2023年4月8日土曜日

僕の蓄財法

 先に書いたが、重要なので、本項目として再投稿する。
僕の優しい姉と兄
http://isabon.blogspot.com/2014/07/blog-post.html

金銭的には、僕ら夫婦は浪費しない堅実生活で、結婚後、大阪吹田の住宅公社高層住宅を700万程度で購入し、頭金は半金で残りは住宅金融公庫での借金で購入して、その後、枚方の家を3000万円で購入し、その半金は、吹田の住宅の売却金額1700万円から借金残額分を返却して、残りで購入頭金として支払い、半金はやはり住宅金融公庫から借金とした。当時、住宅金融公庫の金利は比較的低かったのだ。同時にその頃、奈良の学園都市辺りで開発予定地を安く購入して、開発終了後に宅地で返却されるとの事業  (換地事業)があり、女房が新聞の片隅で、不動産会社の宣伝を見つけ、投資しようと提案した。そこで、これは将来の住宅用として購入しようと考えた。が、金が無いので、会社から宅地のみ購入として400万円を借金して月々返却とした。この土地には転勤で結局住めなかったが、開発後の還付土地は、好条件の敷地で80坪もありかなりの高額で売れた。素晴らしい土地だったので残念ではあった。ぼろ儲けであったが、金持ちたちはもっと大掛かりに投資して桁違いに儲けるのだろうと思う。
枚方の家屋は、一年も住まずに転勤となったので、これを賃貸しで年金生活終了頃まで収入を得られて貯金も増え、今は、賃貸しせずに大阪での拠点にしている。
千葉の社宅に入っている頃、バブル直前に千葉の家屋を、新線が出来るとの情報で、3000万程度で購入した。新線は、結局退職後になって漸く通ったが、それが終の棲家となりそうだ。バブルでかなり値上がりしたが居住用なので売ることはできなかった。なお、この家の購入費は、奈良の売却金から出し、半金は、会社から家屋購入として借金した。奈良の土地への会社融資は、土地購入との条件だったので、千葉の家屋は、家購入との条件で借りられたのだ。
僕の時代は、買って売り、買って売りで資産が増える時代だったのだ。で、結局、僕は親からの援助はなく、家と、それに僅かだが資産も得ることが出来て質素ながらも日々の生活には十分となっている。ただこれらの土地資産投資は殆どが女房の発案であったのだ。

しかし、最初の吹田の公団高層住宅購入は僕が独身時代に契約して、結婚後に完成して入居した。つまり僕のプランであった。この住宅とその後の女房の提案や蓄財で資産を増やすことができた。そもそも、高層住宅の購入は、同じ課の先輩の永井さんが彼の土地購入で宅地調査に奈良の西大寺に行くのに連れて行ってもらい、僕も投資に目覚めて土地家屋を買おうとしたが、
姉は既に好立地の土地建物を買ってもらっていたにも拘わらず、親の財産が減らされては困ると、横から口出しして、高層住宅に申し込むよう勧めたのだ。僕は給料が入るので公団の借金を払えて、更に、これを売ること、それに会社からの借金を加えて、枚方の好立地を買えることが出来、奈良にも良い土地を持て、更には千葉の家も買えた。
借金については、僕の小遣いは、月額1万円で、酒は飲まず毎日弁当持参で、しかも、出張が多くて出張手当で十分に間に合っので、こつこつと貯蓄は増えた。こつ、こつ、こつ・・・
母親は、僕が他の子供たちとは違い、自力で資産を増やしていることが自慢であったようだ。が、これを他の兄や姉どころか知人たちにまでに嬉しそうに言うことで、それがむしろ、兄や姉の僕への反感を高めたようだ。
それもあってか、姉は、母親を預かっていると公言しながら、実際には僕に預けていたのだが、我が家を時々訪れ、その際、母親の資産の全てを預かっていて、しかも、我が家が母親を預かっていることで我が家に一銭の金を入れるわけでも無いのに、母親から何らかの援助を得ていないかと女房に探りをいれていた。(それでも当時僕は姉を信頼できる姉と信じていた)

大阪の拠点も千葉の家も、購入後相当経っているので資産的にはかなりの減額となったが、住むにも遊ぶ拠点としても申し分ないものとなっている。
大阪拠点遊びの費用は、概ね、所有株の配当金で賄っている。

今になって思うが、女房の親族が信頼できる仲間であったのに対して、僕の親戚は全員がほぼそうではなかった。
http://isabon.blogspot.com/2014/07/blog-post.html
女房の親戚については、女房の姉を、我が女房が9年間にわたり認知症での施設入院の面倒を見たが、彼女の遺産は全て女房の親族に等分に配分したことで、信頼もえている。
http://isabon.blogspot.com/2013/02/blog-post_25.html

どうせ、金をいくら持っても、その金で延ばすことのできる寿命は、出来たとしても僅かなことなのに、僕の兄や姉は、自分で稼ぐよりは親の金を奪い合っていた。というか、僕のもらうべき分を奪い合っていたと言うべきか。
その姿を見て、その子供たち、つまり僕の甥も同様に育ったようだ。

少なくとも、僕の子供たちにはさような姿を見せたことはない。僕の親族たちは、尊敬され親しまれることの方が人生の価値があると思わないのだろうか、と不思議だ。

あっと、突然思い出した。僕はFXにハマった時があったが、この時はぼろ儲けであった。その金で、女房と世界各地を個人旅行したのだ。僕の場合は、世界旅行と言っても民宿泊りの貧乏旅行だが。でも、例えば、スイスやマダカスカルの夫々10日以上の旅では夫婦で100万円近くを使った。下記の旅行記では所要費用も細かく書いている。
https://4travel.jp/traveler/isabon/album
http://isabon.blogspot.com/2012/05/2007-928.html
ところがその後、税務署にFXの儲けがばれて、同時に、僕の蓄財の儲けもばれて、税務署に踏み込まれ、その年の税金は総額1000万円も支払う事態になった。泣く泣く税金を支払ったのだが、儲けからすれば当然の税金ではあった。だが、その後リーマンショックでFXも大きな損失を被ったが税金は返してくれない。しかたなく、こつこつとFXで資産の取返しを続けて、何年か前に漸く、元は取り戻せた。
こう見えても、税務署には痛い目に合わされてるんだよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