2022年12月29日木曜日

ダッカからアシュガンジ現地へ

 雨季と言っても激しい雨がときたま降るだけで昼間の殆どは暑い夏だ。前に記載したように、住重の海外営業、特に天皇と呼ばれる営業部長は、僕の代打派遣に痛く怒り、事業部長への怒りを僕に向けて、あたかも本件の派遣が失敗するようにと、口で非難するだけでなく、営業部員を僕に付けようともしなかった。その意向が反映してか、現地住商もまた僕らの派遣に冷淡で、早朝に住商現地社員が車でダッカ駅に運んでくれたが、住商がかまうのはそこまでで、そこからは、大量の段ボールと3人のサムソナイトだけが道ずれだ。しかも段ボールの中は信頼できない仕上師が勝手に好みで入れた荷物で、なぜこんなに荷物が必要なのか判らないが、それを運ばせるクーリーは、自分たちで集めて指図せねばならない。連中は当然、支払いを吹っ掛けてくるから、いちいち交渉で面倒でたまらない。英語が得意(実際には僕と大差なかったが)な筈の電気担当の機械検査員は、雑事には全く手を出さないし、仕上師は英語を全く喋れないから、結局は僕が一人で、入出国手続き、税関交渉、クーリーとの交渉と、全てが僕の仕事だ。それを二人は横で見ているだけだから、他から見れば、僕が二人の部下で汗を滴らせながら二人の面倒を見ているように見えただろう。結局、この構図は帰国まで変わらなかった。さらには、帰国してからも、出張の成果は仕上師と検査員の成果であるように吹聴したのか、それを正しいと新居浜は評価したらしい。会社と言うものはそんなものだろう。
早朝のダッカ駅は、切符売り場前の小さな広場から、ホーム上にまで地面で眠る人々で占められて所定のホームに行くのにも手間取り、早朝の唯一の列車の最後尾がアシュガンジ肥料プロジェクト専用の車両だった。出発時間になるとホームに滞留していた貧民の群れが列車の天井へと怒涛のように集まってきて、次々と天井へ上るのだが、つるつると滑る窓ガラスを何とか上らねばならない。しかし、僕の窓の外のおっさんは、サンダルを履いたまま登ろうとするので、サンダルが滑って登れないので必死であった。足掛かりとなるようにと、僕は窓を少し開けてあげたので、なんとかのぼっていった。
アシュガンジへの線路は単線で、洪水を考慮して軌道は嵩上げした堤防の上に設けられていて、線路の両側は、嵩上げの土砂を掘った跡が延々と線路に沿った池となっている。雨季なので、人の居住地や細い通路を除いてはどこまでも池のようで、そこに稲が植えられている。列車の線路横の土手の上には、水がこないので、特にダッカ近辺では貧民が水を避けて粗末な小屋を作って無断占拠している。そんな景色が延々と続き、80マイル(128km)程度を、なにしろ単線だから、逆走の列車といちいち待ち合わせするため、4時間もかけて行き、この国では珍しい丘陵地帯にに入ると、遠くに尿素を作るプリルタワー(造粒塔)が見え、眼下に帆船が通る河を越え、最後に巨大な大河を越えるとアシュガンジ駅に着く。



0 件のコメント:

コメントを投稿