2025年7月26日土曜日

新しい危機を解決すべく、八千代医療センターへ(前編は、新しい危機  を参照)

 徳洲会のK先生と、東京医療センターのY先生からとの2通の紹介状がそろったので、八千代医療センターへ行くことにした。徒歩5分だから極めて気楽だ。WEBで調べて、外来棟の予約センターに行けば良いと判っている。外来受付室は極めて小ぶりである。東京医療センターの待合室はまるでグラウンドのような広さがあり、徳洲会でも、その1/3はある。八千代イリョウセンターは 更にその半分以下だ。この方が僕には気楽で良い。
予約係の順番札を出力して30分も待っていると順番となった。
2冊の紹介状を出すと、予約係のお局様と思われる容貌の整った担当嬢は、東京医療センターからの1通を見て「これは、消化器内科宛ですね、他方は、宛先がありませんね」とのたまわり、看護婦を呼んで、宛先の無い徳洲会からの紹介状の封を切り、外科の先生からですね、では外科も受診先とします。と勝手に決めてしまった。また外科では同じことの繰り返しだと、それに抗議しようとしたのだが、案内状は受け付けず、まずは受診してください、と受診予約票を作成して渡した。患者の希望も聞かず、勝手に診察科を決めるって、いかなる権限か、と腹が立ったが、まぁいいか、受診して先生と相談しようと、家に帰ってじっくりと予約票をみると、予約票には、消化器内科は初診のみ、となっている。完全に、外科に受診させようとの意思だ。「そんな命に係ることを事務員が勝手に決めるなよ」と思った。
とにかく、先ずは、消化器内科が初診のみの7月31日で、外科が一週間後となっている。
一週間後の7月31日への準備を確実にしようと、病歴やら、希望する治療とかを書状に書き、
要するに、消化器内科を診察継続にしたいとの書状を作り始めた。書類を見て話せるようにと、老眼に見合った大きさの文字にしたり、太字にしたりと、久しぶりの、プレゼンテーション文書つくりとなった。どうせ先生は多忙だから、といかに少ない説明で、”消化器内科で常時みてもらう”との意向を示すかと工夫した。実は、肺がんだから、呼吸器内科にすべきかと考えていたが、それどころでは無いので、先ずは消化器内科を目指そうと考えたのだ。
(後から、再度 Y 先生からのメールを読むと、先生は、将来の転移も配慮して、消化器内科への転院を薦めていたのだ)
当日になり、診察室に入ると、消化器内科医は、若い女医であった。「紹介状2通を読みましたが、今の容態はいかがですか」との話が始まり、こちらが説明すると、しっかりと聞いている。ついでに、概略治療経過を説明し、化学療法では衰弱が激しく認知症が進行したこと、外科手術では後遺症が激しいことを説明して、「内科のこちらで容態を見ていただき、必要に応じて化学療法や外科を紹介して戴きたいが、放射線治療を最も希望します」と言うと、何と、八千代医療センタ―では放射線治療はやっていないとのことであった。
WEBでは紹介していますよね?と言うと、いえ、WEBはともかく、放射線治療は今は遣ってません、とのことだ。
遣ってないのをしろと言っても無意味なので、では、本院に紹介して戴くとか、東京医療センターに紹介して戴けますか?と言うと、「判りました。ではとにかく、血液検査とCTで現状を把握しましょう」と、これで、消化器内科での受診は決定した。外科の方も受診となっていますが、キャンセルして良いですか?と聞くと、そうしましょうと、さっさと画面上で、外科の予約を抹消してくれた。しゃきしゃきした女医で、こちらの意図を簡単に把握して気持ちが良い。苦労したプレゼン資料を使うまでもなかった。
かくして、血液検査は当日受けて、CT日程と、診察日時がさっさと決まってしまった。
八千代医療センターまで徒歩5分で、しかも、頭の回転が速く、優しい女医だ。
どうやら、運が向いてこたようだと、極めて幸運を喜んでいる。

ただ心配なのは、女房の今後の病状の進展だ。Y先生からの連絡では、消化器内科の先生を主治医にするのが良いとは、肺以外への転移を視野に入れているからだが、そんなに簡単に他の臓器に転移するのかと心配だ。心配の種は尽きない。
女房さえ元気なら、単独で、若しくは、女房を連れて、東南アジヤとか、ネパールやスリランカに長期でstayするのにと、残念だ。

