2013年2月9日土曜日

なんとなくマレーシャへ単独の旅 2013 1月21日~2月2日

ここんとこ親戚の連中の部隊長としての旅が多かったが、人数が多く老嬢の数も多い旅は、無理な行動には文句が多く、ちょっと金を出し合えば、交通費も安く行動できるので、どうしても安易な方向に進んでしまう。それはそれで、楽しい旅になるのだが、基本に戻り単独行を計画した。
マレーシャとなれば、当然、AirAjiaだ。15kgまでの預け荷物費、坐席指定と帰路夕食を含み往復39,140円で手配した。なお、後に述べるがMELAKAからのバスで一緒になった人に依ると、座席指定はしないで当日取れた席が通路側で無ければ、その席を買うとの方式だと節約できるとのことであり、それに、同じ日数を旅行するにも拘わらず、彼は背荷物だけであった。これだけで10,000円弱安くできるのだ。それはともかく、KLからMelakaに直行し、その後ジョホールバルを拠点にシンガポールも訪れる。あれこれ調べたが、シンガポールは僕には余り興味ある所でもないので、一日観光とした。その後列車で、北上し、イポーで泊まり、そこからコタバルに行き、今度は南下して、クアンタンからKLに向かう。
宿はAGODABOOKING.COMで手配を終えた。後は、列車の予約となる。楽しみだ。これでもやはり、出発前にはブルーになるのだろうか。
12月に入り列車の予約を試みたが、列車・シートリストは出るのだが、予約までには至らなかった。で、国鉄にメールしたが返信無く、数日後に再トライすると簡単に予約出来た。安いほうのASCクラスで、JBからIPHOまで、46MRであった。
これで、バスと食事以外は全て予約を終えた。
年末はノロウイルスにやられ、1月半ばは長い風邪に悩まされた。インフルエンザ予防接種が効かないウイルスで、香港A型とのことだ。早めに医者に行けば、例のクスリで簡単に治り、家族にも迷惑をかけないで済んだのだろうかと後悔しきりである。
121日は降雪が予想されたためか、KL便は10分程度早く出発になった。荷物を機内持ち込みだけにしようとがんばったが、鍋やナイフも持参となると手荷物だけでは収まりきれなかった。が、荷物が重しになったのは、羽田帰着時に、なかなか荷物が出て来ないので、当日中に家に帰れるかどうかを心配したときだけであった。
往路は夜行便で、やはり体にこたえるようになってしまった。歳のせいだろう。
KL
LCCT6時半で、マラッカ行きバス7:30には十分に間に合った。機内での冬服をバス待合ベンチの上でスーツケースに納めた。半そで3着持参は良かったのだが、冬用長ズボン2着は暑くて数も少なすぎた。3着の内1着は尻に穴があいたズボンであると旅先で気づき、2着しか使えないことになった。結局、ジョホールバルのジャスコで450円の短パンツを2着購入し、これが役にたった。暑いマレーシャでは汗で直ぐに臭くなるので、毎日洗濯を続けた。実に強迫観念に追われるかのように選択をし続けた。マレーシャは気温は高いが、この時期は湿度は低いようで、朝にはほぼ乾いているのでありがたかった。
22日 (火)
先に述べたが、6:30定刻にLCCTに着き、荷物をピックアップして7:10にはMELKA行きバス乗り場(5)に着き、7:30MELKA行きに乗れた。(歳を取ると同じ事を何度も言うようになるのだ)
10時にはマラッカバスターミナルに着き、ATMで現金を補充した。ATMの操作で、ENTERのスイッチが判らなかったのと、クレジット処理を選ぶと駄目で、WITHDRAWを選ばねばならないことに手間取った。が、横で操作していた兄ちゃんが丁寧に教えてくれた。

マレーシャ人は親切なのが多い。が、油断できないのも多いと言うか、下手な失敗を自ら行うことがあるので注意を怠らないことが重要だ。今回もIPOHの市場(果物や魚の巨大な市場である)で梨をかったが、袋の中でちょっと汚れているなと気になったが、ホテルに戻り食べようとすると、一個は完全に腐ってカビまで生えていた。シンガポールのQueenStreetバスターミナルでは、トイレで金集めの婆さんが30セントと言うので、50セント渡したら、つりを寄越さない雰囲気なので、20セント取ろうとしたら、手を出すなと、黄色い声を挙げられた。等々と、うっとうしいことも起こるのも旅の常でもあろう。ただし、単にトイレを預かっているだけの婆さんに馬鹿にされてたまるものかと、こちらも、NoThankYou、と怒鳴り、50セントを取り戻した。トイレは無料のジョホールバル側のきれいなトイレで済ませた。
