2023年4月8日土曜日

どうやら、長姉も長兄も亡くなったらしい。

 ひょっとした知り合いの情報から判ったが、長兄 志水秀夫は数年前に亡くなったようだ。
長兄は僕より8歳年上で、80代半ばで亡くなったと思える。
この知り合いからの情報で、この兄の不可思議な行動に関する疑念が一つ判ったと、僕は確信する。それに、そのことから、 僕の兄弟姉妹は、どいつも嘘を平気でつけるのだと再確信した。彼らは皆、本当にクズだなと僕は再認識した。結局、僕の兄も姉もくずなんだと確信したわけだ。  全くもって、韓国ドラマの上を行く連中である。これらの、くずの行動で心を萎えさせても意味が無いから、連中の事はここに書くだけに留めて後は忘れることにする。

ところで、更に4歳年上の姉 粟野泰子についてはGoogleMapからの情報で、ほぼ同時期に亡くなったと思える。12歳上だから90歳程度と思える。
共に連絡はないが、僕への仕打ちからすると連絡できる筈はないだろう。

長姉や長兄については、一年に一度か、あの時の怒りの思いを思い出して、グーグルStreetで、彼らの住居の様子をみることがあった。
34.56812,135.591843  僕の育った家
僕の優しい姉と兄
http://isabon.blogspot.com/2014/07/blog-post.html

長兄の住居、つまり僕が育った住居はだんだんと寂れてゆく様子ではあるが変わりなく、と言うか、金は有り余っているのに使わないってけちな志水家の性格そのものを表している。
と言うか、高級住宅地の中の200坪超の家なんて、掃除も維持も大変なのだろう。僕の高校時代の夏には、水まき担当で、井戸の水を何度も何度もバケツで運んで大変だった。
姉の吉祥寺の住居は、変なことに、表札が奇妙な変化を見せた。当初の表札は、(粟野/Y) となっていて、この家は粟野姓の姉が両親に買ってもらった家を売り、その2億円で買い替え節税で買った家で、姉の娘の一家であるY家と共に暮らしているわけだ。姉はその家の他に、調布の団地のマンション、更には、都内のかなり大きな喫茶店の経営権も買ってもらったのだが、それらは売って自分の財産にして、更には母親が親父から相続した1億円もいつの間にか、自分の家族に生前贈与してしまった。他方、長兄は、親父の家と会社と工場の経営権と親父の家、それに、相続時には秘密にしていたが、ずっと後に判ったのだが、会社で買った工場より広い土地を相続したわけだ。二人とも、それらの遺産相続書は全く見せてくれないのだが、そんなわけで、姉も兄も、僕には全く連絡はない。
僕の他での経験からも、大体において、悪いことをした連中は、自分が悪いことをしたとは全く感じないどころか、逆切れするようだ。要するに、まったくプライドが無いってことだろう。若しくは、それが彼らのプライドの表し方なのだ。
僕は最後まで残された工場の土地の1/3を漸く相続できたのだが、その後知ったのだが、先に書いたように長兄は実家の外に、会社が購入した工場よりも広い土地を相続していた。僕が漸く相続した工場の土地については、その売却は姉の息子と僕が対処したが、長姉のプライドの無さは、息子に遺伝したようで、売却金額の姉の分は自分の口座に、堂々と入金した。これらの経過については、詳しくはこちら。
http://isabon.blogspot.com/2014/07/blog-post.html
こんなバカげた状態なのに、僕は親父の死ぬまでの面倒と、母親については、これは余りに不公平だと気づくまでの間、母親が僕の家での滞在を居心地よいと好むので、かなりの期間の面倒を見たのだが、今になって考えると余りの不公平について、当時は、自分の金は自力で稼いだからと余り不公平さを感じなかったわけだ。
話を元に戻すと、その姉の家の表札だが、何年か前にGoogleStreetを見ていると、表札が、
(粟野/Y) から(粟野/Y・粟野) と変わっていた。つまり、表札の変化から判断するに、姉の息子一家が越してきたようなのだ。母親から姉の息子の家の購入にも金を出したと聞いていたし、名古屋で勤めていたから、どうも合点がゆかなった。だが、姉の娘夫婦は共に慶応医学部卒の医者で忙しく、娘夫婦に代わり息子家族が歳を取った姉の面倒に同居したのかなとも思ったが、あの大きさの家に、3家族は多すぎるし、さらに、それをわざわざ表札に示すこともないだろうと奇異に感じた。
ところで、姉の医学部大学院卒の娘と早稲田大学卒の息子の、教育費、それにそもそも家族自体の生活費も両親が負担していた。教育費どころか姉の娘の慶応医学部在籍に相応のブランド品にも金を出していた。他方、僕と言えば、まともに稼いでる僕が子供たちの教育費、養育費を両親に頼むなんて、そんな恥ずかしいことは出来んだろう。
それから何年かしてGoogleStreetを見ると、今度は表札が、(Y/粟野)と変わっていた。つまり、当初は、(粟野/Y)と姉の姓が上位で、次に、(粟野/Y・粟野)と、下位に姉の息子家族が加わり、今回は、(Y/粟野)となり、娘一家の姓が上位になっている。つまり姉が亡くなったってことだろうと推測される。
以上のことから読み取れることは、姉に死期が近づき、介護のために息子一家が移ったとしても、わざわざ表札を変えるとは考えられないから、家の相続税を減らすためとか、姉の息子が相続権を持つため、それに、ついでに、恐らくは姉の悪行の証拠書類を消すとか、全く仕事に携わらないながらも貯めこんだ多額の資産をどう処置しようか等の相談のために、息子が一時的に同居したと思える。外面に拘る姉にすれば、自分の悪行をあの真面目な娘一家にはしられたくはないための処理だろうと想像する。
僕の脳裏に浮かぶのは、悪徳代官と悪徳商人が暗い行燈の下で、「お主もやるのお!いっひひひ」と舌なめずりしながら相談する姿だ。
それはともかく、長兄は85歳程度で、長姉は90歳程度で亡くなったことになる。
でも、僕の彼らの悪行とか平気でウソをつく性格についての記憶は、僕が死ぬまでの、まだ数年以上は残ることになる。できれば後、10年以上と、できるだけ長く残したいものだ。
それには彼等のことは余り考えないことだ。何が嬉しくてあれほど金に拘っていたのだろうかと思う。
それに金があっても、それほど寿命を延ばすことはできないのだ、とも思った。
なにしろ、長姉には、慶応医学部卒ドクターで、大学病院教授の優秀な夫婦がついていても、そうなのだ。

