しょぼくれたおっさんの、
悲しくも哀れで、しかも、愉快なマダガスカル個人旅行(その不安な計画と実行)
旅の経過だけ見たい人は、序章を飛ばして3から読んで下さい。
1、何故、マダガスカルか 若しくは、何故マダカスカルへ?の序章
僕は元々、地球の果、土田舎のマダガスカルなんぞに行くよりは、イタリヤやスイスに行く方が好みである(我ながらかっこええなあ)。なぜなら、それこそ大変な決心と苦労の末に、その周辺には何度か個人旅行をして、土地感、交通網とか、どう身を守るかとか、特に食事は、どんな物をどのように注文して食えば良いのかとか、生きて行く上での、もろもろの事柄を習得して、異国のあれこれへの恐れも漸く克服し、かなり気楽に旅行できる状態になっているからだ。
だが女房殿は、亭主のこんな苦労と、その結果得られた、かくも貴重な安心感を無視して、ただ一言、「同じ所に行くのは面白くない」、と、のたまわった。ひっ、ひどいなあ。
そうして、悲しくも僕はそんな主張に唯々諾々と従う性格の弱いタイプで、女房殿の主張するペルーとか、ガラパゴスとか、個人旅行するにはかなり恐ろしげな国々の中から、まだ最も安全そうに思えるマダガスカルを選択することとなってしまったのだ。
つまり、僕には、特にマダガスカルにこだわる理由はないが、やむを得ずマダガスカルを選んだに過ぎないのが実情なのだ。ようするに悲しい性の為せる業と言えるだろう。
● 素晴らしいおっさん、島泰三の本との出会い
たとえ望まぬ場所であっても、行くと決めた以上は、目的地の事を可能な限りは調べるってことが僕の身上で、早速、マダガスカルのことを調べ始めた。調べる対象は、先ずは「地球の歩き方」で、後、「地元の図書館」とか「鉄鋼会館の旅の図書館」と、「インターネットの旅行記」を調べることになる。なお、その間女房殿はマダガスカルのことを全く調べる気もなかった。まあ、それはそれとして、最初にヒットしたのが、島泰三さんの、「どくとるアイアイと謎の島マダガスカル」って分厚い上下2冊の本で、これは地元の図書館にあった。で、多分、誰が読んでも判るのだが、内容文章共に素晴らしい本で、特に、その冒険の凄さに捉われてしまったのだ。
てなことで、マダガスカルに行く気にはなったのだが、出来れば、飛行機で移動するような安易な旅でなく、乗り合いバスで行くような、そんな冒険旅行に仕立てたかった。がしかし、女房連れ、それもすこぶる口うるさい女房殿と一緒の、その旅の結果を考えれば余りに恐ろしくてそれもならず、先ずは偵察を兼ねてと、安易な旅行法の個人旅行に落ち着いてしまった。
でもって、僕のマダガスカル旅行記が始まるのだが、このままずるずると文をつづっても、いつになれば終わるかの目途が立たない。であるからして、以後は他の人々の個人旅行の参考になる範囲の事柄を、出来るだけ簡単に記述することにしたのだ。
2.個人旅行計画のポイントに関する序章
ここんとこは、真面目に書いておきます。
2-1 航空便の予約を行うことで、腹を決める。
個人旅行計画を進めるにあたって、いろんな問題があるが、まあ大多数の人に取っては、その旅行計画途上での不安さをどう解消するかにあるだろう。これを解決する最も手っ取り早い方法は航空券を確保してしまうことだ。安売り航空券を確保してしまえば、腹が据わって、少々は気持ちが楽になるのだ。つまり、自分を追い詰めてしまうってことですね。別名、背水の陣とも言います。とは言え、むやみやたらに買うのはまずい。ざっと手順を書くと次のようになる。
① 先ずは目的地国内での移動、旅行計画を作る。なお、入国と出国の航空便が決まれば、それに合わせて日程の修正が必要になる。なぜなら、航空便が毎日ある空路はまれだから、便に合わせて計画を修正せざるを得ないからだ。
② 目的地国内で、移動が有る場合は、入国後、先ず一番遠くに行き、そこから入国空港に戻ってくるルートが望ましい。なぜそうなのかは、自分で考えろ。
だが、いろんな理由でそうできない場合もあるのだ。
③ 目的とする国のどこの空港に行くかを決める。多くの便が有る空港への便が最も安いのは当然だろう。
④ 旅行検索の旅行案内で、安売り航空券を調べる、通常は6ヶ月先頃の便を売出している。
売出しの前に、つまり、7ヶ月より前に旅行計画をするのが望ましく、売出しが始まったら、さっと買えば良い。う~ん、ちょっと遅れてもっと良いのが出ることもあるので、ここん所が難しい。
出発日直前に値下げする事もあるから、普段から計画しておいて、値下げの時に買う手もあるが、その場合にはホテルは出たとこ勝負で、現地で探すことになる。スイス等の人気観光地では、直前のホテル予約は困難となる。イタリヤやスイスなら、僕はこの手で安く旅行できるのだけどね。(どうじゃ!かっこうええやろ?)でも、今回の結果からすると、ホテルの予約をせずに出掛ける方が良いのかもしれない。
⑤ 国内航空会社のエコノミーの座席は、何故か狭いようだから、避ける方が良さそうだ。これは何度か経験したが、長い飛行では実は非常に重要なことなのだ。
これって、営業妨害やろか?勘弁してな。
⑥ 航空券発売代理店の信頼性だが、普段から旅行検索の旅行ページを見ておき、見慣れた航空券発売代理店を選ぶと安心だし、また、代理店が、その航空券発売以外に、どんな活動をしているかも調べれば、もっと安心できる。
⑦ 目的地がヨーロッパの場合は、南回りが遥かに安く、また、朝、目的地に着くメリットがあるが、長時間の搭乗と長時間のトランジットに耐えねばならない。が、BANGKOKでトランジットホテルまたは休憩所を利用する方法もある。
⑧ 航空会社によっては、毎日の運行でない場合があるから、旅行検索で航空会社が判れば、航空会社のHPで往路、復路の曜日を確認して、これに合わせて旅行計画を修正し、その後、代理店に見積もり依頼をすれば良い。
⑨ 従来、安売り航空券の場合は、出発2時間前にチケットを入手し、其の時に席も決まるのだ
が、最近は代金支払いと同時に、発券される方式が増えてきた。席の予約はできないと、代理店が座席指定を断った場合には、そっと航空会社と直接連絡を取り、発券代理店を通しての席指定を可能としてもらえることもある。その回答を得て再び代理店と連絡すれば良い。貧乏個人旅行の不安を少しでも少なく出来るのだから、是非トライすることだ。
なお、今回の代理店でのマダガスカル安売りチケットは、これも含めてうまく出来た。なお、座席の配置については、各航空会社のホームページに機材詳細として記載されているので、どの席が望ましいのかも調べることが出来る。こんな細かい情報も、今では簡単に入手できるようになっているのだ。
だがなあ、うまいことが続くわけもない。入金も終わり、裏で手を回して座席指定も出来てから、帰国便のタイ航空が夏時間が終わったかして一時間早くなり、接続がまずくなって一晩をバンコックで過ごすことになったとの連絡があった。避難民じゃないんやからなんとかせい、と要求したら、空港には宿は無い、だからバンコック市内での宿泊を何とかするとの答えではあったが、わざとかどうか、なかなか回答もなく、もうええわ、バンコック空港は24時間空港やから何とかなるやろ、と自分から断ったが、インターネットで調べると空港内にトランジット用ホテルがあることが判った。ふん、口からでまかせか、とも思ったが、でもまあ、利益の少ない安売り個人チケットなら、こんなこともありますわなあ。でも、いくら安売りの個人客では利益が少ないからって、航空会社も代理店も、おもてなしの心がありませんな。NHKの朝ドラで勉強して欲しかったですねえ。
⑩ チケットを買う時には、ゆっくりと落ち着いて業者を決めましょうね。どんな場合も焦らないことが重要です。チケットが売り切れたら来年を待てばいいのだからね。
ゆっくりと2,3社の金額と条件を確認してから購入しましょうね。でも、こう言いながらも、今回は僕は一社しかコンタクトしなかった。我ながら言うこととやることが全く違いますがな。わっはははは。
で、マダガスカル往復とマダガスカル国内4回(実質3回)の国内便で合計24万円とは、かなり高価な航空代金になりました。女房と二人で48万円ですがな。トホホ、航空運賃だけでイタリヤ20日間の個人旅行が出来ますがな。KLMでの北回りでどうなるかも調べるべきやったかなあ。皆さんは是非工夫してね。
2-2 宿の調査と、予約に関する序章
① マダガスカルにもなると、欧米圏とは違って、宿のインターネット検索は、殆どあてにならない。やはり地球の歩き方を基本にして調べるべきでしょう。でも、それも100%は信用できない。メールアドレスも違っていることがあるから、その場合はインターネットで調べることが必要です。
② 僕の失敗からすると、マダガスカルでは、欧米とは違って、宿の値段もふっかけてくるようだから、必ず値段交渉が必要なようです。更に判らないのは、予約を取ると、条件が最悪の部屋を充てるようです。しかも、部屋の予約日以外の、例えば、金額とか部屋の条件は殆どリセプションには連絡されていないようです。ですから、部屋の予約以外の条件を守らせるのは、現地到着時の大切な仕事になるのです。今度の旅での一例を示せば、フォートドーフィンの一流ホテルの場合には、僕の予約をしたのは、RINDRAって担当者なんですが、どうやらその人物はタナの事務所か代理店に所属するらしくって、予約金額でさえ現地のリセプションには伝わっていなくて、僕がRINDRAと予約したと言うと、現地リセプションの誰もが、RINDRA?WHO?って言い合ってました。ってことは、こちらも予約を守らなくてもいいってことですから、気楽ではありますね。
③ マダガスカルの場合は首都のタナ以外は、メールで徹底的に値段交渉をしましょう。でもって、現地に行って予約した部屋を見て、嫌だと思ったら別のホテルに行くか、予約条件はこうだと言って、部屋を変えてもらいましょう。値上がりしても、どうせたいした金額じゃあありません。
④ マダガスカルの場合、英語では返事が来なかったらフランス語で出しましょう。フランス語が出来ないなら勉強しましょう。会話は難しいですが、書き方は簡単ですからね。
NHKなら、月350円で勉強できますからね。6ヶ月で書き方はマスターできますよ。
⑤ それと、インターネットで旅行記を調べると、意外なところに良いホテルがあります。例えばスイスのサンモリッツのホテルですが、観光地でとっても高いのですが、その近くのフィリズールには、駅の上に素敵なホテルがあるのですが、このホテルは鉄道マニヤの旅行記で見つけたのです。
ホテルだけではなくって旅行記を見ているといろんな事がわかります。何度も読むことが望ましいですね。ついでに僕の旅行記(つまり、これ)も参考にしてね。
前置きはこの程度にして、さて本題に入りましょう。
3 悲しくも哀れで、それでもなお、愉快なマダガスカル旅行
お待っとうさん、いよいよ本題です。(大阪人は、小さな“っ”が好きなんだってさ)
2007年9月28日→29日からついでに→4日まで。
南半球にあるマダガスカルは、この頃、春で季節的にも過し良い季節の筈だが、標高1400mの首都タナと、亜熱帯に属する海岸辺りの観光エリヤとで、どう気温が違うのか迷いに迷ったが、結論的に言うなら、首都では長袖で若干涼しい日と若干暑い日の間で、首都からかなり下ったペリネでも曇り加減で長袖でも若干涼しく、モロンダバとフォートドーファンでは半袖でちょうど良いって言うか、なかなか暑いってとこでした。つまり場所と曇り方で、かなり気温が違うってことです。ずっと晴天でペリネに入った頃に雲が空を覆い、パラパラっと雨がふることもありました。
余談になりましたが、成田をタイ航空が16:55発、BANGKOK21:25着、ここで、マダガスカル航空は夜中の1:10発でした。3時間も待つのはつらいですが、これは仕方がないですねえ。BANGKOK空港の椅子が硬くてたまりませんでした。で、僕は我慢強いのですが、女房はぶつくさと、うるさくて仕方ありません。先に書いたように、帰路では夜中ずっとのトランジットですから、その時BANGKOKに着いて直ぐに休む場所を尋ねて判ったのですが、6階の奥の方にトランジットホテルがあって、有料ですが、宿泊とそれとは別に休憩も出来るようになってます。今後の機会には多いに利用できそうです。トランジットは各階とのエスカレータのある通路四辻を介して各階に行けるのです。で、2階にトランジットのチェックインカウンターは有るのですが2時間前にならないとチェックインさせてくれません。
さて、首都ANTANANATIVE(略称TANA)への道は、BANGKOK発1時10分、TANA着7:55 時差4時間ですから、10時間40分の飛行なんですが、実は途中でレユニオン島のST.DENIS(サン・ドニ)に降ります。(火山島で非常に美しい島です)なお、この便は窓側2列ですから過ごしやすい飛行機ですね。(ちょっとトイレの数が少ないかな)
で、TANA着で国内線に乗換て、14:55バオバブの木で有名なMORONDAVAに行きます。
TANAでも長時間のTRANSITです。今回はTRANSIT時間が全般的に長すぎました。失敗なのか、この国ではやむを得ないのか?次に行く人は確かめてください。
TANAでの荷物の受取りは機械1系列ですから間違えようもありませんが、出口で荷物番号を必ずチェックしますので、荷物券の準備を忘れては駄目です。
空港は、向かって右が国際線、左が国内便で合計200坪ほど(ちょっと表現が大げさかな)のさびしい空港です。両エリヤ間には細い通路もありますが、外に出て移動しても大差はありません。特に、僕の着いたのが土曜のせいか、国際線の右端、つまり、国内線とは反対側の通貨交換所以外は全ての店が閉じていたので、この空港は、実になっさけない空き家状態でしたね。なお、他の旅行記に記載されているのとは違って通貨交換所は一箇所だけになっていました。交換率は、日本で調べたところ売り買い中間値15.9ARI/円のところが、売り15.1、買い15.9ですから、この交換所では買いを前提としない交換率です。つまり、ARIから外貨への交換をさせないような工夫をしてる筈ですね。で、僕の場合は、MORONDAVAからFORTDAUPHINへの移動でも、ここに立ち寄るので、4万円だけ替えたのですが、70.4万ARIを受取ました。1万ARIの紙幣で10枚をホッチキス止めしたのを7冊と2千ARI2枚をくれました。細かくして、と頼むと、一冊を返して、5千ARI10枚のを2冊くれましたね。紙幣のホッチキス止めにはショックを受けますが、なかなか便利なものです。ちなみに、1円=15.1ARIってことは、1000ARIでほぼ66円ですね。
僕の後からに30歳程度の日本人が10万円を交換したらしいのですが、札束の大きさには苦労したでしょうね。米ドル、EURも、この国ではここでの交換比率がベストのようです。後は街のブラックマーケットですが、それについては、あまり経験しませんでした。
