僕が初めて海外個人旅行に行ったのは、このローマ旅行である。なぜ行く気になったのかと言えば、塩野七生さんの「ローマ人の物語」に触発されたのです。実に単純です。でも、その後、イタリヤについての興味はいよいよ増して、それに元々、知らない街の知らない路地に興味が沸く性格なので、北イタリヤと南イタリヤの旅にそれぞれ行って、僕の人生はその分、面白くなったと思う。でもこんな説明って、自己満足そのものの世界だから、他の人には別に面白くもないよね。
ところで、ローマについて話を戻せば、実はこの辺りは僕は詳しくって、地中海を最初に我が物としたのは紀元前多分2000年期フェニキヤ人であり、彼等はほぼ商業だけを目的として地中海を航行し結果として地中海の主となったのだが、紀元前1500年期にはギリシャ人、次いでローマ人は、軍事力も用いて地中海の制覇を行ったのだが、そのこと、それに、映画でみるローマ人の描きかたに影響され、ローマ人は他民族から嫌われていたであろうと考えていたのだが、塩野さんの物語からすると、ローマ人の国家とは、今の国家にも劣らない思想で統治された素晴らしい国家であると判ったのだ。彼等の素晴らしい成果が凝縮されたローマをみたいと、その事実を知る前にツアーで行ったこともあるのだが、ツアーでは見残しだらけとなることは明らかなので、自分の思い通りの旅を作ろうと考えたのだ。
で、その折にイタリヤのホテル検索でVENERE.COMって見つけ、適当な宿を探していたのだが、調べてみると、ヨーロッパの宿は、一人で泊まろうと二人で泊まろうと価格は殆ど同じだと判り、女房に声を掛けたが、「同じとこに行く気はない」と素っ気なく、その秋頃に大学の同窓会があり、同じ関東エリヤで気の合いそうなS氏に声を掛けたのだ。氏は酒が入っていたせいかどうかは判らないが、行くよ、と答えたので、早速宿の手配と、同時に飛行機の手配を始めた。航空機は中華航空・イタリヤ航空共同の台北乗換え(実はバンコック経由で、ここでも長い待機時間が必要なのだ)63,000円って格安があった。要するに南周りで、往路は東京16:30、ローマ9:55、時差8時間だから、実質25.5時間は掛るのだ。帰路はローマ13:40、東京は翌日の18:15で、時差は夏時間になるので7時間で実質、21.5時間となる。
大体の設定が出来て、S氏に手配するよ、と電話するとOKの返事が来たので手配を始めた。
結局、成田2005年3月25日発、4月3日帰着で、宿は地下鉄A線のSUB-AUGAST駅近くのB&B ARANCIOに予約を取った。宿泊は55EUR/泊であった。
検索VENERE.COMでは、駅からの道が良く判らないのでメールを入れたが返事が無く、YAHOOイタリヤで地図を調べても良く判らないのでFAXで連絡すると、FAXで手書き地図を送ってくれた。なお、最近はお客さんが増えたのか、このB&Bも自分のHPを持って、そこでは、地図がしっかりと書かれています。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://www.bbarancioroma.it/index.htm
などと、ローマ中心部から地下鉄で直通と、なかなか便利な場所でした。ところで、ローマに行くまでにイタリヤ語の勉強をと、NHKのラジオ講座を3クルー、約1年半を費やしたが、ARANCIOとの連絡でも片言のイタリヤ語は、単純なことを、例えば「FAXを送る」って程度には役立った。旅の途中でも、1週間切符、若しくは、1日切符とか1時切符とかをくれとか、どこどこに行きたいとか、入ってもいいですか、とか基本的な行動では案外に役立つのだ。
なお、出発を3月末にしたのは、4月に入ると航空運賃がぐっと高くなるからです。
かくして一応の手配を完了したのですが、S氏から連絡があり、旅行途中にイギリスに行くとのことで、その計画をしているとのことでした。氏は、気象師の資格を持ち、当初はローマの気象台を訪れたいと考えていたが、つてが無く、イギリスの気象台を訪れたいと考えたとのことなのだ。ローマからイギリスか?と、僕の思考の及ばぬS氏の思考に唖然となったが、まあ、好きにすれば好かろうと、放っておいた。氏はなかなか奇抜な思考と行動で後々も僕を驚かせるのだが、その精神は安定的で行動は紳士の模範であることは強調しておこう。後に成田でチェックインの時に聞いたが、彼はその安定した精神力でもってローマからの、ロンドン行きも手配を完了していたのだ。チェックインは3時間前から並び、S氏の希望で2人共窓側を要請して希望通りの席を取れた。
初めての個人旅行でもあり、格安航空券の代理店フレックスインターナショナルの活動は、充分に調べ、安心できる会社であることは確認しておいた。
なお、到着した3/26(土)にS氏と共にローマの中華料理店で食事をしたのだが、その店の息子らしき男から、明日から夏時間になると言われた。つまり、3月の最後の日曜から時計を1時間早く進めるってことらしいのだ。これは僕に取っても、特にその初日にロンドンに飛ぶS氏にとっても寝耳に水の話で驚いたが、実際のところ、その夜の12時ちょうどに、ヨーロッパ世界の時計は1時間早められるのだ。S氏の話では進めるのを忘れた時計もあちこちで見掛けるってことでした。
3/25(金)3/26(土)
話が先に飛んだが、台北、バンコックでの長いTRANSITを経て、窓側の席ゆえ、ヒマラヤ、カスピ海を眺めて、飛行機は早朝にローマFIUMICINO空港に着いた。帰りの便のRECONFIRMに受付のあっちこっちを探し回り、RECONFIMが不要であることを確認しただけなのなが、かなりの時間を潰し、国鉄のポンテルンゴ駅(長い橋駅)まで5EURの切符を買った。ちゃんと刻印(チンブラーレ)して列車に乗った。