ところで、母親との別れだが、母親は我が家が居心地が良いとほぼ住み付いたのだが、母親の言うには、長姉の家族全員の前で、「一億程度の財産があるが、姉に管理を任せる」と言ったとのことだった。ところが十年ほどもしたある時、姉が母親の財産はほぼ無くなったと口を滑らした。それで、僕は母親の言う、「管理を任せた」とは「全て譲る」と言ったのだと気づいた。母親の心情としてはありうる嘘だ。
東京には姉の家族が広い家に住んでいる。それに、姉は、かような時にも、母親の金を一銭も僕に預けることのない性格なのだ。姉の家族に金を譲り、住むのは狭い僕の家で、その費用も全て我が家持ちとはありえない、と姉に母親を引き取ってもらった。僕が電話で引き取ってくれと言うと、姉は母親の金で買ったと言う3ナンバーのワゴンで来て、何の説明もなく、母親と、僕が買ってやった分も含めての母親の荷物をさっさと後部に積んで自宅に戻った。
ところが、母親と共に、姉の息子が重そうに運び込んだ仏壇には”父親と、死別した僕の姉兄”の位牌と写真が納められていたが、それら仏壇や仏具は放ったらかしで帰ってしまい、今も仏壇は我が家に残っている。  仏壇と同様に、姉の家族が我が家を訪れる際には、彼女の衣服、靴、等には貧乏に見せるための我家訪問TPOなるものがあったのだろう。