旅行記によると、国内線チェックインは離陸直前の受付で、それも我先の修羅場で、乗り残しも生じるってことで、心底、恐れていたのですが、かなり時間はあったにも拘わらず、国内線はチェックインを受け付けてくれたのです。どうなることかと、かなり心配していたのですが、今回の経験では、国内線は全て遅れも無く、どういうわけか、早く出発する時さえあって、チェッキインも粛々とやってくれました。それに、MORONDAVAのマダガスカル航空事務所では国内線のRECONFIRMを全部やってくれました。
ちなみに、タイ航空はRECONFIRMを必要としません。
空港での時間潰しですが、空港を出れば道の向こうに田圃がありますし、国際線2階には、軽食エリヤと、その奥にレストランもあります。何でも安いから心配しないで食べましょう。なお、スパゲチィーとかオムレツはレストランではなくって軽食エリヤです。それと、この国のレストランではスープってええのを重視していない傾向がありますね。ちょっとさびしいですね。
なお、国際線のトイレには、小母さんが出勤してきて金の奉仕を要求することがありますが、小母さんが居なければ無料です。国内便は誰も居なかったですし、この国で便所代を要求されるのはここだけでした。
自由席ながらも、皆さん粛々と滑走路を歩いて乗機しましたが、やはり旅行記で脅されていたのか、若いフランス人が最も焦っていましたね。他方、せっかち日本人と言えども、年寄りの僕等夫婦はそれなりの威厳がありますんで、現地人障害者を介助しながら乗機しましたね。それでも、窓際にちゃんと座れましたよ。
窓から見る風景は、赤茶けた乾燥地が殆どの、広大な大地でした。MORONDAVAに近づくと緑が増えてきましたが、まだまだ乾季って感じでした。その中に大きな円形の緑の農園が見えました。多分これは給水装置が設置された農園でしょう。GOOGLE地図で見たものと同じです。着地体勢になったころ、まっすぐな道に沿って、まばらではあるものの、延々と並ぶBAOBABの木の列が見えました。思ったより多くのBAOBABの木ですが、その眺めは壮観なものです。なお、機の右翼側によく見えます。円形の緑は左翼側です。
空港はTANAよりも更に小さく、荷物受取りは、荷物券番号を読み上げて受取るのです。
受取室はガラス張りの部屋で、迎えの現地人が紙に名前を書いて押し付けています。で、そこに外人の名前と一緒に2人の日本名が見えました。僕の場合はBAOBABカフエーって町一番のホテルを予約したのもののTAXIの予約をしてなかったから、よそ見をしていたのですが、目が良く、目ざとい女房が、名前があるよ、と言ったのです。紙を持っていたのは、日焼けした日本人を更に2回ほど日焼けさせ、若干、目のくぼんだ愛嬌のある、黒いTシャツの男で、後で判ったのですが、BAOBABカフエーに出入りするPATRICKって男で、結局この英語の判る男にはいたく世話になりました。なお連絡取りたい方は僕に問い合わせてください。若しくは、MORONDAVで、TAXIのPATRICKって聞けば判るような気がしますけどね。
彼の車はクラッチ操作の普通乗用車で、舗装が徹底的に老化したがたがた道を、ハンドルを右に左に、また右に、若しくは更に左、左、あかん、戻して右、って具合に、たゆみなく操作してくぼみをさけて行きます。(それほど、首都周辺以外の道は酷いのだ)
いくら払えばええのだ?と聞くと、「10,000ARI」と答え、次いで「ガソリンも上がっているから」と、なぜか弁解した。後で分かったが、ホテルの各部屋のドアーには、空港への送り迎えは6,000ARIと書いてあった。(地球の歩き方では10,000ARI)
「明日はどうするか?」と聞くので、明日は海辺を歩き、明後日はBAOBAB街道に行きたいと言うと、私の車で行けと言う。いくらだと聞くと、キリンディーから色んなバオバオを見て160,000ARI、バオバオとメナベ公園半日だと80,000ARIと言うので、明後日はキリンディー、その翌日は夕刻の半日に行くと答え、これで、最も心配していた、ここでの足は全て確保できたなあ、と考えた。
これも後で判ったがホテルに頼むと4駆での観光で、それぞれ310,000(入場料、ガイド込)160,000って、ドアーに書いていた。4駆の幅だと、この凹凸道は避けられないから、乗り心地はPATRICKの乗用車よりは悪いだろうし、入場料やガイド料を入れてもPATRICKの方がかなり安くなる。
でも、他のホテルの値段は判らないので、皆さんは予約時に聞くべきでしょう。高ければPATRICKにメールしましょう。
でもって、両側が干潟の道を進み、ついで人ごみだらけの市街地に入り、海辺に突き当たり、これを左折して砂だらけの道を進むと、ネットカフエがあり、更に行くと、地球の歩き方とかインターネットで見掛けたいろんな宿の並びがあって、そのまま少し行けば、この町一番と言われるBAOBABカフエーがあったのです。実は、その奥にTRECICOGNEってホテルが最後にあり、このホテルは一見、ボロ屋なんだが、ベランダでフランス人がごろごろとアザラシのように背中を焼いている。だから日本人も泊まれる筈だが、フランス人って、宿泊での要求度が少ない民族らしいから、保障の限りではない。
写真通りブーゲンビリヤの茂るホテルにチェックインしたが、部屋は2階の9号室であった。部屋には川側に窓が一つで、ダブルベッドが一つと、余分な小型ベッドが一個あった。
インターネットの予約では、TWINで130,000ARIだったが、ドアーに、各部屋の価格が載っていて、9号室は予備ベッド付だが、ダブルで90,000(予備ベッドも使う場合は+19,000)となっている。ふ~ん安い部屋にしてくれたのか?でも確認しなくっちゃと、リセプションに行って、部屋の値段を聞くと90,000ARIと答えたので安心して荷物を広げた。
でもこれが失敗で、二日ほどして他の部屋を見ると窓が2方向にあり明るい。でも、もう荷物を広げ過ぎたので、他の部屋を要求する気力はなかった。これで気づいたのだが、個人客で予約していると悪い部屋を割り当てるのがこの国の常識と思うべきなのだ。
それに、このホテルは、少なくとも僕らの泊まった9号室は、とても小便くさいのだ。欧米人については判らないが、日本人には余りおすすめでは無いようだ。
更に話は先になるが、出発前日4泊目の夕方に清算しに行くと、今まで顔を出したことのないチーフなる男が出てきて、あんたの部屋はTWINで予約された筈だから90,000では駄目だ、と言い出した。僕は思わず「この部屋は普通はダブルって言うもので、しかも、9号室は、窓は小さくって薄暗く、小便くさい」と怒鳴りつけた。チーフは何かブツブツ言っていたが、予備のベッドは使っていないか?と尋ね。僕が使っていないと答えると、それならいい、と答え、結局90,000ARI/泊で済ませることが出来た。BAOBABカフエーは、団体客や旅行会社からの予約客には、定価150,000ARIの広いTWINを割り当てるとか、日本人より白人を優先するような、おもてなしの気持ちが少ないと言うか、全く無いホテルであった。
(経営者はフランス人だから、フランス人には、こんな扱いはしないでしょうね)
それに食い物がまずかった。フランス人が泊まるからと、それに海辺だと期待したのだが、どこで食っていける僕でさえ、その臭いと外観を見るだけで腹がいっぱいになってしまった。グリルの魚は表面がまっくろに焼けて、しかも、おもいっきり臭いし、大きな海老は冷凍物なのか古いのかのどちらかであった。それにゼブ肉は、歯の悪い僕には余りにも硬くて歯が砕けるのでは無いかと恐怖を感じた。但し、ゼブ肉はかみしめればかみしめる程、味の出るのは事実である。更に加えて、インド米はうまみが無くって食えないと女房は言う。そんなこと言ってると生きてゆけない、無理してでも食わないと駄目だと言うのだが、女房は拒絶反応になっている。こんな具合で、持参したラーメンを活用し、近所のイタリヤ料理店でピザを食べたりして、何とか過ごすことになったのである。なお、食い物がこんな有様だから、女房の機嫌は一気に悪くなったのである。
女房に言わせると、要するに、油が悪く、しかも、油の量が多すぎで、ソテーやグリルで臭いを消す工夫とか、材料の吟味とか、話にならんってことらしい。あきまへん。
さて、支払いの問題だが、僕の場合、過去の海外旅行で残したEUR、ドルも持参していた。そこで、ドルで払えるのかとキャッシャーに聞くと、1,600ARI/ドルとのことで、TANAの交換所での1,770ARIに比較して余りにも低い。そこで、PATRICKに相談すると市内の信用できそうな人を紹介してくれた。その人は1,800ARIで交換してくれたので、多いに助かったのだ。
ホテルは最悪であったが、PATRICKのおかげで、キリンディーでは、シファカ、茶色レムール、夜行性のSPORTYレムールがくぼみに居るのさえ見られた。ただし、休憩所のちょっと向かいにある、どのトイレにも、体長30cm以上のトカゲが、蠅を狙ってか居座っていて居て、追い払おうとしてもジロッと睨み付けられるので恐ろしい、ここでトイレに行く人は気をつけよう。
色んな動植物を見せてくれるメナベ公園もなかなか面白いが、受付と言うかガイドの爺さんは、なかなか見事な英語と広範な知識を所有していて、最後にチップを要求したが、損をした気にはならなかった。むしろ彼の知識に対してチップをあげることさえ気の毒であった。
それでもやはり、最も凄いのはBAOBAB街道であった。林立する巨大なBAOBAB列のその向こうに緑の木が遥かかなたにあり、そこで子供達や牛舎がある風景は、何度見てもあきない風景だし、街道横の、ほてい葵の花が咲く池の向こうから夕日に陰るBAOBAB列を見る風景は、これもまた現実とは思えない風景であった。大型双眼鏡を持参したが、その努力が一気に報われたのであった。そうそう、夜空も凄かったですね。あんな星の連なる空は、バングラデッシのチタゴン河を越える船から見て以来でしたね。星の観察でも大型双眼鏡が威力を発揮してくれました。
PATRICKの薦めるキムナビーチにも行ったが、ここは海岸林の連なるビーチを開発したものの、開発の意味が理解できないビーチであった。
更に、考えるには、MORONDAVAでは、ツイギーに行かない限り4泊実質3日がベストのスケジュールと思える。ツイギーに行く場合は、もっと安いホテルに連絡して安く行けるように工夫すべきだろう。(高いホテルはツアーも高くなる傾向があるのだ)なお、BAOBABカフエーは、セスナ機のアレンジは「一機まるまるの予約」以外はアレンジしてくれないので、4人ほどのグループでないと高価になり過ぎる)
かくして、MORONDAVAの旅を終えて、PATRICKの車で空港に向かったのだが、彼自身の車は所用で使えず、彼の親戚の人の車で空港に向かった。車は不調で、国道2号からの分かれ道でエンストを起こしてしまった。時間は充分にあるので、この難関をどう処置するのかと、道端に店を開いた鍛冶屋のおっさんの横にあったベンチらしきものに座って眺めていた。
だがさすがにPATRICKである。エンジンの過給機の蓋を開けて、どこか近所からペットボトルに入れて持って来たガソリンを注ぎ込み、エンジンを起動すると無事、動き出した。なぜ、エンストしたのか、どう修理したのか判らぬまま、車は動き出したのだが、その交差点から100mも行かぬ場所が空港であった。歩いても行けたのだ。
空港では直ぐにチェックインできて、レストランでオムレツとポテトフライを妻と分け合ったが、これがMORONDAVAで最もまともな食事に思えた。なんか、情けない話ですがね。そうこうしている間に、飛行機は30分ほども早く出発した。なんで?なんで?
なお、PATRICKに、僕がTANAでペリネ公園に行くと話していたのだが、彼も家族を連れてTANAに行くので、そのついでにPERINEに連れて行けると言ったのだ。いくらだ、と聞くと200,000ARIって言うので、それは是非とお願いしておいた。この国ではなんでも無茶苦茶安いのだ。PATRICKの乗用車ではなく、タクシーブルースで行けば夫婦往復で10,000ARIで済むのだが、女房の機嫌を考えれば、そのようなことは出来る筈がなかった。
でもまあ、15,000円で、車と運転手を借り切り往復300km2日の旅が可能なのだから満足そのものですよね。再び友人と来る時があれば何としてもTAXIブルースに乗り、これを700円で旅行したいものだ。
2007年10月4日→5日からついでに→9日まで。
予約の時に、MORONDAVAからFORTDAUPHINの直行便は少なく、座席が取れないことが多いと言われ、MORONDAVAからTANAに行き、翌日TANA発FORTDAUPHINとしたのだが、MORONDAVA空港で時刻表を見てみると、FORTDAUPHIN行きも充分にあるようなのだ。何でこんなことになったのか理解不能だが、直行できていれば、最低1日は短縮できて、飛行機便の時間からすると、更に半日は短縮できたのだ。
とにかく、TANAに着いて、HOTEL CHEVEL BLANCO(つまりホテル白馬ですね)の空港送迎バスを探した。空港建屋を出ると、TAXI運転手がいっぱい寄ってきて、「どこ行くんだ?」と聞くので、HOTEL CHEVEL BLANCOだ、と答えると、「ああ、それは駄目だ、あのホテルは潰れた。俺の車に乗れ」などと言い出した。が、無視して待っていると、ホテル名のカードを持ったおっさんが来た。荷物を自分でひっぱって行こうとすると、胸に白いワッペンを着けたおっさんが、すっと近づき、僕と女房の荷物を引き、先に立った。すると、もう一人が近づいて、2つの荷物を二人で別けて運びだした。てなことで、わけのわからん内に、二人にチップを払わねばならんことになった。今後の教訓としては、荷物は他人に渡さぬこと、たとえ渡してしまっても、最初の一人にチップをやり、その男が荷物を分配しようが、それは責任外とすることだと心に決めた。
この国には、乞食が殆どいないが、その分、油断も隙もない。だがしかし、子供たちまで含めてなんとか頑張っている。例えば、MORONDAVAの海岸では、船が着く頃を見計らって家族一族が海岸に集まり、どんな小さな子供でも漁の道具の一本でも頭に乗っけて運んでゆく。少し大きな女の子は、岩塩をまぶした大きな魚を頭に載せて市場に持って行く。おかげで僕たちは、塩辛すぎるグリル魚を食うことになるのだが、そのことは、ここでの本題ではなくて、彼らは老いも若きも幼きも、みんな一生懸命に生きているってことですがな。だから僕は、僕のために荷物を運ぶべく白いワッペンであたかも空港職員であるかのように装おうとも、僕の荷物を運んだ連中には、ふとっぱらにチップを与えることに決めたのだ。その趣旨に沿って、ホテルの枕銭にも、絶やさず1ドルを払い続けたのだ。
ところでチップの問題だが、この国ではチップ制度はあまり無いようだ。少なくとも、ホテルで食事をする場合は、部屋にチャージしてくれと言えばチップは不要である。でもまあ、丁寧に気分良く応対してくれるなら遣っても良いだろう。僕の場合は、1,000ARI(66円)は気前良くチップであげた。一生懸命働く奴にはあげても良いだろ?
