2023年3月19日日曜日

知り合いやら知名人らが次々と亡くなることで思う。 それに、僕の蓄財法

友人や知名人を見ていると、80歳になると、いつ死ぬか判らないとの状態になる。僕もそんな歳になったとの思いで、人生を振り返った。
それほど大したことを果たしてはいないが、高校受験、大学受験も順調で、就職してからの仕事も、それぞれかなりの利益を上げているし、それも、独力で果たしてきた。その成果に対しての会社からの 称賛も報償もほぼ無かったというか、評価は殆どなく、簡単に、しかも、自己都合退職として早期退職での4優待金なしで首を切られたが、幸運にも、外注としてではあるが、技術力を買われて環境事業部の梁瀬さんに拾われ、しかも、同期入社の田米氏にも後押しされ、それに、仕事が僕の得手の分野と言うか、私的に興味があった技術であったことで、かなりの成果を上げることができて、なんとも幸運であった。しかも実は、外注さんって仕事は社員で居る時よりも可処分所得は多いので、社員の時よりもこずかいは多いのだ。それはともかく、要するに、失敗の無いというか、悲壮さの無い人生だった。女房との恋愛期もとても楽しく過ごせて、しかも、女房は精神的に安定していて、自分の親族は最低の連中だが、女房方の親族にはとても恵まれ、実に波乱の無い家庭生活でもあった。
金銭的には、僕ら夫婦は浪費しない堅実生活で、結婚後、大阪吹田の住宅公社高層住宅を700万程度で購入し、頭金は半金で残りは住宅金融公庫での借金で購入して、その後、枚方の家を3000万円で購入し、その半金は、吹田の住宅の売却金額1700万円から借金残額分を返却して、残りで購入頭金として支払い、半金はやはり住宅金融公庫から借金とした。当時、住宅金融公庫の金利は比較的低かったのだ。同時にその頃、奈良の学園都市辺りで開発予定地を安く購入して、開発終了後に宅地で返却されるとの事業があり、これは将来の住宅用として、金が無いので、会社から宅地のみ購入として400万円を借金して月々返却とした。この土地には転勤で結局住めなかったが、開発後の還付土地は、好条件の敷地で80坪もありかなりの高額で売れた。
枚方の家屋は、一年も住まずに転勤となったので、これを賃貸しで年金生活終了頃まで収入を得られて貯金も増え、今は、賃貸しせずに大阪での拠点にしている。
千葉の社宅に入っている頃、バブル直前に千葉の家屋を、新線が出来るとの情報で、3000万程度で購入した。新線は、結局退職後になって漸く通ったが、それが終の棲家となりそうだ。バブルでかなり値上がりしたが居住用なので売ることはできなかった。なお、この家の購入費は、奈良の売却金から出し、半金は、会社から家屋購入として借金した。奈良の土地への会社融資は、土地購入との条件だったので、千葉の家屋は、家購入との条件で借りられたのだ。
僕の時代は、買って売り、買って売りで資産が増える時代だったのだ。で、結局、僕は親からの援助はなく、家と、それに僅かだが資産も得ることが出来て質素ながらも日々の生活には十分となっている。ただこれらの土地資産投資は殆どが女房の発案であったのだ。
大阪の拠点も千葉の家も、購入後相当経っているので資産的にはかなりの減額となったが、住むにも遊ぶ拠点としても申し分ないものとなっている。
女房の親族が信頼できる仲間であったのに対して、僕の親戚は全員がそうではなかった。
http://isabon.blogspot.com/2014/07/blog-post.html
どうせ、金をいくら持っても、その金で延ばすことのできる寿命は、出来たとしても僅かなことなのに、自分で稼ぐよりは親の金を奪い合っていた。その姿を見て、その子供たち、つまり僕の甥や姪も同様に育ったようだ。
少なくとも、僕の子供たちにはさような姿を見せたことはない。僕の親族たちは、尊敬され親しまれることの方が人生の価値があると思わないのだろうか、と不思議だ。