2025年7月22日火曜日

体調不良と対策

 夜は直ぐに眠れるのだが、真夜中に起きてしまう。その後は眠れなくて朝から睡眠不足が続いた。医者に話すと、睡眠誘導剤、デエビゴ5mgを調剤してもらった。それでも、常態は余り変わらない。そこで試しに、5mgの錠剤を半分に割り、就眠時に半分、夜中の目覚め時に半分を飲むとまぁ改善された。それを医者に話すと、2.5mgの錠剤を倍数だしてくれた。そこで、就眠時に2.5mg、夜中にまた1個を飲んでいた。
ところが、最近、散歩時や出かける時に、とても疲れを感じるようになった。上半身と下半身がバランスしないような感覚で、別々に動くような、がくがくした感じになるのだ。原因を考えたが、要するに各部分の筋肉が弱って、相互にバランスよく動けないのか、とか、加齢で肺能力が衰え、充分な酸素吸入が出来ないのかと、強く呼吸をするようにした。
いろいろ試したが、状態は改善されず、あきらめかけた。が、不調の状態を考えると、要は、睡眠不足ではないかと考えたが、一応十分に寝ている。それでも寝不足なのなら、薬が効きすぎているのか、と考えた。
そこで、眠れることは眠れるのだからと、就眠時の服用はやめて、目覚めた時、それも2時前に寝ざめた時に、2.5mgを服用することとした。
その結果は良好である。これを続けてみる。

しかし、今日は暑すぎる。室内で33℃だ。仕方なくクーラーを入れて散歩はやめあt。でも、朝の内に、庭の除草を終えて、除草したものは畑の穴に入れて、トウモロコシとかナスを収穫した。が、あつ~い~。

2025年7月17日木曜日

旅行斡旋会社AirB&B とBooking.com

 大阪の民泊は、AirB&BとBooking.com の2社の仲介で運営している。
従来の仲介では、宿泊受入れは1週間以上としている。
宿泊のお客さんが支払う金額は下記となっている。
1)宿泊期間1週間以上  14日の場合を示す。
2)両運営会社への提示金額  3,500円/日 
3)長期割引 長期割引はAirB&B だけが提示を要求している。
  AirB&B長期割引 一週間以上10% 一か月以上 20%
  (割引が大きすぎるので上記を6%と12%に変更した。但し、下記計算例は以前の割引)
4)上記での両社でのゲスト支払い、及び、ホスト収入 と運営会社収入
● booking.comの場合
  Gestの支払い   ¥3,500X14=49,000
  Bookingの収入      ¥44,100X12%=5,880
  Hostの収入          ¥44,100-5,880=43,120
● AirB&Bの場合
  Gest の支払い   ¥3,500x0.9x14日x1.1553=50,949
  AirB&Bの収入     ¥3,500x0.9 x 14 x 0.1553 = 6,849 円 Gest の支払い分
            ¥3,500x0.9x14日 x 0.03 = 1,323 円  Host    の支払い分
           合計           8,172
  Host  の収入  ¥3,500 x 0.9 x 14日 x 0.97= 42,777
● AirB&Bの場合 (週割6%の場合)

  Gest の支払い   ¥3,500x0.94x14日x1.1553=53,213
  AirB&Bの収入     ¥3,500x0.94x 14 x 0.1553 = 7,153 円 Gest の支払い分
            ¥3,500x0.94x14日 x 0.03 = 1382 円  Host    の支払い分
           合計           8,535 
  Host  の収入  ¥3,500 x 0.94 x 14日 x 0.97= 44,678

つまり、お客さんはBooking.com が安い。しかも、H,ost も収入が多い。
そこで、週割、月割を少なくしたわけだ。でも、AirB&Bは外人さんが多く、円安の恩恵を受けているので、まぁいいでしょう。

ところで、最近の民泊宿泊料金は、我が家を除いては異常な価格アップとなっている。
朝食無しでも、10,000円/泊になっていて、我が家の3,500円~4,000円なんて存在しないのだ。だから恐らく、宿泊日数を7日以上に設定しなければ、直ぐに予約が入ると思う。でも、日替わりでお客さんが入ると、布団のカバー替えとか、布団の日干しが毎日続くことになる。それでは、しんどいし、しかも、女房の病院通いを、それでは出来ないことになる。
ってことで、1週間以上の宿泊を対象としているわけだ。
  

2025年7月14日月曜日

新しい危機その後

K先生の診察を強制終了した後、先生は要約すると、「後の面倒は全て東京医療センターに見てもらいなさい」と僕達夫婦を診察室から追い出し、補助の女性に、「東京医療センターへの紹介状依頼書を、徳洲会の文書係に出すように」と命じ、補助の女性が診察室の前で待つ僕達夫婦に宛先を書いた依頼書を渡した。K先生の、この行為って、普通の社会人とは思えない行為なんですが、仕方なく、僕はそれを文書係に出した。が、当日の夜に、先に記載したように、東京医療センターのY先生と連絡して、東京医療センターは僕の女房を受入うる体勢ではないと知った。

