのすさまじい混雑を移す画面はなかったのです)
JODHPUR発の列車は定刻で発車し、全てが好調な一日でした。ただ、僕等の席は、隙間風の心配な車両端の2段で、僕は喉が痛いので下段とし、友人は上段でしたが、神聖なるインドの牛をむしゃくしゃ食った友人は体力充満で風邪なんてどこ吹く風だったです。
ところで、僕はあのカメラが、今もインドで活躍してくれるのを心から願い、あのカメラを使うインド人にもエールを送りたいと思います。
25日(水)
DEC cantに遅れて6:30に着いて、あと30分あると友人に言ったが、10分程度でDelhi駅に着いてしまった。僕はもう準備してたので問題は無かったが、友人は寝間着状態で降りることになりました。インドの時刻表ってどうしてこうなってるのだろう。
Delhi駅の南口はどこに出るのか判らないような変な駅で、出口が小さくて判らないのだ。で、何とか出口を聞きだして、外に出て、今度は地下鉄を探したが、これも判りずらい。結局駅を出てず~っと左の方に行くと、ぽっこりとトーチカのような地下鉄入口の建物があるのだ。だが、地下鉄そのものは、NewDelhiまで9RSと、とても安くしかも清潔で空いていて素晴らしい乗り物ってことが判った。で、NewDelhiまで着けば、混乱もなんのその、自分の家に帰ったようなものだ。
ホテルに戻り、朝食を近くのSam'sCaffeの豪華なAmericanBreakfast(実際にとてもおいしくボリュームもある)を取り、NewDelhi駅向こうの、カムラマーケットバス駅に向かった。再び混乱の巷である。505番のバスで、クトウブミナルを往復した。
ここもとても素晴らしいものだった。何か学会の先生らしき日本人が何人か来ていたが何者だったのか?
いずれにしても、これで、インドの交通機関は全て制覇したことも注記すべきだろう。最後のバスが最も、混んでいて面白かったです。
26日(木)
12時チェックアウトと思っていたら、12時より以前にチェックインした時は24時間でチェックアウトらしい。そこで、荷物をフロントに預けて土産を買うべく、コーンノートンの向こうにあるCentralCottageIndustriesEmporiumに行った。なかなか品数も多く、感じの良い店で、望ましい土産を買うことができた。帰る途中で、Amberって高級インド料理店に入ったが、2人で585RSで、勘定書渡すときに、サービス料は入ってないですって講釈垂れられた。で、チップをどの程度にするかと迷ったが、620RS払ったら喜んでもらえました。
宿に帰り、出発しようとすると、待ったが掛かり、部屋の小さなテーブルの、上面のガラスが割れてるってクレームが入った。白を切り通したが、突っ込み式加熱機で湯沸かしする時に、濡れタオルを鍋の下に敷いていたのだが、ガラスは100度でも割れるのかも、と気づいた。が、そのことは内緒で押し通した。
NewDelhi駅とは反対側の、CottageYesPleaseの近くで400RSで空港までのTaxiを拾った。が、空港道路途上で、しかも高速側でエンストとなり、運ちゃんがTaxを拾って、Taxiに150払ってくれってことで乗り換えです。先の運ちゃんには400Rsとの差の250です。高速で走る車の中での乗り換えで大変でした。で、空港に着いて、TAXIに150RSのところを200RSやったけど、先の運ちゃんに250RS払ったの見てるから不満顔でした。チップも入れて不満顔って嫌なもんですわ。
空港のチェックインカウンターに行こうとしたら、あんたらは出発時間まで6時間あるから入れない、待ち合いが道路向こうにあると制止されてしまった。あれこれ聞き回って調べたところ、チェックインは3時間前にならないと駄目で、待合室は6時間前から利用できて、それ以上はレストランで待機ってことでした。で、待合室に行こうとしたら50RS必要だって言われたので、けちな僕らはこれを拒否し、移動して、別の待合入口前の無料椅子で待つことにした。で、そこで、空港の中をあれこれと偵察したが疲れてしまった。しゃあない待合に入ろうか、と、その入口で金を払おうとしたが、航空券見せろって言われ、見せると、6時間前にはなっているので無料です、と言われた。先の入口の兄ちゃんは何をしたかったのだろう。
そこの椅子に座る若者二人を見かけて話をしたが、建築関係の学会があってインド旅行もついでにしたって言ってました。で、クトウブミナルで見かけた先生達のことも理解できましたね。旅行費の話が出て、僕等は航空券が8万円で14日で合計12万円掛かったって言うと、多いに驚いていたが、いったい彼等はどれだけ掛かったのだろうか?聞くのを忘れた。で、直ぐに彼等は出発3時間前になりチェックインへと向かった。ついで我々はレストランに食事に行ったが、ここで世界一周旅行券で旅する二人の若い女性と出会い、インドでの馬鹿な経験を話し合った。
てなことで、Delhi空港に至り漸く日本人に次々と出会うことになりましたわい。

疲れたし、それに、年末で掃除とか、年賀状作るので忙しいから、旅行記はこれで一応の終了とします。
旅の間に気づいたことを、思いだすたびに注記します。
①ランドリー費用はとても安く、下着上下3替、靴下3替、ハンカチ3替、長そでシャツ1着、パンツ1着で、80RS程度でした。
②通貨交換率は、空港が10,000円=4,600RS、DELHIホテル傍で、最初は4,900RS、その後、5,000RSでした。ATMでの現金購入額は7,000RSで、2ヶ月後の支払請求13,738円(約50日分金利共)で、10,000円で5,095RSでしたから、結局、ATMが最も有利だったです。

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