2013年3月19日火曜日

谷津の中で

 その頃わたしはしばしば思ったものだ。木々の枝に覆われ崩壊が続く小道に仰向けに寝転がり、辺りには夏の盛りは過ぎて秋の気配が訪れていたが、わたしの周り、そこは欝蒼たる木々に遮られ大気は澱み、おかげでまだまだむし暑く、視野の端から端、つまり、谷筋とは、ほぼ直角に横たわるわたしの視野の端から他方の端までに、谷を包む斜面林の梢に挟まれた細長い空は、深く遠く、それでいて心を穏やかにするやさしさに輝いていた。青い空の奥深くから、わたしの姿を眺めるとすれば、わたしは単なる点か、それよりもまだ遥かに小さな存在で、そもそもわたしの寝転ぶ谷は長さはたかだか二キロで、谷の両側になんとか残された斜面林の間隔は、それが谷幅なのだが、最も下流でも百メ-タにも満たず、そんな谷は地球の表面に刻まれた、かすかなかすかな皺にしか見えないだろうと。その有様では仮に神が存在するとしても、わたしを眼に止める程の視力はとても期待できず、神の存在については明らかに出来ずとも、このことだけは事実に違いないと思えた。
 なぜその頃わたしが谷津に、つまり地球の皺のひとつに寝転ぶことが多かったかと言えば、話はかなり長くなり、それはまた、日々の過ぎ行く中でしばしばのこと、何が何の原因で、どれがどれに引き続く出来事であるかは捉まえがたく、つまりは、これらいろんな出来事の関わりとわたしの心情が谷津に向けられていただけのことと思える。
 腰を起こし眼の前に広がる二枚の休耕田を眺めていたわたしの奥深くには、機械の振動が残像のように残っていて、その振動は胸を圧迫するかのように重々しく体を捉えていたが、心だけは何事かを、それもかなり困難な仕事を果たしたときの浮き立つ気分に膨らんでいた。かってはその気持ちをビジネス上で持つことが極く普通であったのだが、歳と共に世間を知り人なるものの本質を知るようになってからは、感動は既に消え去り、むしろいろんなことへの嫌悪感が先立つようになってしまった。
 青々と育ち始めていた背高アワダチソウはほぼ刈り取られ、草刈機を引き継いだ原田さんが仕上げの草刈りを続けていた。
我々の手の及ばない、それは距離や労力の問題ではなくて、人の世の約束事となる所有権と法規の関係で手を出してはならない領域となる田圃には、どうしようも無いほど育ち過ぎた背高アワダチソウは春から一度も刈取られることもなく膚は褐色で、あたかも木々のように茂り頂上には枯れた綿毛をいっぱいに着けていた。綿毛に守られていた種子は去年の秋には放たれ、この皺のどこか、それとも更に遠くの地表で新しい命を育んでいるに違いなく、残された脱け殻は既に占領した彼等の領域を他種の命に奪い返されることを拒絶する存在として残り、どういう仕掛けかその試みは充分に効力をそなえていて他の草木は芽をだせないでいる。 
 人影の薄れた斜面林には笹が、田圃には背高アワダチソウが繁茂するのが常だと、これは原田さんの言葉だが、そんな谷津には手を加えず、有るがままの自然の盛衰を観察するのも一興かなと、だが、そもそも休耕田を整えてレンゲを咲かそうと提案したのも原田さんで、その困難なことを考えれば、わたしはどちらからと言えば渋々同意したのだが、なんとしても遣り遂げればならないと理解しがたい情熱に駆られた原田さんは謄本から地主を調べまわり、草刈りとレンゲを播く了解を得ようと努力して、谷津の多くの所有者の二軒の農家の了解を取り付けた。しかし、そう広くは思えない二枚の休耕田だけでも、結局はわたし達の手に余ることになったのだが、とにかくわたしは原田さんの企てに労力だけは提供することにした。
 最初の年、つまりわたしが寝転がっていた年の前年のことで、最初は鎌で刈っていたがそれはもう大変な重労働であった。谷筋の真ん中の光を遮る物も無い所で、草刈りの時期は暑い最中だから、我々の体は絞り切った雑巾のようになってしまうのが常であった。これでは草を倒す前に体が消耗してしまうと金を出しあって草刈機を買うことにした。提供は労力だけとの約束は崩れたが、これは原田さんもどうようで、金まで必要とは彼も思っていなかったに違いない。
 たった一台ではあったがその効果たるや抜群であった。みるみる休耕田は丸刈りとなっていった。しかし草刈機の扱いは容易なことでは無くて、手刈りとはまた違った種類の疲れが、重い機械を操る疲労と、それに加えて体の奥底に残る振動は、その夜から朝にかけての睡眠中に体がばらばらになるような気怠さとして現われた。しかし、それでもまだ手刈りの疲労よりはましではあった。