なお、ジョホールバルからの早朝のシンガポール入りは、通勤者が多く、概ね、東京駅の地下鉄を通勤者が流れるような中で、旅行者が一人、うろうろとする有様になる。このようなのも精神的には疲れるものだが、その状況下で彼らの生活と僕のそれを比較すると、遥かに僕の方が幸せな行動をしているわけで、そう考えれば、そんなことで滅入るなんてあってはならないことなのだ。
話を元に戻して、MelakaBusセンターは、遠距離バスと市内バスのターミナルが二つの円形を太い通路でつないだ形なので、ある場合は、外部をトコトコと行けば移動できるし、ある場合は中央の通路を移動しなければならない。とにかく運ちゃんに「市内バスCityBusは?」あるいは、「HighWayBusは?」と聞けば、あっちだと教えてくれる。市内バスは別名PanoramaBusと称し、17番のバスがバスステーションと市内、特にDuchSquuareと結んでいる。このバスはDuchSquareまでは1.4MR程度だが、これは遠く、マラッカ海峡を見下ろすところまでも巡回するので、BusStationに戻るときには2MRかかる。ところで、僕は2泊後の10時半発JohorBahru行きMujiBusの切符も買っておいた。話は先になるのだが、帰路にDuchSquareで朝7時のバスに乗ったので余りにも早くバスステーションに着いたので9時半のバスに変更した。
MELACAのホテルはDatchSquareの少し北側のYellowMansionHotelで、横にレストランが併設し、食事はマレーシャ風の食べやすい食事だ。バイキング式と言うか、皿に並んだ惣菜から好きなのを選んで入れて、これを見せると会計してくれるシステムで、バイキングとは違い、食べ放題では無い。中華街では雑食と書かれているシステムだ。だが夕方には殆ど無くなるので、その場合は、フライドライス卵焼き付と言えば、直ぐに作ってくれる。一食6~7MRだから食事予算は大幅に助かった。
当日は荷物を置いて、DutchSquareから上流に散策した。この街は花が美しく、また町並みも興味深い所だ。昼食は途中の市民用オープンレストランで食べたが、カレー味ヌードルでこれもうまかった。紅茶付でやはり6MRだ。が、これを観光地たる中華街で食べるとすれば一気に値段が上がるようだ。
帰り路の中華街で、李10個とマンゴー3個を買ってホテルで食べたが、どれも、特にマンゴーは濃厚でうまかった。そのあと丘に登り涼しい風で体を冷やした。丘の周囲をぐるっと歩き、大体の見所を見終えた。再び起点のDucheSquareに戻り、Squareのリキシャ運転手と仲良くなり、花壇のコンクリに座り話して時間を過ごした。
ホテルは一泊食事つきで65RMと、今回の旅では高いほうだが、それなりの価値はあった。
23日(水)
翌日は、Squareからの17番のバスターミナル行きバスの運行状態を見るため、7時にはSquareに行き、リキシャ運ちゃん、それにバス待ちのポーランド人とあれこれ話した。バスは確かにSquareバス乗り場に停車することを、それも、来た時と同じ方向に止る(そこは一方通行だし、バスは巡回してバスステーションに戻ってゆくのだ)ことも確認した。後顧の憂いを無くして先ずは中華街を散策した。かような遣り方は失敗は少ないのだが、かなり無駄な時間を浪費する。
ところで、中華街は、なんとも懐かしく涙がこぼれそうな町並みだ。恐らく、なぜ懐かしさを感じるかは判らないが、とにかく、懐かしさを感じるのだ。主なる3通りを歩き、ゆっくりと街を楽しんだ。それから河の右岸の沿って、マラッカ海峡までを歩いた。少しもどり低い橋を渡り今度は河の左岸を町に戻った。とにかく河口部はそれほど良い景観で無いことは確認した。ところで、マラッカバスセンターへのバスはこの河口の高いほうの橋をぐるっと回ってバスセンターに行くことを翌日に知った。