ポンテルンゴ駅ではローマへの進行方向に前後の地下道があるが、前方、左側が出口となる。地下鉄への乗り換えは、出口を出た先の、線路に平行な道路を後方に200m程度戻る十字路にある。切符を買おうとしたが機械が故障で、駅員が上のタバッキに行けと言う。
言われたタバッキに行くと、一週間券がなく、そこに居た客が外に出て、彼方のタバッキに行けと指示した。そのタバッキに行き、なんとか僕のイタリヤ語で、S氏用一日券(24時間券)一枚4EURと、僕用の一週間券16EURを購入した。(1回券は75分有効で1EUR)地下鉄の刻印をどうするか苦労していると、通りかかった少年が教え礼金を要求したが無視した。目的の家は駅からは近いのだが、駅のどの出口から出るかで苦労して、なんとか辿り着くとベランダからオーナーが手を振っていた。部屋は一般の居住用家族アパートのツイン2部屋、と、共有するリビングキッチン、トイレバスの3LDKであり、僕たちの部屋はツインの一つであった。僕らは7日宿泊で前金となっているので、合計385EURとなるが、S氏はロンドンに行くので僕が200EUR負担と、かなり自分に有利な分担にした。ここんとこは難しいとこですね。S氏のスケジュールでは結局4日しか泊らないんだけどね。更に、S氏は「明日はローマ空港からロンドンに経つが、帰ってからピサに行きたい、そこで、ローマ駅でピサ行きの切符を買いたい」とのことであった。僕としては、せっかくローマに滞在するのに、ローマよりもピサですか?と言いたかったが、僕も紳士なので頷くに留めた。ただ、僕としてもローマ駅に慣れておくことには文句は無い。そこで荷物を置いて、ローマ駅に行き、彼の切符を買うとともに、駅周辺の偵察も行った。更に、デオクレアヌス浴場(僕は、ここでAlcheorogiaCard20EURを買った。これは実に、コスト的にも有利だが、他の人が並んでいる横を通過できるって、とても便利だった)、共和国広場、ミケランジェロの回廊、サンタマリヤデッリアンジェリ教会(僕は当然、S氏も感動)、モーゼの噴水、サンタスザンナ教会、4っの噴水で、南北彼方のオベリスクを眺め、そこからスペイン広場へと歩き、マメックス事務所でTCをEURキャッシュに換えて(手数料なしだから、とっても有利なのだ)、そこから地下鉄で宿のあるSUBAUGAUSTに帰った。
ところで、サンタマリヤデッリアンジェリ教会の見学で気づいたのだが、僕の本来の目的は、ローマ帝国の遺跡であったのだが、ルネッサンス時代のローマ建造物も侮れないってことだった。ところで、SUBAUGASTに戻ってから、夕食を食べるレストランを探したが、駅周辺のどのレストランも真っ暗で、あたかも潰れているようで、漸く路地の奥の方で中華レストランを見つけた。そこで最初に述べた夏時間のことを聞き、特に明日イギリスに立つS氏には、実に重要な情報を得たのであった。(さもなきゃ、ローマTERMINI駅から空港に行く、ダビンチ号の指定券さえ無駄になり、それどころか、空港では、彼の飛行機に乗れないところであったのだ)
ところで、駅周辺のレストランはいつも真っ暗であったので、てっきり潰れたのだと思っていたが、帰国前日に判ったのだが、これらの店は夜7:30からオープンするのだ。で、僕の行動時間には全く引っ掛からなかったのだね。
3/27(日)
早朝、S氏はイギリスに向かって出発して行った。当然ながら、昨日より時計を1時間進めての行動である。食事は、スナックパンが山盛り置いてある(イタリヤ人は甘いものが大好きなのだ)し、牛乳、ジュースのパックが冷蔵庫に入っている。卵を買っておいたので卵焼きを作る。食事をしながら、隣の建物が果物屋のようだから、今日は帰りに果物を買い置きしようと考えた。
今日からは単独行で、先ずはバチカン美術館を目指した。曇り空の下を地下鉄でOTTAVIANO駅にまっしぐらである。今日は最後の日曜だからひょっとすると只かもしれんと、駅を降りてまっすぐ地上に上がり、バチカンのある左手に進んで行くと城壁が見えた。城壁の角の所で、右に曲がれば美術館の入り口の筈だ。だが、誰も居ない。ずっと進んで行くと美術館の入口があり、紙が貼ってあり若い旅行者が読んでいる。どうしたのかと聞くと、今日は特別のミサがあって今日と明日は休館だと言う。やれやれ、只どころではなかった、と道を戻り、城壁に沿ってサンピエトロ広場の方に向かうと、入口に人々が列を為していた。誰でも入れるのか、と聞くとNOと言って何かの書類をヒラヒラとした。仕方なく広場の外側を正面に回って行くと、広場には人がいっぱいで、正面には、テレビ中継車が列を作り大勢の警官が警戒をしていた。とても入れそうもない。予定を変更して、サンタンジェル城へと向かった。だが、美術館で並ぶ積りで来ているから、時間的にはまだ早くて開いていなかった。待つのも時間の無駄だと、下記の如く行動した。これ、ずっと歩いたんだから、凄いですね。必死でしたね。でも感動だらけでしたね。しかも、紀元1世紀の世界とルナッサンスの両方の世界に驚かされましたね。
ところで、例のカードを持っているので、切符を買う行列には並ぶ必要が無かったのも効果的でした。
アルテンプス宮→サンタアゴスチーナ教会(感動)→ナボーナ広場→デイフタンチェージ教会→パンテオン(大感動)→ミレルバ広場→ミネルバ教会→ジェズ教会(感動)・・・・前のバールでラザーニヤを教えられ食す。→アレヤサクラ→→カンポヂィフイオーリ広場→ファルネーゼ宮→スパーダ宮河沿い→マルケルス劇場→真実の口広場→真実の口教会・・・・ボール紙で右手を隠す若い女の集団に襲われるも、逃れた。→チルコマッシモ(感動)→カラカラ浴場→コンスタンチヌス凱旋門→コロッセオフォーリインペリアル通り豪雨となり→コロッセオ前から地下鉄で、帰宅です。
ところで皆さん、簡単に書いたのですが、行ったところ行ったところ、唖然とするばかりの巨大さ、凄さ、って言うか、更に、どの教会も巨大で壮麗なだけではなくって美術館なんですね。だからいちいち書いてられないの。ただ、とにかくローマが好きと言うか、尊敬するようになってしまいましたね。それに、若い女性の強盗団に襲われるって冒険もあったしね。
