2023年5月28日日曜日

花に目覚めるのも考え物だ。

 僕が目覚めたのは、韓国ドラマと花である。韓国ドラマはハマりすぎて夜の2時3時まで見るとかで体を悪くしてしまった。花については、まだその途に就いたばかりである。
日経新聞でも同じような人を見つけたが、僕はそこまでは到達していない。
最近は散歩の途上でも、それに、枚方の拠点のお隣でもそうだが、特に枚方のお隣の場合は、ガレージの上にわざわざ盆栽置き場として構造物を組み立てて、その上に無数の盆栽やら花鉢を並べて盛大に植栽していたが、主が体を壊すと、盆栽の全ては枯れて、鉢は無駄に積み上げられていて、散歩の途上でもまた、さような鉢の産卵遺跡が寂しい姿をさらしている。僕としてはさようなことの無いよう小さく楽しむつもりだ。

花ざかり 昭和の路地裏 詩人・伊藤比呂美

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うちの近所のパン屋の隣に園芸屋がある。

そこの店員さんは、日当たりや水やりのコツを聞くと懇切丁寧に教えてくれるのだ。次のお客を待たせても話し込んでいるが、つまり一人一人に誠実に向かい合ってくれているわけで、高齢の客が引きも切らない。

かく言う私も若くはなく、独り暮らしで1日中誰とも話さない。パンを買うついでに草花の苗を買い、店員さんと友人のように話し込むと、その日1日の目的はこれだったような気さえする。

私の家は、マンションの1階で狭い庭がある。せっかく庭がついているのに私は園芸が苦手だ。何を買ってきてもすぐ枯らす。庭の日当たりはあまりよくない。雨が当たるところも当たらないところもある。その上私は植える植物より生える植物に興味があるので、雑草と呼ばれる草を摘み取る気にならない。

少し前のこと。あの園芸屋でペチュニア1株120円、3株で300円というのを見て出来心で買ってきた。空いた鉢に植え替え、日の当たるフェンスにかけ、毎日気をつけて水をやったらよく咲いた。庭が明るくなり、人生も明るくなったような気がして、私はまたペチュニアを買ってきた。

3度目に買いに行ったときには目移りしてベゴニアを買った。赤い花が四季咲きに咲く。ペチュニアよりやや日陰を好む。その次はチェリーセージを買った。赤い小さな花が散らばって咲くのである。

やがて庭が花だらけになった。通る人が立ち止まって眺めるようにもなった。わざわざ写真を撮る人もいる。それで私はいよいよ得意になって世話をする。前から庭にいた植物たちにも水をやる。枯れ枝を取る。そして泣く泣く雑草を抜く。このようにして、30年もほったらかしだった庭がみるみる息づいてきたのである。

日の当たるフェンスにはジャスミンやローズマリーが野生化している。

雨の当たる半日陰にはミョウガが伸び、ホトトギスが茂り、アジサイがまるい茂みになって花芽をつけている。見切りをつけて外に出した室内観葉の鉢たちが墓標みたいに並んでいる。

雨の当たらない半日陰にはゼラニウム。冬には零下5度まで下がったからだいぶ枯れた。今は枯れたことなどすっかり忘れて葉を茂らせ、ピンクの花を咲かせている。

去年の秋、あの園芸屋で買ったユリの球根を空いた鉢にいくつも植え込んだ。その茎がぐんぐん伸びて、今は太陽の方を向いている。ユリたちが必死の形相で太陽を求めるので哀れになって私は考えた。よく日が当たるのはフェンスの外だ。それでユリの鉢を庭の外、道の上、フェンスにぴったりつけて並べて置いた。歩道の上といっても歩道脇の側溝の上だ。田舎町の歩道は広くて充分(じゅうぶん)に人が歩ける。

実はこれが私の原風景だ。私は東京板橋の裏町の路地裏で育った。狭い路地裏の道にはみ出して置かれた草花が四季に咲くのを見てきた。

あの頃、昭和の人々がプランター代わりに使っていたのは発泡スチロールの箱だった。昭和30年代のことだから、その素材そのものが出始めだったんだと思う。人々はその便利さに驚愕(きょうがく)し、せっせとからし漬(づけ)やししゃもを食べ、ないしは空き箱をよそからもらってきて、草花を植え込んで家の前に所狭しと並べていたわけだ。

先日、東京杉並区の裕福そうな古い住宅地を歩いた。塀越しに見る木々がオリーブやゲッケイジュとおしゃれだったが、既視感のある光景も見た。家の前に花ざかりのプランターが道にはみ出している光景だ。でもそのプランターはどれも茶色や白のプラ素材で、からし漬の発泡スチロール箱なんて使われていなかった。今どきは板橋区の路地裏でもそうなっていることだろう。

昭和の頃、私は発泡スチロールの並ぶ路地裏の光景を、ぞんざいでなりふりかまわなくてみっともないと思っていた。

私の母もまたそういう箱にサクラソウやミヤコワスレを植えて咲かせて道に押し出していた園芸好きだったが、私が母その人に持っていた印象もまさにそうだった。

昭和のあの頃、母はぞんざいでがらっぱちで、なりふりかまわずに生きていて、ああはなりたくないと若い私は思っていたのである。

今は母のサクラソウやミヤコワスレがやけに懐かしい。今度は、といっても来年になるけれども、あの園芸店でサクラソウやミヤコワスレを買ってきて、鉢に植え替え、道の上に置いてみようとさえ思っている。

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