2020年10月18日日曜日

福島原発事故 問題の本質

 福島原発では、吉田所長の行動を英雄的と評価する世論があるが、世界的巨大設備や、そのプロジェクを運営した経験のある僕から見ると、彼の施設運営は、あれほど危険な設備を運営するには最悪のものであったと言える。
最も問題となるのは、事故発生時の訓練を彼自身が経験した痕跡がないことだ。恐らく、彼の業務は、その地方の名士として、原子力発電所の運営の政治的な面を殆どとしていたことであろう。だが彼は、その一方で、危険時の運転の訓練を、自らでなくとも、誰かに担当させても、全電源遮断時を対処させるべきであり、自らも、その方法や危険度を認識すべきであった。事故時再現ドラマでは、なんと、停電状態で施設の配管などを懐中電池で照らして確認していた。かような危険施設にあっては、さようなものは頭の中に記憶すべきことだろう。
彼を英雄視する評価ポイントの殆どは、「彼が冷却水として海水の投入を、上層部の反対に抗して実行し、原子炉の冷却を果たしたとの」ことであるが、現実には、海水投入は何の意味も無かったことが、その後の検証で判った。それは、海水の投入パイプラインが抵抗の少ない別ルートに繋がっていて、そこから当初の投入水や、彼の決断後の投入海水の殆どが流出していて、肝心の原発炉心には、一分間にペットボトル2~3本分しか流入していなかったことが判ったのだ。技術者としては、配管ルートを確認しなかったとの初歩的ミスを彼は犯していたことになる。これらも、危機時対策訓練を実施していれば容易に考慮され対処できたであろうと想定する。実際に原子炉に投入する訓練では無くて、冷却水投入ラインを閉鎖して、投入ラインの水圧が上がることを確認するだけの訓練で良いのだ。技術者なら街の水道修理業者でも留意する基礎的ミスではないか。

彼の事故対応時の最大のミスは、事故時の最後の切り札なるイソコンの作動を無批判で信じて原子炉の炉心溶融を生じさせたことだ。
https://www.ene100.jp/fukushima/466
彼は、イソコンの作動を無根拠で信じていたことで、大事故を起こして日本の富を大きく棄損した。彼一人の責任ではないものの、彼の地位からすれば、その責任のかなりが彼の責任となるだろう。それに、彼の不眠の努力は一体何の意味があったのだろうか。
少なくとも僕の人生は、彼の様な、それに当時の東電の指導者層のような社会的な地位は得られなかったが、その果たした役割は社会でそれなりに認められる成果を遂げ、僕のプロジェクトは今も有効に社会貢献している。それはやはり意義のあるものだと思う。

日本の公的施設の殆ど、更には多くのプラント運営は、実際には、その下請け達に任されていて、元受会社とその運営責任者達は設備の安全性などについてはほぼ無関心に過ごしているのが実情だ。この組織の欠陥は今後も続くのだろう。
この現状は、日本軍の組織的な欠陥に通じ、それは更には、日本組織の欠陥にも通じているような気がする。



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