以下に述べるように、困難な仕事を、しかも、赤字をださないようにと必死で努力して、実際にこれを達成したのだが、後に述べる中谷部長や丸山部長、佐薙係長は別にして、それ以外はどっちかと言えば、住友重機械特有の陰湿なパワハラで扱われ、褒められることは全く、全然なかった。会社の待遇や肩叩きのやりかたも、全く評価なしだったのだから、少々自分で自慢しても良いだろうと思う。
僕については、下記も詳しいです。
僕の優しい兄と姉について
僕の優しい兄と姉について
http://isabon.blogspot.com/2014/07/blog-post.html
姉と兄の現状
http://isabon.blogspot.com/2023/04/blog-post_8.html
http://isabon.blogspot.com/2023/04/blog-post_16.html
僕の高校時代
http://isabon.blogspot.com/2022/07/blog-post.html
僕の蓄財法
姉と兄の現状
http://isabon.blogspot.com/2023/04/blog-post_8.html
http://isabon.blogspot.com/2023/04/blog-post_16.html
僕の高校時代
http://isabon.blogspot.com/2022/07/blog-post.html
僕の蓄財法
http://isabon.blogspot.com/2023/04/blog-post_2.html
志水勇の旅行記
https://4travel.jp/traveler/isabon/album
調べてみると、GoogleMap機能が更に進化している。僕のライフワークを調べてみた。
八戸の長距離コンベヤである。港への鉄道、道路横断部分で、StreetViewでは、港の施設周囲を見ることができる。志水勇の旅行記
https://4travel.jp/traveler/isabon/album
調べてみると、GoogleMap機能が更に進化している。僕のライフワークを調べてみた。
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この鉄道を越えるコンベヤは、見事な懸垂曲線に設計した。今でも、StreetViewをみると、当時の感動を思い出す。就職して最初の仕事だが、正しい計算を忠実に行った結果は、常に正しい結果になることを知った経験だった。これ以降、可能な限り計算をすることで、設計根拠を確実にする癖ができたと思う。
八戸鉱山第3駆動室や第5駆動室か,八戸鉱山No.4長距離駆動室で、検索もできる。
地下をコンベヤが走っていて、今では5か所ある駆動室は全て住宅地の真ん中になってしまった。
つまり、設備の殆どは住宅地帯の地下を、しかも8kmにもわたって設置されているのだ。
大学院を出て就職したばかりの若造の僕が誰に指導されることもなく、全長8km(総計5本のコンベヤ)の設備全体のみならず各駆動室の計画・設計をした。鉱山の地下-200mから地上まで石灰石を運ぶ斜坑コンベヤを含め、全設備が今でも日本最大級の設備である。
設計だけではなくて、据付期間中に訪れた時には、なぜか、最長コンベヤの試運転で、最先端の駆動室で、たった一人で号令・指令を発する役までさせられた。
(おそらく、現場の連中が面白がってそうさせたのだろう。だが、設備に自信があったので、何のためらいもなく大役をこなせた)
苦労して設計したが、あれで良かったのだろうか、と今になってもふと思うことがある。客先の立場で考えると、これだけの巨大設備を大学卒業歴然な僕に任せることを良く納得したものだと思う。しかし、結果的には、今でも住金鉱業が黒字で稼働しているのだから、あれで良かったのだ。
それにしても、今になって振り返ると、恐ろしいことをたったひとりでやっていたのだ、と思う。
ところで、就職前には大学院でこれを研究した。
http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/201002099477760499
僕は、同名の修士論文を出したが、僕の卒業後、後輩の西原さんが全体をまとめて機械学会誌で発表してくれた。おかげでインターネットに名前が載ったのだ。送風機からベルトコンベヤへと、華麗なる転身をしたわけだ。
八戸鉱山や港の船積機はここに出ている。
http://www.geocities.jp/walkmantm/sub26.html
ここに申し込めば見学できるらしい。
http://www.iceee.jp/sisetudb/prev.php?id=367