6時頃に帰着したのですが、レストランはみな閉鎖状態です。仕方がないのでピザ屋で、出来合いのピザを見つくろって選び、適当に切ってもらい、隣の果物屋でミカンを買って、部屋に戻って食べました。ところで、部屋に戻るには、建物入口の頑丈なドアーのカギを開けて入り、階段を上がり、3LDKのカギを開けて入り、最後に自分の部屋のカギを開けるって、非常に安全な手順なんですが、建物のカギに癖があって、一番奥まで入れず微かに手前で、それも何度か試みて漸くカギが開くってテクニックが必要でした。ところでミカンですが、最初に皮をむいたミカンは、果肉が赤黒くなってまして、これは腐ってると、ごみかごに放り込んだのですが、二個目も赤黒い、仕方無く、食べてみるとうまいので、これは赤黒いミカンなんだと気づいたですね。
それに、ローマのピザって、お好み焼きみたいなんですね。
疲れて8時には寝てしまいましたね。
3/28(月)
夜が早いと朝も早くなる。で、7時には出発です。今日は北の端からです。つまり、地下鉄でFLAMINIO駅まで行き、判らない道をうろうろとして、でも、この駅の周辺って僕の好きなごたごたなんですよね。でも、城門のあたりから整った姿になってゆくんですね。とにかく以下のルートです。
ポポロ広場→ポポロ教会→ピンチョの丘(地下近道発見→スペイン広場→マツシモ宮(展示物膨大)→テルミニ駅セルフで昼食→トリノ通り→オペラ座→サンタマリヤマッジョール大聖堂→エマルエール2世広場→中国人街発見→マッジョーレ門→城壁に沿ってサンジョバンニ門 ここで地下鉄に乗って帰宅。
今日は見所は全て素晴らしかったのですが、さすがに疲れたので、4時には帰宅したのですが、当然、レストランはどこも開いていない。で、やっぱりピザを持ち帰りです。
ところで、地下鉄には一週間券を使っているのですが、この券は検札機を通さずに、検札のおじさんに見せて通るのです。でも改札事務所のおじさんは誰も見てくれません。が、今日は初めてきちっとした検札を受けました。それもいつもの改札のおじさんではなくって、特別に来たような女検察人でした。不定期に検察して悪事を防止しているようです。
家に着くと、家主の亭主の方が掃除をしてました。女房の方は僕の不在中に朝の片づけをしているらしい。その亭主が話掛けてきて、棚にはいろんな道具があるから自由に使えと言う。変な湯沸しがあるので、これは何だ、と問うと、カプチーノを入れる道具だ、と言い、使い方を教えてくれた。更に、明日からドイツ人夫婦が別の部屋に泊まるからよろしくと言った。帰り際に、君の友人はどこかね?と聞くので、彼はイギリスに行った、と答えると、「ローマに来て、なぜイギリスに?」と不審そうに聞いたので、判らんと答えたが、彼はしきりに首を振っていた。
今日もまた8時には寝てしまった。
3/29(火)
今日も、朝7時から出発です。しかし、地下鉄を降りる時から既に、人波がバチカン美術館へと進んでいました。で、列は既に長く出来ていて、城壁の曲がり角からあまり遠く無い所で列の後ろに並んだ。傍に居る人に、ここはグループですか?個人ですか?と尋ねると、「ここは個人の列だ。グループは入口の所に並ぶんだよ」と教えてくれた。さて開門となり、人波はどっと中に吸い込まれて行った。中には広いロビーがあり、セキュリティー、12EUR切符購入、日本語のオーディオガイド6EURで借用と、ドタバタと手続きをした。オ-ディオガイドは中に入り広い階段を上がった所の受付で借りることができ、パスポートを預けねばならない。パスポートの返却はどこで?と聞くと、借りた所とは違う向かいのカウンターを指差した。で、オーディオを借りた場合は、帰る時には、ここに戻ってこなければならないのだ。地球の歩き方では、美術館から直接サンピエトロ寺院に出る通路もあるらしいが、そこに出ると大変なことになる。つまり、城壁の外を回り、人の列を素通りして、切符の半券を見せて、事情を話して入口を入り、パスポート返却所に来なければならない。この点だけは気をつけようと考えた。だが、サンピエトロ寺院への通路を見つけることは出来ず、順当に見学を終了して、パスポート返却所に戻れた。もう12時になっていた。その周辺には、売店や郵便局とかバールがあり、僕はピザを食べた。
ここのピザはパリッとした触感で、ローマ風のピザよりもうまかった。食事を終えて、帰るのだが、ここから、ループ式の下り坂をくるくると下りて出口に向かった。
美術館は凄かったけど、余りに凄すぎると、殆ど記憶できないですね。いろんな部屋が一階と二階にあるし、どこをどんなに歩いているのか判らないのです。で、ここに慣れるには、一日中ここに居ることですね。
城壁の外をまわり、サンピエトロ寺院への列に並び、セキュリティチェックをして、寺院入口への列に並んで入るのだが、屋上に行くエレベータ5EURは、いったん外に出て、セキュリティチェックの直ぐ後で、入口に向かって右手の方に入って行くのだ。だから、屋上に行ってから、降りて、寺院の見学とするのが良いようだ。エレベータでは途中までで、そこからキューポラ(丸天井)に沿って、なが~く、せま~い階段が延々と続いている。とてもつらい階段だが、上にあがると素晴らしい眺望がある。なおエレベータはどこか?って警備員にイタリヤ語で聞くと、ペラペラとイタリヤ語で返事されて困ったですね。
今日はもうとても疲れたので、後は→サンタンジェロ城→(徒歩)→スペイン広場→テルミニ三越、と簡単に済ませました。今日もピザと果物を買って部屋で夕食です。
7時には風呂に入り、寝まきに着替えたのですが、誰かがドアーを叩くので開けると、今日から泊まる予定のドイツ人でした。「玄関のドアーが開かず、他の人が来たので入れてもらった。どうすりゃいいんだ?」と言うので、「鍵を差して、ちょっと手前に戻して回すんだよ」と言うと、
