2023年5月16日火曜日

悪夢と付き合う

 相変わらず悪夢は見ている。5月16日の日経夕刊で、川添愛さんも同様のことを言っている。ただ彼女の悪夢は楽しい夢の最後に悪夢が訪れるとのパターンがあるとのことで、僕の全くの悪夢ばかり、それも、最近は当たり前切ったのではなくて、様様なパターンの悪夢となっている。目覚めてどんな悪夢であったか覚えようとするのだが、それを覚えているからと言って何の役にも立たないからと、もう放置することにした。ただ心には嫌な思いが目覚めてからも相当長く続くのが嫌だ。僕に酷いことをした姉や兄は性格的に僕への引け目を感ずる筈もなく、そんな性格だから嫌な夢なんて見ないだろうなと思うこともあり、余計に嫌な気分が続く。
しかし、随筆の最後にいわく、「夢でよかった、と思うのがベストだ」との記述にはっとした。確かに、僕の現実は比較的良かったのが真実だと思う。今も、なかなか好調に人生を過ごしている。それを考えるのがベストだろう。夢でよかった!!
ところで、川添愛さんは僕より30歳も若い。夢の中に楽しい部分もあるのはそのせいだろう。と、言うことは、歳と共に悪夢の部分が増えて行くのではなかろうか。それはつまり、人生が終わるのが近づいたとの予感が為せる技ではなかろうか、と、相変わらず考えることが暗い。

川添愛 悪夢と付き合う

悪夢をよく見る。日記を読み返したところ、コロナ禍の中ごろから頻繁に見るようになったことが分かった。おそらく精神的なストレスが引き金になったのだろうが、年齢のせいもあると思う。

悪夢を見るのはいつも朝方だ。内容はバラエティーに富んでいる。ゴジラやゾンビから逃げ回ったり、敵の組織(?)に捕まったりなど、身の危険を感じさせるものもあれば、早く帰らないといけないのに家に辿(たど)り着けないとか、大事なお客様を連れているのに目的地が見つからないなど、日常的なトラブルの場合もある。

何度も見ているうちに、悪夢は最初から悪夢なのではなく、どこかで「悪夢スイッチ」が入ることに気づいた。たとえば、楽しい宇宙旅行の夢を見ていたら、天王星まで来て突然「こんなに遠くに来てしまった」と気づき、孤独感に打ちのめされるという感じだ。たぶん、目覚めるときのホルモンバランスの変化が関係しているのだろう。

一時期は、起きたときのズドーンと落ち込んだ気分が昼頃まで続いて、かなり辛かった。私は毎朝ヨガや呼吸法をやっているが、それだけだとなかなか回復しない。自分でいろいろ試した結果、有効なのは(1)起きてすぐに目の運動をすること、(2)外に出て日光を浴びること、(3)辛いときの自分の状態を観察することの3つであることが分かった。

(1)の目の運動は目の健康のために始めたことだが、目玉をギョロギョロ動かすだけで気分が少し回復したのは良い発見だった。素人考えだが、悪夢を見ているときの緊張で凝り固まった後頭部や首すじが、目の動きに連動してほぐれるのではないかと思っている。

そして(2)で日光を浴びるときには、何回か深呼吸をしたあと、頭や身体を手でパタパタとはたくようにしている。寝ている間に身体にまとわりついた「夜の空気」を払い落とすようなイメージだ。今ではこの(1)と(2)をやることで、起きてから5分程度で完全に回復するようになった。

しかし、おそらく一番の決め手になったのは、(3)の「自分の状態の観察」だと思う。程度の差こそあれ、悪夢を見て起きたときはたいてい、肋骨がビシッと鳥かごのように固まり、肺に空気がうまく入らず、頭の中に「幸せホルモン」がいっさい出ていないような感覚がある。これ自体は不快なのだが、観察しているうちに「あ、またこれか」と慣れてくる。

厄介なのは、感覚よりも感情の方だ。夢の内容や身体の不快感を「イヤだな」と思うのは当然のことだが、そこからさらに進んで「世の中にこんなに不快な感情があるのなら、今後もまたこういうものを感じてしまうかもしれない」という思いにとらわれると、恐怖が増幅する。つまり自分の感情を恐れ、まだ見ぬ未来にそれが再び呼び起こされる「可能性」まで考えてしまうと、取り越し苦労の連鎖が起こって収拾がつかなくなるのだ。逆に、「私が怖がっているのは、自分の外側で起こることではなく、自分の感情そのものなのだ」と割り切ったら、少し楽になる。

私の母は、悪い夢を見たら「夢で良かった~!」と口に出して言うらしい。そうすれば一瞬で忘れるという。私もやってみたが、確かに効果がありそうだ。きっと、他にもさまざまな回復法があるのだろう。探究の日々は続く。

(言語学者)

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