 もうひとつの短所は、ただ一台を交互に扱うことで、もともと話下手なわたしと寡黙な原田さんとでは話が弾むはずもなかったのが、いよいよ話をする機会が少なくなり、我々は単に草刈りだけに集まるような関係に陥ってしまった。
 草刈機の扱いは、それは全ての道具に等しく言えることだが、機械と体とが一体にならなければ満足な仕事とはならない。原田さんの動きはそれは見事なもので、機械が体の完璧な一部であるかのように、唸りをあげて回転する刃先が見事に地面を舐めて右から左へ、軽く戻してまた右から左へと、彼の手の延長であるかのように、しかも腰と共にその新しい手が廻る角度は毎回測ったかのように一定している。それに較べてわたしの場合には、力まかせのブルドーザーのようにただ、草々を切り裂いてゆく。判ってはいるのだが、これはもう性格的なもので、私の生き方そのものと同様にどうしようも無いものに違いない。わたしの欠点が、ある視点では長所でもあるように、全ての遺伝子は違った可能性を秘めて、環境や境遇の変化に備えているのだ。全ては数十億年の進化の過程で命が得た厳しい教訓のなせる技に違いない。
わたしと原田さんが、この谷津の中で時と場所を共有する、それが偶然とも見えようとも、その背景には、永い時を経た自然の織り成す教訓の成果が織り込まれているのだ。
 今も原田さんはその無駄の無い動きで、、わたしが彼の視線を感じたように、わたしがじっと観察していることを背中に感じながら、機械を軽やかに扱っていた。しかしそれは見掛けだけのことであって、機械の重さと草の切り裂かれまいとする様々な抵抗、それに切り裂いた草を前進と次の旋回の動きの邪魔にならない所に押し倒すためには、全身の筋肉を継続的に動かし、コントロールしているのだ。
 水さえ使えれば田圃に水を湛えて背高アワダチソウのみならず、陸性の雑草を一掃できるのだが、谷津田の水利組合はとっくの昔に解散してしまい、谷津の方々にある給水用ポンプ室への電源線も取り除かれている。谷津は急激な衰退の最中にいて、衰退を押し止める意義については、草刈りをする本人のわたし達にも明確な主張もなく、そのように稀な行動をする人への配慮は行政には無かろうと、水を使っての作戦はあきらめている。ただ、あきらめているのは私だけで、原田さんがそう洩らしたことはないから、彼の心中ではこの作戦がくすぶり続けているに違いない。
 一週間に一日の、しかも草刈り始めと終わりの僅かな時間で交わす会話で、私は原田さんの境遇とか人となりを、できるだけ探ろうと努めたのだが、原田さんもまた私のことを探ろうとしたものだから、いわゆる心の探り合いのようになってしまい、お互いに疲れてどうでもよくなってしまった。それからは相手のことを気にしないで、ありふれた世間話とか会社での出来事とかを話題とすることにした。それはそれで、異なる世界での異なった心のありようにはお互いに新鮮な驚きを感じることも多く、谷津でのひとときは捨てがたい魅力を持つこととなった。
 谷津は新しく出来た東葉線の八千代緑が丘駅から徒歩で十数分の所にある。住宅地の小道を入り込むとすぐに谷津の入り口で、こんな所に自然が、しかもそこから二キロに渉り続いていることには、その事を知ったときにはわたしも驚いたものだ。谷津の両側に薄く続く斜面林と立並ぶ工場とか住宅に遮られて谷津の存在には気付く人は稀で、気付いている人々にとっても彼等の生活とは関係の無い存在として無視されている。
 原田さんも、この東葉線の開通を狙って緑が丘の駅近くに家を得たのだが、開通は遅れに遅れて目論みが外れ、都内の勤務地に二時間近くをかけて通う日々が十年いじょうも続いてしまった。その終わりちかくの散歩の途中で迷い込んだ小道の奥に谷津があったのだ。何度も谷津を訪れるようになり、そこで彼は田を育てる人とあたかも彼等と共存するかのような様々の動植物に魅入られたらしい。
 彼がしばしば呟く「ぼくは単なるピュア-エンジニヤでねえ」との言葉には、自嘲のような響きを帯びてはいるが、それはまた彼の誇りでもあるのだろうと想像し、わたしには計り知れない心の傷が、彼をこの谷津へと引き付けているに違いないと、彼との会話から推察したのだが、その推測が合っているのか、それとも誤っているのかは、聞いて確かめたこともないし、仮に確かめたとしても、彼の心の内をそのまま吐露するとは限らず、結局はわたしの想像のままだと信じる以外に道はない。人は他人を推察する以上には真実を知ることは出来ず、またそれ以上の真実が存在する筈もないと、そう常々わたしは考えている。