そこで、僕は、徳洲会の文書係に連絡して、宛先を変更し、八千代医療センターにするようにと連絡して、更に、下記の文書をK先生に提出するようにと依頼した。
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徳洲会千葉病院 消化器外科 K 先生
    from 志水勇

7月8日の診察日、先生のお言葉に興奮してしまったことをお詫び申し上げます。
 K 先生から東京医療センターの Y 先生への紹介状に、純粋に医学的な記載だけでなく、Y先生に失礼な内容が記載されていたのではないかと、気持ちが動転したようです。

昨年の放射線治療の経過から説明しますと、 Y 先生のセカンドオピニオン時に、先生は、「腫瘍が心臓に近く、線量を60%程度に抑えるので、再発の可能性が高い。再発迄は6カ月程度と予想する。この放射線治療ではベストは得られない」と言われました。
が、「新聞に書かれていた老人に優しい医療との記載を読んで来ました。女房の家系寿命はそう長くなく、手術や化学療法で残された寿命を衰弱で過ごさせたくない」と、先生を説得したのです。
ただ、先生は手術の効果を高めることを工夫され、自慢できる治療を為されたようです。今回の治療も同様の工夫をされ、やったぞ!との自負を持たれたたようです。
そのような経過がありまして、ある意味では、私が無理やり手術させたとの思いがあり、僕の知らない所で、先生に嫌な思いをさせたかと驚嘆したのです。

なお、 Y 先生は近々、定年を迎えられるようで、我が女房を継続的に見ることは出来ず、また、東京医療センターは東京都民だけで精一杯の状況で、我が女房を継続的に見ることは駄目なようです。
 Y 先生曰く、地元で内科・外科できれば腫瘍内科の医師の観察下に入り、必要な時に、適切ながん治療を受けるのが良いだろうとのことです。

かような事情ですので、東京医療センターでの治療はあきらめて、調べたところ、ごく近傍の八千代医療センターに、がん医療センターがあり、ここに行ければベストかと、両先生から八千代医療センターへの紹介状を戴くこととしました。 Y 先生は私からの紹介状は、手術法についての小論文のようになるので、 K 先生から、詳しい紹介状を戴きなさいと助言されています。

老い先短い女房、それに、我が方の家族寿命を顧みれば、私もまた老い先短く、その余命を出来るだけ長い健康寿命としたく、ご協力よろしく、効果的な紹介状をお願いします。

2025年7月11日    志水勇
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これからどうなるかの目途はつかないが僕は本件の解決のための準備を始めた。
更に、八千代医療センターへ両先生からの紹介状を渡す際の説明用飼料として、女房の医療経過や、その際に得た、CTの画像CDと画像診断書を集めることにした。K先生は、治療の過程で最初は画像診断書のコピーをくれていたが、何故か途中で「病院として画像診断書は出せない」と言いだして、得られなくなったが、CDの中に入っている場合もあり、とにかく手中のを全部を集めることにした。
その作業の途中で思い出したが、放射線治療を遣る前に、東京医療センターにセカンドオピ用にオピニオン資料を提出したが、その際、がん研究会有明病院にもセカンドオピニオン依頼の予定で、そのための紹介状をK先生に作ってもらったが、それは結局は提出しないで、僕の机の棚に収まっている。これも、参考にすることにした。