「やって見せて・・・」と言いかけたが、僕が寝まきでることを知り、「そうか、よろしく」と部屋に戻っていった。彼の後ろには金髪の美しい女房がにこにこと二人の遣り取りを見ていた。
3/30(水)
早く眠ると、早く目覚めるって、好循環?状態ですね。
サンジョバンニ駅→サンジョバンニ大聖堂(凄い)→オベリスク発見→城壁に沿ってセント・ジョバンニ門へと城壁周りの道を探し、探し進んで行く (僕は、なんて凄いことしてる。感動!感動!感動! 道端にあのローマ水道の遺跡である噴水がとうとうと水を噴出しているのを発見 感動!感動!)アッピヤ石畳街道をどんどん歩く→クオヴァヂュス教会(か、かんどう!)カタコンペ看板見付ける→見学→アッピヤ探索を続ける→紅山雪夫氏の本に掲載の地点発見→反転→バス発見→そのまま乗る→隣の小母さんに行き先聞く→ピラミデ着→キオスクで昼飯(サンドが本当にうまい)→地下鉄B線で帰る(親子スリに追跡される)
ってことで、実に、城壁といろんな城門と、それに、アッピヤ街道を自分の足で制覇したのだ。しかも、親子スリに追い回されるってスリルもありましたね。
S氏が戻って来たのだが、明日はピサに行くからと、一緒に、早く寝てしまった。
3/31(木)
早朝に、S氏と出かけるが、氏はピサに行く為にTERMINI駅で降りた。僕はスペイン広場に向かった。ローマ旅行最後の仕上げである。
スペイン広場→トレヴィの泉→道を間違い南に下りてベネチア広場→戻ってコロンナ広場→コルソ通りバーで昼飯→エマヌエール記念堂前通過→カピトリーニ美術館→フォロロマーノ→コロッセオ→フォーリインペリアル通りぶらぶら→サンジョバンニインラテラーノ通り→地下鉄A線MANNZONI ほぼローマの街を歩き周り完了 やった~!!!→地下鉄B線ピラミデ(キヨスクで美味いサンドイッチ)→城壁に沿ってサンセバスチャン門まで→城門の上に登る。これで、城壁を踏破したのだ!→城壁事務所の女性にイタリヤ語でバスの乗り場を聞く。バスはサンジョバンニに行くらしい。→アッピヤ街道から来たバスに乗ると、アメリカ人の若者グループの一人の女性が、このバスがどこに行くのか!と、男性に怒り、後ろの方に行った。若者が困った顔をしているので、「このバスは地下鉄A線のサンジョバンニ駅に行くのだ」と教えてやると、「サンキュー」と言い嬉しそうな顔をして、女性の後を追って行った。どこでも女は我儘で強いのだ。僕は終点まで行かず、オベリスクの所で降りて、再度サンジョバンニ大聖堂を訪問
した。さて、宿に戻り、建物の扉を鍵で開けようとするが、あの微妙なテクニックもきかなかった。どうしようかと考えていると、この建物に住む一家らしい可愛らしい女の子が僕の後ろに立った。で、僕が扉の前から横によると、扉の内側に書いてある紙を読み、自分の家のインターホンを押して何かを話していた。彼女の家人が下りてきて、鍵が付け替えられたと教えてくれた。で、部屋に戻ると、机の上に新しい鍵が置いてあった。
S氏は遅く帰宅したのだが、鍵が開かず、たまたま他の人が入ったので一緒に入ったとのことであった、氏は無事にピサへの旅を終えたとのことであった。
4/1(金)
今日は、S氏のローマ観光の引率です。そのために、日本からインターネットで、ボルゲーゼ美術館の予約を9:00からの第二グループでしておいたのだ。、スペイン広場駅からピンチアーノ門までの地下の近道も調べ済みである。で、下記のように行動した。
スペイン広場駅→近道でピンチアーノ門へ→ボルゲーゼ美術館→ベネト通り(コーヒートビールを飲む)→トリトーネの噴水→トレヴィの泉→コロンナ広場(マルクスの塔)→パンテオン→フォーリインペリアル通り→コロッシアム って、一応の観光ルートですよね。
SUBAUGSTA駅に戻ると、6:30頃であった。今日はローマ最後の夜である。さすがに、まともな物を食べたいと、潰れていないレストランを探すことにした。
トスカーナ大通りの左右を調べ回ったが、駅そばのレストランは殆ど潰れているようだ。手前のアグリコーラ駅まで戻ったがやはり無い。そこの路地のベンチに座ってるおっさんに、「この辺りにレストランは無いのか?」と聞くと、「いっぱいある」と答えた。「どこにあるんや?」と再度聞くと、あの道を行け、と裏通りだが、トスカーナ大通りに沿って宿に向かう方向を指さした。疑いながらも、その道を歩いて行くと、暗いレストランらしきものがあり、やはり潰れているようだった。だが、扉は開いているので中に入ると、若い娘が居た。「何か食べれるか?」と聞くと、レストランは7:30からだ、と答えた。で、我々は、どこのレストランも暗いのは、まだ開店前であったのだと気づいたのだ。(明日帰るんだけどね)
7:30までの30分をカーサワイン(瓶のラベルにカーサワインって書いてある(.6EUR)とビール3EUR)で時間を過ごし、最初にサラダ、野菜スープで、次にスパゲッティを頼もうとすると、それは絶対に駄目だ、と言う。ともにPRIMOだと言うのだが、スパゲッティを食べたいんだよ、と言ってると、娘は英語をしゃべれる若者を連れてきて説明させる。で、負けました。SECONDでステーキ、それにデザートのタルト、カプチーノと食べた。サラダなんて大きなドンブリにいっぱい、スープもいっぱい、肉は山盛り、って有様だが、ずっと粗食でぜ~んぶ食べてしまった。うまかったですねえ。で、勘定は60EUR/2人で、70EUR払いました。
なお、僕たちの他の客は8時が過ぎてから来ました。
ってことで、僕のローマの旅は完了したのです。
4/2(土)4/3(日)
ながいながい旅でした。バンコック空港のTRANSIT椅子で、S氏が思わず、「我々はいったい何時間掛って帰るのだ」と呟いたのでした。でも、往復63,000円ですからねえ。
