2022年12月30日金曜日

アシュガンジ駅、それから

https://www.google.com/maps/place/Ashuganj+Railway+Station/@24.0381404,90.9994859,16z/data=!4m14!1m6!3m5!1s0x5f8a1637d684b605:0x7b9bfc75d4951fc1!2z6YCi6ZqI6aeF!8m2!3d38.067236!4d140.8547825!3m6!1s0x37541b8cbb6af1ed:0x8aab56a640983209!8m2!3d24.0381519!4d91.0016386!15sChFBc2h1Z2FuaumnheWRqOi-upIBDXRyYWluX3N0YXRpb27gAQA!16s%2Fg%2F1tgxrx2x

 アシュガンジ駅は、ダッカ駅から 北上し南下する巨大なメグナ河を西から東に渡河したところにあり、着くと北側つまり左側に降りる単一ホームである。僕の子供の頃の近鉄南大阪線でも最も貧相な二上山駅とか当麻寺駅よりもさびれた駅で、改札もなく、左側へと階段で降りて、そこから線路に沿って前方に行き、線路の下のトンネルを抜けて、まっすぐ南に1kmも行けば、メグナ河の岸に埋め立てた敷地に建つ肥料工場がある。ダッカ早朝発の列車に合わせて、木炭バスのような古いバスが肥料工場のスタッフを乗せて工場まで運ぶのだ。
自分たちで列車から大量の段ボールを下ろすと、わ~っとクーリーが集まって、命じもしないのに階段を下ろしてバスに積み込んだ。何名かの白人男女がバスに乗って待っている前で、僕は値段交渉を始めた。連中は足元を見て要求するのだろうと、実際にいくらが妥当なのか判らないが、とにかく値切ろうと汗をかきながら交渉を続けたが、なかなか切りがつかず、結局はほぼ連中の言いなりに支払ってしまった。その間、仕上師と検査員はじっと見ているだけで、バスの窓からは立派な顔つきをした西洋人男女もあきれたような顔で見下ろしていた。そもそも、1円が6タカ程度だったと記憶するが、いくらが妥当か判らないのだから、交渉の仕様も無いのだが、公費を使うのだから、やるだけは遣ったと言うことだ。
なんとか支払いを終えてバスに乗り、疲れてぼさっと窓の外を見ていると、バスは、線路と同様に両側の土を嵩上げした堤防のような道を河に沿って南に進み、あっと言う間にフェンスに囲まれたエリアに入り、そこが終点だった。とにかく荷物を下ろしたら、ユニホーム姿の白人がジープが現れて乗れという。自己紹介するまでもなく、車を発車するところを見ると、我々のことは住商から連絡があったようだ。とにかく喋れないのだから任せる以外に道はない。
ジープは居住区に入ったようで、あるアパートメントの前に止まり、荷物を下ろすと、白人は、ここが宿舎だ、1時間後に迎えに来るという。その程度はなんとか理解できた。
数人の現地ボーイが現れて、我々をそれぞれの個室に案内して段ボールやサムソナイトも運んでくれた。宿舎地区は河岸に南に沿う方向で、工場敷地の南側にあり、両敷地間はバスで工場敷地のフェンスの外の道路で繋がているのだ。宿舎地区の建物は、立派で、もうまるで、日本の新築団地のようなもので、ただコンクリート造りではあるが、レンガで外装されていて、日本の建設現場のような殺伐なものではなく、緑の木々に囲まれた静かな住宅地であった。ボーイがバス乗り場を教えて、朝6時それに、午後1時に乗るようにと教えてくれた。ボーイは朝昼晩の食事は前のレストランで食べるようにとも教えてくれた。つまり、現場には朝6時のバスで行き、昼には帰って昼食を取り、1時のバスで現場に行き、5時のバスで宿舎に戻るとのことであった。つまり昼食時間を除いて10時間労働ってことらしい。
後から宿舎周辺の敷地状況も判ったが、川に沿う方向に工場から居住区に行く道は、工場と居住地の敷地境界を過ぎて、居住区の高級宿舎地区よりも先の門に至り、そこから川の沿岸あたりまで広い道路が敷地を貫通している。その道路から工場側には、公社の高級管理者住宅、独身寮、レクリェーション施設、社員用食堂(ほぼ高級レストラン並み)があり、また、土産物屋とかスーパーが貫通道路に沿ってある。貫通道路の反対側には一般管理者住宅が並んでいるが、建設中は、その多くは、建設業者の家族同行スーパーバイザー達の宿舎として使われている。建設労働者たちは、Ashuganji駅周辺とか、敷地境界外の壊れそうな民家で宿泊しているらしい。

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