2025年7月2日水曜日

相変わらず夢見が悪い

 一昨日の夢は、中くらいの広さの道路の左側を自転車で走っていて、突然、右側に移り、道路を直角に横切る河の堤防道に入る。その狭い堤防道を進むのだが、河と反対側には、懐かしい佇まいの建物と、河と反対側に続く路地が次々と現れる。堤防の上の道は、大きな古い家の前で途切れ、そこに入って行くと、池があり、その向こうにたくさんの本が棚に並んでいる。いつの間にか、池の上を越えて、本棚の前で本を読んでいる。と、家の入口、つまり、池の前に人が集まり、何か芝居の練習を始める。僕は家に帰ろうかと立ち上がり、足を動かすと、体が浮き上がり空を飛び、おう!凄いなと優美に足で空気を漕いで、来た道を帰って行く、で夢は終わった。

昨夜の夢は、これは良く見るタイプだが、皆が大学の教室で勉強していて、今日は試験日であると知る。ところが、僕は入学後3年間に本を開けてことが全くなく、そもそも教科書がどこにあるかも知らない。本を探さねばならないと考えるが、今から勉強しても試験に間に合わないと、思い悩み眼を覚ました。
だが現実に戻ったものの、大学ではほぼ勉強しなかったことは事実だ、ととても深い自責の念に襲われた。でも、会社の技術者業務で、大学で不勉強であったことでの失敗は全くなく、むしろ、新しい解析方法や、新しい設計、見積り手法を開発して、それを使って、思い存分に活躍したとの自負があり、この自負と、大学での不勉強の後悔が入り混じった不安な目覚めであった。目ざめ後の不安な気分は、大学、大学院の合計6年間を、もっと有効に使えた筈だとの後悔の念が強いのだと思う。それは取り返すことの出来ない日々と時間だからだ。

そんな後悔をしながらも、自動倉庫事業部を首になり、環境施設のリサイクル部門で頑張った時のことを思い出した。何故か僕の席の電話には、海外からの他事業部へとか環境施設への英語での電話がよくかかってきた。休日出勤した時にも、何故か僕の電話に、海外からの訪日者からの電話がかかってくるのだ。当時は、まだ耳も良く、英語も自由に話せる時期だから、それらの電話に困ることもなく、適切に対処できたのだが、ふと、なぜ僕の席の電話だろうと考えた。僕の席の電話は、内線であって、特に外線として登録された物ではないのだから、外国人が電話番号を知っている筈がないわけだ。と考えて、ああ、そうか、誰かが転送したんだ、と気づいた。外部に登録の電話番号は、課の事務担当の女性の電話なのだ。だから彼女は、英語の電話だと即、僕に転送したってことだ。休日でも転送が来るのは、他課の、僕の知らない課でも、僕に転送するようになっていたってことだ。
他の事業部の、例えば、サイクロ減速機事業部の減速機不調についてソ連からの電話を受取った時には、相手のファックスナンバーを聞き取り、正しい連絡先を調べて、これをファックスミリするって手間をかけたことさえあった。その時は忙しい最中であったのでせめてファックスの返信をしてほしいと、管理部に頼んだが、管理部部員は、”それを僕にせよと言うのですか?”と気弱く答えたので、結局僕が全てを処理するしかなかった。と、そんな事も思い出した。
それらを、つまり、海外からの電話を僕に回すようになっていたことに、今頃気付くとはと、”くそっ”と思った。