先に書いたように、準備万端を済ませていたので翌日には7時のバスに乗り、早くバスセンターに着いたので、Johorbahruへのバスを一台早くに変更した。
なお、バスセンターでの市バス(PanoramaBus)の乗り場は市バス側の17番(バス番号も17番)で、Muji 遠距離バスの乗り場は、遠距離バス側の18番であった。Platformナンバーは建物外に出ないと判らないのが難点だ。
124日(木)
7時にdutch squareから乗った市バスは信じられないほど、グルグルと市内を循環して、最後に河口にかかる橋を越えてからバスセンターにと向かう。橋の上から河口部とマラッカ海峡がよく見える。BusSenntaerでは、バスは17番乗り場につかず乗客を降ろしてから17番乗り場に向かう。HighwayBUS?と聞くと指押さしてくれるのだが、真っ直ぐに行くと、HighwayBUS乗り場も通り過ぎるので、途中で何度も聞く方がよい。
早く着き過ぎたので、MujiBusの窓口で、9時半のバスに変更してもらった。乗り場は18番だというが、内側からは見えない。外に出てようやくプラットホーム番号が見えるようになっている。
適当に座って待っていると、同年齢程度の日本人らしい人がバスの写真を撮っていた。
バスに乗って日本人ですか?って聞くと、そうだって答えたので、いろいろと旅の情報を話し合った。ちょっと驚いたのは、僕が、旅の出発前になると気分がブルーになると言うと、彼にはその考え方が全く理解できず、楽しくて仕方がないと答えたことだった。とにかく、かなり楽天的な性格に違いない。
彼は、ジョホールバルのZONってフェリー乗り場から小島に渡るとのことで、ラーキンBusStationにて別れた。バス乗り場の係員に、今日の宿のあるPerumasjayaと聞くと39番のバスだと言う。これは僕の調べた情報に一致していた。が、運転手に再確認すると、「LINKだから途中で乗換だ。123番に乗換えれば良い」と言う。これも、僕の得ていた情報に一致した。支払いは1.75RMとのことで、これが乗換えてからのことを含むかどうかが分からなかった。なお、彼とは帰路クアラルンプールのLCCTで再開したが、ラーキンbusstationからZONEまで25RMも支払ったらしい。調査力の差が僕が勝っていたようだ。しかし、彼はAIRASIAの座席指定はしないで、空港で席が悪いと金を出して良い席を確保するし、荷物は手持ちだけにせいりしている。これだけで往復1万円近くも節約できているから、僕は細かく儲けたに過ぎない。どうも、これが僕の欠点だろう。
上記情報には、JuscoPermasujyayaに行くBUSも特別に書かれているが、23番もCausewayLinkとして同地に行くようだ。
バスは直ぐに、ジョホールバルSentralと思われる近代的なバス乗り場に着いたが、降りる人も無くUターンして、東に向かった。T字路で、ここで降りて123のバスに乗れと運転手が言い、僕は降りたが、どこにもバスストップを示すものはなかった。不安になり通り合わせたTAXIに乗ると、これはメーター付で、今回の旅行で唯一のメーター付TAXIであった。
TAXI
は川(入江か?)を越えて行き、ホテルには直ぐに着いた。メーター支払いは15RMだった。その後、いろんな所で乗るTAXIは、メーター付きでなく、日本人だと15MRが相場であったから、ここで乗ったTAXI15RMが最も距離的に長かった。なお、帰国時に再び先の日本人にあったが、彼は、ラーキンBusSenntralからZON、それは、JB Sentralの近傍だが、そこまで25MR支払ったとのことで、彼と比較すると、僕の方が有利な交渉をしたことになる。ZONJBの僕の住みかPerumasujyayaからJB Sentralに至るバスのRouteにあり、JBの直ぐそばであった。
N1.499902 E103.814739