ところで、このラインは、台湾の人々が、とっても大きな荷物を持って故国に帰るようです。若い女性でもタフに生きているのには感心しましたね。
今回の旅は、航空運賃も入れて、150,000円でした。
ところで、ローマについて話を戻せば、実はこの辺りは僕は詳しくって、地中海を最初に我が物としたのは紀元前多分2000年期フェニキヤ人であり、彼等はほぼ商業だけを目的として地中海を航行し結果として地中海の主となったのだが、紀元前1500年期にはギリシャ人、次いでローマ人は、軍事力も用いて地中海の制覇を行ったのだが、そのこと、それに、映画でみるローマ人の描きかたに影響され、ローマ人は他民族から嫌われていたであろうと考えていたのだが、塩野さんの物語からすると、ローマ人の国家とは、今の国家にも劣らない思想で統治された素晴らしい国家であると判ったのだ。彼等の素晴らしい成果が凝縮されたローマをみたいと、その事実を知る前にツアーで行ったこともあるのだが、ツアーでは見残しだらけとなることは明らかなので、自分の思い通りの旅を作ろうと考えたのだ。
で、その折にイタリヤのホテル検索でVENERE.COMって見つけ、適当な宿を探していたのだが、調べてみると、ヨーロッパの宿は、一人で泊まろうと二人で泊まろうと価格は殆ど同じだと判り、女房に声を掛けたが、「同じとこに行く気はない」と素っ気なく、その秋頃に大学の同窓会があり、同じ関東エリヤで気の合いそうなS氏に声を掛けたのだ。氏は酒が入っていたせいかどうかは判らないが、行くよ、と答えたので、早速宿の手配と、同時に飛行機の手配を始めた。航空機は中華航空・イタリヤ航空共同の台北乗換え(実はバンコック経由で、ここでも長い待機時間が必要なのだ)63,000円って格安があった。要するに南周りで、往路は東京16:30、ローマ9:55、時差8時間だから、実質25.5時間は掛るのだ。帰路はローマ13:40、東京は翌日の18:15で、時差は夏時間になるので7時間で実質、21.5時間となる。
大体の設定が出来て、S氏に手配するよ、と電話するとOKの返事が来たので手配を始めた。
結局、成田2005年3月25日発、4月3日帰着で、宿は地下鉄A線のSUB-AUGAST駅近くのB&B ARANCIOに予約を取った。宿泊は55EUR/泊であった。
検索VENERE.COMでは、駅からの道が良く判らないのでメールを入れたが返事が無く、YAHOOイタリヤで地図を調べても良く判らないのでFAXで連絡すると、FAXで手書き地図を送ってくれた。なお、最近はお客さんが増えたのか、このB&Bも自分のHPを持って、そこでは、地図がしっかりと書かれています。
http://4travel.jp/dynamic/jump.php?url=http://www.bbarancioroma.it/index.htm
などと、ローマ中心部から地下鉄で直通と、なかなか便利な場所でした。ところで、ローマに行くまでにイタリヤ語の勉強をと、NHKのラジオ講座を3クルー、約1年半を費やしたが、ARANCIOとの連絡でも片言のイタリヤ語は、単純なことを、例えば「FAXを送る」って程度には役立った。旅の途中でも、1週間切符、若しくは、1日切符とか1時切符とかをくれとか、どこどこに行きたいとか、入ってもいいですか、とか基本的な行動では案外に役立つのだ。
なお、出発を3月末にしたのは、4月に入ると航空運賃がぐっと高くなるからです。
かくして一応の手配を完了したのですが、S氏から連絡があり、旅行途中にイギリスに行くとのことで、その計画をしているとのことでした。氏は、気象師の資格を持ち、当初はローマの気象台を訪れたいと考えていたが、つてが無く、イギリスの気象台を訪れたいと考えたとのことなのだ。ローマからイギリスか?と、僕の思考の及ばぬS氏の思考に唖然となったが、まあ、好きにすれば好かろうと、放っておいた。氏はなかなか奇抜な思考と行動で後々も僕を驚かせるのだが、その精神は安定的で行動は紳士の模範であることは強調しておこう。後に成田でチェックインの時に聞いたが、彼はその安定した精神力でもってローマからの、ロンドン行きも手配を完了していたのだ。チェックインは3時間前から並び、S氏の希望で2人共窓側を要請して希望通りの席を取れた。
初めての個人旅行でもあり、格安航空券の代理店フレックスインターナショナルの活動は、充分に調べ、安心できる会社であることは確認しておいた。
なお、到着した3/26(土)にS氏と共にローマの中華料理店で食事をしたのだが、その店の息子らしき男から、明日から夏時間になると言われた。つまり、3月の最後の日曜から時計を1時間早く進めるってことらしいのだ。これは僕に取っても、特にその初日にロンドンに飛ぶS氏にとっても寝耳に水の話で驚いたが、実際のところ、その夜の12時ちょうどに、ヨーロッパ世界の時計は1時間早められるのだ。S氏の話では進めるのを忘れた時計もあちこちで見掛けるってことでした。
3/25(金)3/26(土)
話が先に飛んだが、台北、バンコックでの長いTRANSITを経て、窓側の席ゆえ、ヒマラヤ、カスピ海を眺めて、飛行機は早朝にローマFIUMICINO空港に着いた。帰りの便のRECONFIRMに受付のあっちこっちを探し回り、RECONFIMが不要であることを確認しただけなのなが、かなりの時間を潰し、国鉄のポンテルンゴ駅(長い橋駅)まで5EURの切符を買った。ちゃんと刻印(チンブラーレ)して列車に乗った。
ポンテルンゴ駅ではローマへの進行方向に前後の地下道があるが、前方、左側が出口となる。地下鉄への乗り換えは、出口を出た先の、線路に平行な道路を後方に200m程度戻る十字路にある。切符を買おうとしたが機械が故障で、駅員が上のタバッキに行けと言う。