実は、年末調整で医療費控除をするため、必要経費をリストアップしているので、これを集約すれば、治療経過は容易に作れる。だが、僕の作成資料はあくまで素人の個人資料だ。重要なのは先生たちの紹介状だ。
がん研究所への説明資料は、心臓に近接した腫瘍を最初の放射線治療を施す前の資料である。資料を見ると、大腸がん外科手術、転移肺癌に対する化学療法の経過、転移肺癌外科手術までの治療経過が記載されていて、その後は2回の放射線治療で、2回の放射線治療内容はY先生が記載してくれるから、これと、癌研究所への資料を合わせれば、一応全体の経過も判る。
この資料を見ると、徳洲会受診時の患者への説明は、一体何だったのかと思う。診察時に、先生は画像説明や腫瘍の説明は殆どしなかった。CT画像に添付される画像診断さえ殆ど説明することはなかった。画面をスクロールして自分が納得するだけとの様子だ。毎月あった診察時間は5分以内が殆どで、患者に関するデータはその時に初めて目に通し、自身が納得するだけで診察を終えていた。腫瘍の出来てからの治療の説明も、自分が理解すれば良いと思っているようで、患者は言われた通りに従えば良いとの態度であった。恐らく、外科のK先生は外科手術で忙しく、診察の患者へ割ける時間が極めて少ないのだろう。それに比べれば、Y先生は30分程度はかけて患者が説明を納得するまで説明していた。患者が質問することが当然の雰囲気だった。
それに、最初の肺嚢4か所の切除手術の結果は、何故かがん研究所への  セカンドオピニオン依頼書類上では3か所となっている。が、徳洲会での肺嚢切除手術での説明は4か所で、実際に、肺外科の先生が切除した肺嚢を見せてもらったが、4個の除去片があった。だから、生体検査ではがんは3か所で、残り1か所はがん腫瘍ではなかったのだろう。ならば、そう説明すれば良いと思う。そもそも、その手術の後での K 先生の診察では、切除部分の全てが確かに腫瘍であったか否かも説明されず、僕が「全てガン腫瘍だったのですか、と質問すると漸く、全てがんであったと説明して、生研診断書は見せてくれなかった。患者が疑問とする質問を遠慮させる雰囲気なのだ。でも、徳洲会の先生からすると、多数の患者を処理するには仕方がないのだろう。それに、恐らく、多忙故、画像も画像診断書も、生体診断書も、担当部署からのデータを、患者の診察の最初に初めて目を通すのだろう。
でも、それは何処の病院でも同じで、目を通した後の患者への対応が重要なのだろう。

なお、徳洲会千葉のWEBで、放射線治療を調べると、立派な治療マシーンを設置して、治療も万全そうに見える。ここが本当に女房の放射線治療を拒絶したのだろうか、と不思議に思った。
でもまぁ、八千代医療センターにも同様の設備や体制があるようで、楽しみでもある。

本日、上記の手紙を見た K 先生から電話があり、「事情は良く判りました。八千代医療センターには知り合いの外科医も居るので紹介しましょうか」との連絡が入った。紹介された方が良いかなとも思ったが、下手なしがらみよりは、自分で問題を解く方が良いだろうと、丁重に断った。どうやら僕の方が意地になっているのかな?

2025年7月8日火曜日

新しい危機が我が家を襲う

 本日、徳洲会千葉に受診に行った。奥方がCTを10:30に撮り、11:30からK 先生の診察だ。
女房は2019年末に大腸がんになった。地元のT内科での大腸内内視鏡でがんが確認された。
T 先生が徳洲会出身で、僕としては、地元の東京女子医科大学八千代治療センターが望ましかったが、T 先生の強い薦めで徳洲会にしたのだ。K先生の手術は、20cmほどのS次腸部分を切除して成功したが、6か月後に肺への転移が見つかった。これを1年ほどの化学療法で抑えたが、化学療法での衰弱は実に激しいものがあった。認知症が急激に進んだのもこれが影響したのかも、と考えている。化学療法で腫瘍が消失したが、更に6ケ月ほどしてから4か所に再発した。僕が化学療法への嫌悪を示すと、K 先生は、手術を薦めた。それも4カ所同時の手術であった。手術したS 先生は腕が良く、4か所を同時に手術した。胸の左右から内視鏡を突っ込むッて手術だ。1週間ほどの入院後家に帰ったが、ほどなく、胸の痛みに苦しみだした。担当医のK先生に相談すると、「私は消化器外科だから胸のことは判らない」とのことで肺の手術をしたS 先生の受診を薦めた。再びS 先生を受診すると、「肋間神経痛だろうが、どうしようもない。一応鎮痛剤を処方します」との言葉だった。確かに鎮痛剤はほぼ効果は無かった。
女房は特に夜間に激しく苦しみ、救急車を2度も呼んだが、病院に着くと収まるのだ。さらに夜になると、2階の寝室は嫌だとか、1階の和室も嫌だとか、何か取り付いたような言動も出だした。夜中に寝具を2階から1階へ、1階での移動とか、更に2階への移動とかで、これはいわゆる手術後の妄想で、僕も疲れ切ってしまった。
結局、風呂に入り体を温めると痛みが和らぐことに気付き、なんとか対処出来て、4か月ほどの苦しみの後に元に戻った。

