2020年5月3日日曜日

5月3日の たけしのTVタックルでの 木村盛世の主張

2022年になると、木村盛代の主張通りになり、国民全体が抗体を持つしか対策がなくなってきた。しかし、症状の酷いウイルスから伝染力の強いオミクロン型ウイルスに変わったことも一因であることから、症状の酷いウイルスの時点で、伝染を抑えたことで人員被害を最小に食い止めたともいえる。つまり、伝染を抑える手をうつことも重要であったわけだ。

彼女の主張は下記に掲載されている。
http://j-strategy.com/author/moriyo-kimura

つまり、コロナウイルスを抑え込むことはできない。それはインフルエンザでの失敗の経験から導かれる。そこで、基本としては、抗体の所有者が75%になるまで放置して、老人や既往症の病人は、隔離的に過ごさせる。
以上が彼女の主張だが、老人たちは、それほど長時間の隔離生活が出来るだろうか?若くても子供でも死ぬ可能性はインフルエンザよりも高く、現役世代にその悲嘆を耐えられるだろうか、との問題がある。
やはり彼女の主張は極端すぎて賛成できない。
更に考えると、老人達を隔離するとのことだが、老人施設では若い人が維持や運営をしているが、その若い人たちがウイルスを持ち込めば、コロナは一気に施設内に広がる。また、病院には保菌者がどんどんと来るから、病人への院内感染、医療従事者への感染が日常的に発生するが、かような状態に社会が維持できるのだろうか、とも思われ、彼女の考え方には無理が有りそうだ。

ところで、厚生省やコロナ対策本部の連中の考え方は、これに近く、表現のの仕方が若干違うだけのことかもしれない。そう考えると、PCR検査数を本気で増やす気配がなく、抗体検査に方向転換した理由が理解できる。
木村盛世も厚生省の役人それに、対策本部の連中も、自分がコロナウイルスに罹ることを気にしないのなら、その主張を続ければ良いのだが、実際には彼等は、罹るなどとは夢にも思っていないだろう。
更には、国民の70%もの抗体保有を持つ迄放置とは、国民を単なる個数としてしか見ていないことと思わせる。国民の一人一人に大切な人生があるとは考えないのだ。お上の意識とはずっと昔から同じなのだ。

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