母親が連れ去られてからかなりして、その仏壇を整理しようと持ち上げたら、なんとプラスチック製のやたらに軽い安物だった。我が家に安物の仏壇と共に母親を送り込んだってことだろう。こんな安物に祭らせながら本願寺本山に祭るって姉の奇妙さが姉の心情だと理解できた。

その後、母親は何とか僕の家に戻ろうとしたようだが、姉は財産を持ち去られてなるものかと、これを母親が死ぬまで阻止し続けた。我が家の夫婦とは違い、姉には母親への愛よりも金が全てだったせいか、母親の面倒にはかなり苦難している様子が窺えた。結局は、母親専用のお手伝いさんを雇っていたらしい。我が家には母親への手当は出さないが、自分はお手伝いさんへの費用は惜しまないらしい。
長姉としては、吉祥寺マダムとしての活動が忙しく、我が家と女房を、無料介護施設、無料介護士として重宝していたのだが、断られたので仕方なく2人も介護人を雇ったと言うわけだ。僕の母親への愛情さえも捻じ曲げて利用する人間だったわけだ。
長男も同様に、親父の看病の時にも、苦労する母親を助けるのには親父の家も自分の家族を使わず、「俺の息子は受験で親の面倒をみれない。お前見てくれんか」と言って僕の家族に任せたのだが、長男の女房殿は、我が女房が両親に尽くしている間にテニスに熱中していたらしい。姉はそれを実に見事に学習したらしい。財産だけはちゃっかり戴くのも長兄の真似か?いや、そのずっと前からずっとそうだった。 
僕には、なぜ長男も長女も、両親に対してそんなに冷酷でおれるのか理解できない。僕と女房には、親父や母親の面倒をみることは、苦労も多いが、昔話を聞いたり、手を繋いでやり一緒に散歩したりと、それ以上の楽しみが多かった。

母親の介護と母親の意向に悩まされたようだが、母親の死によって、姉は人間性以外の全てを得たことになる。しかし、姉は自分の死後、残された相続書とか資産通帳類などの資料で、特に、娘一家にはその人間性を知られまいと心配したであろうと、想像する。性格の似た息子に後処理を頼むために最後に節税を兼ねて同居したのだろう、と想像する。
ただ、一緒に住んでいるいる以上は、娘一家も姉の僕への仕打ちや、その醜悪さにはほぼ気づいてはいる筈だが、わざと目を背けているわけで、姉としてはその醜悪さをあからさまに見せるのは息子だけに留めたいのだろう。

僕は小手先の悪行には負かされるが、じっくりと考えるので真実を推測していると思う。
韓国ドラマなら、最後には悪役の本性は露見するが、実際の社会ではそうはならないのだ。
そこで僕が暴露するわけだ。
が、ほぼ、意味ないけどね。

それにしても、義兄と義姉のトラブルで、僕は死んでから軽蔑されるなんて嫌だなぁ、と思ったものだが、我が実姉と実兄は、軽蔑されるどころか、彼等への軽蔑をネット公開されているわけだ。ほんとに嫌だなあ。
http://isabon.blogspot.com/2013/02/blog-post_25.html

僕は人間関係に疎いが、とても記憶が良い。過去のあの場面この場面も細かく覚えている。それだけではなくて、突然ある場面を思い出すことがある。そんな場合には、その場面が意味する、今までは気付いていない裏の内容にも気づくのだ。姉と兄については、特に、そのような事が多く、それも、二人があたかも善意であるかのようにふるまうのだが、実際には悪意があるというか、打算的な意味合いがあったと気づくのだ。実に巧妙ではあるが、勘の良い人に取っては、その打算的な意図が露骨であるような行為なのだ。そのような場面を思い出す度に怒りがこみ上げてきて、結局は自分の命を削ってしまうわけだ。兄や姉のような人間とはできるだけ触れないことが幸せに過ごせる方策だろう。