手術後の痛みの後、3か月で再び再発となった。K 先生は、再度手術を薦めたが、今度は、肝心の呼吸器外科のS先生が手術はしない方が良いとの言葉であった。そこで、K 先生は化学療法を再開するのが良いと勧めた。だが、その頃丁度、日経の夕刊に、がんと共に生きる、ってコラムで、老人には放射線治療がやさしい、との記事が掲載された。考えてみると、もう残された時間の少ない老人が、痛みや老衰を伴う外科手術や化学療法よりも、放射線被ばくはあっても、放射線治療の選択が良いと思えた。伝手のある放射線治療のY 先生を東京医療センターに見つけたので、早速、K 先生に紹介状を書いてもらった。なお、放射線治療の場所は心臓に近いとK 先生は渋ったのだが、なんとか診察紹介状を出してもらい、Y 先生に相談した。Y 先生は、「心臓への影響を考えると、線量を少なく設定することになる。そのため、数か月で再発する可能性がある」と指摘されたが、女房の残存寿命を考えれば、数か月でも抑えれば良いと頼み、9月末には通院4日間の放射線治療を終えた。全く副作用は出なかった。
それから、9か月ほどで、また再発した。先の放射線治療をした場所から、20~30mm程度、心臓から遠い方向の位置だった。K 先生は、放射線治療した場所の近くの場所に、再度放射線治療はできない、と手術か化学療法を選択すべきだと主張した。が、一応はと、Y 先生に相談すると、心臓から外側にその程度外れていれば大丈夫ですよ、と6月末には放射線治療を3日で終えた。前の時は4回の照射だったが、今回は3回で済ませた。一度の投射線量が大きかったのだろう。勿論、Y先生の紹介状診断の後で、K先生には、放射線手術をします、とのFAX連絡はしたし、Y先生からの手術結果連絡書は、受診当日の早くに文書係経由で届けておいた。
放射線手術の成功後、予定されていたK 先生の診察を7月8日に受けた。が、先生はCT画像を見るや、「もう診察も東京医療センターでやってもらいなさい。僕の反対を押し切ってするのだから、診察はできない」と言い、診察する代わりに、補助の女性に東京医療センターへの紹介状作成依頼書を書きなさいと言い、診療を打ち切った。   後で思うに、CT検査の結果で、放射線治療したのが判り、怒ったものと思われる。しかし、放射線治療についてK先生には、紹介状をもらっているし、相談の結果、放射線治療をすることもFAXにて連絡は済んでいる。恐らく手術が忙しくて全て忘れたのだろう。

なお、その先生の発言に、「先生は、治療の選択肢として、外科手術か化学療法を選択肢で示されましたが、放射線治療は示されなかったですね。それで僕は、新聞に、放射線治療は老人に優しいと書いていいたので、その方向に進んだのです。何故、放射線治療は選択肢外なのですか?」と聞くと、口ごもってから「線科が反対した」と答えた。「ここにも放射線科があるのですか」と問い直すと、あるっとだけ答えた。つまり、放射線科があるのに、治療の選択肢として放射線治療を示さなかったわけだが、何故だろうと不思議に思う。
それに、放射線治療について、先生が反対であろうが、手術が成功したからそれでいいのじゃないか?と不思議に思ったが、診察しないと言うのを無理やり診察させるわけにもゆかず、診察室を出た。それ以外にどんな方法があるのだろう。

事務の女性は、東京医療センターへの紹介状作成依頼書を僕に渡し文書係に提出するようにと言ったので、帰路に受付の文書係に提出した。
しかし、後述の様に東京医療センターのY 先生にメールで問合せしたところ、東京医療センターでは受入れ出来ないとの返信が来たので、翌日には徳洲会の文書係に電話して、紹介状の宛先を、東京女子医科大学八千代医療センターに変更するように連絡した。
さて、K先生はどう対応するだろうか?楽しみである。

先に書いた秘密の危機に加えて、かくなる危機が我が家を襲ったのだ。
なお本件について、僕としては他にどんな遣り方があったのだろう。両病院の両先生の間の連絡は、紹介状とか、手術結果報告とか、他に、両先生への個人的メールとかで、中継ぎは充分に果たした筈である。しかし、両病院側の作成する紹介状とか治療結果報告は、僕が読めない封書のまま両先生の間を往来しているから、そこは僕が認知できない領域だ。
ただ、K 先生が最後の診察初めに言った「紹介状に、放射線手術だけでなく、その後も見るようにと記載した」の言葉からすると、K 先生が女房の診察をやめる意図を明確にしていたようだ。だが、それに対して、Y 先生がS 先生への手術結果報告書内で、いかなる返事をしたか、それとも、無視したかは僕には知ることはできない。

結果から見て、この事態を防ぐには女房の治療を全くK 先生の方針に任せるしか方法は無かったことになる。その方法では、女房の残された寿命を、苦痛と衰弱で過ごさねばならないことになる。
まぁ、のんきな生活の代償として受け入れねばならない事態だろう。
それにしても僕に理解できないのは、K 先生の言動である。放射線治療なる彼の専門分野外で、新しい知見、知人を得れば、彼の将来に治療の幅が広がるのにと思う。我が家の婆さんの治療で争うなんて無駄ではないか。
どうも、徳洲会系の先生は、狭い世界で生きているらしい。