ところで宿は、ジャスコマスジャヤの商店集合街の北の奥の方であった。南のメイン道路にジャスコがあり、バスがその西側から出るらしい。これらの探検を終えて宿に帰る途中に果物屋があり、そこでパイナップルを2個購入し宿で食べてみた。とても美味くて2個を一気に食べたのだが、口の中がとても痛くなった。後で調べるとパイナップルには短波気質を分解する酵素があり、かぶれを起こしやすいやしい。痛い勉強をした。それと長ズボンばかりでは暑いのでジャスコで15RMの短パンツを2着買った。ジャスコの位置はここ。
N1.495966,E103.818344
123
番のバスはジャスコの南側に着き、Sentralへのバスはジャスコの西側に着く。
125()早朝に宿を出てJUSCO前でバスを待った。セントラルまで1.6RMらしい。バスが直ぐに来て20分足らずでセントラルに着いた。2階の連絡通路を経て隣のイミグレーションビル3階に上がった。出国審査を受けて、下に行くと、2階と1階へと続々と進む通勤者の列があった。
誰も喋らず、ただ陸続とトラック乗車の列に並び進んで行くのだ。なぜか通勤者が並んでいないバスがあり、Queen
sStreetに行くと言う。乗ろうとすると、切符は車内では売らず金を箱に入れろと言う。どこかに切符売り場があったはずだが通り過ごしたのだろう。が、切符が無いとWoodlandで入国審査した後で同じ会社のバスでも支払いが必要になる。が、たかが2RMのことだと乗車した。車内は整然として座席に座る人は喋ることなく、殆どが眠っていた。Woodlandへは直ぐに着き、入国審査前で置かれた入国書類に記入し、審査カウンターではJBでの宿泊宿、マレーシャからの帰国便を確認された。再び1階に下りて、2RMを箱に入れてバスに乗車した。バスは渋滞で一時間程度掛かりQueensStreetに着いた。
そこから徒歩で、大噴水、マーライオン、ラッフル像、中華街を経てQueen
sStreetに戻りバスでマレーシャへと戻った。帰りは車内で2.5SDで切符を買い、簡単に戻れた。
126日(土)
10:15
発の列車に乗れたが、予約席は窓なしに近い席であった。列車もわけの判らんとこで止まり、なかなか前進しない。どうやら単線で、列車待ちをしているようだ。が、それを終えると突然猛速で走り出した。単線でこのスピードでは怖い、そんな速度だ。バス路線に比して人家はよくあるが、それでも海の見えない田舎町の間を走るって感覚である。乗客が降りて窓際の席が空いたので移動した。良好!良好!
だが直ぐに客車は混みだした。席に戻ると僕の席の横におっさんが座っていた。話によると、シンガポールで働いていて、休日ごとにIPOHの家に帰るのだが、渋滞で列車に遅れ、TAXIを使って列車を追っかけてきたとのことだ。IPOHでは是非ともWhiteCoffeeを飲めとのことであった。あとで実際にのんだが、濃厚なミルク味と口当たりの良さが印象に残る飲料であった。
列車は山の中、それも、やし林の延々と続く中を走るだけであった。しかし僕はこんな旅でも楽しい。列車にはビュッヘもついていたが、僕は買い置きしておいたパンやビスケットで昼食を済ませた。列車はKLも通過して、定刻にIPOHに着いた。駅を出るとTAXIの運ちゃんが寄ってきて20RMだと言うが、MAX10だ!と言うと15RMとなった。結局、今回の旅では距離に関わりなく15RMばかりを払った。ただ、JBからJuscoPermasJayaまでがメーターTAXIで、14RMだったが、乗る距離は一番長かった。
宿は今回の旅では最悪であった。案内された部屋はまっくらでカーテンを開ければ埃が立ちそうで開ける気にはならず、それにそちらは廊下であった。シャワーが無く文句を言ったが英語が通じない兄さんで何を文句を言ってるのか理解できないようであった。何でも、この土日はインド人の祭りで部屋は全てFULLってことらしい。あきらめて手桶で水をかけてシャワー代わりとした。食事は近所のフードコートでぶっ掛けご飯を食べた。ナシチャンプルってやつだ。おいしかった。それより近くにインド食堂があったが、これはやはり味が濃すぎた。もっと駅近くの公園辺りにWhiteCoffeeって中華店があり、翌日の散歩時に、そこで、WhiteCoffeeと目玉焼き付パンを10RNで食べたが、これはうまかった。しかし、値段的に高いので以後は行かなかった。