ホテルは空港近くの、市内に向かう道路に面する、なかなか外観も良く、簡潔な部屋だが、トイレ臭くなく、35,000ARI/泊でBAOBABカフエよりも住み心地が良かった。
ところで、胸のポケットにBAOBABカフエの9号室の鍵があることに気づいたので、レセプションのおっさんにBAOBABカッフエの電話番号を示して相談すると、5000ARIよこせと言って、外に出て行った。暫くして、プリペイドカードを買ってきて、電話を掛けて、
「誰かが鍵を取りにくることになった。全てこれで完了」とプリペイドカードを破り捨てた。ことが完全に終わったかどうかは知らないが、僕の責任はこれで終わったのでほっとした。気分のええおっさんではないか。
ホテル内には、旅人の木とか、珍しい木が並んでいて、外に出て右に行くと直ぐに横道があり、ホテル外壁に沿って下って行くと、木炭製造所とか、軒下小売店とか、軒先商店とか、なかなか興味深いものがある住宅が続き、更に下れば周囲に畑のある広い池があった。僕としてはそこまで行きたかったが女房が嫌がったので諦めた。
さて、食事だが、ここの食事はBAOBABカフエよりはましで、しかも、僕たち二人で一人前を頼み、それを二人で分けるってテクニックもマスターできたので、なんとか生命を維持できるようになった。FORTDAUPHINへの便は翌日午後で、朝食を食べてから、昨日の夕食分も一緒に勘定するとレストランで言うと、ウエイトレスは、宿泊費も一緒に勘定書きを持ってきたので、僕は混乱してしまった。話を良く聞くと、レストランのキャッシャーは、ホテルのキャッシャーを兼ねているらしい。それに、それとなく感じたのだが、レストランのキャッシャーの中国系マラガシー(マダガスカル人)は、このホテルのオーナーでもあるらしい。愉快で気持ちの良いおっさんである。
翌日5日は、午後3時発で、直行便を使わなかっただけで半日以上は損したことになる。
ボーディングカードには、座席番号が記載されていて、この国では珍しく指定席の便と思えた。それにこの旅では珍しくも日本人ビジネスマンが3人ほど乗っていた。
機内に入り両側3列の窓側2席につつましく座っていると、現地人が一人、通路側の席に座った。そのボーディングカードによれば、彼はその席ではなくて、向こう側の通路側なのだが、そこにはフランス人が大きな態度で座っているのだ。そんな様子から判断すると、結局、この機は自由席で、皆さん勝手きままに座っているのだと判った。
機は人跡の殆ど無い東海岸に沿って広大な原野の上空を南下して、無事に目的地に到着した。降りるべく機内で並んでいると、ビジネスマンの一人が声を掛けてきて話したのだが、港の岸壁工事を請け負っていて、窓から遠くに見える巨大な採石場で花崗岩を切り出し、これを港に運んで突堤を築いているらしい。チタンの採鉱会社から受注したもので、元請は350億円もの巨大な工事とのことだ。何か困ったことがあれば相談してくださいと、さすが僻地の日本人同士、心強い助言の声が掛けられた。
ここでは、最初の二日は、町一番のHOTEL LE DAUPHINに、インターネットで、55EUR/泊にて予約している。2日後には日本人ガイド付きでベレンティー保護区にツアーも予約している。日曜だが大丈夫かと何度も問い合わせたが、その問合せを無視してRINDRAって担当者が、僕のツアーを日曜にセットしたのだ。
迎えの車は頼んでいないし、TAXIは少ないのでどうなるかと外に出ると、LE DAUPHINの看板を持ったおっさんが居たので尋ねると、荷物はこの車に、あんた達はあのバスに乗れってことで、バスに乗ったのは我々夫婦だけだった。日本人ビジネスマン達は荷物はLE DAUPHINNの車に乗っけて、自分達は事務所からの迎えの車に乗ったようだ。ここにはPATRICKのような男はいないようだが、少なくとも送迎費は無料らしい。なんせ、宿泊費が高いからね。(夫婦で55EUR=9,000円だけんどね)
空港から市内への道路はMORONDAVAよりは良く、先に出た荷物車が、ある建物の前に止まっていた。バスの運転手は、荷物車の運転手に何かどなっていたが、どうやら、僕らの荷物は別の場所だと言っているようだ。僕らのバスは少し進んで、別の建物の前に止まり、一度は降りたのだが、小母さんが出てきて、貴方達は向こうだと、荷物バスの止まっている所を指差した。
後で判ったのだが、僕らの部屋はLE DAUPHINと同系列で、新築で横に建てられたLE CROIX DU SUDであったのだ。結局、ビジネスマン達と同じホテルであったのだが、運転手は僕の風体からてっきる旧館に泊まる人種だと考えたのだろう。
リセプションに行くと早速、部屋に案内された。でもって部屋に入ると、案の定、ダブルベッドである。僕らはTWINで予約している、と言うと、奥にある長椅子の上に置かれた寝具を指差して、あれがあるのでTWINだと言う。BAOBABカフエーと同じパターンですな。で、これは世界標準ではTWINでは無い、と言うと、困った顔をして、他のTWINの部屋はいっぱいです、と答えた。つまり、予約の個人客は最悪の部屋に割り当てるってパターンですな。
TWINでないと駄目だ、と言うと、暫く考えて、「高い部屋ですが、見ますか?」と言うので、見る、と答えると、2階に連れて行った。なんと中二階の部屋で、各階に大型ベッドの置かれた凄い部屋であった。この部屋はいくらか?と聞くと、50EURと答えた。なんのこっちゃ、予約金額より安いではないか。で、「It’s no problem」と答えると、美しい受付嬢が驚くような表情を示した。で、とにかく予約より安い金額で、想像以上の凄い部屋に泊まることになった。
更に受付嬢いわく「それで、貴方は明日ベレンチィーに行くのですね?」と聞いた。
「いや、予約を受付けたRINDRAさんが、明後日の日曜日がベストだと言うので明後日」
「RINDRA?WHO?」
で、僕も「インターネットで予約を受けたあんたの会社のスタッフだ。RINDRA、WHO?」
ってことで予約を受付けた人間が誰かが全くわからないまま話は進んだ。いずれにしても、「日本語を話すガイドも予約している」と言った。
では調べてくると、受付嬢は去って行った。
本件についての、その後の経過を先に述べると、ベレンチィーへ行く日曜の前日、つまり土曜の夕刻に受付嬢が来て、日曜には日本語が出来るガイドは忙しくて対応できないと言う、それなら予約金額は減額されるべきだと言うと、本館のキャッシャーの所に連れていった。
で、本館のキャッシャーが、いくらで予約したのかと聞くので、正直に190EURだと答えてしまうと、その金額でしかどうしようも無いと、減額には全く応じなかった。
結局、予約日だけが連絡されていて、ツアーの日にち、ガイド条件、予約金額を含む条件が全くホテル側には伝わっていなかったのだから、そこで金額を低く言っても何ら支障はなかったのだが、誇り高い日本人としては嘘を言えないのが致命的であった。だが、宿泊代金で2日分10EURを儲けているので、まあいいか、と諦めた。
それにしても、キャッシャーですら「RINDRA WHO?」と言っていた。わけわからんですな。翌日、英語を話すガイドと一緒にベレンチィーに行ったが、観光客は殆ど居なかった。つまり、日本語を話すガイドには僕の予約の話について何の連絡もなかったので、日曜にガイドするのを拒否したってことなんでしょうね。インターネットで予約時に、「僕は3日間の余裕があるから、どの日でも良い。RINDRAさんの薦める日曜日はまずいのではないか?」と何度もメールしたのだが、RINDRAは全く無視したのだ。しかも、日曜日には、ベレンチィーの麻工場も、博物館も全て休館だったのだ。観光会社SHTMに高い金を払って、詐欺に会ったようなものである。で、教訓としては、マダガスカルでは、予約はしても守る義務は全く無い。宿の部屋を確実に確保してから、現地で金額を含めて全て組みなおすことが必要、ってことですな。
それでRINDRAってえのは、首都に居る代理店の人間らしく、現地と連絡もせずにインターネットで勝手に予約を取っているらしい。なんのこっちゃ?
翌日土曜日は、朝食後(宿泊費は朝食込みでした。もうけたですね)、AIR FORECE SERVICEの事務所に行き、明後日から2泊のNAHAMPOANA LODGE予約を確認した。ここでも16EUR余分にとられちゃったが、予約の内容把握はきちんとしていて、SHTMの詐欺よりはましであった。
結論的に言うなら、片道3時間のベレンチィーに行くよりは、車で30分のNAHAMPOANAに行くほうが良いだろう。金額的には、両方とも2泊で、見ることの出来る動植物は殆ど変わらないが、所要金額は。ベレンチィーのSHTMは290EUR(朝食込み)、NAHANPOANAのAIR FORCE SERVICEは、146EUR(朝食、夕食込み)だから、一方的にNAHANPOANAが有利である。但し、後述のようにホテルはSHTMが格段に良好である。だから、ベレンチィーに行かないとの前提で、両者を組み合わせるのがよさそうだ。
ところで、帰ってからSHTMのHPを調べると、(http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://www.madagascar-resorts.com/pages/Tarifs.html)僕の泊まったmezarinの部屋は一泊61EURらしい。宿泊に関してはかなり得をしたので、ベレンチィーtourの詐欺は許しましょうね。だが、この調査から、僕の予約はいったいどうなっていたのかいよいよ、混乱ですわ)
NAHANPOANAとの予約確認を終えてから、半島をぐるっと歩いて回ることにしたが、半島東岸は激しく風が吹き荒れていた。で、地球の旅に掲載されている写真と同じビーチの上を通り、西岸のリバヌナビーチに着いた(これも写真が掲載されている)そこで美しい海岸を楽しんでから近くにあるレストランMIRAMAR(旅行記に書いてあった)に行った。このレストランはMIRAMARUって地区にあるので、その名がついているのだが、行ってみると改装閉館中であった。で、東岸近くのPETIT BONHEURに行こうとしたのだが、逆風で砂が顔に突き刺さり痛くてたまらない。仕方なく途中であきらめ、リバヌナビーチの上にあるレストランに行った。
あまり期待していなかったのだが、この国で始めての、薄味海鮮料理に出会い、女房も多いに満足となった。女房の喜びは僕の大喜びである。
翌日、ベレンティーへの道が悪いので7時には出発するとの受付嬢の話であったが、車とガイドがホテルに来たのは7時半であった。この国では、そんなもんさ。
で、往復6時間で何を見られるかは、地球の歩き方の通りです。レムールとしては、シファカ、ワオキツネザル、ブラウンキツネザル、でした。
4駆での走行は、PATRICKの車とは違い、悪路の凹凸を逃げ切れない。そのため、ドンドコドンドコと車は上下しての走行で、女房は完全に参ってしまったが、ガイドのBENでさえも同様にへばってしまった。帰る途中では翌日のNAHANPOANAでレムールに与えるバナナ(1房400ARIを2房)を買ったが、僕も味見をして、運転手とガイドに1本ずつ別けた。が、しかしガイドは食べれなかった。なお、女房はこの往復で相当のダメッジを与えられた。女房の苦しみは僕の大苦しみである。
ところでガイドのベンは、北部出身でTANAで働いていたのだが8ヶ月前にFORTDOAUPHINに来たらしい。雨季にタクシブルースで来たので、普通は2日で来れるのに一週間掛かったよ!と道の悪さを嘆いていた。やはりこの国には雨季には来ない方が良さそうだ。
ホテルに帰り、NAHANPOANA LODGEからの迎えを待ったが、約束の5時をかなり過ぎても来なかった。と、受付嬢が、本館の前に止まっている車がAIR FORCE SERVICEの車だと言い出した。行ってみると、運転手が座席でねころがって眠っていた。あれほど別館だと言っておいたのに運転手には伝わっていなかったのだ。早速、別館に行き荷物と女房を乗せて出発した。車は東岸にでて、本道を外れ北上して、とても感じの良い村々を通りすぎて、長い園内引き込み通路をへてLODGEの庭に着いた。
庭を前にしたLODGEには、平屋の建物があり、長屋状態に横並びの部屋が4室あった。横の丘の上の方にレストランが設けられていた。数人の現地人からオリエンテーションを受けてから、左端の部屋に案内されたが、部屋の中は何故かほこりだらけで、試しに電灯のスイッチを入れると火がつかない。で、直ぐに他の部屋にしてくれと、部屋を順番に見て行き、もっともましな左から2番目の部屋にした。女房と、ここに泊まる人なんて居るのかな?と話しながら荷物をばらしていると、車が着いて、欧米人がぞろぞろとやってきた。で、電灯の着かない部屋はスイス人夫婦で、蛇口が壊れているとかの他の部屋にはイタリヤ人が入った。早いもの勝ちの勝負に勝ったみたいなもんですね。なお、二日目からはメイドが入って、部屋の掃除は完璧になった。
当日の夜と翌日の朝に、ゴーシェって現地人ガイドの案内で公園内を楽しんだ。目の良い男で、ベレンチィーと同じレムールに加え、夜行性のカメレオン、ホタル、マウスレムール等を見ることが出来た。非常に有能なガイドであった。
朝と夕方に、シファカ、ワオキツネザル、茶色キツネザルがロッジの周囲を巡回して、バナナをやると僕の体にまで登ってきて、手からバナナを食べてくれた。それに、ガイドの案内なく、森をうろつきレムールを楽しむこともできたのです。ベレンチィーとは比較できないくらいに面白かった。最高ですよね。