先に記載の通り、徳洲会文書係で、東京医療センターへの紹介状を手配したが、帰宅してY 先生と連絡を取ったところ、下記の返信が来た。

お世話になりました。
本日は、徳洲会K 先生の診察日で、単純CTも受けました。
しかし、その後の診察については、当日のCT画像を見て、先の腫瘍が縮小したことを確認はしたものの、
事実上の診察拒否でありました。

K 先生のおっしゃるには、
「先の腫瘍位置は、通常は放射線治療は危険で、そのような治療をするなら、診察できない。従って、定期診察も含めて東京医療センターで遣ってほしい」
とのことです。その旨、先の紹介状にも記載したとのことです。
再度紹介状を出すので、その手続きを、とのご指示でした。

そこで対策ですが、下記をご検討ください。
① ②が不可であった場合の最悪のばあい、東京医療センターで、妻の定期診察も遣って戴けるのでしょうか。
  問題があるとすればいかなる問題で、解決の方法はありますか?
② 別案で、近場の 東京女子医大八千代医療センターにて定期診察及び放射線治療等を出来るか調べます。
勝手なのですが、先ずは②の可能性を進めるべく、先生の紹介状と、K 先生の紹介状を準備し、両方を持参して、八千代医療センターに相談に行きます。

以上を計画したく、ご相談のメールです。
御多忙中よろしくお願いします。
志水勇

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Y 先生からの返信

どの治療もリスクはありますが、前回の定位照射は許容される良い適応であり、
放射線治療医としては、やる価値のある治療として選択肢にあげられます。
K 先生には選択肢として理解されず大変残念です。新しい照射技術の有効性は
まだまだ日本の一般医療者には情報が届いていないのが実情かと思われます。

女子医大の八千代医療センターの消化器内科が定期観察できるのが望ましいです。
放射線治療はおそらく治療が必要な場合のみ放射線科に紹介されると思います。
癌を見る場合、原発巣で担当科が決まり、手術や放射線治療は外科や放射線科に
紹介されるのが一般的です。肺転移でも定期観察は消化器科の担当が多いです。
肺転移か多発になり、呼吸不全になっても、化学療法や緩和療法は消化器科が
主体になることが多いものの、慣れていない場合、早めに緩和ケア科や在宅に
回すことが増えてきています。志水さんの場合、化学療法や放射線治療を
受ける可能性や希望がある当面、おそらく数年間は消化器内科担当で、ときに
呼吸器科の関与が出番になるのではないかと思われます。いずれ肝転移や
骨転移などがでてくる可能性もあり、呼吸器科だけでみることはないでしょう。

当院の場合、消化器内科は遠方の方を受け入れる余裕はありません。当院の場合、
腫瘍内科向きなのですが、一人体制なので長期定期観察は厳しいかもしれません。
私は今年度で定年退職になり、放射線治療科で長期間定期的に診察継続するのは
難しいと思います。1年程度なら、非常勤になれれば診れるかもしれませんが、
確約できない状況です。照射で対応できない状況になると地元の医療が主体に
なり、今のうちから地元の医療者と良い関係を築いておくことが後々大切です。

まずは女子医大の消化器科にK 先生からうまく紹介してもらってください。
ここで施行した照射の内容は紹介状として作成できますが、2回の小手術の
ような感じで、消化器科医には放射線治療済という一言で済まされてしまうと
思います。後日女子医大で放射線治療を行うことがあれば、重要な資料として
放射線科医にとって必要な内容を再度問い合わせして来ると思います。
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結局のところ、Y 先生の言うように、「消化器内科の先生に日常をみてもらい、手術は大病院で遣るって方法がベストのようだ。しかし、肺がんだから呼吸器内科がベストかも、とも思う。
NETで、八千代市腫瘍内科 で検索して該当する医院に連絡することにする。
若しくは、大病院に推薦状を出せる町の医師を経由しての治療でも良さそうだ。むしろその方が、大病院の変な意地に巻込まれないで良いのかもしれない。