ここでは、「石灰鉱山として、工業都市八戸の発展の基礎を築いた、とアナウンスで説明していたのが印象的だ。」と書いている。
http://plaza.rakuten.co.jp/odazuma/diary/201208170000/
この人のブログでも紹介している。大山顕って人のブログらしい。
http://portal.nifty.com/kiji/111021149088_4.htm
この僕の設計した岸壁へのコンベヤや岸壁の船積み設備類ってすごいでしょ。
ただ、岸壁のセメント用エアーフロー積込み装置(世界最大能力)は僕が設計したが、石灰石用のシップローダーは新居浜の設計部署の製品だ。エアーフロー積込機は、長距離コンベヤや岸壁施設が出来てから、かなり後で追加したもので、サイロの下からエヤーでセメントを流し出して、大能力のバケットエレベータで上にあげてから空気の流れでセメント用船積機にセメントを供給する。これらのシステムは予算が厳しくて、たった一人で計算し、計画図を書いてこれを外注さんに詳細図を書いてもらい設計した。結果は利益を上げることができた。
長距離コンベヤの終端で岸壁につなぐコンベヤの様子やセメント用シップローダも紹介してる。
http://portal.nifty.com/kiji/111117150708_3.htm
岸壁へのコンベヤのこのカーブ!すばらしいでしょ?
http://portal.nifty.com/kiji/111117150708_2.htm
うれしいなぁ。
ここでは皆さんが、感動してくれている。
http://togetter.com/li/215888
八戸石灰長距離コンベヤの思い出
https://isabon.blogspot.com/2022/08/blog-post_55.html
住金鹿島第3焼結設備は、Googleで見える筈だが、場所が判らない。
幅広のハウスガーダースパンが50m程度もある凄い設備なんだが、他の設備も大きくて判らない。
ここは焼却設備だが、No3か、どうかもっと調べよう。
N35.928293E140.679996
次は、僕が受注ワークに参加し、搬送設備のプロマネをした米国ガルフ湾の石炭ターミナル
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この時は、SITEの選択をするお客さんのセスナに乗せてもらった。かなり急降下とか上昇をしたので、他の同行者は気分が悪くなったが、僕は楽しく朗らかになった。以降、お客さんは僕を親切に扱ってくれた。
バングラデッシュのは、何箇所か写真は見ることができる。
N24.024241E90.986023
かように進化するなら、ときどき調べねばならない。
ここは、僕が受注した、世界で初めて、ごみ受入れに自動倉庫を使った施設です。
N35.312958E139.645999
http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200902155708973063
ここで梁瀬さんは、リサイクル施設全体のまとめ者で、僕が自動倉庫をプランして梁瀬さんの所属する事業部から受注したのだ。その後すぐに、僕は自動倉庫部から肩叩きに会い、梁瀬さんのところで働くことになった。
これも受注したなぁ。柳瀬さんの下で受注した設備だ。多分、消耗品予備品価格が安かったのが大きな要因で、営業力も良かったのかな。
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これも受注したが、その他プラに切り出し設備が評価されたけど、僕の本意ではないレイアウトに上司がまとめてしまった。受注よりは、受注後の設備設計で頑張って不本意なレイアウトを何とか稼働できる形にまとめた。
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これらの他にも、住友重機械最初の冷凍自動倉庫とか、造幣局の紙ロール自動倉庫とか、かなり特殊なタイプの受注にも成功した。僕は特殊なタイプの自動倉庫を、特殊なタイプなだけに高利益で受注し続けた。
環境施設部の外注となってからは、住重の名刺を持って、毎年20億円程度の再資源化施設を受注し続けた。
35歳ごろからは、どんなシステムが与えられても、プランし計画して見積することが出来るって自信が出来たし、実際にそれを実現した。受注には至らなかったが、実に様様な、夢のようなシステムさえ構築できた。そんな人間って企業には必要と思うのだけど、あっさりと首を切りよった。住友重機械ってほんとに馬鹿な会社だと思う。それも、同じ大阪大学卒で仕事は出来ないが首切りだけが上手な日納義郎って、とんでもない社長に追い出されたって馬鹿げた話だ。日納は造船科卒だがその技術では能力が無く、首切りって最も安直な方法で力を発揮したわけだ。彼の功績で住友重機械は回復不能なまでに技術力を失ったのだ。
