2023年5月6日土曜日

僕の地勢感覚

 日経新聞の”私の履歴書”池辺晉一郎編で、彼が方向感覚を東西南北で認知すると知った。そう言えば僕は地勢を直感でしか捉えていない。これが、時々道に迷う原因だろうと思う。どこかに行っても駅からこちら、みたいな直感が殆どなのだ。
最も混乱したのは、新居浜だ。新居浜へは海から入ることが多く、僕の頭の中での地勢図は海からの方向での直感把握であった。新居浜で混乱するのは、他の峡隘地とは異なり鉄道駅が海側でなく、山側を通っていることだ。特に住友重機械の工場がある辺りの海から山に自転車で登って行ったときに一山超えると鉄道線路が通っていて驚いたことがあった。6か月も住んだ筈なのに、今でも新居浜の市街地がどうなっているのか判らない。
実は、このような状態は、東京でも同様だ。美土代町に長年勤めたが、神田周辺の地図が判らない。会社を辞めて、何らかの事情で、飯田橋に行くことがしばしばあった、そこから、京成上野駅まで歩いて行くことがあったり、やはり飯田橋から神田の古本店まで歩いたりで、その周辺の地勢が理解できるようになった。僕の頭の中では、東京駅は都の南辺にあり、新宿が北辺にある事になっている。これは、昔のJR地図でそうなっていたからだが、最近バスで大阪に行くに際して、東京八重洲発のバスが新宿経由で行くようになり、それで漸く、東京駅と新宿駅の相対的な位置がなんとか理解できるようになった。
僕に取っては、東京の地勢よりは、ローマやナポリ、バンコックやハノイの地勢の方がなじみがある。それは、東西南北の地図で歩き回ったからだろう。それでも、例えば、ローマのトレビの泉だが、僕には泉がチベル側に向かって流れているとの先入観があり、実際にはチベルの流れに並行に流れているので、訪問するたびに、トレビの泉から迷子になる。これは恐らく、東西南北より直感を優先する自分の方向感覚が為せる間違いだろうと思う。
これからはもっと、東西南北を基本とした地勢理解を心掛けたい。恐らく、そうすれば、その地域についての理解が深まるだろう。
しかし、新居浜のような交通不便な所には住みたくはない。他方、新居浜よ周辺の地勢を知る良いチャンスを逃したのかなとの思いもある。そこが僕の欠点だとは思うが、新居浜って場所は車の免許を持たない者には、発展するのが難しい場所でもあった。

それに、と思う。入社後の検診で肝炎に罹っていることが判り、大阪の住友病院に3か月間入院して、退院後新居浜に帰還すると運搬機の設計に配属されていて、出社すると松木の寅さんの下に配属されていて、直ぐに旋回クレーンの旋回部分を設計してくれと言われた。参考にするものはと、図書館に行くと、ロシアの翻訳本でクレーンの設計ってえのがあって、それを元に設計して虎さんに見せたら、参考図は図庫にあると言われて、設計しなおした。屋外クレーンの設計業務仕事の合間に、旋回部のきしみ問題の解決とか、引っ込み荷のブレーキ問題とか標準化とかのテーマも与えられてかなり必死であった。当時は土曜日も出勤日で日曜日に活動する気力までは残っていなかったので、仕方ないだろうと思う。
ところで、僕を指導した松木の寅さんって、人柄も良く、とても優秀・有能な男であった。事情があって大学に行かなかったのだろうが、そんな優秀な高卒、高専卒が住重には多く、彼らが住重を支えていたと思う。
大阪に転勤してからも、それから、退職するまで土日無く働き続けたから、地勢どころでは無かったのが実際の所だ。
いまこそ、自分の地勢感覚を養う絶好の機会だろう。大阪への高速バス旅はその点でも素晴らしい。計画に携わった四日市のコールセンター辺りの上空を走る時には感動する。
まぁ、だから大阪府下を自転車で走り回ったり、枚方後方や東山の山を歩き回ったり、18切符で大阪往復したり房総半島を回ったり、高速バスで東海道往復したりしてるんだけどね。

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