LODGEの裏手には、マダガスカル星亀の広い檻があり、ここに入ってバナナを引っ込めた頭に近づけると、ゆっくりと頭が出てきたのだが、突然、凄い速度で首を伸ばし、バナナにくらいついた。亀の口はバナナだけではなくって僕の指も挟んだがペンチの様な怪力でイテテテと逃げた。亀に噛まれるような頓馬な僕でした。
朝夕食は、丘の上のレストランで定食ですが、ここの夜も降るような星の夜空でした。
2泊して9日の13:00にTANA向け便に乗るのですが、ちょっと早めで10:00から10:30に出発したい、と現地人マネージャーに言うと、送迎車の出発は9:00だと言う。何故9:00なのか?と問うと、とにかく9:00だという。わけわからんが、早く行くのは問題ない、まあええかと、翌日車を待ったが、9:00を過ぎても全く来ない。現地人マネージャーは外人と一緒に森を散策中ってことで、誰も事態を把握していない。敷地の外にパーキングがあるとかで、長い引き込み通路を行ったり来たりしたが、車の陰も姿もない。表通りに出てTAXIをひらうか、と考えた時になって、来たときの車が入ってきて、庭に止まった。中からフランス人の老婦人と若い婦人が出てきて、「運転手は悪くない、私が遅れたのだ」と弁解したが、僕は充分に時間はあるので問題は無いと答えた。そんな所に、のこのこと現地人マネージャーが森から現れ、僕の怒りは一気に爆発した。どんな風に爆発したかは書かないが、実は、この公園のオーナーはインド人で、彼とは前日に知り合い、いろんな話をしているのだ。まあ、いいや。
いずれにしても、この国の人は、約束が遅れるものとして時間を決めているのだが、時間が遅れるのは僕の方ではなくて時間を決める側なのだから、予定時間を早めても何の意味もないのだ。それに気づかず、いつも遅れる側が時間を早めようとするから、約束を守る僕としては、設定時間根拠を充分に確認しておくことが必要なようだ。但し,PATRICKは常に時間前に現れている。人によっては正確安全な男もいるのだ。後述するTANAの運転手MAXは時間丁度に来ようとするので、何かが生じると遅れることもある。
空港に着きチェックインすると、航空会社からサンドイッチと飲み物が振舞われた。(この空港だけです)
もう慣れたタナ空港に着き、荷物を持とうとする連中を振り払いつつ外にでるとタクシーの運ちゃんが寄ってきた。どうせ偽物だろうがTAXI価格票を示し、HOTEL SHANGAIまでは40,000ARIだと言う、NO! 20,000ARIだと言うと、30,000ARIだと言う、面倒になってOKと言ったが、後で考えると、ここでは25,000と答えるべきだったのだ。
美しい田園地帯とごちゃごちゃの街と、それに、丘を何度も越えてかなりな距離を進み、ほこりっぽく人であふれる市内に入り、小一時間でホテルに着いた。ジャガランタの紫の花が色ずく時期であった。
ホテルでは、空港ホテルと同様に、予約を充分に認識していて、さっささと予約通りの部屋に入ることができた。空港近くのホテルと同様に、TANAでの予約は堅実、確実なのだ。しかしながら、良き中華料理店との評判は誤っていたようだ。これが女房の機嫌を一層悪くさせてしまった。中華風チャーハンは香草で臭く、スープもごちゃごちゃと複雑な味だった。やれやれ。あきまへん。
リセプションからPATRICKに電話してもらうと、彼は結局、TANAには来れなかったのだ。でもって、女房がこの状態では、ブルースTAXI(乗り合いTAXI)でペリネに行くのは難しい。対策を考えないと、と考えた。
10月10日
ぶ~ぶ~言う女房をなだめつつ、坂を登り登り女王宮に登り、その先の展望台を過ぎたところから階段道を降りた。この道は島泰三さんの下った道であり、なんとしても降りたいと思っていた道なのだ。急な階段を降り切り、自動車道を暫く行くと、そろそろ不満の限界にある女房を連れて、漸くチンバザサ公園の壁に達した。壁に沿って、200m程度下ると公園入り口になっている。ここで、アイアイを見るには、ガイドを頼むか、池の右上の建物で警備員にチップをやって入るかのいずれかである。夜行性レムール建家になんとかたどりついて、まっくら闇の中でペンシル型懐中電灯を点けて夜行性レムールとアイアイを見ることもできた。この公園を満喫してからTAXIでホテルに帰った。
昼食後、独立大通りのマガカスカル航空を訪れて帰国便のRECONFIRMしたが、朝7時の出発に対して、チェックインは朝4時にしろとのご説明であった。またまた訳のわからん時間の勝手な指定で、そんな筈はないと追求すると、at least 5時と訂正した。なんで、そんなに時間のカマをかけるのかなあ?と、この国の習性にあきれるばかりだった。
先の話をするなら、結局この出国便は45分も遅れて出発した。これもまた、遅れが僕のせいではなくって、時間を決めた側のせいだって良い一例ですね。
RECONFIRMを終えてから、ひとつ手前のビルの2階にあるMADAGASCAR AIR TOURを訪れた。日本語スタッフは居ないかと聞くと、地球の歩き方に記載とは異なり、居ないと答えたが、どうぞと品の良い現地人婦人が対応してくれた。
ペリナツアーの費用を尋ねると、2日ツアーで自動車運転手で47EUR、ガソリン、ホテルは別で、ガソリンは判らないが80,000ARIから120,000ARIだろうと言う。頼むなら明日再び来ると言って事務所を離れた。ホテルに帰りホテルのリセプションでペリネツアーを頼めないかと聞くと、現地人レセプションは運転手を夜来させるから直接話してくれとのことで、6時に会うことにした。更に、女房殿はホテルに置いて、日本人スタッフの居るとのARICSを訪れて、同じ条件でいくら掛かるか、と聞いたら、運転手と車で、ガソリン含まず240,000ARIとのことであった。てな予備調査の結果を得て、夜30分ほど遅れてきたMAXって運転手と話して、50EURとガソリン代金80,000ARIで合意した。どんな車かと聞くと、表にあった普通乗用車を示して、こんな車だと言った。自分の車で来なかったのはガソリンを節約してのことだろう。
ホテルに戻り、現地人リセプションに頼み、電話でペリネの宿を探してもらったが、金曜土曜のせいか、アンダシベのホテルは全て満室で、モロマンガに共同トイレの一室のみが見つかり、一応予約を頼んでおいだが、この国では予約は予約であると割り切ることにした。
ってことで、翌日は、独立大通りやアナラケリーマーケットを見て回った。島さんの時代とは異なり、アナラケリーマーケットには宝石や化石は売っていなかった。
後で判ったが、新しいマーケットが、空港への途上に出来て、そこで宝石やら化石は売っているのだ。(空港よりTANA市に近いらしい)
10月12日 ペリネ訪問
朝8時30分、実に、丁度にMAXがHOTEL SHANGHAIに現れた。既に町は盛況に動いている。出発して直ぐにガソリンスタンドに入ったので、80,000ARIをMAXに渡し、更に、20,000ARIをMAXの食費と宿代だと言って渡した。車は混乱する市内を抜けて、高速で市外へと走行した。道は、今までの道路とは異なり、完全な舗装が為されている。極めて順調な走行であった。やはり3時間を要して国道とアンダシベへの分岐点に至った。分岐点を左に曲がり、かなりの距離を走行するとペリネ公園の入り口が道の右側にあり、ガイドが何人か佇んでいた。更に進むと、最初のホテルのFEONY ALAに着いた。が、満室であった、更に進むと右手に、かなり良いホテルがあったが、ここも満室であった。更に進むと、あの有名な駅舎の前に出て、道はここから左に曲がっていた。MAXに聞くと「ここは良くない」と答えて、車を止めようとはしなかった。確かに駅舎はボロボロだし、道路を挟んだバンガローも住み心地が良いとは思えなかった。駅舎から先は舗装は無く、がたがた道をゆっくりと進んだ。線路を越えて河を越えるとアンダシベ村とマンタディア公園への道の分かれ道があり、車はアンダシベ村へと細い道を向かった。ボロ家の軒先を抜けて、一軒の、いよいよぼろなレストランの前に止まった。奇妙なことに汚いレストランには白人が居て食事をしていた。そこがHOTEL ORCHIDEESで、表からは判らないが、一見瀟洒な建物が裏にあったのだ。でもって、ここではMAXのおかげで、一泊40,000ARIで、まともなホテルに泊まれたのだ。
ここのレストランの味は悪くは無いが、女房殿は始めから拒否反応に陥ってしまい。その夜は最後の持参ラーメンと村で買ったバナナで過ごした。また、このレストランの並びには、古い旅館もあって、そこはかなり安いらしい。そこにはフランス人を泊まっていたが、彼らは厳しい宿泊条件をものともしない人種のようだ。冗談ではなくって、僕は心底、」そんな彼らを尊敬してしまうのだ。
このレストランで、朝食も、とても食べられない、と女房は言い、朝食用果物、多分バナナになるのだろうかと、これを買いに村のマーケットに行った。この村には似合わないと言うか、かなり近代的な雰囲気を持つマーケットで、外人用に高く売っている場所ではないかと思う。女房と二人で行き、店番の娘に、バナナ一房を示していくらかと聞き、手帳に数値を書かせると、5,000と書いた。僕は、ベレンティーへの道で買った時に、400ARIであったから、手持ちの500ARIを示したら、女房が、5000が500になる筈がないでしょう!と後ろで叫んだ。その権幕に驚いたのか、それとも5,000FMG=500ARIであったのか、娘はぼくの500ARIをつかんでバナナを渡したのだ。こわ~い。
宿に戻り女房を置いて、僕は散歩に出た。僕はこんな村が大好きだ。誰もが穏やかで、のんびり、ゆっくりと暮らしている。村には似つかわしくない大きな広場で子供達が裸足でサッカーに興じている。行き逢う人と相槌で挨拶しながら狭い村の一本道をゆっくりと散歩した。
これから以降は、まあまあ順調なツアーとなり、順調な旅となったのでクダクダとは書きたくない。で、特記事項を以下に列記することにする。(実は疲れたのだ)
① ペリネ公園には、JEANNOT(ザノー)という日本人から金をせびるガイドが居るが、人は悪くなく面白い男だから、適当な金額で折り合うのも良いと思う。でももっと若い男の方が視力が良いかもしれない。僕の場合は、彼らも苦しいのだからちょっとはいい目をさせてやろう、と言う通りの金をやった。
② 2時間のガイドの場合でもインドリは10時頃には鳴き始める。これを見てから帰ろう。
③ ペリネ入り口前の道路では、ヘイケホタルと同じ大きさのホタルが輝いてくれます。欧米人って、ホタルには全く興味が無いので、ホタルが可哀相ですわ。
④ HOTEL SHANGAIは、極めて効率的な運営をしていて、経営者一族は、海外ビジネスも活発に行っているようです。ここの一員とは帰りのBANGKOK行き便で一緒でした。なお、どのホテルもランドリーは非常に安いです。でも下着や靴下は自分で洗濯して部屋で干しましたが、HOTEL SHANGAIではこれを厳禁しています。だが、枕銭を忘れず置いていましたから密告は無かったです。
⑤ インターネットは、独立広場近くの電信郵便局(郵便局とは別)で出来ます。1分30ARI
で、25分とか45分とかの予定をパソコン上で設定する。設定した時間分は払わねばならない。でもここには日本語フォントはありません。
⑤ 空港近くのHOTEL CHEVE BLANCOでは、日曜日の昼にビュッフェがあるが、これ
はなかなか美味い。うちの女房殿も多いに褒めていた。18,000ARI/一人で、残ったのと追加分が夕食では16,000ARI/一人で食べられます。但し昼食はビュッフェだけですが、夕食は一品料理もたべられる。なお、この国ではどこもそうだが、蠅は多いのでこの点は諦めてね。また、この国で最も確実に安心して食べられるのはオムレツだな。
HOTEL CHEVEL BLANCOでは支払いをドルやユーロでも受け取ってくれるので、滞在最終日に泊まると現地通貨を使いきれるので非常に便利である。
⑥ 宝石や化石は、空港への途上にあるMARCHE ARTISANALEで売っている。道路に沿って延々と店が連なっているので、急いで買うことは無い。ゆっくりと値段を聞いて回ってから決めればよいのだ。
⑦ TANAの出国カウンターには、あたかも事務員のような服装をしたおっさんがうろつき、出国カードを見せてチップをせしめようとするので気をつけよう。出国カードはチェックインカウンターの人に頼めばくれる。このおっさんはとっても臭いにおいがするので、直ぐわかる。僕はこのおっさんから貰い、一ドルやったのですが、これでは不足だ、セキュリチィーがどうのこうのと言い出したので、一ドルを取り返そうとしたら去って行った。後にはくっさい異臭が残ってました。
⑧ BANGKOK空港のトランジットホテル代金は5時間でダブル80ドルです。シングルだと75ドルですから、シングルは損ですねえ。このホテルの部屋は、今度の旅では最も居心地が良かったと、女房殿が言っています。でも、どこのHOTELでも、ぐっすりと寝ていたのですがねえ。
⑨ 今回の旅費は夫婦で、航空運賃240,000x2人+90,000円+604ドル+500EUR
≒航空運賃480,000円+245,000=725,000/二人
航空運賃の比率がいかに高いか、滞在費は非常に安いのが判りますね。BANGKOK空港のトランジットホテル代金、みやげ代を含み、みやげ費用は50ドル以下でした。雨季になると航空運賃も安くなって行くが、今回はそのリスクを冒せなかった。正直言ってかなり痛い出費でしたね。
⑩ さて、我が女房殿ですが、一時は、もう立ち直れないかも、と言っていたのですが、日本に近づくにつれて元気がでまして。日本に戻ったその日から家族の食事をせっせと作ってます。それに、今回の旅が面白かった、なんて言ってます。う~ん・・・。なんて書けばいいのでしょうかね?