僕が最も自慢すべきは、1年間程度休日出勤して、たった一人で、ベルトコンベヤの設計プログラムを開発したことだ。コンベヤ能力・速度条件等と、主要点のレベルを入力すれば、コンベヤの詳細仕様や構成部品仕様を設計レベルで出力できるプログラムであり、また、発電所や製鉄所のコンベヤ群をたった一人で短期間に見積もりできるプログラムを開発した。今思いだしても、凄いシステムを開発したものだと思う。鉄工品の設計プログラムも開発して、これらのプログラムを使うことで、東京の見積もりグループに移動した時には、港湾設備、製鉄所、発電所などの、数十億、数百億円レベルのコンベヤ設備群を一人で見積もりできるまでになった。プログラムは実施設計レベルの出力を行うので、受注後も簡単に設計できたわけだ。当時僕の所属していた住友重機械工業の運搬機事業部は、新居浜事業所に本部があり、世の中は新居浜を中心に動いているとの考えで、出先であった僕の所属する東京部門から若手を全て新居浜に移したので、数百億の見積もりでもたった一人でやることになったが、そのプログラムのおかげで十分に対処できた。これらのプログラムは、コンベヤ部門を任されたときには他社や外国にも技術的にもコスト的にも追随させないことを目的に開発したのだが、ついには東京部門が閉鎖され、僕は自動倉庫部隊に移動となった。その時点で、会社のコンピュータ内のは全て消去してしまい、プログラムそのものは自宅に持ち帰った。かくして、住友重機械は、昔も今も、労働集約型企業のままで存在する。
と言うことで、新入社員の時から海外の文献も自費で収集し、その後も国内外の施設の資料も鋭意収集したり、いろんなプラントの見積もり・実施に従事したことで、僕はバラ物搬送に関しては世界的な技術を有すると自負し続けたのだが、その後76歳になり、集めた資料の整理が必要となった。本についてはamazonで売ることにして、収集資料類は資源回収にごみとして出すことにした。かくして技術は消え去って行くのだが、恐らくそれは僕だけではなく、日本中の技術者の資料は同様に消え去るのだが、政治家や評論家、それにマスコミは、自分では口で言うだけで何をすることもなく、日本の技術力の低下を嘆いている。そんな姿を見るたびに、おまえは一体何をしているのだと馬鹿馬鹿しくなってしまう。
以下は旅行案内みたいになった。
ローマの僕の好きな安宿 FlaminioVillage
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RomaNomentanaの宿は、外側に建物が並び、内側は広い公園のような庭になっている。
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この角のBARが今はTratoriaになっていて、とてもおいしい。価格もReasonableである。
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Napoliの素敵な宿は、ここの木の扉の中だ。
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Capriの青の洞窟はここ。陸からの路がある。
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皇帝ティベリウスの邸宅跡はここだが、ここに至る道が素敵だった。
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ジョホールバルで僕の宿泊したホテル近くにジャスコがあったが写真が見える。
N1.495569E103.816777
近くに日本食レストランもあったのだ。
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シンガポールのこの美食屋が広くなっていてうまかった。
N1.28127E103.848503
KUANTANで宿泊したPAN HOMESTAY でとても良かった。
N3.819595E103.333411
なお、2017年に至り、東京都知事 石原慎太郎や、その側近たる浜渦とかに、東京都100条委員会での尋問が為されたが、彼らの言い分は、当時は彼等の決断は周囲から絶賛されたとんことだ。が、それから10年~20年で、今は社会から明らかに責められている。彼等に比べて、僕の造り上げた設備は30年後、40年後の今でも称賛されているわけだ。
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