 さすがの原田さんの動きも鋭さが衰えてきた。刃先の切り返し、腰の切れ、それに前進の運び、全てが惰性となったかのような動きになっている。そろそろ交替する時機だと私は立ち上がり、道脇の勾配を下り遠回りに原田さんの前面へと廻った。草刈り中には後から近付いてはならない。それがわたし達の約束となっている。
 噴き出す汗が眼に流れこむのか、原田さんは眼を瞬いきながら顔を上げて私を見詰めた。微かに微笑んでからアクセルをゆるめた。爆音は即座に収まり不連続な騒音となった。「交替しよう」とわたしが音に負けないようにと大声を掛けた。
「ああ・・」と口は呟きの形となり、呟きと共に刈り取られた草々の青臭い臭いがわたしの方へと押し寄せた。
 草刈機は、そこが鎌仕事との大きな違いなのだが、一種熾烈な破壊を伴う仕事で、動物の悲鳴の代わりに、草々は死の薫り噴出するのだ。しかし、死の薫りは私たちを怯ませることは無く、むしろこの強烈な破壊と死の薫りにある種の喜びを感じてしまうのだ。
「ちょっと、ボルトが緩くなったようで、それに、グリースを入れた方がいいでしょう」と、原田さんの声には力がなく言葉の殆どを唇を読むことになった。
 わたしは頷き、体を返して道に戻ることにした。
 肩から外した草刈機を道端に置き、ぐっと背を反らした原田さんが、
「レンゲの花が咲いたとして、それがなになんでしょうかねえ?」と空を見上げたまま言った。腰を落とし刃先を外そうとするスパナを握ったまま、わたしは少々硬直してしまった。原田さんの心を推し量りかねて下を向いたままじっと考えた。それから、
「どうですかねえ。長くとも、それに短いとも思える人生で、何か意味のあることが有りましたかねえ」と答えてから視線を上げて原田さんの表情を観察した。
 彼には時に思いもよらぬ質問で人の反応を試す傾向のあることを、最近になり漸く気付いた。そのような質問には、できるだけ曖昧模糊、意味不明な答えを返すことにしている。わたしに向けられた原田さんの顔には普段の笑顔が浮かんでいるだけであった。
「苦労して、生きてきたようで、それでもたった五十数年・・・」とわたしは続けて、後は言葉に出さず、その僅かな年月に人は愛し、憎み、喜び、悲しみながら暮らしているのだと考えた。この歳になれば、日々を大事に暮らそうとは思うのだがなかなか思い通りにならないのも人生で、人並みの生活を維持するには働かねばならず、働く内容はいよいよ夢の無いものとなり、とても喜びを見いだせる代物ではない。それでも人は生きてゆかねばならないと、思考は奇妙な具合に続いたが、わたしは出来るだけ剽軽な口調で、
「草刈りを楽しみ、それにレンゲが咲けば花を楽しめますね。そう草刈りは・・今年はこれで、えーっと・・三度目で、これで種を播くから一年に四回楽しめることになりますかね・・こんな楽しみを出来るのも、あと二十年、いや十数年といったところですね」
「確かに・・」と言い休耕田に顔を向けた原田さんはわたしの話題に乗ってこない。
「レンゲの寿命が一年で、我々は多くて百年。一年と百年って、差があるようで、あまり変わりはないですねえ」と再び無意味な言葉を続けてから、わたしは視線を刃先に戻し、差し当たりの仕事に戻ることにした。ところが、原田さんは突然考えを変えたように、
「そう、動物の生命期間には、それほどの差は無いですねえ、植物にしても長くて千年とか二千年ってところですから・・・」
 急がねば日が暮れてしまうとは思ったが、久しぶりの会話も悪くはない。それにしても原田さんは何を言いたいのだろうかと、わたしは再び視線を原田さんに向けて、
「そんなふうに考えると、死ぬことは当然のことで・・・死に対しての恐ろしさも無くなってしまいますね・・・」
「そう・・頭の中で冷静に考える限りは・・しかし、いざとなって死を見詰めた場合にはどうですかねえ。恐らく、生きてゆくために必要な生への執着が、つまり死への恐怖が蘇るでことになるのでしょう」と、言いながら原田さんは僕の横に腰を下ろして言葉を続けた。
「アカガエルの産んだ数多くの卵の中で成長するのは僅かにすぎないし、蜂たちもまた、巣の外では生死をかけた餌探しを続けていますねえ。自然の中では常に生と死が同居しているんですからねえ」
 わたしは刃先の取り替えを後にすることに決めて、腰を回し休耕田に体を向けて両腕で膝を抱いた。ところが原田さんの言葉はそこまでで、傾いた陽に照らされた休耕田を見詰めたまま、何事かを考え続けていた。わたしは再び仰向けに寝転び、視野の端から端までの青空を眺めてから、眼を閉じたのである。閉じた目蓋の裏側には青空の補色を背景に白く原田さんの背姿が彫り込まれていた。

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