言われたタバッキに行くと、一週間券がなく、そこに居た客が外に出て、彼方のタバッキに行けと指示した。そのタバッキに行き、なんとか僕のイタリヤ語で、S氏用一日券(24時間券)一枚4EURと、僕用の一週間券16EURを購入した。(1回券は75分有効で1EUR)地下鉄の刻印をどうするか苦労していると、通りかかった少年が教え礼金を要求したが無視した。目的の家は駅からは近いのだが、駅のどの出口から出るかで苦労して、なんとか辿り着くとベランダからオーナーが手を振っていた。部屋は一般の居住用家族アパートのツイン2部屋、と、共有するリビングキッチン、トイレバスの3LDKであり、僕たちの部屋はツインの一つであった。僕らは7日宿泊で前金となっているので、合計385EURとなるが、S氏はロンドンに行くので僕が200EUR負担と、かなり自分に有利な分担にした。ここんとこは難しいとこですね。S氏のスケジュールでは結局4日しか泊らないんだけどね。更に、S氏は「明日はローマ空港からロンドンに経つが、帰ってからピサに行きたい、そこで、ローマ駅でピサ行きの切符を買いたい」とのことであった。僕としては、せっかくローマに滞在するのに、ローマよりもピサですか?と言いたかったが、僕も紳士なので頷くに留めた。ただ、僕としてもローマ駅に慣れておくことには文句は無い。そこで荷物を置いて、ローマ駅に行き、彼の切符を買うとともに、駅周辺の偵察も行った。更に、デオクレアヌス浴場(僕は、ここでAlcheorogiaCard20EURを買った。これは実に、コスト的にも有利だが、他の人が並んでいる横を通過できるって、とても便利だった)、共和国広場、ミケランジェロの回廊、サンタマリヤデッリアンジェリ教会(僕は当然、S氏も感動)、モーゼの噴水、サンタスザンナ教会、4っの噴水で、南北彼方のオベリスクを眺め、そこからスペイン広場へと歩き、マメックス事務所でTCをEURキャッシュに換えて(手数料なしだから、とっても有利なのだ)、そこから地下鉄で宿のあるSUBAUGAUSTに帰った。
ところで、サンタマリヤデッリアンジェリ教会の見学で気づいたのだが、僕の本来の目的は、ローマ帝国の遺跡であったのだが、ルネッサンス時代のローマ建造物も侮れないってことだった。ところで、SUBAUGASTに戻ってから、夕食を食べるレストランを探したが、駅周辺のどのレストランも真っ暗で、あたかも潰れているようで、漸く路地の奥の方で中華レストランを見つけた。そこで最初に述べた夏時間のことを聞き、特に明日イギリスに立つS氏には、実に重要な情報を得たのであった。(さもなきゃ、ローマTERMINI駅から空港に行く、ダビンチ号の指定券さえ無駄になり、それどころか、空港では、彼の飛行機に乗れないところであったのだ)
ところで、駅周辺のレストランはいつも真っ暗であったので、てっきり潰れたのだと思っていたが、帰国前日に判ったのだが、これらの店は夜7:30からオープンするのだ。で、僕の行動時間には全く引っ掛からなかったのだね。
3/27(日)
早朝、S氏はイギリスに向かって出発して行った。当然ながら、昨日より時計を1時間進めての行動である。食事は、スナックパンが山盛り置いてある(イタリヤ人は甘いものが大好きなのだ)し、牛乳、ジュースのパックが冷蔵庫に入っている。卵を買っておいたので卵焼きを作る。食事をしながら、隣の建物が果物屋のようだから、今日は帰りに果物を買い置きしようと考えた。
今日からは単独行で、先ずはバチカン美術館を目指した。曇り空の下を地下鉄でOTTAVIANO駅にまっしぐらである。今日は最後の日曜だからひょっとすると只かもしれんと、駅を降りてまっすぐ地上に上がり、バチカンのある左手に進んで行くと城壁が見えた。城壁の角の所で、右に曲がれば美術館の入り口の筈だ。だが、誰も居ない。ずっと進んで行くと美術館の入口があり、紙が貼ってあり若い旅行者が読んでいる。どうしたのかと聞くと、今日は特別のミサがあって今日と明日は休館だと言う。やれやれ、只どころではなかった、と道を戻り、城壁に沿ってサンピエトロ広場の方に向かうと、入口に人々が列を為していた。誰でも入れるのか、と聞くとNOと言って何かの書類をヒラヒラとした。仕方なく広場の外側を正面に回って行くと、広場には人がいっぱいで、正面には、テレビ中継車が列を作り大勢の警官が警戒をしていた。とても入れそうもない。予定を変更して、サンタンジェル城へと向かった。だが、美術館で並ぶ積りで来ているから、時間的にはまだ早くて開いていなかった。待つのも時間の無駄だと、下記の如く行動した。これ、ずっと歩いたんだから、凄いですね。必死でしたね。でも感動だらけでしたね。しかも、紀元1世紀の世界とルナッサンスの両方の世界に驚かされましたね。
ところで、例のカードを持っているので、切符を買う行列には並ぶ必要が無かったのも効果的でした。
アルテンプス宮→サンタアゴスチーナ教会(感動)→ナボーナ広場→デイフタンチェージ教会→パンテオン(大感動)→ミレルバ広場→ミネルバ教会→ジェズ教会(感動)・・・・前のバールでラザーニヤを教えられ食す。→アレヤサクラ→→カンポヂィフイオーリ広場→ファルネーゼ宮→スパーダ宮河沿い→マルケルス劇場→真実の口広場→真実の口教会・・・・ボール紙で右手を隠す若い女の集団に襲われるも、逃れた。→チルコマッシモ(感動)→カラカラ浴場→コンスタンチヌス凱旋門→コロッセオフォーリインペリアル通り豪雨となり→コロッセオ前から地下鉄で、帰宅です。
ところで皆さん、簡単に書いたのですが、行ったところ行ったところ、唖然とするばかりの巨大さ、凄さ、って言うか、更に、どの教会も巨大で壮麗なだけではなくって美術館なんですね。だからいちいち書いてられないの。ただ、とにかくローマが好きと言うか、尊敬するようになってしまいましたね。それに、若い女性の強盗団に襲われるって冒険もあったしね。
