2022年8月4日木曜日

住金鹿島の焼結設備

 僕が住金鹿島焼結設備のプロマネをしている時、納期が差し迫るなかで、数多くの図面を課長承認に出した。課長は図面を殆ど見ることもなく、あれこれと難癖を付け始めた。何を言いたいのか全く理解できない難癖で、どう対処すれば良いのか見当が付かず、部下に適切な修正指示は不可能だった。

今思えば、余りにも多数の図面が出てくるので、承認のハンコを押すのが面倒だったのかとも思うが、それならハンコを渡して押しといてくれと言えば良いのだ。
課長の難癖をどう対処すれば良いかが判らず、部下に指示できないので、僕の机の上に置いておくしかなかった。納期は迫っている。
そこで、日曜日に出勤して、課長の机からハンコを取り出して、自分で全て押して、翌日には出図した。これを休日ごとや、夜誰も居ない時に繰り返して、結局、膨大な図面の課長印は全て自分で押した。

それほど多くの図面が、彼を通過することなく出図されたことに彼は本当に気づかなかったのだろうか、と今になって思った。あれほどのプロジェクトの図面が、彼の手元を全く通過しなかったことに気づかない筈は無いと思えた。
結局彼は、”図面に関することは全てお前の責任だ”としたくて、それを許容したに違いない。僕にハンコを渡して、押せと指示すれば、責任は課長の自分になる、と彼は思ったのだろう。が、僕が勝手にハンコを押せば僕の責任になるのだ、とも考えたに違いない。
こう考えると凄く頭の回る男だと感心する。だが、通常は誰がそんな姑息な事を考えるだろうか。課長自身がハンコを押したとしても、プロジェクトマネージャは僕だから、全ては僕の責任だ、と少なくとも僕はいつもそう考えて仕事をしてきた。
多分、”お前の仕事の責任は一切持ちたくない”と、課長は僕に声なき声で言ったに違いない。その声なき声が聞こえないのが僕の性格なのだろう。

休日出勤のついでにと、課長のキャビネットを調べると、課長が書いた課員の人事考査書が出てきた。早速僕のを見ると、かなりの酷評であった。入社してから、業績は悪くはなく、むしろ素晴らしい成果続きの筈で、それに、言われた仕事を文句も言わず黙々としている。それにしては、これは酷いなぁと思ったが、課長の日々の僕への態度を見れば当然であるとも思った。要するに秘蔵子親衛隊との差別化を図ったと思え、実際、親衛隊長の人事考査書は満点に書かれていた。課長の作戦は成功して、僕は他の同期にくらべれば、1年から2年は昇格が遅れた。住重の人事は、個人の業績とは全く無関係に課長の恣意的判断で決まるのだ。

焼結設備の据付が始まったが、その初期に人身事故が起こり、1人の作業員が亡くなった。その原因は設計部門には無く、基本はコンベヤ管理部の問題だが、事故の主原因はあきらかに作業員の不注意にあった。だが、作業員の不注意が生じる原因は据付の管理側にもあり、住金は死亡事故に対してはその後の据付に厳しい対応を要求した。このため、据付総監督は新居浜鉄工課の課長が新たに任命され、据付指導員も大幅に増員となった。設計者も現地駐在を要求され僕は現地滞在となった。
その鉄工課課長や課長の取巻き課員、それに鉄工課の若い連中とは多いに気が合い、鉄工課長を含めて麻雀を一緒にするなどと仲良くなり、いろいろ話をしていたが、あるとき、鉄工課課長は「君は愉快な男だなぁ。・・・君の課長は、君の事を暗~い男だと言っていたがなぁ」と教えてくれた。事務所では所属課長に朝から晩まで怒鳴られていて、それでも明るいなんて却っておかしいだろうな、と思った。そうでなくとも、八戸の据付現場でもそうだったが、現場に入ると僕は気分が高揚して、楽しくなる性格のようだ。

据付は順調に進んだが、ただ、試運転に入る時点で、住金の生産課の若い担当者が赴任して、これは時々あることだが、下請け、つまり、僕の所属する住友重機械の人間に特に技術的には馬鹿にされたく無い、との思いでか、あれこれとクレームをつけ始めた。例えば、無負荷運転時の電流値が大き過ぎると主張するのだが、コンベヤは慣性質力が大きいとの機構上、どうしても無負荷運転動力は大きいのが通常だと説明しても言うことを聞かない。モーターを取り替えるなんて出来ないから、負荷運転が開始されて負荷電流値を測定出来る迄無視せざるをえなかった。無視すると、いよいよあれこれ指摘してくる。住金側据付担当者も生産課を無視できないので、彼の主張の内、せめて、焼結鉱のコンベヤ接続点での落差を下げるように、生産課の要求に従ってくれ、と生産課担当者の書いた計画図まで持参して頼まれた。既設焼結鉱コンベヤの落差と同じ程度だから問題ないと訴えたが、代官様には勝てず最後には仕方なく、焼結鉱ラインのコンベヤ乗継点各所に、落差を下げるための落下棚を図面通りに取つけた。