127日(日)
翌日6時に起きて、暗い中を街北部の市バスターミナルに向かった、宿からは30分掛かった。その周辺で直接Kotabahruに行くバスは無いかと知らべたが、どうも無さそうだった。仕方がなく、通り掛かりの人に、ペダン・ゴペンと聞くと、そこに行く市バスターミナルを教えてくれた。市バスターミナルも行く方面で別れているらしい。教えられたターミナルに入り、カウンターで「メダン・ゴペン?」と言うと、そこと指差し、「7:10にバスが来る、切符は中で買え」との事だった。バスの運転手と車掌は夫婦で勤めていて、これは、ジョホールバルの123番バスでも経験したことだった。翌日に乗ったのは6:50分のバスだったが、これは運転手単独で、車掌の替わりに電子機器が使われていた。どうやら、バス運営システムが変わりつつあるらしい。夫婦で運営のバスシステムとは実際にはどのように運営されているのか想像するだけでも楽しいではないか。
バスは市内に戻りぐるっと一周してから南下してゴペンに着いた。運転手がゴペンだ!と言うまで分からないような場所で、道路の向こう側、屋根付きの駐車場の更に向こうにバスセンターがあった。翌日8時のコタバル行きバスの切符を買うと、出発30分前に来ればバスナンバーを教えるとのことであった。市内へのバスを待ったが、当日はインド人の祭りがあり、市内バスが来ないとのことで、15RMTAXIで駅まで帰った。その後は市内をうろついて過ごした。小さな街だが、他の街と同様に居心地の良い街であった。
夜中にバケツをひっくりかえすような豪雨が延々と続き明日のバスが出発できるのかと危ぶんだ。
128日(月)129日(火)
昨夜の雨が嘘のように早朝の街はほぼ乾いていた。615分に宿を出て徒歩でIpoh市バスBusStationに向かった。昨日来ているから簡単で715分前には着き、カウンターで聞くと待っている一台がメダン・ゴペンバスステーション行きだと言う。乗ったら直ぐに出発した。そのバスは運転手の爺さんだけで、切符の積算は機械でやっていた。夫婦運転だけでは無いらしい。乗客は僕と出発して直ぐの停車場で乗った婆さんだけだ。どうせ昨日と同様に市内をうろつきまわってからゴペンに向かうだろうと油断していたら、直ぐに運転手が「ここだ、ここだ」と言う。確かに道路の状況は昨日来たゴペンだ。急いで降りて道路を渡ったが、早朝で猛スピードの車にはねられそうになった。715分には着いて、昼の準備の購入とかを終えても時間をもてあました。僕のいつものパターンだ。
9
時になりTansnationalの窓口に行くと、昨日受け取った930分の切符に DAU6405 と車の番号を書いた。多くの車から探すと、端の方の車であった。
車は定時に出て、一路北方に向かったが一時間ほど走った所で、ゴムの焦げるにおいがして路壁に止った。一時間ほどで修理が終わり再び北に向かった。Gerikを過ぎた名も無き小さなバスターミナル、これはどうも、乗客たちの食事に特化したターミナルに2時ころに着いてゆっくりと食事が始まった。が僕は既に買っておいたクリームパン類を食べてしまっている。彼らの食事の量を見ると、どうも彼らの食事は昼食が優先かもしれない。30分程度でバスは再び出発した。更に4時間の旅だから到着は6時を過ぎることになりそうだ。このバスはコタバル市内の中央部のコタバルバスセンターに着くから今日の宿からはちょっと距離がある。タクシーに乗るとして必ずや15RMを主張するだろう。10RMに下げられるだろうが、5RM150円のことで面倒なことである。恐らく、もういいやってことになるだろう。コタバルからクワンタンへのバスだが、トランスナショナルのバスは市の中心からで31.4RMで、NiceDeckBusは宿に近い所の、LanggarBusTerminalからで,54RMである。宿から歩いて行くとしてTransnatinalを使うことにして、切符は本日着いた時に買うこととした。そこまで考えて、バスの時間が8時か9時か、明日実際に歩いてから決める方がよかろう。ただしそうなるとTAXIの運ちゃんへの支払いは細かいのが無いから50RM札になる。運ちゃんとの交渉で注意せにゃなどと、仕事をしていた時と同様にこんな感じで旅をするから精神的に疲れるのかもしれない。だが、頭を使うことに慣れることも重要だろうと思う。
