2020年12月26日土曜日

ときどき思い出すこと(6)  八戸長距離コンベヤのトラブルについて

 八戸の長距離コンベヤも据付に入り、大阪からは宮崎さんと遠矢君が据付指導で派遣された。
据付は順調に進み、試運転段階になったある日、現地から試運転中にno.5コンベヤのベルトが切れたとの連絡があり、慌てて現地に向かった。
上野駅から寝台車で八戸に向かったが、寝台車の中で計算尺を使ってベルト張力計算の見直しをした。しかし、張力計算に誤りはなく、しかも無負荷運転でベルトが切れるほどの張力が発生する可能性は皆無であった。それに、長距離コンベヤの畑式計算式の正しさは、前年の夏場に確認している。畑中さんの設計した秋吉の長距離コンベヤには凹部があり、夏場になるとその部分で落鉱が生じるとのことで調査したが、夏場にはローラコンベヤの摩擦抵抗値が下がるとして、通常は0.02~0.03を0.12として計算すると、凹部できっちりと無張力になると確認して、電動テークアップの設定値を夏場には上げることで解決できたのだ。計算は確実だと確認し、そこで、レイアウト図を見直して、事故原因の可能性に気付いた。

No.5コンベヤは、地下道を通り、鮫港への断崖を抜け出して国鉄の上を通り、そこで方向を若干変えて鮫港へと向かう。架台はかなりの高い位置なので、ベルトの緊張用ウェイトを吊るし、その下に電動式緊張装置を設けている。そうすることで伝動装置の動力を少なく出来たのだ。そのため、ウエイトの下を伝動装置がワイヤーロープで引っ張っているわけだ。しかし、良く図面を見ると、ウエイトが傾くと、引張ワイヤロープはその傾きを助長する動きになることに気づいた。その結果、ベルトがずれて側面から亀裂したと思われた。
結局殆ど寝ることなく現地に付き、そのまま、総合事務所を訪れ、菊池プロマネに説明した。計算書を説明し、事故原因の推定も説明してから、ガイドローラを付ければ解決できると説明すると納得してもらえた。
住重の現地事務所に帰り、宮崎さんに説明すると、彼も同様の推定をしてガイドローラは既に取り付けたとのことで、その現場で起こった唯一の問題は解決した。さすが宮崎さんだ、と思った。

ところで、No5コンベヤの先端部から、港頭のサイロに上昇するコンベヤは、見事な懸垂曲線で設計したが、今では、工場史跡を愛好する団体からは、銀河特急の発車駅だと伝えられている。興味のある人はグーグルで八戸鮫港で検索すると見ることができる。また、港頭施設全体の夜間稼働時の夜景は見事だとの評価もある。

菊地プロマネの所に行き、その結果を説明すると、直ぐに納得され機嫌が良くなった。その頃には菊地さんの信頼感を打合せの度に感じるようになっていた。最初の不安そうな様子は微塵も感じることは無くなっていた。佐薙さんからは、菊池さんが僕に結婚相手の世話をしようかと言っていたと聞いた。が、すでに女房と付き合っていることを知る佐薙さんは、そのことを菊地さんに伝えたとのことだった。
なお、住友セメント八戸工場の斎藤係長は、かなり厳しい人との噂もあったか、なぜか僕には機嫌よく対応してくれた。その後一生を通じて、いろんな会社のいろんな客先と対応したのだが、結局は真面目に対応すると、人は真面目に対応し評価してくれるものだと言うのが僕の人生で、何故か自社内だけはそうでない人も大勢居るようだ。

ベルト切断の件は解決したので、現地事務所に戻ると、宮崎さんが施設の見学をしろと言う。ちょうど最長のNo2コンベヤの試運転を開始するから、その頭部の駆動室に行くと良いと言う。遠矢君が車に乗せて連れて行き、僕を駆動室に置いて去って行った。駆動室内を見て回っていると、明電舎の指導員が来て、試運転の指揮を始めてくれと言う。話を聞くと、僕が指揮することになっているのだ、と言う。どうやら、宮崎さんと遠矢君がそのように段取りしていたらしい。しかも、試運転を見学に大勢の住友セメントの入社社員が集まって来た。仕方なく、駆動室の前後に配置された立会人に大声で声を掛け、設備状況を確認して、通話装置を経由して後部の状況を確認して、運転開始~と怒鳴り、起動を指令した。無事最高速迄の起動を確認して、各部状況を確認し、設備停止~とした。宮崎さんと遠矢君に何故斯様な状況になったのかと尋ねた記憶はない。そのことを尋ねてみたいと時に思うのだ。

菊地プロマネ(当時は次長)は、その後、八戸プロジェクトの成功を評価され、住友セメント彦根工場の工場長に栄転された。が何年か後に、急性のガンで亡くなられたとのことだ。



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