6時頃に帰着したのですが、レストランはみな閉鎖状態です。仕方がないのでピザ屋で、出来合いのピザを見つくろって選び、適当に切ってもらい、隣の果物屋でミカンを買って、部屋に戻って食べました。ところで、部屋に戻るには、建物入口の頑丈なドアーのカギを開けて入り、階段を上がり、3LDKのカギを開けて入り、最後に自分の部屋のカギを開けるって、非常に安全な手順なんですが、建物のカギに癖があって、一番奥まで入れず微かに手前で、それも何度か試みて漸くカギが開くってテクニックが必要でした。ところでミカンですが、最初に皮をむいたミカンは、果肉が赤黒くなってまして、これは腐ってると、ごみかごに放り込んだのですが、二個目も赤黒い、仕方無く、食べてみるとうまいので、これは赤黒いミカンなんだと気づいたですね。
それに、ローマのピザって、お好み焼きみたいなんですね。
疲れて8時には寝てしまいましたね。
3/28(月)
夜が早いと朝も早くなる。で、7時には出発です。今日は北の端からです。つまり、地下鉄でFLAMINIO駅まで行き、判らない道をうろうろとして、でも、この駅の周辺って僕の好きなごたごたなんですよね。でも、城門のあたりから整った姿になってゆくんですね。とにかく以下のルートです。
ポポロ広場→ポポロ教会→ピンチョの丘(地下近道発見→スペイン広場→マツシモ宮(展示物膨大)→テルミニ駅セルフで昼食→トリノ通り→オペラ座→サンタマリヤマッジョール大聖堂→エマルエール2世広場→中国人街発見→マッジョーレ門→城壁に沿ってサンジョバンニ門 ここで地下鉄に乗って帰宅。
今日は見所は全て素晴らしかったのですが、さすがに疲れたので、4時には帰宅したのですが、当然、レストランはどこも開いていない。で、やっぱりピザを持ち帰りです。
ところで、地下鉄には一週間券を使っているのですが、この券は検札機を通さずに、検札のおじさんに見せて通るのです。でも改札事務所のおじさんは誰も見てくれません。が、今日は初めてきちっとした検札を受けました。それもいつもの改札のおじさんではなくって、特別に来たような女検察人でした。不定期に検察して悪事を防止しているようです。
家に着くと、家主の亭主の方が掃除をしてました。女房の方は僕の不在中に朝の片づけをしているらしい。その亭主が話掛けてきて、棚にはいろんな道具があるから自由に使えと言う。変な湯沸しがあるので、これは何だ、と問うと、カプチーノを入れる道具だ、と言い、使い方を教えてくれた。更に、明日からドイツ人夫婦が別の部屋に泊まるからよろしくと言った。帰り際に、君の友人はどこかね?と聞くので、彼はイギリスに行った、と答えると、「ローマに来て、なぜイギリスに?」と不審そうに聞いたので、判らんと答えたが、彼はしきりに首を振っていた。
今日もまた8時には寝てしまった。
3/29(火)
今日も、朝7時から出発です。しかし、地下鉄を降りる時から既に、人波がバチカン美術館へと進んでいました。で、列は既に長く出来ていて、城壁の曲がり角からあまり遠く無い所で列の後ろに並んだ。傍に居る人に、ここはグループですか?個人ですか?と尋ねると、「ここは個人の列だ。グループは入口の所に並ぶんだよ」と教えてくれた。さて開門となり、人波はどっと中に吸い込まれて行った。中には広いロビーがあり、セキュリティー、12EUR切符購入、日本語のオーディオガイド6EURで借用と、ドタバタと手続きをした。オ-ディオガイドは中に入り広い階段を上がった所の受付で借りることができ、パスポートを預けねばならない。パスポートの返却はどこで?と聞くと、借りた所とは違う向かいのカウンターを指差した。で、オーディオを借りた場合は、帰る時には、ここに戻ってこなければならないのだ。地球の歩き方では、美術館から直接サンピエトロ寺院に出る通路もあるらしいが、そこに出ると大変なことになる。つまり、城壁の外を回り、人の列を素通りして、切符の半券を見せて、事情を話して入口を入り、パスポート返却所に来なければならない。この点だけは気をつけようと考えた。だが、サンピエトロ寺院への通路を見つけることは出来ず、順当に見学を終了して、パスポート返却所に戻れた。もう12時になっていた。その周辺には、売店や郵便局とかバールがあり、僕はピザを食べた。
ここのピザはパリッとした触感で、ローマ風のピザよりもうまかった。食事を終えて、帰るのだが、ここから、ループ式の下り坂をくるくると下りて出口に向かった。
美術館は凄かったけど、余りに凄すぎると、殆ど記憶できないですね。いろんな部屋が一階と二階にあるし、どこをどんなに歩いているのか判らないのです。で、ここに慣れるには、一日中ここに居ることですね。
城壁の外をまわり、サンピエトロ寺院への列に並び、セキュリティチェックをして、寺院入口への列に並んで入るのだが、屋上に行くエレベータ5EURは、いったん外に出て、セキュリティチェックの直ぐ後で、入口に向かって右手の方に入って行くのだ。だから、屋上に行ってから、降りて、寺院の見学とするのが良いようだ。エレベータでは途中までで、そこからキューポラ(丸天井)に沿って、なが~く、せま~い階段が延々と続いている。とてもつらい階段だが、上にあがると素晴らしい眺望がある。なおエレベータはどこか?って警備員にイタリヤ語で聞くと、ペラペラとイタリヤ語で返事されて困ったですね。
今日はもうとても疲れたので、後は→サンタンジェロ城→(徒歩)→スペイン広場→テルミニ三越、と簡単に済ませました。今日もピザと果物を買って部屋で夕食です。
7時には風呂に入り、寝まきに着替えたのですが、誰かがドアーを叩くので開けると、今日から泊まる予定のドイツ人でした。「玄関のドアーが開かず、他の人が来たので入れてもらった。どうすりゃいいんだ?」と言うので、「鍵を差して、ちょっと手前に戻して回すんだよ」と言うと、
「やって見せて・・・」と言いかけたが、僕が寝まきでることを知り、「そうか、よろしく」と部屋に戻っていった。彼の後ろには金髪の美しい女房がにこにこと二人の遣り取りを見ていた。
3/30(水)