椅子と車体の間に変な物があると見たら、thailand人のpassportであった。BA-E
Mr.ABDULLOH
 N982124 って人の物で、困ってるだろうな、と思った。KotaBahruに着いたら直ぐに届けてあげよう。と、実際にはTAXIの運ちゃんとの交渉や、KUANTANへのバス切符購入で頭がいっぱいになり、購入カウンターに拾ったパスポートを渡すのを忘れた。
KotabahruJalanPedekバスステーションは、市の中央部にあり、狭い場所で、むしろ市バスの方が数も動きも多い。他にもバスステーションが有る筈なのだが、歩いて調べたら見当たらなかった。宿はバスステーションから南東に歩いて40分程度のところにあったが、行ってみるとリフォーム中で閉館していた。が、親切なオーナーが近くの宿を紹介してくれた。その宿はハンサムな青年、オーナーの息子とのことだが、彼が管理していて、設備的には良い宿だが、どうもメンテが今ひとつであった。その青年は、定刻になると神への祈りを捧げる敬虔なムスリムだが、敬虔であることと、物事を管理する能力とは関係が無いらしい。ただ宿は近くに食堂もあり便利な住宅地街の中にあった。街は特に北側が古く懐かしい街並みであったが、開発が進行中のようであった。川に水上生活者の建物があるとのことで行ってみたが、2~3軒しか浮いていなかった。
街北側のミニバスステーションからPCB海岸へのバスが出ていると行ってみたが、今は、JalanPendekBusStationから出ているとのことで、行くのをあきらめた。どうも、この街のことでは、地球の歩き方情報は古いのだと思えた。なお、市バスはCityLinerと称されている。この街で見どころは、バスセンターから北側の街並みと言えるだろう。
130日(水)1月31日(木)
バスセンター発が8時なので、宿を6時に出た。道は十分に把握済みの筈が、ちょっと迷った。しかし、7時過ぎにはバスステーションに着いた。朝食はバスセンター東側のレストランで、ケースに入ったお菓子系のパン類で済ました。バスは30分遅れで出発した。
KUANTAN
への道は、左に長いビーチが延々と続き、それに周囲の田園風景も素晴らしく、今回の旅で最も美しい道であった。
KUWANTAN
近くになると、石油精製の巨大なプラントが建設中であった。横の方の席のカレッジの講師さんの説明では、近海に石油が産出したらしい。労働者が急増し物価上昇が著しいと嘆いていた。
僕の考えでは、この辺りで日本の厳しい夏から逃げてくるのが良いと考えていたのだが、彼のこの説明で、更に調査の必要があるかな、と考えた。
バスセンターはプラットホームが7レーンで2階が切符売り場、駅中って、なかなか立派なんものだった。明後日のきっぷも買って運転手と交渉したが、やはり15RMで成立した。が、宿は今までで最も近い位置にあった。運転手が望んだので、明後日の朝の7時に来いと約束したが、結局、当日7時には現れず、駅まで歩いたが、道はもちろん調べておいたので問題なかった。むしろ、バスステーションに着いてからスコールになったから、下手に運転手を待たなくて良かった。
話を元に戻して、宿は、街の東側を南北に走るJyalanBessera沿いの高級住宅地の中にあり、今回の旅で最も施設の整った宿であった。この宿であれば女房も満足すること確実であった。近くの中華料理屋でナシゴレン(多分中華チャーハン)を食べたが実にうまかった。
ただ値段は、10RMとちょっと高かった。
翌日は7時に宿を出て街を見て回った。今までで最も小さな街であったが、その雰囲気は素晴らしい街であった。特にいろんな種類の街路樹が美しい花を咲かせていた。河畔に遊歩道がある筈だったが、遊歩道は再建設途上で、遊歩道の店は全て閉店になっていた。遊歩道入口のレストランが漸く開店していたので、ナシルマを食べた。