が、負荷試運転を開始すると、僕の指摘通りに、落下棚に落ちた焼結鉱が少し溜まると、一気に後続の鉱石が溜まり激しい詰りが生じた。ベルトコンベヤでの搬送とはかように大量なのだ。一転、住金の据付担当者は、すぐさま落下棚を撤去してくれと依頼してきた。追加金額の要求どころではない、試運転は急いで終わらねばならないと、直ぐに撤去した。かように、当方の落ち度は殆どなく、試運転も無事に終えた。
実は、焼結装置下それも世界最大級の焼結装置下に、通常は高熱に強いチエーンコンベヤを使って焼結鉱を運び出すのだが、その代りに、要求された高温ではあるが、その温度に耐える耐熱・不燃コンベヤベルトを使ったが、その結果が心配だった。が、それも無事に運転できた。
唯一の設計的失策は、焼結原料ラインで、焼結設備へのコンベヤを従来より大容量なのでベルト張力が大きく、帆布ベルトでは張力不足なのでスチールコードベルトを使ったのだが、その折れ曲がり部を帆布ベルトの従来機と同様の角度でまげたことで、折れ曲がり部でベルト端部に波のような屈曲が発生した。従来の帆布とは違ってスチールコードが曲がりにくいことに配慮が抜けていたのだ。
スチールコードベルトは扱いにくいものだと知っているので、修正の自信はなかったが、仕方なく、作業員3人に指示して短い区間でコンベヤを少しずつ曲げて行くように改造したら、見事に修正できた。やった~と気分は高揚して、翌日からは土日の休日なので、着替えてそのまま鹿島駅にタクシーで走り、特急に乗り、新幹線で大阪の家に帰り、何カ月かぶりに1日半を女房といちゃついて過ごし、課長にはマスターベーションとは言わせないと思いながら再び鹿島に戻った。帰路は恐らく精液臭をぷんぷんと発散していたであろう、と、どうだ課長のマスタベーション発言より凄いだろう。なお、この休暇と言うか帰宅旅行は全て自費で済ました。

試運転も無事に終えて、大阪に帰任となり、プロジェクトの清算となり、多くの指導員を増やしたことで据付費用の大幅増額となったが、それを含めてもなお極めて大幅な黒字となった。なお、けちな僕は、僕の原価把握が綿密で確実で、抜けが無いことには200%の自信を持っている。経理から製番別の計上リストを得て、未入力分を加えれば良いだけで、綿密な僕には、それほど難しいことではないのだが、その実績書を課長に提出すると、
「こんなに利益が出る筈がないやろ!マスタベーションはやめろ」といつものように課内に響き渡るほどに怒鳴られた。この”マスタベーション”を万座の中で怒鳴ることが、課長の得意技なのだ。これを言われると殆どの人は反論の戦意を無くすのだ。
その週の休日に出勤して、課長の机の中を調べると、彼が作ったらしい焼結設備の実績書があった。彼が実績を調べた形跡は無いのに、なぜ実績書を作れるのだろうと不思議に思った。おそらく鉛筆を転がして作るのだろう。そうとしか考えられなかった。恐らく経理の製番別清算リストの存在すら知らないと思えた。要するに彼は、信じられないことだが、予算管理を勘でやっているわけだ。その鉛筆ころがしの実績書では、僕の算出値よりも遥かに利益が低く、殆ど利益が無いようになっていた。だが仕方が無いと、彼の算出値に合わせて実績書を修正して提出すると、
「そうだろ、そんまもんだよ」と上機嫌になって受け取った。
一か月ほどして、新居浜の管理部から、最終積算書が送られてきたらしく、
「お前は、どんな積算をしてるんだ。(マスタベーションの遣り過ぎか)」とまたまた大声で怒鳴られた。括弧内は僕の想定だが・・・

結局は、僕の最初に提出した実績書を再度そのまま提出したが、それが管理部作成分と一致していたらしく(勿論、一致するはずなのだが)課長は、文句も称賛も無く黙って受け取った。
膨大な利益を挙げたのにも拘わらず、正しい予算書を出せば、利益が出すぎていると怒られ、僕の予算書通りの利益でも怒られと、往復ビンタで怒鳴られるとはどうしようもないなぁと思った。

ところで、この思い出を書いてから気付いたのだが、僕の長い設計生活で、計画当初の計画は自分で遣るものの、その後の手順、つまり、外注さんの図面作成、社員のチェック、僕のチェックの手順で、実際には、社員生活当初には、その全てを一人でやっていたが、大阪に移動してからは、徐々に、僕の分担は減り、住金鹿島の頃には、必要とされる膨大な図面の、出来た図面をチェックする暇もなく、目くら判とせざるを得なかったが、それで製作品に支障があったことは一度もなかった。高卒であれ大卒であれ、機械技術者って、それほどに真面目と言うか優秀であったのだ。今になって気付いて驚き、僕の部下であった連中に改めて感謝している。

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