2018年7月28日土曜日

岩の一族 長老の教え 添書  (1)


岩の一族 狼煙の時
「冒頭に記す」
   歳と共に私はその思いを強めたのだが、幾多の経験を経た今では、その思いはほぼ確信ともなっていて、諸々の出来事の元を辿ろうとすればいつも、思いもよらぬ数多くの細々の中に、あたかも雲や霧の元が微細な水滴であるように、砕け消えてしまうに違いないと。それはつまり、ある出来事の事の始まりの方から見るとすれば、全ての行為だけではなく思惑でさえもが、いろんな糸をたどるうちには、思いも依らぬ結果に至ることになるのだとも言えるだろう。
  そもそも私は、私を良く知る人々も認めるように極めて実務的で、しかも、極めて効率的に物事を処理する能力にも恵まれている。しかし、それは私の生い立ちと、与えられた立場、それらは私が望んだものではないのだが、その職務を遂行するためにはそうあるべきだったに過ぎない。だが、私の心の奥底には、常に夢見る部分があって、この出来事については特に、その事の始まりについて、くよくよと考え込むことが多かった。だが、この出来事だけは書類として残す必要があると私は判断した。そこで私はやはり実務的な私に事を任せ、事の経過を記すことにした。つまり、この出来事の経過は、世の全てが混沌の中にあるように見えるが、それはまた、ある確とした法則の中にあることを示す一例ではなかろうかと思えるがために、事の経過を出来るだけ客観的に残したいと思ったのだ。
その本来の思いからは外れ、実務的な私がこの書の存在理由をより具体的に記述するとすれば、この書は、私が長老を務める間に体験した出来事とその経過を、後の世の参考になるやもしれぬと、一族に伝わる“長老の教え”の添書として作成したとも言えるだろう。
 しかしながら、本書作成の時期には、未だ出来事の全てが片付いてはおらず、しかも今後どのように推移展開して行くか、何時終わるのかさえもが定かではないが、思い付いた時にすかさず記さねば、この先に何事かが起こり作成の時を失うことも、同様の過ちを私のそう長いとは言えない人生でも度々経験したことでもあり、加えて近頃の私の鬱病の兆候からすると、この企てそのものに虚しさを覚える可能性も少なからず有ることから、途中経過ながらも、とにかく纏めることとした。
 ただ私には文章の善し悪しを識別する能力やら、長い文章をこちこちと書き連ねる根気も無く、一族内にも適切な人材を事欠くことから、霞ビジネスホテルを経営する安原信夫氏の幼友達で、月刊誌“小説エブリィバデイ”の新人賞に投稿し続ける志水某なる人物と、たまたまの知遇を得て、氏の口の固いことを調査確認してから本書に関する取材と執筆を依頼した。ただ氏は、度々投稿するものの、未だ最終選考までは経験したことがなく、そのことは私に取っても、当然ながら氏に取っても、少々違った意味ではあるが残念なことではあるが、本書に望む目的を叶えるには、それほどの文学的才能を要せず、参考のためにと読ませてもらった氏の文章で、まあまあ良かろうと考えた。
 とにかく、かくなる事情で本書は作られたが、その構成は私の希望として、出来事が顕になる以前の経過をも含み、記述の対象とする期間はほぼ一年間として、先ずは私とは違った感性でこの経験を共有した木津伊一郎君、次で先述の安原信夫氏、最後には私、その三名の経験を取材記録することを執筆者に指定した。執筆の姿勢としては、どちらかと言えば、取材された人々に生じた出来事を、有るがままに明確に列記することを期待したのだが、執筆者が文学的見地から勝手に肉付けした情景が予想以上に多く、そもそも表題からして何やら意味不詳で、これらを不満として私は抗議したのだが、頑固な執筆者は文章の変更を拒否するに至り、人選として下手に文学的野心を持つ文筆家を選択したことをはなはだ後悔したが、何事であれ、百点満点を希望することは人生そのものを極めて困難にするし、それに、この文章でも事の経過そのものには大差はないと思い直し、時間さえ有る折りには私自らが手を加えることを条件として、これを両者の妥協点とした。かくもいい加減な妥協から推測できるように、この文書がどのように役立つかは定かではない。だが、少なくとも害になることはなかろうと、“長老の教え”と共に子孫に伝えることにしたが、特に秘密と言うほどの書でもなく、部外者に見せるか否かは本書を受継ぐ者に任せることにする。
                         千九百九十四年秋 和田賢一

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