2023年3月4日土曜日

暖かな天候の元、粛々と畑を進め、ラムセス2世の本を読む

 実に暖かで過ごしやすい。
畑は、玉ねぎの黒マルチカバーを外し、雨除けのカバーの準備も終えた。豪雨の時には、そのカバーで雨除けをするわけだ。黒マルチを外すのは、暖かすぎると成長過多で塔ができるが、黒マルチを外しただけでは、畝が雨で濡れすぎるのだ。(玉ねぎは湿気に弱い)
ナス、ピーマン、ミニトマトの畝は準備出来て、雨後に黒マルチをする予定だ。ジャガイモは黒マルチ後に植え付けて、今は、大根、ニンジンの整理を進め、キューリの場所を確保する。
ジャガイモの一部を空けて、レタスかニンジンだ。ほぼ一畝を玉ねぎにしたので、後の場所が足りない。ナス、ピーマンを少なめにしよう。
土曜日はいつも日経の本紹介を見て図書館で借りるのだが、考えると、自分の書庫にはなかなか良い本を残している。図書館へ本を借りに行ったり返却するよりも簡単だ。
先ずは、書庫の本を読もうと、ラムセス2世の本を取り出した。なかなか興味深い本だ。従来の歴史書ではエジプト古代王朝はさらっとしか書いていないが、この本はラムセス2世の時代紀元前1314年から1224年までの、彼の90年の人生を詳述している。ヒエルグリフが解読できたことで、彼の人生がここまでわかるとは驚きだ。彼には170人もの子供がいたとはいよいよ驚きだ。しかし、彼の王朝は、その後貧しくなり200年後には滅びてしまうわけだ。
ただ思うのだが、王朝の富が少なくなると言うことは、王朝が扱える富の量が減るってことだろう。例えば僧侶の力が大きくなり富が僧侶に集まるとか、官吏が富をくすねるとか、外敵に収奪されるとかで、王朝の扱える富が減るってことだろうと思う。歴史上では何度も繰り返されることで、わが国も今や、その衰えの時期に入っているのだろう。オリンピックの費用が大幅に超過するとか、オリンピックの費用が談合や汚職で横取りされるとかは、良い一例だろう。
それにしても、遺跡に彫られた聖刻文字で、3,300年前の王の生涯が、手に取るように判るって、その時点でのエジプトの文化は、本当にすごい文化だったと言えるだろう。なにしろ、日本はまだ縄文文化にもなっていない石器時代以前なのだから。
花粉症はいよいよ激しい。

ラムセス2世フィリップ・ファンデンベルク著の本を読むと、旧約聖書に記載されてエジプトとユダヤ教徒との関係、それに、ラムセス王朝の前の王アクナトン(アクエンアテン)につての壮大な小説(本の名前をマスれた)との関係が、特に、エジプト人、ラムセス側からの観点での歴史的な状況が良く判った。ラムセス市についての記述やその位置もとても興味深い。これを読んでからエジプト旅行に行くべきであった、が、この本はエジプトに行ってからずっと後だった。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/magazine/17/042100009/042400002/
なお、思い出したが、ラムセス王朝の前に、ツタンク・アテン=ツタン・カーメンが居るのだが、彼の父か叔父が、先代のアクエン・アテン(アメンホテップ4世)で、太陽神(アテン)を一神教とする教祖でもあり、当時の力を蓄え過ぎた僧侶階級を除外するために、新しい都アケト・アテンを建設した。だが、その後の勢力争いに失敗して、王位をツタン・カーメンに譲らざるを得なくなり、ツタンカーメンは、その名をツタンク・アテン(反アテン神)としたのだ。その後、ツタン・カーメンに変名したわけだ。が、この記憶が正しいか否かに革新はない。

それはともかく、ラムセス2世の時代に、それ以前にエジプトに攻め込んできたヒクソスの一派のイスラエル人は、モーゼに率いられてイスラエルに戻り、そのついでに、聖刻文字を参考に作られたアルファベットもまた持ち帰ったわけだ。

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