街歩きに満足して、MEGA MALLを訪れたが、僕に取っては特に関心が生まれる店ではなかった。街を歩いて感じるのだが、マレーシャでは道を歩く人を殆ど見かけない。全くの車社会になっている。そのせいか、建設は続いているのだが、何となく、意気込みが感じられない点が気になるのだ。
2月1日、2月2日
朝7時には行動を開始した。宿の前で待って7時にTAXIが来ないのを確認して、直ぐにバスステーションに向かった。徒歩30分程度で着いたが、着いてすぐ後にはスコールが始まった。つまり、TAXIを待たなくて良かったのだ。朝食は裏手のレストランでナシレムを食べた。そこのナシレムはココナツが濃く、飯が粘つくようであった。
バスが遅れて着き、スーツトランクを開けてくれと言うと、持ち込め、とのことで、その処置に苦労した。席の番号が5Aで、席の上の番号を見て行くと、4の後ろがMになっていたが、おそらく、これが5であろうと、スーツケースを隣の席に上に置いて座った。後から来た人が、そこは私の席だと言ったので、スーツケースを下ろそうとしたが、いい!いい!と彼は後ろの席に移った。この辺り、マレーシャ人はなんとなく日本人的、それも関西風で融通が効くようだ。僕の座った席の後ろからは、横3席で広い通路になっていた。よく見ると、その席の上に5Aと表示があり、そこ、つまり僕の指定席は広い通路なので、運転手は荷物を持ってゆけと言ったのであろう。だが、今さら席を変える気もなく、そのままにした。山越えの高速はあいかえあらずヤシ林が延々と続く道であった。
ところで、バスチケットを買う時に、プドラヤ行きと要請すると、8:001030と言われ8時を買ったのだが、切符を再確認すると、HentianPEKULILINGと書かれていた。同乗する人に聞くと、クアラルンプールへのバスは、KLの北から入り、PEKULILINGを経由してプドラヤに行くのだとのことで安心した。PUDORAYAに着けば、もう後は勝手知ったるチャイナ街である。定宿のAlmandに入れば、そこから外に出れば、すぐにフードコートがあり、困ることは何もない。以前よりもこの街の楽しみ方もうまくなったようだった。
KL鉄道駅の近くのLAKE公園に行こうと、PasirSuniの方向に急いでいると、日本語、それも関西訛りで話しかけてくる若い女性が、「日本人ですか?」と聞くので、そうです、と答え、貴方は、と問うと、「さっきから日本語で話しているでしょう?」と言い返された。その通り確かに失礼である。いや関西訛りだったし・・と弁解にならない弁解をした。なんとなく明るい雰囲気の女性で、同じ方向に向かう彼女と何言か話したが、彼女はPasirSuniからブキブッタンに紫色の無料バスで行くとのことで、直ぐに駅に着いて別れた。蝶々公園とかLake公園を延々と歩き、疲労困憊で宿に帰り、夕食も済ませて歩いていると再び彼女と出会った。話好きなのか、お茶にさそわれ、いろいろと馬鹿話をしたが、彼女は30RM程度の安宿で暮らしているらしい。厳しい日本から離れ、ここKLで新しい仕事にチャレンジしているとのことだった。
翌日、MYDIN前のSTARバス停留所発11時の便でLCCTに向かった。日本へのAirasiaは、なぜか、50分も早く着いた。そのため予定していた羽田での夜明かしは不要となり家に帰ることができた。また当日は寒さが和らいでいて、気分良く帰宅できた。
とにかく、暑くはあったが、マレーシャの方々を十分に見ることのできる旅であり、今回の旅で、マレーシャで生きてゆくすべは会得した。
後半は疲れて記述が雑になったけど、我慢してください。
ところで所要費用ですが、航空機代約40,000円、ATMでキャッシング1,000RM=30,000
50SD
5,000円 その他予約支払分を含めて、合計80,000円程度でした。ネパールやインド旅行より高くなりますね。

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