更に、帰って一週間、女房殿が何やら書類を一心不乱に見ているので尋ねると、ガラパゴスと答えて、テヘッと笑った。うわ~クワバラクワバラ、勘弁してくらさい。
一方、僕の方は10日も経った今も、夢はマダガスカルの村でバナナ買い、です。笑ったり、うなされたりしているらしいです。
でも思い出せば思い出すほど、思わず笑ってしまうのです。個人旅行ってそんなものですよね。
悲しくも哀れで、しかも、愉快なマダガスカル個人旅行(その不安な計画と実行)
旅の経過だけ見たい人は、序章を飛ばして3から読んで下さい。
1、何故、マダガスカルか 若しくは、何故マダカスカルへ?の序章
僕は元々、地球の果、土田舎のマダガスカルなんぞに行くよりは、イタリヤやスイスに行く方が好みである(我ながらかっこええなあ)。なぜなら、それこそ大変な決心と苦労の末に、その周辺には何度か個人旅行をして、土地感、交通網とか、どう身を守るかとか、特に食事は、どんな物をどのように注文して食えば良いのかとか、生きて行く上での、もろもろの事柄を習得して、異国のあれこれへの恐れも漸く克服し、かなり気楽に旅行できる状態になっているからだ。
だが女房殿は、亭主のこんな苦労と、その結果得られた、かくも貴重な安心感を無視して、ただ一言、「同じ所に行くのは面白くない」、と、のたまわった。ひっ、ひどいなあ。
そうして、悲しくも僕はそんな主張に唯々諾々と従う性格の弱いタイプで、女房殿の主張するペルーとか、ガラパゴスとか、個人旅行するにはかなり恐ろしげな国々の中から、まだ最も安全そうに思えるマダガスカルを選択することとなってしまったのだ。
つまり、僕には、特にマダガスカルにこだわる理由はないが、やむを得ずマダガスカルを選んだに過ぎないのが実情なのだ。ようするに悲しい性の為せる業と言えるだろう。
● 素晴らしいおっさん、島泰三の本との出会い
たとえ望まぬ場所であっても、行くと決めた以上は、目的地の事を可能な限りは調べるってことが僕の身上で、早速、マダガスカルのことを調べ始めた。調べる対象は、先ずは「地球の歩き方」で、後、「地元の図書館」とか「鉄鋼会館の旅の図書館」と、「インターネットの旅行記」を調べることになる。なお、その間女房殿はマダガスカルのことを全く調べる気もなかった。まあ、それはそれとして、最初にヒットしたのが、島泰三さんの、「どくとるアイアイと謎の島マダガスカル」って分厚い上下2冊の本で、これは地元の図書館にあった。で、多分、誰が読んでも判るのだが、内容文章共に素晴らしい本で、特に、その冒険の凄さに捉われてしまったのだ。
てなことで、マダガスカルに行く気にはなったのだが、出来れば、飛行機で移動するような安易な旅でなく、乗り合いバスで行くような、そんな冒険旅行に仕立てたかった。がしかし、女房連れ、それもすこぶる口うるさい女房殿と一緒の、その旅の結果を考えれば余りに恐ろしくてそれもならず、先ずは偵察を兼ねてと、安易な旅行法の個人旅行に落ち着いてしまった。
でもって、僕のマダガスカル旅行記が始まるのだが、このままずるずると文をつづっても、いつになれば終わるかの目途が立たない。であるからして、以後は他の人々の個人旅行の参考になる範囲の事柄を、出来るだけ簡単に記述することにしたのだ。
2.個人旅行計画のポイントに関する序章
ここんとこは、真面目に書いておきます。
2-1 航空便の予約を行うことで、腹を決める。
個人旅行計画を進めるにあたって、いろんな問題があるが、まあ大多数の人に取っては、その旅行計画途上での不安さをどう解消するかにあるだろう。これを解決する最も手っ取り早い方法は航空券を確保してしまうことだ。安売り航空券を確保してしまえば、腹が据わって、少々は気持ちが楽になるのだ。つまり、自分を追い詰めてしまうってことですね。別名、背水の陣とも言います。とは言え、むやみやたらに買うのはまずい。ざっと手順を書くと次のようになる。
① 先ずは目的地国内での移動、旅行計画を作る。なお、入国と出国の航空便が決まれば、それに合わせて日程の修正が必要になる。なぜなら、航空便が毎日ある空路はまれだから、便に合わせて計画を修正せざるを得ないからだ。
② 目的地国内で、移動が有る場合は、入国後、先ず一番遠くに行き、そこから入国空港に戻ってくるルートが望ましい。なぜそうなのかは、自分で考えろ。
だが、いろんな理由でそうできない場合もあるのだ。
③ 目的とする国のどこの空港に行くかを決める。多くの便が有る空港への便が最も安いのは当然だろう。
④ 旅行検索の旅行案内で、安売り航空券を調べる、通常は6ヶ月先頃の便を売出している。
売出しの前に、つまり、7ヶ月より前に旅行計画をするのが望ましく、売出しが始まったら、さっと買えば良い。う~ん、ちょっと遅れてもっと良いのが出ることもあるので、ここん所が難しい。
出発日直前に値下げする事もあるから、普段から計画しておいて、値下げの時に買う手もあるが、その場合にはホテルは出たとこ勝負で、現地で探すことになる。スイス等の人気観光地では、直前のホテル予約は困難となる。イタリヤやスイスなら、僕はこの手で安く旅行できるのだけどね。(どうじゃ!かっこうええやろ?)でも、今回の結果からすると、ホテルの予約をせずに出掛ける方が良いのかもしれない。
⑤ 国内航空会社のエコノミーの座席は、何故か狭いようだから、避ける方が良さそうだ。これは何度か経験したが、長い飛行では実は非常に重要なことなのだ。
これって、営業妨害やろか?勘弁してな。
⑥ 航空券発売代理店の信頼性だが、普段から旅行検索の旅行ページを見ておき、見慣れた航空券発売代理店を選ぶと安心だし、また、代理店が、その航空券発売以外に、どんな活動をしているかも調べれば、もっと安心できる。
⑦ 目的地がヨーロッパの場合は、南回りが遥かに安く、また、朝、目的地に着くメリットがあるが、長時間の搭乗と長時間のトランジットに耐えねばならない。が、BANGKOKでトランジットホテルまたは休憩所を利用する方法もある。
⑧ 航空会社によっては、毎日の運行でない場合があるから、旅行検索で航空会社が判れば、航空会社のHPで往路、復路の曜日を確認して、これに合わせて旅行計画を修正し、その後、代理店に見積もり依頼をすれば良い。
⑨ 従来、安売り航空券の場合は、出発2時間前にチケットを入手し、其の時に席も決まるのだ
が、最近は代金支払いと同時に、発券される方式が増えてきた。席の予約はできないと、代理店が座席指定を断った場合には、そっと航空会社と直接連絡を取り、発券代理店を通しての席指定を可能としてもらえることもある。その回答を得て再び代理店と連絡すれば良い。貧乏個人旅行の不安を少しでも少なく出来るのだから、是非トライすることだ。
なお、今回の代理店でのマダガスカル安売りチケットは、これも含めてうまく出来た。なお、座席の配置については、各航空会社のホームページに機材詳細として記載されているので、どの席が望ましいのかも調べることが出来る。こんな細かい情報も、今では簡単に入手できるようになっているのだ。
だがなあ、うまいことが続くわけもない。入金も終わり、裏で手を回して座席指定も出来てから、帰国便のタイ航空が夏時間が終わったかして一時間早くなり、接続がまずくなって一晩をバンコックで過ごすことになったとの連絡があった。避難民じゃないんやからなんとかせい、と要求したら、空港には宿は無い、だからバンコック市内での宿泊を何とかするとの答えではあったが、わざとかどうか、なかなか回答もなく、もうええわ、バンコック空港は24時間空港やから何とかなるやろ、と自分から断ったが、インターネットで調べると空港内にトランジット用ホテルがあることが判った。ふん、口からでまかせか、とも思ったが、でもまあ、利益の少ない安売り個人チケットなら、こんなこともありますわなあ。でも、いくら安売りの個人客では利益が少ないからって、航空会社も代理店も、おもてなしの心がありませんな。NHKの朝ドラで勉強して欲しかったですねえ。
⑩ チケットを買う時には、ゆっくりと落ち着いて業者を決めましょうね。どんな場合も焦らないことが重要です。チケットが売り切れたら来年を待てばいいのだからね。
ゆっくりと2,3社の金額と条件を確認してから購入しましょうね。でも、こう言いながらも、今回は僕は一社しかコンタクトしなかった。我ながら言うこととやることが全く違いますがな。わっはははは。
で、マダガスカル往復とマダガスカル国内4回(実質3回)の国内便で合計24万円とは、かなり高価な航空代金になりました。女房と二人で48万円ですがな。トホホ、航空運賃だけでイタリヤ20日間の個人旅行が出来ますがな。KLMでの北回りでどうなるかも調べるべきやったかなあ。皆さんは是非工夫してね。
2-2 宿の調査と、予約に関する序章
① マダガスカルにもなると、欧米圏とは違って、宿のインターネット検索は、殆どあてにならない。やはり地球の歩き方を基本にして調べるべきでしょう。でも、それも100%は信用できない。メールアドレスも違っていることがあるから、その場合はインターネットで調べることが必要です。
② 僕の失敗からすると、マダガスカルでは、欧米とは違って、宿の値段もふっかけてくるようだから、必ず値段交渉が必要なようです。更に判らないのは、予約を取ると、条件が最悪の部屋を充てるようです。しかも、部屋の予約日以外の、例えば、金額とか部屋の条件は殆どリセプションには連絡されていないようです。ですから、部屋の予約以外の条件を守らせるのは、現地到着時の大切な仕事になるのです。今度の旅での一例を示せば、フォートドーフィンの一流ホテルの場合には、僕の予約をしたのは、RINDRAって担当者なんですが、どうやらその人物はタナの事務所か代理店に所属するらしくって、予約金額でさえ現地のリセプションには伝わっていなくて、僕がRINDRAと予約したと言うと、現地リセプションの誰もが、RINDRA?WHO?って言い合ってました。ってことは、こちらも予約を守らなくてもいいってことですから、気楽ではありますね。
③ マダガスカルの場合は首都のタナ以外は、メールで徹底的に値段交渉をしましょう。でもって、現地に行って予約した部屋を見て、嫌だと思ったら別のホテルに行くか、予約条件はこうだと言って、部屋を変えてもらいましょう。値上がりしても、どうせたいした金額じゃあありません。
④ マダガスカルの場合、英語では返事が来なかったらフランス語で出しましょう。フランス語が出来ないなら勉強しましょう。会話は難しいですが、書き方は簡単ですからね。
NHKなら、月350円で勉強できますからね。6ヶ月で書き方はマスターできますよ。
⑤ それと、インターネットで旅行記を調べると、意外なところに良いホテルがあります。例えばスイスのサンモリッツのホテルですが、観光地でとっても高いのですが、その近くのフィリズールには、駅の上に素敵なホテルがあるのですが、このホテルは鉄道マニヤの旅行記で見つけたのです。
ホテルだけではなくって旅行記を見ているといろんな事がわかります。何度も読むことが望ましいですね。ついでに僕の旅行記(つまり、これ)も参考にしてね。
前置きはこの程度にして、さて本題に入りましょう。
3 悲しくも哀れで、それでもなお、愉快なマダガスカル旅行
お待っとうさん、いよいよ本題です。(大阪人は、小さな“っ”が好きなんだってさ)
2007年9月28日→29日からついでに→4日まで。
南半球にあるマダガスカルは、この頃、春で季節的にも過し良い季節の筈だが、標高1400mの首都タナと、亜熱帯に属する海岸辺りの観光エリヤとで、どう気温が違うのか迷いに迷ったが、結論的に言うなら、首都では長袖で若干涼しい日と若干暑い日の間で、首都からかなり下ったペリネでも曇り加減で長袖でも若干涼しく、モロンダバとフォートドーファンでは半袖でちょうど良いって言うか、なかなか暑いってとこでした。つまり場所と曇り方で、かなり気温が違うってことです。ずっと晴天でペリネに入った頃に雲が空を覆い、パラパラっと雨がふることもありました。
余談になりましたが、成田をタイ航空が16:55発、BANGKOK21:25着、ここで、マダガスカル航空は夜中の1:10発でした。3時間も待つのはつらいですが、これは仕方がないですねえ。BANGKOK空港の椅子が硬くてたまりませんでした。で、僕は我慢強いのですが、女房はぶつくさと、うるさくて仕方ありません。先に書いたように、帰路では夜中ずっとのトランジットですから、その時BANGKOKに着いて直ぐに休む場所を尋ねて判ったのですが、6階の奥の方にトランジットホテルがあって、有料ですが、宿泊とそれとは別に休憩も出来るようになってます。今後の機会には多いに利用できそうです。トランジットは各階とのエスカレータのある通路四辻を介して各階に行けるのです。で、2階にトランジットのチェックインカウンターは有るのですが2時間前にならないとチェックインさせてくれません。
さて、首都ANTANANATIVE(略称TANA)への道は、BANGKOK発1時10分、TANA着7:55 時差4時間ですから、10時間40分の飛行なんですが、実は途中でレユニオン島のST.DENIS(サン・ドニ)に降ります。(火山島で非常に美しい島です)なお、この便は窓側2列ですから過ごしやすい飛行機ですね。(ちょっとトイレの数が少ないかな)
で、TANA着で国内線に乗換て、14:55バオバブの木で有名なMORONDAVAに行きます。
TANAでも長時間のTRANSITです。今回はTRANSIT時間が全般的に長すぎました。失敗なのか、この国ではやむを得ないのか?次に行く人は確かめてください。
TANAでの荷物の受取りは機械1系列ですから間違えようもありませんが、出口で荷物番号を必ずチェックしますので、荷物券の準備を忘れては駄目です。
空港は、向かって右が国際線、左が国内便で合計200坪ほど(ちょっと表現が大げさかな)のさびしい空港です。両エリヤ間には細い通路もありますが、外に出て移動しても大差はありません。特に、僕の着いたのが土曜のせいか、国際線の右端、つまり、国内線とは反対側の通貨交換所以外は全ての店が閉じていたので、この空港は、実になっさけない空き家状態でしたね。なお、他の旅行記に記載されているのとは違って通貨交換所は一箇所だけになっていました。交換率は、日本で調べたところ売り買い中間値15.9ARI/円のところが、売り15.1、買い15.9ですから、この交換所では買いを前提としない交換率です。つまり、ARIから外貨への交換をさせないような工夫をしてる筈ですね。で、僕の場合は、MORONDAVAからFORTDAUPHINへの移動でも、ここに立ち寄るので、4万円だけ替えたのですが、70.4万ARIを受取ました。1万ARIの紙幣で10枚をホッチキス止めしたのを7冊と2千ARI2枚をくれました。細かくして、と頼むと、一冊を返して、5千ARI10枚のを2冊くれましたね。紙幣のホッチキス止めにはショックを受けますが、なかなか便利なものです。ちなみに、1円=15.1ARIってことは、1000ARIでほぼ66円ですね。
僕の後からに30歳程度の日本人が10万円を交換したらしいのですが、札束の大きさには苦労したでしょうね。米ドル、EURも、この国ではここでの交換比率がベストのようです。後は街のブラックマーケットですが、それについては、あまり経験しませんでした。