ところで、K 里先生は、放射線科で実績や評価の高いY 先生にいかなる非難の紹介状をおくったのだろうか?Y 先生に頼んで見せてもらおう。

2025年7月4日金曜日

とても暑い..... 気力が上ったり下がったり

 とても暑い。それに大阪の民泊は、夏の暑い間は閉鎖しているから僕には特に為すべきこともない。かくして、女房の、がんの受診とハイパーサーミヤの受診、認知症の受診、それに、自分の生活習慣病の受診、それに先日に入歯が割れたので、その修理手配、それら以外には特別することもない。つまり、暑さにうだりながら、これらに対応するだけの怠惰な毎日だ。これでは駄目だと、目標を持って何かを為すことにした。
(なお、月曜日は、参議院選挙の期日前投票と、女房の介護度検定の手配に市役所に行く。介護施設で新しい人との交流も大切だと、認知症の医者が言うのだ。)
先ずは、夏も民泊を続けられるように、枚方の自分の部屋に、エヤコンを設置することにする。かくすれば、夏も女房を連れて大阪に滞在できるだろう。ただ、風呂を宿泊者と共用するのが欠点だ。枚方市駅駅前の快活クラブを利用することも考えよう。(畑に水やりに行くので中断・後に続く)
こんな風に暑さに翻弄されて無駄な時間を過ごすことに飽きてきた。もっと時間を有効に過ごすことにする。それに、解決すべき問題は億劫がることなく対処すべきだろう。
何をすべきか、順に書いて行こう。
ところで、僕が万博にイベントを計画するとすれば、先ずは、リサイクルの自動倉庫だろう。
横須賀に収めたと同様の自動倉庫だ。約2億円をかければ出来る。リサイクルごみは循環させれば良い。ごみはゴミ収集車の載せて、これを循環させれば、実稼働している施設をそのまま再現できる。汚れていない模擬ごみを使えば面白いだろう。それに汚れていなければ分別も遣りやすい。ごみ袋を破袋してごみ袋の中の、プラや袋を分別したりも出来る。それらのリサイクルを再現させれば更に1億必要かな、もう少し安くできるだろう。凄い迫力のある展示物だ。それも、横須賀で実現したシステムを世界にPR出来るのだ。
これだけではない。日本には思いもよらない色んなシステムがあり、殆どの人がその存在すら知らない。
今日はかなり頭がさえている。クーラーって大切だな。
実は我が家は実は危機下にある。別に金銭的には大したことではないが、ある危機下にある。だが、それについては書きたくない。
午後は、先ず、栗の木の剪定から始める。南側の木の剪定はほぼ終わり、しかも、剪定枝や葉を袋詰めした。そこで、東端にある栗の木の剪定が残り、それに並ぶ姫ゆずも剪定せねばならない。栗の木の後ろに土地が開いているが、剪定枝はそこに落として放置している。
借りている農園で、最近は、イチゴやタマネギの調子が悪い。特に玉ねぎは植付の70%が腐ってしまう。今日気付いたのだが、以前は剪定木を埋め込んでいたのだが、ここ2~3年は、栗の木の後ろに放置している。剪定木を畑に埋め込むことで排水効果と言うか、土壌の膨らみを維持していたのではないかと気づいた。今年は、出来るだけ埋めることにしようと思う。これは、とても重要な気付きと試みだ。

僕のゴキブリ対策

 夏になるとゴキブリがつぎつぎと出てくる。
我家では、僕がずっとごきぶり担当である。女が「キャー」と叫べば僕の出番となる。むかしはハエ叩きって適切な道具があったが今はその姿を見ることは無い。新聞紙を丸めるか平たく折ってそれで叩くかであった。一時期、女の一人が凍結噴霧器とかゴキブリ一発とかの噴霧器を買ってきた。それで倒すわけだが、実際に実に効果的であった。しかし、その効果は人間にも危険なのでは ないかという不安が常にあった。その噴霧器は既に噴出圧がなくなって御用済みになってしまった。そこで、薬屋に行くとかなり高価でもあったのでそれはやめて、新聞紙に戻った。あるとき、ゴキブリに付いている病原菌は手のひらに付いている程度と同じだとの記事を読んで、新聞紙をやめて手のひらでたたくことにした。新聞紙よりは確実となった。が、奴らはすばしっこくて効率50%以下であった。ただ、手のひらで叩いて、彼らの内臓が僕の掌についても平気となった。彼らは只の昆虫に過ぎないことが判ったわけだ。更に、奴らの潜む場所に留意すると、台所の料理台のシンクの横に、洗い物を乾かす金網籠があり、その下に水受けが有るが、その水受けと調理台の床との間に僅かに隙間があり、何故か夕刻以降には、より安全な場所から這い出してきて、そこに潜むことが奴らの習性であることに気付いた。そこで、毎夜遅くに台所に行き、潜んでいる奴等をそこから、長い定規で追い出し、出てきたところを、手のひらで叩くことで、殺傷効率は70%程度に揚がったと思えた。が、ある夜、一匹を追い出すと、シンクに逃げ込んだ。がシンクの四方は垂直の壁で囲われていて、なんと、ゴキブリはその壁を登るのが苦手なのだ。水を掛けると、なんと更に驚いたことに、ゴキブリは水には弱いらしく動きが鈍化した。更に排水口に落ち込んで排水口netの上でとろい動きで動き回っていた。そこでnetを外して丸めてごみ箱に入れてこれで完了となった。