早く眠ると、早く目覚めるって、好循環?状態ですね。
サンジョバンニ駅→サンジョバンニ大聖堂(凄い)→オベリスク発見→城壁に沿ってセント・ジョバンニ門へと城壁周りの道を探し、探し進んで行く (僕は、なんて凄いことしてる。感動!感動!感動! 道端にあのローマ水道の遺跡である噴水がとうとうと水を噴出しているのを発見 感動!感動!)アッピヤ石畳街道をどんどん歩く→クオヴァヂュス教会(か、かんどう!)カタコンペ看板見付ける→見学→アッピヤ探索を続ける→紅山雪夫氏の本に掲載の地点発見→反転→バス発見→そのまま乗る→隣の小母さんに行き先聞く→ピラミデ着→キオスクで昼飯(サンドが本当にうまい)→地下鉄B線で帰る(親子スリに追跡される)
ってことで、実に、城壁といろんな城門と、それに、アッピヤ街道を自分の足で制覇したのだ。しかも、親子スリに追い回されるってスリルもありましたね。
S氏が戻って来たのだが、明日はピサに行くからと、一緒に、早く寝てしまった。
3/31(木)
早朝に、S氏と出かけるが、氏はピサに行く為にTERMINI駅で降りた。僕はスペイン広場に向かった。ローマ旅行最後の仕上げである。
スペイン広場→トレヴィの泉→道を間違い南に下りてベネチア広場→戻ってコロンナ広場→コルソ通りバーで昼飯→エマヌエール記念堂前通過→カピトリーニ美術館→フォロロマーノ→コロッセオ→フォーリインペリアル通りぶらぶら→サンジョバンニインラテラーノ通り→地下鉄A線MANNZONI ほぼローマの街を歩き周り完了 やった~!!!→地下鉄B線ピラミデ(キヨスクで美味いサンドイッチ)→城壁に沿ってサンセバスチャン門まで→城門の上に登る。これで、城壁を踏破したのだ!→城壁事務所の女性にイタリヤ語でバスの乗り場を聞く。バスはサンジョバンニに行くらしい。→アッピヤ街道から来たバスに乗ると、アメリカ人の若者グループの一人の女性が、このバスがどこに行くのか!と、男性に怒り、後ろの方に行った。若者が困った顔をしているので、「このバスは地下鉄A線のサンジョバンニ駅に行くのだ」と教えてやると、「サンキュー」と言い嬉しそうな顔をして、女性の後を追って行った。どこでも女は我儘で強いのだ。僕は終点まで行かず、オベリスクの所で降りて、再度サンジョバンニ大聖堂を訪問
した。さて、宿に戻り、建物の扉を鍵で開けようとするが、あの微妙なテクニックもきかなかった。どうしようかと考えていると、この建物に住む一家らしい可愛らしい女の子が僕の後ろに立った。で、僕が扉の前から横によると、扉の内側に書いてある紙を読み、自分の家のインターホンを押して何かを話していた。彼女の家人が下りてきて、鍵が付け替えられたと教えてくれた。で、部屋に戻ると、机の上に新しい鍵が置いてあった。
S氏は遅く帰宅したのだが、鍵が開かず、たまたま他の人が入ったので一緒に入ったとのことであった、氏は無事にピサへの旅を終えたとのことであった。
4/1(金)
今日は、S氏のローマ観光の引率です。そのために、日本からインターネットで、ボルゲーゼ美術館の予約を9:00からの第二グループでしておいたのだ。、スペイン広場駅からピンチアーノ門までの地下の近道も調べ済みである。で、下記のように行動した。
スペイン広場駅→近道でピンチアーノ門へ→ボルゲーゼ美術館→ベネト通り(コーヒートビールを飲む)→トリトーネの噴水→トレヴィの泉→コロンナ広場(マルクスの塔)→パンテオン→フォーリインペリアル通り→コロッシアム って、一応の観光ルートですよね。
SUBAUGSTA駅に戻ると、6:30頃であった。今日はローマ最後の夜である。さすがに、まともな物を食べたいと、潰れていないレストランを探すことにした。
トスカーナ大通りの左右を調べ回ったが、駅そばのレストランは殆ど潰れているようだ。手前のアグリコーラ駅まで戻ったがやはり無い。そこの路地のベンチに座ってるおっさんに、「この辺りにレストランは無いのか?」と聞くと、「いっぱいある」と答えた。「どこにあるんや?」と再度聞くと、あの道を行け、と裏通りだが、トスカーナ大通りに沿って宿に向かう方向を指さした。疑いながらも、その道を歩いて行くと、暗いレストランらしきものがあり、やはり潰れているようだった。だが、扉は開いているので中に入ると、若い娘が居た。「何か食べれるか?」と聞くと、レストランは7:30からだ、と答えた。で、我々は、どこのレストランも暗いのは、まだ開店前であったのだと気づいたのだ。(明日帰るんだけどね)
7:30までの30分をカーサワイン(瓶のラベルにカーサワインって書いてある(.6EUR)とビール3EUR)で時間を過ごし、最初にサラダ、野菜スープで、次にスパゲッティを頼もうとすると、それは絶対に駄目だ、と言う。ともにPRIMOだと言うのだが、スパゲッティを食べたいんだよ、と言ってると、娘は英語をしゃべれる若者を連れてきて説明させる。で、負けました。SECONDでステーキ、それにデザートのタルト、カプチーノと食べた。サラダなんて大きなドンブリにいっぱい、スープもいっぱい、肉は山盛り、って有様だが、ずっと粗食でぜ~んぶ食べてしまった。うまかったですねえ。で、勘定は60EUR/2人で、70EUR払いました。
なお、僕たちの他の客は8時が過ぎてから来ました。
ってことで、僕のローマの旅は完了したのです。
4/2(土)4/3(日)
ながいながい旅でした。バンコック空港のTRANSIT椅子で、S氏が思わず、「我々はいったい何時間掛って帰るのだ」と呟いたのでした。でも、往復63,000円ですからねえ。
ところで、このラインは、台湾の人々が、とっても大きな荷物を持って故国に帰るようです。若い女性でもタフに生きているのには感心しましたね。
今回の旅は、航空運賃も入れて、150,000円でした。
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