それに、これを書いていて突然判った。
母親からの援助漬けの姉やその息子、それに、父親の事業を継いだ兄は、母親が僕の自立・蓄財を褒めることで余計に僕への反感を強め、僕が母親から僅かでも援助を受けていないか監視し、父親の遺産もできるだけ、それに、預かった母親の金を一銭でも僕に渡すものかと決めたのだろう。言うならば、寄生虫のプライドを刺激してしまったってことだ。その彼らのやり口に怒っても無意味だと自分自身に決めることにした。ただ、可哀そうなのは母親だ。というか、僕は母親が本当に好きだったので、彼女を見限ったことを本当につらくも寂しくも思うのだ。しかし、結果は母親の選択でもあり、僕の事は了解してもらうより仕方がないだろう。姉の見栄で父母共に京都本願寺に葬られたらしく、そんなとこまで行く気はないから父母への挨拶も一生することはないだろう。
ところで、なんで本願寺の本山なんかに祭るのかな?寄生虫のやることは、わけわからん。
要するに見栄と見映えなんだろう。特に娘の結婚先Y家への見栄だろうと思う。
僕たち夫婦が看取った女房の姉は、近くの墓所に祭り、そこは夫婦の散歩道に組み込んで、散歩の旅に挨拶している。彼女は僕たち夫婦の生活の一部になってるってわけだ。

ところで、吉祥寺の表札の変化については僕の推測は単純すぎると思える。別案も考える。

姉の娘の旦那Yさんは、父親が亡くなった時に、東中野の広い住宅を相続していた。姉も大阪藤井寺の買ってもらっていた家が2億円で売れ、吉祥寺に買い替え購入するまでは、そこに同居していた。
東中野の家を訪ねた時に、Y家の母親に会ったことがある。きりっとした美人の母親で、僕はとても好感を感じた。しかし、誇り高く見栄っ張りの姉としては、元々他人に対しては見栄っ張りで、娘夫婦の家に同居する事や、そこに母親を引き取ったことで、余計にY家母親への対抗意識を高めたに違いない。
母親が姉に1億円を譲った後、母親もそこに引き取られた。僕が海神アパートの社宅生活の時に一度会いに行ったが、母親は薄暗いベッドの部屋でテレビを見ていた。その記憶があり、僕が千葉に家を買ってから、その薄暗い部屋には住まわせたくないと、母親を預かることにしたのだが、今考えると、姉はわざとそんな母親の姿を僕に見せたのかもしれない。
通常、母親の様子を見せるなら、もっと住み心地の良い状態を見せるのが普通の神経だろう。わざとそうすることで、僕に引き取らせようとしたのだろう。ぼくは簡単に引っかかるのだ。

それはともかく、姉の娘夫婦は共に医師で、しかも、娘は大学病院の教授で共にかなりの収入がある筈だ。しかも、ちょっと雑多な住宅地の中だが広い土地・家屋を所有している。狭い家に2家族も住む必要もなく、収入も多く快適な家に建て替えればよいだけのことだ。金は充分に有るのだから、姉の動産も吉祥寺の家も弟夫婦に譲れば良いだけのことだ。Y家は、志水・粟野に比べれば気持ちの大きな家系であり、姉の財産に執着するとは思えない。ただ、姉の動産には、僕から奪った分があるのが問題だが、その点は姉は娘夫婦に知られないようにと、その息子と行燈のしたで密談したことだろう。
さらに、娘の旦那の兄は弁護士である。以前に書いた、僕を痛い目に合わせた、姉御用達の悪徳沢田弁護士の手を借りるまでもなく、正しい節税についての情報は簡単に手に入る。
その結果が表札における表記変化の真実に近そうだ。ただ、急遽、姉の息子を同居人として節税するには無理があるが、その程度の作戦は仕方ないかも。
遺産協議書では共同相続として相続税を少なくして、名義書き換え時に姉の息子の所有として、ほとぼりが冷めれば、表札も姉の息子単独になるのだろう。
僕の推測のいずれが正しいかは、表札の変化を見ていれば判ることだ。

●その後の予想
https://isabon.blogspot.com/2023/04/blog-post_16.html



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