要するに、シンクに追い込めば確率は100%近くで処理できると判ったわけだ。
かくして僕は、毎夜、ごきぶりを殺してすごしているわけだ。
それをお釈迦さんは許してくれるのだろうか。

追記
ごきぶりは、人の気配を感じるとじっとして人の関心を引かないように停止する。その時に近づいてパッと抑え、小さな頭を指で挟み潰せばそれで終わりだ。
上記の水受けの下に居る時に定規で追い出すと、シンク側に逃げずに、反対側の壁を登るのも居る。これも配慮して追い出すことが重要だ。でも、やはり毎日殺すってことには若干の苦しさも感じる。が仕方がない。


2025年7月2日水曜日

相変わらず夢見が悪い

 一昨日の夢は、中くらいの広さの道路の左側を自転車で走っていて、突然、右側に移り、道路を直角に横切る河の堤防道に入る。その狭い堤防道を進むのだが、河と反対側には、懐かしい佇まいの建物と、河と反対側に続く路地が次々と現れる。堤防の上の道は、大きな古い家の前で途切れ、そこに入って行くと、池があり、その向こうにたくさんの本が棚に並んでいる。いつの間にか、池の上を越えて、本棚の前で本を読んでいる。と、家の入口、つまり、池の前に人が集まり、何か芝居の練習を始める。僕は家に帰ろうかと立ち上がり、足を動かすと、体が浮き上がり空を飛び、おう!凄いなと優美に足で空気を漕いで、来た道を帰って行く、で夢は終わった。

昨夜の夢は、これは良く見るタイプだが、皆が大学の教室で勉強していて、今日は試験日であると知る。ところが、僕は入学後3年間に本を開けてことが全くなく、そもそも教科書がどこにあるかも知らない。本を探さねばならないと考えるが、今から勉強しても試験に間に合わないと、思い悩み眼を覚ました。
だが現実に戻ったものの、大学ではほぼ勉強しなかったことは事実だ、ととても深い自責の念に襲われた。でも、会社の技術者業務で、大学で不勉強であったことでの失敗は全くなく、むしろ、新しい解析方法や、新しい設計、見積り手法を開発して、それを使って、思い存分に活躍したとの自負があり、この自負と、大学での不勉強の後悔が入り混じった不安な目覚めであった。目ざめ後の不安な気分は、大学、大学院の合計6年間を、もっと有効に使えた筈だとの後悔の念が強いのだと思う。それは取り返すことの出来ない日々と時間だからだ。

そんな後悔をしながらも、自動倉庫事業部を首になり、環境施設のリサイクル部門で頑張った時のことを思い出した。何故か僕の席の電話には、海外からの他事業部へとか環境施設への英語での電話がよくかかってきた。休日出勤した時にも、何故か僕の電話に、海外からの訪日者からの電話がかかってくるのだ。当時は、まだ耳も良く、英語も自由に話せる時期だから、それらの電話に困ることもなく、適切に対処できたのだが、ふと、なぜ僕の席の電話だろうと考えた。僕の席の電話は、内線であって、特に外線として登録された物ではないのだから、外国人が電話番号を知っている筈がないわけだ。と考えて、ああ、そうか、誰かが転送したんだ、と気づいた。外部に登録の電話番号は、課の事務担当の女性の電話なのだ。だから彼女は、英語の電話だと即、僕に転送したってことだ。休日でも転送が来るのは、他課の、僕の知らない課でも、僕に転送するようになっていたってことだ。
他の事業部の、例えば、サイクロ減速機事業部の減速機不調についてソ連からの電話を受取った時には、相手のファックスナンバーを聞き取り、正しい連絡先を調べて、これをファックスミリするって手間をかけたことさえあった。その時は忙しい最中であったのでせめてファックスの返信をしてほしいと、管理部に頼んだが、管理部部員は、”それを僕にせよと言うのですか?”と気弱く答えたので、結局僕が全てを処理するしかなかった。と、そんな事も思い出した。
それらを、つまり、海外からの電話を僕に回すようになっていたことに、今頃気付くとはと、”くそっ”と思った。