旅行記によると、国内線チェックインは離陸直前の受付で、それも我先の修羅場で、乗り残しも生じるってことで、心底、恐れていたのですが、かなり時間はあったにも拘わらず、国内線はチェックインを受け付けてくれたのです。どうなることかと、かなり心配していたのですが、今回の経験では、国内線は全て遅れも無く、どういうわけか、早く出発する時さえあって、チェッキインも粛々とやってくれました。それに、MORONDAVAのマダガスカル航空事務所では国内線のRECONFIRMを全部やってくれました。
ちなみに、タイ航空はRECONFIRMを必要としません。
空港での時間潰しですが、空港を出れば道の向こうに田圃がありますし、国際線2階には、軽食エリヤと、その奥にレストランもあります。何でも安いから心配しないで食べましょう。なお、スパゲチィーとかオムレツはレストランではなくって軽食エリヤです。それと、この国のレストランではスープってええのを重視していない傾向がありますね。ちょっとさびしいですね。
なお、国際線のトイレには、小母さんが出勤してきて金の奉仕を要求することがありますが、小母さんが居なければ無料です。国内便は誰も居なかったですし、この国で便所代を要求されるのはここだけでした。
自由席ながらも、皆さん粛々と滑走路を歩いて乗機しましたが、やはり旅行記で脅されていたのか、若いフランス人が最も焦っていましたね。他方、せっかち日本人と言えども、年寄りの僕等夫婦はそれなりの威厳がありますんで、現地人障害者を介助しながら乗機しましたね。それでも、窓際にちゃんと座れましたよ。
窓から見る風景は、赤茶けた乾燥地が殆どの、広大な大地でした。MORONDAVAに近づくと緑が増えてきましたが、まだまだ乾季って感じでした。その中に大きな円形の緑の農園が見えました。多分これは給水装置が設置された農園でしょう。GOOGLE地図で見たものと同じです。着地体勢になったころ、まっすぐな道に沿って、まばらではあるものの、延々と並ぶBAOBABの木の列が見えました。思ったより多くのBAOBABの木ですが、その眺めは壮観なものです。なお、機の右翼側によく見えます。円形の緑は左翼側です。
空港はTANAよりも更に小さく、荷物受取りは、荷物券番号を読み上げて受取るのです。
受取室はガラス張りの部屋で、迎えの現地人が紙に名前を書いて押し付けています。で、そこに外人の名前と一緒に2人の日本名が見えました。僕の場合はBAOBABカフエーって町一番のホテルを予約したのもののTAXIの予約をしてなかったから、よそ見をしていたのですが、目が良く、目ざとい女房が、名前があるよ、と言ったのです。紙を持っていたのは、日焼けした日本人を更に2回ほど日焼けさせ、若干、目のくぼんだ愛嬌のある、黒いTシャツの男で、後で判ったのですが、BAOBABカフエーに出入りするPATRICKって男で、結局この英語の判る男にはいたく世話になりました。なお連絡取りたい方は僕に問い合わせてください。若しくは、MORONDAVで、TAXIのPATRICKって聞けば判るような気がしますけどね。
彼の車はクラッチ操作の普通乗用車で、舗装が徹底的に老化したがたがた道を、ハンドルを右に左に、また右に、若しくは更に左、左、あかん、戻して右、って具合に、たゆみなく操作してくぼみをさけて行きます。(それほど、首都周辺以外の道は酷いのだ)
いくら払えばええのだ?と聞くと、「10,000ARI」と答え、次いで「ガソリンも上がっているから」と、なぜか弁解した。後で分かったが、ホテルの各部屋のドアーには、空港への送り迎えは6,000ARIと書いてあった。(地球の歩き方では10,000ARI)
「明日はどうするか?」と聞くので、明日は海辺を歩き、明後日はBAOBAB街道に行きたいと言うと、私の車で行けと言う。いくらだと聞くと、キリンディーから色んなバオバオを見て160,000ARI、バオバオとメナベ公園半日だと80,000ARIと言うので、明後日はキリンディー、その翌日は夕刻の半日に行くと答え、これで、最も心配していた、ここでの足は全て確保できたなあ、と考えた。
これも後で判ったがホテルに頼むと4駆での観光で、それぞれ310,000(入場料、ガイド込)160,000って、ドアーに書いていた。4駆の幅だと、この凹凸道は避けられないから、乗り心地はPATRICKの乗用車よりは悪いだろうし、入場料やガイド料を入れてもPATRICKの方がかなり安くなる。
でも、他のホテルの値段は判らないので、皆さんは予約時に聞くべきでしょう。高ければPATRICKにメールしましょう。
でもって、両側が干潟の道を進み、ついで人ごみだらけの市街地に入り、海辺に突き当たり、これを左折して砂だらけの道を進むと、ネットカフエがあり、更に行くと、地球の歩き方とかインターネットで見掛けたいろんな宿の並びがあって、そのまま少し行けば、この町一番と言われるBAOBABカフエーがあったのです。実は、その奥にTRECICOGNEってホテルが最後にあり、このホテルは一見、ボロ屋なんだが、ベランダでフランス人がごろごろとアザラシのように背中を焼いている。だから日本人も泊まれる筈だが、フランス人って、宿泊での要求度が少ない民族らしいから、保障の限りではない。
写真通りブーゲンビリヤの茂るホテルにチェックインしたが、部屋は2階の9号室であった。部屋には川側に窓が一つで、ダブルベッドが一つと、余分な小型ベッドが一個あった。
インターネットの予約では、TWINで130,000ARIだったが、ドアーに、各部屋の価格が載っていて、9号室は予備ベッド付だが、ダブルで90,000(予備ベッドも使う場合は+19,000)となっている。ふ~ん安い部屋にしてくれたのか?でも確認しなくっちゃと、リセプションに行って、部屋の値段を聞くと90,000ARIと答えたので安心して荷物を広げた。
でもこれが失敗で、二日ほどして他の部屋を見ると窓が2方向にあり明るい。でも、もう荷物を広げ過ぎたので、他の部屋を要求する気力はなかった。これで気づいたのだが、個人客で予約していると悪い部屋を割り当てるのがこの国の常識と思うべきなのだ。
それに、このホテルは、少なくとも僕らの泊まった9号室は、とても小便くさいのだ。欧米人については判らないが、日本人には余りおすすめでは無いようだ。
更に話は先になるが、出発前日4泊目の夕方に清算しに行くと、今まで顔を出したことのないチーフなる男が出てきて、あんたの部屋はTWINで予約された筈だから90,000では駄目だ、と言い出した。僕は思わず「この部屋は普通はダブルって言うもので、しかも、9号室は、窓は小さくって薄暗く、小便くさい」と怒鳴りつけた。チーフは何かブツブツ言っていたが、予備のベッドは使っていないか?と尋ね。僕が使っていないと答えると、それならいい、と答え、結局90,000ARI/泊で済ませることが出来た。BAOBABカフエーは、団体客や旅行会社からの予約客には、定価150,000ARIの広いTWINを割り当てるとか、日本人より白人を優先するような、おもてなしの気持ちが少ないと言うか、全く無いホテルであった。
(経営者はフランス人だから、フランス人には、こんな扱いはしないでしょうね)
それに食い物がまずかった。フランス人が泊まるからと、それに海辺だと期待したのだが、どこで食っていける僕でさえ、その臭いと外観を見るだけで腹がいっぱいになってしまった。グリルの魚は表面がまっくろに焼けて、しかも、おもいっきり臭いし、大きな海老は冷凍物なのか古いのかのどちらかであった。それにゼブ肉は、歯の悪い僕には余りにも硬くて歯が砕けるのでは無いかと恐怖を感じた。但し、ゼブ肉はかみしめればかみしめる程、味の出るのは事実である。更に加えて、インド米はうまみが無くって食えないと女房は言う。そんなこと言ってると生きてゆけない、無理してでも食わないと駄目だと言うのだが、女房は拒絶反応になっている。こんな具合で、持参したラーメンを活用し、近所のイタリヤ料理店でピザを食べたりして、何とか過ごすことになったのである。なお、食い物がこんな有様だから、女房の機嫌は一気に悪くなったのである。
女房に言わせると、要するに、油が悪く、しかも、油の量が多すぎで、ソテーやグリルで臭いを消す工夫とか、材料の吟味とか、話にならんってことらしい。あきまへん。
さて、支払いの問題だが、僕の場合、過去の海外旅行で残したEUR、ドルも持参していた。そこで、ドルで払えるのかとキャッシャーに聞くと、1,600ARI/ドルとのことで、TANAの交換所での1,770ARIに比較して余りにも低い。そこで、PATRICKに相談すると市内の信用できそうな人を紹介してくれた。その人は1,800ARIで交換してくれたので、多いに助かったのだ。
ホテルは最悪であったが、PATRICKのおかげで、キリンディーでは、シファカ、茶色レムール、夜行性のSPORTYレムールがくぼみに居るのさえ見られた。ただし、休憩所のちょっと向かいにある、どのトイレにも、体長30cm以上のトカゲが、蠅を狙ってか居座っていて居て、追い払おうとしてもジロッと睨み付けられるので恐ろしい、ここでトイレに行く人は気をつけよう。
色んな動植物を見せてくれるメナベ公園もなかなか面白いが、受付と言うかガイドの爺さんは、なかなか見事な英語と広範な知識を所有していて、最後にチップを要求したが、損をした気にはならなかった。むしろ彼の知識に対してチップをあげることさえ気の毒であった。
それでもやはり、最も凄いのはBAOBAB街道であった。林立する巨大なBAOBAB列のその向こうに緑の木が遥かかなたにあり、そこで子供達や牛舎がある風景は、何度見てもあきない風景だし、街道横の、ほてい葵の花が咲く池の向こうから夕日に陰るBAOBAB列を見る風景は、これもまた現実とは思えない風景であった。大型双眼鏡を持参したが、その努力が一気に報われたのであった。そうそう、夜空も凄かったですね。あんな星の連なる空は、バングラデッシのチタゴン河を越える船から見て以来でしたね。星の観察でも大型双眼鏡が威力を発揮してくれました。
PATRICKの薦めるキムナビーチにも行ったが、ここは海岸林の連なるビーチを開発したものの、開発の意味が理解できないビーチであった。
更に、考えるには、MORONDAVAでは、ツイギーに行かない限り4泊実質3日がベストのスケジュールと思える。ツイギーに行く場合は、もっと安いホテルに連絡して安く行けるように工夫すべきだろう。(高いホテルはツアーも高くなる傾向があるのだ)なお、BAOBABカフエーは、セスナ機のアレンジは「一機まるまるの予約」以外はアレンジしてくれないので、4人ほどのグループでないと高価になり過ぎる)
かくして、MORONDAVAの旅を終えて、PATRICKの車で空港に向かったのだが、彼自身の車は所用で使えず、彼の親戚の人の車で空港に向かった。車は不調で、国道2号からの分かれ道でエンストを起こしてしまった。時間は充分にあるので、この難関をどう処置するのかと、道端に店を開いた鍛冶屋のおっさんの横にあったベンチらしきものに座って眺めていた。
だがさすがにPATRICKである。エンジンの過給機の蓋を開けて、どこか近所からペットボトルに入れて持って来たガソリンを注ぎ込み、エンジンを起動すると無事、動き出した。なぜ、エンストしたのか、どう修理したのか判らぬまま、車は動き出したのだが、その交差点から100mも行かぬ場所が空港であった。歩いても行けたのだ。
空港では直ぐにチェックインできて、レストランでオムレツとポテトフライを妻と分け合ったが、これがMORONDAVAで最もまともな食事に思えた。なんか、情けない話ですがね。そうこうしている間に、飛行機は30分ほども早く出発した。なんで?なんで?
なお、PATRICKに、僕がTANAでペリネ公園に行くと話していたのだが、彼も家族を連れてTANAに行くので、そのついでにPERINEに連れて行けると言ったのだ。いくらだ、と聞くと200,000ARIって言うので、それは是非とお願いしておいた。この国ではなんでも無茶苦茶安いのだ。PATRICKの乗用車ではなく、タクシーブルースで行けば夫婦往復で10,000ARIで済むのだが、女房の機嫌を考えれば、そのようなことは出来る筈がなかった。
でもまあ、15,000円で、車と運転手を借り切り往復300km2日の旅が可能なのだから満足そのものですよね。再び友人と来る時があれば何としてもTAXIブルースに乗り、これを700円で旅行したいものだ。
2007年10月4日→5日からついでに→9日まで。
予約の時に、MORONDAVAからFORTDAUPHINの直行便は少なく、座席が取れないことが多いと言われ、MORONDAVAからTANAに行き、翌日TANA発FORTDAUPHINとしたのだが、MORONDAVA空港で時刻表を見てみると、FORTDAUPHIN行きも充分にあるようなのだ。何でこんなことになったのか理解不能だが、直行できていれば、最低1日は短縮できて、飛行機便の時間からすると、更に半日は短縮できたのだ。
とにかく、TANAに着いて、HOTEL CHEVEL BLANCO(つまりホテル白馬ですね)の空港送迎バスを探した。空港建屋を出ると、TAXI運転手がいっぱい寄ってきて、「どこ行くんだ?」と聞くので、HOTEL CHEVEL BLANCOだ、と答えると、「ああ、それは駄目だ、あのホテルは潰れた。俺の車に乗れ」などと言い出した。が、無視して待っていると、ホテル名のカードを持ったおっさんが来た。荷物を自分でひっぱって行こうとすると、胸に白いワッペンを着けたおっさんが、すっと近づき、僕と女房の荷物を引き、先に立った。すると、もう一人が近づいて、2つの荷物を二人で別けて運びだした。てなことで、わけのわからん内に、二人にチップを払わねばならんことになった。今後の教訓としては、荷物は他人に渡さぬこと、たとえ渡してしまっても、最初の一人にチップをやり、その男が荷物を分配しようが、それは責任外とすることだと心に決めた。
この国には、乞食が殆どいないが、その分、油断も隙もない。だがしかし、子供たちまで含めてなんとか頑張っている。例えば、MORONDAVAの海岸では、船が着く頃を見計らって家族一族が海岸に集まり、どんな小さな子供でも漁の道具の一本でも頭に乗っけて運んでゆく。少し大きな女の子は、岩塩をまぶした大きな魚を頭に載せて市場に持って行く。おかげで僕たちは、塩辛すぎるグリル魚を食うことになるのだが、そのことは、ここでの本題ではなくて、彼らは老いも若きも幼きも、みんな一生懸命に生きているってことですがな。だから僕は、僕のために荷物を運ぶべく白いワッペンであたかも空港職員であるかのように装おうとも、僕の荷物を運んだ連中には、ふとっぱらにチップを与えることに決めたのだ。その趣旨に沿って、ホテルの枕銭にも、絶やさず1ドルを払い続けたのだ。
ところでチップの問題だが、この国ではチップ制度はあまり無いようだ。少なくとも、ホテルで食事をする場合は、部屋にチャージしてくれと言えばチップは不要である。でもまあ、丁寧に気分良く応対してくれるなら遣っても良いだろう。僕の場合は、1,000ARI(66円)は気前良くチップであげた。一生懸命働く奴にはあげても良いだろ?