ところで思い出したのだが、奈良の土地の抵当権、つまり、会社から土地購入に際しての借金への抵当権を抹消すべく、手続きをしたが、会社の企業証明のような書類が必要で、総務に頼むと即座に手渡してくれた。2週間後に他の必要書類も整えて、平日に休暇を取り奈良に向かい、近鉄奈良線の高の原にある我が土地を確認してから、歩いて木津川市の法務局まで暑い中をトボトボと歩いて行き、抵当権抹消願を提出した。書類を調べた老齢の優しそうな職員は、気の毒そうに「書類は充分に揃っているのですが、会社証明の証明期限が過ぎていますね。再発行が必要です。」と言った。へ~っと気絶しそうになったが仕方がないととぼとぼと歩いて駅まで帰った。
翌日会社に出社して総務の発行した担当者に言うと、何か嫌な顔をしたが直ぐに再発行して、最初と同額の手数料を要求した。奈良まで行ってきて、無効だって判ったんやで、と言うと、しぶしぶ手数料徴収をあきらめた。そもそもかような書類は通常6か月あるものなので確認しなかったのだが、恐らく、他の用で準備していたが不要になったので僕に回したのだろう。僕が総務担当者なら、「有効期限が短いのがありますが、それなら手数料は無料です」と提案しただろう。企業の証明書がどのように使われるかも知らない住重の総務は、新居浜どころか本社さえかようにいい加減な会社だと思い知らされたのだ。とにかくこの件では、東京大阪間の新幹線代往復が僕の損失となった。

話はそれるが、こんなこともあった。
出張費用で仮受システムがあり、大金が予想される国内出張では日本円を、特に海外出張は 円を使えないから外貨を仮受して、出張後清算するのだが、出張伝票が仮受書類と兼用となる。出張伝票から仮受控えだけは総務が取り、原本は本人に返されて、出張後その原本で清算することになる。当然総務は、控えを取っておいて、清算されなければ本人に督促することになる。ところが、総務の担当課員が、なぜか、その控えを段ボール箱に貯めだしたのだ。想像するに、督促せずとも清算すると考えたのか、それとも、システムを理解できなかったのか、若しくは怠惰な男であったのか、ともかく、捨てられた仮受伝票もあるだろうが、総務課員は段ボールいっぱいになるまで放っておいたらしい。そのこと、つまり清算の必要はないことを知った海外営業員の中に、出張も無いのに、どんどんと仮受して金を流用する奴が出たらしい。恐らく段ボール箱に貯められているとは思わず捨てられているとおもったのであろう。ところが段ボール一杯になってから、誰かが気づき、清算が始まったらしく、営業員の不正もばれて、その営業員は首になった。捨てられた控え分の仮受費用はどこかに消えてしまっただろう。総務担当者がどうなったかは不明だが、恐らく、おとがめ無しであったろう。
ところで、この不祥事は当分の間は社内に知れず、僕も知らない時に、その首になった男は、自分から退社したように言いふらし、大手の銀行に再就職して、僕もそうだが住重社員に10万円の定期預金をしてくれると新会社で評価されるのだが、と持ち掛けた。僕も新しい道に入る元同輩にと10万円を預けることで彼に金を渡したが、いつまで経っても、受取書も通帳も送られてこなかった。さすがの僕も、彼の新会社の部署に電話したら、「暗証番号を忘れていませんか?」等とふざけた事を言うので強く通帳を送るようにと言って電話を切った。が、それでも何のアクションも無いので、彼の部署に電話したが不在とのことで、電話を受取った社員に経過を説明した。その後直ぐに彼から電話があり、僕の口座を聞き返金されてきた。その後彼の不祥事を噂で知り、大手の銀行がとんでもない男を雇ったなぁとあきれた。
かように、何年か前の、女性従業員による数十億円の労働組合費の、競走馬への投資流用とかも同様だが、住重の管理部門はいい加減なのだ。小企業の方がまともだろう。
寿命とは全く関係なかったなぁ。


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