ホテルは空港近くの、市内に向かう道路に面する、なかなか外観も良く、簡潔な部屋だが、トイレ臭くなく、35,000ARI/泊でBAOBABカフエよりも住み心地が良かった。
ところで、胸のポケットにBAOBABカフエの9号室の鍵があることに気づいたので、レセプションのおっさんにBAOBABカッフエの電話番号を示して相談すると、5000ARIよこせと言って、外に出て行った。暫くして、プリペイドカードを買ってきて、電話を掛けて、
「誰かが鍵を取りにくることになった。全てこれで完了」とプリペイドカードを破り捨てた。ことが完全に終わったかどうかは知らないが、僕の責任はこれで終わったのでほっとした。気分のええおっさんではないか。
ホテル内には、旅人の木とか、珍しい木が並んでいて、外に出て右に行くと直ぐに横道があり、ホテル外壁に沿って下って行くと、木炭製造所とか、軒下小売店とか、軒先商店とか、なかなか興味深いものがある住宅が続き、更に下れば周囲に畑のある広い池があった。僕としてはそこまで行きたかったが女房が嫌がったので諦めた。
さて、食事だが、ここの食事はBAOBABカフエよりはましで、しかも、僕たち二人で一人前を頼み、それを二人で分けるってテクニックもマスターできたので、なんとか生命を維持できるようになった。FORTDAUPHINへの便は翌日午後で、朝食を食べてから、昨日の夕食分も一緒に勘定するとレストランで言うと、ウエイトレスは、宿泊費も一緒に勘定書きを持ってきたので、僕は混乱してしまった。話を良く聞くと、レストランのキャッシャーは、ホテルのキャッシャーを兼ねているらしい。それに、それとなく感じたのだが、レストランのキャッシャーの中国系マラガシー(マダガスカル人)は、このホテルのオーナーでもあるらしい。愉快で気持ちの良いおっさんである。
翌日5日は、午後3時発で、直行便を使わなかっただけで半日以上は損したことになる。
ボーディングカードには、座席番号が記載されていて、この国では珍しく指定席の便と思えた。それにこの旅では珍しくも日本人ビジネスマンが3人ほど乗っていた。
機内に入り両側3列の窓側2席につつましく座っていると、現地人が一人、通路側の席に座った。そのボーディングカードによれば、彼はその席ではなくて、向こう側の通路側なのだが、そこにはフランス人が大きな態度で座っているのだ。そんな様子から判断すると、結局、この機は自由席で、皆さん勝手きままに座っているのだと判った。
機は人跡の殆ど無い東海岸に沿って広大な原野の上空を南下して、無事に目的地に到着した。降りるべく機内で並んでいると、ビジネスマンの一人が声を掛けてきて話したのだが、港の岸壁工事を請け負っていて、窓から遠くに見える巨大な採石場で花崗岩を切り出し、これを港に運んで突堤を築いているらしい。チタンの採鉱会社から受注したもので、元請は350億円もの巨大な工事とのことだ。何か困ったことがあれば相談してくださいと、さすが僻地の日本人同士、心強い助言の声が掛けられた。
ここでは、最初の二日は、町一番のHOTEL LE DAUPHINに、インターネットで、55EUR/泊にて予約している。2日後には日本人ガイド付きでベレンティー保護区にツアーも予約している。日曜だが大丈夫かと何度も問い合わせたが、その問合せを無視してRINDRAって担当者が、僕のツアーを日曜にセットしたのだ。
迎えの車は頼んでいないし、TAXIは少ないのでどうなるかと外に出ると、LE DAUPHINの看板を持ったおっさんが居たので尋ねると、荷物はこの車に、あんた達はあのバスに乗れってことで、バスに乗ったのは我々夫婦だけだった。日本人ビジネスマン達は荷物はLE DAUPHINNの車に乗っけて、自分達は事務所からの迎えの車に乗ったようだ。ここにはPATRICKのような男はいないようだが、少なくとも送迎費は無料らしい。なんせ、宿泊費が高いからね。(夫婦で55EUR=9,000円だけんどね)
空港から市内への道路はMORONDAVAよりは良く、先に出た荷物車が、ある建物の前に止まっていた。バスの運転手は、荷物車の運転手に何かどなっていたが、どうやら、僕らの荷物は別の場所だと言っているようだ。僕らのバスは少し進んで、別の建物の前に止まり、一度は降りたのだが、小母さんが出てきて、貴方達は向こうだと、荷物バスの止まっている所を指差した。
後で判ったのだが、僕らの部屋はLE DAUPHINと同系列で、新築で横に建てられたLE CROIX DU SUDであったのだ。結局、ビジネスマン達と同じホテルであったのだが、運転手は僕の風体からてっきる旧館に泊まる人種だと考えたのだろう。
リセプションに行くと早速、部屋に案内された。でもって部屋に入ると、案の定、ダブルベッドである。僕らはTWINで予約している、と言うと、奥にある長椅子の上に置かれた寝具を指差して、あれがあるのでTWINだと言う。BAOBABカフエーと同じパターンですな。で、これは世界標準ではTWINでは無い、と言うと、困った顔をして、他のTWINの部屋はいっぱいです、と答えた。つまり、予約の個人客は最悪の部屋に割り当てるってパターンですな。
TWINでないと駄目だ、と言うと、暫く考えて、「高い部屋ですが、見ますか?」と言うので、見る、と答えると、2階に連れて行った。なんと中二階の部屋で、各階に大型ベッドの置かれた凄い部屋であった。この部屋はいくらか?と聞くと、50EURと答えた。なんのこっちゃ、予約金額より安いではないか。で、「It’s no problem」と答えると、美しい受付嬢が驚くような表情を示した。で、とにかく予約より安い金額で、想像以上の凄い部屋に泊まることになった。
更に受付嬢いわく「それで、貴方は明日ベレンチィーに行くのですね?」と聞いた。
「いや、予約を受付けたRINDRAさんが、明後日の日曜日がベストだと言うので明後日」
「RINDRA?WHO?」
で、僕も「インターネットで予約を受けたあんたの会社のスタッフだ。RINDRA、WHO?」
ってことで予約を受付けた人間が誰かが全くわからないまま話は進んだ。いずれにしても、「日本語を話すガイドも予約している」と言った。
では調べてくると、受付嬢は去って行った。
本件についての、その後の経過を先に述べると、ベレンチィーへ行く日曜の前日、つまり土曜の夕刻に受付嬢が来て、日曜には日本語が出来るガイドは忙しくて対応できないと言う、それなら予約金額は減額されるべきだと言うと、本館のキャッシャーの所に連れていった。
で、本館のキャッシャーが、いくらで予約したのかと聞くので、正直に190EURだと答えてしまうと、その金額でしかどうしようも無いと、減額には全く応じなかった。
結局、予約日だけが連絡されていて、ツアーの日にち、ガイド条件、予約金額を含む条件が全くホテル側には伝わっていなかったのだから、そこで金額を低く言っても何ら支障はなかったのだが、誇り高い日本人としては嘘を言えないのが致命的であった。だが、宿泊代金で2日分10EURを儲けているので、まあいいか、と諦めた。
それにしても、キャッシャーですら「RINDRA WHO?」と言っていた。わけわからんですな。翌日、英語を話すガイドと一緒にベレンチィーに行ったが、観光客は殆ど居なかった。つまり、日本語を話すガイドには僕の予約の話について何の連絡もなかったので、日曜にガイドするのを拒否したってことなんでしょうね。インターネットで予約時に、「僕は3日間の余裕があるから、どの日でも良い。RINDRAさんの薦める日曜日はまずいのではないか?」と何度もメールしたのだが、RINDRAは全く無視したのだ。しかも、日曜日には、ベレンチィーの麻工場も、博物館も全て休館だったのだ。観光会社SHTMに高い金を払って、詐欺に会ったようなものである。で、教訓としては、マダガスカルでは、予約はしても守る義務は全く無い。宿の部屋を確実に確保してから、現地で金額を含めて全て組みなおすことが必要、ってことですな。
それでRINDRAってえのは、首都に居る代理店の人間らしく、現地と連絡もせずにインターネットで勝手に予約を取っているらしい。なんのこっちゃ?
翌日土曜日は、朝食後(宿泊費は朝食込みでした。もうけたですね)、AIR FORECE SERVICEの事務所に行き、明後日から2泊のNAHAMPOANA LODGE予約を確認した。ここでも16EUR余分にとられちゃったが、予約の内容把握はきちんとしていて、SHTMの詐欺よりはましであった。
結論的に言うなら、片道3時間のベレンチィーに行くよりは、車で30分のNAHAMPOANAに行くほうが良いだろう。金額的には、両方とも2泊で、見ることの出来る動植物は殆ど変わらないが、所要金額は。ベレンチィーのSHTMは290EUR(朝食込み)、NAHANPOANAのAIR FORCE SERVICEは、146EUR(朝食、夕食込み)だから、一方的にNAHANPOANAが有利である。但し、後述のようにホテルはSHTMが格段に良好である。だから、ベレンチィーに行かないとの前提で、両者を組み合わせるのがよさそうだ。
ところで、帰ってからSHTMのHPを調べると、(http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://www.madagascar-resorts.com/pages/Tarifs.html)僕の泊まったmezarinの部屋は一泊61EURらしい。宿泊に関してはかなり得をしたので、ベレンチィーtourの詐欺は許しましょうね。だが、この調査から、僕の予約はいったいどうなっていたのかいよいよ、混乱ですわ)
NAHANPOANAとの予約確認を終えてから、半島をぐるっと歩いて回ることにしたが、半島東岸は激しく風が吹き荒れていた。で、地球の旅に掲載されている写真と同じビーチの上を通り、西岸のリバヌナビーチに着いた(これも写真が掲載されている)そこで美しい海岸を楽しんでから近くにあるレストランMIRAMAR(旅行記に書いてあった)に行った。このレストランはMIRAMARUって地区にあるので、その名がついているのだが、行ってみると改装閉館中であった。で、東岸近くのPETIT BONHEURに行こうとしたのだが、逆風で砂が顔に突き刺さり痛くてたまらない。仕方なく途中であきらめ、リバヌナビーチの上にあるレストランに行った。
あまり期待していなかったのだが、この国で始めての、薄味海鮮料理に出会い、女房も多いに満足となった。女房の喜びは僕の大喜びである。
翌日、ベレンティーへの道が悪いので7時には出発するとの受付嬢の話であったが、車とガイドがホテルに来たのは7時半であった。この国では、そんなもんさ。
で、往復6時間で何を見られるかは、地球の歩き方の通りです。レムールとしては、シファカ、ワオキツネザル、ブラウンキツネザル、でした。
4駆での走行は、PATRICKの車とは違い、悪路の凹凸を逃げ切れない。そのため、ドンドコドンドコと車は上下しての走行で、女房は完全に参ってしまったが、ガイドのBENでさえも同様にへばってしまった。帰る途中では翌日のNAHANPOANAでレムールに与えるバナナ(1房400ARIを2房)を買ったが、僕も味見をして、運転手とガイドに1本ずつ別けた。が、しかしガイドは食べれなかった。なお、女房はこの往復で相当のダメッジを与えられた。女房の苦しみは僕の大苦しみである。
ところでガイドのベンは、北部出身でTANAで働いていたのだが8ヶ月前にFORTDOAUPHINに来たらしい。雨季にタクシブルースで来たので、普通は2日で来れるのに一週間掛かったよ!と道の悪さを嘆いていた。やはりこの国には雨季には来ない方が良さそうだ。
ホテルに帰り、NAHANPOANA LODGEからの迎えを待ったが、約束の5時をかなり過ぎても来なかった。と、受付嬢が、本館の前に止まっている車がAIR FORCE SERVICEの車だと言い出した。行ってみると、運転手が座席でねころがって眠っていた。あれほど別館だと言っておいたのに運転手には伝わっていなかったのだ。早速、別館に行き荷物と女房を乗せて出発した。車は東岸にでて、本道を外れ北上して、とても感じの良い村々を通りすぎて、長い園内引き込み通路をへてLODGEの庭に着いた。
庭を前にしたLODGEには、平屋の建物があり、長屋状態に横並びの部屋が4室あった。横の丘の上の方にレストランが設けられていた。数人の現地人からオリエンテーションを受けてから、左端の部屋に案内されたが、部屋の中は何故かほこりだらけで、試しに電灯のスイッチを入れると火がつかない。で、直ぐに他の部屋にしてくれと、部屋を順番に見て行き、もっともましな左から2番目の部屋にした。女房と、ここに泊まる人なんて居るのかな?と話しながら荷物をばらしていると、車が着いて、欧米人がぞろぞろとやってきた。で、電灯の着かない部屋はスイス人夫婦で、蛇口が壊れているとかの他の部屋にはイタリヤ人が入った。早いもの勝ちの勝負に勝ったみたいなもんですね。なお、二日目からはメイドが入って、部屋の掃除は完璧になった。
当日の夜と翌日の朝に、ゴーシェって現地人ガイドの案内で公園内を楽しんだ。目の良い男で、ベレンチィーと同じレムールに加え、夜行性のカメレオン、ホタル、マウスレムール等を見ることが出来た。非常に有能なガイドであった。
朝と夕方に、シファカ、ワオキツネザル、茶色キツネザルがロッジの周囲を巡回して、バナナをやると僕の体にまで登ってきて、手からバナナを食べてくれた。それに、ガイドの案内なく、森をうろつきレムールを楽しむこともできたのです。ベレンチィーとは比較できないくらいに面白かった。最高ですよね。
LODGEの裏手には、マダガスカル星亀の広い檻があり、ここに入ってバナナを引っ込めた頭に近づけると、ゆっくりと頭が出てきたのだが、突然、凄い速度で首を伸ばし、バナナにくらいついた。亀の口はバナナだけではなくって僕の指も挟んだがペンチの様な怪力でイテテテと逃げた。亀に噛まれるような頓馬な僕でした。
朝夕食は、丘の上のレストランで定食ですが、ここの夜も降るような星の夜空でした。
2泊して9日の13:00にTANA向け便に乗るのですが、ちょっと早めで10:00から10:30に出発したい、と現地人マネージャーに言うと、送迎車の出発は9:00だと言う。何故9:00なのか?と問うと、とにかく9:00だという。わけわからんが、早く行くのは問題ない、まあええかと、翌日車を待ったが、9:00を過ぎても全く来ない。現地人マネージャーは外人と一緒に森を散策中ってことで、誰も事態を把握していない。敷地の外にパーキングがあるとかで、長い引き込み通路を行ったり来たりしたが、車の陰も姿もない。表通りに出てTAXIをひらうか、と考えた時になって、来たときの車が入ってきて、庭に止まった。中からフランス人の老婦人と若い婦人が出てきて、「運転手は悪くない、私が遅れたのだ」と弁解したが、僕は充分に時間はあるので問題は無いと答えた。そんな所に、のこのこと現地人マネージャーが森から現れ、僕の怒りは一気に爆発した。どんな風に爆発したかは書かないが、実は、この公園のオーナーはインド人で、彼とは前日に知り合い、いろんな話をしているのだ。まあ、いいや。
いずれにしても、この国の人は、約束が遅れるものとして時間を決めているのだが、時間が遅れるのは僕の方ではなくて時間を決める側なのだから、予定時間を早めても何の意味もないのだ。それに気づかず、いつも遅れる側が時間を早めようとするから、約束を守る僕としては、設定時間根拠を充分に確認しておくことが必要なようだ。但し,PATRICKは常に時間前に現れている。人によっては正確安全な男もいるのだ。後述するTANAの運転手MAXは時間丁度に来ようとするので、何かが生じると遅れることもある。
空港に着きチェックインすると、航空会社からサンドイッチと飲み物が振舞われた。(この空港だけです)
もう慣れたタナ空港に着き、荷物を持とうとする連中を振り払いつつ外にでるとタクシーの運ちゃんが寄ってきた。どうせ偽物だろうがTAXI価格票を示し、HOTEL SHANGAIまでは40,000ARIだと言う、NO! 20,000ARIだと言うと、30,000ARIだと言う、面倒になってOKと言ったが、後で考えると、ここでは25,000と答えるべきだったのだ。
美しい田園地帯とごちゃごちゃの街と、それに、丘を何度も越えてかなりな距離を進み、ほこりっぽく人であふれる市内に入り、小一時間でホテルに着いた。ジャガランタの紫の花が色ずく時期であった。
ホテルでは、空港ホテルと同様に、予約を充分に認識していて、さっささと予約通りの部屋に入ることができた。空港近くのホテルと同様に、TANAでの予約は堅実、確実なのだ。しかしながら、良き中華料理店との評判は誤っていたようだ。これが女房の機嫌を一層悪くさせてしまった。中華風チャーハンは香草で臭く、スープもごちゃごちゃと複雑な味だった。やれやれ。あきまへん。
リセプションからPATRICKに電話してもらうと、彼は結局、TANAには来れなかったのだ。でもって、女房がこの状態では、ブルースTAXI(乗り合いTAXI)でペリネに行くのは難しい。対策を考えないと、と考えた。
10月10日
ぶ~ぶ~言う女房をなだめつつ、坂を登り登り女王宮に登り、その先の展望台を過ぎたところから階段道を降りた。この道は島泰三さんの下った道であり、なんとしても降りたいと思っていた道なのだ。急な階段を降り切り、自動車道を暫く行くと、そろそろ不満の限界にある女房を連れて、漸くチンバザサ公園の壁に達した。壁に沿って、200m程度下ると公園入り口になっている。ここで、アイアイを見るには、ガイドを頼むか、池の右上の建物で警備員にチップをやって入るかのいずれかである。夜行性レムール建家になんとかたどりついて、まっくら闇の中でペンシル型懐中電灯を点けて夜行性レムールとアイアイを見ることもできた。この公園を満喫してからTAXIでホテルに帰った。
昼食後、独立大通りのマガカスカル航空を訪れて帰国便のRECONFIRMしたが、朝7時の出発に対して、チェックインは朝4時にしろとのご説明であった。またまた訳のわからん時間の勝手な指定で、そんな筈はないと追求すると、at least 5時と訂正した。なんで、そんなに時間のカマをかけるのかなあ?と、この国の習性にあきれるばかりだった。
先の話をするなら、結局この出国便は45分も遅れて出発した。これもまた、遅れが僕のせいではなくって、時間を決めた側のせいだって良い一例ですね。
RECONFIRMを終えてから、ひとつ手前のビルの2階にあるMADAGASCAR AIR TOURを訪れた。日本語スタッフは居ないかと聞くと、地球の歩き方に記載とは異なり、居ないと答えたが、どうぞと品の良い現地人婦人が対応してくれた。
ペリナツアーの費用を尋ねると、2日ツアーで自動車運転手で47EUR、ガソリン、ホテルは別で、ガソリンは判らないが80,000ARIから120,000ARIだろうと言う。頼むなら明日再び来ると言って事務所を離れた。ホテルに帰りホテルのリセプションでペリネツアーを頼めないかと聞くと、現地人レセプションは運転手を夜来させるから直接話してくれとのことで、6時に会うことにした。更に、女房殿はホテルに置いて、日本人スタッフの居るとのARICSを訪れて、同じ条件でいくら掛かるか、と聞いたら、運転手と車で、ガソリン含まず240,000ARIとのことであった。てな予備調査の結果を得て、夜30分ほど遅れてきたMAXって運転手と話して、50EURとガソリン代金80,000ARIで合意した。どんな車かと聞くと、表にあった普通乗用車を示して、こんな車だと言った。自分の車で来なかったのはガソリンを節約してのことだろう。
ホテルに戻り、現地人リセプションに頼み、電話でペリネの宿を探してもらったが、金曜土曜のせいか、アンダシベのホテルは全て満室で、モロマンガに共同トイレの一室のみが見つかり、一応予約を頼んでおいだが、この国では予約は予約であると割り切ることにした。
ってことで、翌日は、独立大通りやアナラケリーマーケットを見て回った。島さんの時代とは異なり、アナラケリーマーケットには宝石や化石は売っていなかった。
後で判ったが、新しいマーケットが、空港への途上に出来て、そこで宝石やら化石は売っているのだ。(空港よりTANA市に近いらしい)
10月12日 ペリネ訪問
朝8時30分、実に、丁度にMAXがHOTEL SHANGHAIに現れた。既に町は盛況に動いている。出発して直ぐにガソリンスタンドに入ったので、80,000ARIをMAXに渡し、更に、20,000ARIをMAXの食費と宿代だと言って渡した。車は混乱する市内を抜けて、高速で市外へと走行した。道は、今までの道路とは異なり、完全な舗装が為されている。極めて順調な走行であった。やはり3時間を要して国道とアンダシベへの分岐点に至った。分岐点を左に曲がり、かなりの距離を走行するとペリネ公園の入り口が道の右側にあり、ガイドが何人か佇んでいた。更に進むと、最初のホテルのFEONY ALAに着いた。が、満室であった、更に進むと右手に、かなり良いホテルがあったが、ここも満室であった。更に進むと、あの有名な駅舎の前に出て、道はここから左に曲がっていた。MAXに聞くと「ここは良くない」と答えて、車を止めようとはしなかった。確かに駅舎はボロボロだし、道路を挟んだバンガローも住み心地が良いとは思えなかった。駅舎から先は舗装は無く、がたがた道をゆっくりと進んだ。線路を越えて河を越えるとアンダシベ村とマンタディア公園への道の分かれ道があり、車はアンダシベ村へと細い道を向かった。ボロ家の軒先を抜けて、一軒の、いよいよぼろなレストランの前に止まった。奇妙なことに汚いレストランには白人が居て食事をしていた。そこがHOTEL ORCHIDEESで、表からは判らないが、一見瀟洒な建物が裏にあったのだ。でもって、ここではMAXのおかげで、一泊40,000ARIで、まともなホテルに泊まれたのだ。
ここのレストランの味は悪くは無いが、女房殿は始めから拒否反応に陥ってしまい。その夜は最後の持参ラーメンと村で買ったバナナで過ごした。また、このレストランの並びには、古い旅館もあって、そこはかなり安いらしい。そこにはフランス人を泊まっていたが、彼らは厳しい宿泊条件をものともしない人種のようだ。冗談ではなくって、僕は心底、」そんな彼らを尊敬してしまうのだ。
このレストランで、朝食も、とても食べられない、と女房は言い、朝食用果物、多分バナナになるのだろうかと、これを買いに村のマーケットに行った。この村には似合わないと言うか、かなり近代的な雰囲気を持つマーケットで、外人用に高く売っている場所ではないかと思う。女房と二人で行き、店番の娘に、バナナ一房を示していくらかと聞き、手帳に数値を書かせると、5,000と書いた。僕は、ベレンティーへの道で買った時に、400ARIであったから、手持ちの500ARIを示したら、女房が、5000が500になる筈がないでしょう!と後ろで叫んだ。その権幕に驚いたのか、それとも5,000FMG=500ARIであったのか、娘はぼくの500ARIをつかんでバナナを渡したのだ。こわ~い。
宿に戻り女房を置いて、僕は散歩に出た。僕はこんな村が大好きだ。誰もが穏やかで、のんびり、ゆっくりと暮らしている。村には似つかわしくない大きな広場で子供達が裸足でサッカーに興じている。行き逢う人と相槌で挨拶しながら狭い村の一本道をゆっくりと散歩した。
これから以降は、まあまあ順調なツアーとなり、順調な旅となったのでクダクダとは書きたくない。で、特記事項を以下に列記することにする。(実は疲れたのだ)
① ペリネ公園には、JEANNOT(ザノー)という日本人から金をせびるガイドが居るが、人は悪くなく面白い男だから、適当な金額で折り合うのも良いと思う。でももっと若い男の方が視力が良いかもしれない。僕の場合は、彼らも苦しいのだからちょっとはいい目をさせてやろう、と言う通りの金をやった。
② 2時間のガイドの場合でもインドリは10時頃には鳴き始める。これを見てから帰ろう。
③ ペリネ入り口前の道路では、ヘイケホタルと同じ大きさのホタルが輝いてくれます。欧米人って、ホタルには全く興味が無いので、ホタルが可哀相ですわ。
④ HOTEL SHANGAIは、極めて効率的な運営をしていて、経営者一族は、海外ビジネスも活発に行っているようです。ここの一員とは帰りのBANGKOK行き便で一緒でした。なお、どのホテルもランドリーは非常に安いです。でも下着や靴下は自分で洗濯して部屋で干しましたが、HOTEL SHANGAIではこれを厳禁しています。だが、枕銭を忘れず置いていましたから密告は無かったです。
⑤ インターネットは、独立広場近くの電信郵便局(郵便局とは別)で出来ます。1分30ARI
で、25分とか45分とかの予定をパソコン上で設定する。設定した時間分は払わねばならない。でもここには日本語フォントはありません。
⑤ 空港近くのHOTEL CHEVE BLANCOでは、日曜日の昼にビュッフェがあるが、これ
はなかなか美味い。うちの女房殿も多いに褒めていた。18,000ARI/一人で、残ったのと追加分が夕食では16,000ARI/一人で食べられます。但し昼食はビュッフェだけですが、夕食は一品料理もたべられる。なお、この国ではどこもそうだが、蠅は多いのでこの点は諦めてね。また、この国で最も確実に安心して食べられるのはオムレツだな。
HOTEL CHEVEL BLANCOでは支払いをドルやユーロでも受け取ってくれるので、滞在最終日に泊まると現地通貨を使いきれるので非常に便利である。
⑥ 宝石や化石は、空港への途上にあるMARCHE ARTISANALEで売っている。道路に沿って延々と店が連なっているので、急いで買うことは無い。ゆっくりと値段を聞いて回ってから決めればよいのだ。
⑦ TANAの出国カウンターには、あたかも事務員のような服装をしたおっさんがうろつき、出国カードを見せてチップをせしめようとするので気をつけよう。出国カードはチェックインカウンターの人に頼めばくれる。このおっさんはとっても臭いにおいがするので、直ぐわかる。僕はこのおっさんから貰い、一ドルやったのですが、これでは不足だ、セキュリチィーがどうのこうのと言い出したので、一ドルを取り返そうとしたら去って行った。後にはくっさい異臭が残ってました。
⑧ BANGKOK空港のトランジットホテル代金は5時間でダブル80ドルです。シングルだと75ドルですから、シングルは損ですねえ。このホテルの部屋は、今度の旅では最も居心地が良かったと、女房殿が言っています。でも、どこのHOTELでも、ぐっすりと寝ていたのですがねえ。
⑨ 今回の旅費は夫婦で、航空運賃240,000x2人+90,000円+604ドル+500EUR
≒航空運賃480,000円+245,000=725,000/二人
航空運賃の比率がいかに高いか、滞在費は非常に安いのが判りますね。BANGKOK空港のトランジットホテル代金、みやげ代を含み、みやげ費用は50ドル以下でした。雨季になると航空運賃も安くなって行くが、今回はそのリスクを冒せなかった。正直言ってかなり痛い出費でしたね。
⑩ さて、我が女房殿ですが、一時は、もう立ち直れないかも、と言っていたのですが、日本に近づくにつれて元気がでまして。日本に戻ったその日から家族の食事をせっせと作ってます。それに、今回の旅が面白かった、なんて言ってます。う~ん・・・。なんて書けばいいのでしょうかね?
更に、帰って一週間、女房殿が何やら書類を一心不乱に見ているので尋ねると、ガラパゴスと答えて、テヘッと笑った。うわ~クワバラクワバラ、勘弁してくらさい。
一方、僕の方は10日も経った今も、夢はマダガスカルの村でバナナ買い、です。笑ったり、うなされたりしているらしいです。
でも思い出せば思い出すほど、思わず笑ってしまうのです。個人旅行ってそんなものですよね。
0 件のコメント:
コメントを投稿